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Light in August : その神話的構造

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Light in August : その神話的構造

著者 遠藤 芳江

雑誌名 主流

号 42

ページ 37‑54

発行年 1981‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014940

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37 

L i g h t  i n   August‑ ーその神話的構造

遠 藤 芳 江

序 論

Faulknerの作品はp その背景となっている南部社会をぬきにしては論 じられない.その南部社会は,いわゆる「南部神話」を共同体成員の共通 の遺産として奉じる社会である.この「南部神話」とは3 南北戦争に敗北 した苦い経験が生み出した,理想化された「古き良き南部」を語る自己陶 酔的な「神話」である.この「南部神話」は,実際に南部社会とその成員 たちに依然として大きな力を及ぼし続けているのである.南部社会を,そ れに語られているのと同じような理想的社会として維持してゆくために,

「南部神話jは不可欠のものであり,共同体存続のための規範ともいうべ きものとなっているのだ.それがたとえ幻想にしかすぎなくとも. しかし ながら, I南部神話」は奴隷制とL、う倫理上決定的な欠陥を土台としてい たのである.

Faulknerは Lightin  Augustの中で,この「南部神話」の二つの柱 で~るキリスト教と騎士道精神が,この作品の主要人物 Joe Christmas,  Joanna Burden, Gail Hightower に大きな影響を刻みつけたことを克明 に描いてみせる.この三人の人物のうち Christmasは, I南部神話」に反 発,抵抗しながら,そして Burden,Hightowerはそれに巻きこまれなが ら,彼ら自身のく神話〉を創成するのである.却ち「南部神話」は,彼ら に強力に働きかけて,それによって彼らのく神話〉を引き出す投割を果し ているといえよう.

そこで,披らに関する部分がなぜく神話〉と呼べるのかを,各々に共通

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38  Light πi;Augustーーその神話的構造

してみられる神話的要素を確認することで証明したい.さらに,彼らに関 する部分がなぜく神話〉という形をとらなければならなかったのか,その 理由も明らかにする必要があろう.その過程を通して,作者がこの作品全 体に,このような神話体系をとらせた意図も,推察できると信じる.

この作品の中で Christmas,Burden, Hightowerに, どのような共通 した神話的要素がみられるであろうか.それらを確認することで,各々が く神話〉として成立していることを立証しよう. となると,その共通項の 第ーに,彼ら自身が,あるいは彼らに属するものが神格化されている点を あげなければならないだろう.それは神話として成立するための必須条件 であるから.

まず Christmasをみてみよう. 彼はその名がいみじくも示している通 り,キリストの analogyである.処刑されるまでに受難の一週間を過ご すという点も,又その共同体の人々の罪を背負い蹟罪として殺されるとい う点も,親しい者に売られるという点も全てキリストを連想させる.この 点を総合すると, Christmasに,南部社会におけるキリストの役割が担わ

されていることは疑問の余地がない.

Joanna Burdenの場合,彼女は神の「呪しづを超自然化してしまってい る.彼女の祖父と兄は,奴隷解放を唱えたために射殺されたのであるが,

その彼らの墓に,まだ幼い彼女を連れて行って,父は次のような恐ろしい 事を言う.

Your grandfather and brother are lying there, murdered not  by one white man but by the curse which God put on a whole  race before your grandfather or your brother or me or you were  even thought of.  A race doomed and cursed to  be  forever  and 

(4)

L主

htin August‑‑ーその神話的構造 39  eyer a part of  the  white race's  doom and curse for its sins. . . . 

(p. 239) 

黒人という存在そのものが,神の「呪い」の啓示であり,その黒人を奴隷 とすることで白人も呪われてしまったのだ, というのである.彼女は,一 生父のこの言葉から解放されず,彼女の名が象徴するようにそれを重荷と

して背負っていった.彼女も父と同様, I呪L、」を宿命として受けとめた のである.

Burdenがこのように「呪しづを人間の力の及ばないものとみなしてい るように, Hightowerも祖父の亡霊にとりつかれ,それを人聞を越えた存 在とみなしている.彼の祖父は,彼が生れる以前に南北戦争に出征し,そ こでにわとりを盗んだため射殺されるという,いささか不名誉な死に方を したのであった.~皮は,その事実をまるで償おうとするかのように,祖父 を極端に英雄化し祖父とその仲間の兵土たちのことを, Boys.. . . This  is  beautifu  . l. • . Here is  that fine  shape of eternal  youth and virginal  desire which makes heroes."  (p.  458)  とまでf言じこんでし、る.さらに

. their  [heroes'J  very  physical  passing  becomes  rumor with  a  thousand  faces  before  breath  is  out  of them, lest  paradoxical truth  outrage  itself."  (p.  458) と続けるのである.この rumor"はy 一種 の神話を指したものと思われる.このように勇敢に戦った英雄が,死後神 話化されるのがいわゆる「英雄神話」の特設である.Hightowerの中で,

「南部神話」の理想化された騎士道精神が,召使いの黒人女から開いた英 雄化された祖父像と合体して,一つの「英雄神話」が築かれたのである.

ただ,ここで注意しておかなければならないのは, 彼 ら の く 神 話 〉 が

「南部神話」の影響のもとに生れたものであるということである. I南部 神話J, その中でもとりわけ宗教と騎士道精神の圧力を受けて, それに対 応する形で生じたく神話〉であるという点である. では, この「南部神

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40  Light iπAugust一一ーその神話的構造

話Jは,具体的にどのような形でこの作品に示されているのだろうか.

Faulknerは, その二本の柱p ピューリタニズムと騎士道精神の極限の姿 を,三人の人物を通して具現化している. その一人 Christmasの祖父 Doc Hinesは,自分を神の御心の代弁者と信じきっているL,もう一人の Christmasの養父である McEachern も, 自身をその偏狭なピューリタ ニズムによって正当化し絶対化する散慢さでは彼に劣らない.この二人は,

偏狭な宗教がいかに人間性を喪失させるかという典型的な例である.この 二人の宗教を騎土道精神に置き換えると Percy Grimmができ上る. こ れら三人に共通することは,自らの罪と責任を棚上げにして,他人,特に 立場の弱L、者一一OlgaVickeryの言葉を借りるなら, Northern" と

Black"と Damned"1を裁き,彼らに罪をなすりつける点である.彼 らは「南部神話」を規範として振りかざして人を裁く恐るべき独裁者であ る. Faulknerが苦痛をもって示しているのは,南部社会がこのような独 裁者を容認している,いやそれどころか彼らにすすんで加担し協力して いる事実である.そして「南部神話」が, このように弱し、者を締めつけ圧 殺する規範としてしか働かず,その本来の神話としての意味と機能を剥奪 されてしまっている事実である.では一体,本来の神話の意味と機能とは どういうものなのか,それがもしこの作品の中に示唆されているとするな らばどのような形でなのか,それを「南部神話Jによって半ば強制的に生 み出された Christmas,Burden, Hightowerのく神話〉の要素を確認する

ことを通して明らかにしたい.

Christmas, Burden, Hightowerに共通してみられる神話的要素の確認 を続けよう.彼らの話をく神話〉として成立さぜている, そ し て 彼 ら の く神話〉全てに共通してみられる神話的要素の第二番目のもの,それは神 話的時間観である.これは彼らの各々のアイデンティティの模索一一自己

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Light iπ:Augωt  その神話的構造 41  証明と呼んでもよいが一一ーの過程であらわれてくるものであるから,まず 彼ら一人一人のアイデンティティ追求の足跡を追ってゆかねばならない.

このアイデンティティ模索の最も顕著な例は Christmasであろう.彼 の一生はその典型である.南部社会にあっては,人は黒白いずれかの範障 に属さねばならない.どちらでもない者に適用する規範はないため,そう いう者は徹底的に社会から排斥される. 0α19a Viた凶ekeryが

dlVidualcan only bec∞ome a member0fsociety  by permitting  him‑

self  to  be classif五Iedaccording to  race, geographic origin and so on." 

と指摘する通りである.だから Christmasの存在は, 南部社会にとって 恐るべき脅威である.なぜ、なら,白人こそ Elect"3 であるという信仰 を基礎とする「南部神話」と,それから派生した社会規範を,彼はその黒 白どちらか判断で きないという酸味さで危くするからである.

一方 Christmasにとっても, この暖昧さは披の存在の根底を危くする 脅威である.黒人の血が入っているかもしれないことがそうなのではなく,

何者か判らないことが彼を底知れずの不安に陥れるのである.それは,永 遠に何者にもなり得ないことを象徴的に暗示しているからである.

Christmas のこのようなアイデンティティを喪失した状態は,

hanging motionless and without physical weight he seemed to  watch  the slow flowing of time beneath him. . .."  (p.  104)  とL、う箇所に適 確に表現されている.これは彼のアイデンティティ追求のベクトルと,彼 を圧殺Lょうと謀る規範としての「南部神話Jの関係を知る一つの手掛り

も与えてくれる.

この引用箇所の time"は何を象徴しているのであろうか i時間」へ の言及ば Christmasの行動の節目に当たるところに必ず出てくるが,

被に時を告げる時計や鐘は彼の持物でない.郡投所や裁判所の時計や,教 会の鐘である.白人が治め支配する,あるいは白人の信仰の場であるとこ ろの時計や鐘なのだ.だからこの時計や鐘は白人社会の規範を象徴してい

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42  Light in August‑ーその神話的構造 ると考えるべきであろう.

Christmasが時計を持たないのに対して,養父の McEachernは 常 に 時計を身につけている.そして Christmasの行動をその時計によって厳 しく規制,検閲する Christmasはこの養父から逃げ出す時, 時計を身 につけてはいるがネジを巻き忘れているし,愛人の Bobbyとの約束にも 間に合わない.これ以後,彼は時計を持たなかったが,それでも役所や裁 判所や教会の時計の告げる時に,無関心ではおれないのである.時計に象 徴される規範が, 彼に絶えず圧力をかけてきて Christmasの自己証明 のベクトルをのみこもうとするのである.しかし彼はその規範に同化する 道は選ばずに,あくまでも自己に納得のできるアイデンティティ追求に固 執する.それでも「南部神話」は披に,白人の scapegoat" 4 として死 ぬことを要求L続ける.この scapegoat"が神話の allusion であるこ とは断るまでもないだろう.そして彼はついに,形の上からだけ見るなら scapegoat"として殺されるのである.即ち彼が, I南部神話」の圧力に 徹底的に抗し自己証明に固執すればするほど,彼の自己証明のベクトル は,皮肉なことにキリストの生涯と十字架をなぞる結果となっているのだ.

これはまさにキリスト神話の「再演」である.

神話を継承してゆく上で,この神話の「再演」は必要不可欠のことであ る.神話を M.Eliadeは .. . relates an event that took place in pri‑ mordial time. . . .勺と定義する.さらにその「再演」に関して,

what happened ab orgine can be repeated by the power of rites."あ るいは, By recol1ecting the  myths, by reenacting  them, he  [the  man of archaic societiesJ  is  able to  repeat what the gods

, 

the heroes  or  ancestors  did  ab origine.川 と 述 べ て い る . 即 ち 「 再 演j とは,原 初の時を再現するという点で,まさしく神話的時間の一つのあらわれであ るといえよう.この「再演」は Burden,Hightowerの自己証明の過程に も見出せるのであるが.

(8)

Light in  August‑一ーその神話的構造 43  次に JoannaBurdenをとり上げ,彼女の自己証明のベクトルが「南部 神話」といかに躍り合わさって,新しいベクトルを出現させているかを調 べ,それがとりも直さずく神話〉の「再演」となっていることを例証して みよう.

彼女に決定的影響を与えたのは,その祖父伝来のピューリタニズムであ った.北部からの移住者である祖父は,南部社会に根づく際,必然的にそ のピューリタニズムを南部社会に適応した形に変えねばならなかった.第 一章にも述べたように,彼は黒人の黒さは,神が彼らに課した「呪い」の 象徴であり,その呪われた黒人を奴隷とすることで白人も神から呪われ ていると信じていた.彼の説教は,半分は彼の名 Calvinが示す通りの the bleak  and bloodless  logic (p.229)で, あとの半分は, imme‑

diate hell五reand tangible brimstone"  (p.  229)から成っていたとある が, ζれは明らかに神話の allusionであるた設の唱える「呪い」は,北 部ピューリタニズムと「南部神話」がかけ合わさったものに他ならない.

よそ者であるがゆえに,南部社会により織烈に適応せざるを得なかった結 果が「呪い」の観念を生み出したのである.だからこの観念は「南部神 話」と対立するものでは決してなく,北部ピューリタニズムが奴隷制を奉 じる「南部神話」に組みこまれた結果生じた,

r

南部神話」の相似形として のく神話〉なのである.この父の話は余りにも生々しく,それ以後彼女自 身も,黒人を象徴する十字架の黒い影を背負わされたように感じるのであ る.これは彼女のく神話〉世界へのイニシエイションであり,それからと いうもの彼女はこの「呪しづのく神話〉を常に想起せざるを得なかった.

彼女にとってみれば, これに固執することでしかアイデンティティを確認 する術がなかったのである.それが現象としてあらわれているのが黒人救 済への熱中である.つまり彼女は父の話を反すうし追体験しているわけ で,これはまさにく神話〉の再演といえる.

次に Hightowerがどのようにアイデンティティを確認していたか, 果

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44  Light i;πAugust‑ーその神話的構造

してそれがく神話〉の再演と呼べるのか調べてみよう.彼が祖父を神格化 していたことは前述したが,彼はその祖父と自分とを同一化しているので ある. ]皮のせりふ 1skipped a generation. . . . 1 had already died one  night  twenty  years before 1 saw light." (p.  452)は,彼が自分を祖父 の生れかわりと信じていたことを表している.彼にとって,祖父は単なる 亡霊ではない.生身の人間よりずっとリアリティーのある存在なのである.

これは OlgaVickeryが Eventuallythe legends of the past become  the only truth and the only ralityfor Hightower.  . . . " 8  と述べてL、 る通りである.彼は「南部神話」の最もロマンティック'lt要素である騎士 道精神に祖父をあてはめ,その祖父に自分を重ねて,白分も「英雄」とし て生きょうとしているのだ.このように,彼のアイデンティティ模索のベ クトルは Burdenの場合と同じく,

r

南部神話」に統合されたベグトル としてしか発現していないのである.

Hightowerにとって祖父の思い出は, 彼の存在の根源を示すもの, 即 ち彼の存在の「原初の時J(beginnings ") 9を表象するがゆえにく神話〉

そのものである.だからその「原初の時」を想起することで自らのアイデ ンティティを保証する必要があった.彼の身ぶり手ぶりを交えての大熱演 の説教は,この想起,いいかえれば付申話〉の再演に他ならない.しかし ながら Lenaの出産に立ち会い Christmasのリンチを目撃した彼は,

自分の祖父が決して芙雄などではなく,そしてその「再演者」である彼自 身も a五gureof antic as a showman,"あるいは acharlatan preach‑ ing worse than heresy" (p.  462)だと認め始めるのである.

第二章で Christmas,Burden, Hightowerのアイデンティティ追求の軌 跡を追ってきたわけであり,それで判明したことは,彼らのく神話〉は

「南部神話」の相似形にしかすぎず,彼らの自己証明のベクトルも「南部

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Light in August  その神話的構造 45  神話」の射程内におさまってそれを「再演Jしているだけであるという事 実である. しかし果して彼らのベグトルはそれで終ってしまっているので あろうか.ここでさらに視線を伸ばして,それの到達点がどのようになっ ているかを,見届ける必要があろう.

まず Christmasであるが,彼は Joanna Burden殺害後ある認識に到 達 す る But 1 have  never got  outside  that  circle.  1 have never  broken out of the ring .of  what 1 have already done and cannot ever  undo. . .."  (p.  321)  と悟るのである. 彼が「南部神話」の圧力から自由 になったと感じた時,それが同時に circle"とか ring の上にいるこ とであると気づくのである.又 tomorrow night"  も allthe tomor‑ rows"も全て apart of  the flat  pattern"  (p.  266)とL、う認識を得る.

これらこそ, I過去は未来の予表である.Jl0p そして時閣を生一死一再生 というサイクルをくり返す円環と捉える神話的時間観11を, Christmasが獲 得した事実を示すものである.この場面の描写は非常に示唆的である.彼 は thelast stroke of the far clock "が ceaseand die away" (p.  265)  するのを聞いていたとあるが,これは clock"に象徴される南部社会の 規範が, もはや被にとって何の意味もなくなったことを,つまり彼がそれ から自由になったことを暗示している.彼tは土その代りに

earth  now coolly  suspirant The dark  was f五臼i辺lledwith the  voices  myriad. . . . " (p.  266)とあるように, the earth"とか the dark" 

の方を強く意識するのである.これらは神話の allusion でもあり,これ らが神話的時間観と緊密に結びつけて描写されていることに留意しておく 必要があると思われる.

Hightower も死の直前に神話的時間に突入する.その時の彼の思考は,

the sand clutched wheel of thinking"  (p.  464)  と表現されている.

彼は永い間 I南部神話Jを祖父に投影してきた.なんとか自分をそれに そわせようと熱望する余り,その実体を見失D てきていた.その彼の苦い

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46  Light ηiAztgustーーその神話的構造

思いがこの sand"という語に集約されている. しかしそれも最後には wheel" となって速やかに滑らかに回りつづ、ける と い う の は 今 や

, . . . it  [wheelJ is  freed now of burden, of vehicle axle, all." (p. 465)  だからである.車輸は次第に halo" (p. 465)  に姿を変え full  of  faces"  (p. 465)となる.その顔は .. . not shaped with  suffering...  not horror

, 

pain

, 

not even reproach. They are peaceful.  . . ." (p. 465)  と表現されている.彼はこの時,苦しみも恐怖も非難もすべて購って平安 へと導いてくれる神話的時聞を獲得したのだ. もちろんこの神話的時間は

「南部神話」に属するものでも ChristmasやBurdenやHightowerの く神話〉のものでもない.それらを包括しつつ,はるかに超越した神話に 属する時間である.その神話とは,いわば全ての神話の祖型となる神話,

大文字で書かれるべき神話を指す Christmas,Hightowerが, こういう 神話の時聞を獲得したということは, とりも直さず彼らの死が再生を期す

ものとして祖型神話のコスモスの中で位置づけられたことを意味するので ある.Burdenはついにこの祖型神話の時間を獲得できないまま死んだ、の であるが.

この神話的時聞を最初から獲得している人物がいる. そ れ が Lena Groveである. まず彼女がどういう人物かを調べ, その彼女がなぜ祖型 神話の時聞を最初から獲得しているのかを,明らかにしたい.Lenaの子 供をとりあげた Hightowerが,その力強さ,遣しさに感動し,彼女の多 産性を Thegood stock peopling in tranquil obedience to  it  the  good  earth. . . . " (p.  384)と表現しているが,彼女はこの good earth"そ のものなのである.大地は生命を産み育てそして還すというその性質のた め「地母神J (Earth  Mother) として多くの神話に登場するのであり,

A. Kazinが彼女をこのように呼んでいることは十分に額ける12 となると Earth Mother"の化身である彼女の属する世界が

r

南部神話」 や, Christmas, Hightower, Burdenらのく神話〉を超越した神話の世界,即

(12)

Li訪tin August一一ーその神話的構造 47  ち祖型神話の世界であることは言うまでもないであろう. したがって,彼 女が最初から円環としての神話的時間を獲得していたのは至極当然のこと なのである.

さて,作者はこの彼女の神話の時聞を具体的にどのように示しているだ ろう.彼女の登場後すぐの描写をみてみよう.馬車に乗っている彼女の背 後には, a long  monotonous  succession  of  peaceful  and undeviat‑ ing changes from day to  dark and dark to  day again"  (p.5)があっ たとあるが,これは Christmasが死の直前に獲得した神話的時間と全く同 じ も の で あ る . 又 A .Kazinは彼女の乗っている馬車の車輸の音を a mythic source of strength " 13と表現しているが,彼女の属する神話的時 間の,全てのものを再生させるポテンシャルなエネルギーを言い得ている.

彼女に属する時聞が循環性をもつことは, その馬車が

measured thread being rewoundonto a s卯Op∞01."(句p.6め)と形容されてい るところにも示されているのである.

この Lenaの登場する作品冒頭の部分は, 最後の彼女退場の部分と絶 妙に呼応し合い,そのコミカルな描写は,聞にはさまっている Christmas, Burden, Hightowerの悲劇的措写と強烈なコントラストをなしている.

A. Kazinはこの最後の場面の Lena とその子供と Byron Bunchを Holy Family "になぞらえているがへまさにその HolyFamily "に よって ChristmasBurden, Hightowerの苦渋に満ちた生涯は償われた のである.作者が作品の冒頭と結末に Lena とその神話的時聞を据え,

その聞に彼ら三人の自己証明の軌跡を置き,かっ ChristmasとHightow‑

erに Lenaの属する神話世界の時聞を獲得させたということは,被がこ の二人を「南部神話」から解放し Lenaの神話の世界, 干且型神話の世 界へとイニシエイトさぜたことを意味するのである.即ち彼らの苦悩と死 を Lenaの属する神話へと組みこみ, Lenaの子供として彼らを再生さ せることで, 補 償 し た の で あ る . ここに序論で提起した命題一ーなぜ

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48  Light in  Augustー その神話的構造

Christmas, Burden, Hightowerの話がく神話〉でなくてはならないのか 一一に一つの解答が与えられたのである.彼らのく神話〉によって,より 大きな神話,祖型神話を引き出し,その神話のコスモスの中で彼らの苦悩 を購うために,彼らの話はく神話〉という形をとる必要があったのである.

しかしこの命題に対する解答はこれだけではない.その解答を出す前に,

神話が一体どういうものなのかを考えねばならないであろう.

神話とは,一言で語るなら,人間の心の閣を具体的人物なり物なりの姿 をとらせて言語化したものである.だからこの神話の世界では,現実の事 象はとるに足らないものに格下げされる.客観的に捉えられた現実は真実 でないとされるのだ.あくまでも心の闇に映し出される現実こそ現実の真 の姿であると考えるのが神話の世界なのである.したがって作者が Christ‑ mas, Burden, Hightowerの話にく神話〉の形をとらせたのは,彼らの心 の闇の発露とでもいうべきく神話〉こそ,南部の現実を最も良く映し出し ていると信じていたからに他ならない.この心の闘が披らを通して具体的 にどのように示されているかを,そしてそれが果して南部のリアリティー を示すものとなり得ているかを確かめる必要があろう.

彼らの心の闇は,具体的には疲らと闇の近親性に示されている. まず Christmasであるが,彼はその逃亡中に黒人小屋をみてp 自分が athick  black pit"  (p.  10η にいるように感じ,小屋を the original  quarry,  abyss itself"  (p.  108)と形容している.これは神話の allusionでありp

彼は自身の中にこの神話的閣に呼応するものを感じているのである.それ と前後する Itwas as though he and all  other manshaped life about  him had been returned to  the lightless hot wet primogenitive Female." 

(p. 107)という箇所には,闇のもつポテンショルなとてつもないエネル ギーが見事に表現されている.そして女こそはじめからその閣に属するも

(14)

Light i:πAugust  その神話的構造 49  のであることも暗示されているのである.万物をそれに還元してしまう女,

これは C.G. Jungの定義に従えば, Terrible  Mother" で あ る15

Christmasは女と向き合う度に,その闇の力が自身の中の間と呼応しそ れにひきずりこまれそうになる.彼は,女に月に一度何かが起ることを知 った時,羊を撃ち殺してその血の中に手を浸すという体験をしている.そ れによって女の闇の力と対抗してゆく力を授かろうと願ったのである.こ こに供犠と通過儀礼というこつの神話の要素がみられることは指摘するま でもないであろう.又その後, Bobbyが月の障りのため彼とのデイトの 約束が果せなかった時,彼は森の中へ走りこみ,そこで adiminishing  row of suavely shaped urns" (t.177)の幻想を見る.それらの urns は Eachone was cracked and from each crack  there  issued  some‑

thing liquid, deathcolored, and foul."  (p.  178)  という様子をしている かのようであった.この urns  と は 明 ら か に 子 宮 を 指 し て い る し

deathcolored, and foul"には万物を滅ぼす Terrible Mother" の imageがみられる. 自分が何者なのかということにこだわりつづけると いう彼の偏執の度合いが増せば増す程, 自身の中に女の属している閣と呼 応するものがあることを認めないわけにはゆかなくなるのである.そして この闇から逃れようとすればする程,皮肉にもその闇へますますのめりこ むという結果になっているのである.

Hightowerは

side with a ghost." (p.  449)  と描かれているように,彼の心の閣の産物 である幻影と亡霊にとり囲まれて育ったのである.これらは,彼の感受性 の強きが黒人女中の語る祖父の話に感応したために生れた幻影であり,亡 霊なのだ.彼にとっては,あるがままの現実よりもこの亡霊の方がはるか にリアリティーのある存在となっていた.そして,その存在自体が閣の象 徴であるようなその黒人女に導かれて心の闇へとのめりこんでゆくのであ る.なぜ、なら亡霊や幻影に自執すればする程,それを生み出した心の闇を

(15)

50  Light  August‑ーその神話的構造 意識せざるを得なくなるからである.

Burdenと閣の近親性も否定できない.というのはp 彼女の固執してい る「呪い」も「罪」の観念も,まぎれもなく彼女の心の閣の産み出したも のに他ならないからである.この「呪い」や「罪」にとりつかれている彼 女の状態を theblack abyss"  (p.  246)  という語が象徴的に示してい

る.

このような闇との近親性に暗示されている彼らの心の闇に, ~南部神話」

が働きかけることで生れたのが彼らのく神話〉といえる. ~南部神話j と は,過去の存在もしなかった栄光にしがみつき,それを遮二無二現実に適 応しようとする白人社会の奉ず、る「神話」である.それは理想化されてい るだけ現実とのギャップは埋め難く,そうなれば現実の方を「神話」にあ てはめようとする欲求は果てしなく大きくなる.となると規範を益々強力 にしその成員へのしめつけを強めてくる.感受性の強い人間,言葉をか えれば心に閣を抱えこんでいる Christmas,Burden, Hightowerのような 人間は,この規範の圧力が増すにつれて,いっそう心の閣の奥深くにのめ りこまざるを得ない.その結果が彼らの偏執であり狂気なのである.そし てこの偏執,狂気を語る彼らのく神話〉こそ,彼らに圧力をかけてそれを 触発したところの「南部神話」の真実の姿とそれを奉ずる社会の実体を最 も良く映し出す鏡となっている筈である.つまり「南部神話」の倫理的欠 落と歪みを正確に示している筈である.彼らの話がく神話〉の形をとらね ばならなかったもう一つの理由がここにある.

第二,三章で,彼らの自己証明の軌跡の到達点に神話的時間が示唆され ていることを指摘したが,ここで彼らの偏執,狂気の中に,その神話時間 と対応する形で神話的空間が提示されていることに留意したい.そ Lてそ れらは,彼らのく神話〉の共通項の第三番目に数えられることになる.

「南部神話」の圧力が強まるにつれて,彼らの心の闇はすさまじいエネ ルギーを字んだベクトルとなって闇の奥深く下降する.これこそ彼らの偏

(16)

Light in Augztーーその神話的構造 51  執,狂気なのであり I南部神話jによっても圧殺されない彼らの存在の 証しでもある.彼らの偏執,狂気は披らの自己証明以外の何ものでもない のだ Christmasがあれほどまでに自分が何者かということにこだわり 続けるその執念も Burdenの「呪Lづや「罪」への固執も, Hightower  の祖父への狂気じみた偏執も,すべて彼らの自己証明なのである.彼らの 自己証明のベクトルは,閣の空聞をどこまでも中心に向かつて下降する.

ここに M.Eliadeの言う神話的空間観, I中心のシンボリズムJ17 が見 出せることは明白である.即ち彼らの偏執や狂気という自己証明のベグト ルは,下降すればする程, I聖なるもの」へとたかめられるのであり, こ れはとりも直さず¥ Lenaの体現する祖型神話により近づくことを意味 するのである.

この祖型としての神話は Lenaの属する閣の世界として示されてい る.彼女の闇は Christmas,Burden, Hightowerの闇をその中に包みこみ さらにそれらをつきぬけた世界として描かれている.それを次の描写から 立証しよう.この作品の冒頭で Jeffersonめざしてゆったり歩いている 被女に比べてp その傍を通る馬車は something moving  forever  and  without progress across an urn" (p.5) のようだと形容されている. こ

の urn"は前述したように子宮の象徴であり,生きとし生けるものが生 れ出る豊かでエネルギーに満ちた空聞を象徴しているのである.彼女をそ れに乗ぜてやった町の人々を象徴する馬車は Lenaに比較するとなんと 存在感の薄いことか.これは Lenaを助けた人々が,実は彼女に助けら れていることを暗示しているのである.彼女は全ての人を包みこむ urn なのであり,彼女の抱える闇は,生命を生み出す黙示録的エネルギーに満 ちた闇なのである.

したがって Christmas,Burden, Hightowerの闇は,それらを包括す るLenaの闇, ネ且型神話の閣によって補償されているといえよう.被ら の自己証明のベクトルはある意味では自己滅却や破滅という負方向を指向

(17)

52  Light in August  その神話的構造

するものであったが,それらを Lenaの正方向へ向かうベクトルが正方 向へと転換さぜ,神話コスモスの中で意義づけたのである.それによって,

苦渋に満ちて下降しつづける彼らのベクトルも肯定され,補償される.つ まり彼らの苦悩が祖型神話の中で意義づけられるのである.このようにみ てくると Lenaは彼女の属する神話的時間によってだけでなく,神話的 空間によっても,彼らの苦悩と死を購ったのであることがわかる.

結 論

ここ!こ一つの図式が完成した

r

南部神話」一→Christmas,Burden,  Hightowerのく神話〉ー→祖型神話,という図式である.

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南部神話」が Christmas, Burden, Hightowerに働きかけることで彼らのく神話〉が生 じ,そしてその彼らのく神話〉は Lenaの神話,即ち祖型としての神話 に包括,統合されたのである.と同時に序論で提起した問題にも解答が出 された.

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南部神話」の圧力をうけた結果必然的に生じた彼らの自己証明 の軌跡がく神話〉の形をとらなければならなかったのはなぜか一一一それは 祖型としての神話をひき出すためであったと.彼らの自己証明のベグトル が限りなく指向する祖型としての神話のコスモスの中でのみ Christmas, Burden, Hightower の自己証明の苦悩と死は襲われるからである. 現実

世界では何の意味ももちえない彼らの苦悩と死は,祖型神話のコスモスの 中では無意味ではなくなる.なぜなら,彼らの自己証明の完結点としての 苦渋に満ちた死は,祖型神話の時間の中では,再生を期すものとして意味 づけられるからである.

と同時に,祖型神話の空間では,現実lこは何の意味ももたない, という よりむしろ軽蔑や物笑いの種にしかすぎない彼らの偏執や狂気も意義ある ものとされるのである.即ち,彼らの自己証明の軌跡が,閣を下降し祖型 神話に接近するにつれて「俗」から「聖」へとたかめられるのである.彼 らの偏執, 狂気という, 現実世界ではとても肯定され得ないものも, 神

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Light in August‑ーその神話的構造 53  話の空間では真実なるものへと転化され意義づけられる. 以上のように Christmas, Burden, Hightower の苦悩と死は神話の時間と空間の中で完 全に償われる.

彼らの話がく神話〉の形をとらなければならなかった理由はもう一つあ る.それは彼らの心の閣にこそ,そしてその心の闇を言語化したものであ る彼らのく神話〉にこそ,南部社会の真の姿が映し出されているという理 由である.彼らのく神話〉は,南部社会の規範である「南部神話」が彼ら の心の闇に圧力をかけた結果生じたものであり, したがってこれらのく神 話〉こそ「南部神話」の真の姿を映す鏡だからである.南部社会の単なる 表層の事実を描写しただけでは衝くことのできない南部の深層とでもいう べきものが,彼らの偏執と狂気のく神話〉によりよく示されているはずな のである.

現実の事象よりも,心の聞に映し出される現実の方がより真実であると みなすこと 一一これは現実の事象の価値と神話の価値を逆転させることを 意味する.神話の世界をより上位に置いて,その世界から事実を捉え直す ことを意味する.これはまさに「現実」の再構成である.あるがままの現 実,見えている現実ではなく,心の閣のフィルターをかけて再構成した現 実,つまり神話で語られる現実の方がより真実なのではないか,そういう 問いかけを,この作品に神話体系をとらせた Faulknerが発していると考 えるべきであろう.この作品が神話体系をとっている所以はそこにあるの である.

〈本稿は日本英文学会中部地方支部第33回大会において発表したものにもとづく。〉

Light in AugustはVintageBooks (NewYork, 1972)を用い,その引用頁 数は引用文の末尾に付した数字で示した.

1 Olga Vickery, The Novels 0/ Willian  Faulkner (Baton Rouge: Louisiana 

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54  Light i:πAugust‑ーその神話的構造 State University Press, c 1964), p.  67. 

2 Ib試, p.  68.  3 Ibid., p. 68. 

4 Lawrance Thompsonはその著書 WuliamFaulkner: Aπ Introductioπand  Inte中 旬tation(New York: Holt, Rinehart  and Winston, Inc., c 1967), pp. 7η7一‑78

of  his  society  who have 五台rstmade him in  their own imag and have then  dodged their  own moral  responsibi1ities  by attempting  to  heap  their own 

s

ins0∞n him...."と述べている.

5 <<Myth" Encyclopaedia Britannica (London: William Benton, 1970), Vol. 15.  6 lbid. 

7 Geπesis. xix.  24 Thenthe Lρrd rained on Sodom and Gomor'rah brim‑ stone and五refrom the Lord out of  heaven."  とあるが, これはあの有名な悪 徳の町ソドムとゴモラの最後の様子を描写したものである.

8 The Novels of Wul幼 児 Faulkner, p. 97.  9 Myth," Encyclopaedia Britannica, Vol.  15. 

10  ミルチャ・エリアーデ[f'永遠回帰の神話J],堀一郎訳(東京:未来社, 1978),  p.115. 

11  lbid., p.115. 

12  Alfred  Kazin,The Stillness  of L令ht in  Augst,"百なlliam Faulkner:  Three Decades of Criticism, ed.  Frederick  J.  Hoffman  and Olga Vickery  (New York: Harcourt Brace Jovnovich,c 1963), p.  250. 

13  Ibid., p. 249.  14  Ibid., p. 249. 

15  C. G.  Jung, Sybolsof 7'ansformatio trans. by R. F.  C.  Hull  (New  York: Princeton  University Prss,1976),p.  328 ... Terrible  Mother  who devours and destroys, and thus symbo1izes death itself"とある.

参照

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