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盛唐詩壇における杜甫の位置(二)−「晩節漸於詩 律細」の詩句をめぐって−
著者 川北 泰彦
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 3
ページ 9‑16
発行年 1979‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/10105/10466
盛唐詩壇における杜甫の位置(二)
1 ﹁ 晩 節 漸 於 詩 律 細 ﹂ の 詩 句 を め ぐ っ て
﹂
ヒ ゴ
泰彦(1)標題の(一)の中で︑後世﹁詩聖﹂と称された杜甫であるにもか
かわらず︑現存する同時代のアンソロジー十種の中︑﹃又玄集﹄を
除いては杜甫の詩を一首も採録していないという事実から︑必ずし
も同時代においては後世程の評価が与えられていなかったのではな
いか︑或いはその他如何なる事情によるものかについて幾つかの間
題となる所を探ってきた︒
そのひとつには︑詩作態度において︑前代の詩人評価の点で多く
の盛唐詩人と異りを見せていることが︑当時の詩壇潮流に組み入れ
られにくかった面を持っていたこと︑更には盛唐から大暦にかけて
の詩人たち叱僅かではあるが時間的ずれがあったとも考えられたこ
と︒ その上︑大きな差異ともいえるものに︑同時代の流れが﹁五言詩﹂
就中﹁五言律詩﹂の完成へと傾斜している中で︑杜甫自身にあって
は﹁七言律詩﹂の完成へと傾斜を強めていたといえる点であった︒
以上︑謂わば外的要因といえるものに触れてきたが︑本稿では杜
甫自身における﹁近体詩﹂の完成の方向について﹁晩節漸於詩律細﹂
の詩句を手がかりに視点を当ててみたい︒
二
大暦二年(七六七)杜甫五十六歳の春︑﹁遣悶戯呈路十九曹長﹂
と題する七言律詩の中で︑﹁晩節漸く詩律に於いて細やかなり﹂と
詠っている︒
遣悶戯呈路十九曹長悶を遣らんとして路十九曹長に呈す
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○●○○○●●江浦雷聲喧昨夜○○●●90◎春城雨色動微寒000●○○●黄鶴蛇坐交愁湿●●○○●●◎白鷺鍛飛太劇乾●●●○○●●晩節漸於詩律細○○●●●○◎誰家数去酒盃寛○○●●○○●唯君最愛清狂客0●○○●●◎百遍相過意未閲 江浦の雷声昨夜に喧しく
春城の雨色微寒を動かす
黄鵬拉び坐して交々湿ふを愁へあわただ白鷺群れ飛びて太だ乾かすに劇し
晩節漸く詩律に於いて細やかなればやゆる誰が家にか数々酒盃を去りて寛うせん
唯だ君最も清狂の客を愛すればたけなは百遍相過ぎるも意未だ閲ならず
この詩の主意は﹁酒の無心﹂にある︒つまり︑昨夜来の雷と春先
のうすら寒さに滅入った作者は憂さ晴らしに酒でも飲みたくなった
が︑そのひとりとして土地のパトロンであろう路曹長に無心の詩を
贈っている︒﹁小生も晩年になって詩が細やかになった︒誰かの家
で杯を交わして寛ぎたい︒幸いに貴殿は清狂の客を愛されるし︑小
生も何度お訪ねしても(あなたは)飽きない方だ︒﹂と言ってい
る︒
主都長安から遠く隔った蔓州の土地では︑宮中での生活経験を持
ち詩もそれなりに作れる人物は︑宴席を盛り立てるのに必要な存在
であったし︑杜甫にとっても助かることであった︒
ところで︑問題になるのは︑この詩の申で﹁詩が作れる﹂ことを
売込みの武器としたことはいいとして︑敢て﹁晩節﹂﹁漸く﹂とい った修飾語を冠していることである︒
残存する杜詩一四五〇余首の大半が晩年の作であることから︑確
かに量のみならず質においても秀れた作品が多くなっているのであ
るが︑古来五言律詩の典型として引用されている﹁春望﹂の詩など
は︑むしろ初期の作品群に入るものである︒しかも︑﹁詩律﹂とい
っているからには︑近体詩における﹁押韻﹂﹁平灰﹂﹁粘法﹂﹁対
句﹂といった諸制約を指していると考えてよい︒しかし︑そうした
諸制約を踏まえている作品なら先の﹁春望﹂をはじめとしてコ房兵
曹胡馬﹂﹁夜宴左氏荘﹂﹁月夜﹂といった五言律詩︑﹁九日藍田崔
氏荘﹂といった七言律詩が早い時期に制作されている︒それにもか
かわらず︑なぜこの時期に敢えて﹁晩節﹂﹁漸﹂と言わねばならな
かったのであろうか︒
しかも︑その言葉に反して︑本詩の場合︑押韻・平灰・粘法・対
句について見た場合﹁七言律詩﹂として︼応の制約を踏えてはいる
ものの︑第一句が七言律詩では偶数句と同じ押韻がなされるのが一
般であるのに対して去声鷹韻の文字が使用されている︒つまり︑
﹁於詩律細﹂と自負する詩の申で︑むしろ破格ともいえる押韻をし
ているのである︒
同様に杜甫晩年詩の代表作とされる五言律詩﹁登岳陽楼﹂と﹁春
望﹂を比較してみた場合も︑﹁晩節漸於詩律細﹂といった表現に対
して理解に苦しむような現象が見られる︒
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春望●●○○●国破山河在○○●●◎城春草木深●○○●●感時花濃涙●●●○◎恨別鳥驚心○●○○●燦火連三月○○●●◎家書抵万金●○○●●白頭掻更短●●●○◎渾欲不勝箸
(乾元元・七五七) 登岳陽楼●○●○●昔聞洞庭水○●●○◎今上岳陽楼○●○○●呉楚東南垢○○●●◎乾坤日夜浮○○○●●親朋無一字●●●○◎老病有孤舟○●○○●戎馬関山北○○●●◎愚軒涕潤流
(大暦三・七六八)
﹁春望﹂は︑後世定められたことではあるが正格の灰起であり︑
平灰その他全て垂膏律詩の規格に合うのに対して︑﹁登岳陽楼﹂は平●○起である上に︑第一句の﹁洞﹂﹁庭﹂は破格になっている︒これに
ついて小川環樹氏は﹃唐詩概説﹄(中国詩人選集・別巻・岩波書店)
の申で﹁第一句第三字が破格で︑第三字の灰声は第四字の平声と入
れかわっていればよい︒しかし律詩において或る句の下三字が平灰
灰ー<<であるべき場合に︑灰平灰くー<とする例は大へん多い︒
正規ではないが許容されている形である︒﹂と述べているようにこ
れを以て失敗作とすることはできないものの︑﹁遺悶戯呈路十九曹
長﹂の詩同様に︑五言律詩の規格に外れるものであるし︑﹁於詩律 細﹂の発言の翌年の作であることを考えるならこの破格をやはり無
視することはできない︒つまり︑この二作の例から考えるなら︑﹁
晩節﹂﹁漸﹂﹁細﹂といった詩句を吐いた杜甫の真意がどこにあっ
たのか︑更めて考え直さざるを得ないことになる︒
果して︑このことに触れて明の王嗣爽は﹃杜臆﹄巻七で︑成都時
(2)代の作﹁江上値水如海勢聯短述﹂の中の詩句﹁老去詩篇渾漫興﹂(
老い去って詩篇全て漫興なり)(上元二・七六一)と比較して︑晩
年の杜甫の詩制作態度は﹁漫興﹂つまり﹁漫然﹂として余り細心の
ヘへ注意を払わないことの方が本音であって︑﹁於詩律細﹂というのは
ヘへ詩題に言うよりに戯れでしかない︑としてこの詩を評価しない︒ま
た清の仇兆贅も﹃杜少陵集詳註﹄巻十八で︑﹁老去詩篇渾漫與﹂と
﹁晩節漸於詩律細﹂とは矛盾するものであることを指摘し︑その中
に朱濡の﹃七律解意﹄での評語を裏付けとして引用している︒そこ
で朱禰も同様に﹁遣悶戯呈﹂詩の批判をしている︒曰く︑﹁江浦﹂
の二字は俗だ︒﹁喧昨夜﹂は更に俗だ︒そして﹁太劇乾﹂は晦渋だ
と決めつけている︒更に杜甫は若い頃から詩律に細やかであって︑
老いてからは横逸になっている︒従って﹁漫與﹂も﹁細﹂も皆少陵
の本色ではないという︒しかし︑朱潮の弁は杜甫の全ての詩そのも
のを批判するものではなく︑むしろその意味では﹁若い頃から詩律
に細やか﹂であったし︑優れた詩であることは認めていると読め
る︒ただ︑この﹁遣悶戯呈路十九曹長﹂に対しては大変厳しいこと 一
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一
は事実である︒
ところで︑これらの注釈書の批判であるが︑杜甫が若年の頃から
詩律に細心の注意を払ってきたことは否めないが︑成都時代(七六
〇〜七六五)の作と菱州時代(七六五・五〜七六七)の作には諸々
の意味において相違点がある︒そういう意味から︑両者の詩句を比
較することは簡単にはできない︒そのことは吉川幸次郎・目加田誠
・高本正一諸賢の杜甫に関する著書をはじめとして︑伊藤正文氏や(3)拙論の申でも明らかにされている︒
その第一は︑成都時代殊に﹁老去詩篇渾漫興﹂と詠った折の杜甫
は︑永い秦州・同谷の旅の末にやっと成都に落着き︑厳武の支えの
中に物質的幸福を感じていた時期であった︒従ってやや余裕ある発
言として読まねばならぬこと︒
第二点は︑にもかかわらず︑この成都時代の間に杜甫にとっての
精神的支柱であった玄宗・粛宗両皇帝の崩御︑李白・王維・高適と
いった詩友の逝去︑そして最も強力なパトロンであった厳武の逝去
ー1杜甫が成都を去った直接的要因でもあったーといったことが
ある︒このことは︑杜甫の官途への(杜甫流にいうところの政治に
参与し︑乱世を済うべき)道が全くといってよい程断たれたことを
意味している︒蜀の地(成都)を去るに当っての作﹁旅夜書懐﹂に
いう﹁名は壼に文章もて著れんや︑官は応に老病にして休むべし﹂
の詩句は︑まさにその頃の杜甫の心情を物語っている︒ これを境にして︑杜甫の詩作への態度は変化する︒象徴的なもの
として︑以後の詩句の中に﹁詩家﹂という語句が数例ではあるが見
えはじめる︒伊藤正文氏の指摘に始まって諸研究者の一テーマにも
なっている詩句である︒つまり︑官界への道を断たれた杜甫にとっ
て︑詩作の道をより強く歩くしかなくなったのが﹁晩年﹂の杜甫で
あったといえる︒我々はこれを﹁杜甫の詩家自覚﹂と呼んでいるが
肇州時代の作品群はこのことを抜きにしては考えられない︒
その他︑成都時代と菱州時代との相違は多々あるが︑一応この二
例にとどめておく︒
以上のこ点から考えてみた場合︑王嗣爽・仇兆蕉両氏が杜甫自身
の詩人としての生き方の大きな変化を無視していることから︑この
指摘にはかなり無理がある︒従って︑﹁晩節﹂﹁漸﹂のもつ意味を
やはりもう一度検討しなおす必要があるといえよう︒
杜甫がなぜ敢えて﹁晩節﹂﹁漸﹂といった修飾語を冠したのかを
考える場合︑一応次のようなことを検討してみる必要があろう︒
ω晩年に至って近体詩の制作量が増加しているのではないか︒
②近体詩の内容が質的に向上しているのではないか︒
③その他近体詩制作に当って︑新しい試みがなされているので
はないか︒
ヘヘヘへこの三点は﹁戯﹂を戯れとしてではなく︑本音として考えた場合
のものとして挙げてみた︒