【解説】
バラの主要香気成分である2-フェニルエタノールは,アミノ
酸L-フェ ニ ル ア ラ ニ ン か ら 生 合 成 さ れ る.重 水 素 標 識 化L-
フェニルアラニンをバラへ投与することで,バラにおいて2- フェニルエタノールは夏季と冬季で異なる経路によって生合 成されていることを明らかにした.季節に応じて植物二次代 謝産物の生合成経路がシフトする現象は報告例がない.本解 説ではバラにおける2-フェニルエタノール生合成経路シフト の発見の経緯と最近の知見を紹介する.
花の香りと香気成分
香りはフレーバーやフレグランスとしてわれわれの生 活に密接に結びついており,古くは古代ギリシャ・ロー マ時代からその芳しい香りで多くの人々を魅了し続けて きた.花の香りは スウィート , フローラル , グ リーン などさまざまな言葉で表現され,複数の香気成 分が混合されることにより構成されている.現在,植物 の香気成分は1,000種類以上報告されている.バラ,
ジャスミン,ライラックなどは豊かな芳香を放つことで 知られており,商業的に重要な花きである.バラから発 散される主要な香気成分は,2-フェニルエタノール,ベ ンジルアルコール,2-フェニルエチルアセテートなどの 芳香族化合物,ミルセン,シトロネロール,ネロール,
リナロールなどのモノテルペン化合物,香りの閾値が低 く特徴的な香気を有するローズオキサイド,
β
-イオノン などである(図1).これら多様な化学構造を有する香 気成分は,植物自身にとって重要な生理学的意義をもつ ことが報告されている.植物香気成分の環境との相互作用
植物は運粉者や草食昆虫などの周囲の環境と相互作用 するために香気成分を発散する.ダイズは草食昆虫の食 害を受けると,( )-
β
-ファルネセン,( )-α
-ベルガモテ ンなどのテルペン化合物を発散し,これら揮発成分が草 食昆虫の天敵であるカリバチを誘引することで間接的な 防御システムを構築している(1).また,タバコは( )-2- ヘキセナール,( )-3-ヘキセン-1-オール,( )-3-ヘキセ ニルアセテート,( )-3-ヘキセニルブチレート,( )-3-香りの生合成経路が季節によって変わる
平田 拓,大西利幸,渡辺修治
Roses Shift Biosynthetic Pathways of Floral Scent in Response to Seasonal Change
Hiroshi HIRATA, Toshiyuki OHNISHI, Naoharu WATANABE, 静岡大学創造科学技術大学院
ヘキセニルチグレートなどを発散し,タバコガを忌避す ることで直接的に食害を防いでいる(2).
さらに植物は香気成分を発散することで運粉者(動 物,昆 虫) を 誘 引 す る.ラ ン 科 植 物 (
) は,C19‒C21 のアルカンやアルケン類を発散する ことにより運粉者であるミツバチの雌を誘引しているこ とが生物電気検出器を装着した GC-EAD (Gas Chroma- tography-Electro Antennographic Detection) による解 析で明らかになっている(3).また,交尾期ではない雌が 交尾を回避する目的で発散するファルネシルヘキセン酸 メチルが,受精成立後のランからも発散される.このよ うにして成熟過程にある未熟種子への運粉者による機械 的傷害を最小限に抑制している(4).さらに運粉者に対す る誘引作用だけでなく,運粉者ではない昆虫を忌避する 役割も果たしている(5).このように植物が発散する香気 成分は昆虫や病原体に対する化学防御機構や生殖にかか わる重要なケミカルツールの一つである.
近年,香気成分の昆虫に対する誘引作用について調べ るために,遺伝子組換え植物を用いた解析が進んでい る.(3 )-4,8-ジメチル-1,3,7-ノナトリエン (( )-DMNT)
生合成系における中間体である (3 )-( )-ネロリドール の合成酵素であるリナロール/ネロリドール合成酵素を 過剰発現させたシロイヌナズナでは,( )-DMNT発散 量が増加し,さらに草食性昆虫の捕食者であるカブリダ ニの一種をより多く誘引する(6).このように香気成分の
「生合成」に関する知見を研究の基盤として,自然界に
おける香気成分の生態学的役割が明らかになりつつあ る.
ケミカルプローブを用いた2-フェニルエタノールの 生合成研究
多様な骨格を有する揮発性化合物のうち,テルペン化 合物は,細胞質のメバロン酸経路と色素体のメチルエリ ストールリン酸経路から作られるイソペンテニルピロリ ン酸とそのアイソマーであるジメチルアリルピロリン酸 を初発物質として生合成され,芳香族化合物であるフェ ニルプロパノイド/ベンゼノイドは主としてシキミ酸経 路を経由して生合成される.また窒素や硫黄を含む揮発 性化合物はアミノ酸やその前駆体に由来する(7).
バラの主要な香気成分である2-フェニルエタノールは 甘くまろやかな香調を有し,バラの香りを特徴づける重 要な香気成分の一つである.しかし,2-フェニルエタ ノールの生合成経路は20世紀末まで未解明であった.
われわれは有機反応機構と生化学の教科書にあるアミノ 酸の代謝経路を基に,l-フェニルアラニンから2-フェニ ルエタノールへ至る可能性のある4つの経路およびその 中間体の構造を推定した(8) (図2).重水素標識体l-フェ ニルアラニン(l-[2H8]フェニルアラニン)を無傷状態 のロザ・ダマセナやロザ・ 芳純 の花の基部(ガクの 直上部に木綿糸を通してその両端をl-[2H8]フェニルア ラニンの水溶液に浸漬した)に投与することにより,発 散された[2H ]-2-フェニルエタノールの標識パターンと
図1■バラの香気成分
仮想した重水素の保持パターンを比較検討することで,
生合成経路の解明を試みた(図3A, B).重水素標識化
さ れ た2-フ ェ ニ ル エ タ ノ ー ル の 生 成 比 率 は / 130/129/128 ([2H8]/[2H7]/[2H6]-2-フ ェ ニ ル エ タ ノ ー ル)=75/20/5を示し,フラグメントイオンであるベン ジルカチオンも / 98が主要 (75%) であったことか ら,[2H8]-2-フェニルエタノールが主要に生合成される との知見を得た(図3C).1H-NMR解析から,実験に使 用 し たl-[2H8]フ ェ ニ ル ア ラ ニ ン のl-[2,3,3,2′,3′,4′,5′,6′-
2H8]フェニルアラニン(l-[2H8]フェニルアラニン)/l-
[3,3,2′,3′,4′,5′,6′-2H7]フェニルアラニン(l-[2H7]フェニルア ラニン)/l-[2H6]フェニルアラニン比率は83/16.5/0.5で あった.このことから,2-フェニルエタノールはl-フェ ニルアラニンの
α
位の水素を保持したまま生合成され た.ロザ・ダマセナ,ロザ・ 芳純 で生成が確認された
[2H8]-2-フェニルエタノールから,仮想中間体として
[2H8]フェニルアセトアルデヒドが想定された(図2経 路a, b).その後,われわれは酵素活性を指標にバラ花 弁から芳香族アミノ酸脱炭酸酵素 (AADC) とフェニル アセトアルデヒド還元酵素 (PAR) の2種類の酵素を単 離・同定した.これらの酵素反応の解析から,l-フェニ ルアラニンは好気的条件下でAADCによってフェニル アセトアルデヒドへと直接変換され,さらにPARが触 媒する還元反応によって2-フェニルエタノールが合成さ れ る こ と が 明 ら か と な っ た(9, 10) (図2経 路a, AADC- PAR経路).
図3■バラ無傷植物を用いたL[- 2H8]フェニルアラニン投与実験
(A) ダイナミックヘッドスペース法による香気捕集.(B) バラ無 傷植物への木綿糸を介した(wick feeding 法)l-[2H8]フェニルア ラニン溶液の投与.(C) [2H ]-2-フェニルエタノールのGC-MS分 析.図中の ʻDʼは重水素 (Deuterium) を表す.
図2■L[- 2H8]フェニルアラニンから
[2H]-2-フェニルエタノールへの仮 想生合成経路と重水素標識パター ン(8, 9)
[2H7]-2-フェニルエタノールの発見
前述のロザ・ダマセナは,4月下旬から5月上旬にし か開花せず,また ロザ・ 芳純 は真夏と真冬の時期に は花をつけない.そこで1年を通して安定的にバラ花弁 を入手するために,切り花として通年入手可能であるロ ザ・イブピアッチェ ( ʻYves Piagetʼ) を用いて実験 を行った.また鉢植えや切り花への重水素標識化合物投 与実験では,l-[2H8]フェニルアラニンの取り込み・変 換効率に課題があったため,ロザ・イブピアッチェの花 弁から調製したプロトプラストを用いてl-[2H8]フェニ ルアラニンの投与実験を行った(11).一年を通してロ ザ・イブピアッチェ花弁から調製したプロトプラストへ のl-[2H8]フェニルアラニン投与実験を行うと,驚くこ とに11 〜 4月の冬季と5 〜 10月の夏季に採集したバラ 花弁由来プロトプラストでは,得られた [2H , =6‒8]- 2-フェニルエタノールの分子イオン比が変化していた.
夏季に採集したバラでは,これまでと同様にベンジルカ チオンの生成比率は / 98/97/96=75/20/5であった の に 対 し て,分 子 イ オ ン 比 率 が / 130/129/128= 10/75/15と顕著に変化していた.しかし11 〜 4月では
/ 130/129/128の比率は従来どおり [2H8]-2PEに起因 する / 130が主要であった(表1).
この現象は翌年にも同時期に再現性良く確認され,一 過性のものではなく,植物の生理現象を反映している可 能性があった.そこで筆者らはバラを毎月採取し,同様 の 投 与 実 験 を 行 い,[2H8]-2-フ ェ ニ ル エ タ ノ ー ル と
[2H7]-2-フェニルエタノールの生成がシフトする時期を 調べてみると,11 〜 4月に採取したバラでは [2H8]-2- フェニルエタノールが主要に生合成され,5 〜10月に採 取したバラでは [2H7]-2-フェニルエタノールが主要に生 合成されていた(図4A).[2H7]-2-フェニルエタノール におけるベンジルカチオンの重水素標識化率は投与した
l-フェニルアラニンと類似していたことから,[2H7]-2-
表1■季節ごとの [2H]-2-フェニルエタノールのアイソトポローグ比率と推定される生合成経路 アイソトポローグ比率
(%)
分子イオン( / ) ベンジルカチオン( / )
生成物 経路
130 129 128 98 97 96
L-[2H8]フェニルアラニン
[2H8] 83 [2H7]
16.5 [2H6]
0.5 ― ― ― ― ―
11 〜4月に検出した
[2H ]-2-フェニルエタノール 75 20 5 75 20 5
[2H8]-2-フェニル エタノール
a
5 〜10月に検出した
[2H ]-2-フェニルエタノール 10 75 15 75 20 5
[2H7]-2-フェニル エタノール
c
l-[2H8]フェニルアラニンは [2H8]/[2H7]/[2H6] の存在比率を示す.
図4■ロザ・イブピアッチェ花弁プ ロトプラストにおけるL[- 2H8]フェ ニルアラニン投与実験
(A) [2H ]-2-フェニルエタノールのラ ベル化率の年間推移.[2H8]-2-フェニ ルエタノール, / 130 (●),[2H7]- 2-フ ェ ニ ル エ タ ノ ー ル, / 129
(○).(B) [2H ]-2-フェニルエタノー ル生成量の年間推移.
フェニルエタノールはl-フェニルアラニンの
α
位の水 素を保持していないことを示す.すなわち,5 〜10月に おける [2H7]-2-フェニルエタノールは,前述の [2H8]-2- フェニルエタノールを生成するAADC-PAR経路(経路 a)とは異なり,α
位が脱離するフェニルピルビン酸を 経由して生合成されることが示唆された.また5 〜 10 月には2-フェニルエタノールの生成量が5 〜 10倍増加 し,その増加分は [2H7]-2-フェニルエタノールであった(図4B).
微生物分野においてアミノ酸代謝経路の解明は進んで おり,アミノ酸からアルコールへの変換は一般的に3つ のタイプに分類されている(12〜14).上述の図2に対応し た経路で示すと,経路a:アルデヒド合成酵素により脱 アミノ化反応および脱炭酸反応が触媒されて,アミノ酸 が直接的にアルデヒドへと変換される経路.経路b:ア ミノ酸は脱炭酸酵素によりアミンへと変換され,次にア ミンオキシダーゼによりアルデヒドへと変換される経 路.経路c:アミノ酸がアミノ基転移酵素によって
α
-ケ ト酸へと変換され,次にケト酸脱炭酸酵素によりアルデ ヒドへと変換される経路.アミノ酸α
位の水素の保持 または脱離に注目すると,経路aおよび経路b-1ではア ミノ酸のα
位の水素が保持されたままアミノ酸からア ルデヒドへと変換され,経路b-2および経路cではアミ ノ酸α
位の水素が脱離してアミノ酸からアルデヒドへ と変換される.上記に示した微生物のアミノ酸代謝を参 考にバラ花弁のフェニルアラニンから2-フェニルエタ ノールへの代謝を考えると,5 〜10月における [2H7]-2- フェニルエタノール生合成は,[2H7]フェニルピルビン 酸を経る経路cを経由する可能性が示唆された.一方,11 〜4月における [2H8]-2-フェニルエタノール生合成経
路は経路aに相当する(図2).
これまでに類をみない,季節変化に伴う植物二次代謝 産物生合成経路のシフトを分子レベルで解明する目的 で,筆者らはまず時期別の2-フェニルエタノール生合成 経路の解明に着手した.特に経路cは微生物や酵母での 報告は多数あるが(エーリッヒ経路)(15),植物での報告 例はない.そこで植物における経路cの存在を明らかに するため,下記の実験を行った.
[2H7]-2-フェニルエタノール生合成経路の夏季にお
ける亢進
経路cの第一反応であるl-フェニルアラニンからフェ ニルピルビン酸への変換を確認するため,l-[2H8]フェ ニルアラニンを投与したプロトプラスト残渣から [2H7] フェニルピルビン酸の検出をLC-MSを用いて試みた結 果,プロトプラスト残渣から [2H7]フェニルピルビン酸
( / 170 [M−H]−) を確認した.このことはバラ花弁 由来プロトプラスト内でl-フェニルアラニンからフェニ ルピルビン酸への変換を示している.
経路cが5 〜10月に働くことで [2H7]-2-フェニルエタ ノールの生成に寄与しているのであれば,l-[2H8]フェ ニルアラニンから [2H7]フェニルピルビン酸への変換活 性も同様に季節性を示すと考えられた.そこで,5 〜10 月,11 〜4月のバラ花弁から調製したプロトプラストに おいて変換活性を比較した.[2H7]フェニルピルビン酸 への変換活性は5 〜 10月のプロトプラストにおいて著 しく上昇した.経路cにおけるフェニルピルビン酸より 下流の生合成反応が同様に活性化しているかを調べるた め,プロトプラストにフェニルピルビン酸を投与した.
これまでの研究において,フェニルピルビン酸の代謝物
図5■季節ごとのL[- 2H8]フェニルア ラニンから [2H8]-, [2H7]-2-フェニ ルエタノールの生合成経路
であるフェニルアセトアルデヒドは,生体内では素早く 2-フェニルエタノールへと変換されることがわかってい る.そこで,フェニルピルビン酸を投与した際の2-フェ ニルエタノールへの変換活性を測定した.その結果11
〜4月のバラから調製したプロトプラストよりも,5 〜 10月のプロトプラストにおいて,2-フェニルエタノール への変換は有意に上昇した.このように,l-フェニルア ラニンからフェニルピルビン酸,フェニルピルビン酸か ら2-フェニルエタノールと,それぞれの変換活性が5 〜 10月に上昇していたことから,経路cが5 〜10月に亢進 していることが示された.以上のことを総合すると,季 節に応じてバラは異なる生合成経路を用いて,2-フェニ ルエタノールを生合成していることが明らかになった
(図5).
プロトプラストだけでなく,5 〜10月期のバラ花弁か ら調製した粗酵素溶液を用いてl-フェニルアラニンから フェニルピルビン酸,フェニルピルビン酸からフェニル アセトルデヒドへの における変換反応を調べ,
その生成物を LC-MS, GC-MS で分析した.それぞれの 生成物であるフェニルピルビン酸,フェニルアセトルデ ヒドの酵素的生成が確認されたことから,バラ花弁中に これらの変換酵素が存在することが示された.有機反応 機構からl-フェニルアラニンからフェニルピルビン酸へ はピリドキサールリン酸依存性のアミノ基転移酵素,
フェニルピルビン酸からフェニルアセトルデヒドへはチ アミンピロリン酸依存性の脱炭酸酵素が関与すると予想 され,この2つの酵素を同定および機能解析を行うこと にした.
フェニルピルビン酸を経由する2-フェニルエタノー ル生合成酵素の解明
l-フェニルアラニンのアミノ基転移酵素として,芳香 族 ア ミ ノ 酸 ア ミ ノ 基 転 移 酵 素 (aromatic amino acid transferase ; AAAT) が想定された.しかし,植物体に お い て はl-フ ェ ニ ル ア ラ ニ ン を 特 異 的 に 触 媒 す る AAATの報告はなされていなかった.そこで筆者らは,
l-フェニルアラニンを基質とする植物アミノ基転移酵素 のcDNA配列を参考にし,AAAT遺伝子候補を数種ク ローニングした.さらに大腸菌異種発現タンパク質を得 て,LC-MSを用いてl-フェニルアラニンに対するアミ ノ基転移活性を調べた.その結果,アミノ基転移酵素遺 伝子候補の一つに,顕著なフェニルピルビン酸生成活性 を見いだし,この酵素は芳香族アミノ酸(l-フェニルア ラニン,l-チロシン,l-トリプトファン)の中でもl- フェニルアラニンに最も高いアミノ基転移活性を示し た.以上から,この酵素がバラにおいてl-フェニルアラ ニンからフェニルピルビン酸への変換を担っている AAATであることを明らかにした(16).
植物においてフェニルピルビン酸脱炭酸酵素 (
α
-keto acid decarboxylase ; KDC) について報告がなかったた め,筆者らはバラ花弁から酵素精製することにより KDCの単離を試みた.バラ花弁から調製した粗酵素溶 液を各種クロマトグラフィーに供した.酵素活性はフェ ニルピルビン酸を基質としてフェニルアセトルデヒドへ の脱炭酸活性を指標とした.3ステップのクロマトグラ フィー精製により得られた精製酵素をLC-MSMS解析に 供し,部分アミノ酸配列を同定後,全長 cDNA (Ry-図6■ロザ・イブピアッチェ花弁の 季節変化
花弁当たりの重量は,3 gに相当する 花弁枚数から算出した.
KDC1) を得て,その後バキュロウィルス-昆虫細胞異種 発現タンパク質を用いてバラRyKDC1の詳細な酵素学 的解析を行った.RyKDC1はフェニルピルビン酸を基 質として脱炭酸反応を触媒し,フェニルアセトルデヒド を生成した.またチアミンピロリン酸添加により活性が 上昇したことから,RyKDC1はチアミンピロリン酸依 存性であることがわかった.以上よりRyKDC1は植物 において初めて酵素機能が明らかになったフェニルピル ビン酸脱炭酸素である.次に,RyKDC1がバラ花弁に おいてもフェニルアセトアルデヒド(さらには2-フェニ ルエタノール)の生成に寄与しているのかを調べるた め,5 〜10月期のバラ花弁から調製したプロトプラスト を用いてRNAi試験を行った.RyKDC1 をノックダウ ンして,転写産物量を半減させた状態でl-フェニルアラ ニンをプロトプラストに投与すると,2-フェニルエタ ノールの生成量は50%まで有意に減少した.以上の結 果から,5 〜10月期のバラ花弁由来プロトプラストにお いて,RyKDC1が2-フェニルエタノールの生成に寄与し ていることを明らかにした.
今回われわれは,季節に応じてバラが2-フェニルエタ ノール生合成経路をシフトさせることを生物有機化学的 手法により明らかにした.しかし,「植物がなぜこのよ うに季節によって2つの経路を使ってわざわざ1種類の 化合物を作り出すのか?」「どのような環境要因が生合 成シフトを引き起こすのか?」についてはいまだ明確な 答えを出すことはできていない.冬季に比べ,夏季のバ ラ花弁数は少なく,花自体も小型になり軽量化する(図 6).そのため夏季は香気成分の発散にとって不利になる ので,冬季とは異なる生合成経路を用いて生存戦略に重 要な香気成分2-フェニルエタノールを生合成するのでは ないかとも考えられる.また夏季の過酷な環境条件下で の人為的な開花時に,正常な環境では活用していない酵 素を緊急動員して香気成分の生合成に流用しているのか もしれない.
おわりに
今回,季節に応じてバラが二次代謝生合成経路をシフ トさせることを見いだせたのは,重水素化ラベルしたl-
[2H8]フェニルアラニンというケミカルプローブを用い,
その有機化学的な反応機構の推察と分析化学を併用する
という「農芸化学」的手法でアプローチし,研究を進め たことに起因する.近年,次世代シーケンサーの登場に より非モデル植物のゲノム解読やESTデータベースの 構築が急ピッチで進んでおり,ゲノム情報やオミクス解 析により植物の生理現象を解明する試みがなされ,優れ た成果を得ている.しかし,植物生理現象にかかわる植 物二次代謝産物の生合成や生理学的機能を明らかにする ためには,オミクス解析など網羅的手法だけでなく,そ れぞれの生合成経路を有機化学的な反応機構で推察し,
標識された生合成前駆化合物を用いて生合成経路を解析 していくような「化学」の視点と現象の観察に立脚した 研究アプローチが重要である.
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