杜甫の詩における「日本」
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(2) 杜甫の詩における﹁日本﹂. はじめに 杜甫には十五句からなる﹁戯題王事画山水国歌﹂︵¶杜詩詳注﹄. 巻九︶ があり、第七句に﹁日本L の語が見える。杜詩中に1日. 尤工遠勢古莫比 爬尺応須論万里 焉待井州快労刀 努取呉松半江水. 後. たくみいにしえ. すへから. 尤も遠勢に工なり古も比する美し. もっと. 焉んぞ井州の快勢刀を待て. いすく. 愕尺 応に須く万里を論ずべし. 努取せん呉松半江の水を. 五日画一石. 十日画一水. 王宰 始めて肯て真跡を留む. 能事 相い促迫するを受けず. 五日に一石を画く. 十日に一水を画き. ら同谷を経て成郡にたどり着いた乾元二年 ︵七五九︶ の翌年、. あるが、彗杜詩詳注﹄ などほとんどの注釈書では杜甫が秦州か. 五六︶ 以前に、洛陽と長安に滞在していた時の作とみなす説も. この詩は、﹃杜詩造次公先後解輯校﹄のように、天宝十五載︵七. 能事不受相促迫. 壮んなるかな 足掻 方壷の国. 本﹂という語が用いられるのはこの一篇のみである。. 王事始肯留真跡. 君が高堂の素壁に撞く. 巴陵洞庭日本東. 中ごろ雲気の飛竜に随う有り. 赤岸 水は銀河と通ず. 巴陵 洞庭 日本の東. 事画山水松石﹂ の条では杜甫の詩にも触れつつ、次のように許. れている人物である。また、宋・呉曾﹃能改斎漫録﹄巻七、﹁王. の山を画く、玲瀧たり鹿窪たり、峻嵯たり巧嶋たり。︶ と称さ. 多画萄山、玲瀧鹿賀、膿嵯巧嶋。﹂ ︵王事は、萄中の人、多く萄. 王事は、唐■張彦遠﹃歴代名画記﹄巻十に、﹁王事、局中人、. 乾元三年︵閏四月に上元と改元︶ の作とされている。. 桂君高堂之累壁. 壮哉昆器方壷図. 中有雲気随飛竜. している。. 杜子美戯題画山水図歌自注云、王事画丹青絶倫。其詩云、. 山木尽く亜ぐ洪痔の風に. 舟人 漁子 浦淑に入る ことことつ. 山木尽亜洪蕃風. 舟人漁子入浦観. 赤岸水与銀河連. 力.
(3) ⋮︰。余技、画断云、唐王事者家於西萄、貞元中、章皐以. るのかを詳細に理解することは困難である。. ともあれ、山水の図に描かれていたものは、﹁毘寄﹂﹁方壷﹂﹁巴. 地名が用いられていることが注意される。まずこれらについて. 木﹂﹁呉松﹂などであり、実在すると非実在であるとを問わず、. 陵L﹁洞庭﹂﹁日本﹂﹁赤岸﹂﹁銀河﹂﹁雲気﹂﹁舟人﹂﹁漁子﹂﹁山. う、王事の画は丹青 絶倫なりと。其の詩に云う、⋮⋮と。. 確認しておこう。﹁方壷﹂は瀞海の東の大海中にあると考えら. 杜子美の戯れに画ける山水の図に遷する歌の自注に云. 客礼待之。画山水樹石、出於象外。. 人五∼八〇五︶ 中、葦皐 客礼を以て之を待つ。山水 樹. 余技ずるに、画断に云う、唐の王宰は西筍に家し、貞元︵七. れていた島。﹃列子﹄港間篇に夏草の言葉として、次のように. 而無増無減焉。其中有五山焉。一日、岱輿。∴臼、貞幡。. 下無底。名目帰墟。八紘九野之水、天英之流、莫不注之、. 潮海之東、不知幾億万里、有大聖焉。実惟無底之谷。其. 見えている。. 石を画いて、象外に出づと。 杜甫は実際に王事の家で座敷の壁に掛けられていた彼の絵を ではこの詩の第七句と第八旬は、主宰の山水の図にどのよう. 眼にしたのである。 な風景が措かれていたことを百うのであろうか。また、﹁日本﹂. ≡日、方壷。四日、痕州。五日、蓬莱。. 社甫の詩の第八旬に東海の水が銀河と通じていると言うの. 五に日う、蓬栄。. 輿。二に日う、貞崎。三に日う、方壷。四に日う、藤川。. こと無く減ること無し。其の中に五山有り。一に日う、岱. 八紘九野の水、天漠の流れ、之に注がざるは莫きに、増す. れ底無きの谷なり。其の下 底無し。名づけて帰墟と日う。. 潮海の東、幾億万里なるかを知らず、大型有り。実に惟. は杜甫と李白の詩において、どのような姿で登場するのであろ うか。以下、これらの点について若干の考察を加えてみたい。. 王事の山水の図に措かれていた﹁見解・方壷﹂の風景は、第 七旬以降に描写される。ただし、明・唐元故﹃杜詩楯﹄巻二に、 王事山水国歌、巴陵洞庭日本東、赤岸水与銀河通。語本. 洞庭湖の東にあって湖水に臨んでいる。宋開玉﹃杜詩釈地﹄︵上. 符合する。﹁巴陵﹂は巴陵県 ︵湖南省岳陽市の西南︶ であり、. は、﹃列子﹄ に天漠の流れが大きな谷に注いでいるというのと. は銀河と通ずと。語は本より荒忽として解し難し。⋮⋮題. 海古籍出版社、二〇〇四︶が巴陵について、﹁山名。又称巴丘。. 王宰の山水図の歌に、巴陵 洞庭 日本の東、赤岸 水. 荒忽難解。⋮⋮題維山水並言、始終賛水耳。宰殆工画水着。. して山水を並び言うと維も、始終 水を賛うるのみ。宰は. 在今湖南岳陽市西南礪臨洞磨湖。﹂と述べるその地である。. 殆ど水を画くに工みなる者なり。 と言うように、山水の図、とりわけ水がどのように措かれてい.
(4) では﹁日本﹂ についてはどうか。﹃杜詩詳注﹄は ¶唐書・外. ︵1︶. 区。此地上距黄河源頭較近、所以杜詩云﹁赤岸水与銀河通﹂. 赤岸旧在今甘粛臨夏黄河南岸、劉家峡水庫建成後段入庫. 岸であると見なして、以下のように述べる。. 日本国者、倭国之別種也、以某日在国辺、故名日本。. 国伝﹄を引いて次のように言う。. 更準確。. ﹃杜詩釈地﹄は﹁赤岸﹂を長江とは関わりのない、黄河上流. 日本国は、倭国の別種なり、其の日 国辺に在るを以て、 故に日本と名づく。. の地名だと見なしているわけである。しかし、この説には無理. ているが、中で具体的な位置を示しているのは﹃南東州記﹄ で. があろう。﹃杜詩詳注﹄ は﹁赤岸﹂ について多くの出典を示し. この一文は、﹃旧唐音﹄ 巻百九十九上、東夷伝、日本の条に 見えている。但し、﹃杜詩詳注﹄ は節略して引いているので、. ︵2︶. 部の洞庭湖と巴陵を通り、さらに右側に措かれた制海湾中にあ. 画面の左側に毘常山が措かれ、そこから流れ出した水が中央. う可し。. するを見す、漁舟は避けて山木は揺らぐ、真に壮観と謂. あらわ. 勢は浩潮なり、銀漠 通じて雲竜起こるは、又風膏の激高. 東す、故に巴陵・日本は、水も亦西より東す。且つ其の水. 此れ図中の山水を記す。毘搭・方壷は、山は既に西より. 風涛激務、漁舟避而山木謡、真可謂壮観臭。. 本、水亦自西而東。且其水勢浩潮、銀漠通而雲竜起、又見. 此記国中山水。民宿・方童、山既自西而東、故巴陵・[□. に言っている。. さて、﹃杜詩詳注﹄ は、この部分の描写について以下のよう. 五里、江に赤岸山有り、南のかた江中に臨む。︶ と言う。. あり、﹁瓜歩山東五里、江有赤岸山、南臨江中。﹂ ︵瓜歩山の東. 念のために ﹃旧唐音﹄ の当該箇所を引いておこう。 日本国者、倭国之別種也、以其国在日辺、故以日本為名。 戎日、倭国自悪其名不雅、改為日本。戎云、日本旧小国、 併倭国之地。 日本国は、倭国の別種なり、其の国 日辺に在るを以て、 為すと。或いは云う、 みわ 、改めて日本と もとの雅ならざるを悪あ. 故に日本を以て名と為す。或いは日う、倭国 自ら其の名 にく. 他の注釈書でも、﹃九家集注杜詩﹄巻七のように、﹁海東有日 本国。﹂︵海東に日本国有り。︶と、簡単な注を付する例もあるが、. ﹁赤岸﹂ については﹃杜詩釈地﹄ に詳細な説明がある。﹃杜. ﹃旧唐書﹄ のこの部分を引くことが多い。 詩釈地﹄は ﹃杜詩詳注﹄ に引く﹃商売州記﹄などが江蘇省六合 ﹃北江詩話﹄巻五が引く¶水経注・河水二﹄に亭っ﹁大河又東、. になろう。それではこの部分は従来どのように解釈されてきた. る方壷島と日本島、さらに其の東まで流れている、ということ. 県の東南にある赤岸山とみなす説を否定した上で、清・洪亮吉. 言うところの、黄河に劉家峡ダムが建設されてから水没した赤. 径赤岸北。﹂ ︵大河又東し、赤岸の北を径たり。︶ という記事に. へ.
(5) のであろうか。. 巴陵の洞庭の水から日本東海の水、それに赤岸山あたり. 鈴木虎雄¶杜少陵詩集﹄ は、次のように言う。. 岡がなぜ﹁昆裔方壷の閲﹂と呼ばれていたのかは明らかではな. 乃先生初看此図、也只国中間不用実筆、但見摘幅大水、困. い。金型歎﹃杜詩解﹄巻二が、次のように指摘するのは正しい。. 乃ち先生初めて此の図を看るや、也只中間に実筆を用いざ. 於赤水之西、而直与銀河通、広遠如此、正根尾薔方重来、. 六合賦者同擬彙。中挙巴陵洞庭、而東榎於日本之東、西極. 蓋就国中遠景極言之、非寅両昆嵩方壷也。若果爾、則与作. 題云山水図、而詩換以艮缶方壷、方壷東梅、昆裔西極、. が引用しょう。. さらに注意されるのが﹃杜臆﹄巻四の指摘である。長くなる. 湖か日本かなどと推定したのに過ぎないと言うのである。. 実景を描いたものではないのだから、杜甫はこの辺りが洞庭. 是れ日本かと疑い、是れ赤岸かと疑うのみ。. −事た. るに因り、但だ満幅の大水を見て、因りて是れ洞庭かと疑い、. 疑是洞庭、疑是日本、疑是赤岸。. らとぶ竜について雲気のわきたつているところがある。. の水、それが銀河の水とあひ通じてかかれ、中央部にはそ また、李誼﹃杜甫草堂詩注﹄ ︵四川人民出版社、一九八二︶ は次のように説明する。. 巴陵三句、是同前両句着重写山相配合、這里措絵的是水。 画中水勢浩森、漫無辺際、而且還有=芸気流動、表現気塊根 大。仇兆繁云、﹁⋮・︰。︵︽杜詩詳注︾巻之九︶﹂巴陵・洞庭、. 是地名・湖名、均在湖南省境内。日本東、形容水勢根遠、 直到日本東面的大海。赤岸、迂指江・海之岸。⋮⋮ 巴陵の洞庭湖から水が広く流れて日本の東方の大海まで達し 韓成武・張志民﹃杜甫詩全訳﹄ ︵河北人民出版社、一九九七︶. ていると言うのである。. 人・撫子、浦徽・洪溝、又変出許多花草来、筆端之画、妙. 而後面収之以埋尺万里、尽之夷。中間雲・竜・風・木、舟. 巳入神実。鞍山梅大荒経、西海之外有赤水。注云、源出島. 従巴陵的洞庭到日本以東、赤岸的水与銀河相通、水天之. の﹁訳文﹂では以下のように述べる。 間的買気追随飛竜。大風勤吹洪涛起、船工和漁夫将船罪岸. 嵩。有赤水、則有赤岸莫。⋮⋮収語斬戟、妙極。状其遠、. を以てす、方壷は京極、毘尉は西極なり、蓋し国中の遠景. 題には山水の図と云う、而るに詩には扱うるに崖萬方壷. 戯題。. 則東西極於天際、呉松江亦不小、而爬尺中欲努其半、故云. 以回避、山中林木被風吹得梢僻地。 この解釈だと、日本のさらに東にまで赤岸の水が通っており、 そのあたりの水が銀河と通じて措かれているということになる 結局のところ、赤岸を実在の地名ととるか、川や海の岸の汎. に就きて之を極言す、真に農嵩方壷を画くに非ざるなり。. であろう。. 称ととるかにもよるが、これらの説明では王事の描いた山水の.
(6) Lか. 若し果たして爾らば、則ち六合の賦を作る者と同じく療な. の賦を見るに及んでは、又名よりも愚かなりと。. 如し、正に昆嵩方壷に根ざして来り、而るに後面は之を収. 赤水の西に極まり、直ちに銀河と通ず、広遠なること此の. 甫はこれを詩中で﹁毘薔方壷の図﹂と言い換えているが、これ. することになる。﹃杜臆﹄ は、杜甫が見た王事の山水図は、杜. る者﹂は、能力を越えた途方もないことを試みる愚か者を意味. ﹁六合﹂とは天地E方、天下のこと。つまり﹁六合の賦を作. むるに樫尺万里を以てし、之を尽くす。中間の雲・竜・風・. であることを言っているのであり、島裔方壷と言ったのは山水. は巴陵洞庭を中央に置いて、壮大な規模の風景を措いている図. り。中ごろ巴陵洞庭を挙げ、東は日本の東に極まり、西は. 木、舟人・漁子、浦淑・洪涛は、又変じて許多の花草を出. あまた. して来る、筆端の画、妙なること巳に神に入る。按ずるに. の図の壮大さを比喩的に誇張して述べたものである、というこ. 劉昼、字孔昭、劾海阜城人。=⋮・利一首賦、以六合為名、. ること自体が現実的ではないのだから。ただし、杜甫が﹁日本﹂. について、個々の風景を実在する地名にすべて比定しようとす. おこう。そもそも極端な省略と誇張によって措かれた山水の図. 王事の山水の図について詮索することはこの程度にとどめて. と述べているのと見解は近いものがあろう。. 水気勢的壮閥、却井没有説明這画上究寛画的是什磨。. 飛。・=⋮可見水勢巳到天地四海之外。以上都是誇張画中山. 洋。浩潮的洪波激蕩赤岸、上通銀河、風涛之中若有雲竜臍. 命直到東海的方丈、其水、似乎従巴陵的洞庭直到日本的東. 這様画出的真迩、果然不同凡晶。其山、似乎従西天的昆. ︻、1、. 山海大荒経に、西海の外に赤水有りと。注に云、つ、源は箆. 二〇〇二︶ が、. とになろう。その点では葛暁音﹃杜甫詩選評﹄︵上海古籍出版社、. あら. 所載して、妙極まれり。其の遠きを状わせば、則ち東西は. 寓より出ず。と。赤水有れば、則ち赤岸有り。⋮⋮。収語. の半ばを専らんと欲す、故に戯れに題すと云う。. き. 天際に極まる、呉赦江も亦小ならず、而して爬尺の中に其 ﹁巴陵洞庭﹂を中央に措き、東西の遠景に方壷と崖寄を配し た図であって、赤水の岸を赤岸と言っていると見なすのは比較 的に説得力のある説明であると考えられよう。なお﹁六合の賦 を作る者﹂とは、﹁北斉普﹄巻四十四、劉昼伝に見える次のよ. 自謂絶倫、吟諷不械。⋮⋮曾以此賦里親収、収謂人目、賦. うな話柄を踏まえて言う。. 名六合、其愚巳甚、及見其胱、又愚於名。 六合を以て名と為す、自ら絶倫と謂い、吟諷して接まず。. 一首の の賦 を制 し、 劉昼、字は孔昭は、潮海草城 人 。. おける東の極限を示す語として用いたことは確認できよう。. の、さらに東方にまで連なり注いでいるという、杜甫の認識に. と言ったのは、洞庭湖の辺りの水が、東の海中にある日本列島. 既に六合と名づくるは、其の愚かなること己に甚だし、其. ⋮⋮曾て此の賦を以て親収に呈す、収 入に謂いて日く、. や.
(7) 二. それでは杜甫は日本の位置について、その情報をいかにして 一1ニ. 得ていたのであろうか。その手がかりとして、唐詩において﹁日. 八︶. 万国朝天中 万国 朝天の中. 東隅道長長 束隅 道長も表し. ④劉長卿﹁同荏載華贈日本哨使﹂ ︵¶全唐詩﹄巻一五〇︶. 遥指来従初日外 遥かに指して来ること初日の外よりす. 本﹂の語がどのように現れているかを簡単に見てみよう。﹁日本﹂ が詩題と詩中に現れる詩を、銭起の詩まで﹃全唐詩﹄ の巻数順. 始知更有扶桑東 始めて知る更に有り扶桑の東. 需然徳沢関. 天作雲与雷. 自雉 越裳より来る. 東風 日本より至り. 需然として徳沢開く. おこ 天は雲と雷とを作し. ⑦李白﹁放後退恩不需﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻一人四︶. 征帆一片遼蓬壷 征帆一片 蓬壷を遮る. 日本晃卿辞帝都 日本の晃卿 帝都を辞し. ⑥李白﹁実見卿衡﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻一八四︶. 昂蔵出風塵 昂蔵として風塵を出づ. 身著日本袋 身には日本の袋を若け. ①李白﹁送王屋山人親方還王屋L ︵﹃全唐詩﹄巻l七五︶. に以下に列挙する。引用した旬は、日本に触れる部分である。. ①王維﹁送秘書晃監還日本国井序﹂︵﹃極玄集﹄巻上、﹃全唐詩﹄. おし、ん. ⋮・海東国日本為大。服聖人之訓、有君子之風。正朔本. 巻一二七︶. 乎夏時、衣裳同乎漢制。⋮・︰. =⋮・海東の国は日本を大なりと為す。聖人の訓に服し に同じ。⋮⋮. 東風日本至. て、君子の風有り。正朔は夏の時に本づき、衣裳は漠の制 積水不可極 積水は棲む可からず. 自雑越裳来. 上才生下国 上才. 是れ西郷なり. 下国に生ず. ⑧包倍﹁送日本国鴨賀傭兎巨卿東帰﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻二〇五︶. 安知槍海東 安くんぞ知らん槍海の東. 郷樹扶桑外 郷樹 扶桑の外 主人孤島中 主人 孤島の中. 縁に随って至り. ︵﹃全唐詩﹄巻二三七︶. ⑨銭起﹁送僧帰日本L. 夢の若く行く. 東海是西郷 東海. 西根承休瀞 西摂 休瀞を承け. 来途若夢行 来途. 上国随縁至 上国. ②蒐騨﹁送晃補閉帰日本国﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻一二九︶. 東隅返故林 東隅 故林に返る ③儲光義﹁洛中飴朝校書衡、朝即日本人也L ︵﹃全唐詩﹄巻三一.
(8) 去世法船軽 世を去って法船軽し. 浮天槍海遠 天に浮かんで愴海遠く. と言っている。確かに﹁日本﹂の語が詩題ではなく詩中に用い. 陵﹂の句に注して、﹁日本二字見祖国詩中、以李杜両人為最早。﹂. られる例としては李白が最も早いことは確かである。なお、劉. の語は杜甫の詩では以下のように、五例見える。. 長卿と王維の詩には﹁扶桑﹂ の語も用いられている。﹁扶桑﹂. ⑲銭起﹁童送陸侍御傍目本﹂ ︵¶全唐詩﹄巻二三七︶. 万里三韓国 万里 三韓の同. 天用莫如竜 天の用は竜に如くは莫し. 行人満目愁 行人 満目の愁い 護騨、王経と包借の詩は、天宝十二載 ︵七五三︶ の冬、晃衡. 有時繋扶桑 時有ってか扶桑に繋ぐ. 週首扶桑鋼柱標 首を過らす扶桑 鋼柱の標. ﹁白帝城最高楼﹂ ︵﹃杜詩詳注﹄巻一五︶. 扶桑西枝対断石 扶桑の西根 断石に対し 弱水東影随長流 弱水の東影 長流に随う. ﹁遣興二首︵其一︶﹂ ︵﹃杜詩詳注﹄巻七︶. ︵阿倍仲麻呂︶ が遣唐便藤原晴河らとともに帰国する際に贈っ たものであり、儲光義の詩はこれらより早く、晃衡が司経局校 苦であった時に洛陽から寄せたものである。他靡と儲光義の詩 においては﹁東隅﹂の語が共通して用いられている。劉長卿の あったが、詩は ﹃呉興備志﹄巻十四に載せる﹁消暑楼﹂ の ﹁捲. 詩題に見える荏載華は字は茂美。劉長卿や戴叔偏らと交流が. 冥英気頑未全鏑 冥冥たる筑綬 未だ全く錦えず. ﹁諸将五首︵其四︶﹂ ︵﹃杜詩詳注﹄巻一六︶. 簾対斜橋﹂︵廉を捲きて斜橋に対す︶という断篇しか伝わらない。. 到今有遺恨 今に到るも遺恨有るは. また、李白には三例あることが目につく。李白は翰林供奉と して長安にいた天宝元年 ︵七四四︶ から天宝三載の間に晃衡と. 不得窮扶桑 扶桑を窮むるを得ざりしことなり. 洪涛隠笑語 洪涛 笑語を隠し. ﹁壮遊﹂ ︵﹃杜詩詳注﹄巻一六︶. 知ったのであろう。天宝十三載︵七五六︶ の作とされる﹁送王. 鼓楷蓬莱池 鞭を鼓す蓬莱の池. 屋山人親方還玉屋﹂ の ﹁日本菜﹂ の語には、﹁裳則朝脚所贈、 日本布為之。﹂︵蓑は則ち朝卿の贈る所、日本布もて之を為る。︶. 岸蒐扶桑日 置蒐たる扶桑の日. ︵5︶. と毘衡の共通の友人だったことになる。また乾元元年︵七五人︶. という自注がある。これが確かなことだとすれば、親方は李白. 照耀珊瑚枝 照輝す珊瑚の枝. これらの詩において﹁扶桑﹂は東海中、あるいは南海中の、. ﹁幽人﹂ ︵F杜詩詳注﹄巻二三︶. の作とされる﹁放後退恩不落﹂詩では、東方の日本や南方の越 う。蘇仲翔﹃李杜詩選﹄ ︵古典文学出版社、一九五七︶ は、﹁巴. 某氏のような僻遠の国も唐王朝の恩沢を蒙っていることを言.
(9) 詠じられており、﹁日本﹂を限定して指すものではない。唐代. 大きな桑の樹があるとされる仙境、もしくは日が昇る所として. 李白が杜甫と出逢ったのは、李白が長安から追放された天宝三. 甫は文献からだけではなく、李白からも得たのではなかったか。. はそれを日本であると認めたことになる。そのような知識を杜. なかったであろうから、東方海中の島惧の姿を見ただけで、彼. 1−. の詩人たちにとって﹁日本﹂が﹁扶桑﹂ のさらに東に位市する. 載 ︵七四四︶ とされているし、二人が魯郡の東石門で別れたの. ト. ∼八三五︶ に自居易と交流のあった徐疑の﹁送日本便還﹂ ︵﹃全. という知識が一般的なものであったことは、大和年間︵八二七. の語と﹁赤岸﹂の語の出典として郭瑛﹁江賦﹂︵﹃文選﹄巻一二︶. さて、再び杜甫の詩にもどろう。﹃杜詩詳注﹄は﹁巴陵洞庭﹂. おわりに. 題に上ったことは容易に想像できる。. は、翌年の秋のことであったから、二人の交流の中で日本が話. 絶国将無外 絶国 粋た外無からんや. 唐詩﹄巻四七四︶の冒頭に、次の旬があることから推定できる。 扶桑更有東 扶桑 更に東有り ︵8−. このほか﹁日東﹂が日本を指すこともある。﹁日東﹂が詩題 許粟﹁送金吾侍御奉便日東﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻六〇四︶、林寛﹁送. いる。簡単な対照を試みれば、以下のようになる。いずれも上. を引いているのみだが、﹁漁子﹂ の語も郭瑛﹁江賦L に見えて. に見える詩には、質島﹁送籍山人帰日東﹂ ︵﹃長江集L巻七︶、. 入帰日東﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻六〇六︶、郡谷﹁贈日東璧禅師﹂ ︵﹃全 ■りニ. いて舟人漁子、南に独き東を桓む︶. ﹁舟入漁千人浦淑﹂1﹁於是舟人漁子、祖南極東﹂ ︵是に於. も見えている。. また、﹁舟人漁子﹂ の語は木華﹁海朕﹂ ︵J文選﹄巻一二︶ に. いて直人漁子は、江山に揖宿す︶. ﹁舟人滑子入浦淑﹂1﹁於是直人漁子、揺落江山﹂ ︵是に於. 涛を赤岸に鼓し、余波を柴桑に縮む︶. ﹁赤岸水与銀河通﹂1﹁鼓洪涛於赤岸、倫余波乎柴桑﹂ ︵洪. 山の洞庭、巴陵の地道有り︶. 段が杜詩の旬、下段が﹁江購﹂の句である。 ここ ﹁巴陵洞庭日本東﹂1﹁蒙有包山洞庭、巴陵地道﹂ ︵変に包. 唐詩﹄巻六七五︶などがある。ここでは沈額﹁送金文学遠目東﹂ ︵﹃全唐詩﹄ 巻二〇二︶ の冒頭の四旬を引いておこう 君去因秋風 君の去るは秋風に因る. 君家東海東 君は家す東海の東 捜漫指郷路 漫漫として郷路を指せば 悠悠帥夢中 悠悠として夢中の如し ここまでに引いた詩のほとんどは描写に多少の差はあって も、すべて日本が中国とは万里の波涛を隔てた東海に、あるい る。晃衡と交遊のあった李白らは、日本の位置について、さら. は東海のさらに東にあるという描写を有している点で共通す に正確な認識を持っていたであろう。杜甫が﹁日本の東﹂と詠 じた時、王事の ﹁足寄方壷の図﹂ には画中に地名は記されてい.
(10) つまり、杜甫のこの詩は、王事の絵画に触発されて詠じられ. 歩山掲文﹂ ︵﹃全末文﹄巻四七︶ があり、﹁瓜歩山者、亦江中. 赤岸、南臨江中。﹂となっていて異同がある。なお飽照に﹁瓜. 抄小山也。﹂ ︵瓜歩山は、亦江中の抄たる小山なり。︶ と述べ. たものだが、描写の背景には李白が晃衝から得た日本の知識と、 郭瑛﹁江賦﹂、木筆﹁海賊﹂とが存在したのではないかと推測. ている。. 西極東以状態其遠景、非其画此山也。下文日本・銀河亦即. ︵3︶ ﹃杜詩詳注﹄ が ﹃杜臆﹄ のこの部分を﹁箆嵩方壷、挙極. される。ちなみに先に引いた﹃杜詩釈地﹄は﹁日本﹂の項に、﹃旧 唐書・日本伝﹄を引いたあとに、﹁唐代中・[H之間的交流十分 頻繁、先後十多次派遣遣唐便来中国学習。﹂と述べて杜甫のこ. 此意。﹂ ︵足寄方壷は、極西と極東を挙げて以て其の遠景を. 状す、真に此の山を画くに非ざるなり。下文の日本・銀河. あらわ. も亦即ち此の意。︶と、節略して引用しているのも、﹃杜臆﹄. 当時としてはやむをえないことではあっただろうが、六朝期. の詩を引用している。. における日本に対する認識はごく限られたものであった。例え. こともある。早い例は本文に引いた江掩﹁遂古篇﹂であろう。. 巻二七、﹃全唐詩﹄巻二〇九、﹃全唐文﹄巻三九五︶ に、﹁頃 このごろ 東倭之人、除海来賓、挙某国俗願師於夫子。﹂︵頃東倭の人、. また唐代では、劉太寅﹁送帯穎士赴東府序﹂ ︵¶唐詩紀事﹄. の留学が頻繁になったこともあって、日本に関する認識は格段. とを願う。︶とあるほか、周朴﹁福州神光寺塔﹂ ︵﹃全唐詩﹄. 海を絶えて来賓し、其の国の俗を挙げて夫子を師とせんこ. ︵10︶. ︵4︶ ﹁日本﹂ のほかに詩文に於いて日本を﹁倭国﹂と称する. の指摘に安当性を認めたからであろう。. 身今。﹂ ︵東南の倭国は、皆な文身す。︶ という記述が見える。. ば江掩﹁遂古篇﹂ ︵﹃江文通集﹄巻五︶ には、﹁東南倭国、皆文 これは ﹃晋書﹄巻九七、四夷伝、倭人の条の、﹁男子無大小、 ことごと 悉海面文身。L ︵男子は大小と無く、悉く掠面文身す。︶ とい う記事と酷似する。唐代に入ってからは、遣唐便の派遣や僧侶 に深化した。わずかな例しか見られないが、李白と杜甫の詩に. まき. ︵5︶李備に1送親方之京﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻一三四︶ がある。貌. ずれも杜甫以後のものである。. 山匠は雲林を製す︶ と言う。しかし用例は少なく、詩はい. 六二二︶に、﹁倭僧留海紙、山匠製雲林﹂︵倭僧は海紙を留め、. 亀蒙﹁襲実見題郊居十首因次韻酬之伸栄謝﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻. 旋り流る倭国の野、天文 方に戴く福州の城︶ と言い、陸. めぐ. 巻六七三︶ に、﹁海水旋流倭国野、天文方戴福州城﹂ ︵海水. 見える﹁日本﹂は、そのような交流を反映していると言えるだ ろ、つ。 注. 一般名詞と見なしている。. ︵1︶﹃杜甫詩全訳﹄は、﹁赤岸、淀指土石呈赤色的屋岸。﹂と、. によった。﹃太平裏手記﹄ 巻一二三では、﹁瓜歩山五里、有. ︵2︶ ﹃商売州記﹄ の引用は ﹃太平御覧﹄巻四三、赤岸山の条.
(11) 万は祝辞のこと。万は親顕の始名。﹁李翰林集序﹂︵﹃全唐文﹄ 巻三七三︶ があることで知られる。 ︵6︶ ﹃十洲記﹄ ︵¶芸文類緊﹄巻八八︶ に、﹁扶桑在碧海中。上. 有天帝宮、東王所治。有植樹長数千丈、二千開、同根更相 依俺、故日扶桑。﹂ ︵扶桑は碧海の中に在り。上に天帝の官 有り、東王の治むる所なり。構樹の長さ数千丈、二千囲な. 日う。︶ とある。. るもの有り、根を同じうして更に相い依侍す、故に扶桑と ︵7︶﹃惟南子﹄天文訓に、﹁日出干場谷、浴干成池、払子扶桑、. 是謂展明。豊子扶桑、宴始将行、是謂兢明。﹂ ︵目は暢谷よ り出で、成他に浴し、扶桑を払う、是れを長明と謂う。扶. う。︶ とある。. 桑より登り、衰に始めて将に行かんとす、是れを肥明と謂. ︵8︶ 1全唐詩﹄巻五七三は﹁東﹂を﹁本﹂に作り、﹁一作東。﹂. と言う。 ︵9︶沈頒の生没年は不詳。¶全唐詩﹄ の題下注に、﹁垂錫尉詩. らば、天宝 ︵七四二∼七五六︶ 中の人であろう。. 六首。﹂とあるのみである。﹃全唐詩﹄ の配列から考えるな ︵10︶ ¶三国志・魂志﹄巻三十、東夷伝、倭人の条の、﹁男子無 大小、皆顆面文身。﹂︵男子は大小と無く、皆な顆面文身す。︶. ︵俗骨な文身す。︶ と言う。. と言い、﹃梁蓄h巻五七、諸夷伝、倭の条にも﹁俗皆文身。﹂. 10.
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