九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
錦文流と羅山編『徒然草野槌』
神谷, 勝広
http://hdl.handle.net/2324/4755953
出版情報:雅俗. 2, pp.32-41, 1995-01-10. 雅俗の会 バージョン:
権利関係:
•
ヽ
錦文流と羅山編﹃徒然草野槌﹄
﹃徒然草﹄注釈
慶長八年︵一六
0
三︶林羅山らが古典の公開講義を行った際︑松永貞徳は﹃徒然草﹄などを講釈したが︑この講
釈は︑﹃戴恩記﹄によれば師である中院通勝の怒りをかっ
たらしい︒通勝は︑勝手に﹁群集のなかにて︑大事の名
目などをよみちらし﹂たと不満であったという︒すなわ
ち近世初期︑﹃徒然草﹄の注釈は︑秘伝的性質が強かっ
た︒けれども︑その後︑状況は変化していく︒慶長九年
﹃徒然草寿命院抄﹄が刊行され︑そして﹃徒然草野槌﹄
︵寛
永後
半頃
刊︶
・﹃
鉄槌
﹄︵
慶安
元年
︶・
﹃慰
草﹄
︵慶
安五
年自跛︶・﹃徒然草古今大意﹄︵万治元年刊︶・﹃徒然草古
今抄﹄︵万治元年刊︶・﹃金鎚﹄︵万治元年刊︶.盤斎﹃徒 然草抄﹄︵寛文元年︶・﹃徒然草句解﹄︵寛文五年刊︶・﹃徒然草新註﹄︵寛文七年刊︶・﹃徒然草文段抄﹄・︵寛文七年刊︶・﹃増補鉄槌﹄︵寛文九年刊︶・﹃徒然草諺解﹄︵寛文九年刊︶・﹃徒然草大全﹄︵延宝六年刊︶・﹃徒然草参考﹄︵延宝六年刊︶・﹃徒然草直解﹄︵貞享三年刊︶などが続き︑貞享五年︵ニハ八八︶には﹃徒然草諸抄大成﹄という諸注釈をまとめたものまでが出される︒またその後も︑﹃徒然草吟和抄﹄︵元禄三年刊︶・﹃徒然草集説﹄︵元禄十四年刊︶・﹃つれづれの讃﹄︵宝永八年刊︶等の出版をみる ︒
﹃徒然草﹄注釈書は︑さまざまな故事を類例として収
録している︒これらの書を読めば︑﹃徒然草﹄本文と合
わせて︑関連するさまざまな故事も享受することに当然
神 谷 勝 広
特 集 元 禄 以 後
︑ 享 保 以 前
32
錦文流は︑宝永二年︵一七
0
五︶に浮世草子第一作
﹃棠大門屋敷﹄を世に送り出す︒この作品は︑大坂の豪
商淀屋辰五郎の関所事件を題材とするが︑没落の原因を
主人二代の色狂いとし好色咄に仕上げている︒
﹃棠大門屋敷﹄において﹃徒然草﹄本文との関連は︑
あまりない︒﹃棠大門屋敷﹄巻二の三で︑﹁兼好か人は
四十にたらぬほどにて死するこそ︑めやすかるへけれ﹂
と﹃徒然草﹄第七段の一節を引用する程度である︒した
がって︑﹃徒然草﹄がらみの何かが典拠になっていると
は一見考えにくい︒しかし︑実はそうではない︒
﹃棠大門屋敷﹄巻五の一は︑江戸屋︵淀屋のもじり︶
が︑盗賊に襲われる事件が起き︑これをきっかけに江戸
二 ︑
﹃棠
大門
屋敷
﹄
なる︒その結果︑﹃徒然草﹄に興味を持つ作家達の場合︑
自己の作品に﹃徒然草﹄本文ばかりでなく︑﹃徒然草﹄
注釈書収録の故事を取り込むことも起こってくる︒
注l注2今回は︑錦文流の浮世草子と林羅山編﹃徒然草野槌﹄
との関連において︑この点を検証する︒ 屋の人間関係が崩れていく部分である︒その冒頭に︑
獣窮則櫻︑鳥窮則嘱︑人窮則妥に濫すとかや︑しか
しながら仮にも書をよみ︑道をまなびたる人は︑義
理をしるゆへに飢寒身にせまれとも悪事をせず︑こ
れを恒の心有と云︑かやうの人は︑百千人か中にも
稀なり︑大かたの人は困窮にのぞみぬれば︑僻事を
もしつ︑盗をもするものなり
とある︒ここの﹁獣窮則捜︑鳥窮則嘱︑人窮則妥に濫す
とかや﹂の部分は︑奇妙な点がある︒これは︑﹃孔子家
語﹄五﹁獣窮則捜鳥窮則嘱人窮則詐﹂と﹃論語﹄衛霊公
﹁小人窮時濫斯﹂が絡み合ってできている︒原拠である
大部な漠籍の中から︑これら二つの短文を選び出して用
いたと思われない︒この奇妙さを容易に解決できるもの
がある︒林羅山編﹃徒然草野槌﹄下之一﹁第百四十二段﹂
は︑まず本文︑
心なしと見ゆる者もよきニ︱︱口いふもの也⁝⁝人︑恒
の産なきときは︑恒の心なし︑人きはまりてぬすみ
す⁝⁝衣食尋常なるうへに︑ひがことせん人をそ︑
誠の盗人とはいふべき
を示した後に注を付すが︑その中の﹁人きはまりてぬす
みす﹂に対する注︑
家語云獣窮則捜鳥窮則嘱人窮則詐論語に小人窮す
る時は︑こAに濫すとあるも︑此儀也⁝⁝それ書を
よみ︑道を学びたる人は︑義理を知故に︑飢寒身に
せまれども︑悪事をせず︑これを恒心ありと云︑か
やうの人は︑百千人が中にもまれ也︑大方の人は︑
困窮にのぞみては︑僻事をもし︑ぬすみをもする也
がある︒﹃孔子家語﹄﹃論語﹄の該当部分が連続してい
るだけでなく︑その後の﹁それ書をよみ︑道を学びたる
人は﹂云々の文章も﹃棠大門屋敷﹄の文章と一致する︒
羅山編﹃徒然草野槌﹄は︑﹃徒然草﹄注釈書の中におい
て︑大きな影響を及ぼした書である︒したがって︑以後
の﹃徒然草﹄注釈書も﹃徒然草野槌﹄の注釈を踏襲する
ことが多い︒だが︑﹃鉄槌﹄﹃徒然草文段抄﹄などの多
くの注釈書は︑﹃孔子家語﹄﹃論語﹄該当部分を受け継
ぎ利用しているが︑﹁それ書をよみ︑道を学びたる人は﹂
以後の文章を受け継いでいない︒また﹃徒然草古今大意﹄
は︑﹁それ書をよみ︑道を学びたる人は﹂云々の文章を 摂取しているが︑逆に﹃孔子家語﹄﹃論語﹄の文章を取り込んでいない︒﹃金鎚﹄は︑﹃孔子家語﹄﹃論語﹄も﹁それ書をよみ︑道を学びたる人は﹂云々も継承したが︑省略があって︑﹃棠大門屋敷﹄の文章と合わない︒以上から︑﹃棠大門屋敷﹄の右の文章は︑羅山編﹃徒然草野槌﹄に直接依拠すると推測できる︒すなわち︑文流は︑﹃徒然草﹄本文に﹁まことの盗人とは﹂とあるのを思いだし︑おそらく机辺にあった﹃徒然草野槌﹄下之一﹁第百四十二段﹂の該当箇所を見て利用したと考えられる︒
一箇所のみの対応では︑不安が残る︒さらに︑﹃棠大
門屋敷﹄巻五の二最終章を検討する︒この最終章で︑結
局︑江戸屋は国払いとなり没落する︒物欲色欲に走った
江戸屋に対して︑故事を引きながら教訓が書かれる︒
宝は身の敵︑大欲は心の怨︑つAしむへしおそるヘ
し︑古人の賢なるものに富は稀なり︑家に僧石の貯
なきを美談とす︑唐の元載か胡椒八百石︑晋の石宗
が錦歩障五十里あるも︑はたして益なかりき︑伏波
将軍か財を親族故旧にあたへ︑ほどこし︑世の人の
集をけるは︑守銭の奴となるといへり︑誠にやさし
34
き心ざしなりたとへ外より欲悪さそふとも内に善心
あらば︑即座にこれをはつすへきにこの七人のもの
ども︑日比身鉢より過例を好︑欲心内にあふるAに
よって︑終に首をごくもんの木にさらしぬ
これも︑﹃徒然草﹄本文との関わりは感じられないが︑
﹃徒然草野槌﹄下之一﹁第百四十段﹂本文に︑
身死して財残る事は︑智者のせざる処也⁝⁝こちた
くおほかるまして口をし⁝⁝
という物欲を戒めたところがある︒これの﹁こちたく﹂
に対する羅山注は︑このようなものである︒
こと/\しき心也又事外なり⁝⁝古人の賢なる者
は︑とめる者すくなし︑家に僧石のたくはへなきを
美談とす︑唐の元載か胡椒八百石︑晋の石崇が錦歩
障︑五十里あるも︑はたして益なかりき︑伏波将軍
か財を親族故旧に与へほどこして︑世の人のあつめ
をけるは︑守銭の奴となりと云り︑誠にやさしき志
なるべし
先に挙げた﹃棠大門屋敷﹄の文章とこれを比較すれば︑
両者の一致は明白である︒文流は︑﹃徒然草﹄第百四十 段の本文﹁身死して財残る事は智者のせざる所也﹂あた
りを思いだし︑﹃徒然草野槌﹄の当該箇所に目がいき用
いたのであろう︒
ここで翻って︑﹃棠大門屋敷﹄の序︑
b 家にあるじなき時は諸獣住家とす心虚なるときは人
身に禍生す去によって人の愚なるをお留守といふ
を考えてみれば︑aは﹃徒然草野槌﹄下之五六﹁第二百
三十五段﹂本文︑
ぬしある家には︑すゞろなる人︑心のまAに入くる
事なし︑あるじなき所には︑道行人みだりに立入︑
狐ふくろうやうの物も︑人げにせかれねは︑所えが
ほにいりすみ
と類似した表現であり︑またbは﹃徒然草野槌﹄下之五
六﹁第二百三十五段﹂本文・注の後で引用された︑
程子日⁝⁝又曰中有レ主則実︑々則外患不レ能レ入︑
朱子釈レ之曰︑有レ主二於中一外邪不レ
能レ
入
を逆の面から言い直したものと思われる︒したがって︑
序にも﹃徒然草野槌﹄の影響を認めるべきであろう︒
もはや文流が﹃棠大門屋敷﹄執筆時に﹃徒然草野槌﹄
滋 ふ 心
︱ ‑
︑
を身近に置いていたと確定してよかろう︒﹃徒然草﹄注
釈書の中でも︑特に﹃徒然草野槌﹄を用いた理由は︑編
者が羅山であり信頼性が高かったこと︑そして豊富に故
事を含んでいたことによると思われる︒
﹃徒
然草
野槌
﹄
ほど︑中国故事・仏教故事・本朝の故事とさまざまな故
事を収録しているものは︑注釈書類以外でも少ない︒
﹃本
朝諸
士百
家記
﹄
文流は︑宝永六年(‑七
0
九︶に武家物﹃本朝諸士百家記﹄を刊行する︒
﹃本朝諸士百家記﹄巻五の三﹁大屋伝五左衛門不義の
事﹂の主人公北谷伝五左衛門は︑八十間四方の角屋敷を
拝領していたことから︑大屋伝五左衛門と呼ばれた︒そ
れに関して︑﹁良覚僧正は榎のある道場に住ければ榎の
僧正と云︑此名然るべからずとて榎を切せて︑切杭有と
て切杭の僧正と名付︑是をいやがりて切杭を堀捨させ︑
其跡堀に成たれば堀池の僧正といふ柳原といふ所に有る
法印のおはして︑度々強盗にあはれければ︑強盗法印と云」の例を挙げる。『徒然草』第四十五段•第四十六段 の引用である︒これ以外に﹃徒然草﹄本文との関連はみえないが︑﹃徒然草野槌﹄と関連する箇所は存する︒
﹃本朝諸士百家記﹄巻二の一に出てくる奈須与市左衛
門の家来桂嘉平治は︑忠義で立派な男であった︒けれど
も︑主人の目をかすめ︑同じ家の腰元小夜と恋仲となる︒
そして小夜は子をはらむ︒この部分に︑次のような故事
が挿入される︒
されば飲食男女は人の大欲存せりと礼記にもいへる
がごとく︑誠に色欲の捨てがたきは飲食の二にもま
されるものかな︑蘇武が胡国に有て十九年の銀難を
しのぎ︑忠臣を全すといへ共︑胡婦をめとりて子を
うませり『徒然草』で色欲に関する章段となると、第三段•第八
段•第九段あたりである。それらの章段を『徒然草野槌』
で丁を操ってみると︑﹃徒然草野槌﹄上之一﹁第三段﹂
で本文・注の後に︑羅山が自己の考えを付している︒そ
の中
に︑
此段︑色このまざるは人情にあらざれは無下の事な
りと思へる兼好が心︑いとおかし︑末に妻といふ物
36
四 ︑ を全すといへども︑胡婦をめとりて子をうめり 蘇武か胡国にありて十九年まで賑難をしのぎ︑忠節 女の道は飲食よりもまさりて人のすてがたき物なり︑ 食男女は人の大欲存せりと礼記に見えたり︑誠に男 りといへば︑兼好が本意あさからす侍る︑されば飲 は︑物のあはれをしらぬといへるを︑げにさる事な は男のもつまじき物なりといひ︑又子をもたぬもの
という文章が出てくる︒文辞もよく一致しており︑これ
に直接依拠したことは疑えない︒文流は︑﹃徒然草野槌﹄
の適当な部分を読み直して使えそうな故事を探し出し︑
自己の文章の中に組み込んだのである︒
﹃徒
然時
勢粧
﹄
享保六年︵一七ニ︱)になると︑文流は﹃徒然草﹄の
影響を明確にした﹃徒然時勢粧﹄を出す︒
書名からして﹃徒然草﹄を意識したものであり︑﹃徒然草』本文の引用•もじりなど明確な利用例がいくつも
指摘できる︒︱二例を挙げれば︑﹃徒然時勢粧﹄巻四の
一の﹁女のふたのにてよれる網には︑夜ありきをする男 も能つながれ︑女のはける古草履には︑秋の虫かならず寄るといひ伝る﹂は︑﹃徒然草﹄第九段﹁女の髪筋をよれる綱には﹂云々のもじりである︒また﹃徒然時勢粧﹄巻六の二の冒頭に引用されている﹁丹波に出雲といふ所あり︑大社をうつし﹂云々という後ろ向きの駒犬の話は︑﹃徒然草﹄第二百三十六段に基づく︒但し︑基本的にこれら﹃徒然草﹄本文も︑﹃徒然草野槌﹄収録のものであろう︒﹃徒然時勢粧﹄では巻一の六の冒頭に︑
いにしへの聖の御代の事︑羅山子の野槌にくわし
とあることから確実に﹃徒然草野槌﹄を見ている︒﹁い
にしへの聖の御代の事﹂を知るために﹃徒然草野槌﹄を
利用したというが︑それだけでは無論ない︒
﹃徒然時勢粧﹄巻一の三﹁当世仏法早合点﹂は︑当時
の僧侶の色道に関する堕落を批判する︒その中の具体的
な文章を挙げれば︑
⁝⁝聖徳太子浮屠に姪溺し給ふゆへに︑能方人成と
依託し︑釈迦は大乗孔子は小賢成とほこり︑大乗の
法は酒陣姪坊即道場成りと句旬︑大黒と名付て美女
を抱︑多くの子を生せ︑賢情用意のためとて︑魚鳥
の肉を喰ひ︑長命を悦ぶ僧あまた見へける︑いづれ
の仏法にくるしからぬといふ事ありや︑夏総持経に︑
釈迦の妻は耶輸多羅︑御子羅誰羅︑其妾を塑夷とい
ふ︑羅什三蔵も妻子なきにしもあらず⁝⁝但苦しか
らざる所を見付ての破戒にや
﹃徒然草野槌﹄上之一﹁第六段﹂で︑注の後に羅山は好
色を戒めるべきだという自分の考えを付している︒その
中にこのような文章がある︒
此比夏総持経を見侍りしに︑釈迦の妻は耶輸多羅な
り︑其子を羅誰羅といひ︑其妾を︑塑夷といふ︑羅
什三蔵も妻子なきにあらず⁝⁝聖徳太子は︑名たか
き人なれど︑浮屠に淫溺し給ふゆへに︑後の世の僧
徒︑よきわが方人なりと依託して︑そのことを記せ
る者の︑陵をきりたち給ふをよき事なり︑といひて︑
釈迦は大聖︑孔子は︑小賢なり︑とほこり⁝⁝是は
太子の子孫なからん事をねがひ給へる事︑天下古今
の法にあらず︑とおぼえ侍るゆへになん︑大乗の法
は︑酒陣︑姪坊︑即道場なりといひて︑末世の比丘
は肉をくひ女色に耽りて在家の人に異ならず︑され は小乗は却て殊勝なり︑と或人の申されしはさもあるらん
ここの文章を少し順を変えて用いていることがわかる︒
また︑﹃徒然時勢粧﹄巻一の四﹁飼鶏は悪心の種﹂は︑
当時ある里にいた破戒僧の話という︒
妥に即座に︑五戒を破し僧の噺を聞侍しに︑有る片
里に独の僧あり︑隣成る家の飼鳥に︑よきかしはの
雌有しが︑此庵室の庭に来り︑飼をつゐばみけるを︑
此僧ひそかにとらへてしめころし︑ふかくかくして
置ぬ隣成家の女房︑とや時分に鶏の帰らざるをあや
しみ︑隣の庵室へ来り︑もし鶏の来りぬるやと尋け
るに︑けふにかぎり曽て見もやらずと偽り︑一言二
言鳥の事に付ていひたはふれ︑むたひに其女をおか
しぬ︑女は物につかまれたる心地して︑何となく家
に帰りぬ︑彼僧夜ふけ人しづまりて︑彼鶏を料理し︑
思ふまA酒打くらひて︑心能ふしけり︑事かりそめ
のおどけ事に似たれ共︑暫時の内に五戒を破りぬ︑
先隣成家の飼鳥を殺したる科︑是殺生戒にあらずや︑
人の重宝して飼置ける鶏を盗たる科︑是倫盗也︑尋
38
ねに来る人の妻をむたひにおかしぬる事︑是則邪姪
戒︑尋ねに来るを否やと偽りぬる科︑即妄語︑夜更
人しづまりて彼鶏を肴に酒打くらひたる事︑是飲酒
戒︑事仮初のやうなれ共︑立所に五戒を破る︑斯る
類世に多かるべし︑誠に尊き僧は二百五十戒五百戒
をたもちけるに︑継成五戒をだにたもち兼ける悪僧︑
しかるにたらずにくむにたらず
この文章は︑﹃徒然草野槌﹄下之三﹁第百七十五段﹂で︑
﹁萬の戒を破りて﹂に羅山が付した注︑
飲酒戒を破れば自余の戒をも破るなり大蔵一覧第
三云︑毘婆沙論云有こ一郎波索迦\稟性仁賢︑受二
持五戒一︑専精不レ犯︑後於ニ
一時
ー︑
為レ
渇所
レ逼
見
ニ ー
器中
一︑眉酒如レ水︑遂取飲レ之︑爾時便犯二飲
酒戒一︑時有二隣鶏一 ︑来入二其舎一︑盗殺而噛︑復犯
二殺
与レ
盗戒
一︑
隣女
尋レ
鶏︑
来入
二其
室一
︑強
逼交
通︑
復 犯 邪 行 成 隣 家 告
/ 官︑訊問拒諒復犯証語戒\
如レ是五戒︑皆由レ酒犯⁝⁝
に依拠したものである︒戒を破る順を変えているが︑両
者の関連は間違いない︒﹃徒然時勢粧﹄は︑﹁妥に即座 に︑五戒を破し僧の噺を聞侍しに﹂と述べ︑読者に当世のものとして受け取らせようとする︒故事の当世化して
注3いく様子がはっきりわかる︒
さて︑錦文流の浮世草子は︑﹃棠大門屋敷﹄﹃当世乙
女織﹄﹃熊谷女編笠﹄﹃本朝諸士百家記﹄﹃徒然時勢粧﹄
であるから︑五作品中︱︱︱作品で﹃徒然草野槌﹄を参照し
注4ていたことになる︒
五︑注釈書収録の故事
元禄十五年(‑七
0
二︶刊行の都の錦﹃元禄大平記﹄によれば︑当時注釈書は非常に多く刊行されており︑読
み手の客も︑どの注釈書が適切なものか気にしていた︒
具体的には︑﹃元禄大平記﹄巻六の二で︑参宮人が京の
本屋に︑﹁さて班をよみならふにはいかなる抄物をか見
侍るべきや﹂・﹁古今集の抄物はいづれがよく候﹂・﹁源氏
湖月抄勿論よく候へども詞の註すくなし︑官位装束の事
つまびらかならず︑その外よき抄ありや﹂・﹁伊勢物がた
りの抄物は﹂・﹁つれ人\草の末書はいかに﹂と尋ねてい
る︒小説中の文章であるから当時の実情そのままとする
六︑注釈を軸にする新しい研究 のは早計であるが︑え
られ
よう
︒
ある程度実情を映し出していると考
今回は︑錦文流に関して述べたが︑注釈書を典拠とし
て利用していたのは︑文流だけではない︒例えば︑文流
と同時代に活躍した北条団水も︑やはり﹃徒然草野槌﹄
を見ていて︑自己の作品にそこから故事を取り込んでい
る︒また︑都の錦﹃風流源氏物語﹄も︑漠籍注釈書﹃歌
行詩諺解﹄を通じて玄宗皇帝の故事をえている︒
元禄以後享保以前の浮世草子にとって︑注釈書は︑故
事供給源の︱つになっていると推測される︒浮世草子研
究において注釈書類との関連は︑これまで等閑視されて
きたきらいがあるが︑今後注目すべきと思う︒
ただここで︑最後に述べておきたいのは︑文芸作品と
注釈︵注釈書及び注釈活動そのものを含む︶との関連の
問題は︑より広い考察を同時に要するということである︒
例えば︑近松の浄瑠璃などでも︑﹃徒然草野槌﹄は用い
られている︒時代物の代表作﹃用明天王職人鑑﹄の冒頭 にある仏教に関する論争は︑
注7
いる
注釈という問題を考える上で︑次にあげる中世の説話 ︒
注8研究者小峯和明氏の言が示唆的であると思う︒
原典に対する注釈という行為I古典を解読するに
最も基本的な言語行為に必ずついてまわるのが説話
であり︑説話をもって本文や世界の根源を解釈し︑
解読する営みが脈々と続けられたのである︒そして
それら説話はまた同時代の新しい文芸創造の基盤に
なり︑能︵謡曲︶や軍記︑説話集など中世を特徴づ
ける文芸世界を開花させた︒しかもそれら注釈活動
は人脈のネットワークにとどまらず︑説話そのもの
もまたネットワークの網目で結ばれ︑さまざまに響
きあい︑呼びかわしあう交響の世界を開いていた︒
研究方法もそれに応じて︑注釈を軸にジャソルを横
断する新しい方向が拓かれてきている︒
もちろん︑中世と近世では︑文芸を取り巻く基本的状況
が異なる︒だが︑むしろ営利出版が軌道に乗り出版機構
を通じて多量に注釈書が流布しえた近世の方が︑故事・ ﹃徒然草野槌﹄を参照して
40
3 2 ー 説話の﹁ネットワークの網目﹂といったものは︑形成されやすいのではないだろうか︒そして︑その故事・説話の﹁ネットワークの網目﹂が﹁新しい文芸創造の基盤﹂になる可能性は高いのではないか︒
元禄以後享保以前の文芸にも︑﹁注釈を軸にジャソル
を横断する新しい﹂研究の方向が必要と思われる︒
長友千代治氏編﹃錦文流全集浮世草子篇﹄による︒
但し︑振り仮名は外し︑旧漠字は︑適宜新漢字に直
した︒以下の引用に際しても︑同様の処理をした︒
﹃徒然草野槌﹄は︑西尾市立図書館蔵岩瀬文庫本
による︒なお︑﹃徒然草野槌﹄には︑章段番号がな
い︒便宜的に︑日本古典文学大系﹃方丈記徒然草﹄
︵岩波書店︶の章段番号をもって示した︒
同時代の青木鷺水の浮世草子にも︑このような傾
向が強い︒拙稿﹁鷺水の浮世草子と中国説話﹂︵﹃国
語国文﹄平成五年一月号︶︒
注
8 7 6 5 4 錦文流の存疑作に﹃草木軍談賤爪木﹄︵宝永五年
刊︶があるが︑これも﹃徒然草野槌﹄を用いる︒例
えば︑その巻五にある﹃徒然草﹄を評した部分は︑
﹃徒然草野槌﹄序の﹃徒然草﹄評による︒もし︑文
流作と確定された場合︑六作品中四作品で﹃徒然草
野槌﹄との関連を持っていたことになる︒
北条団水に関しては︑別稿を用意したい︒
拙稿﹁都の錦の学識と手法﹂︵﹃近世文芸﹄五十五
号平成四年二月︶︒
拙稿﹁近松と羅山編﹃徒然草野槌﹄﹂︵﹃日本文学﹄
一九
九四
年九
月号
︶︒
﹁説話と注釈﹂︵和漠比較文学叢書
1 4
﹃説話文学
と漠文学﹄汲古書院平成六年二月︶︒