杜甫と韋迢 ─杜甫晩年の応酬詩─
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(2) 杜甫と韋迢 ― 杜 甫晩年の応酬詩 ― . 後 藤 秋 正. 和したり、贈答し合ったり、宴席を共にしたりした時に書かれ. た、いわゆる応酬詩を『詳注』が収録する順に挙げると以下の ようになる。. 「奉贈盧五丈参謀琚」(巻二二). 「惜別行、送劉僕射判官」(巻二二). 「重送劉十弟判官」 (巻二二). 「湖中〔南〕送敬十使君適広陵」 (巻二三). - 85 -. はじめに 杜甫の詩においては、その晩年に至っても贈答詩や送別詩が かなりの割合を占めている。ただし、晩年といってもこの語に. 1「衡州送李大夫七丈勉赴広州」(巻二二) 2「纜船苦風、戯題四韻、奉簡鄭十三判官」(巻二二). 3「陪裴使君登岳陽楼」(巻二二). . 杜甫が大暦三年(七六八)の正月に、 二年弱を過ごした夔州(重. (巻二二) 4「酬郭十五判官受」. 具体的な時期を限定する定義があるわけではない。これを仮に 慶市奉節県)を離れ、江陵(湖北省荊州市)を経て進路を南に. 5「奉送韋中丞之晋赴湖南」(巻二二) 6「湘江宴、餞裴二端公赴道州」(巻二二). 7「江閣臥病、走筆寄呈崔・盧両侍御」 (巻二二). . . . . . 8「潭州送韋員外迢牧韶州」(巻二二) 9「酬韋韶州見寄」(巻二二). . . とって洞庭湖に入り、 この年の末に岳州 (岳陽。湖南省岳陽市) へ至って岳陽楼のもとに舟を繋いで以降を杜甫の晩年期と考え ておこう。 (以下、 『詳注』 )によると大暦三年(七六八) 『 杜 詩 詳 注 』 の年末に岳州に入って以後、一時期は衡州(湖南省衡陽市)に 去ったものの、大暦五年の夏に臧玠の乱を避けて再び衡州へと 赴くまでに書かれた、 「歳晏行」 ( 『詳注』巻二二)以降、 「入衡 州」が書かれるまでの詩は、 「晴明二首」などの連作詩を二首 (1). と数えると、すべて八十六首となる。このうち別離に際して酬. 13 12 11 10.
(3) 送殷六参軍帰澧覲省」 (巻二三) 「晩秋長沙蔡五侍御飲筵、 (巻二三) 「別張十三建封」 二十四韻」(巻二三) 「送盧十四弟侍御護韋尚書霊櫬帰上都、. の三人のみである。 このうち、「追酬故高蜀州人日見寄并序」( 『詳. 注』巻二三)の場合は詩題からも明らかなように、大暦五年(七. 七〇)の正月二十一日、遺忘したものがないか「文書の帙」を. 調べていて見出した、高適が蜀州刺史であった上元二年(七六. 一)に杜甫に寄せた「人日寄杜二拾遺」( 『全唐詩』巻二一三). に、高適の没後、彼をしのんで酬いながら漢中王の李瑀と昭州. 刺史の敬超先に寄せたものであって、他の詩とは様相を異にす. (巻二三) 「蘇大侍御、訪江浦、賦八韻、記異」 「暮秋、枉裴道州手札、率爾遣興寄、遞〔近〕呈蘇渙侍御」 (巻二三) (巻二三) 「奉贈李八丈曛判官」. る。また虁州で出会ってから交遊のあった蘇徯(蘇四)に対し. 人 皆な当時の数えざる所、而るに後人の詩名を 擅 に する者、豈に能く之に及ばん」と。予 少陵の集中に載す. ほしいまま. の鵲雀楼に、王之奐・暢諸〔当〕の二詩有るが如きは、二. なるに、 温公詩話に云う、「唐の中葉、文章 特に盛おん お 其の姓名は湮没して、世に伝わらざる者甚だ衆し。河中府. 之杜集、幾於無伝焉。. 如」 、「自得隋珠覚夜明」之語、則二人詩名可知矣。然非編. 少陵集中所載、韋迢・郭受詩、少陵酬答、至有「新詩錦不. 二人皆当時所不数、而後人擅詩名者、豈能及之哉。 」予観. 「唐之中葉、文章特盛、其姓名湮没、不伝 温公詩話云、 於世者甚衆。如河中府鵲雀楼、有王之奐・暢諸〔当〕二詩、. 郭受と韋迢の詩が伝えられたことについて、洪邁『容斎随筆』 巻十五、 「唐詩人有名不顕者」には、次のような指摘がある。. 首の詩を書いているが、蘇徯の詩は一首も残されていない。. 上)や「暮冬送蘇四郎徯兵曹適桂州」 (『詳注』巻二三)など五. て杜甫は「君不見、簡蘇徯」(『詳注』巻一八)、 「贈蘇四徯」 (同. (2). (巻二三) 「奉送魏六丈佑少府之交広」 (巻二三) 「舟中夜雪、有懐盧十四侍御弟」 (巻二三) 「冬晩、送長孫漸舎人帰□州」 (巻二三) 「暮冬送蘇四郎徯兵曹適桂州」 (巻二三) 「追酬故高蜀州人日見寄并序」 「送重表姪王砯評事使南海」 (巻二三) 「奉贈蕭十二使君」 (巻二三) 「奉送二十三舅録事崔偉之摂彬州」 (巻二三) 兼寄韋韶州」 (巻 「送魏二十四司直充嶺南掌選崔郎中判官、 二三) (巻二三) 「送趙十七明府之県」 「同豆盧峯貽主客李員外賢子棐知字韻」 (巻二三) 「贈韋七賛善」 (巻二三) 「奉酬冦十侍御錫見寄四韻、復寄冦」 (巻二三) このように、八十六首のうち、応酬詩が三十二首とかなりの 割合を占めている。しかし、応酬した相手の詩が残されている のはごくわずかであり、郭受、韋迢と高適(七〇一~七六五). - 86 -. 18 17 16 15 14. 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19. 32 31 30 29.
(4) る所の、韋迢・郭受の詩を観、少陵の酬答、 「 新 詩 錦 も し (3) (4) 「隋珠を得しより夜の明らかなるを覚ゆ」の語有 如かず」、 るに至りては、則ち二人の詩名 知る可し。然るに之を杜 ちか 集に編むに非ざれば、伝わること無きに幾し。 洪邁が指摘するように、杜甫が郭受・韋迢と酬和した詩は、 『宋本杜工部集』巻十八、 『九家集注杜詩』巻三十五、 『草堂詩 箋』巻三十七などに収録されなければ後世に伝わることはな (5). かったであろうし、このことは韋迢と杜甫が応酬した詩に一定. もと. けず. 酬和詩、想本集原有、因不刊去(杜集は酬和詩を附載すること 述べている。. 多し、想うに本集に原有りしならん、因りて刊り去らず)。 」と. 以下、二人の酬和した詩を見ていこう。これらの詩を見てゆ くことは杜甫の晩年の交遊と詩作の姿勢を知ることにもつなが るであろう。. たことに始まる。もちろん交遊自体は二人が別れる以前、潭州. 二人の詩の応酬は、現存する詩の範囲では、韶州(広東省韶 関市)へ赴任する韋迢に杜甫が五律「潭州送韋員外牧韶州(潭. 一. ようにも指摘する。. (湖南省長沙市)を流れて洞庭湖に注ぐ湘水の船着き場の辺り. の価値が認められたことも示していよう。『容斎随筆』は次の 古人酬和詩、必答其来意、非若今人為次韻所局也。…… 杜送韋迢云、 「洞庭無過雁、書疏莫相忘」 、迢云、 「相憶無. で出会った時に遡るだろう。杜甫が岳州から長沙に着いたのは. (6). 南雁、何時有報章」 、杜又云、 「雖無南過雁、看取北来魚」 。. あるから、五か月ほどの交遊だったことになる。. 大暦四年(七六九)の仲春二月であり、別れたのは秋の初めで. 州にて韋員外の韶州に牧たるを送る)」 (『詳注』巻二二)を贈っ. ……皆如鐘磬在簴、扣之則応、往来反復、於是乎有余味矣。 古人の酬和の詩は、必ず其の来意に答う、今人の次韻の 局する所と為るが若きに非ざるなり。……杜の韋迢を送る. 韋迢の事跡は呂温(七七二~八〇七)が韋迢の息子の韋夏卿 (七四三~八〇七)のために撰した「故太子少保贈尚書左僕射. 京兆杜陵人。……烈考諱某、検校都官郎中、嶺南節度行軍司馬. 京兆韋府君神道碑」( 『全唐文』巻六三〇)に、 「公諱某、字某、 たた. に云う、 「洞庭に過雁無し、書疏 相い忘るること莫かれ」 と、迢云う、「相い憶うも南雁無し、 何れの時か報章有らん」 きよ. と、杜又云う、 「南過の雁無しと雖も、看取せよ北来の魚」. が韋迢のことである。また韓愈(七六八~八二四)が元稹(七. (公 諱は某、字は某、京兆杜陵の人。……烈考 諱は某、検 校都官郎中、 嶺南節度行軍司馬)。」と言及されている。 「烈考」. 相手の詩に打てば響くようにして応対しているところに妙味 があるというのである。また、韋迢の詩が伝わったことについ. 七九~八三一)の妻、韋叢(七八三~八〇九)のために撰した. と。……皆な鐘磬 簴に在り、之を扣けば則ち応ずるが如 く、往来反復し、是に於いてか余味有り。. て、張溍『読書堂杜工部詩文集註解』巻十九は、 「杜集多附載. - 87 -.
(5) 「監察御史元君妻京兆韋氏夫人墓誌銘」 ( 『全唐文』巻五六五). 同舎有輝光 舎を同じくしやて輝光有り. 分符先令望 符を分かちて先ず令望あり. 白首多年疾 白首 多年疾む. に、「夫人諱叢、字茂之、姓韋氏。……大王父迢、以都官郎為 嶺南軍司馬、卒贈同州刺史。王考夏卿、以太子少保卒、贈左僕. 秋天昨夜涼 秋天 昨夜涼し. 郎から韶州刺史として赴任する途中に潭州を通り、杜甫を訪ね. ている。元稹の妻の韋叢は韋迢の娘にあたる。韋迢は尚書員外. 考の夏卿は、太子少保を以て卒し、左僕射を贈らる) 。 」と見え. をいう。頸聯の「多年疾」は長く病んでいること。杜甫はこの. 厳武の幕府において郎官(検校尚書工部員外郎)であったこと. 、割り符を授けられる、は第一句の、「韶州牧」を承 「分符」 け、 「同舎」は、第二句の「漢署郎」を承けて、杜甫もかつて. 書疏莫相忘 書疏 相い忘るること莫かれ. 洞庭無過雁 洞庭に過雁無し. たのである。呉廷燮『唐方鎮年表』巻七、嶺南東道の項による. 頃、しきりに病気がちであることを詩に詠じている。 「過南岳. 射(夫人 諱は叢、字は茂之、姓は韋氏。……大王父の迢は、 都官郎を以て嶺南軍司馬と為り、卒して同州刺史を贈らる。王. と、韶州の属する嶺南東道の当時の嶺南節度使は李勉であった。. (7). 後のことになるが、杜甫の孫、杜嗣業が杜甫を偃師に帰葬しよ. 入洞庭湖」 ( 『詳注』巻二二)では、「病渇身何去、 春生力更無(病 ゆ. うとする途中、江陵府の士曹参軍であった元稹に依頼し、 「唐. 渇 身何くにか去く、春生じて力更に無し)」といい、「清明、 二首」 〈其二〉(『詳注』巻二二)では「此身漂泊苦西東、右臂. 甫の詩は次のように詠じられる。. 韋迢が杜甫と交遊をもったことも背景にあったのであろう。杜. 送ることを忘れないでほしい、というのである。末の二句につ. して韶州に送ろうにもその手立てがないが、韶州からは手紙を. を迎えて、やや涼しくなったことをいう。尾聯は手紙を雁に託. 情(衰年 病みて秪だ痩す、長夏 情を為さんことを想う) 」 といっているのはその例である。第六句は病気がちな中、立秋. た. 行営裴二端公」 (『詳注』巻二三)では「衰年病秪痩、長夏想為. では「羸瘠且如何、魄奪鍼灸屢(羸瘠 且つ如何せん、魄は奪 わる鍼灸の屢しばなるに) 」といい、さらに「江閣対雨、有懐. るいせき. 偏枯半耳聾(此の身 漂泊 西東に苦しむ、右臂は偏枯し半耳 は聾す) 」といい、また「詠懐、二首」〈其二〉( 『詳注』巻二二). いず. 故工部員外郎杜君墓系銘」 ( 『全唐文』巻六五四)を撰してもらっ たのは杜甫が没して四十三年後の元和八年(八一三)のことで ある。「墓系銘」には「適子美之孫嗣業、……拝予為誌、辞不 つく. 可絶、予因係其官閥、而銘其卒葬云、……(適たま子美の孫嗣 業、……予に拝して誌を為らしめんとす、辞するも絶つ可から ず、予 其の官閥に係わるに因り、而して其の卒葬に銘して云 う、 ……) 。 」と、墓系銘を書いたのは「官閥」 、官僚としての. 炎海韶州牧 炎海 韶州の牧 . 序列や家柄にかかわって断れなかったからだというが、岳父の. 風流漢署郎 風流 漢署の郎. - 88 -.
(6) 嶺南。韶在嶺南。 (公自ら己は洞庭に居り、 便郵無きに苦しむも、. 庭、苦無便郵、若韋則宜時時寄書、莫相忘也。過雁、雁飛不至. いて趙次公の注( 『九家集注杜詩』巻三五)に、 「公自言己居洞. 来信を渇望する心情を述べるものになっている。. で作られたものかどうかははっきりしないが、前半四句こそや. らない社交の心得だった。」と指摘する。杜甫の送別詩が宴席. ある。……送別詩の制作は、送別の宴席に華を添えなくてはな. 渡ってゆく雁はいないので手紙を託すことはできないが、そち. に詠じられる。. 「 潭 州 留 別 杜 員 外 院 長( 潭 州 に て 杜 員 外 院 長 韋 迢 の 留 別 詩、 に留別す) 」(『詳注』巻二二、『全唐詩』巻二六一)は次のよう. や儀礼的な描写に留まっているが、後半に入ると自身の近況と. 韋の若きは則ち宜しく時時 書を寄せ、相い忘るること莫かれ と言うなり。過雁は、雁は飛びて嶺南に至らず。韶は嶺南に在. らから「書疏」を寄こすことは忘れないでほしいという物言い. り)。」という。洞庭湖に近い潭州から衡山を越えて、韶州へと. は率直である。親しみの反映と見てよかろう。先に引いた「詠. さんぜん. 把臂共潸然 臂を把りて共に潸然たり. 留 俱に失意 去留俱失意 去 ひじ. とも. 天炎畏跕鳶 天炎くして 跕 鳶を畏る. いて飛鵩を愁え 地湿愁飛鵩 地 湿 あつ ちようえん. 小郡海西偏 小郡 海の西偏 うるお. 江畔長沙駅 江畔 長沙の駅 ともづな 相逢纜客船 相い逢いて客船を 纜 す 大名詩独歩 大名 詩は独歩. 懐、 二 首 」 〈其二〉には「衣食相交閡、朋知限留寓(衣食 相 こうがい い 交 閡 す、 朋 知 留 寓 に 限 ら る ) 」ともいっているように、こ の 頃 の 杜 甫 の 交 友 範 囲 は 限 ら れ て い た か ら で あ る。 こ の 詩 が 淡々とした表現の中に真情がこめられている点に着目して、何 焯『義門読書記』巻五十六は「杜詩如此種、淡処最有味(杜詩 の此の種の如きは、淡処 最も味有り) 。 」と評している。なお 杜甫は「書疏」の語を宝応元年(七六二) 、成都・浣花草堂で 書かれた「魏十四侍御就敝廬相別」 ( 『詳注』巻一〇)の末聯に. 選 』 巻 四 二 ) の、 「昔仲宣独歩漢南、孔璋鷹揚於河朔(昔 仲 宣は漢南に独歩し、孔璋は河朔に鷹揚す) 。」を踏まえて杜甫の. 名有りと為す) 。」とあり、 「独歩」は、曹植「与楊徳祖書」( 『文. 詩の「大名」は、壮んな名声。孔融「論盛孝章書」(『文選』 巻 四 一 ) に、 「 孝 章 要 為 有 天 下 大 名( 孝 章 は 要 す る に 天 下 の 大. に及ぶべし) 」と、一度だけ用いている。. 詩を称賛したもの。漢南は漢水の南。 「独歩」の句は韋迢の作. 滄浪. 松 原 朗『 漢 詩 の 流 儀 』 (大修館書店、二〇一四)は、送別詩 について「送別の詩は、送別の場において旅立つ者に手渡され. 詩の場が潭州であることも響かせている。第四句は 『草堂詩箋』. . るものであり、……。送別の詩(また留別の詩も含めた離別詩. 「時応念衰疾、書疏及滄浪(時に応に衰疾を念い、書疏. 一般)は、漫然とした送別の場ではなく、正式に用意された送 ふる. 巻三十七に、「小郡、韋迢自謂其為韶州也(小郡は、韋迢 自 . ふで. 別の宴席において、衆人環視の中で毫を揮って作られるもので. - 89 -.
(7) である。第八句は『詩経』小雅・大東の句、 「睠言顧之、潸焉. 仰視飛鳶跕跕堕水中(跕は、大牒の切、堕つる貌。漢・馬援伝. 馬援伝、吾在浪泊・西里間、虜未滅之時、下潦上霧、毒気薫蒸、. 広くす)。 」といい、第六句について、 「跕、大牒切、堕貌。漢・. 鵬の飛びて誼の舎に入ること有り、廼ち鵬の賦を為り以て自ら. 有鵬飛入誼舎、廼為鵬賦以自広(賈誼. 謫せられて長沙王の太 傅と為り、 長沙の卑湿なるを以て自ら寿の長きを得ざるを傷む。. に つ い て、 「賈誼謫為長沙王太傅、以長沙卑湿自傷寿不得長。. を承く)。 」と簡潔に指摘するのみだが、 『草堂詩箋』は第五句. 馬援の事を用い、己の韶に往くを憐れむ。去留の二字は、此れ. 承此(飛鵩は、 賈誼の事を用い、 杜の潭に在るを傷む。跕鳶は、. 用賈誼事、傷杜在潭。跕鳶、用馬援事、憐己往韶。去留二字、. 四九)の伝は『後漢書』巻二十四にある。 『詳注』は「飛鵩、. ~前一六九)の伝は、 『漢書』巻四十八に、馬援(前一四~後. ている。. らないことを『詩経』を踏まえて言うという緊密な構造をもっ. に赴くことを言い、尾聯では二人が失意の中で別れなければな. 第五句は杜甫が潭州に留まることを、第六句は自身が酷暑の地. 第四句は自身が韶州へ赴任することを謙遜して言い、頸聯では. たり、 其の之を集中に編むは宜し) 。」と述べている。この詩は、. 編之集中矣(一句は人を説き、一句は己を説き、格は杜公に類. 韋迢のこの詩について「一句説人、一句説己、格類杜公、宜其. められていよう。趙次公の注(『九家集注杜詩』巻三五)は、. ではなく、今の世の中が混乱の中にあることを傷む気持ちもこ. を傷む) 。」と指摘するように、単に離別を惜しんで涙を流すの. 我今より之を顧視して、之が為に涕を出す。今の古に如かざる. 為之出涕。傷今不如古(此の二事は前世に在り、過ぎて去る。. ここ. 。 」というように、韶州に赴任 ら其の韶州を為むるを謂うなり). ただし、鄭箋が、「此二事在前世、過而去矣。我従今顧視之、. 出涕( 睠 て言に之を顧み、 潸として涕を出す)」を踏まえる。. に、吾の浪泊・西里の間に在りて、虜の未だ滅びざるの時、下. 前掲、松原朗『漢詩の流儀』は、留別詩について「留別の詩 は、送別の詩と裏返しの関係にある。旅立つ者が、 「別」れに. かえりみ. することを、韶州を小郡と言い換えて、謙遜していったもの。. おさ. 頸聯はそれぞれ賈誼と馬援の故事を踏まえる。賈誼(前二〇一. に潦あり上に霧ありて、毒気は薫蒸し、仰ぎては飛鳶の 跕 跕. 際して「留」めおく詩のことである。……一度の送別の宴で複. 起聯は二人の出会いを述べ、 頷聯では第三句は杜甫の詩を讃え、. に. として水中に堕つるを視る) 。 」と、馬援が交阯での反乱を征討. 数の者が足並みを揃えて作る送別詩とは異なって、留別詩は、. よろ. した時の体験談を引きながら詳細に述べている。第七句に、去. 旅立ちの不安を自ら引き受ける当事者の作である。それだけに、. ママ. る者も留まる者もともに不本意であるという以上、長安から潭. 真 情 の こ も っ た 作 品 で あ る こ と が 多 い。 」と指摘している。氏. ママ. 州を経て遥か南方へと赴く韋迢も異郷に留まる杜甫も、それぞ. ちようちよう. れ潭州で不吉なふくろうを目にした賈誼や、嶺南で厳しい熱気. の指摘は韋迢のこの詩についてもそのまま言えることであろう。. ひ えん. のために水中に落ちたトビを見た馬援の心境を共有しているの. - 90 -.
(8) 韋迢と杜甫の詩が土笛と竹笛の音のように調和がとれている という指摘は妥当であろう。しかし、次に引くがこの詩を受け. 湘潭(湖南省湘潭県)を発つ時に「早発湘潭、 寄杜員外院長(早. 」 韋迢は杜甫が「書疏莫相忘(書疏 相い忘るること莫かれ) と呼びかけたことに律儀に応え、潭州からさらに湘水を溯った. の指摘には誤解を招きかねないところがある。したがって起聯. にあったのは先に引いた 「潭州送韋員外牧韶州」である。 『詳注』. 巻二二)を書いたのであって、韋迢がこの詩を寄せる時に念頭. 二. に湘潭を発し、 杜員外院長に寄す) 」 ( 『詳注』巻二二、『全唐詩』. て杜甫は 「酬韋韶州見寄(韋韶州の寄せらるるに酬ゆ) 」(『詳注』. 巻二六一)を寄せている。. 白首尚為郎 白首 尚お郎為り. 待ちて蘇る)」を想起させる。この詩は潭州に向かう途次に作. 「春生南国瘴、気待北風蘇(春には生ず南国の瘴、気は北風を. ない。さらにいえば起聯は杜甫「北風」 (『詳注』巻二二)の句、. 関係はこのようであっても「塤篪相い応ず」という指摘は覆ら. つ「報章」 、返信があるのだろうかと言ったものである。事実. 杜詩の尾聯「洞庭に過雁無し、書疏 相い忘るること莫かれ」 を承けて、これ以上、南に渡ってくる雁はいないとしたら、い. と頷聯は杜詩の「秋天 昨夜涼し」の句を承けて敷衍し、杜詩 の「白首 多年疾む」の句を承けて「白首尚お郎為り」といい、. あめふ. 北風昨夜雨 北風 昨夜 雨 り 江上早来涼 江上 早来涼みし どり 楚岫千峯翠 楚岫 千峯 翠 に 湘潭一葉黄 湘潭 一葉黄なり. 相憶無南雁 相い憶うも南雁無し. られたばかりであったから、韋迢も知っていた可能性がある。. 故人湖外客 故人 湖外の客た. 何時有報章 何れの時か報章有らん. 杜甫「酬韋韶州見寄」は以下のように詠じられる。. いたものである。. いられていたあや模様のある織物を手紙の返事という意味で用. 則七襄、不成報章(則ち七襄すと雖も、報章を成さず)」に用. の留別詩の末聯に踏まえられていた『詩経』小雅・大東の句「雖. れているとみるのは穿ちすぎであろうか。また報章の語は韋迢. 杜甫の健康状態が多少とも好転することを願う気持ちがこめら. 立秋とともに吹き始めた北風の涼しさで、「多年疾」んでいる. 『詳注』はこの詩について以下のように指摘する。 「故人湖外客、白首 杜有「白首多年疾」之句、故韋云、 尚為郎」 。杜有「洞庭無過雁」之句、 故韋云、「相憶無南雁、 何時有報章」 。前後贈答三詩、塤篪相応如此。. けん ち. 「 故 人 杜 に「 白 首 多 年 疾 む 」 の 句 有 り、 故 に 韋 は、 湖外の客、白首 尚お郎為り」と云う。杜に「洞庭に過雁 無し」の句有り、故に韋は、 「相い憶うも南雁無し、何れ の時か報章有らん」と云う。前後の贈答の三詩は、塤篪相 い応ずること此の如し。. - 91 -.
(9) 雖無南過雁 南過の雁無しと雖も. 新詩錦不如 新詩 錦も如かず. 白髪糸難理 白髪 糸理め難し. 深慚長者轍 深く慚ず長者の轍. 朝廷記憶疏 朝廷 記憶疏なり. 養拙江湖外 拙を養う江湖の外. は嶺南を過ぎずと雖も、 而も瀟湘は北流す、魚は則ち来る可し、. 轍は、韋の昔過訪するを謂う。末は韋の詩に就きて、答えて雁. 而瀟湘北流、魚則可来、尚可致書。蓋魚雁皆伝書者也(長者の. 十九が、 「長者轍、謂韋昔過訪。末就韋詩、答言雁雖不過嶺南、. を謂うなり)。 」と指摘し、張溍『読書堂杜工部詩文集註解』巻. (今甫 韋迢の南雁无しの句に答う、故に北来の魚を以て之に 戯むるるなり。蓋し雁は衡陽を過ぎず而も瀟湘は北流するの故. 雁之句、故以北来魚戯之也。蓋謂雁不過衡陽而瀟湘北流之故也. する。 『草堂詩箋』巻三十七が尾聯について、「今甫答韋迢无南. り故人の書 重得故人書 重ねて得た おさ. 看取北来魚 看取せよ北来の魚. 尚お書を致す可しと言う。蓋し魚雁は皆な書を伝うる者なり)。 」. 『詳注』はここでは次のように指摘する。. と指摘するのもほぼ同様である。 『杜詩鏡銓』巻二十は全体の. 構造についても指摘していて詳細である。. 上四感韋交情、下四謝韋寄詩。江湖作客、朝士久忘、韋 枉轍而又寄書、 情良厚矣。白髪自憐、 新詩称韋。南雁自道、 北魚指韋、 古人以魚雁比書。回雁峯高、 故不去。湘水北流、. 李子徳云、養拙句答故人湖外客、朝廷句、答白首尚為郎、 次聯上句叙前、下句重寄、五六又分頂上二聯。結正答韋末. い. めて適用されたものではないことに留意する必要があろう。一. するのにきわめて有効な手法である。だがこの技法はここで初. (9). このように贈られた詩に応えるのに、相手の詩句をそのまま 用い、あるいはわずかに変形させて用いるのは、親密さを強調. く寛然として余り有り。. 正に韋の末句に答う。結搆は最も密にして、而も詞意は能. 廷の句は、白首 尚お郎為りに答え、次聯の上句は前を叙 べ、下句は重ねて寄せ、五六は又上の二聯を分頂す。結は. 李子徳云う、拙を養うの句は故人 湖外の客に答え、朝. (8). 句。結搆最密、而詞意能寛然有余。. 故可来。. たた. 上の四は韋の交情に感じ、下の四は韋の詩を寄するを謝 な す。江湖に客と作り、朝士 久しく忘るるに、韋 轍を枉 まこと げて又書を寄するは、情 良 に厚し。白髪は自ら憐れみ、 新詩は韋を称う。南雁は自ら道い、北魚は韋を指す、古人 ゆ. は魚雁を以て書に比す。回雁峯は高し、故に去かず。湘水 は北流す、故に来る可し。 さらに『詳注』は「呉論」 (呉見思『杜詩論文』 )を引いて、 「……江湖白髪、答故人白首二句。南雁北魚、答南雁報章二句 (……江湖 白髪は、故人白首の二句に答う。南雁 北魚は、 南雁 報章の二句に答う) 。 」という。 『詳注』と同じく、多く の注釈書は杜詩の句が韋迢の句を下敷きにしていることを指摘. - 92 -.
(10) 翌天宝五載の春、 長安に戻っていた杜甫は「冬日有懐李白」 ( 『詳. 樽開(何れの時か石門の路、 重ねて金樽の開く有らん) 」 という。. 唐詩』巻一七六)を書いた。その頷聯に「何時石門路、重有金. めに杜甫と別れるに際して、五律「魯郡東石門送杜二甫」 ( 『全. に杜甫とともに旅をした李白は、秋の終わり、もしくは冬の初. 例を挙げよう。天宝四載(七四五) 、 斉・魯(河南省・山東省). 使者歴三湘 使者 三湘を歴. 選曹分五嶺 選曹 五嶺を分かち. を韋迢に寄せたのである。. 官に充てらるるを送り、 兼ねて韋韶州に寄す) 」(『詳注』巻二三). 崔郎中判官、兼寄韋韶州(魏二十四司直の嶺南掌選崔郎中の判. 市)に赴く魏二十四司直に託して「送魏二十四司直充嶺南掌選. も、崔郎中に招かれ、嶺南選補使判官として桂州(広西省桂林. 雅節在周防 雅節 周防に在り. 佳声斯共遠 佳声 斯に共に遠し. 紀綱を佐く 君行佐紀綱 君行きて ここ. あ. 注』巻二)に続いて「春日憶李白」 (同前)を書き、その尾聯. たる 才美膺推薦 才美にして推薦にた膺 す. とも. で「何時一樽酒、重与細論文(何れの時か一樽の酒、重ねて与 に細かに文を論ぜん) 」と詠じた。この句は『杜臆』巻一に、「公 ひさ. 明白山濤鑒 明白なり山濤の鑒. - 93 -. 向与李白同行同臥論文旧矣。然於別後自有悟入、因憶向所与論 さき. 猶粗也(公 向に李白と同行同臥して文を論ずること旧し。然 さき とも るに別後に自ずから悟入すること有り、因りて向に与に論ずる. 装い 嫌疑陸賈装 嫌疑あらん陸賈まの れ. 故人湖外少 故人 湖外に少なり. 所の猶お粗なるを憶うなり) 。 」と指摘されるように、詩文につ いて論じ尽くせなかった思いを後悔とともに述べたものであろ. 春日嶺南長 春よ日 嶺南に長し. 憑報韶州牧 憑りて報ぜよ韶州の牧に. う。しかし、この句が李白の詩の頷聯を踏まえて変形したもの であることは明らかである。このように杜甫は寄せられた詩に. 新詩昨寄将 新詩は昨 寄将せりと. 前半の八句は魏二十四司直が崔郎中を補佐する職務を無事に 遂行することを期待する。第七句は崔郎中を山濤になぞらえて. 応える時には周到な配慮をしていたのである。. おわりに. 第八句は陸賈が南越に使いした時に、王の尉侘から千金の贈り. その人物鑑識眼が優れていること( 『晋書』巻四三、山濤伝)を、. 物 を 受 け 取 っ て 嫌 疑 を 招 い た( 『漢書』巻四三、陸賈伝)よう. (. 杜甫が韋迢に寄せた詩は晩年の杜甫の詩のごく一部を占めて いるに過ぎない。しかし、杜甫にとって韋迢との応酬は、病が. な事をしてはならないと魏二十四司直を戒める。後半の四句が. 伝言の内容である。 「故人」の句は先に引いた韋迢「早発湘潭、. (. の詩には杜甫の胸を打つものがあったに違いない。だからこそ. ちで知友の少ない湖南での生活において大きな慰安であり、彼 杜甫は、大暦五年(七七〇)の春、韋迢が韶州に着任した後に. (1.
(11) とつ. 『続歴代詩話』)は次のように述 明・李東陽撰『麓堂詩話』( べている。. ゆ. 寄杜員外院長」の第五句「故人 湖外の客」を踏まえて、嶺南 には旧知が稀であることをいう。 「寄将」は『詩経』召南・鵲. 唐士大夫挙世為詩、而伝者可数。其不能者弗論、雖能者 亦未必尽伝。高適・厳武・韋迢・郭受之詩附諸杜集、皆有. つく. 唐の士大夫は世を挙げて詩を為る、而るに伝わる者は数 う可し。其の能くせざる者は論ぜず、能くする者と雖も亦. 可観。子美所称与誉殆非溢美。. 巣に「之子于帰、百両将之(之の子 于き帰がば、百両 之に おく 将らん)」とあるように、寄せ送るの意であり、杜甫の新作の 詩を昨日送ったばかりだ、の意となる。韋迢の詩に、 「何れの. 未だ必ずしも 尽 くは伝わらず。高適・厳武・韋迢・郭受. 時か報章有らん」とあったのに応えたものである。ただし張溍 『読書堂杜工部詩文集註解』巻二十が末二句について「韶州、. いつ び. ことごと. 在嶺南、韋有「早発湘潭、寄公」詩。公以此報之、言汝之新詩. の詩は諸を杜集に附す、皆な観る可きもの有り。子美の称. これ. 昨已寄至也(韶州は、嶺南に在り、韋に「早に湘潭を発し、公. 与する所は、殆ど溢美に非ず。. 「溢美」は褒め過ぎること。杜甫が詩中で韋迢の詩を称与、 すなわち誉め称えているのは、過褒ではないというのである。. (1) 『詳注』は「歳晏行」の前に「衡州送李大夫七丈赴広州」. - 94 -. に寄す」詩有り。公 此れを以て之に報ゆ、汝の新詩は昨 已 に寄せ至るを言うなり) 。 」といっており、これに従えば、末の. 残された詩から見る限り、二人が実際に潭州で交遊をもった のはわずかな期間に過ぎない。しかし、交際期間の長短とは関. 句は「新詩は昨 寄将せらると」と読むことになろう。いずれ にしても二人の詩を通した交流は韋迢が韶州に着任した後にも. 時期に心を通わせる友人を持ったことが後世に伝えられたので. わりなく、韋迢の詩が残されたことによって、杜甫が晩年の一. 継続していたことになる。. ある。. (. 蒋寅著・早川太基訳「杜甫応酬詩小議」は、応酬詩には「応 酬とは本質的に創作意欲に関わりなく制作されるものであり、. (. 進んで力を尽くそうと願う人はそう多くなく、手抜きできる限. を置く。ただし、この詩は大暦四年(七六九)春、衡州で. 注. ジャンルである。 」といった一面があることを指摘している。. 李勉を送った時の作であることは確かである。. について─杜甫と高適の酬和詩を中心として」(中国文化. (2)杜甫と高適の酬和詩については、 拙稿「『東西南北の人』. しかし、韋迢と杜甫が応酬した詩にはそういった側面は見出せ. 伝わることになったのである。. る作品であると認識されたのであり、そのことによって後世に. ない。韋迢が杜甫に寄せた詩は確かに杜甫が記憶しておくに足. もっともいいかげんに済まされ、最も模倣や剽窃に堕しやすい. り は 手 抜 き し よ う と す る も の で あ る。 ゆ え に 応 酬 と は 普 通 は. (1.
(12) 学会「中国文化」六七、二〇〇九、その後拙著『東西南北. (8)李因徳(一六三三~?)、字は天生、又の字は子徳の『杜. 史に遷ったとするなど、事実とは異なる部分がある。. (5)いっぽうで郭受の詩については、宋・王正徳『余師録』. (4)杜甫「酬郭十五判官」 ( 『詳注』巻二二)の句。. にも託されており、普通の型通りの応酬の中にも平凡なら. ないが、だが確として注目に値すべき名匠の心は、その中. ルの作品と比較した時に群を抜いて突出したものとは言え. 八三、二〇一二)に、「杜甫の応酬詩は、その他のジャン. (9)蒋寅著・早川太基訳「杜甫応酬詩小議」(「中国文学報」. 律評語』(未見)。. の人─杜甫の詩と詩語』研文出版、二〇一一に収録)で論 じたことがある。. 巻四、 「洪邁」の条のように、 「郭受来往杜少陵間、有唱必. ざる技巧が表われている。」という指摘がある。ただし、. (3)後に引く杜甫「贈韋韶州見寄」 ( 『詳注』巻二二)の句。. 報、率不過和意而已(郭受は杜少陵の間に来往するに、唱 おおむ. 有れば必ず報ゆるも、率 ね意に和するに過ぎざるのみ) 。 」. 当該論文は「晩年」の詩を扱いながら、取り上げられるの. は、天宝一五載(七五六) 、四五歳の時の作である「送率. 注』巻二二)では「但遇新少年、少逢旧親友(但だ遇う新. 少年、旧親友に逢うこと少なし) 」と述べている。 )注(8)参照。. - 95 -. と高くは評価しない向きもある。. 府程録事」 、宝応元年(七六二)、 五二歳の時の作である「客. )例えば岳陽から長沙へ向かう途中の作、「上水遣懐」( 『詳. 夜」などであって、韋迢との応酬詩には言及しない。. (6)巻六、 「和詩当和意」の条。. (. (. (7)このほか、韋迢に関する記事は、 『元和姓纂』巻二、 『旧 唐書』巻一一五、韋夏卿伝、 『新唐書』巻七四上、宰相世 系表四上、竜門公房の条などに見えている。なお清・郝玉 麟等撰『広東通志』巻三八、名宦志の項にも韋迢の名が見 えており、 「韋迢、京兆人、好学工詩、景竜初進士。歴礼 部郎中。開元間、遷韶州刺史。道経潭州、与杜甫唱和。涖 韶、治尚清静、民懐其恵。嘗修范雲三楓亭、有記(韋迢は、 京兆の人、学を好み詩に工なり、景竜初めの進士。礼部郎 中を歴。開元の間、韶州刺史に遷る。道 潭州を経、杜甫 のぞ と唱和す。韶に涖むに、治は清静を尚び、民は其の恵みを 懐う。嘗て范雲の三楓亭を修め、記有り) 。 」とある。范雲 の三楓亭の遺跡は韶州曲江県 (広東省韶関市の東南) にあっ たらしいが、韋迢が開元年間(七一三~七四一)に韶州刺. 10. 11.
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