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≪苦吟≫前史 : 初盛唐期の詩人達をめぐって

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(1)《苦吟》前. はじめに. 初盛唐期の詩人達をめぐって. 中晩唐期の詩壇に顕著な風潮の一つとして詩人達の詩作への耽渉、 あるいは詩作に当っての過度とも言える坤吟が挙げられることほ、周. 知のとお-である。貿島の「推蔽」の故事に代表され、1般には「苦 吟の風潮」として知られるこの現象について'以前、私は「中晩唐期 (-) に見られる詩文学への没頭的風潮について」と題する拙論において考 察を試みたことがある。 その結果、私が確認し得たのは'基本的にはおおよそ次のような点 l‥所謂「苦吟」のエビソ-ドを中心とした、中晩唐期の詩人達の. についてであった。. 詩作への耽溺を詳細に検討してみると、必ずしも遅筆な坤吟ばか りとは限らない。詩に対する常軌を逸した愛好癖、あるいは速筆 多作なタイプの耽溺なども一方に見られる。したがって'この風. 田. 充. への没頭・坤吟という行為が、この時期の詩人達において初め. ならば、「それまではマイナス評価を与えられがちであった詩作. 仮に対象を詩人達の文学的自覚という点のみに絞って考えてみる. 的な種々の要因についての幅広い考察が必要であろう。ただ'今. ‥右の問題を解-ためには、文学的な'あるいは社会的政治制度. か」という形で問われるべきであろう。. れ、一つの風潮を形作るはどの急激な顕在化が見られたのは何故. なく、「この時期、詩人達の詩作への没頭・坤吟に拍車がかけら. だけが詩作に没頭し坤吟したのか」という形で問われるべきでは. けではない。だとすれば、この風潮は、「何故この時期の詩人達. に共通のものであって、何も中晩唐期の詩人達のみに限られるわ. ‥創作に当っての没頭・坤吟は'程度の差はあれ、古今の文学者. とになる。. を得るための坤吟」といった、従来の単純な理解では不十分なこ. 「盛唐詩の世界からの脱皮を目指した中晩唐期の詩人達の、佳句. 博. 」. 潮をこれら全てを含んだ包括的な形で把握しょうとするならば、 《苦吟》前史. 岡. 史 岡田. 2 3. 一.

(2) どの仏教思想と結びつけて高-評価する価値意識'等々である。. の高潔な行為と見なす価値意識'⑥詩作への耽溶・坤吟を、禅な. 的な意識'⑤詩作への耽溺・呼吟を'世俗に背を向けた隠士処士. ょる優れた作品の創出が出世登用に結びつくという、現実的功利. な思想に支えられた、詩人としての自覚・意識、④耽溺・坤吟に. 衝動・創造の喜びの自覚、③文学に極めて高い価値を置-伝統的. そが優れた作品を生み出すという'技術論的な自覚'②芸術的な. わらず、必要に応じて「<苦吟><閑吟>の風潮」等の別の表現でも. 思いつかなかった。). ねない恐れもあるが、耳慣れた言葉を用いるとなるとやはりこれしか. 結果、三つの"苦吟″を使い分けることになり、返って混乱を招きか. 止むを得ず、仮に「《苦吟》の風潮」と呼んでお-ことにした。(その. を考え直してみた。しかし、なかなか適当な表現が見つからず、結局. の悪さを感じていたので'本稿を執筆するに当って、あらためて呼称. 見をいただいた。芙を言うと、私自身もこの造語に対しては落ち着き. している。その概略は、先の個条書きの項目5の括弧内に述べたとお. の一般的な意味内容とほ些か異なった、私なりの内容規定の下で使用. また、本稿の中で用いる<苦吟>および<閑吟>の語は、共に従来. 詩人達の詩作への没頭・耽溺に他ならない。. 筆、<苦吟>・<閑吟>いずれをも含めた可能な限り広い範囲での、. ただ、以下の文中でほ必ずしもこの用語にこだ. これらに注目することによって、この風潮を、いわば内的な側面. 5‥また、中晩唐詩壇のこの風潮のなかには、<苦吟>的傾向(呼. 吟型・苦悩型の詩作への耽溺。例えば、君島・孟郊・李賀など) と'<閑吟>的傾向(詩作に耽溺しながらも、1方でそれを、精. 神的な余裕と落ち着きを備えた閑適的な意境の下に留めておこう の二つ. りであるが、詳しくは拙稿「中晩唐期に見られる詩文学への没頭的風. とする性向を持つタイプ。例えば、自店易・陸亀豪など) の傾向を見出すことができる。両者にほ互いに融合しあう側面も. 潮について」および「中晩唐期<閑吟>覚え書き」を参照されたい。. すでに述べたように、創作にあたっての没頭・坤吟が、程度の差ほ. 初唐期. あり'裁然と分離して定義できるわけではない。しかし、右の二 つの傾向を軸とした考察は、この風潮の実態・歴史的な消長の解. 旧稿に示したこのような観点に立って、私は今後しばらく継続的. あれ、古今の文学者に共通のものである以上、同様の行為ほ中晩唐期. 明に極めて有効と思われる。. に、中晩唐期の詩人達の詩作への耽瀦について論じてみたいと考えて. 以前にも存在したはずである。ここでは先ず、初唐期を対象としてそ. の実情について考察してみることにしたい。. いる。本稿は、その序論的な意味合いを兼ねて、時代を初盛唐期に遡 り、この風潮の萌芽・源流を探ろうとするものである。. 二. (2). この風潮を呼ぶことにするが、要するに指し示すところは、遅筆・速. が'その後幾人かの方々から、奇異な感じがして馴染めないとの御僻. の没頭的風潮」、あるいは略して「<詩>的風潮」等の呼称を用いた. なお、旧稿において私は、中晩唐期のこの風潮をさして「詩文学へ. 二. から解明してゆくことも可能であろう0. 4‥この様々な価値意識とほ、具体的にほ例えば、①耽滞・坤吟こ. う重要な変化を指摘できる。. て'様々な高い価値意識を伴って自覚されるようになった」とい. 《苦吟》前史. 岡田.

(3) かな. つく. かえ. (『隔唐嘉話』巻中). ここで視点を「詩」に絞って、もう少し踏み込んだ考察をしておく必 要があろう。. でほ、初唐期に詩作にまつわる没頭・坤吟のエビソ-ドが見られな. 第1に考えられるのは、この時期においては「詩」というジャンル. いのほ、一体何故であろうか。. て、当時その比あること竿なり。. が、「文」に匹敵しうるだけの文学的・社会的価値をまだ獲得するに. たぐい. 宝図を出すの項」「則天哀冊文」及. 急速に上昇していった。しかし1方、南朝官体詩の趣味的座興的な軽. 初唐期、「詩」が文学の諸ジャンルのうちで占める位置は、確かに. されていなかった、という点であろう。. 朝廷の須むるところの「洛. (4). (『旧唐書』巻九四) のエビソ-ドから直ちに連想され. 文学の性格がなお色濃-残っていたことも事実であり、「詩」は、当. (五九六-六五八). るのは、貫島の「推蔽」の故事であろう。この故事については'史実. ていなかったように思われる。現に'先の祐遂良や雀融においても、. 時の通念としてほ、「文」を圧して完全に文学の王座に就くには至っ. 詩はあ-までも余技だったらし-、現存する作品数も文に比べて格段 のエビソ-ドについて. に少ない上に、質的にも高いとは言えない。苦吟的資質の持主とはい. (六五二-七〇五). たりがあったのである。. え、朝廷の「大手筆」と篇詠とでは、その創作態度には自ら大きな隔. れない。また'後者の雀融. 天折した李賀の苦吟が'わずかにこれに匹敵しうるであろうか.いず. るには至っていなかった、という点が挙げられよう。例えば、初唐の. の際における極端な没頭・坤 第二にほ、詩文制作(わけても詩作) 吟が、この時期においてほまだ優れた創作態度として一般に認識され. って、佳句を求めての没頭やそれに伴なう生みの苦しみでほなかった. 人々の喝采を浴びたのほ、そうした打てば響-ような文学的才能であ. のが目を引-0(その幾つかを左に掲げてお-ことにする。)初唐期'. てみると'遅筆ないわゆる「苦吟」とほ逆の、速筆・連吟に関するも. 文学者達の伝記資料のなかから創作にまつわるエビソ-ドを拾い上げ. れにしても、この二つの逸話が私達に教えて-れるのは、中晩唐期の である。 ただ、問題は右の二つの逸話がいずれも「文」. って、「詩」に関するものでほない点であろう。実を言うと、初唐期の (7). 文学者の創作への没頭・坤吟を伝えるエビソ-ドは、管見の限りでは. 岡田. この二例のみで、詩作に関するものは見当らない。となると、私達ほ 《苦吟》前史. 三. にまつわるものであ. 苦吟に勝るとも劣らない前例が、初唐期にすでに存在するという事実. (6). 要らず当に心を堰き出して始めて己まんのみ」と母を嘆かせ、終には. や. 当らない。強いて挙げるとすれば、性格は異なるけれども'「この児. 言うならば、これほど極端な坤吟の例は中晩唐期の詩人達にも一寸見. るが、そうだとすれば、その原型はここらあたりに求められるかもし. (5). でほなく、フィクションの可能性が大きいことがすでに指摘されてい. 前者の祐遂艮. し、思いを用うること病苦にして、遂に病を発して卒す。. 文を為ること典麗にし. (3). 太宗の哀冊文を為りしとき、朝よ-還るに馬誤って人. 初唐期の文学者に関する伝記資料の中から没頭・坤吟にまつわるエ ビソ-ドを拾い出すとすれば、次の二つが挙げられよう。 さと. 至っておらず、したがって、没頭・耽漬すべき対象とは必ずしも見な. もと. び諸々の大手筆ほ、並びに手ずから赦して融に付す。哀冊文を接. まれ. 祐遂良 ∵ト. 家に入るも覚らず. 雀融. まさ.

(4) のである。. 陳叔達. 《苦吟》前史. たくみ. 草隷を善くし、詩に工にして、毎に有名の士と燕. すなわ. と. (『新唐書』巻一〇〇) -頗る才学有り'陳に在りて義陽王に封ぜらるo年十. と. (8). んずる所と為る.嘗て千字の詩を製り、当時以て盛作と為す.陳. る。僕射の徐陵 甚だ之を奇とす。 (『旧唐書』巻六1) -陳に在りて褐を秘書郎に釈き、甚だ尚書令の江総の垂 つく. 再拝. (梶)師道. つね. し、少選にして軌ち成るも'寛定する所なければ、一坐嵯伏す。. しばらく. と. 其の詩を見、為に埴調嵯賞す.後、宴を ごと. 酎賞する毎に筆を捉りて詩を賦し、 な. 集し'歌詠自適す.帝 賜わるに、帝日く「聞く これ. 宿構せるが如しと。試みに朕が為に之を為せ」と。師道. 公. 凡そ文を作らんと欲すれば、先ず墨を磨らしむること数. (『旧居書』巻一九〇). の後主 聞きて召して禁中に入れ、月の賦を為らしむるに、朗. ∵\. 下筆敏速にして、著述. め筆を援れば成り、文は点を加えず。時人. (蘇)鴛. 謂いて腹藁と為す。 (『唐語林』巻二) 尤も多し。 (『旧唐書』巻一四九). ただ'このような「速筆」「連吟」が尊ばれる風潮にあったとはい え、この時期、詩作における労苦・没頭が全く無かったと考えるのは 『詩品』序に見え. る次のような記事によれば'詩作における没頭・坤吟ほ'南朝斉梁の. 不自然であろう。時代は遡るけれども、梁の鍾喋の. な さ. ため. 岡田. 余歳にして嘗て宴に侍りしに、詩十韻を賦し、筆を援りて便ち就 これ. 翰を染めて立ちどころに成る。 およ. 升、酒を飲むこと数盃にして、被を以て面を覆いて寝ぬ。既に落 と. 今の土俗. こ. わず. ぉよ. よ. た. 四. ここ. おの. (9). の「南山家園林木交映夏五月幽然清涼. 「苦吟」という言葉の最も早い使用例の. 機を忘れて人の代に委ね. 隔を閉じて天心を察す. 紅薬を憐み. 一つであり、. 再考」において既に指摘したように、この作品は管 見の限りでは、. その後半部を左に挙げてみょう。. 閉隔察天心. 忘機委人代. 注目に値する.. 拙稿「『苦吟』. 独坐思遠率成十韻」詩について触れておかねばなるまい。. つ、陳子弟(六六一-七〇二). べたとおりであると考えられるが、本節を終える前にここでもう一. 初唐期の詩人達と創作上の労苦・没頭については、おおよそ以上述. た体験を持っていたのである。. の詩人達もまた、それぞれの胸のうちに人知れず秘める形で、そうし. あるいは中晩唐の詩人達ほどの坤吟・耽溺はなかったにせよ、初唐期. 得ない。エビソ-ドとして後世に伝えられることはなかったにせよ、. いて、そうした創作上の労苦が全く存在しなかったということはあり. つつさらに高度な新しい叙情世界の完成を目指した初唐期の詩壇にお. いたことを知ることができる。だとすれば、六朝詩を批判的に継承し. 作に当ってほ'多くの修練と労力を必要とする水準にまで既に達して. 六朝末期'詩というジャンルが実質上ここまでの発展を見せ'その創. で拭えているのであるが、それはともか-として、私達はここから、. 鐘喋は、詩の流行がもたらした弊害として、この風潮を批判的な目. 分夜坤吟せしむるに至る。. 容を為し、膏朕の子弟をして文の逮はぎるを恥じ、終朝点綴し、. かたち. はじ. 斯の風煩んにして、縮かに能く衣に勝え、甫めて小. さか. 学に就けば'必ず甘心して馳驚す.是に於て庸音雑体、人各おの. つ. な. 峡蝶憐紅薬. ゆだ. 衰朗. 王勃. 詩壇において既に一つの風潮を成すに至っている。. 映蝶. まど. ふで.

(5) 輯挺愛碧韓 坐観寓象化 方見百年侵 擾擾将何息 青青長苦吟 願随白雲駕. 没頭的傾向」においてすでに指摘したように、中晩唐期の詩人達の. 《苦吟》(-<苦吟>および<閑吟>)は'しばしばそうした精神世界. 碧滞を愛す. 坐して万象の化するを観. と結びついて現われるけれども、この時の陳子弟においても、詩歌は. 将に何-に息わんとす. 願わくば白雲の駕に随い. を作る」あるいほ「詩作に耽る」の意味であれば、この作品ほ'初唐. 期における詩作上の没頭・労苦を示す貴重な資料となろう。ただ、こ. る。勿論'彼のこの自覚がそのままス-レ-トに中晩唐期の<苦吟>. の精神に繋がるという訳ではない。しかし、詩歌に対するこのような. 自覚が詩人達の間に定着し'さらには価値的に認識されて行くといっ. た過程を仮に想定してみるならば'私達はそこに、後の中晩唐期の. 《苦吟》を生み出してゆ-、1つの精神的思想的な土壌を見て取るこ とができよう。. 恐ら-中晩唐期の詩人達の《苦吟》とは同一視できないにもかかわ. らず、陳子日印の「苦吟」ほ、それを取り巻-隠逸的脱俗的な精神世界. の語の正確な意味となると意外に厄介であって、簡単には押え切れな い。たとえば、「苦吟」ほここでは詩作行為ではな-て、(既成の詩歌. にまつわるエビソ-ドは、周知のように. 頭が表面化することはなかったようである。例えば、当時を代表する. 三口でいえば、この時期も初唐期と同様に、詩作における労苦・没. うことにする。. 点と考え、本節では、それ以前の開元・天宝期に活躍した詩人達を扱. い。安禄山の乱の勃発した天宝十四年(七五五)あたりを一応の区分. 二期に分けることにしたが'明確な時代区分を考えているわけではな. 次に盛唐期の詩人達に目を移してみたい。便宜上、この時代を前後. 盛唐前期. い、貴重な資料なのである。. し示して-れているのであり'そうした意味で忘れられてはならな. によって、詩歌への沈潜を支える一つの思想の誕生の場所を私達に指. な-て、死を意識した陳子日印の苦悩・憂苦を指すとする解釈もある。 要するに、陳子弟のこの作品は、資料的な価値は極めて高いにもか かわらず、その正確な判読が難しいため、これを十分活かし切ること ができない。私がこの作品を本節の最後まで取り扱おうとしなかった のも、実ほそのためだったのである。しかし、正確な意味の把握は一 先ず諦めるとしても、そこからなお引き出せるものはある筈であり、 私達はその確認を怠ってはならないであろう0. は、上記のいずれの意味であるにしても、それが静謎な自. 例えば、この陳子弟の「苦吟」(長-続けられる詩作行為ないしは 吟前行為). 然のなかで、隠逸的脱俗的な精神世界を意識しながらなされていると. 詩人李白(七〇一-七六二). 五. いう点だけは、確実に言える。拙稿「中晩唐期に見られる詩文学への 《苦吟》前史. 岡田. 三. ことも可能であるし、またこれとは別に、「苦」字が詩作上の労苦では. を何度も重ねて噂詠する)吟商行為をさして用いられていると考える (10). 孤独な沈潜の中でなされる脱俗的な行為として自覚されていたのであ. 方に百年の侵すを見る. 長く苦吟す. いこ. 相い招尋せん. いず. 最後から数えて三句目に歌われている「苦吟」が'「苦心して詩歌. 龍鶴相招尋. 晴挺 青々擾々. まさ. 龍鶴.

(6) 《苦吟》前史. 1たび揮い、文に. 冷水を以て之に. 詔に応じて「白蓮の花開くの序」及び「官詞. 御前において筆を索めて (『唐抵言』巻一 三・敏捷) 皆句読を成し、 号して「粂花の論」. (『開元天宝遺事』巻下). あまね. れば即ち過ぎ、周くして復た始め、午後に至りて詩筆供に成り、. 七千余字を得たり.伽お寓に満たさんことを請う。宰相云う、「七. 千ほ多しと謂う可し。何ぞ必ずしも寓を須いん」と。具さに状を. もち. 彼の「速吟」を伝えるものである。 開元中、李翰林 ・てTr). 十首」を草す。時に方に大酔したれば、中貴人 ようや. 沃ぎ、梢-醍む。自 点を加えず。 托まれ. 天才俊逸の誉有り。人と談論する毎に、. 詩千首. 真に哀れむべし. よらノきよJfノ. 李生を見ざること久し. 春絶麗藻の如-、歯牙の下に発たり。 と日う。. 不見李生久 伴狂真可哀 敏捷詩千首 酒1杯. 六. とも. つぶ. (『封氏閲見記』巻10). 以て聞ゆ.赦して律吊を賜い、広文館に直さしむ。時に張寓言と 号す.. 史青は零陵の人にして、聡敏強記なり。開元の初め、上善して. (『全唐詩』巻1. 称賞し、左監門衛将軍を. 試みるに「除夕」「上元竹火寵」等の. 自ら詩を能くすと薦め、「子建は七歩なるも、臣は五歩の内に明 詔を塞ぐ可し」と。明皇. 詩を以てするに、口に応じて出づ。上 授く.. しかし一方、この時期の詩人達の詩作への没頭・労苦を伝える資料. も、実は僅かながら拾い出すことができる。左にそれを挙げてみるこ とにしよう。. (檀)範. 吟詠に苦り、ゝ病より起きて清虚に当る。友人. 1五). (『唐才子伝』巻1). 戯れて日-、「子の病みて此の如くなるに非ず。乃ち吟詩 ことごと. 苦吟せL老なり.. 孟浩然は眉竃尽-落ち、襲祐は袖手し{fJ衣袖穿つに至り、. 経は醇聾に建り入るに至る。皆. 風潮が盛んとなった中唐期以降のものであり、そうした風潮のなかで. う。というのほ、右に示した記事を載せる文献は、ともに《苦吟》. は、いずれも信葱性についての確認の手続きが必要とされる点であろ. ただ、これらの資料を扱う際に、私達が注意しなければならないの. (『雲仙雑記』). 苦淳之去. すす. て痩するのみ。」と。遂に口賓と為るo. うが. (杜甫「不見」) 「連吟」の記事としては、次の (u). 之を覧て駁. 之を小として土火炉の賦を為らし 詞理典賠たり。日用. な. 瓢零酒一杯 この他、盛唐前期における「速筆」 ような資料が挙げられる。 (蘇)逝. 幼-して英俊、文思敏速たり。始め年十五にして薙. 翰を捉れば即ち成り、. 州長史の程日用に謁す.日用 む。逝. 是を以て慣誉益々重し。 (『旧唐書』巻1九〇中・文苑伝). に. きこ. 作られたフィクションの可能性が考えられるからである。そこで些か. 面倒でほあるけれども、右の詩人達の詩作態度について、以下、逐1. り に. 王. ・カく. (13). な. ふけ. もと. 〓云に応じ、自挙するに「日に する老三十. 仁コ. 然とし、遂に忘年の交を為し、. これ. て. 天宝中'漠州維県の尉の張捗. を. ・もと. 庭 害を. (12). 岡田. 寓言を試みん」と.中書の考試を須む.障. 環苧薫 り く. の. つく. し. と. 人をして各々紙を操り筆を執りて庸に就. 坐. (14). これ. 伴狂 瓢零敏捷. これ ヽ. 言. ヽ. 李白. に題目を占らしむ。身は自ら巡歴して'題に依りて口授し、. 話芸供宝. ごと. き. ふで. はか. 時人. つ. そそ.

(7) 検討を加えてお-ことにする。 先ず最初の雀顧(?-七五四). について.『唐才子伝』が伝えるこ. たのである。. ここで、先の王士源の序文をもう1度振り返ってみよう.「詩を為. 護する1節の存在ほ'道に言えば、それが当時1般にほ、マイナス評. 次に見える襲祐(?-?). ほ、孟浩然・三経と並べて論じられてい. 張するまでの文学思想はなかったようである。. ての自覚ほあったものの、彼にもやはり'それを積極的に押し出し主. く見当たらず、出所が明らかでない.また、現存する彼の詩文にも、. の記事のうち、孟浩然(六八九-七四〇). 価の要素だったことを物語るものであろう。また、王士源の弁護の控. 次に、『雲仙雑記』 いて。孟浩然に関する伝記資料には、他にこうしたエビソ-ドを載せ るものはな-'やほりそのまま信用するわけにはゆかないo. (16.). には'次のよう. るところからすると、恐ら-盛唐の詩人であろうが、伝記資料も作品. ある. 彼がそうした逸話を生みそうなタイプの詩人だったことは、同時代人. およ. も他にほ一切見当たらない.これ以上検討を加える術もないので'先. しかし、. 自身の詩作態度について語った記述はない。残念ながらこの逸話は、. る毎に興を仔ちて作る.故に或いは成ること遅し」という、遅筆を弁. ま. え目な口調から推測すると、詩作における沈思・熟考の重要性につい につ. ごと. いまひとつ信想性に欠けるようである.. のエビソ-ドほ極めて興味深いが、彼に関する他の資料には類話が全 (15). の確実な資料によって推測できる。例えば、孟浩然の詩集の編纂着で. つく. ある王士源が記したその序文(天宝五-八年頃の作) な1節が見られる. ま. 常に自ら嘆ぜり'文を為るは意に逮ばずと。. か否かは別として、孟浩然がいわゆる苦吟タイプの詩人であったこと. な沈思型の詩人の姿である。『雲仙雑記』の記事が事実を伝えている. ここに示されているのは、表現の困難さを十分知り尽-した、遅筆. し。-. 浩然、詩を為る毎に興を仔ちて作る。故に或いは成ること遅. ごと. は、はぼ確実であろう。. ただ、その彼も、自身の詩作についてほ、若年の頃の修学を回想し た句のなかで僅かに触れているのみであり、詩作に伴なう労苦を直接 (柑). 吐露した作品は見当らない。つまりこの孟浩然においても、詩作上の 労苦はなお、積極的な意味合いで自覚され主張されるには至っていな い。「文を為るほ意に逮ばず」という嘆きの下、完壁な表現に一歩で. およ. であろう。 最後に'王維(六九八?-七六一). 知君苦思縁詩痩. 君が苦思して詩に縁りて痩せ. (杜甫「暮登四安寺鐘楼寄襲十辿」). 裾野父遊に向かいて万事願㌢を. 資料が残っている点である。. た装辿(七一六-?)・祖詠(大九九-七四六?)に関する次のような. ただ、この王維の記事に関連して注目されるのほ、彼と親交のあっ. ざるをえない。. 示す傍証になるようなものはな-、事の真偽についてほやほり保留せ. 他の資料にほ全く見当たらない。現存する王維の詩文にも彼の苦吟を. について。このエビソ-ドも、. の在席の場合と同様、疑問符付きの参考資料として扱わざるを待ない. (19). (殿播『河岳英霊集』巻下). (祖)詠の詩ほ、勢刻省静にして、用思に尤も苦しむ。. 太向交渉寓事憤. よ. つく. も近仲-ための試練として、彼もまた独り秘かにこの試練に耐えてい 岡田. 知る. (17). 《苦吟》前史. 七. つく. つ.\.

(8) 《苦吟》前史. 辿が平生「苦思」することの多い詩人だったという前提があってこ. に言えば後者の論評ほどの客観性は持ち合わせていない。しかし、襲. てきた感がある。加えて興味深いのほ、ここまでの考察で拾い上げて. 手掛かりのなかった初唐期に比べれば、現象ほ随分水面近-に浮上し. これは単なる偶然であろうか。恐ら-はそうでほあるまい。そこに. は、そうなるべき何らかの必然的な理由で潜んでいるように思われ. る。今、試みにその理由について考えてみるならば'第一には'自然. を見せる自然界を描写しながら、そこに自己の心境を巧みに織り込ん. 詩というジャンルに固有の詩作の難しさが挙げられよう。様々な表情. ほ有り得ないだろうか。あるいは、遅筆な苦吟タイプでほなかったと. ひ. 往来し、琴を弾じ詩を賦し、噂詠して日を終う。. もうこう. (巻一九〇下・文苑伝). 沈潜が必要とされる。六朝期の自然詩を超え、このジャンルに飛躍的. な発展をもたらすために、彼ら盛唐の詩人達が費やさなければならな. かった努力にほ'多大なものがあったのでほないだろうか。. さらに理由の第二としては'前節の陳子昂の詩の考察において触れ. た、隠逸的・脱俗的世界との結びつきという点が挙げられる。隠逸的. 脱俗的な志向をもつ精神k).とって、自然は俗塵を避けて安らぐべき場. であり詩歌であった。例えば、孟浩然や王維の作品のうちにも'それ. 所であり、その自然のなかで営まれる高雅な生活の象徴こそが、琴絃. 『雲仙雑記』 の逸話を次のように読み替えてみ. てはどうだろう。つまり、この話は、王維を中心とする詩人グル-プ. 琴歌野興間. 琴歌壷酒. 野興間なり. 春泉満ち. 朋情拾-. あまね. 羅軒苔澗. 夜月間なり. を示す詩句ほ散見される。. きないものがあるように思われる。. 苔澗春泉満. 壷酒朋情拾. 盛唐前期の詩人達の詩作上の労苦・没頭に関する資料は'管見の限 りでは以上が全てである。『唐才子伝』『雲仙雑記』 の記事ほ、結局い. 薙軒夜月間. 考えるならば、王維の逸話が持つ資料としての価値には、なお軽視で. 専ら力点を置-形を取ることによって成立している、と。このように. ずれも真偽のはどが明らかでないけれども、注意深く検討を重ねて行. (孟浩然「遊鳳林寺西嶺」). の苦吟的・耽瀞的な傾向が、王維個人の名を借り、その苦吟的側面に. だとすれば、ここで. は異なり、景情一致のための高度な表現技術と、自己の内面への深い. でゆく自然詠の世界は、高揚した感情を1気珂成に歌い上げる場合と. お. 宋之問が藍田の別壁を得たり。壁は桐口に在り。水. べつしょ. の次の記事から容易に想像. しても、閑適的な詩世界への耽満ということであれば、彼がそうした. (ce). じグル-プに属する一人として、王椎にも同様な傾向があった可能性. ところで、彼らがこのような苦吟タイプの詩人だったとすれば'同. 信煩するに足りよう。. ねばならないにしても、同時代人の証言として、殿播の指摘とともに. きた資料が、所謂<自然詩人>に集中している点であろう。. くことによって資料的な価値を引き出すことも可能であり'ほとんど. 八. そ'この諸謹も生きて-るのであり、字面通りに受け取ることは避け. 前者の杜甫の詩句には、実は讃讃的な口吻もこめられており、厳密. 岡田. 資質の持ち主であったことは、『旧唐書』 されよう。 めt,. か. -. を舎下に周らせ、別に竹洲花鳩に液-。道友裳辿と舟を浮かべて. 王維.

(9) 能令許玄度. 能く許玄度をして. 吟臥すれば夕陽噴る (孟浩然「同王九題就師山房」) 何の得る所ぞ. (王維「丁寓田家有贈」). (王椎「贈装十辿」). (王椎「竹里館」). (孟浩然「釆闇賓新亭作」). 也た徒らならんや. いたず. (孟浩然「宿立公房」). 吟臥して還るを知らざらしむ. 周遊して清蔭偏-. あまね. 吟臥不知還. 周遊清蔭偏 吟臥夕陽嘆. 静中何所得 吟詠也徒哉 幽笠の裏. 復た長曝す. 独り坐す. 弾琴復長噛 日夕に佳-. 時に招隠の詩を吟じ 或ほ間居の賦を製す. が支えられ、「吟臥して還るを知らず」といった態度が高士として称 えられるとすれば、そうした価値意識に支えられて詩作に傾注する自 然詩人達のなかから、過度の没頭・耽溺へと進む人々が現われても不 思議はない。文学的自覚ないしほ文学思想としては、なお明瞭な形を 取るまでには至っていないけれども、詩作への没頭を生み出し、それ を思想的に支える土壌ほ、こうした精神世界の内に既に準備されてい 岡田. たと考えられるのである。. の1つの源. このように見てくると、彼ら盛唐期の自然詩人達の存在は、中唐以. 降の<苦吟>および<閑吟>の風潮(=《苦吟》の風潮). 流として、新たな姿で浮び上がって-ることになろう.従来'盛唐前. 期の詩人達の詩作態度について'こうした観点から注目されることは. ほとんど無かったと言ってよい。しかし、この時代においても'《苦. 吟》の源流・萌芽となる動きは確実に存在し'育ちつつあったのであ. なお、盛唐期の詩人達の詩作上の苦心・労苦に関連して、ここで羅. 『隔唐五代文学思想史』(上海古籍出版社) に見える興味深. はあったとされ、それについて次のように述べら. 厚、芸術技巧的高度成熟的産物、而不是苦吟的結果。困此'錐為. 芸術提煉、而併表現為一揮而就、表現出竃無人工痕跡。. (1. 現の頻用や先人の詩句のそのままの借用がしばしば見られること等. 盛唐前期の詩人達の用いる言葉が概ね平明であること'額似した表. 人達全般にも或る程度当て族るのでほないだろうか。. 「提煉」におけるこうした傾向は、李白のみに限らず、この時期の詩. 十分な検討を経た後でなければ確かなことは言えないが、詩作品の. 1四頁). 中的、更少煉字煉句的工夫、更多的属干才気縦横与芸術素養的深. 種自覚追求。不過、這種芸術提煉之工、更多的属干芸術構思過程. 李詩之所以達到了朴素自然之美、実是提煉的結果'是芸術上的一. れる。. 「捉煉」(-精錬). 氏は'<連吟>をもって知られる天才詩人李白にも、詩作における. い指摘を紹介しておきたい。. 宗強氏の. る。. ノ\. 君と与に新詩を賦す. 風景日夕佳. 独坐幽窒素. ま. 隠逸的脱俗的な世界と結びついた'高い価値意識にょって詩作行為. 或製間居賦. 時吟招隠詩. 与君賦新詩. 弾琴. 《苦吟》前史. 九. よ. 吟詠静中 風景.

(10) 《苦吟》前史l耶岡田. は、かねてから指摘されている通りである。だとすれば、彼らの詩作. 語不驚人死不休. 一〇. 人を驚かさずんば死すとも休めず. や. (「江上値水如海勢柳短述」). 性霊を陶冶するほ庶物か存す. なに. 改め罷みて自ら長吟す. や. 上の苦心は、一字一句の彫琢よりも、むしろ全体的な表現・構想の問 陶冶性霊存庶物 新詩改罷自長吟 熟知二謝将能事 頗学陰何苦用心. ねんごろ. 陰何の. に心を用いしを. (「解悶十二首」其七). 『本事詩』が載せる李白の「戯贈杜甫」詩は、. 頗る学ぶ. 二謝の能事を将てせるを熟知し. もつ. 題に比重が置かれることが多かったようにも思われる。無論、事柄は それはど単純に割り切れる性格のものではないであろうが、この推測 がそれなりの妥当性を持つとすれば、一口に詩作における苦心・労苦 とほ言っても、盛唐前期と中晩唐期の詩人達との間でほ、質的な差異 をも考えねばならない訳であり、こうした角度からの再検討も必要と. また、晩唐の孟菜の. 語. 後人の偽作とされるが、 中晩唐期の人々の目に映った杜甫像として、 ここにも彼の風貌の 飯額山頭蓮杜両 頭戴笠子日卓午 借問別釆太痩生. ことは可能であろう。. に杜甫に逢うに. 頭に笠子を戴き日ほ卓午. 太だ痩生たる. はなは. 総て従前詩を作る苦しみの為ならん. 借問す. せ. なってこよう。. 苦. や. 現在の私にはこの点について論ずる準備がな-、ここでは単なる指. (22). 験を通じて得られた詩に対する深い信顔と愛着とによって、それほ支. りオ-ソドックスな儒教的文学観を基盤とした自覚・自負と'創作体. 価値意識が、大きな存在としてあったとほ考えにくい。恐らくは、よ. る自覚のなかに、前節の自然詩人達に見られたような隠逸的脱俗的な. 生涯をそこに重ね合わせてみるならば'彼自身の詩作への没頭を支え. 証人として幾多の名作を残し、「詩史」とも称される彼の詩人としての. に把握することは難しい。しかし、安史の乱を境とする激動の時代の. の二例に尽き、その背後にどのような文学的自覚があったのかを正確. 自らの(苦吟)的詩作態度について杜甫が述べるところは、はば右. なものだったのであろうか。. ところで、杜甫のこのような詩作行為を支える自覚とほ、どのよう. 総為従前作詩苦. 別来. 摘に留めぎるを得ない。しかし今後、《苦吟》のより詳細な考察に進 むとすれば、その過程でいずれ改めて浮かび上がってくる問題であろ. 盛唐後期(-中唐初期). である。 為人性僻耽佳句. 人とがり性僻にして佳句に耽り. のほ'彼に始まる。その例としてしばしば引用されるのが'次の詩句. る苦心・没頭的な姿勢を、詩人としての自負とともに公然と表明した. すでに幾人かの研究者によって指摘されているように、詩作におけ. めて重要な位置を占める。. 1二-七七〇)であろうが'《苦吟》の歴史の中にあっても、彼ほ極. この時期の詩人達のなかで突出した存在は、何といっても杜甫(七. くことにしたい。. 庸初の代宗大暦(七六六-七七九)年間についても併せて瞥見してお. うQ. 新詩 すべ. 端 飯竺を 懸か窺 山 う 演. (21). 本節では、安禄山の乱以降の盛唐後半期を考察の対象とし、続く中. 四.

(11) 芽を内に持ちながらも、それを自らの作品のなかでほっきりと表明す. 前節で見たように、盛唐期の自然詩人達は、そうした価値意識の萌. ったという点である。. ただ、隠逸的脱俗的な価値意識とは一線を画する地点に自らの詩精. るには至っていなかった。杜甫は、彼等のそうした半ば潜在的な(育. えられていたのではないだろうか。. して排除してはいない。例えば、先の「解悶」詩の「性霊を陶冶」す. 吟)ないしは(閑吟)を表面化させる1方、自らの詩作においては、. 神を置きながらも'杜甫はそうした価値意識に支えられた文学観を決 るといった文学的自覚に見られる内省的な性格などは、恐ら-当時の. 隠逸的脱俗的な世界とは1線を画しながら、それをも含めたより包括. ものう. 清詩道の更に近㍗ろ 子が用心の苦なるを. ている詩作への傾注とその成果としての「清詩」も、隠逸的生活と結. 『詩式』が残されているが、そのな. を失う」と。此れ然らず。夫れ虎穴に入らずんば鳶-んぞ虎子を. むしろそれを容認し評価する一面を持っている。したがって、先の盛. 唐期の自然詩人達の隠逸的脱俗的な傾向にしても、彼らが儒としての 自覚を持つこととは必ずしも矛盾しないし、杜甫がそれを高-評価す るのも当然といえば当然の話であろう.むしろ、ここで注目したいの ほ、このような隠逸的脱俗的な世界と結びついた詩作への没頭もま. る有り。此れ高手なり。. 何ぞ道を妨げん'禅棲. 君が詩思の禅心を動かし、我をして. 詩を醸さ. (取境). 篇の後は、其の気貌を観るに、等間にして思わずして得るに似た. いず. ここには'創作技術の観点からなされた、明確な《苦吟》の主張が ある。. この他、彼の作品には、「市隠 ず」(「酬雀侍御見贈」)、「愛す. 二. (24). た、杜甫に至って初めて、明確な価値意識とと7?に歌われるようにな 《苦吟》前史. 岡田. すべから. 儒をもって任ずる杜甫の詩観に、こうした隠逸的脱俗的な価値意識 がみられること自体ほ、実はさはど異とするに足りない。しばしば指. 得んや。取境の時は'須-至難至険にして始めて奇句を見、成. 又云う、「(詩は)苦思するを要さず。苦思すれば則ち自然の質. かに次のような一節が見られる。. 九九)がいる。彼には、詩論書の. 眺めてみると、忘れてほならない存在として詩僧の鮫然(七三〇-七. 次に、この中唐初期、杜甫からやや遅れて活躍した詩人達について. からさらに詳細な検討が加えられる必要があろう。. 達を輩出した韓愈の文学集団において、杜甫が尊崇の的となった事実 ともあわせて、彼の文学的自覚・思想については、今後こうした観点. 史のなかで杜甫が果した役割の決定的な重要さは、正にこの点にある といえる。後の中唐元和期、《苦吟》の風潮の中心的存在となる詩人. 的な形で《苦吟》の思想を築き上げていったのである。《苦吟》の歴. 自然詩人達の文学思想と共通する側面を持っていようし、また、前節. 誠子用心苦. 清詩近道要. 翫隠居」詩の次のような1聯があろう。. さらに挙げるとすれば、隠士の院某なる人物にあてて詠まれた「胎. 苦吟に対する評価と理解が読み取れる。. 太だ交遊に向かいて万事傭きを」の句にほ'自然詩人糞迫の脱俗的な. はなは. で引用した「襲辿に寄す」詩の「知る君が苦思して詩に縁りて痩せ、. よ. 摘されるように、儒教思想ほ隠逸的処世を全否定するものではな-、. びついた形で称讃の対象となっているのである。. (23). 一首は院其の隠士としての高潔な処世を称えており'ここに歌われ. 識る.

(12) 《苦吟》前史. 岡田. ぅわけではない。しかし、小論において指摘したように'盛唐期の自. さからすれば、それほ1面当然でもあり'杜甫の重視自体が誤りとい. ∵一. 貫休(八五二-九一三)・斉己(八六三?-九三七?). 《苦吟》史上の杜甫の役割にしても、これとの関わりを考慮に入れるこ. とによってはじめて、1層明確な全体的評価が可能となるように思わ. 本質的には自然詠の詩人であり、しかも嘗ては僧籍の身であった。あ. れる。考えてみれば、中唐期《苦吟》の代表格である貫島からして、. 詩作への耽渉を歌う人々も少な-ない.瞭然を始めとして、彼等が. のか、あるいは、それが《苦吟》という1つの風潮を形作るに至る契. 機は何だったのか等々、課題として残る問題は依然大きいが,少なく とも、価値意識の表面化という現象的な面に限っていえば、中庸元和 期以降の《苦吟》の風潮は、最早目前だったのである。 おぁりに. 以上、初盛唐期を対象として、《苦吟》の源流を探ってみた。得ら き幾つかの動向が、それに先立つ時代にすでに窺われることについて ほ、従来の通説よりほい-らか詳細な形で明らかにすることができた. つけに大きな影響を及ぼしている筈である。この点についても'いず. の息子であるところから'初唐末から. 苦吟》の源流としてほ、これまで専ら杜甫のみが取り上げられる 「中晩唐期に見られる詩文学への没頭的風潮について」において、出輿 傾向にあった。勿論'苦吟》の歴史において彼が果した役割の大き を『唐語林』とのみ記したのは、正確でなかった。. なお、この話は、他に『太平御覧』巻五九六に引く『国朝伝記』(同 じ-劉錬の撰とされる)、宋の王讃の『唐語林』巻二にも見える。旧碍. 能性はない)、信短度はかなり高いと見てよいであろう。. 題がしばしば好んで取り上げられる中晩唐期より以前の出自を持つもの であり(したがって、苦吟の風潮のなかで担造されたフィクションの可. 盛唐にかけての人と推定される。つまり、このエビソ-ドは、苦吟の話. 歴史家劉知幾(六六一-七二一). 『隔唐嘉話』は、唐の劉餅の撰。彼の生卒年ほ明らかでないが、著名な. 『名古屋大学中国語学文学論集』第三輯. 『名古屋大学文学部研究論集』文学二六. れ準備を整えた上で、あらためて論じてみたいと考えている。 注. 値意識が、どのような内的要因・外的情況によって形成されていった. 意識が、すでに形を準えて準備されていることに気付く.こうした価 として<閑吟>的な側面において、《苦吟》の性格とその潮流の方向. さて'ここまで辿ってきて、私達は苦吟》を宰える幾つかの価値 自然詩人や詩僧達に窺われるこうした伏流は'私の見通しでは'主. いだろうか。. るいはここにも、単なる偶然の一致以上のものが潜んでいるのではな. (25). 《苦吟》の風潮の顕在化に果した役割には、極めて重要なものがあろ. など,自らの. 態度であったと思われる。中唐期以後、僧侶でありながら詩を能くす る<詩僧>の存在は俄に目を引-ようになるが、後の無可(?-?)・. て考えるならば'仏教思想に享見られた(閑吟)的姿勢が、彼の詩作 然詩人や中唐期の詩僧もまた、同時に忘れてはならない存在であり、. の結びつきを示す句が散見される。先の『詩式』の主張と重ねあわせ. 吟を休めて鶴吟を待たしむを」(「酬張明府」)など、禅の思想と詩と. や. と思う。. ローU/\ 2 1. 桝. う○. れた成果ほ乏しいものであったけれども、この風潮の萌芽ともいうべ. 五.

(13) 叫雀融のこのエビソ-ドについても'旧稿「中晩唐期に・・・」では『唐詩紀 事』のみを出典として示したが'『旧唐害』『新暦膏』にすでに見え'当 時有名な話だったようである。彼の死因が果して哀冊文執筆の際の心労 であったか否かはさておくとしても、この逸話が伝える彼の苦吟的資質 については'事JIH]として信用してよいであろう。. 何例えば、最近の論考としては、金循華「〝推敵〟故事真偽考」(『文学退 座』一九八七年第五期),石帆「"推敵〟本事雑談」(『文学遺産』一九八 七年第六期)などがある。 李商隠「李賀小伝」. 希琴--苦出尻詠、特善開帳之作。(巻1). 何もっとも、強いて挙げれば、皆無という訳でもない。例えば'元・半文 房『唐才子伝』の劉希夷の項には、次のような記事がある。 ただ,『旧暦苦』『新唐書』『唐詩紀事』等のより古い資料には、劉希. 品中にもそれ聖不すが手掛りがな-、確証が得られないので、本文にお. 煎が「荒詠に苦った」ことの指摘ほ見られない。また'現存する彼の作 いて論ずることは見合わせた。. この他,唐・孟乗『本事詩』徴異第五に見える宋之問の夜吟の話'. 苦・没頭があったであろうことは、これらの不確かな質料に拠るまでも. 上げることはしなかった。しかし'初唐期の詩人達にも詩作における労. が,いずれも晩唐以後の文献である上に、信漏荘にも欠けるため、取り. 宋・異桐『五経志』に見える駈賓王が老僧の苦吟を助けた話などもある. 一‖u_ ー=‖"∫. ㈹ 帥 ㈹ ㈹. なく明らかである。. この陳叔達のエビソ-ドは、次の衰朗の話とともに、彼等が南朝の陳に 仕えていた時のものであるが、唐代初期に括躍した詩人の「速吟」の例 として掲げる分には'別に問題ないであろう。. なお,南朝の詩人達の「連吟」を伝えるエビソ-ドは、この他にもし ばしば見られ'初唐期との連続性が感じられる。. 『横浜国大国語研究』第六号 ㈹坂野学氏「『苦吟』について」(『集刊東洋学』第五四号)ただ、拙稿. 「『苦吟』再考」において述べたように、私個人はこの曙釈には賛成でき. 孫逝の生年ほ、則天武后の万歳通天元年(六九八)と推定される。彼が. ない。. 十五歳の時のこのエビソ-ドは'したがって、蓉宗の景雲元年(七1C) のことになる。. この張捗の行為も一種の詩作への没頭であることに違いほないが'本稿. が考察の対象としている秀句を生み出すための没頭、詩歌を愛好する余 りの耽溺とは、性格が異なる。. 『全唐詩』小伝のこの記事が'何に基づ-のかは未詳。識者の御教示を 仰ぎたい。. はゆかない。この害は別名を『雲仙散録』とも言い'晩唐の渇筆の作と. 特に『雲仙雑記』は問題の多い文献であって'そのまま信用するわけに. この苦吟の記事に関する限りほ'無梧の談として退けてしまうには惜し. 伝えられるけれども'宋の壬錘の偽作とする説が有力である。しかしI. いものを含んでいるように思われるので'敢えて取り上げて検討を加え. かもしれないが、しかしだからといって、「そうしたエビソ-ドの誕生自. ることにした。私の考えでは'記事の内容そのものは信ずるに足りない. 体が、孟浩然・王統等の所謂<自然詩人>のグル-プに本来あった苦吟. 的資質を示しているのではないか」という点までも否定されるべきでは. ない。それは丁度'貿島の「推敵」の故事が'フィクショソでありなが. らこの詩人の本質を鋲-言い当てているのと同じではないだろうか。. 停斑堤氏の『唐才子伝校篭』(中華雷同)も「按此不知所木、挨考.」と する。. 引用は,京都大学所蔵宋刊本に拠った。(『唐詩紀事』所引の文もこれに 同じ。). 杜甫の「遣興五首」第五首にも「吾憐孟浩然、桓褐即長夜。賦詩何必. 「喜懐胎京邑同好」詩に「昼夜常自強、詞翰㌔頗亦工」の句があるが. 多、往往凌飽謝。」とある。. 応挙の為の勉学の回想であって'詩作における辛苦を歌う中晩唐期の請. 一三. ふけ. 《苦吟》前史. 岡田. 1切り. ㈹. 糊 桝 桝.

(14) 《苦吟》前史 人達の作品と同列に扱うことは出来ない。ただ、勉学の回想にせよ、こ ぅした労苦を歌った例は孟浩然以前にほ見られず'その意味では貴重な 作品である。. 似た名前の詩人としては、盛唐では蓑辿、中唐に張殖雛作がいる。共に 苦吟で知られる人物であり、あるいはそのいずれかの誤記とも考えられ るが、管見の四部叢刊本・説邦本・龍威秘書本等の『雲仙雑記』は、す. べて「襲祐」(lに誤って「装殖」)に作る。また、明・蛋鼎思の『珪郡. ない。自明のことではあるが、一人の詩人の作品には、即興のものから. 長い推敵の時間を要したものまで、様々なレヴュルが存在する。例え ば、「苦吟」で知られる賓島にも'「口号」と題する作品がある。 類似表現を頻用する詩人としては、例えば琴参がおり、新免恵子氏の請 文「琴参の詩について-同一表現の多用-」(『日本中国学会報』第三三 隻)に詳しい。先人の詩句の借用の例としては、早-唐・李肇の『唐国 史補』巻上に、「(王)維有詩名、然好取人文章嘉句。『行到水窮処、坐. 看雲起時。』英華集中詩也。『漠漠水田飛白鷺、陰険夏木噸苦、爵。』李嘉 祐詩也。」といった指摘がある。また、王昌齢にほ、頻用の懐向・借局 の例のいずれもが見られる。. 早-は宋の洪遇の『容斎随筆』にすでに偽作説が見られるが、最近の論 考では、曹樹銘氏の『李白与杜甫交往相関之詩』(台湾商務印書館・人. 人文庫)第三早・附考の「李集外与李白及杜甫両不相関的詩」がある。 このほか、注(1)に挙げた「遣興」詩などにも、そ-した価値意識が窺. 招我郊居宿、関門但苦吟。. 暮秋宿友人屑. 鍋.たとえば'次のような例が挙げられる。. 遠別兼善天下」といった思想などに、それは現われている。. 逸民・隠者に対する評価、あるいは『孟子』尽心篇の「窮則独善其身、. 銅例えば、『論語』泰伯薦の「天下有道則見'無道則隠」、徴子荒に見える. 一四. 国語教室、Dept・]apan2SelanguageandLiterature). 故人猶憶苦吟労、所意何殊金錯刀。. 謝人自塵陵寄航筆. 青桐幾臨高操濯、苦吟曾許断猿聞。. 酬答退上人. 河薄星疎雪月孤、松枝活気入肌膚。困知好句勝金玉、心棒神労特地無。. 貫休. 無可. 斉己. 代酔編』巻三五にも同じ記事を引-が、ここでも「蓑祐」となってい. もっとも'入谷仙介氏の『王維研究』によれば、他の資料は彼がむしら 「連吟」タイプだったことを示しているようである。氏も指摘される過 り(同書四一七-九頁)'詩題の内に数例、「走筆」「座上作」等の語が. 苦吟. (Mi-suhilOOKADA 吟」と全-無縁の詩人だったということ窒息味するものでほ、必ずしも. ‥㌧. 岡田. 見られることなどもその証拠であろう。ただ、そのことほ,王維が「苦. る。. われよう。. 斉己. ㈹ .狗. 的.

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