杜甫の食事詩
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(2) はじめに 杜甫は広徳二年︵七六四︶の春に成都の草堂に戻り、彭州導江県︵四川省 都江堰市の東南︶に寓居していた王契に﹁贈王二十四侍御契四十韻﹂ ︵﹃杜詩. 偶然 蔗芋存す. 詳注﹄巻一三。以下﹃詳注﹄と略す︶を贈り、次のように述べた。 偶然存蔗芋. 此の 辰を怪しむ. ߣ߈. 麤 飯 他日に依り. 幸各対松筠 幸いに各おの松筠に対す 麤飯依他日 窮愁怪此辰 窮愁. 素な食事を摂ることができる。しかし、春の農繁期にきちんと計画を立て、. 農事にいそしまなければ食に苦しむことになる。はかない人生とはいえ、食. 物を軽んじては生きてゆけないのだ、というのである。. また、 州︵四川省奉節県︶滞在中の﹁秋、行官張望、督促東渚耗稲、向. 畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段往問﹂︵﹃詳注﹄巻一九︶では、﹁穀は命の. 本なり、客居 安くんぞ忘る可けん﹂と述べて、穀物は生命を維持する基本. なのだから、旅の身であるからといって忘れることはできないとも言ってい る。. 杜甫は紀行の詩で、あるいは宴席の詩でしばしば食事や食物に言及してい. る。食事や食物を詩に詠ずることもまた杜詩の特色ではないだろうか。では. 杜甫はどのような食生活を送り、どのような物を食べていたのだろうか。以. 下、この点に着目し、杜甫の足跡を追いながら述べてみたい。ただし、酒や. 茶が単独で表れる場合は除外し、杜詩の引用、及び制作時期については原則. 成都到着 まで. として﹃詳注﹄に従うことにする。. 一. 杜詩において最初に食物が登場するのは開元二十四年︵七三六︶の作とさ. 杜酒. ߭ߣ߃. れる﹁題張氏隠居二首﹂ ︿其 二 ﹀ ︵﹃詳注﹄巻一︶である。 杜酒偏労勧. 張 梨 外 に 求 めず. 偏 に勧むるを労す 張梨不外求. 州︵山東省. 州市 ︶の. ﹁張梨﹂については諸注ともに潘岳﹁閑居賦﹂ ︵﹃文選﹄巻一六︶に見える. 㧝. 大谷の梨﹂を 踏まえた語であ るとする。. 枕簟入林僻. 枕簟. 林の僻なるに入り. る。この詩には巳上人から﹁茶瓜﹂、茶とうりが供されたことを言う。. ﹁巳上人茅斎﹂ ︵﹃詳注﹄巻一︶は開元二十九年︵七四一︶前後の作とされ. 張氏の宅で供された、酒の肴となる美味な梨である。. ﹁張公. 農月. 敢えて勤むるを忘れんや. ⋮⋮. 農月須知課. 田家. 食を去り難し. ⋮⋮. 田家敢忘勤. 浮生. 清晨を惜しむ. 須 く課を知 るべし. 浮生難去食. 良会. ߔ ߴ ߆ࠄ. 良会惜清晨. 草堂の周囲にはたまたま、さとうきびや芋が植えてあるので、なんとか質.
(3) 茶瓜留客遅. ߐ. ߆. 茶瓜. 客を留むること遅し. 渓詩話﹄巻六に指摘があるとおり、﹃南斉書﹄巻四十、竟陵文宣王. ﹁茶菓﹂は﹃全唐詩﹄に三例見えるが、﹁茶瓜﹂は杜詩にしか見えない。 黄 徹﹃ 子良伝の 、 ﹁夏月 客至れば、為に瓜飲及び甘菓を設け、之を文教に著す。 ﹂ という一文を踏まえたものである。 ﹁瓜飲﹂は、うりのジュース。 天宝元年︵七四二︶ 、洛陽での作とされる﹁李監宅二首﹂ ︿其 一﹀ ︵﹃詳注﹄. 且つ食らう双鯉魚. 巻一︶には鯉が登場する。 且食双鯉魚 誰か看ん異味の重なるを. を謂うなり。﹂と具体的に言っているが、さまざまな山海の珍. ﹁珍は八物を用う。 ﹂と見え、注に、 ﹁珍は淳熬・淳母・炮豚・炮 ・擣珍・ 漬熬・肝・ 味と解してよい。. 天宝十二載︵七五三︶の夏、杜甫はᔤ 虔とともに長安の南、少陵原の西南. ︵﹃詳 にある何将軍の園林に招かれた。五律﹁陪ᔤ 広文、遊何将軍山林十首﹂. 鮮鯽. ߥ ߹ߔ. 銀糸の 膾. ︿其二﹀. 注﹄巻二︶には、宴席で供された料理の描写が二個所に見られる。 鮮鯽銀糸膾. ߟ߽ ߩ. 香芹碧澗羹 香芹 碧澗の 羹. 銀色の糸のような、捕れたばかりのふなのなます︵酢の物︶と、鮮やかな. 緑色をした、香り高いせりのスープである。膾については篠田統﹃中国食物. 誰看異味重 この句は﹁飲馬長城窟行﹂︵﹃文選﹄巻二七︶の句、 ﹁ 客 遠 方 よ り 来り 、 我. 史の研究﹄︵八坂書房、一九七八︶の﹁古代シナの割烹﹂のうち﹁画像石の. ߅ߊ. ߆. に 双鯉魚を 遺 る﹂を踏まえて言 う。李監︵李令問︶については﹃旧唐書﹄ ߿ߒߥ. 人々﹂の項が参考になる。. ߺߕ߆. 樹寒雲色 茵. ߆ࠎ ߫. 春藕 香 し. ︿其七﹀. 巻 六 十 七 の 本 伝 に 、﹁ 自 ら 奉 う に 厚 く、 食 饌は 豊侈 に し て 、広 く芻 豢を 畜. い 、 躬 ら宰 殺に 臨 む 。﹂と 記 さ れるよ う に 、食 通と して 知られて いた。従. 茵 春藕香. 寒雲の 色. に諷意を含む。⋮⋮. 脆は生菜の美を添え. 樹. って 、 ﹃詳注﹄に引く﹃杜臆﹄に、 ﹁起語と五六とは 、. 脆添生菜美. 陰は食単の涼を益す. ߹ ߒ. 蓋し倹樸の意を以て、其の奢華を 箴 むるのみ。 ﹂という指摘があるとおり、. 陰益食単涼. ﹂は、蘩︵しろよもぎ︶の一種。かわらよもぎ、ねずみよもぎとも. ߹. 李監の贅沢な食生活に対する諷刺も含まれていよう。. ﹁茵. 言うらしい。この語を詩中に用いたのは杜甫が最初である。﹁春藕﹂は春に. ﹁麗人行﹂ ︵﹃詳注﹄巻二︶は天宝十二載︵七五三︶の春に書かれた。楊氏 一族が曲江のほとりで遊宴するさまを描写しており、第十三句からは宮廷の. 採れたはす。これを細く刻んだちしゃやせり、にらなどの﹁生菜﹂とともに. 食べるのである。杜詩に﹁生菜﹂は二例見えており、七律﹁立春﹂ ︵﹃詳注﹄. 厨房から宴席に運ばれた珍貴な料理の数々に言及する。 紫駝 の峰. 翠釜より出 で. 紫駝之峰出翠釜. 巻一八︶の例については後に触れる。. ߿. 水精の盤に素鱗を行る. 飯抄雲子白. 瓜は水精の 寒 きを嚙む. 飯は雲子の白きを抄い. 天宝十三載︵七五四︶に⫽ 県︵陝西省戸県︶の渼陂で開かれたこの時の遊. ߟ ߚ. 瓜嚙水精寒. ߔߊ. 晶のようにひんやりとした瓜が登場する。. 㧞. ︵﹃詳注﹄巻三︶には雲母のように白い飯と水 ﹁与⫽ 県源大少府、宴渼陂﹂. 水精之盤行素鱗 犀. 厭飫して久し く未だ下さず. 厭飫久未下. 犀. 縷切して空しく紛綸たり 黄門 鞚を飛ばして塵を動かさず. 鸞刀縷切空紛綸 鸞刀 黄門飛鞚不動塵. 御厨. ﹁紫駝峰﹂は紫色をした駱駝のこぶ。但し、この語は宋詩には見られるが、. ︵﹃全 宴には岑参︵七一六∼七七〇︶も参加していて、 ﹁与⫽ 県源少府泛渼陂﹂. 絡繹として八珍を送る. 御厨絡繹送八珍. 杜甫以前の詩には見られないようである。 ﹁八珍﹂は﹃周礼﹄巻四、膳夫に、.
(4) 悲管逐清瑟. 客に勧む駝蹄の羹. 悲管. 清瑟を逐う. 勧客駝蹄羹. 霜橙. 唐詩﹄巻二〇〇︶を残しているが、酒は登場しても食物は見えない。 ﹁病後過王倚飲、贈歌﹂ ︵﹃詳注﹄巻三︶は、天宝十三載の秋の三個月間、 霜橙圧香橘. ﹃杜少陵詩集﹄は﹁らくだの蹄の肉を煮たあつもの。﹂と解していてこれに. もはるかに甘みを増しただいだいを勧めるのである。﹁駝蹄羮﹂を鈴木虎雄. る玄宗が、大臣たちにラクダのひづめのスープと霜を経て普通のミカンより. 驪山︵長安の西。陝西省臨潼県の東南︶の温泉宮に避寒のため滞在してい. 香橘を圧す. ﹁瘧癘﹂︵おこり。マラリア︶に罹って病床に伏した杜甫がようやく恢復し てきたときに、王倚を訪ねて歓待されたことを詠ずる詩である。 我が未だ平復せざるを哀れみ ߟߣ. 我が為に 力 め て美 肴の膳 を 致す. 惟生哀我未平復 惟れ生 為我力致美肴膳 らしめ. ߅ ߉ߩ. 人をして市に向かって香粳を. 従ったが、ダチョウの足の肉かもしれない。 ﹃補注杜詩﹄巻二には、 ﹁蘇曰﹂. 香粳. 遣人向市 婦を喚び房を出で親しく自ら饌せしむ. ࠃ. 喚婦出房親自饌. として、﹁陳思王. ߤ. ߘ. 㧠. 号して七宝羮と為す。﹂という一文が引かれる。し. 蹄 の 羮 を 製 し 、 一 甌に 千 金 を 費 す 。 自 ら 陳琳 ・ 劉 公幹. 長安の冬⠦ は酸にして且つ緑に. の 輩 に勧む るに 、食後. ߣ߁ ߘ. 長安冬⠦ 酸且緑 金城の土酥は浄らかにして 練 の如し. ߨ ࠅ ߉ߧ. 金城土酥浄如練. か し この 一文 は何 に基 づ くも のか 確か めら れな い 。 杜甫 以前 の 詩には 見ら. ߣߣ ߩ. れない語である。. 兼求畜豪且割鮮 兼ねて畜豪を求めて且つ鮮を割き ߆. 密かに斗酒を沽いて終宴を 諧 う. ﹁白水崔少府十九翁高斎三十韻﹂ ︵﹃詳注﹄巻四︶は﹁自京赴奉先県詠懐五. 密沽斗酒諧終宴. ﹁香粳﹂は赤米の玄米。古川末喜﹃杜甫農業詩研究﹄︵知泉書館、二〇〇. 百字﹂を書いた翌年の五月、奉先から家族を連れて白水県︵奉先県の北︶に. ߆ߒ. 八︶ ﹁第二章杜甫の稲作経営の詩﹂に詳しい考察がある。 ﹁冬⠦ ﹂は﹁冬 ﹂. ߩ. いたおじの崔頊のもとに立ち寄ったときに書かれ、﹁我が為に彫胡を炊ぎ、. これは 蘿蔔︵蘿. を炊ぎ、露葵の羹を烹る﹂と見え、司馬相如﹁子虚賦﹂ ︵﹃文選﹄巻七︶に、. こもの実。早くには宋玉﹁諷賦﹂︵﹃古文苑﹄巻二︶に、﹁臣の為に雕胡の米. 良覿を展ぶ﹂という句がある。﹁彫胡﹂は雕胡米、菰米とも言う。ま. ・黄鶴﹃補注杜詩﹄巻四に﹁蘇注﹂を引いて、 ﹁土酥は、即ち今の蘆 なり。. 雲夢の沢に生える植物を列挙した中にも﹁彫胡﹂が見えている。杜詩におい. 逍遙. ﹂は塩漬けの野菜。 ﹁土酥﹂について﹃詳注﹄は趙次公の注と﹃草. と同じ。 ﹁ 㧟. 其の蘭皐・金城に種えしもの尤も佳し。﹂と言う。金城︵陝西省興平市の西︶. て﹁彫胡﹂はこのほかに二例が見えており、後に取り上げる。この詩につい. 堂詩 箋 ﹄を 引 いて 、地 元で 産し た 乳製 品の こと だと 解 して いる 。しか し、. は京兆府に属した。また、元・王禎﹃王氏農書﹄巻八、蘿蔔の項には、﹁蘿. て前掲﹃杜甫農業詩研究﹄ ﹁第三章. などとも︶、だいこんのことではあるまいか。黄希. 蔔は一種にして四名あり。春には破地錐と曰い、夏には夏生と曰い、秋には. の強い赤米がよく栽培され、好んで食べられていた。また精米すれば白くな. 、蘆. 蘿蔔と曰い、冬には土酥と曰う。﹂と言っている。杜甫は冬に穫れた白いだ. るという菰の実︵ワイルドライス︶のご飯も、しばしば唐人の食卓に上る。. いわゆる彫胡︵雕胡︶米である。 ﹂と指摘している。最高級の米ではないが、. 杜甫の稲作経営の詩﹂は、 ﹁唐代は香り. いこんを繊切りにし、なますにして食したのであろう。 天宝十四載︵七五五︶十月、右衛率府胄曹参軍に任じられた杜甫は、十一. 米の代わりになるものとして、崔頊が用意してくれた彫胡は、杜甫一家には. 至徳二載︵七五七︶の春、反乱軍占領下の長安にいた杜甫は、三月、長雨. 㧡. 月、長安から家族のいる奉先県︵陝西省蒲城県︶に向かった。その際に書か. 貂鼠の裘. たいそうな御馳走だったのである。 煖客. れた﹁自京赴奉先県詠懐五百字﹂ ︵﹃詳注﹄巻四︶には次のように言う。 煖客貂鼠裘.
(5) の続く中、友人の蘇端を訪ねて酒食の供応を受けた。. 飯煮青泥坊底芹 飯には煮る青泥 坊底の芹. 白鴉谷は藍田県東南の山中の谷、青泥坊は藍田県の南の地。そこで穫れた. 蘇侯には数しば過ぎるを得たり. 栗と芹の炊き込みご飯を振る舞われたのである。﹁陪ᔤ 広文、遊何将軍山林. ࠃ. 蘇侯得数過 歓喜す毎に傾倒するを. ߟߨ. 歓喜毎傾倒. 十首﹂︿其二﹀にも﹁香芹﹂が見えたように、芹はときおり杜甫の詩に登場. ߹. 也た復た可憐の人なり. する。 ﹁赤 甲 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻一八︶には、 ﹁炙背. 㧢. 郷姜 七少府 設 鱠、戯贈長 歌 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻六︶は乾元元年︵七五九︶の. 野人知る﹂と、䡉 州の赤甲山麓で採れる芹のうまさを言っている。. 由来. ߘߥ. 也復可憐人 児を呼んで梨棗を具えしむ. 蘇端だけは何回訪ねても嫌な顔をせずに杜甫をもてなしてくれた。この日 ﹁. 以て天子に献ず可し、美芹. 呼児具梨棗. も濁り酒ばかりでなく、なしとなつめも出してくれたのである。杜甫は上元. 鱠を設くるは厳冬に当たる. 冬の作である。 姜侯. 二年︵七六一︶の作である﹁百憂集行﹂ ︵﹃詳注﹄巻一〇︶においても十五歳. 姜侯設鱠当厳冬. 今日. べさせたのである。若いころの記憶が杜甫の脳裏に蘇ったことあろう。また、. 人受魚鮫人手. ⋮⋮. 魚を洗い刀を磨けば魚眼紅なり. 人 魚を受く鮫人の手. ⋮⋮. 樹に上ること能く千迴﹂. 昨日. 王建﹁原上新居十三首﹂ ︿其五﹀ ︵﹃全唐詩﹄巻二九九︶には、 ﹁ 春来って梨棗. 洗魚磨 刀 魚眼紅. 声無く細かに下りて砕雪飛ぶ. 八月 梨棗熟し、一日. のころを回顧して、 ﹁庭前. 昨日今日 皆天風. 尽き、啼哭して小児飢う﹂とあるから、﹁梨棗﹂は冬の間の一種の救荒植物. 無声細下飛砕雪. 骨有るは已に㧢 み觜は春葱. 皆な天風ふ く. と言っている。蘇端は秋に実ったなしとなつめを保存しておいて、杜甫に食. としての役割もあったに違いない。. 有骨已㧢 觜春葱. 碪に落つる何 ぞ曾て白紙 湿 わ ん. ߈ߑ. 至徳二載︵七五七︶四月、杜甫は長安から脱出して鳳翔︵陝西省鳳翔県︶. 落碪何曾白紙湿. ߭ߣ߃. ߿ࠊ. ࠃ. を 放 にするも未だ覚えず金盤の空しきを. ߁ࠆ ߅. の行在所に達し、そこで左拾遺を授けられた。同年閏八月、帰省を命じられ. 放. 偏 に腹腴を勧められて年少に愧ず. ߶ ߒ ߹ ߹. た彼は家族を預けてあった鄜州︵陝西省富県︶に向かう。 ﹁彭衙 行 ﹂ ︵﹃詳注﹄. 偏勧腹腴愧年少. 軟らかに香飯を炊ぐは老翁に縁る. ߪߒ. 巻五︶は苦難に満ちた前年の鄜州への旅を回顧してして書かれた。﹁彭衙﹂. 軟炊香飯 縁老翁. 杜甫は華州から洛陽へ赴く途中、 郷︵河南省霊宝市の西北︶にある姜七. 未覚金盤空. は陝西省白水県の東北の地、鄜州への途中にある。この詩には次のような句 がある。. 少府の住まいに立ち寄った。ここで出されたなますは相当に印象に残ったの. 糧に充て. 野果を. 糧. 野果充. であろう。﹁戯れに贈る﹂と言いながら、そのうまさを、調理の手際のすば. らしさをも交えながら、全二十句の詩に仕立てた。﹁鱠﹂について﹃詳注﹄. 卑枝を屋椽と成す. ﹁野果﹂は野の木の実。これを採って旅中の飢えをしのいだのである。. の引く﹁邵注﹂は、﹁牛羊と魚との 腥 は、乾を脯と曰い、湿を鱠と曰う。. 卑枝成屋椽. 華州︵陝西省華県︶の司功参軍に出された杜甫は乾元元年︵七五八︶の秋、. 鱠は即ち今の魚生・肉生なり。﹂と言う。ここは細く切った生の魚肉。調理. る。また、宝応元年︵七六二︶七月、厳武が長安に帰るのを送って綿州︵四. ߥ߹ ߦߊ. 崔興宗の藍田の別荘を訪ねた。﹁崔氏東山草堂﹂︵﹃詳注﹄巻六︶は、その時. 人の見事な手さばきによって細切りにされた魚が、粉雪のように舞うのであ 盤には剝ぐ白鴉 谷口の栗. の詩である。 盤剝白鴉谷口栗.
(6) 新炊 間黄粱. 新炊. ߹ߓ. 黄粱を間う. 乾元二年︵七六〇︶の春、杜甫は華州から洛陽へ行った時に、旧交のあっ. 川省綿陽市︶に行った時に、成都で徐知道の反乱が起こったために草堂に帰 れぬまま、 江の岸辺で魴魚︵おしきうお︶の漁を見た時に作った﹁観打魚. た衛八処士を訪ねた。衛八処士は彼のために酒を用意したばかりでなく、春 㧤. 歌﹂ ︵﹃詳注﹄巻一一︶でも、薄造りのなますが白雪のようだと詠じている。 江水の東津. の に ら を摘 み 取っ て くれ 、 黄 粱 ︵ おお あ わ ︶の 炊き 込 み ご飯 を 振 る 舞っ て. 綿州. 綿州江水之東津. た。. ߆ߒ. ⋮⋮. ߊࠄ. ߒߚ. 爨がずして井は 晨 に凍り. ߟ ߚ. 不爨井晨凍. 衣無くして牀は夜に 寒 し. ⋮⋮. 明霞高可餐 明霞 高きも餐う可し. 翠柏苦猶食 翠柏. 苦きも猶お食し. 五律 ﹁空嚢 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻八︶は乾元二年、秦州︵甘粛省天水市︶で書かれ. くれた。緑と白と黄色という色彩も鮮やかな句である。. ⋮⋮. 魴魚㜲㜲 色勝銀 魴魚 㜲㜲 として色は銀に勝る ⋮⋮ 子 膾飛んで金盤に白雪高し. 左右に霜刀を揮い. 子左右揮霜刀 膾飛金盤白雪高 ⋮⋮ 魴魚の肥美. ⋮⋮ 魴魚肥美知第一 既に飽きては驩娯も亦蕭瑟たり. 第一なるを知るも. 既飽驩娯 亦蕭瑟. 無衣牀夜寒. 鈴木虎雄﹃杜少陵詩集﹄は翠柏について﹁みどり葉の柏、柏は﹃カヤ﹄、. どれほどなますがうまくても食べ飽きると寂しくなるというのである。広 徳元年︵七六三︶の春、梓州︵四川省三台県︶の近辺を往来していた時、漢. ここは﹃カヤ﹄の実をいふ。 ﹂と言っている。ただし、柏実は﹃列仙伝﹄ ︵﹃芸. の杜佐は秦州の東南、東柯谷に草堂を営んでいた。. 五律﹁佐還山後寄三首﹂︿其二﹀︵﹃詳注﹄巻八︶も秦州で書かれた。おい. 乏しい食事について比喩的に述べたものであろう。. と、仙人の食物として現れるように、実際にカヤの実を食べるわけではなく、. 州︵四川省広漢市︶で書いた﹁陪王漢州留杜錦州泛房公西湖﹂ ︵﹃詳注﹄巻一. 化して蓴糸熟し. 文類聚﹄巻八八︶に、 ﹁赤松子は好んで柏実を食らい、歯落ちて更に生ず。 ﹂. 化蓴糸熟 刀鳴りて鱠縷飛 ぶ. 二︶でも鱠を詠ずる。. 刀鳴鱠縷飛. ﹁刀鳴﹂の句は、潘岳﹁西征賦﹂ ︵﹃文選﹄巻一〇︶に、長安の昆明池で獲 ߣ. 白露黄粱熟. 㧣. れる赤い鯉やおしきうお、たなごなどを料理人が調理するさまを、 ﹁雍人は縷. のごとく切り、鸞刀は飛ぶが若し﹂と表現するのを踏まえる。﹁房公西湖﹂. 分張素有期 分張. 頗覚寄来遅. 已応舂得細. 味は豈に金菊に同じからんや. 頗る寄せ来るの遅き を 覚ゆ. 已に応に舂き得て細なるべし. ߟ. 素期有り. ߽ߣ. 白露 黄粱熟す. で獲れた鯉であろうか、みごとな手さばきによって細い糸のように切り分け られるのである。﹁. 味豈同金菊. 香りは宜しく緑葵に配すべし. 郷 姜 七 少 府 設 鱠 、 戯 贈長 歌 ﹂ で試 み た 描 写 を 凝 縮 し た. ものが﹁陪王漢州留杜錦州泛房公西湖﹂の対句となったと言えよう。. 香宜配緑葵. 老人. 駆児羅酒漿. 問答未及已. ߈. ߟࠄ. 春韭 を剪り. ߒ䏋ࠎ߈䏋 ߁. 未だ已むに及ばざるに. ﹁贈衛八処士﹂ ︵﹃詳注﹄巻六︶を見よう。 問答. 老人他日愛. 正に想う滑らかにして匙に流るるを. 夜雨. 他日愛す 児を駆りて酒漿を羅ぬ. 正想滑流匙. 夜雨剪春韭.
(7) 遂に宗とし、食は多方なり、稲粢 㙴 麦に、黄粱を. ߹ߓ. ﹁黄粱﹂は﹁贈衛八処士﹂にも見えていた。古くは﹃楚辞﹄招魂︵ ﹃文選﹄ 巻三三︶にも、 ﹁室家. は、肉食しない老人のこと。杜甫が好んで薤を食べていたことは確かである。. ﹁発秦州﹂ ︵﹃詳注﹄巻八︶は、乾元二年︵七五九︶十月、秦州を去る時に. 下有良田疇. 栗亭名更嘉. 腸に充つるに薯蕷多く. 下に良き田疇有り. 栗亭. 書かれた。. た頃だろうから、早く届けてほしいと言うのである。この詩には﹁黄粱﹂と. 充腸多薯蕷. 崖蜜. う﹂と見えている。杜甫は、おおあわが既に実って、臼で細かく舂き終わっ. ともに﹁緑葵﹂ ︵ふゆあおい︶が登場するが、王維﹁田園楽七首﹂ ︿其七 ﹀ ︵﹃全. 崖蜜 亦易求. 密竹には復た冬笋あり 舟を方ぶ可し. ߥࠄ. 亦求め易し. 名更に嘉し. 唐 詩﹄ 巻 一 二 八 ︶に も 、﹁ 南 園 の 露 葵は 朝に 折 り 、 東舎 の 黄 粱は 夜 舂 く﹂. 密竹復冬笋. 清池. ここでは同谷一帯の地を指す。栗亭で採れるであろうと伝聞した、薯蕷︵な. 杜甫がその名に惹かれた栗亭︵甘粛省ᚧ 県の西北︶は、同谷の東にある県。. 甚 に聞く霜薤の白きを. がいも︶ 、崖蜜︵崖の 蜂の巣から採れる 蜜 ︶ 、冬笋︵冬、まだ地上に出ていな. ߁ ߔߠ. ﹁佐還山後寄三首﹂︿其三﹀では杜佐に﹁霜薤﹂を分けてほしいと頼んで. 清池可方舟. と、 ﹁露葵﹂と﹁黄粱﹂の取り合わせが見える。. いる。ここでも相手がおいの杜佐であるだけに杜甫の物言いは率直である。 䐳 㧥䐴. ﹁霜薤﹂は霜が降りる頃に収穫するらっきょ う 。 甚聞霜薤白 重ねて恵め意は如何. ߹ߎߣ. 重恵意如何. いたけのこ︶などが列挙される。ただし、実際に杜甫がこれらを口にしたこ. 隠者柴門内 畦蔬. 隠者 舎を遶りて秋なり. 柴門の内. 二. 成都 を離れる ま で. とを詠ずる詩は伝わらない。. 五律﹁秋日阮隠居致薤三十束﹂ ︵﹃詳注﹄巻八︶は、秦州滞在中の杜甫に. 畦蔬遶舎秋 筺に盈ちて露薤を承く. 隠居の阮昉がかごいっぱいのらっきょうを届けてくれたことを詠ずる。. 盈筺承露薤. 五律 ﹁酬高 使 君 相 贈﹂ ︵﹃詳注﹄巻九︶は、乾元二年の歳末、成都に到着し. て浣花渓に近い寺に寓居していた杜甫に、彭州刺史であった高適︵七〇二∼. 書を致して求むるを待たず. 束比青芻色 束は比す青芻の色に. 七六五︶が俸禄米を分けてくれ、隣家の人が庭で栽培した蔬菜を分けてくれ. 不待致書求. 円は斉し玉 の頭に. 頭. 円斉玉 衰年. 故人供禄米. 隣舎. 故人. 園蔬を与う. 禄米を供し. 七律 ﹁賓至 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻九︶は草堂に来客があったことを詠ずる。. 荒にして酒価乏しく、日を併せて園蔬を課す﹂と言っている。. 三首﹂︵﹃詳注﹄巻一〇︶では、草堂でみずから蔬菜を栽培したことを、﹁年. ﹁園蔬﹂はこの詩以外にも、杜詩には三例が見えていて、そのうち﹁屏跡. 隣舎与園蔬. たことを詠ずる。. 衰年関鬲冷. 味と暖かさと併せて憂い無し. 関鬲冷やかに. 味暖併無 憂. 襤 褸 あ り 。 詩 を 以 て 之 を 攷 う る に 、 薇 の 如 き 、蕨 の 如 き 、 薤 の. ߆ࠎ ߇. 劉 克 荘 ﹃ 後 村 詩 話新 集﹄ 巻 二 は 、 こ の 詩 に 触 れて 、 ﹁ 公 は 兵 火 の 間に 転 側 し 、飢 寒. 菜中に尤も薤を重んず、 味と暖かさと腹. ࡑࡑ. 如き、筍の如き、韮の如き、蒼耳の如き、萵苣の如きは、皆な賦詠に入り、 真に一の菜肚老人と成る。 然るに公. に憂い無しの句有るは、生冷を嗜む者に非ず。 ﹂と言っている。 ﹁菜肚老人﹂.
(8) 淹留 腐儒餐う. 佳客坐し. しかし、貫休﹁湖頭別墅三首﹂ ︿其一﹀ ︵﹃全唐詩﹄巻八三二︶に、 ﹁飢鼠は菱. 語﹄巻下に見える、 ﹃集韻﹄に、 ﹁革紋の蹙まるなり。 ﹂とする説などを引く。. ߜߝ. 竟日 麤糲. ߊࠄ. 竟日淹留佳客坐 百年. ߹ߚ. 宝応年間︵七六二∼七六三︶にかけての作とされる。. 七律﹁野人送朱桜﹂ ︵﹃詳注﹄巻一一︶は上元年間︵七六〇∼七六二︶から. の栗の殻をむいてもてなしてくれたのである。. まるのだから、とげのある殻と解してよかろう。常少仙が杜甫のために特産. 殻を 掀 げ 、新 蟬は 栗 皺を 避 く﹂ と言 っ て い るよ うに 、蟬 がこ れを 避けて留. 有る所を携う. ߒ ߿ ߒ ࠃ߁. 蔗漿. ߆߆. 百年麤糲腐儒餐 麤糲は粗末な米の飯 。﹃九家集注杜詩﹄巻二十一などが麤糲を粗糲に作っ て、 ﹁粗衣と糲食なり。 ﹂と解するのは﹁餐う﹂という表現とは合わない。 七律﹁進艇﹂ ︵﹃詳注﹄巻一〇︶は、上元二年︵七六一︶の夏、農作業の合. 茗飲. 間に妻と小舟に乗ったことを詠ずる。 茗飲蔗漿携所有. 西蜀の桜桃も也自ずから紅なり. も玉を缸と為 すに 謝する無し. 西蜀桜桃也自紅. 瓷. 野人. 無謝玉為缸. 野人相贈満筠籠. 数回 細写して仍お破れんことを愁え. 瓷 ﹁茗飲﹂はお茶。唐詩における用例は少なく、杜甫とほぼ同時代の詩人、. 数回細写愁仍破. ߆ߊ. ߥ. ߭ߣ. と言っているのは訶黎勒︵訶梨葉︶という薬用植物の葉を煎じて飲むのであ. すらうめの実︶を下賜されたからである。唐の朝廷では毎年四月一日に寝廟. 冒頭の句に﹁也﹂と言うのは、左拾遺として門下省にあった時に桜桃︵ゆ. 許のごとく同しきかと 訝 る. ってお茶を飲むのとは異なる。従って、詩における﹁茗飲﹂については杜詩. に桜桃を供えたあと、下賜するならわしがあった。王維﹁勅賜百官桜桃﹂ ︵﹃全. ࠎ ߃ࠎ. の用例が最も早いことになろう。 ﹁蔗漿﹂は﹁入奏行、贈西山検察使竇侍御﹂. 唐詩﹄巻一二八︶、顧況﹁桜桃曲﹂︵﹃全唐詩﹄巻二六七︶などはそのことを. 匀円. 相い贈りて筠籠に満つ. 暫く. 万顆. ߱߆. 包佶の﹁抱疾謝李吏部贈訶黎勒葉﹂︵﹃全唐詩﹄巻二〇五︶に、﹁茗飲. 万顆匀円訝許 同. 厨に帰して金盌凍る﹂の句がある。 ﹃楚辞﹄. ߹ߚ. 気を調え、梧丸 邪を伐つを喜ぶ﹂と見えている。ただし、ここで﹁茗飲﹂. ︵ ﹃詳注﹄巻一〇︶にも、 ﹁蔗漿. 詠じている。. ߒ߿ ߒࠃ ߁. 五律﹁漢川︹州︺王大録事宅作﹂ ︵﹃詳注﹄巻一二︶は広徳元年︵七六三︶、. ߶߁ ߎ߁. は、 ﹁柘は、藷蔗なり。⋮⋮藷蔗の汁を取りて以て漿飲と為すなり。 ﹂と説明. 漢州︵四川省広漢市︶の王某の宅で書かれた。王某は家族に蓴菜を用意させ、. ߓ ߴߟ. 招魂︵﹃文選﹄巻三三︶には、 ﹁ḵ 鼈と炮 羔と、柘 漿 有り﹂とあって李善注. する。さとうきびの絞り汁のこと。杜甫夫妻はのどの渇きをいやすためにこ. 白魚を煮てもてなしてくれた。 近髪看烏帽. 蓴を 催 して白魚を煮る. 髪に近づきて烏帽を看. ることを詠ずるのはこの例だけである。 ﹁過津口﹂ ︵ ﹃杜詩趙次公先後解輯校﹄. 杜 甫 の 詩 に は これ 以 外 にも ﹁ 白 魚 ﹂ が 五 例 見ら れ る 。 し か し 、煮て 食 べ. ߁ߥ߇. 催蓴煮白魚. ߺ. れらの飲み物を携行したのである。なお青木正児﹃中華名物考﹄︵春秋社、 一九五九︶に﹁柘漿﹂という一文があり、参考になる。 上元二年︵七六一︶、杜甫は成都を出て青城県︵四川省都江堰市の東南︶ へと赴いた。五律﹁野望因過常少仙﹂ ︵﹃詳注﹄巻一〇︶は、常少仙の家で書 か れた 。. 己帙巻四︶の﹁白魚﹂に付された趙注が、﹁白魚は、白. 魚な り 。 ⋮ ⋮ 崔 豹 村に入れば樵径 引 き. ߺߜ ߮. 入村樵径引. ࠅߟ ߒࠁ ߁. の古今注に曰う、白魚は小にして、群遊を好んで水上に浮かぶ、名づけて白. ߥ. て泳ぐ小魚らしい。また杜甫﹁白小﹂ ︵﹃詳注﹄巻一七︶では、長江で獲れる. 萍と曰う。﹂と言っているのがここにも相当すれば、ハヤに似て群れをなし. 果を嘗めて 栗皺 開く ﹃ 益 部方. 嘗果栗皺開. 栗皺についてはいくつかの説がある。﹃詳注﹄はまず、宋・宋. 物略記﹄が青城県特産の天師栗だとする説を引き、さらに宋・姚寛﹃西渓叢.
(9) 群 分の 命 、天 然. 二 寸 の 魚﹂ と 言 っ て い る 。 こ の 白 小. 五律﹁宴戎州楊使君東楼﹂ ︵﹃詳注﹄巻一四︶は長江を下る途中で立ち寄っ. た戎州︵四川省宜賓市︶の刺史である楊某の宴席で書かれた。ここで杜甫は. 魚を詠じて 、﹁白小 に つ い て ﹃ 詳 注 ﹄ に 引 く﹁ 旧 注 ﹂ は 、 ﹁ 麪 條 魚 ﹂の こ とだ と す る。 シ ラ ウ オ. 茘枝を肴にして、春に醸されたばかりのみどり色の新酒を飲んでいる。 重碧拈春酒. 軽紅. 重碧. 茘枝を擘く. 春酒を拈り. ߣ. であ る 。 ﹁過津口﹂に言う﹁白魚﹂も同類であろう。 ﹁絶句四首﹂︿其一﹀︵﹃詳注﹄巻一三︶では南隣に住む朱老人と、夏にな. 軽紅擘茘枝. ︿其十﹀ ︵﹃詳注﹄巻一七︶においても回想されている。. 憶う瀘・戎を過ぎて茘枝を摘みしことを. 隠映して石逶迤たり. . 憶過瀘戎摘茘枝. 青楓. . 青楓隠映石逶迤. 今 は 寂 寞た り 、茘 枝. 還た. ߹. 戎州で茘枝を食べたことは杜甫に強い印象を与えたらしく、 ﹁解悶十二首﹂. ߐ. って熟れた梅の実をともに食べようと詠ずる。朱老人とは酒を酌み交わす仲 でもあった。 梅熟して朱老と同に喫するを許す. ߣ߽. 梅熟許同朱老喫 松高くして阮生に対して論ぜんと擬. ߔ. 松高擬対阮生論 五律 春日江村五首﹂ ︿其四 ﹀ ︵﹃詳注﹄巻一四︶は、永泰元年︵七六五︶の. また、同じ詩の︿其九﹀では、﹁先帝の貴妃. 復た長安に入る﹂と言っているから、茘枝は杜甫にとって唐王朝繁栄の記憶. 春、まもなく草堂を離れることになる杜甫が、隣家の人から魚とスッポンを 送られたことを詠ずる。 杜詩において食材としてのスッポンが登場するのは、. ߧ߈. とも結びついていた。蜀の地で茘枝を産したことは早くには左思﹃蜀都賦﹄. ︵﹃文 選 ﹄ 巻 四 ︶ に 、﹁ 旁 に 竜 目を 挺 ん で 、側 に 茘枝を 生 じ 、緑葉の 萋 萋. ߆ߚ ࠊ ࠄ. この詩だけである。 隣家. たるを布き、朱実の離離たるを結ぶ﹂と見えている。﹃元和郡県志﹄巻三十. 魚鼈を送り. 隣家送魚鼈 我を問うて数しば能く来る. 筒布潤い、小舎. も ﹁ 送故人帰 蜀﹂ ︵﹃全. 茘枝繁し﹂と詠ずる。. 県の東︶に着き、しばらくここに滞在する。 ﹁贈ᔤ 十八賁﹂ ︵ ﹃詳注﹄巻一四︶. 永泰元年︵七六五 ︶、長江を下っていた杜甫は九月、雲安県︵四川省雲陽. 唐詩﹄巻二四四︶で、 ﹁客 衣. いても蜀地の特産であった。他の唐詩人、例えば韓. 南渓県︵四川省宜賓市の東︶の﹁土貢﹂の条にも見えているから、唐代にお. 一・三十二の楽温県︵四川省長寿県の東北︶ 、僰道県︵四川省宜賓市の西北︶ 、. 問我数能来. この詩を書いてのち、五月には杜甫は岷江に舟を浮かべ、住み慣れた成都. 州を 離れるまで. を離れることになった。. 三. 州時代に杜甫がどのような作物を栽培していたかについてはこれまでに. 追随して葵菫を飯らう. 歩趾して唐虞を咏じ. は雲安の県令であったᔤ 賁に贈られた。 歩趾咏唐虞. 好事に資り. 州期の農的生活﹂ 、及び﹁第Ⅳ部. 州期の農事﹂に詳細に述べられている。その中で杜甫の﹁茅堂検校収稲. 追随飯葵菫. 数杯. 県尹を煩わす. も引用した﹃杜甫農業詩研究﹄ ﹁第Ⅲ部. 二首﹂︵﹃詳注﹄巻二〇︶に触れて、﹁⋮⋮其の二も其の一と同じく収穫作業. 数杯資好事. 異味. ߊ. は描かれず、新米を食べること、その喜びを詠うことが中心であった。⋮⋮. 異味煩県尹. 虫は 葵菫 を 避け 、 苦 きに 習いて非 を 言わ ず﹂ と言 う。 杜甫 は これを踏まえ. ߦ߇. ﹁葵菫﹂はふゆあおいとせり。鮑照﹁放歌行﹂︵﹃文選﹄巻二八︶に、﹁蓼. ࠃ. これは農業詩ではなく、食事詩とみるべきなのだろう。﹂と述べている。従 って、これらの詩を含めて杜甫が何を食べていたかに主眼を置いて見ていき たい。.
(10) 春日春盤細生菜. 忽ち憶う両京. 春日. 生菜細やかなり. て言ったものである。ただし、歩きながら堯舜の世のことを詠じたり、連れ 忽憶両京全盛日. 盤は高門より出て白玉行り. 春盤. だって葵菫を食べたりする、と言っているのは、﹃杜詩趙次公先後解輯校﹄ 盤出高門行白玉. 菜は繊手より伝わりて青糸を送る. ߋ. 全盛の日. 丁帙巻一に、 ﹁唐虞を詠じて葵菫を飯らうは、道を楽しみて然するに非ずや。. 菜伝 繊手送青糸. ﹁春盤﹂は立春の日に食物を盛る大皿。唐代には、立春の日に生菜や春餅. ߣ߽. 音は几 隠の 切 、葵と 与 に 皆な 菜 の美な る 者な り。 ⋮⋮ 杜 公は但だ 古詩. に葵菫の字の連出するに拠りて、以て食らう可き所の菜を言うのみ。﹂とい. ︵小麦粉などを練って丸くし、焼いたもの︶とを大皿に盛って食べる風習が. 菫. う指摘があるように、ᔤ 賁とともにうまい秋の野菜を食べたことを言うので. あり、朝廷などでは春分の前日に天子がこれを下賜した。沈佺期﹁歳夜安楽. ߽. あって、特定の野菜を指して言うのではないだろう。ただ、杜詩以外の唐詩. 公主満月侍宴﹂︵﹃全唐詩﹄巻九六︶には、﹁歳炬には常に桂を然やし、春盤. に は 預 め 梅を 折 る ﹂と 言っ て いる 。 杜 甫 は 春盤 を 見 て 、か つて 長 安 で下. ࠄ߆ߓ. に﹁葵菫﹂は登場しない。 州へ移ってから、大暦三年︵七六八︶正月にこ. 賜されたことを想起したのである。五律﹁王十五前閣会﹂ ︵﹃詳注﹄巻一八︶. 杜甫は永泰元年の暮春に 州に滞在する。この間、しばしば食物に言. 石上に来り. . こを離れるまで、ほぼ二年間は. 情人. 江中より出づ. は王十五の宴会に、長江で獲れた魚のなますが出たことを詠ずる。 情人来石上. 鮮鱠. いるから、杜甫は体調が悪くて日ごろ好んでいた新鮮ななますを口にするこ. 俊 味 を 虚 し く す 、何 の 幸 い か 児 童 を 飫 か し む ﹂ と 言 っ て. 召し使いの信行に山から厨房まで泉水を引く、いわば簡易水道である竹筒. とができず、家で待つ子どもたちに土産として持ち帰ったのである。このこ. 尾聯に 、﹁病身. 鮮鱠出江中. 及している。永泰二年︵一一月に大暦と改元。七六六︶夏の作である﹁信行. 瓜を浮かべて老病 に供し. 遠修水筒﹂ ︵﹃詳注﹄巻一五︶には次のように言う。 浮瓜供老病 餅を裂きて愛する所に嘗めしむ. を修理させた時の詩である。冷えた水にうりを浮かべ、暑気払いに食べるの. ろの杜甫は﹁消渇﹂ ︵糖尿病︶を患い、これに加えて﹁肺気﹂も病んでいた。. ߥ. 裂餅 嘗所愛. である。. 熟した柰︵からなし。りんごの一種︶を持ってきたことを述べる。. 五律 ﹁豎子 至 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻一四八︶は召し使いの阿段が、かごいっぱいの. ﹁催宗文樹鶏柵﹂ ︵﹃詳注﹄巻一五︶では、秋に烏鶏の産んだ卵を食べたと ߿. 熟 柰 香し. ߰߁. 軽籠. 猶お把に満ち. 詠ずる。 風を愈すに烏鶏を伝え. 軽籠熟柰香. 山風. 新嘗に及ぶ. ߥ ࠎ ߥࠎ. 州 は果 物の 豊富な 土地であっ た 。. いていて、食卓にのぼすに便利であることを次のように詠ずる。. 五律﹁ 園 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻一九︶では、あぜ道に植えられた野菜が家を取り巻. ﹁二柰は丹白の色を 曜 す﹂とある。. ߆߇ ߿߆. ﹁柰﹂には赤と白の二種類があった。潘岳﹁閑居賦﹂ ︵﹃文選﹄巻一六︶に、. ߓ ࠁ ߊߛ . 愈風伝烏鶏 秋卵. 山風猶満把. 野露. 小子幽園至 小子 幽園より至り. 秋卵方漫喫. 春より生成せる者. 野露及新嘗. ߹ߐ. 自春生成者. 母に随 う百翮に 向 と す. 方に漫喫す. 随母向百翮. 烏鶏は烏骨鶏のこと。 ﹃詳注﹄に引く﹃本草﹄に、 ﹁烏雌鶏は、風湿麻痹を 治す。﹂と言うから、食べると中風に効果があったらしい。趙次公の注に、 春の卵を食べないのは、これを抱かせて雛を孵化させるためだという。 先に一部を引いた七律﹁立春﹂ ︵﹃詳注﹄巻一八︶もこの頃に書かれた。.
(11) 愛惜如芝草 落刃. 愛惜すること芝草の如し. 開懐. 枯槁を慰む. 冰霜を嚼み. 水に冷やし、切り分けて食べると氷や霜を嚙むようにさっぱりしていて、. 開懐慰枯槁. ߆. 畦蔬 落刃嚼冰霜. 茅屋を繞り. 畦蔬繞茅屋 自ずから盤餐に 媚 ぶに足る. ࠃࠈ ߎ. 自足媚盤餐. 数日. やせ衰えた身を慰めてくれると言うのである。杜甫の詩には時おり瓜が登場. 菜把を 送る、本. また、﹁園官送菜﹂︵﹃詳注﹄巻一九︶では、菜園を管理する役人が野菜を 届けてくれたことを言うが、この詩の序に、﹁園官 闕く、矧んや苦苣と馬歯と嘉蔬を掩うをや、⋮⋮。﹂と述べるように、野菜. するが、先に見た﹁已上人茅斎﹂ ︵﹃詳注﹄巻一︶に﹁茶瓜﹂が見えたほかに、. ࠊ. の届くのが遅れたばかりか量も少なく、苦苣︵のげしの類︶や馬歯︵ひゆの. ﹁秋日. 清晨 菜把を送る. 品種には言及しない。これは唐詩における一般的な傾向でもあるようだ。. 注﹄巻二一︶では、﹁園を為る須く似るべし邵平の瓜﹂と言っていて、瓜の. ߟߊ. 清晨送菜把 常に荷う地主の恩. 青青たる高槐の葉. 猶. 一種︶などの雑草が、善い野菜の上にかぶせられていることに不服を言い、. お旅寓す﹂と言 い 、 ﹁舎弟観赴藍田、取妻子到江陵、喜寄三首﹂ ︿其三﹀ ︵﹃詳. 府詠懐奉寄ᔤ 監李賓客一百韻﹂︵﹃詳注﹄巻一九︶では、﹁瓜時. 詩中でも繰り返している。. 常荷地主恩 守りし者は実数を 愆 り. 青青高槐葉. 采り掇りて中厨に付す. 宛 も相い倶にす. 近市より来り. ߣ. 汁滓. 資りて過熟すれば. ߣ. 汁滓宛相倶. 入鼎. 愁い無からんと欲す. ࠃ. ߚ ߆. ﹁菜把﹂は野菜のたば。唐詩では他の用例を見ないが、陸游︵一一二五∼. 入鼎資過熟. 加餐. ߣߍ. ߦߥ. 守者愆実数 略ぼ其の名の存する有り. 采掇付中厨. 新麪. ﹁槐葉冷淘﹂ ︵﹃詳注﹄巻一九︶は冷やした麪を詠ずる。. 略有其名存 苦苣は刺針の如く. 新麪来近市. ߿߹. 苦苣刺如針 馬歯は葉亦繁し. 一二一〇︶は、杜甫のこの詩が目にとまったのであろう、﹁躬耕﹂︵﹃剣南詩. 加餐愁欲無. ߶. 馬歯葉亦繁. 園官を 仰. ߹ߚ. を 照 らし. ߪߒ. 稿﹄巻七︶では、﹁笑う莫かれ躬耕して蜀山に老ゆるを、也菜把. に. 香飯兼苞蘆 香飯 苞蘆を兼ぬ. 碧鮮. 碧鮮. 歯を経れば雪よりも冷たく. 照. ぐに勝る﹂と言い、 ﹁食野味包子戯作﹂ ︵﹃剣南詩稿﹄巻九︶でも、 ﹁猶お勝る 瀼西の老の、菜把. 経歯冷於雪. 人に勧むるに投ずること珠に比す. 園官を仰ぐに﹂と言っている。陸游は自分で耕して野菜. を収穫するのだから、杜甫が﹁園官﹂に頼んだのよりもましだろう、と言う. 勧人投比珠. 詩題の﹁槐葉冷淘﹂は、えんじゅの若芽を煮たスープに麪を入れて冷やし. のである。 また、瓜が送られることもあった。﹁園人送瓜﹂︵﹃詳注﹄巻一九︶には、 暑気の厳しい夏に送られた瓜を冷やして食べる様子が描かれる。. 蒲鴿青く. ﹁苞蘆﹂はあしの新芽 。﹁冷淘﹂は贅沢な食べ物ではないが、これを食べた. たもの。夏の食欲増進のために食べる。 ﹁碧鮮﹂は緑あざやかなスープの色。. 傾筺. 杜甫はよほどうれしかったのであろう。この詩に共感した梅堯臣︵一〇〇二. ߶ߎ ߁. 傾筺蒲鴿青. 顔色好し. ߭ߣ. 部と同し、冷淘. 惟だ喜ぶ葉新たに開くを﹂と言っている。. ߚ. ∼一〇六〇︶は﹁宮槐﹂︵﹃宛陵集﹄巻二〇︶の末聯で、﹁我が意は方に杜工. ߹ߐ. 満眼 ⋮⋮ 浮沈. 水玉乱れ. 満眼顔色好 ⋮⋮ 浮沈 乱水玉.
(12) 次に﹁駆豎子摘蒼耳﹂ ︵﹃詳注﹄巻一九︶を見よう。 巻耳は況んや風を療すをや. ߿. 巻耳況 療 風 童児は且に時に摘まんとす. 酸棗垂北郭 寒瓜. 酸棗. 東籬に蔓う. 北郭に垂れ ߹ߣ. 寒瓜蔓東籬. 杜甫の詩と李白の詩にはともに﹁下. ﹂の語があり、瓜も見えているから、. 李白とともに魯郡︵山東省曲阜市の東北︶に遊んだおり、ともに范居士︵范. ߹ߐ. 童児且時摘. 筺を 放つ亭午の 際. 十、范山人︶を尋ねて﹁与李十二白同尋范十隠居﹂ ︵﹃詳注﹄巻一︶を書いて. 杜甫の脳裏には李白の詩があった可能性が高い。杜甫は天宝四載︵七四五︶、. 放筺亭午際 洗剝して相い蒙羃す. いるからである。. ⋮⋮. 洗剝相蒙羃 牀に登せば半ば生熟なり. ⋮⋮. 登牀半生熟. 冬菁は飯の半ばなり. ﹁冬菁﹂ ︵かぶ︶が御飯の半ばにも相当する値打ちがあると言う。 冬菁飯之半. 牛力. 府詠懐、奉寄ᔤ 監・李賓客、一百韻﹂ ︵﹃詳注﹄巻一九︶では. 晩来新たなり. 牛力晩来新 ﹁秋日. どに効果があったのであろう。杜甫はこれをうりやらっきょうとともに食べ. 白種陸池蓮. 紫収岷嶺芋. 色好くして梨は頰に勝り. 白は種う陸池の蓮. 紫は収む岷嶺の芋. での日常の食事について述べている。. たのである。巻耳の名は早くには﹃詩経﹄周南・巻耳に見える。唐詩におけ. 色好梨勝頰. 穰多くして栗は拳に過ぐ. ߚࠎ. 州. 暇日小園散病、将種秋菜、督勒耕牛、兼書触目﹂ ︵﹃詳注﹄巻一九︶では、. を下せば還た小益あり. ߹. 還小益. 下 加点瓜薤間 瓜薤の間に加点すれば 依稀橘奴跡 依稀たり橘奴の跡 ﹁蒼耳﹂は巻耳と同じ。野草のおなもみ、あるいはみみなぐさだという。 おな も み の 効 能 に つ い て ﹃詳 注 ﹄は ﹃ 本 草﹄ を 引 き 、 ﹁巻 耳 は、 寒痛 ・風湿 ߟ ߆ ߐߤ. る用例は少ないが、李白には﹁尋魯城北范居士、失道落蒼耳中、見范置酒摘. 穰多栗過拳. 厨に勅するは惟だ一味のみ. 周痺・四肢拘攣を療すを 主 る。﹂と言っているから、中風やリュウマチな. 蒼耳作﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻一七九︶という、范居士を尋ねた時に道に迷って、お. 勅厨 惟一味. 段は、おかずは一品のみと命じてあるが、満腹したい時には鱣を三匹食べる. 蓮を植えてあり、赤いほおにも勝る梨やこぶしよりも大きな栗も穫れる。普. 近くの畑には岷山のふもとで産するむらさきのいもや呉の地方で産する白. 求飽或三鱣 飽くを求むるときは或いは三鱣. なもみ︵蒼耳︶の群落に入りこんでしまったことを詠ずる詩がある。 往路を失い. 馬首 荒陂に迷う. 城壕失往路 城壕 馬首迷荒陂. 遂に蒼耳に欺かるるを. 不惜翠雲裘 惜しまず翠雲の裘 遂為蒼耳欺. 酒客愛 秋 蔬. 山盤. 酒客. を下さざるに. 霜梨を薦む. 秋蔬を愛し. の書、鱣の字は皆な鱓に作る、然らば則ち鱣と鱓とは古字通ずるなり。鱓魚. 伝の李賢注は、﹁韓子云う、鱣は蛇に似ると。臣賢案ずるに、続漢及び謝承. たことを記す一文があり、杜甫はこれを踏まえて言ったものであろう。楊震. 五十四、楊震伝に、こうのとりが三匹の鱣魚をくわえて講堂の前に飛んで来. こともある、というのである。鱣はたうなぎのことであろう。﹃後漢書﹄巻. 山盤薦霜梨. 他筵. 朝飢を忘 る. ⋮⋮. 他筵 不下. 此の席. ⋮⋮. 此席忘朝飢.
(13) 二三丈、⋮⋮と。安くんぞ鸛雀にして能く二三丈に勝うること有らんや。此. の長き者も三 尺に過ぎず、黄地にして黒文な り。⋮⋮郭璞云う、鱓魚は長さ. 御飯にも香味が加わるというのは杜甫の実感であっただろう。. 自体が詠じられることの少ない唐詩において、醬油があるおかげで、質素な. は発酵中なので、甕から溢れてこぼれることがあるのである。そもそも醬油. ߚ. れ鱓為ること明らかなり。 ﹂と言っている。妥当な説明であろう。. 杜甫は 州で肉を口にすることもあった。五律﹁従駅次草堂、復至東屯茅. 五律﹁秋野五首﹂︿其一﹀︵﹃詳注﹄巻二〇︶では、秋になってなつめが熟. 山家. 射麋新たなり. 蒸 栗 煖 かに. ߚߚ. 屋、二首﹂ ︿其二﹀ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶は東屯の住まいで書かれた。 山家蒸栗煖. 野飯. しても他人が打ち落とすままにしておき、自分はふゆあおいの畑に雑草が茂 ってきたので手入れをしようと詠じた後に、谷川の魚に食事を分けてやろう. 野飯射麋新. 杵で搗いて脱穀したばかりの米を詠じている。. の詩と同じ頃に書かれた五律﹁暫往白帝、復還東屯﹂ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶では. ﹁野飯﹂は質素な農家の食事。﹁射麋﹂は射止められたなれじかの肉。前. と言う。 ߹߆. 葵荒れて自ら鋤かんと欲す. ߔ. 棗熟従人打 棗熟して人の打つに従せ 葵荒欲自鋤 老夫の食. 盤. 杵を落として光輝白く. 老夫食. 芒を除いて子粒紅なり. 盤. 落杵光輝白. 老を扶く可し. ﹁落杵﹂の二句については古川末喜前掲書の﹁杜甫の稲作経営の詩﹂に的. ߩ߉. 除芒子粒紅. 加餐. 分減して渓魚に及ぼす. ﹁又呈呉郎﹂ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶にも、西隣の困窮した寡婦が棗を採りに来. 加餐可扶老. 飄蓬を慰む. 分減及渓魚. 棗 を 撲 つ は西 隣 に 任す 、 食 無 く児 無き 一 婦 人﹂ と. 倉廩. ばしば唐詩に見える。儲光羲﹁野田黄雀行﹂ ︵ ﹃全唐詩﹄巻一三六︶には、 ﹁窮. 確な説明があり 、﹁まず下の句は、脱穀後の籾から籾殻を取り除けば、赤い. ߚߔ. ることを詠じて、﹁堂前. 倉廩慰飄蓬. 一頽舎、棗多くして桑樹稀なり、棗無きも猶お食らう可し、桑無くんば. ߁. 言っている。なつめは農家の周囲に植えられる身近な果樹であったので、し. 老. 玄米があらわれる。次に上の句でその玄米を杵でうすづいて白く精米してい. ߈. ある杜甫に安心感を与えている。. るのである。﹂と述べている。米倉が新米で満たされることが、旅寓の身で. 何を以てか衣ん﹂と言う。 五律﹁孟倉曹歩趾、領新酒醤二物満器見遺老夫﹂ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶は、大 暦二年︵七六七︶の秋、孟倉曹︵孟十二︶ができたばかりの醬油を甕一杯に. 籍糟分汁滓 籍糟. 提携より落つ. 汁滓を分かち. 嘗新破旅顔. 御⡘ 侵寒気. 新を嘗むれば旅顔を破る. 御⡘. 寒気侵し. 玉粒. ︿其一﹀. 五律﹁茅堂検校収稲、二首﹂ ︿ 其一﹀ ︿其二﹀ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶でも、新米. 甕醬. 香味を添え. 紅鮮 終日有り. して届けてくれたことを詠う。. 甕醬落提携 飯糲. 紅鮮終日有. を食べることが詠じられる。. 飯糲添香味. 朋来らば酔泥有らん. 玉粒未吾慳. 稲米は炊げば能く白く. 未だ 吾に 慳 ま ず. 稲米炊能白. ߅ߒ. 朋来有酔泥. 甕に入るるに、時に浮溢する有り、故. ﹃ 詳 注 ﹄ は ﹁ 甕 醬 ﹂ の 句 に 対 して 、 ﹁ 周 礼 に 、 醬 は 一 百 二 十 甕を 用 う と 。 此れ甕醬の本づく所なり。凡そ新醬. に提携して来らば、常に旁に落つる者有り。﹂と言う。できたばかりの醬油.
(14) 秋葵は煮れば復た新たなり. ︿其二﹀. 甫の詩に云う、三寸の黄甘は猶お自ら青しと、三寸は其の長さを言うな. り。余嘗て臨江府に過ぎるに、地は黄柑を産し、長さ三寸なる者有り。. 秋葵煮復新 ﹁紅鮮﹂については﹁行官張望、補稲畦水帰﹂︵﹃詳注﹄巻一九︶に、﹁玉. 州と臨江府︵江西省樟樹市の西南︶ではやや距離があるが、参考にはな. 蒸裹如千室 蒸 裹. あり. 千室の如く. 皿の﹁焦糖﹂を分けてもらったことが詠じられる。. ﹁孟冬﹂と同じ頃に作られた五律﹁十月一日﹂ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶には、一. ろう。. 粒 晨に炊ぐに足り、紅鮮 霞の散ずるに任せん﹂の句があり、この詩につ いては古川末喜前掲書に詳しい。︿其一﹀では新米を食べると思わず顔がほ ころぶことを言い、 ︿其二﹀ではふゆあおいをおかずにすることを言う。 五律 ﹁季秋江 邨 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶には蜜柑が登場する。杜甫と蜜柑につ いては古川末喜前掲書がきわめて詳細に論じており、とりわけ﹁第Ⅳ部. 幸いに一. 焦糖幸一. 州から湖南へ. 大暦三年︵七六八︶正月に 州を離れた杜甫は再び長江を下り、夏には江. 四. て煮詰めたものであろう。. 焦糖. 州期の農事﹂のうち﹁第一章. 州では十月一日、家ごとにちまきを作り、贈り物をしあう習わしがあっ. 杜甫の蜜柑の詩と蜜柑園経営﹂には委細を尽. くして論じられている。蜜柑はすでに﹃楚辞﹄九章・橘頌に、 ﹁后皇の嘉樹、. 離. た。それで杜甫も焦糖をもらったのである。焦糖︵燋糖︶は麦芽糖を湯煎し. ߈ߚ. 橙⛴ 、⋮⋮荅. 橘 徠 り服す、命を受けて遷らず、南国に生ず﹂と詠じられ、司馬相如﹁ 上 林賦﹂︵﹃文 選﹄巻八︶にも 、﹁盧橘は夏に熟す、黄甘. 支あり﹂とある。南北朝期にも斉・虞羲﹁橘詩﹂、梁・簡文帝﹁詠橘詩﹂ 、梁 ・宗炳﹁甘頌﹂、梁・徐陵﹁詠甘詩﹂ ︵以上いずれも﹃芸文類聚﹄巻八六︶な. 篇を残したのは杜甫であって、他を圧倒する。杜甫が蜜柑を食べたことを詠. 陵︵湖北省荊沙市︶の外邑に近い岸辺に舟を泊めていた。﹁水宿遣興、奉呈. ど、多くの作品が残されている。しかし、蜜柑や蜜柑園に言及する大量の詩. ずる詩を次に見ておこう。﹁孟冬﹂︵﹃詳注﹄巻二〇︶は大暦二年︵七六七︶. 頻りに書札. 群公 ﹂ ︵﹃詳注﹄巻二一︶には次のように言う。. ߺ ߆ࠎ. 童稚. 詎ぞ糝藜なると. ߥࠎ. 盤. 陳 ・ 蔡の 間 に 窮 す 、 七日. 十月、蜜柑園で収穫したものを食べたことを次のように描写する。. 童稚頻書札. 甘 を破れば霜は爪に落ち. 破甘霜落爪. 盤. ﹁糝藜﹂については﹃荘子﹄譲王篇に、﹁孔子. 詎糝藜. 嘗稲雪翻匙 稲を嘗むれば雪は匙に翻る 蜜柑の皮をむくと霜のような果汁が爪をぬらすというのである。杜甫が営. ひたした、米粒の入っていない冷たいスープを食していたことを言うが、杜. 糝せ ず。 ﹂とある。 ﹃荘子﹄では孔子の一行が、あかざを. は、 ﹁阻雨不得帰瀼西甘林﹂ ︵﹃詳注﹄巻一九︶に、 ﹁園の甘の長成せる時、三. 詩では皿に盛った食べ物といえばあかざを混ぜたものばかりだと言うのであ. 火食せず、藜羹. 寸にして黄金の如し﹂と詠われ、また﹁即事︵天畔群山孤草亭︶﹂︵﹃詳注﹄. る。. んだ果樹園にはさまざまな品種の蜜柑があっただろうが、ここに見えるもの. 巻二〇︶に 、﹁一双の白魚は釣を受けず、三寸の黄甘は猶お自ら青し﹂と詠. で書かれた 。. 三十韻 ﹂ ︵ ﹃詳注﹄巻二一︶は大暦三年︵七六八︶の秋、荊南︵湖北省荊沙市︶. 秋 日 荊 南 、 送 石 首 薛明 府 辞 満 告別 、 奉 寄薛 尚 書 、 頌 徳 叙懐 、斐 然 之 作 、. われる卵形のものであったかもしれない。﹁即事﹂の﹃詳注﹄は明・徐 ᐷ ﹃徐氏筆精﹄巻八の﹁三寸柑﹂の条を引いている。 凡そ柑は皆な円きに、独り成都産の者のみ、形は鴨卵の如し、故に杜.
(15) 野蔬を占む. 応に訝かるなるべし湖橘に耽るを. 誰欲致盃. 溜匙兼煖腹. 香聞錦蔕羹. 誰か盃. 匙に 溜 り兼ねて腹を煖む. 香は聞く錦蔕の羹. ߱. 応訝耽湖橘 常餐 薬餌に嬰り ߥ. を致らんと欲す. ごしのまこもの御飯やかぐわしい蓴菜のスープがあったならばと、切望する. いわば空想上の食事を述べた詩である。錦蔕は蓴菜のこと。なめらかな喉. ߒߚ ߚ. 常餐占野蔬 十年 樵漁に狎る. ߅ߊ. 十年嬰薬餌 万里. ߆߆. 万里狎樵漁 ﹁湖橘﹂について﹃九家集注杜詩﹄巻三十四と﹃詳注﹄は、﹁潭州に橘洲. ﹁聶耒陽以僕阻水、書致酒肉、療饑荒江、詩得代懐、興尽本韻、至県呈聶. を指すとする。しかしそれでは次句との繫がりがはっきりしない。この語は. 令、陸路去方田駅四十里、舟行一日、時属江漲、泊於方田﹂ ︵﹃詳注﹄巻二三︶. のである。. 杜甫以前には見えないが、洞庭湖のほとりに実るミカンのことであろう。杜. は、大暦五年︵七七〇︶四月、耒水を溯って郴州︵湖南省郴州市︶にいる舅. 有り。﹂と述べ、潭州︵湖南省長沙市︶を流れる湘江の中洲、橘洲︵橘子洲︶. 甫はこのごろの日常の食事は野菜がほとんどだという。健康面への配慮だけ. 老夫. とを詠じている。ただし詩中には、﹁礼は肥羊を宰するに過ぎたり、愁えて. ︵?∼八一二︶を見送った時の詩である。. は当に清㋛ を置くべし︶と、聶某が贈ってくれたことに対する謝辞はあるが、. 朝に未だ餐せず. ߣ߽ߠߥ. 纜 亦解く. 増水したために進めなくなった時、県令の聶某が酒と食料を届けてくれたこ. の崔偉を頼ろうとして、耒陽︵湖南省耒陽市︶に近い方田駅まで来たところ、. ﹂ ︵﹃詳注﹄巻二二︶は大暦三年の冬、荊州から桂州︵広西壮族自. が原因ではあるまい。 ﹁ 別董. 老夫纜亦解 脱粟. 治区桂林市︶へと赴く董. 脱粟朝未餐. ﹁迴棹﹂ ︵﹃詳注﹄巻二三︶は最晩年の大暦五年︵七七〇︶の夏、衡州︵湖. それが具体的にはどのようなものであったかについては言及しない。. ﹁脱粟﹂の語は杜甫の﹁柴門﹂︵﹃詳注﹄巻一九︶、﹁甘林﹂︵同上︶、﹁写懐. ߊ. 南省衡陽市︶から潭州へと舟を返す途中の作とされる。. 強いて飯らいて蓴は滑を添え. 二首 ﹂ ︿其一﹀ ︵﹃詳注﹄巻二〇︶にも見えていた。語は﹃史記﹄巻一百十二、. 強飯蓴添滑. 端居して茗は煎することを続ぐ. 吾は安んず藜の糝せざるに. にではあるが、食物に触れている。. 疾、舟中伏枕書懐、三十六韻、奉呈湖南親友﹂ ︵﹃詳注﹄巻二三︶でも比喩的. ﹃詳注﹄が、大暦五年︵七七〇︶冬の作として、杜甫の絶筆と見なす﹁風. 添えて無理に飯を口に運び、お茶ばかり淹れては飲んでいるのである。. 病気と酷暑のために食欲がないので、舌触りのなめらかな蓴菜のスープを. ߟ. 公孫弘伝に、彼の高潔な暮らしぶりを述べて、 ﹁一肉と脱粟の飯を食らう。 ﹂. 端居茗続煎. ߆ߐ. と 見 え 、﹁ 索隠 ﹂ に 、﹁ 案 ず るに 、一 肉は 、味を 兼 ねざるを 言 うな り 。 脱 粟 は、纔かに脱穀するのみにして、精鑿せざるを言うなり。﹂とあるように、 籾殻を取り除いただけの米、玄米を指す。詩に、朝、まだ玄米の飯も食べな いうちに船出すると言うのは、 飢えを耐え忍ぶことを言っているのであろう。 ﹁江閣臥病、走筆寄呈崔盧両侍御﹂ ︵﹃詳注﹄巻二二︶は、大暦四年︵七六 九︶の初秋に潭州で書かれた。. 吾安藜不糝. ߣ߷. 庖厨薄しく. 憂い悄悄たり. 琛為り. 汝は貴くして玉. 転ᓒ. ⋮⋮. 汝貴玉為琛. 転ᓒ 憂悄悄. ⋮⋮. 枕席清し. 滑は憶う彫胡の飯. ⋮⋮. 江楼. 客子庖厨薄 客子 江楼枕席清 ⋮⋮ 滑憶彫胡飯.
(16) 行薬病. 行薬. 病. たり. ﹁水宿遣興、奉呈群公﹂にも﹁糝藜﹂の語があった。﹁藜不糝﹂とは米粒. 吾を扶けて之く所に随わん﹂と、薬の. 大暦三年の冬、公安を発つ時には﹁暁発公安﹂ ︵ ﹃詳注﹄巻二二︶を書き、 ﹁門 を出でて転眄 すれば已に 陳跡、薬餌. 力を借りて行けるところまで行こうと言っているし、大暦四年、潭州で﹁酬. 詩 総て 廃. が入っていないあかざのスープを言い、ここでは長い間、粗食に甘んじてき. 関心. 郭十五判官受﹂︵﹃詳注﹄巻二二︶を書いた時には、﹁薬裹. 眼を照らして句還た成る﹂と、薬袋が気にかかって詩が書け. ߹. たことを表している。 する に、花枝. なかったほどだと言っている。口にするものとしては薬物に関心が向いてい. ここに含まれよう。第二には飢餓に瀕した時、とりわけ旅中の食事について. ついて述べる場合であり、貴族の豪奢な宴席を批判をこめて描写する場合も. おおよそ三分類できよう。第一に、招かれて連なった宴席で供された料理に. 杜甫の食物、あるいは食事が表現される詩が制作される状況については、. 代の詩人は五篇、杜甫﹁孟倉曹歩趾、領新酒醬二物満器見遺老夫﹂以前の詩. ﹁食物総類﹂に収録される詩はすべて四十七篇五十二首である。このうち唐. ようになったのは杜甫からである。例えば﹃佩文斎詠物詩選﹄巻二百四十二、. 限られていた。きわめて多様な食物がさまざまな状況の下で詩に詠じられる. 杜甫以前の詩で食事に言及される場合は、先に挙げた第一のケースにほぼ. おわりに. 述べるものであり、第三は、第二の場合と関連するが、日常の場で言及され. は王績﹁食後﹂のみである。また、同じく巻二百四十五は﹁飯類﹂にあてら. ったのである。. る場合である。第二について補足しておくと、杜詩には﹁旅食﹂の語が七例. れて八篇の詩を収録するが、杜甫﹁佐還山後寄﹂以前の詩は見えない。さら. とは杜甫が食物を詠ずる詩人として先駆的な位置を占めていることを示して. の詩人は杜甫と白居易のみであり、杜甫の詩は四篇が採られている。このこ. に巻二百五十七﹁穀類﹂に至っては三十九篇四十二首を収録するうち、唐代. ߭ߐ. 老病淹. 見え、例えば五律﹁入宅三首﹂ ︿其三﹀ ︵﹃詳注﹄巻一八︶に、 ﹁吾人. べし﹂と詠ずるのはその一例である。もっとも杜甫はその生涯において、平. し、旅食. 州を出てからの晩. 浮 生に 任すな る. 均して食事や食物を詠じ続けたわけではない。とりわけ. いよう。冒頭でも述べたように食事・食物は生命を維持するための基盤であ. ߹ߐ. 年の詩では、食事に言及することは少なくなる。それは病気がちで食欲が減. る。杜甫がしばしばこれに言及したことは彼が現実をゆるぎなく見つめる、. 豈に才名あら んや 、⋮⋮ 只応 に児 子と 、飄転. 退したことも原因であろうが、薬物の必要性が切実なものになっていったた. 桃 源を 憶 う﹂ と 詠 じ ら れ る。 こ れ. いわば日常性への視線を保持し続けたからであろう。. 薬物多し、勝. 注. ︵1︶李善注に、﹁広志に曰う、洛陽の北芒山に張公の 夏梨有り、甚だ甘し、海内 有るのみと。大谷は、未詳。 ﹂と 言 う 。. 唯だ 一樹. めではなかろうか。薬物への関心は早くには﹁奉留贈集賢院崔于二学士﹂ ︵﹃詳 注﹄巻二︶に、﹁故山. 以降も﹁秦州雑詩二十首﹂ ︵﹃詳注﹄巻七︶ではうち二首で薬草を採ることと 薬草を天日にさらすことを詠ずる。成都の草堂では薬草を栽培し、これを浣. 此の 外 州に移っ ても 薬草を採 集している。. 須つ所 は唯だ 薬 物の み 、微軀. 花渓で洗ったり、分類しては袋に収納したりしていた。七律﹁江村﹂ ︵﹃九家 集注杜詩﹄巻二一︶では、﹁多病. 更に 何をか求 めん﹂と言って いる。. 薬物に依存する気持ちは晩年になるに従って、いよいよ強くなっていった。.
(17) ︵2︶青木正児﹁用匙喫飯考﹂ ︵﹁学海﹂一九四四、のち﹃華国風味﹄岩波文庫、一九八四に収. 選﹄巻四︶を踏まえた言葉であり、﹁菁﹂は﹁蔓菁﹂のことである。 ﹁蔓菁﹂は﹁蕪菁﹂の. 露葵の. る と い う の は 、 杜 甫 が 野 菜 中 心 の 食 事 で あ っ た こ と を 示 す と と も に 、 カ ブが 食 材 と し て も. 菰 米 の飯 、 蒟 醬. 別 名 で ア ブ ラ ナ 科 の カ ブを 指 す 。 重 要 な秋 冬 野 菜 の 一 つ で あ る 。 そ れ が 食 料 の 半 分 を 占 め. ︶王維 ﹁春過賀遂員外 薬園 ﹂︵﹃全唐詩﹄巻一二七︶に、﹁蔗漿. 非常に有用だったからであろう。 ﹂と指摘する。. 録 ︶ に 、 匙 で 飯 を す く っ て 食 べ る こ と に つ い て の 詳 細 な考 察 が あ り 、 杜 甫 の二 句 も 引 用 さ. ︵. れ る。 ︵3︶巻十六に、﹁酥の音は蘇、羊乳の為る所なり。色白きこと練の如し。 ﹂ と言 う 。 ︵4︶ ﹃駢字類編﹄巻二一五には、 ﹃異物彙苑﹄から簡略化した文章を引いている。. あり、杜詩に見える醬とは異なる。. 羹﹂と見えている﹁蒟醬﹂は、ふうとうかずら︵つるごしょう︶の実から作った調味料で. ︶鈴木虎雄﹃杜少陵詩集﹄は、 ﹁あかざの豆雑炊﹂と言う。. ︶李翼雲・李寿松﹃全杜詩新釈. 下﹄ ︵中国書店、二〇〇二︶に、麦芽糖のことだという。. ︵. ﹂ ︵﹃全唐詩﹄巻二七四︶を書いている。しかし、別離の. ︶前掲﹃杜甫詩全訳﹄に、﹁⋮⋮忍飢挨餓帰返故園。 ﹂とある。. 情は述べられるが食事に言及することはない。. ︶ 戴叔 倫 も こ の 時 に 七 絶 ﹁送 董. ︵. ︵ ︵. ︶﹃新唐書﹄巻二〇一、杜甫伝には耒陽の令が牛炙白酒︵牛のあぶり肉と濁り酒︶を送っ. たという記述があるが、この一文は晩唐のᔤ 処晦﹃明皇雑録補遺﹄の記述を踏まえたこと. 大 い に 酔い 一夕 に し て. が明らかになっている。早くには宋・祝穆撰﹃古今事文類聚前集﹄巻一七に韓愈﹁題子美. 墓﹂を引き、按 語を附して、﹁唐の史 氏は乃ち小説の牛炙と白酒. の詩︱秦州隠遁期を中心に﹂に、﹁杜甫. ﹃義 門読 書 記﹄ 巻五 三. 惟 薬物﹂ に 作 る 。. ︶﹃文苑英華﹄巻三一八は﹁但有故人供 緑 米﹂に作り、﹃全唐詩﹄巻二二六は、﹁多病所須. ࡑࡑ. と 言 う よ う に 、 実 際 に 杜 甫 が ﹁ 牛 炙 ・ 白 酒 ﹂ を 飲 食 し た か ど う か に つ い て は 疑 問が 残 る 。. 此の二語に因り、偽造して牛炙・白酒の事を為す。 ﹂. ߑ. は﹁礼過﹂の一聯について、﹁陋生. ︵. 卒 す の 語を 承 く。信 なる哉、 史氏 の 誣 くや 。﹂ と言い、清・何. ︶ ﹃西渓叢語﹄はこの句を引いて﹁栗ᓒ ﹂のことだとする。栗ᓒ は栗のいがの部分。 ︶篠田統﹃中国食物史の研究﹄︵八坂書房、一九七八︶の﹁唐詩植物釈﹂の﹁桜桃﹂の項 に詳しい。. 甫農業詩研 究 ﹄ ︵知泉書館、二〇〇八︶から多大な恩恵を蒙った。ここに. ︹附記︺本文中でもしばしば言及したように、執筆に際しては古川末喜﹃杜. 巻一九︶、 ﹁即 事 ﹂ ︵同、巻二〇︶、 ﹁ 過 津口 ﹂ ︵同、巻二二︶。. ﹂ ︵﹃詳注﹄巻一八︶に、﹁峡中 蓋し因有り﹂と言う。. 一たび病に臥し、瘧癘. 冬春 を終う、春. ︶ 曹慕樊﹁杜注瑣談﹂︵﹃杜詩雑説﹄四川人民出版社、一九八一。また、﹃杜詩雑説全編﹄. ︶﹁寄薛三郎中. 生活・読書・新知三聯書店、二〇〇九に収録︶は卵の効能にも触れる。. 復た肺気を加う、此の病 ߁ ߤ ࠎߎ. ߭߿߉. ︶青木正児 ﹁適口﹂︵﹃酒の肴﹄岩波文庫、一九八四︶にこの詩を引いて、﹁槐の葉を擂り. 掲書 はこの詩について 、﹁エンジュ︵槐︶の 若葉入りという一風変わった手打ち の冷やし. つ ぶした汁 で、 麪 を 捏ね て造った 冷 麦 のたぐいで ある。﹂と言う。また、古川末喜前. うどんを作ったことがある。 ﹂ と 述 べてい る 。 ︶古川末喜前掲書﹁杜甫の野菜作りの詩﹂は、 ﹁冬菁は張衡の南都賦﹁秋の韭と冬の菁﹂ ︵﹃文. 示唆による。. 記 し て 謝 意 を 表 す る 。 な お 、 表 題 を ﹁ 杜 甫 の 食 事 詩﹂ と し たの も 同書 の. ︶ ﹁絶句六首﹂ ︿ 其四 ﹀ ︵﹃詳注﹄巻一三︶、 ﹁解悶十二首﹂ ︿其一 ﹀ ︵同、巻一七︶、 ﹁峡隘﹂ ︵同、. 23. と言う 。. は 食 べ 物 と し て 、 或 い は 漢 方 の 効 き 目 あ る 薬 材 と し て こ の 薤 を 取 り 上 げ てい る の で あ る 。. 薤. ࠄ 䏉 ߈䏌 ߁. ︵. とす る者有り 。﹂という一文を踏まえる。ただし、嵆康の一文も﹃列子﹄楊子篇を出典と. にこの詩への言及がある。. ︵8︶前掲﹃杜甫農業詩研究﹄の﹁農事と生活をうたう浣花草堂時代の杜甫﹂のうち、第八節. 削させた 。. ︵7 ︶四川省広漢市の西にある湖。上元元年︵七六〇︶、房琯が漢州刺史に左遷された時に掘. する。. ︵6 ︶一句は嵆康﹁与山巨源絶交書﹂︵﹃文選﹄巻四三︶の、﹁野人に炙背を快とし、芹子を美. の食物﹂の項などに詳しい。. ︵5 ︶まこもが唐人に喜ばれたことは篠田統﹃中国食物史 ﹄︵柴田書店、一九七六︶の﹁唐代. 17. 20 19 18. 22 21. ⋮⋮この詩からすると、杜甫は青々とした葉茎つきのラッキョウをもらったことになる。 ﹂. また 前掲 ﹃杜甫農業詩 研究 ﹄に は﹁杜甫と. ︵9︶らっきょうについては篠田統前掲書の﹁唐詩植物釈﹂のうち﹁薤﹂の項も参考になる。. ︵ ︵. ︵. ︵. ︵. ︵. ︵. 11 10. 12. 13. 14. 15. 16.
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