参考資料
解説スカイ・クロラTheSkyCrawlers
終わりなきゲームな戦闘の日々を過ごす、永遠の命を持った「キルドレ」たちの日常を描くアニメ大作。森博嗣の原作小説を、「世界の中心で、愛をさけぶ」「クローズド・ノート」の伊藤ちひろが脚本化して、「GHOSTINTHESHELL/攻殻機動隊」「イノセンス」の押井守が監督。ボイスキャストに、「バベル」の菊地凛子、「それでもボクはやってない」の加瀬亮、「嫌われ松子の一生」の谷原章介など。3DCGを駆使した大空での戦闘シーンと、静謐な日常ドラマの対比が見事な効果を上げている。日本テレビ開局
55周年記念作品。 スカイ・クロラTheSkyCrawlers あらすじ
前線基地・兎離洲に配属されてきた函南優一(加瀬亮)。戦争請負会社ロストック社に所属する彼は、戦闘機のパイロットである。優一の前任者は、仁郎という者だった。なぜか優一は、その前任者が気になってしょうがない。兎離洲の基地には、女性司令官の草薙水素(菊地凛子)がいた。優一にとって同僚となった土岐野(谷原章介)は、水素にまつわる数々の噂を披露する。かつては彼女も優秀なエース・パイロットであったこと。妹の瑞季(山口愛)は、実は娘であること。その父親が、前任者の仁郎であること。そんな仁郎を、水素が銃で殺したらしいということ……。ロストック社に所属する優一たちは、永遠に歳をとらない「キルドレ」だった。安定した社会の中で、市民に平和を実感させるための戦争ショーを演出するロストック社は、ラウテルン社との空撃戦を繰り返し、優一もそのコマのひとつに過ぎなかった。昼は戦闘機に乗り、夜はダイナーで食事を楽しんで、つかの間の快楽を娼館でひたる優一と土岐野。変わらない日々を過ごす兎離洲基地のメンバーに、新たな隊員が加わった。そのひとりである三ツ矢碧(栗山千明)は、優一に好意を抱く。しかし、優一はミステリアスな水素に惹かれ、水素もまた優一 の存在を無視できなかった。ロストック社とラウテルン社の戦争ショーは、さらに激しい展開が要求され、戦闘の途中で命を落とすものも少なくなかった。永遠の命を持つ「キルドレ」も、戦闘中の事故では姿を消すことになるのだ。やがて優一は自分が仁郎であり、水素は妻であったことに気がつく。そのとき彼は戦闘機に乗り、最強の敵であるティーチャーへと戦いを挑む。激戦の末、優一は破れた。そんな彼の帰還を仲間たちは待つ。ただ、待つことしかできなかった。そしてある日、兎離洲基地に戦闘機が舞い降りる。新たな戦闘員は、生まれ変わった優一だった。「キルドレ」、それは終わりなき命。
「goo映画」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12529/story.html
外国語学部英語英文学科3年
田中 稜平
○はじめに 映画「千と千尋の神隠し」は、宮崎駿監督による、スタジオジブリの長編アニメーションである。
ごく普通の女の子である主人公の千尋は、両親と共に近代日本の古びた建物が立ち並ぶ不思議な街へと迷い込む。千尋は不安に思い、帰ろうとせがむが、両親はそれを聞き入れず、神々のための食べ物を食べてしまい、豚にされてしまう。
奇妙な異世界に一人残された千尋は、手助けをくれる謎の少年、ハクと出会い、両親を救う決心をし、八百万の神々が集う湯屋で「千」という新しい名のもと、働き始める。そして湯屋の下働きとして働きながら、そこで起きる様々な出来事を経験し、千尋は自分でも今まで気づかなかった「生きる力」を解き放っていく。
この作品は、日本国内の映画興行成績において歴代一位の記録を打ち立て、アカデミー賞をはじめとする国内外の様々な賞を受賞し、日本のアニメ映画の代表的な作品となった。 しかし、含意が溢れる宮崎駿監督の映画の中でも、この作品は映画の舞台となる神々の集まる温泉街という世界観、カオナシという正体不明の登場人物など、一筋縄ではとらえられない難解な側面を持っている。 では、そのような難解さを含みながらも、この作品が大人のみならず、子供までも、様々なレベルの人々に受け入れられているのはなぜだろうか。 この論文では、その答えの一つとして、映画「千と千尋の神隠し」のにおける「物語の構造」に焦点を当てる。この作品の内容は極めて異質だが、ストーリーを詳しく分析すると、とても興味深いことに、古代から伝承されてきた英雄神話の構造を発展させたものであるということが浮かび上がってくる。「物語の構造」とは何かという根本的な説明から、それが作品全体にどのように影響を与えるのかという点について、これから詳しく述べていく。 ○物語の構造とは何か
Ⅰ.物語の文法とその習得
物語の構造とは、よりわかりやすく説明すると、物語の文法と置き換えることができる。通常、小説なり映画のシナリオなり、物語と呼べるものは、前衛的な例外を除き、始めから終りまでが一定の論理性をもって一貫していなければならない。そして物語の文法はその論理性のことを指す。
もちろん、物語の文法というあまり日常では聞きなれない概念を知らずとも、優れた物語を書くことは可能である。しかしそれは、物語の文法を自然に習得したということに他ならない。それは小さな子供が親や周囲の人間の会話のなかで、自然と言語を母国語として習得することと同じである。子供たちは周りの会話を意識して学習して身につけたわけではないが、文法にあった言葉づかいを覚える。
では子供たちはどのようにして、物語の文法を習得していくのだろうか。
映 画 「 千 と 千 尋 の 神 隠 し 」 に 内 在 す る 英 雄 神 話 の 構 造
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映画「千と千尋 の神隠し」に内在 する英雄神話 の構造
● 論文物語る力の一番の根幹となるものは、幼児期に飛躍的に発達する、想像力である。人は、言葉には出さず、心の中で過去や未来、遠く離れた場所の風景を思い描くことができる。また、誰かとの会話や報告といったコミュニケーションの中においても同じことが起こり得る。これは広い意味では、物語る行為である。
一番早い段階で子供が身につける想像力の働きは「象徴機能」である。象徴機能は大抵、一歳前後で働き始める。この時期には、子供は何かを何かに見立てて遊んだり、モデルが目の前にいなくても前に見たモデルを思い出して延滞模倣するという活動が見られる。
たとえば、一歳半ぐらいの子供が「ブーブー」と言いながら長方形の積み木を自動車に見立てて、床を滑らしていく。このように実物が目の前になくても、積み木を自動車のつもりで扱うことができるのは、子供が自動車というものを知っていて、そのイメージを頭に描くことができるからである。
またこのことは、子供が知覚世界とは別に、内面世界を持つようになったということも示している。これが物語が生まれる土台となってくる。
そして
3歳から
的な出来事を組み合わせて統合して言葉で表現 4歳にかけて、子供はある断片 分析の対象物以外のプロップとの大きな差異は、キャンベルはユング派の心理学を基調にしたため、彼の神話論では物語の構造の論理性は心理学的に解説されるということにある。そしてそれには、英雄神話が主人公の自己実現のプロセスと対応しているという前提があった。
このことはプロップが登場人物の感情を「機能」から一切排除したこととは対照的だが、キャンベルの神話論の方が主人公の心理に解説の重きを置いたため、一般には理解しやすいといえるだろう。
物語の構造の確立において最後に行われたのは、キャンベルが自身の神話論をより一般的な物語論として発展させたことである。彼は「ヒーローズ・ジャーニー」と題される、ハリウッド映画のシナリオ制作など、より現代で一般的な形で使われるのに適した物語の構造論を上梓した。
本論では、この英雄神話から発展した「ヒーローズ・ジャーニー」で示されるストーリーのパターンにしたがって分析を行う。
○物語の大原則「行って帰る」
物語の構造についての説明を終えて、本論の主軸となる分析に入る前に、一つだけ物語の基本ともいえる「行って帰る」という原則について言及しておきたい。 できるようになる。日常の生活での経験を利用できる題材なら、もっと多くの出来事に筋道をつけて話すことができるようになる。さらに
解し始める。 にくるという、時間概念の中の因果の枠組みを理 によって、原因が必ず先にあって、結果がその後 識の時間軸は未来へとひろがるようになる。それ 半くらいからは、行動のプランをもちはじめ、意 5歳の後 結果として、個人差はあるが、子供は
で使いこなせるようになるということが分かる。 で物語の文法を一通り理解し、ある程度は自分 5歳前後 また、前述では能動的な観点から物語の文法の習得について述べたが、もちろんこの能力は小説や映画、他人の話を正しく理解する上でも重要なものである。たとえば、本を読んだり、映画を観たりしたときに、物語の全体を通して感動を覚えた時、それはその物語の論理性、文法を正しく理解していたということでもあるのだ。
Ⅱ.物語の構造という概念の成り立ち
次に、物語の構造という考え方の成り立ちについて簡単に説明したい。
物語には言語でいう文法のような一定の規則性、論理性がみられることを発見したのは、ロシアの昔話研究家であるウラジーミル・プロップで それはとある日常から、何かのきっかけで非日常へと迷い込み、そこでの様々な経験を通して何かのプラスの要素を得て、また日常へと戻っていくというプロセスである。
最初にこの「行って帰る」という枠組みを指摘したのは児童文学者の瀬田貞二である。彼は自身が訳したトールキンの「ホビットの冒険」の副題にある”thereandback“にそもそもその概念を見出せると述べている。
では「行って帰る」というプロセスは、いったいどのような意味を持っているのだろうか。
瀬田は「行って帰る」物語が「小さい子供たちにとって、その発達しようとする頭脳や感情の働きに則した、一番受け入れやすい話」だと指摘している。成長過程の子供にとって、ただ一つの場所でじっとしていたら、何の面白みもない。とにかく何かをする、幼稚園へ行ったり友達の家に行き、そしてまた帰ってくる、そういう仕組みの話を好むのは当然ではないだろうか。
もちろんこれは、その過程を経てきた大人にも言えることである。どこかのテーマパークへ遊びに行くこともその例であるし、もっといえばその中のアトラクションの一つ一つにもこの概念が体現されている。
また、このプロセスにおいて重要なことは、非 あった。彼はロシアにおける魔法民話というジャンルの昔話を科学的に分析しようと試みたところ、そこにはたった一つの構造しかないことを発見したのである。 プロップは、民話を科学的に分類するために、民話を構成する「最小単位」を見出し、その「最小単位」の組み合わせのパターンを調べた。このような対象物を「最小単位からなる構成物」と理解する姿勢は、映画におけるモンタージュ論を確立させたセルゲイ・エイゼンシュテインなどと共通した考えであった。例えば、映画であれば「カット」という最小単位を見出し、その組み合わせによって映画は成り立つと考えるということである。
プロップは彼の発見した昔話における最小単位を「機能」と呼び、その配列、構成のされ方を「構造」とした。プロップの言う「機能」とは「登場人物の行為」によって定義される。例えば、「王は勇者に鷲を与え、鷲は勇者を他国へ連れていく」といったものである。
次なる物語の構造の発展は、映画「スターウォーズ」のシナリオ制作にも携わった神話学者、ジョゼフ・キャンベルによってなされた。キャンベルは西洋の英雄神話の基本構造を分析し、世界中の神話はすべて、ある単一の構造からなることを発見した。
日常から日常の現実へと必ず帰ってくることである。未知の体験に触れるだけであったら、行きっぱなしでも良いわけだが、非日常の世界である成長を経て日常に帰ることによって、はじめて元にいた場所の意味が確認できるのだ。いわば日常や現実の確かさを実感し、ひいては現実を再発見するのが物語だとさえ言える。
○「千と千尋の神隠し」の構造分析
次に主題となる「千と千尋の神隠し」の構造分析を行う。まずは構造を分析するに当たって参考にする「ヒーローズ・ジャーニー」のストーリーモデル、ステージと、それに則した形で映画における場面の該当箇所を抜き出し、あらすじとしたものを次に記す。尚、このあらすじは物語の構造の説明の便宜を図るため、総合的な作品の評価という観点では不完全である場合があると付け加えておく。
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映画「千と千尋 の神隠し」に内在 する英雄神話 の構造
● 論文冒頭は千尋たちが不思議な世界に迷い込む前の、文字通りの日常の世界だ。主人公を日常の世界から非日常の特別な世界へと連れ出す展開は、数え切れないほどの物語で使われている。もし主人公が慣習的な日常の状況から抜け出す様子を観客に見せたいと思ったなら、主人公がこれから足を踏み入れる見知らぬ世界との鮮明なコントラストを創るために、最初に日常の世界を見せておかなくてはならない。
また、この日常の場面は観客に映画全体のイメージを伝えるのに最適な場面でもある。例えば同じ宮崎駿監督の映画「となりのトトロ」のオープニングと比べると、家族の引っ越しという同じような場面を描きつつも、とても印象や雰囲気が違うのがわかる。「となりのトトロ」で引っ越しに喜び勇むサツキやメイと対照的に、主人公の千尋は憮然とした表情で後部座席に横たわり、引っ越し先に何の関心も抱いてない様子である。また、千尋は自分からは何も行動を起こそうとしない、ひ弱な現代っ子という主人公のイメージもこの場面で伝えられる。
このステージでは、主人公と特別な世界、非日常の世界とであう場面が描かれる。また、物語の構造の観点で重要な点は、ストーリー ☆あらすじ 千尋たち家族は引っ越しの途中で、新しい家に向かう際に道に迷い、とある近代風のトンネルを抜け、寂れたテーマパークのような場所へ至る。
千尋の両親は、たどり着いた不思議な町で、無断で屋台の食べ物を食べてしまい、豚にされてしまう。その後、橋の上であった少年に川の向こうまで逃げろと指示され、そこに向かう道中、日が暮れるにつれて、町に何か怪しげな雰囲気が漂い始める。
川は水かさが増して向こう岸に渡れそうにない。千尋は頭を抱え、これは夢だと思いこもうとする。
町の隅でしゃがんで塞ぎ込んでいる千尋を、橋であったハクという少年が見つけ、肩を抱く。彼は千尋の味方だという。
千尋はハクと共に湯屋の前の橋を渡り、ボイラー室から湯屋の中へ入る。そしてリンという湯屋の下働きの女の手を借りて、湯屋の最上階へとたどり着く。そこで湯屋の経営者である魔女、湯婆婆と会い、しつこい嘆願の結果、湯屋で働かせてもらうことになる。
千尋は不思議な世界で新しい環境の中、働くことで様々な経験をする。
の中心となる問題(セントラル・クエスチョン)がこのステージで描かれることがとても多いということだ。非日常の世界に足を踏み入れるのは、その中に何かの目的があるからだろうということだ。この映画の中では、主人公の両親が豚へと変えられてしまったことが一つのカギである。千尋は豚になった親を目の当たりにして、自分が異世界へと迷い込んでしまったことを悟り、両親を元の人間に戻して普段の世界へと戻りたいという、異世界で生きていく動機のきっかけとなる。
このステージは主人公が異世界、非日常の世界に対して抱く恐怖を表現したステージである。多くの場合、主人公はこのポイントで異世界へと足を踏み入れることを躊躇する。千尋は冒頭でトンネルをくぐる場面から、親に帰ろうよと不安の声を口にするが、その最たる場面があらすじで述べた場面である。
この場面までに、多くのストーリーでは主人公にとっての導き手となるメンター(賢者)としての役割を持つキャラクターが紹介される。メンターの役割は、主人公に見知らぬ世界と直面するための準備をさせることである。彼らは主人公に、アドバイスや、あるいは魔法の道具をくれるかもしれない。この映画でメンター 湯屋では千尋が中へ引き入れた不気味な客、カオナシが湯屋の従業員を食らい肥大化し、最後には暴走する。ハクは湯婆婆の双子の姉の銭婆によって深い傷を負ってしまう。
千尋はハクを救うため、姿を変えた湯婆婆の子の坊、湯婆婆の手下の湯バード、カオナシと共に、銭婆の元へ赴く。
銭婆の家で時を過ごしていると、ハクが傷のない、白い竜の姿で家の前に現れる。その背中に乗って湯屋へ帰る途中、千尋は幼少の頃に自分が溺れた川の名前、ハクの本当の名前を思い出す。
彼らは湯屋へとたどり着く。
湯屋の前では湯婆婆が待ち構えており、契約を破棄するにはたくさんの豚の中から、千尋の父母を当てろという。しかし千尋は冷静に、この中には自分の父母はいないと答え、見事正解を当て、ついに自由の身となる。
川のそばでハクとお別れをし、千尋は元の世界へと戻る。千尋はトンネルを抜けた後、印象的な眼差しで道を振り返り、銭婆からもらった髪留めが一瞬光って、物語が終わる。
ではここから「ヒーローズ・ジャーニー」で示されるステージに沿って物語の構造を分析していく。
の役割に当たるハクは、異世界の食べ物を食べさせて千尋が消えてしまうのを防ぎ、湯屋の前まで魔法の力を使い導いてくれる。
このステージでは、主人公はついに第一の関門を突破することによって初めて完全にそのストーリーの特別な世界にはいる。この映画におけるその場面は、千尋が湯婆婆と契約を交わし、千という名のもと、湯屋で働くことが決まる場面である。しかしそれだけでなく、契約の場面ほど決定的ではないがその関門を突破するというモチーフは前にも色々な場面で現れている。トンネルを抜ける場面、息を止めて湯屋の前の橋を渡る場面、ボイラー室で釜爺に働かせて下さいと願い、湯屋の中へと踏み出す場面である。
このステージでは特別な世界の中で、主人公は新しい挑戦や試練に直面し、協力者や敵対者と出会い、異世界のルールを学び始める。実はキャンベル、ホグラーが一項目でまとめているこのくだりが、物語の中核になるのは言うまでもない。映画の中でも、オクサレ様だと思われていた名のある河の神が、千尋の活躍によって真の姿を取り戻すなど、重要な体験が描かれている。こうしたシーンは観客にとって、主人公の成長が見て取れる場面である。 ①②③④⑤⑥ ⑦⑧⑨⑩⑪⑫
①
② ⑤⑥ ③④
第一幕 出立、離別 第二幕 試練、通過儀礼
第三幕 帰還
①オーディナリー・ワールド
(日常
の世界)
②コール・トゥ・アドベンチャー
(冒険
への誘い)
③リフューザル・ザ・コール
(冒険
への拒絶)
④ミーティング・ザ・メンター
(賢者
との出会い)
⑥テスト・アライズ・エネミーズ
(試練、仲間、敵対者)
⑧オーディール
(最大
の試練)
⑨リウォード
(報酬)
⑩ザ・ロード・バック
(帰路)
⑪リシュアラクション
(復活)
⑫リターン・ウィズ・ジ・エリクサー
(宝
を持って帰還) ⑤クロッシング・ザ・ファースト・シュレスホールド
(第一関門突破)
⑦アプローチ・トゥ・ジ・イン・モウスト・ケイブ
(最
も危険な場所への接近)
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映画「千と千尋 の神隠し」に内在 する英雄神話 の構造
● 論文ここで物語は佳境に入り、主人公は大きな危険、恐怖にさらされることになる。この場面は、物語のなかの最大の試練のためのお膳立てでもある。千尋は傷ついたハクを見て、行きの電車しかない銭婆のところへ向かう決心をする。ここで千尋が自分から主体的に冒険に乗り出すことは、今までにはなかった大切な人を守りたいという強い気持ちが表れている。
このステージでは主人公が最大の恐怖と直に対峙しなければならない場面である。多くのヒロイックファンタジーの場合、最大の敵との対決がその典型的な例である。
映画におけるこの場面の描写はどうだろうか。会いに行った銭婆は結局は千尋たちをやさしく迎え入れてくれる。だがそれでも、その道中の電車で海を走る場面は、目に見えない緊張をはらみながらもとても美しく、印象に残るシーンである。実はこの場面にも、前述した「行って帰る」構造が組み込まれていることが分かる。観客は大きな敵との対決はなくても、異世界の中でもまた新しい未知の領域に千尋が踏み出すことによって、心の大きな躍動を得るだろう。
ここは主人公が最大の試練を乗り越え、何かの報酬を得る場面である。あるいは何かも 宮崎はこの映画について「成長すれば何でもいい」といった成長物語の一つではなく、「今時の子供が生きる力を取り戻す姿を描くこと」を製作意図として述べている。この発言の真偽は定かではないが、この映画のそのような終わり方は、一般的な成長物語と比べて、はるかに含意的であり、観客にとって何かを考えさせる余地、あるいは機会を与えている。
○終わりに
神話の構造から発展した物語論と映画のストーリーを照らし合わせることによって、映画「千と千尋の神隠し」は難解な舞台設定、モチーフを内包しながらも、物語の枠組み、構造は、世界中で古くから使われてきた普遍的な文法に忠実に則して描かれていることが分かる。また、人は魅力的で美しい物語を体験した後に、そのような体験が実際にできればなあと感じることがある。物語を受容する時、たとえ架空の世界であれ、受け手がそれを頭の中で体験しカタルシスを得るのは、物語の出来事が実際に起きても魅力的だということだ。ストーリーの美しい構成の発見は、実生活での美しい人生の発見でもあるのだ。本や映画、様々な媒体でで物語を受容するとき、その物語の のでなくても、主人公の内面的な成長など、目
に見えないこともある。映画では、帰る際にみ
んなで紡いだ糸を編み込んだ髪止めをもらう
が、それはあくまで象徴で、帰り道で千尋がハク
の真の名前を見出す場面が該当するだろう。ま
た、この場面は作品中でも最大のカタルシス(浄
化作用)の感覚が提示されるべき部分でもある。
このステージは主人公が危険な状態、不安定な状態から抜け出していく場面である。このステージで主人公はもうすぐ元の日常の世界へ戻ることが示唆されることが多い。作品では⑨の場面に重複している。
古代の戦士は、彼らのコミュニティーに帰る前に体を清めなければならなかった。なぜなら戦いのときに手を血で染めていたからだ。最後の関門を潜り抜けた主人公は生まれ変わり、浄化されなくてはならない。
作品ではこのステージを、主人公が豚の中から両親を当てるという、変わった場面で描いている。千尋がなぜ豚の中に両親がいないのか分かったのかという問題については、完全に推測することはできないが、一つ言えるのは千尋は自分という存在をこの時点で確立させており、そのことが良い結果に結びついたのだろうということだ。
構造に美しさを見いだせれば、それはよりよい人生の形の指針となるだろう。
参考文献クリストファー・ボグラー『神話の法則―ライターズ・ジャーニー』 ストーリーアーツ&サイエンス研究所 2002年 ウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』書肆風の薔薇 1987年
ジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄〈上〉〈下〉』 人文書院 2004年 ロラン・バルト『物語の構造分析』みすず書房 1979年
大塚英志『ストーリーメーカー』アスキー新書 2008年 内田伸子『幼児心理学への招待』 サイエンス社 1989年
瀬田貞二『幼い子の文学』中公新書 1980年 主人公が日常の世界へと戻る場面である。そのとき主人公は非日常の世界から、何らかの宝物を持ち帰るか、精神的な成長を得てなければならない。そうでなければその旅は無意味なものになるからだ。多くの映画の場合、循環型のストーリー形式でそれを表す。作品の最後で冒頭の場面と同じような状況に戻し、観客に対して旅の比較を描きださせる。それは主人公がどれだけ遠くまで旅をしたのか、どれだけ成長したのか、そして元の日常の世界はどれだけ違って映るのかということに対してものさしを与えているのだ。
映画では、トンネルを抜けるシーンがそれに当たる。しかしそこでの千尋の行動は、母親にすがりつくといった、冒頭と同じようなものである。この場面は、観客に対して、目に見える明らかな形で千尋は成長したということが示されていない。むしろ、同じ描写を繰り返すことで、千尋は何も変われなかったと主張しているようにも取れる。しかし、トンネルを抜けた後、千尋は行きの場面とは違う、不安や曇りのない目と表情で来た道を振り返る。そして、銭婆からもらった髪留めが光り、その不思議な体験は夢物語ではなかったことを観客に認識させ、物語が終わる。
セルゲイ・エイゼンシュテイン『映画の弁証法』
角川書店 1953年 藤田省三『精神史的考察』 平凡社 2003年
久美薫『宮崎駿の時代―1941〜2008』
鳥影社 2008年 米村みゆき『ジブリの森へ―高畑勲・宮崎駿を読む』 森話社 2008年
スーザン・J.ネイピア『現代日本のアニメ』
中央公論新社 2002年
「『千と千尋の神隠し』を読む」『東北工業大学紀要Ⅱ人文社会科学編』 第
27 号2007年
『「千と千尋の神隠し」全台詞集』http://mnr.jp/ghibli/senword/nigihayami.html ⑩⑪ ⑦⑧⑨ ⑫
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