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第 6 章 早稲田大学総合活動型教育の事例分析―考察―

6.1 はじめに

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「社会レベル」の文化を持っている。言い換えれば、一人ひとりは自分の所属 の集団の個人的文化と社会的文化の持ち为である。「考えるための日本語」クラ スでは、さまざまな文化的バックグランドを持っている学習者が一つのグルー プになり、グループワークのプロセスにおいては、他人の違う文化に反射され た自文化に対する「自覚」が高まって、それを「表現する」⇒「共有する」⇒

「統合する」⇒「内省する」のスパイラルによって、各個人はチームメンバー の意識を構築しながら、交流していく。「ひとつわかることは、ことば以外に、

人とつながる方法があるということ。それは、自分の声を出す意識と人の話を 聞く意識だ(悶々グループ5月30日BBS)」とMC1が書いたように、クラスの参 加者の相互作用のグループワークは、単なる日本語の面、あるいは何かの文化 面での交流ではなく、丸ごと人間の交流となっていると言えよう。

6-1 「考えるための日本語」クラスのグループワークのまとめ

6.3 「考えるための日本語」クラスにおける言語文化の相互理解

今まで为流の「日本語『を』学ぶ」クラスと違って、「考えるための日本語」

クラスは、「日本語『で』活動する」が言語文化相互理解の原動力になっていた と考えられる。「考えるための日本語」クラスでは、言語文化の相互理解は言語・

文化知識の転換、伝達、共有、創造の形で行われてきた。具体的には、以下の いくつかのパターンがあった。

1)個人レベルの文化的知識 個人レベルの言語的知識

個人の文化知識は「言語」に表現されるパターンはグループ活動の最初の段 階には特に多く見られた。そして、個人の文化的知識を言語的知識に表現する ことは、学生たちにとって思うほど簡単なことではなかった。CC1*の4月14日観 察誌に記されているように、「『個人と社会を結ぶ』とは当たり前のように話し

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ていたが、理解しよう、説明しようとすると、自分のぼんやりした考えを引き 出し、また『ことば』にして伝えるのが非常に難しかった」。文化的知識を言語 的知識に転換するのも一種の知識創造と捉えることができる。

2)個人レベルの言語的知識 集団レベルの言語的知識

グループワークにおいて、メンバーの意見はグループで共有され、グループ の意見になった。個人の言語的知識からグループの言語的知識になった例はた くさんあった。悶々グループとゲシュタルトグループのキーワードや、三つの グループの意見構築など、いずれも「共有」によってできたものである。例え ば、ゲシュタルト4月21日のグループディスカッションでは、個人と社会を結ぶ というテーマについての個人の文化を言語に表現し、その言語的知識はグルー プで共有され、以下のようなグループの意見となった。「個人は社会のなかで一 人では生きられない、他者とのつながりが必要である。柔軟性と抱擁性そして 相互関係を受け入れることでそのつながりは濃くなり、社会はより豊かになる」

(GC1*4月21日観察誌引用)。

3)集団レベルの言語的知識 集団レベルの文化的知識

各メンバーの意見がグループで共有され、集団レベルの言語的知識ができ上 がった。そして、集団レベルの言語的知識を統合させたりすると、集団レベル の意見が生まれる。それが集団レベルの文化的知識になる。グループワークの 最終段階において、このパターンの知識の変容が特に多く見られた。例えば、

悶々グループの最終段階において、MC1の記事に対して、MJ2*は「私達は、時 間をかけて、たくさん話をして、認識を見せ合って、自分を調整したりして、

同じ背景を創り上げてきた」とグループメンバーの行動規範に関する気づきを 言葉に表現し、MC1は「私たち、遠慮なく、自分の意見をはっきりという」と いう集団レベルの行動規範としての文化的知識に気づき、まとめた(悶々グル ープ6月8日BBS)。

4)集団レベルの文化的知識 個人レベルの文化的知識

集団レベルの文化的知識が個人レベルの文化知識に変換されることは、いく つかの段階に現れた。グループディスカッションによる意見の構築や、グルー プの共有されている意見と違ったり、コメントされたりすることは、内省の契 機となり、新たな見方が生まれてくる。具体的な例は、シャネルグループの議 論による意見の構築(pp.98-99)、悶々グループのMC1の記事のまとめ(pp.73-75)

などがあげられる。

共有

統合

内省

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5)教室の外から得た文化的知識 個人レベルの文化的知識

悶々グループやシャネルグループは教室の外に出てインタビューしたので、

インタビューの対象との「対話」によって、新たな文化的な気づきを獲得し、

自分の文化知識を豊かにさせた。ところが、このパターンの知識の変容は、個 人の文化知識を言語に表現し、対話によって自分の文化知識と統合されると言 えるであろう。

以上まとめた五つの知識変容のパターンによって、メンバーたちの言語・

文化知識がグループワークを通じて転換されたり表現されたりして、クラスで 共有され、創造されてきた。留学生にしても日本人学生にしても言語・文化知 識が豊かになったことがわかった。

このクラスは日本語能力を高めることを目的にしなかったが、結果からいう と、学習者は日本語が上達したのみならず、日本語学習の「プロセス」、つま り結果に辿り着く「方法」についても気づきを得られた。留学生 MC1 は活動 途中(5月 30日)と活動終了後(6 月 30日)に日本語の習得についてそれぞ れ次のように記した。

日本語の面にしては、確かに複雑なことを日本語で説明する能力をちょ っとだけ上げたと思います。(中略)正直に言って、私は、みなさんの 日本語を60-70%しか理解できない。それなのに、discussionができる のはほんとに不思議だと思う(悶々グループ5月30日BBS)

日本語がこのクラスの目的じゃないけど、ひとつ気がついたことは、日 本語に気にしなくなることだ。(中略)もう、どうでもいい、とにかく相 手をわかせるような感じで、やっている。これは、言葉の勉強にいいか もしれない(MC1期末レポート)

この気づきからわかるように、今までの伝統的な日本語クラスと「考えるため の日本語」クラスの根本的な違いは、「日本語」をどう捉えるかという問題であ る。伝統的な日本語クラスでは、日本語は勉強の対象になる。今までの为流の 日本語教育では、日本語の習得は、尐なくとも、「文字・語彙」、「聴解」、「読解」、

「作文とプレゼンテーション」などの能力を重んじている。しかし、「考えるた めの日本語」クラスでは、日本語は活動のツールにすぎない。

本研究においては、「文化」を集団に属する人間が修得した「思考と行動の パターン」としての知識と定義され(Li & Umemoto, 2010)、「文化的知識」は、

「自分をどう見ているかという自己認識、世界をどう見ているかという世界観、

どう行動しているかという行動的慣習、どう行動すべきかという行動的規範 」 と定義した。それで、文化の相互理解は、コミュニケーションのよく取れるよ うな自己認識、行動規範と世界観などに関する知識を獲得したことと考えられ

統合

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る。「考えるための日本語」クラスは多国籍で多文化という特徴がある。チー ムメンバーの間の暗黙知を共有することはチームの仕事ぶりを改善すること につないでいた。暗黙的知識は体験的学習と実践的行動を通じて構築されるが、

グループワークのプロセスは各学習者の持っている異なる文化との交流の「体 験」になる。学習者の BBS での書き込み、期末レポート、講義の最後に実施 したアンケート調査および実習生の観察誌をMAXQDAで分析した結果による と、留学生や日本人学生を問わず、学習者は言語・文化知識が豊かになったこ とがわかった。その一部の例を表6-2にまとめた(表6-2を参照)。

6-2 受講生の言語・文化的知識の新たな気づき

分類 コード

個人レベルの 言語的知識

日本語力がよくなった(F)

日本語は成長した(F) 日本語が難しい(J)

「自己更新力」(J)

集団レベルの 言語的知識

グループで考えを言語化する実践ができた(F)

日本語を気にしないこと(F)

言葉を通じてつながれた(J)

言葉を通じて様々な気づきを得た(J)

個人レベルの 文化的知識

(行動規範)

反対意見の伝え方(F)

異なる意見を受け入れることと自己为張のバランス(F)

自分の生き方について考えること(F)

分かりやすく話すことに心がけること(F)

論理的に話す方法(J)

人の話を聞く姿勢(J)

自分を開示すること(J)

人の意見を聞いて視野が広がった(J)

集団レベルの 文化的知識

(グループで共有 される行動規範)

人間はそれぞれ考えが違うこと(F)

能力発揮できることでモチベーションが高くなる(F)

親近感を示すのも「空気」作りに重要である(F)

協働はコミュニティの創造につながっている(J)

为体的な行動意識(J)

コミュニケーションのベーシックなもの(J)

注:F は留学生(Foreign students)の略であり、 Jは日本人学生(Japanese students)の略 である。