現代の盛土
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…
図
45
仙 台城二 の丸跡第14地
点IV区 平面図・ 断面図 Fig.45 Plan and cross section of Grid IV‑2 at NV114ピッ ト
1埋上 25Y3/2 暗褐色 粘上質 シル ト 粘性中・ しまり強 赤褐色粘土 ブロックが混 じる 炭化物少量含む 円礫含む
25Y3/2
黒褐色 粘土質シル ト 粘性強 。しまり中 円礫多 く含む 炭化物少量含む
10YR1 7/1
黒色 シル ト 粘性弱・ しまり中 炭化物多量含む 小礫少量含む
10YR2/3黒褐色 シル ト 粘性弱 。しまり中 炭化物部分的に含む 小礫含む
25Y3/2
暗オ リーブ褐色 シル ト 粘性中 。しまり強 炭化物・ 小礫含む コンクリー トブロック
アス フ ァル
H‑7区 ゆ型
コ ′ ン フ II
ml
25Y3/2
黒褐色 粘土質シル ト 粘性強 。しまり中 円礫多 く含む 災化物少量含む
10YR5/6黄 褐色 と
25Y7/3浅黄色が混 じる 粘土 粘性強 。しまり強 部分的に7 5YR5/8明 褐色砂質シル トが混 じる
ピット1埋 ±
1 10YR4/3イ こぶい黄褐色 シル ト 粘性弱 。しまり中
黄褐色粘上が斑状に入る 小礫・ 炭化物少量含む
ピット1埋±
2 10YR4/2灰黄褐色 粘土質シル ト 粘性中 。しまり強 浅黄色粘土 と明褐色砂質シル トがプロック状に混じる 炭化物含む
ピット
2埋上
7 5YR4/3褐色 粘上質シル ト 粘性中・ しまり中
黄褐色粘土が斑状に入る 炭化物少量含む
く オ
文系四学部厚生会館
で遺物が出土 している。陶磁器・土師質土器・ 瓦質土器・瓦などがあるが、小片が多 く、数 も少ない。図
47‑4
は、
H‑2区
の近現代の整地層出上の軒平瓦で、唐草文の部分である。図47‑5に
示 したのは、同 じくH‑2区
出上の近現代の整地層か ら出上 した面戸瓦か と思われ るもので、短辺の弯 曲が強い点で、 これまでの二の丸跡出 土資料 にはあまり見 られない ものである。
13)Ⅲ
工区Ⅲ工区で精査 を実施 した場所 は無い。遺物 は、江戸時代の整地層の可能性がある褐色土層か ら、磁器碗が1点 出上 しているだけで、細片のため図示 していない。
(4)Ⅳ
工区(図 45、
表68・ 69、
図版168))【Ⅳ
‑2区
】Ⅳ工 区で精査 を実施 したのはⅣ
‑2区
だけである。外灯の基礎 に相当す る部分で、1.2m四
方 というきわめて狭 い範囲の調査区である。基本層序の3層には、炭化物が含 まれ、特 に
3C層
には多量に含まれてい る。 これ は、明治15年 (1882年)の
二の丸建物群が全焼 した火災の際の炭化物層 と考 えられ、
3a層
。3b層
は、3C層
と一連 の層で、火災の後片付 けに関連す る整地層の可能性が高い。 したがって、1層
と2層は、 この明治15年以降の盛土 と考 えられる。調査 した範囲が狭 く、充分な検討 はで きなかったが、4層は整地層の可能性が あ り、二の丸期かそれ以前 にさかのぼ る整地層であろう。5層・6層は地 山 と思われ る。調査区の南半分 は、現代の撹乱 によって破壊 されていた。検出遺構 は、4層上面で ピッ トが
1基
発見 されている(ピ
ッ ト1)。
長軸65cm程のやや不整形 を呈 し、深 さは20 cm程 の浅い ものである。 ピッ トの中には比較的大 きな瓦が1枚
入 っていた。出土遺物 は、陶磁器類・瓦があるが、 ほとん どは1層 と2層か らの出土 である。 ピッ ト1からは、陶器行平鍋 の蓋 と土師質土器が各1点出上 しているが、いずれ も細片である。 ピッ ト1の中か ら出土 した瓦 は、大型の棟瓦 で、角桟伏間瓦である
(図 47‑6、
図版169‑T6)。
長 さが34.Ocmを計 るもので、同様 の大型の棟瓦 は、今回の 調査地点 に近い、第10地点2区
において まとまって出上 している(年
報9)。
この周辺で、 このような大型の棟瓦を使用す る建物が存在 した可能性 を示す もの と言 えよう。
このⅣ
‑2区
以外では、Ⅳ‑1区
で若千の遺物が出土 しているだけである。いずれ も表土か撹乱か ら出上 した ものである。 このⅣ‑1区
では、米軍が構築 した共同溝の掘 り方埋土か ら、拳銃が1点出土 している(図
版169‑
Ml)。
銃身 には「FA…
…(途中不明)― …ON□E DARMES DE GUFRRE HERSTAL― BELGIQUE BROWN‐
ING'S PATENT DEPOSE」
との刻E日が認 め られ、米軍が使用 した もの と思われる。15)V工
区V工
区で は、工事 での掘 削が、全 て近代以 降 の盛上 に収 まってお り、撹 乱 か ら磁器 の小邪 が1点出上 して い る だ けで ある。17世紀前半代 の月巴前産 と考 え られ る もので ある (図461、
図版169‑Cl)。
(6)Ⅵ
工区(図
版168)
Ⅵ工区では、工法の変更 な どの措置 を取 ったため、精査 を行 った所 はないが、各所で二の丸 に関わる遺構・ 遺 物が検出された。
Ⅵ
‑1区
では、石垣状 の施設が検 出された(図
版168‑7)。 河原石 を積 み上 げた もので、同様の ものが理学部 附属植物園の津田記念館新築 に伴 う調査の際 に検出されてお り、二の丸最西端 を区画する塀の、基礎 となる施設 と考 えられている(年
報3)。
今回検 出された石垣状の施設 も、 これ と一連 となる施設であろう。 このⅥ‑1区
か︲
︲ ィ ィ 庵
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\ 白
0 10cm
図
46
仙台城二の丸跡第14地点出土陶磁器Fig 46 Porcelains and glazed ceranlics frona Nh/114
らは遺物 は検 出 されていない。Ⅵ
‑4区
で は、石組溝 が検 出 された(図
版168‑6)。 一列 の石列 を検 出 しただ けなので、濤 にな るか どうか は 確 実 で はないが、一応溝跡 と考 えてお きた い。精 査 を行 っていないので、詳細 については不 明で、確実 に江戸時 代 の遺 構 か どうか も確認 で きていない。溝 の埋土 か ら陶磁器 が少量 出上 してい るが、いずれ も細片であった。Ⅵ
‑4区
を中心 に、Ⅵ‑8区
にか けての各所 で、明治15年 (1882年)の
火災 に関連 す る と推定 され る黒色土層 が検 出 され てい る。特 にⅥ‑4区
の周辺 で、良好 な状 態で検 出 されてい る 国 版 168‑5)。 ぃずれ において も、上 面 を検 出 しただ けで、掘 り下 げを行 ってお らず、上面 に露 出 した遺物のみを採集 した。 そのため、全体 の出土 傾 向 は云 々 で きないが、陶磁器 。土師質土器,瓦が 出土 してお り、主要 な資料 を図
46・
47に 呈示 した。陶磁器 は、18〜 19世 紀代 の ものが出上 してい るが、18世紀代 の資料 を呈示 した
(図 46‑2・ 4〜 9、
図版169‑C2・ C4〜 9)。
17世 紀代 の資料 は出上 していない。瓦 は、軒瓦 と刻印のある瓦 を呈示 した。三引両文 の軒丸瓦