【解説】
(プロ)レニン受容体の生化学的側面
新しい機能への展望
山下晋司 * 1 ,中川 寅 * 1 , 2 ,海老原章郎 * 1 , 2 ,鈴木文昭 * 1 , 2
(プロ)レニン受容体は,血圧調節を担う酵素レニンおよびそ の 不 活 性 前 駆 体 プ ロ レ ニ ン に 結 合 す る 受 容 体 と し て2002年 に同定された(1).この結合に伴い,プロレニンの活性化と細 胞内へのシグナル伝達が起こることがわかった.この受容体 の 発 見 に よ っ て,電 解 質 レ ベ ル や 昇 圧 調 節 機 構 で あ る レ ニ ン・アンジオテンシン系の役割や,不活性前駆体であるプロ レニンの機能の理解が大きく進展した.ごく最近,(プロ)レ ニン受容体が発生や細胞増殖などの生体活動の本質的な部分 で機能することが明らかになり,(プロ)レニン受容体の機能 的多様性に立脚した研究のパラダイムシフトがまさに起ころ うとしている.
はじめに
レニン・アンジオテンシン系研究は,1898年にTiger- stedtとBergmanによる「腎臓に昇圧物質が含まれる」
という報告から始まる.1970年代になって,ようやく
昇圧物質の本体である酵素レニンが純化され,その生化 学的性質が明らかなった.80年代以降,酵素レニンの 塩基配列および立体構造が決定され,酵素としての性質 が明らかにされた.さらに,酵素レニンの不活性前駆体 であるプロレニンが,血漿中に活性型レニンの10倍近 く含まれていることが報告された.2000年以降,レニ ン・アンジオテンシン系は新たな展開を見せた.2002 年,Nguyenら(1)によって,レニンとプロレニンの両者 に結合する受容体が同定された.この知見以降,(プロ)
レニン受容体を介したシグナリングが,糖尿病などによ る臓器障害や,発生および腫瘍の進展に重要なWnt/
β
- カテニン系に関与することが明らかになり,電解質レベ ルや血圧調節といった従来の概念では網羅できない新し い生理機能をこの受容体が担っている可能性が見えてき た.本稿では,私どもの研究を含む最新知見に基づき,(プロ)レニン受容体の新しい機能について,生化学的側 面から展望する.
古典的レニン・アンジオテンシン系
酵素レニンは,腎臓の傍糸球体細胞でまず不活性前駆 Biochemical Aspects of the (Pro)Renin Receptor:Prospects for
New Function
Shinji YAMASHITA, Tsutomu NAKAGAWA, Akio EBIHARA, Fumiaki SUZUKI, *1岐阜大学大学院連合農学研究科,*2岐阜大学 応用生物科学部生物化学研究室
体プロレニンとして生合成され,その後,プロセッシン グ酵素により活性化され,血液中へと分泌される.肝臓 由来のアンジオテンシノーゲンからレニンの作用により 生成されたアンジオテンシンIは,アンジオテンシン変 換酵素によってオクタペプチドであるアンジオテンシン IIに変換され,アンジオテンシンIIタイプ1受容体に結 合し,昇圧作用,細胞の増殖,肥大,分化などの生理活 性に関連する.
不活性前駆体プロレニン
レニンの不活性酵素前駆体であるプロレニンは,腎臓 以外にも副腎,網膜,胎盤,子宮,睾丸,顎下腺でも生 合成されるが,43残基のプロセグメントによって活性 型レニンの活性部位を覆われているので,触媒活性を発 現できない.しかし,血漿中でこのプロセグメントが部 分消化され,プロレニンの活性部位を露出させ活性化さ れるメカニズムは知られておらず,高濃度で存在するプ ロレニンの生理的役割は不明である.健常人でも血漿中 プロレニン量は,レニン量の約10倍であるが,糖尿病 患者や妊婦では,健常人と比較して40 〜 200倍にも増 加することが知られている.特に糖尿病の場合,微量の アルブミン尿を認める場合に顕著になる.さらにプロレ ニンは心臓に取り込まれ,局部的な心臓内アンジオテン シンII濃度を上昇させることから,未知の生産系の存在 が示唆されている(2, 3).
の実験では,プロレニンは,pH 3.3での酸性 化や4℃以下での低温化処理によって,プロセグメント 部位に可逆的な構造変化を引き起こし活性化する.ま た,トリプシンによる穏やかな部分消化によりプロセグ メントが除去されると,レニンへと変換され活性をも つ.当研究室では,プロセグメントの部分配列をエピ トープとした数種類の抗体を用いて,タンパク質間相互 作用によってプロレニンを活性化する機構を解析した.
その結果,活性化に重要な領域を特定し,活性化を導く
「取っ手領域」を意味する「ハンドル(handle)領域」を 提案した.プロレニンにハンドル領域があるという考え 方は,現在,高血圧や糖尿病を研究する研究者に広く認 知され,この文献の引用回数も100回を超えている.し かし,このように大量の不活性前駆体プロレニンが,血 漿中に存在する理由は,いまだ明確にはなっていない.
(プロ)レニン受容体の発見
2002年にNguyenら(1)により腎臓のメサンギウム細胞 から(プロ)レニン受容体が同定された.そのアミノ酸 配列の一部は,V-ATPaseのコンポーネント(M8‒9)
としてすでに報告されたものと同一配列だった.(プロ)
レニン受容体は350残基(39 kDa)からなる1回膜貫通 型タンパク質であると報告されており,その遺伝子は,
X染色体p11.4上に存在する.(プロ)レニン受容体は,特 に脳,心臓,胎盤に多く分布しているが,肝臓,膵臓,
図1■レニン・アンジオテンシン 系解説図
左図は,古典的レニン・アンジオ テンシン系を示す.肝臓で生合成 されたアンギオテンシノーゲン が,腎臓で生合成されたレニンに よりデカペプチドであるアンジオ テンシンIが生成する.次に肺で 生合成されたACE(アンジオテン シン転換酵素)によりオクタペプ チドに転換され,血管壁に作用す る.右図は,近年確認された(プ ロ)レニン受容体やWnt/β-catenin 系との関連性を示す.
腎臓,副腎,卵巣などの臓器からも幅広く検出されてい る.また,(プロ)レニン受容体ノックアウトマウスは,
初期胚時に致死に至るので,発生時の本質的な役割を 担っていると考えられている.そこで臓器ごとの発現を ノックアウトすることによる(プロ)レニン受容体に関 する個体レベルでの研究(4)が進められている.
(プロ)レニン受容体の構造
ヒト(プロ)レニン受容体は,シグナルペプチド(1‒16 番),細胞外ドメイン(17‒304番),膜貫通ドメイン(305‒
324番),細胞内ドメイン(325‒350番)の4ドメインか らなり,N型糖鎖結合部位やジスルフィド結合部位をも たない.また,そのアミノ酸配列において,ヒト,ラッ ト,マウス,ニワトリそしてゼブラフィシュに至るまで 相同性が高い.
(プロ)レニン受容体の細胞内動態
細胞内の小胞体で生合成された全長型(プロ)レニン受 容体は,ゴルジ体に運ばれると一部が,furinやADAM19 といった酵素によりプロセッシングを受け,レニンやプ ロレニンと結合能を有する細胞外ドメイン(28 kDa)が 切断され,可溶型(プロ)レニン受容体として細胞外へ 分泌される(5).残った膜貫通ドメインおよび細胞内ドメ インからなる断片(10 kDa)は,V-ATPaseのアクセサ リータンパク質M8‒9に相当すると考えられる.可溶型
(プロ)レニン受容体は,血漿中や尿中で検出されるが,
その生理作用は,いまだ明らかにはなっていない.
(プロ)レニン受容体とレニン・プロレニンとの結合 性
レニン,プロレニンはともに(プロ)レニン受容体に 結合し,それぞれが活性を有するために,プロレニン受
容体ではなく,(プロ)レニン受容体と名づけられてい る.プロレニンが可溶型(プロ)レニン受容体との結合 により非酵素的に活性化することは,ヒト臍帯静脈内皮 細胞(HUVEC)の培養培地中やバキュロウイルス発現 系(6)で調製した(プロ)レニン受容体を用いてタンパ ク質の相互作用を測定するBIAcoreによる表面プラ ズモン共鳴法およびレニン酵素活性を指標に明らかに された(7).また,BIAcoreでのkinetics測定の結果,ヒト レニンおよびプロレニンのヒト(プロ)レニン受容体に 対する結合速度定数( a値)は,それぞれ,2.16×107 と18×106 M−1s−1で あ り,解 離 定 数( d値) は,4.4 と1.2 nMであった(8).レニンやプロレニンはリガンド として(プロ)レニン受容体を刺激し,MAPキナーゼ経 路に代表される細胞内シグナルを惹起することが報告さ
れている(9〜11).また,既述したように当研究室では,
タンパク質の相互作用から(プロ)レニン受容体がプロ レニンを活性化する機構を解析し,2003年にプロセグ メントの中に,活性化に重要な領域が存在することを発 表し,「ハンドル領域」(活性化へと導く「取っ手」を意 味する)と命名した(12).
(プロ)レニン受容体ブロッカー
全長型(プロ)レニン受容体にレニンおよびプロレニ ンが結合することで,あたかもこれらが「ホルモン」の ように細胞内にリン酸化シグナルを伝達するようになる.
「ハンドル」領域を含むペプチドは,デコイ(decoy)
ペプチドと名づけられ,R10PIFLKRMPSI19Pの配列をも ち,プロセグメントの中央部に位置するデカペプチドで ある. の実験で可溶性(プロ)レニン受容体に,
このデコイペプチドを結合させると,レニン,プロレニ ンの結合性が消失した(13, 14).さらに,糖尿病ラットに,
このデコイペプチドを投与すると,腎障害の発症が抑制 された(15).
図2■(プロ)レニン受容体の相 同性
相同性の高い動物種の(プロ)レニ ン受容体の一次構造を,CLUSTAL 2.1 multiple sequence align ment で比較した.
レニン‒レニン阻害剤複合体の(プロ)レニン受容体 結合性
レニンおよびプロレニンと(プロ)レニン受容体の複 合体に対するアリスキレン(16) (Aliskiren : レニン阻害 剤)の d値は,それぞれ0.46,0.25 nMであり,単独の レニンに対する d値0.72 nMよりも低い値を示した.
また,レニン単独とレニン‒アリスキレン複合体の(プ ロ)レニン受容体に対する d値は,それぞれ4 nMと5
×104 nMであり,レニン阻害剤はレニンの(プロ)レニ ン受容体に対する親和性を著しく低下させることが示さ れた(17).
(プロ)レニン受容体研究の今後の展開:レニン・ア ンジオテンシン系とは独立した新規機能
現在,従来のレニン・アンジオテンシン系と独立した,
(プロ)レニン受容体の新規機能として以下の3つの項目 が挙げられる.
1. V-ATPase
V-ATPaseは,細胞内小器官のpHを酸性に維持する 機能を有している.(プロ)レニン受容体(ATP6AP2)
の膜貫通ドメインと細胞内ドメインから成るM8‒9断片 はV-ATPaseのアクセサリータンパク質であることが報 告されている(18).その機能については明らかになって いないが,Wnt/
β
-カテニン系シグナルには,(プロ)レ ニン受容体を介したV-ATPase依存性のpH変化が必 要(19)であり,複合的な相互作用の可能性がある.2. Wnt/
β
-カテニン系2010年Cruciatら(19)は,発生や腫瘍の病態進行にかか わるWnt/
β
-カテニン系のシグナル調節因子を発見する ために,大規模なRNAiスクリーニングを行い,新た に,Wnt受容体複合体の構成因子として(プロ)レニン 受容体を同定した.この研究によって,(プロ)レニン受 容体が,Wnt受容体複合体の構成因子の一つである LRP6と結合することがわかった.LRP6は,4つのドメ イン(E1, E2, E3, E4)で構成される(20, 21)が,(プロ)レ ニン受容体がどのドメインと相互作用するのかを明らか 図3■プロレニンとデコイペプチ ドプロレニンは,レニンの不活性型 前駆体であり,活性部位がプロセ グメントにて覆われるため活性が 発現しない.当研究室では,この プロセグメントの配列からプロレ ニンの活性化に重要な領域を特定 し,活性化を導く「取っ手領域」
を意味する「ハンドル領域」を提 案しデコイペプチドと名づけた.
このデコイペプチドを(プロ)レ ニン受容体に作用させると,レニ ンおよびプロレニンとの相互作用 が阻害される.
図4■レニン阻害剤と(プロ)レニン受容体
レニン阻害剤であるアリスキレンをレニンに作用させたのちに
(プロ)レニン受容体との相互作用を確認したところ,著しい低下 が見られた.
にできれば,Wnt/
β
-カテニンシグナル伝達を調節する 腫瘍治療薬の開発に新しい知見をもたらす可能性が期待 できる.3. 可溶型(プロ)レニン受容体
可溶型(プロ)レニン受容体は,レニン,プロレニン と結合能を有するが,血漿中で不活性型プロレニンと結 合し,レニン触媒機能を呈しているかどうか,現在のと ころ確認はなされていない.
おわりに
近年,確認されつつある(プロ)レニン受容体の新規 機能について解明が進めば,生命の発生からその後の生 体維持にまで,レニン・アンジオテンシン系が広くかか わっているという生命の根幹にかかわる重要な流れが明 らかとなる可能性がある.今後,ますます,この分野の 研究の進展が期待される.われわれは,タンパク質分子 相互作用の技法を活用して,(プロ)レニン受容体研究の パラダイムシフトに貢献したいと考えている.
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(プロ)レニン受容体(ATP6AP2)
が同定された当初は,その膜貫通 ドメインと細胞内ドメインに相当 する断片(M8‒9)がV-ATPaseの アクセサリータンパク質であると の 既 報 が あ っ た(左 図).近 年,
(プロ)レニン受容体とWnt受容体 複合体の構成因子の一つ(LRP6)
との相互作用が確認されており
(右図),今後,Wnt/β-カテニンシ グナル伝達を調節する腫瘍治療薬 の開発に新しい知見をもたらす可 能性が期待できる.
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プロフィル
山下 晋司(Shinji YAMASHITA)
<略歴>1987年岐阜大学農学部農芸化学 科卒業/1989年同大学大学院修士課程農 学研究科農芸化学専攻修了/同年サッポロ ビール株式会社入社/2010年技術士(生物 工学)取得/2013年岐阜大学大学院連合 農学研究科入学<研究テーマと抱負>(プ ロ)レニン受容体の多様性における生化学 的研究<趣味>絵画,工芸
中 川 寅(Tsutomu NAKAGAWA)
<略歴>1991年筑波大学第二学群農林学 類卒業/1993年同大学大学院修士課程医 科学研究科修了/同年日本学術振興会特別 研究員(DC1)/1995年筑波大学大学院博 士課程農学研究科中退/同年岐阜大学農学 部助手/1998年博士(農学,筑波大学)/
2004年 岐 阜 大 学 応 用 生 物 科 学 部 助 手/
2006年同大学助教授/2007年同大学准教 授(現職)/同年米国バンダービルト大学医 学部客員研究員(〜 2008年)<研究テー マと抱負>(プロ)レニン受容体を取り巻 く分子ネットワークの分子細胞生物学<趣 味>散策,ベランダ園芸
海老原章郎(Akio EBIHARA)
<略歴>1996年筑波大学第二学群生物学 類卒業/1998年同大学大学院博士課程農 学研究科修士課程修了/2002年同大学大 学院博士課程農学研究科博士課程修了,博 士(学術)/同年理化学研究所播磨研究所 連携研究員/2006年同研究所播磨研究所 放射光科学総合研究センターチームリー ダー/2008年岐阜大学応用生物科学部助 教/2011年同大学准教授(現職)<研究 テーマと抱負>血圧調節システムの酵素科 学.血圧調節酵素レニンの不思議を解明し て,グリーンケミストリーに貢献する新触 媒の設計につなげたい<趣味>散歩 鈴木 文昭(Fumiaki SUZUKI)
<略歴>1975年岐阜大学農学部農芸化学 科卒業/1977年京都大学大学院修士課程 農学研究科食品工学専攻修了/1978年筑 波大学大学院博士課程農学研究科応用生 物化学専攻中退/同年岐阜大学農学部助 手/1985年博士(農学,筑波大学)/1986
〜1989年ドイツ高血圧研究所博士研究員,
ドイツハイデルベルク大学医学部薬理学研 究室でフンボルトフェローとして研究に従 事/1988年岐阜大学農学部農芸化学科助 教授/1996年同大学遺伝子実験施設助教 授/1998年筑波大学客員研究員(〜 2009 年)/2000年岐阜大学農学部教授/2004年 同大学応用生物科学部教授/2010年同大 学応用生物科学部副学部長/2011年同大 学大学院連合農学研究科長/2013年同大 学・学長補佐,連合農学研究科長/2014 年同大学理事,副学長(国際・広報担当)
(現職)<研究テーマと抱負>レニン,ア ンギオテンシノーゲン,プロレニンおよび
(プロ)レニン受容体の研究を深め社会貢 献したい<趣味>テニス(プレー),ラグ ビー(観戦)