サヤボン シテサイ 提出
博士学位申請論文審査報告書
ASEANにおけるリージョナリズムと多国籍企業
―日本企業の対 ASEAN5 投資と経営活動に関する史的考察―
Regionalism and MNEs in ASEAN:
Historical Analysis of Japanese MNEs
’FDI and Business
Activities in ASEAN-5
サヤボン シテサイ 提出 博士学位申請論文審査報告書
『ASEAN におけるリージョナリズムと多国籍企業
―日本企業の対 ASEAN5 投資と経営活動に関する史的考察―』
I 本論文の主旨と構成
1.本論文の主旨
本論文は、第二次大戦終了以降の時期についての日本企業による東南アジア諸国での経営活動の変化 と海外直接投資(FDI)の動向に関する歴史的研究である。対象となる東南アジアの国々は、東南アジア 諸国連合(Association of Southeast Asia Nations, ASEAN)を創設した5カ国インドネシア、フィリ ピン、マレーシア、シンガポール、タイ(ASEAN5)である。現在の ASEAN 加盟国は 10 カ国で、ブルネ イ、カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムが加わっている。ASEAN は成長志向の国々の 集まりである。
これまで、欧米企業の海外進出(多国籍企業化)について、ダニングの折衷パラダイムに集約される ような多くの研究がなされ、理論的な説明がなされてきた。しかし、これらの理論では日本企業の ASEAN 進出を十分に説明することはできない。そのため、日本人研究者を中心に別の理論によってこの課題を 説明しようとする試みがなされてきた。その結果、「雁行形態論」や「日本側のプッシュ要因と受入国 側のプル要因」といった理論が構築されてきた。これらの理論はある程度、ASEAN 諸国と日本企業との関 係を説明している。しかし、それらの理論はある時期のある特定の問題を説明するには有効であるが、
ASEAN の地域経済統合の過程とそれに対応する日本企業の進出動機や形態の変化については説明されて いない。とくに、現在のような新興国の台頭やグローバル経済のなかで進展する ASEAN の統合過程に対 応しようとする日本企業の視点でのこの地域への進出や経営戦略、組織構造を説明するためには、新た な研究の枠組みが必要になる。
本論文はこうした研究の空白を埋めるべく、戦後から現在にかけて、日本企業の対 ASEAN 投資要因と 経営戦略に焦点をおいて、ASEAN における日本企業の事業展開と経営活動の特徴を解明することを目的と している。そのために、企業の内外的環境(要因)の変化に直面してきた日本企業が ASEAN において、な ぜ、どのようにビジネス活動を行ってきたのか、その発展の過程においてどのような経営戦略を展開し てきたのかという問題を明らかにすることを狙いとする。著者が設定した問題は次のとおりである。
日本企業は①「なぜ、どのようにして ASEAN に進出しているのか」、②「各時期における経営環境の 変化にどのような対応(解決策)あるいは経営戦略をとってきたのか」、③「自由貿易協定(FTA)など地 域統合の深化にどのように対応し、国際的な産業内分業や国際的企業内分業を行ってきたのか」という 問題を提起し、制度的・記述的な史的研究方法を採用し、戦後から現在にかけて史的に ASEAN への投資 の要因を五つの時期に区分する。
各時期(段階)において、日本企業の ASEAN 進出と国際分業の要因として、(1)投資国である日本国内の 状況(日本側の要因)と(2) ASEAN の状況(受入国・地域の要因)を考察し、(3)第三国と国際的影響(要因) を概観するとともに、(4)それらの要因に対応するために、日本企業が採った解決策あるいは「経営戦略」
と事業活動の変化と特徴を分析する。
日本企業は戦前から東南アジアで事業活動を行っていた。しかし、1945 年 8 月 15 日に日本が無条件降 伏した後、占領末期に連合軍により許可を得て、1951 年に日本企業は東南アジア・ビジネスをゼロから 再開させることになった。一方、終戦後、東南アジアでは新たな秩序形成を求めて事態は動き続けてい た。フィリピンとインドネシアがまもなく新たに独立し、マラヤ連邦の独立を経て、マレーシアが成立、
シンガポールが独立していく。1961 年にタイ、フィリピン、マラヤ連邦の 3 カ国により「東南アジア連 合(ASA)」が結成されたが、ASA は加盟国間の政治的問題などによりその機能が停止した。そしてベトナ ム戦争最中の 1967 年に、上記5カ国により ASEAN が結成された。ASEAN の主な目的は、①域内における 経済成長、社会・文化的発展の促進、②地域における政治・経済的安定の確保、③域内諸問題の解決、
である。
本論文では、投資データの動向に注目して、日本企業の戦略変化を歴史的に考察している。1960 年代 末から日本企業の ASEAN5向け FDI が急速に増加し、東南アジアにおける日本のウェイトも急上昇した。
1980 年代から 2000 年代にかけて日本の ASEAN 各国への投資を受入れ側からみると、日本企業のシェアは、
タイ、インドネシアでトップ、フィリピン、シンガポール、マレーシアで第二位を占めた。『2014 年版 ジェトロ世界貿易投資報告』では、2013 年末までの日本の国・地域別対外直接投資残高(資産)における アジアへの投資残高は 3,102 億 8,300 万ドルで、北米の 3,482 億 2,200 万ドルに次いで第二位である。
アジアの中では、ASEAN10 カ国への直接投資残高が 1,362 億 5,800 万ドルで最も多く、続いて中国での 981 億 3,200 万ドルの順であり、日本の対中国投資残高額は、ASEAN10 カ国への投資の 71.19% 程度であ る。そして、日本企業の ASEAN5への投資額は、ASEAN10 カ国の中では全体の 91.64%を占めている。
第二次大戦後、日本企業は東南アジアで活発な事業活動を行ってきた。これまで、ある特定の時期の 政治・経済的研究と調査報告書はあるものの、その進出要因と経営活動について包括的かつ体系的な研 究は、極めて少なかった。特に、戦後から現在に至る日本企業の対 ASEAN 投資の要因と経営戦略や事業 展開についての史的発展を包括的に扱った研究は、これまで存在しなかった。
そこで本論文では上述のように、五つの時期に区分して歴史的な分析が行われる。時期区分について は、(1)戦後から 1971 年にかけて、資源確保・輸入代替工業政策などに対応した時期、(2)1972 年から 1985 年にかけて、日本国内の投資制約要因と対欧米先進国との通商摩擦などに対応した時期、(3)1985 年から 1997 年にかけて、プラザ合意による円高の進展に応じた時期、(4)1998 年から 2008 年にかけて、
東アジア通貨危機後に ASEAN 域内の経済統合が進展し、中国が台頭して、対 ASEAN 戦略が見直された時 期、(5)2008 年から現在にかけて、世界金融・経済危機、自然災害の影響、東アジア経済統合の深化など に応じて新たな経営戦略が展開されている時期である。
各時期(段階)において、日本企業の ASEAN 進出と国際分業の要因として、(1)投資国である日本国内の 状況(日本側の要因)と(2) ASEAN の状況(受入国・地域の要因)を考察し、(3)第三国と国際的影響(要因) を概観するとともに、ASEAN 各国の経済政策などの優位性とを比較し、(4)それらの要因に対応するため に、日本企業が採った解決策あるいは「経営戦略」と事業活動の変化と特徴を分析する。
戦後から 1971 年までの時期では、戦後間もない日本における技術の相対的低さが強調されている。と いうのも、戦時中から終戦直後にかけて日本では技術進歩が停滞していたのに対して、アメリカなどで は同時期にも技術が著しく進歩していたからであった。本論文は、戦後から 1971 年までの時期の日本企 業の FDI が日本政府によって規制がかけられており、資源開発投資、政府開発援助(ODA)に絡んだ投資、
そして東南アジア側の輸入代替政策に対応する日系企業の現地生産開始が中心であったとする。とはい
え、1950 年代から 1960 年代前半まで日本が世界銀行からインフラ開発資金の融資を受けていたことに鑑 みて、「途上国が途上国に開発援助をし、途上国企業が途上国に直接投資をする」モデルが抽出されて おり、後段の分析に活用されている。
第二は、1972 年から 1985 年にかけての時期である。本論文では、1972 年に日本政府が経済自由化を 進め、高度成長を経た後、海外直接投資(FDI)の規制を大幅に緩和すると、日本企業が ASEAN に急速に 直接投資を展開した様子が詳論されている。投資受入国市民との間での摩擦の発生、それに対する対処 も論じられている。1973 年 6 月に日本の経済5団体は「発展途上国に対する投資行動の指針」を公表し、
基本姿勢として「日本企業の海外投資にあたっては、受入国に歓迎される投資としてそこに定着し、長 期的な観点に立って企業の発展と受入国の開発・発展とが両立する方向で進められるとともに、受入国 の社会に融け込むようにその経済、社会との協調、融和を図りつつ行う」ことを打ち出した。しかし、
これだけでは十分ではなかった。1974 年 1 月には日本の首相訪問時にジャカルタ等で暴動が起った。日 本の主要経済団体は日本在外企業協会を発足させてさらに情報提供に努め、1977 年の ASEAN 結成 10 周年 の折、福田赳夫首相が ASEAN5を歴訪し、最後の訪問地マニラで後に「福田ドクトリン」として知られる ようになるスピーチを行い、事態はようやく沈静化し、投資環境が整った形になった。
第三は、1985 年から 1997 年にかけての時期である。1985 年 9 月のプラザ合意により円高が進展した ため、日本企業がそれに対応した FDI をさらに増加させた時期である。ASEAN では、ASEAN 加盟国間の自 由貿易協定 (Free Trade Agreement、FTA)に対応する ASEAN 自由貿易地域(ASEAN Free Trade Area、AFTA) が 1993 年から実施に移されると、加盟国が増えて ASEAN 拡大が起り、域内の経済統合が一層進むように なった。
第四は、1998 年から 2008 年にかけての時期である。1997 年後半の東アジア通貨危機の後に ASEAN 諸 国での資本規制がさらに緩和された。ASEAN 域内の経済統合が進展し、AFTA により、2010 年 1 月には AFTA 発表時の加盟 6 カ国の共通効果特恵関税(Common Effective Preferential Tariff: CEPT)の対象品目の 関税率がゼロになった。改革開放の成果により、中国経済が成長に転じて、日本企業が対中戦略を変化 させて対中投資を増やし、対 ASEAN 戦略が見直された時期にあたる。
第五は、2008 年から現在にかけての時期である。2008 年の米大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破 綻と世界金融・経済危機、自然災害の影響、東アジア経済統合の深化などに応じて新たな経営戦略が展 開されている。2015 年末までに ASEAN 域内の CEPT 適用品目の関税が原則 0%となり、ASEAN 共同体の一つ の重要な柱として ASEAN 経済共同体(ASEAN Economic Community: AEC)が確立されることになっていて、
日本企業はグローバル経済の動向を見据えて、東アジアワイドの戦略を取ることを求められている。
かくして本論文では、企業の海外直接投資と国際展開の決定要因と多国籍企業の経営戦略を説明ある いは研究するには、企業レベルの議論や受入国の一時的な政策的要件あるいは要因のみを考慮するだけ では十分でないことを明らかにした。つまり、本論文では、時間の経過とともに企業の経営戦略や事業 活動、投資国内の条件や政策、受入国の条件や政策、そして第三国及ぶ国際的要因(グローバル化)など を、トータルに考えていかなければならないことを明らかにしたのである。
2.本論文の構成
本論文の章立ては以下のとおりである。
第一章 はじめに 1.1 問題提起
1.2 日本企業の ASEAN 進出 1.3 ASEAN の設立と概観 1.4 資料と構成
第二章 先行研究と分析枠組み 2.1 海外直接投資に関する研究
2.2 日本企業の ASEAN 進出と国際分業に関する研究 2.3 本研究の分析枠組み
第三章 ASEAN 進出の再開と輸入代替政策への対応(戦後~1971 年) 3.1 戦後日本の海外投資の再開とその背景
3.2 賠償と経済協力による日本企業の海外進出の再開 3.3 日本企業の ASEAN 諸国進出の再開
3.4 輸入代替政策に対応する日本企業の動き 3.5 小括
第四章 日本国内の投資制約要因の増加と対外の通商摩擦(1972~1985 年) 4.1 1972 年以降における日本の海外投資の急増
4.2 ASEAN 進出の本格化と ASEAN 諸国の立地条件の改善 4.3 日本政府と経済団体の ASEAN に対する政策と態度の変更 4.4 日本国内の投資制約要因の増加
4.5 対外通商摩擦 4.6 小括
第五章 円高による日本企業の経営グローバル化(1985~1997 年) 5.1 円高の進展と日本企業の海外進出状況
5.2 生産拠点としての ASEAN 各国の産業・経済政策 5.3 ASEAN における日系企業の経営状況と問題点 5.4 日本企業の戦略転換
5.5 小括
第六章 東アジア通貨危機、ASEAN 統合の深化とその対応(1998~2008 年) 6.1 東アジア通貨危機後の日本企業の対外投資
6.2 東アジア通貨危機の背景とその対応
6.3 中国の台頭と AFTA の実現に伴う日本企業の事業展開 6.4 AFTA の進展に伴う企業の ASEAN 域内及び中国との分業 6.5 小括
第七章 グローバル金融危機、自然災害と新たな展開(2008 年以降) 7.1 グローバル金融・財政危機、為替レートの変動
7.2 東日本大震災の影響とその対応
7.3 タイにおける洪水の被害と政治不安の影響とその対応 7.4 東アジアにおける FTA などによる経済統合の進展 7.5 小括
第八章 おわりに
8.1 各時期におけるビジネス環境変化の背景とその対応 8.2 投資国、受入国、第三国及び国際的影響と日本企業の対応 8.3 本研究の意義
8.4 今後の課題
図表目次 略語表 参考文献
II 本論文の概要
各章の概要は次の通りである。
第一章「はじめに」では、ASEAN 設立の経緯、日本の対東南アジア投資の経緯や特徴を概説し、東南ア ジアにおける日本企業の国際経営活動に関する問題提起を行っている。日本企業の東南アジアでの事業 活動は第二次世界大戦後(戦後)、商社の海外代理店設置が許可された 1951 年に再開された。三菱、三井 などの旧財閥系商社が東南アジア諸国に社員を派遣し、市場調査を開始した。1950 年代、東南アジアに は、貿易ビジネスを中心にする商社、商船会社などが進出した。東南アジアからみるとタイへの投資が 比較的早く、1952 年に日タイ国交回復後、1960 年の「産業投資奨励法」制定直後より、味の素、トヨタ 自動車、東洋レーヨン(現東レ)、松下電器(現パナソニック)など、食品、自動車、繊維、電気機器など の分野で進出し始めた。1965 年にマレーシアから分離独立を果たしたシンガポールでも、電気機器の単 純な加工・組立を行う中小企業が進出した。もっとも 1960 年代に日本企業の東南アジア諸国への対外投 資は金額的にも少なく、現地の工業化政策(輸入代替政策)への初期的な対応であったと考えられる。1960 年代末になると日本で経済自由化が進展し、1972 年には「海外直接投資元年」と呼ばれるほど日本企業 の海外直接投資が増加した。その後、一貫して日本からの投資活動は拡大している。1980 年代から 2000 年代にかけて、日本からの直接投資額が増加し、ASEAN5において第一位の投資国となっている。
日本企業は ASEAN でこれほど活発な事業活動を行ってきているにもかかわらず、ある特定の時期の政 治・経済的研究と調査報告書はあるものの、その進出要因と経営活動について包括的かつ体系的な研究 は、極めて少なかった。特に、戦後から現在に至る日本企業の対 ASEAN 投資の要因と経営戦略や事業展 開についての史的発展を包括的に扱った研究は、いまだ存在しないのである。そこで、本論文はその空 白を埋める目的で書かれたのである。
第二章では、多国籍企業理論と日系企業の東南アジア進出についての先行研究を批判的に展望して、
本論文での研究分析枠組を提起している。企業の多国籍化については、R. Vernon の「プロダクト・サイ クル・モデル(PCM)」、P.J. Buckley、M. Casson、J.F. Hernnart、A.M. Rugman などの「内部化理論」、
J.H. Dunning の「折衷パラダイム」を挙げて、Dunning の「折衷パラダイム」(The eclectic paradigm of international production)が様々な理論的アプローチを統合化する枠組みであり、国際的な生産のあら ゆる形態を説明しようとするものとして、著者にとっては親近感があるものとされている。
日本人研究者による ASEAN と日本企業との関係についての研究も展望されている。例えば、田口信夫 の『日本の海外投資と東南アジア』(1982)については、その分析と結論は 1951 年から 1970 年代後半ま での 20 年間の経験に基づいている。小林英夫の『東南アジアの日系企業』(1992)では、ASEAN5におけ る日系企業の活動実態を把握するために、工業団地内に限定して日系製造業企業の管理活動を中心に現 地調査を行っている。そして、赤松要・小島清の「雁行形態論」、藤野哲也の「ASEAN 進出企業の現状と 課題」(2001)なども取り上げている。
ASEAN における日本企業の経営活動と技術移転については、S. Yamashita、浦田秀次郎、安保哲夫らに よって、日本的経営、技術移転、経営の現地化などの分析により、日本的経営の定着と技術移転の可能 性が明らかになった。ASEAN 加盟国は技術移転の手段として対外直接投資のフローを誘致することに重点 を置いていると主張する F. M. Montes が注目されている。木村福成の「東アジア国際分業再編と共存的 発展に向けた課題」(2003)、天野倫文の『東アジアの国際分業と日本企業: 新たな企業成長への展望』
(2005)などが東アジア全体の「国際分業」の問題について論じていることも注目されている。
しかしながら、これら先行研究のほとんどは、投資国である日本か受入国・地域である ASEAN につい ての一時期における現象を分析し議論したものにとどまっている。第三国及び国際的要因あるいは影響 を受けながら、日本と ASEAN における政策や経済発展が時間の経過とともに、日本企業、特に ASEAN に おける日系企業のビジネス形態、経営戦略(国際分業)及び組織構造などにどのように影響を与え、どの ように変化してきたのかは明らかにされていない。それゆえ、本論文では、戦後から現在にかけて、日 本企業の対 ASEAN 進出と国際分業の要因と経営戦略に焦点をおいて、ASEAN における日本企業の事業展開 の特徴を解明することを目的とする。そのためには、企業の内外的経営環境(要因)の変化に直面してき た日本企業が ASEAN において、なぜ、どのようにビジネス活動を行ってきたのか、その発展の過程にお いてどのような経営戦略を展開してきたのかという問題を明らかにする必要がある。
第三章では、戦後から 1971 年にかけて、資源確保・輸入代替工業政策などに対応した時期を扱ってい る。第二次世界大戦による甚大な被害を受けた日本の産業・企業は、ほとんどゼロから出発しなければ ならなかった。「朝鮮戦争ブーム」による特需と輸出増大は、生産の急速な拡大を促し、日本経済にプ ラスの影響を与えたが、日本企業の技術レベルがアメリカなど先進国の水準と比べると大きな落差があ ること、つまり、設備老朽化、資金不足などの問題を抱えていたことが明らかになった。また、この時 期、先進国にとって貿易の中心は付加価値の高い重化学工業に移り、発展途上国においては繊維産業な どの軽工業が成長していたが、日本の重化学工業は国際競争力をもっていなかった。こうした現状認識 が、アメリカ側及び日本政府・経済団体に対して、日本の「合理化投資」の必要性を強く認識させる役 割を果たした。
さらに、敗戦により、日本の経済活動は連合軍の占領下におかれ、輸出入もしばらく管理されていた。
1949 年になって連合国総司令部 GHQ により、商社の海外代理店が許可され、1951 年には旧財閥系の商社 を中心に東南アジア諸国との輸出入を再開した。しかし朝鮮戦争により、輸入原料の価格が高騰し、一
部入手難に陥った。この問題を解決するため、日本政府は日本企業の資源開発投資の資金だけでなく、
制度的な優遇措置を与えたので、この時期には資源関連の大型プロジェクトを中心に、ASEAN への投資は 重要なものとなった。1955 年以降、日本政府がビルマ、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア諸 国と賠償協定を結んだため、「賠償」をはじめ、「賠償に伴う経済協力」「政府ベースの信用供与」そ の他、有償・無償の国家資本輸出が推進され、日本企業の東南アジア進出の基盤づくりが行われた。
もう一つの特徴として、総合商社の果たした役割が注目される。この時期、日本の外国貿易は、ほと んど旧 9 大財閥を通して行われた。総合商社は、単に輸出入の貿易活動を行っただけなく、東南アジア や ASEAN 諸国への投資においても重要な役割を果たし、商社との合弁形態をとって ASEAN 諸国に進出す る製造業者のケースも少なくなかった。日本製造業の ASEAN 進出には、総合商社をオルガナイザーとし て、日本メーカーと現地企業を結合させた「3 人 4 脚型合弁企業」を主要な形態とするものが多かった。
つまり、戦後新局面が展開する中で、海外進出に関するノウハウなどをほとんど持たなかった日本製造 業は、商社の助けを借りてはじめて海外進出が可能となったのである。資金面での融資や借入も、その 多くを商社に依存していた。そのため多くの場合、日本での取引関係や系列関係に引き寄せられるよう に、それと密接に関係した商社が製造業と並行して進出したのであった。
一方、トヨタ自動車や松下電器などのように、総合商社への依存を極力避け、ASEAN に進出した日系 製造業もあった。その理由は、商社を利用する場合は販売網の整備や情報収集などにおいて短期で市場 を確保することができたからである。これに対してトヨタや松下のように、自社特有のマーケティング や製品の性能についての情報フィードバックやアフター・サービスに重点を置く場合は、中・長期的戦 略に基づいて市場を確保することが必要であったのである。
そして、ASEAN 諸国が輸入代替政策をとり始め、日本からの輸出は規制されるようになった。その ASEAN 諸国政府の政策に対応するため、最終工程に近い一部の工程、あるいは市場に最も近い市場のニーズに 即応しなければならない組立工程を移植し、これに対して機械設備、原材料部品などを提供するという 体制を整えた。また、一部の日本製造企業はタイなどの有力市場で現地生産を始めた。このようにして、
1970 年ごろまでに日本企業は、ASEAN への第一次投資ブームを迎えたのである。
第四章では、1972 年から 1985 年にかけて、日本国内の投資制約要因と対欧米先進国との通商摩擦など に対応した時期が考察される。この時期、投資国である日本国内においては高度成長に伴い、労働力不 足、賃金高騰、工場立地難など国内投資制約要因が増大するというプッシュ要因、投資受入国・地域で ある ASEAN 諸国での労働集約産業における技術的キャッチ・アップ、すなわち、投資環境の改善という プル要因、そして第三国である欧米先進国の通商摩擦の影響により、日本企業の ASEAN 進出と「国際分 業」が進められたとする。1970 年代の日本企業の ASEAN に対する海外投資の特徴としては、資源開発関 連産業(特に鉱業)と製造業に集中しているものの、鉱業のウェイトが徐々に減少したことがある。製造 業についても、繊維、鉄・非鉄金属といった、いわば日本で比較劣位になりつつある労働集約産業に集 中しているのが特徴である。
1970 年頃から対東南アジア投資を急増させたことにより、日本企業は進出先諸国からの様々な批判と 期待に直面することになった。そのような批判・期待に対処するために、日本政府と経済諸団体は、ASEAN の人々との関係を修復・改善する必要性を感じ、進出した日本企業も東南アジアの現地社会との融合に 努めるようになった。こうして、政治・外交面における日本政府・経済団体などの ASEAN 重視の姿勢が、
日本企業の ASEAN 諸国進出をさらに促進したと考えられる。
1980 年代に入ると、日本と欧米の通商摩擦がさらに激化した。そうした通商摩擦を回避するために、
日本企業の対外進出は「貿易志向型」の商社などを通しての輸出ではなく、本格的な現地生産へと戦略 変更が行われた。それによって日本の海外投資は地域別では、多様化し、中南米に代わり、北米とアジ アへの投資額が増加してきた。アジアの中では、特に投資環境が改善されつつある ASEAN への投資が本 格化し始めたのである。
ASEAN においては、それまで「労働力事情の有利性」と「市場の確保と開拓」といった ASEAN 諸国の国 内市場を狙う日本企業が圧倒的多かったが、通商摩擦を回避するために、一部の企業は、ASEAN で生産し た製品を欧米向けに迂回輸出し始めたのである。こうした動きの中で、1980 年半ば以降 ASEAN では製造 業において、鉄・非鉄金属はともかく繊維は減少する一方で、これに代わって化学、輸送機械、電機・
電子などの産業が次第にウェイトを高めていく。特に投資環境が改善されたシンガポール、マレーシア、
タイを中心として、これまでの国内市場及び輸出向けの労働集約産業から重化学工業(鉄鋼、石油化学、
自動車、一般機械)及び技術集約産業への転換を図る動きが浮上したのである。
このような現象には、赤松要・小島清が提唱した「雁行形態論」が当てはまると考えられる。つまり、
1970 年代に先導国である日本の雁行型発展は、すでに産業構造の重心を労働集約産業(繊維産業など)か ら重化学工業及び技術集約産業(自動車、半導体、一般機械など)へシフトさせ、労働集約産業について はこれを海外直接投資を通して後続雁である NIES、ASEAN、香港に移転させたのである。特に、日本企業 の ASEAN 進出動機は、1960 年代から 1970 年代にかけては、日本で比較劣位になりつつある労働集約産業 (繊維産業など)に集中していた。
日本の繊維産業・企業の東アジア地域への進出は、1960 年代から 1970 年代前半に各国の輸入代政策を 背景として素材(紡績・合成繊維)メーカーによって開始された。素材メーカーの海外進出が再び活発化 するのは、1980 年代後半以降で、円高の進展や東アジア企業との競合により競争力を喪失した定番品の 生産が ASEAN や中国など東アジア地域へとシフトした。それは、東アジア産業・経済の発展の特色とし て一般に「雁行的」な形態を形成していることが指摘される。日本を筆頭にして、第一グループとして のアジア NIES4(韓国、台湾、香港、シンガポールの 4 カ国・地域)、第二グループとしての ASEAN4(タイ、
マレーシア、インドネシア、フィリピンの 4 カ国)及び中国などであり、東アジア全体の産業・経済発展 状態を表している 。このように、1980 年代までに、日本企業の ASEAN を含む東アジア全体に対する直接 投資の流れと各国の産業高度化は、雁行的経済発展と類似しているといえる。
第五章では、1985 年から 1997 年の東アジア通貨危機にかけての時期が扱われる。つまり、1985 年 9 月のプラザ合意により、円高が進み、日本企業は相対的な生産コストが高まり、輸出価格を引き上げた ため、国際競争力を低下させることになった時期である。1990 年代前半のバブル崩壊、数度の円高の進 展などの要因により日本の経営環境は悪化した。そのような変化に対し、日本企業は国内での合理化だ けでは競争力を十分回復させることができなかった。外国企業に対して競争優位を維持し、さらに世界 規模で効率的な生産、販売、部品調達、資金調達、及び研究開発を目指して、日本企業はグローバル経 営戦略を積極的に展開し、国内から海外へ生産拠点を移転することになったのである。
このような傾向は円高と同時に、電子・電器など分野での日米貿易摩擦を回避する狙いもあった。ま た、様々な経営上の問題が指摘されたものの、ASEAN 諸国の政府が外国企業を誘致するために外資規制を 緩和して輸出産業への優遇措置を強化したこと、通貨安、1980 年代における賃金上昇の鈍化に加えて、
生活環境の良いことなどが輸出加工拠点として再評価されたといえる。
一方、労働集約的産業については、通貨も賃金も上昇していた韓国、台湾よりも、むしろ投資環境が 改善した ASEAN 諸国へ向かいやすい状況になっていた。それによって、立地コストが安価で、豊富かつ
低廉な労働力を有するなど好条件を有する ASEAN は、1980 年代後半以降、日本企業の生産拠点として極 めて重要になった。特に、中小企業の ASEAN 諸国への投資案件は、1985 年以降の円高局面を契機に急激 に増加した。1980 年代以前は海外直接投資の中心は大企業であったが、この時期に中小企業の数が急激 に増加した。
日本企業の狙いは、ASEAN 諸国の国内市場だけでなく、欧米との通商摩擦を回避するために、ASEAN 諸 国で生産された商品を欧米に迂回輸出することであった。さらには韓国、台湾の企業による日本国内製 品より安い商品の流入に対抗するために、ASEAN 諸国から逆輸入することとなったのが、この時期の特徴 である。また、円高などの要因で輸出コスト競争力が悪化する日本企業が、それを回復するために、生 産ラインを ASEAN に移転したり、研究開発部門を設立したりして、ASEAN の優位性を活用するために、積 極的に進出した。さらに、日本企業各社は ASEAN 諸国における地域本社、地域本部などを次々設立した。
それも、この時期のもう一つの特徴であるとする。
第六章では、1998 年から 2008 年にかけて、中国の台頭、ASEAN 域内の経済統合が進展し、日本企業の 対 ASEAN 戦略が見直された時期について扱う。1990 年代初期になると、日本企業の ASEAN 向け進出は停 滞した。それに対して注目されるのは、日本企業の中国への投資が、1990 年から 1993 年にかけて急増し、
1995 年には初めて ASEAN4(インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア)への投資を超えたことで ある。ASEAN による AFTA 創立の背景には、NAFTA や EU などの貿易地域形成への動きが加速したことより、
むしろ日本などの外国企業の中国への投資の流入に対する危機感が強く働いたものとする。そして、1997 年の東アジア通貨危機の影響などにより、ASEAN 諸国は成長に必要な海外からの投資が他の国・地域に奪 われることへの危機感を強めたのである。そのため、ASEAN への外国投資の求心力を維持するという観点 から貿易の自由化に対して積極姿勢に転じ、ASEAN は AFTA の実現目標年次を何度か前倒するなど、新た な外資政策を打ち出した。AFTA-CEPT では段階的に域内関税を引き下げて、実現(0%関税)最終目標年次は AFTA 発表時の加盟 6 カ国が 2010 年、新加盟 4 カ国は 2015 年という計画であった。この計画の狙いとし ては、外国直接投資の誘致がある。注目すべきは既存加盟 6 カ国の AFTA はその実施が前倒しされ、2008 年時点で関税率ほぼ 0%に引き下げられたことである。
AFTA の進展による域内関税の引下げの効果は、ASEAN 域内における複数拠点を有する日本企業の場合 は、域内で拠点間の生産ネットワークによる「補完」体制を構築した際に最も大きくなった。ただし、
ASEAN 域内で同じ品目の商品を複数拠点で生産することが合理的とはいえないため、このような生産体制 を改めてスケール・メリットを活かせるように、日本企業は ASEAN 地域内での拠点の分業化または統廃 合という動きをとるようになった。例えば、花王、シャープなどが生産拠点を集中し、スケール・メリ ットを追求するなど、新たな体制構築を進めた。
また、1997 年の東アジア通貨危機の影響で、ASEAN 各国内市場向けの自動車産業が国内販売不振など によって深刻な打撃を受けた。この影響を軽減するために、日本企業(親会社)は既進出子会社や関連会 社が生産した製品・部品を日本に輸入し、現地子会社の出資比率の大幅引き上げ(増資)によって支援す る体制をとった。その増資案件は、特にタイでの自動車分野において動きが目立った。増資案件の増加 の背景には、東アジア通貨危機の影響を受けた ASEAN 各国が出資比率の上限撤廃などの規制緩和策を進 めたことがあり、これを機会に日本企業が現地法人を 100%完全子会社化したり、経営権を把握できる比 率まで増資したりする動きをとったのである。東アジア通貨危機以降、日本企業による ASEAN 向け M&A の特徴の一つに、製造業分野を中心に経営支援型の増資案件の増加が挙げられた。
このように、日本企業が AFTA を活用しスケール・メリットを実現し、最適生産できるように、既存生
産拠点間で重複する事業を削減し、特定品目の生産を集約したりしたこと、また、子会社を救済するた めに、自動車・同部品産業において部品などを日本へ逆輸入したり、子会社へ増資したことなどが、こ の時期における日本企業の対 ASEAN 事業活動の特徴といえるのである。
そして、もう一つ注目すべき点は、ASEAN を一つの市場をみなす企業が増えたことである。それによっ て、本社から ASEAN 内の地域統括会社に投融資や地域戦略策定の権限の一部を委譲し、経営判断のスピ ードを高めるとともに、ASEAN 地域内で経営資源を最適配分しようとした。シンガポールやタイのバンコ クで ASEAN またはアジアの地域統括会社を設立する動きがさらに活発化している。これも AFTA による域 内貿易自由化という環境変化が背景の一つにあると考えられる。
そして、AFTA によるもう一つの効果は、中国一極集中によるリスクを回避できることである。中国に おける人件費上昇などの投資環境の変化により、日本企業の間でも、いわゆる「チャイナ・プラスワン」
の意識が高まったとする。というのは、中国は継続的な経済成長により、消費市場として魅力が一層増 す一方で、人件費上昇に加え、元の切り上げ、政府による外資優遇措置の停止、さらに反日運動などに より、従来に比べると輸出製造拠点としての魅力が低下してきているからである。そのリスクを回避・
分散すべく、産業・企業の特性や規模によって取られる分業戦略も異なるが、仕向先(市場)を分担した り、ASEAN と中国をお互いに代替生産国としたりする両国・地域間で原材料や部品、完成品の相互供給が できるよう体制を整備する必要があると考えられているとする。
第七章は、2008 年から現在(2014 年)にかけての時期を扱っている。この時期、世界経済・金融危機、
自然災害の影響、東アジア(アジア太平洋)の FTA を通して経済統合が一層深化していく。例えば、リー マン・ショック、ヨーロッパの財政問題、東日本大震災、円の戦後最高値、タイの洪水や政治不安など の問題が日本企業に大きな影響を与えた。それらの影響あるいは問題を克服するために、日本企業はど のような経営戦略や解決策をとって、事業活動を展開してきたのかを見ている。
この時期において、日本経済と日本企業の事業活動に大きな打撃を与えたのは、2011 年の東日本大震 災であるとする。サプライチェーン途絶を通じる被災地域以外の生産活動への波及は、自然災害に伴う リスクの一つとして再認識されることになった。というのは、東日本大震災と、2011 年のタイの大洪水 はリスク分散及びサプライチェーンの重要性を気付かせる契機になったからである。
2008 年のリーマン・ショックは、世界的な金融危機を引き起こし、アメリカ及び EU の金融システムの 混乱に伴い、消費、投資など実物部門の活動も停滞し、外需主導で経済成長を継続してきた日本経済の 輸出が大幅に落ち込んだ。また、リーマン・ショック以降、ドル及びユーロに対する円の独歩高となり、
アメリカとヨーロッパへの輸出とそれに連動した設備投資に支えられた日本経済は、混迷を極めること となった。このため、急速な円高の進行は、サプライチェーンの中核を担う素材・部品分野の ASEAN や 中国などのへ海外移転を加速した。
そのリーマン・ショックによる世界経済危機は、ASEAN においてもシンガポール、タイなどが大幅な成 長の落ち込みを記録した。しかし、ASEAN ではシンガポール、インドネシア、タイなどがいち早く回復を 示した。日本企業の対タイ投資額は、洪水の影響で 2012 年に落ち込んだが、2013 年には洪水関連の一時 的な変動要因が解消され、輸送機器分野を中心に先送りしていた投資案件が実行され、タイへの投資額 が急増を遂げた。その結果、2013 年、タイが中国を上回り、日本企業にとってアジア域内で最大の投資 受入国となった。中国において人件費など生産コストが上昇したため、日本企業の間では、中国から ASEAN へと投資先を移す動きが見られた。中国では生産コストの上昇に加え、政治的なリスクなども大きいと はいうものの、市場規模は巨大であり、目を離すことはできない。
そして、これまで自動車分野を中心に、ASEAN と中国との拠点間の取引は限られていたため、多くの企 業は ASAEN と中国拠点の間では、仕向先を分担するなど事業戦略上異なる役割を担わせてきた。しかし、
FTA が進展するおかげで、リスク回避・分散を念頭において、緊急的に両国・地域間で原材料や部品、完 成品の相互供給ができるような体制を整備する企業が増えている。それによって、現在、日本、ASEAN、
中国に拠点のある日本企業は、代替生産・供給体制を持つことになり、とりわけ、ASEAN と中国をお互い に代替生産国として位置づけるようになった。そのため、日本企業は万が一の事態に即座に対応出来る よう、両地域の円滑な取引を阻害する関税障壁・非関税障壁の削減・撤廃が必要とされると考えるよう になっている。
日本企業が五つの「ASEAN+1 FTA」(日本、中国、韓国、オーストラリア、インド五カ国と ASEAN との 間の各 FTA)を活かし、ASEAN と対話国・地域間で調達・供給機能強化のため、「ASEAN」を戦略拠点と しての役割を果たすことが期待されている。つまり、ASEAN は主な原材料・部品の調達先である日本のみ ならず、今後、世界経済を牽引していくことが期待される中国やインドなど「アジア新興市場」と FTA を通じてつながっていくと思われる。また、ASEAN は FTA を挺子にした「新興市場開拓の最前線」として、
戦略的な役割が期待されている。これらの動きは、日系企業にとって ASEAN が戦略的役割を担う重要な 調達と生産拠点になったことを示しているのである。
第八章は、結論部分である。まず、包括的な史的研究方法を採用した本論文の研究成果として明らか になったことは、各時期における日本企業の ASEAN への進出と「国際分業」の要因及び経営戦略は、単 に「コスト削減型・地域経済圏対応型」といった、ASEAN 各国(地域内の要因)と企業内の諸要因・戦略の みで生じたー時期的な現象(要因)だけではないということであるとする。つまり、企業の所有優位性と 投資受入国を中心に欧米企業の海外進出の要因を説明している折衷パラダイムに代表される理論的根拠 では、このような日本企業の ASEAN への進出と分業体制の背景(要因)とその変化を充分に説明できない ということである。後発企業として、日本企業あるいは途上国企業が海外進出する場合、最初の段階で は、充分な所有優位性あるいは経営資源を持っていないため、投資国の国内条件や政策と第三国及び国 際的な影響などを受けやすい。特に、途上国あるいは後発国企業の海外進出は、時には母国政府の援助 と協力が必要となる。
また、「雁行形態理論」などでは、日本国内の賃金上昇、円高、国内市場飽和、日本の産業構造の高 度化などを日本企業の海外進出の主な要因とする日本側(投資国)の要因を中心に研究がなされている。
「雁行形態理論」は 1990 年代末までの日本の対 ASEAN 直接投資及び企業事業活動の要因によっては当て はまると思われる。しかしながら、2000 年代に入って日本国内外の様々なビジネス環境の変化により、
次第にそれでは説明できなくなっている。というのは、ASEAN の域内外統合の深化によって、日本企業は ASEAN に対して、先進国市場とは異なった製品を開発、製造、販売しなければならなくなっており、世界 の中で最も重要な市場、工場(生産と輸出拠点)、R&D センターの一つとなっているからである。
また、田口信夫は、プッシュ・プル要因理論を用いて『日本の海外投資と東南アジア』における進出 の要因を「プッシュ」と「プル」に分けて研究を行い、戦後から 1970 年代後半にかけての投資国として の日本国内と受入国・地域として ASEAN 諸国の経済状況について研究した。しかし、所有優位性などの 企業の競争優位や経営戦略については、あまり注意が払われていない。そのため、企業の独自性の基礎 にある優位性について、説明をすることが必要と考えられる。
このように、雁行形態論にしてもプッシュ・プル要因理論にしても、戦後から現在にかけて日本企業 の ASEAN 進出と国際分業の要因と経営戦略の歴史的変化を明らかにしたものではないといえる。という
のは、すでに述べたように、2000 年代以降の日本企業の ASEAN への進出要因と国際分業及び経営戦略が 若干異なっているからである。2000 年代に入って ASEAN 諸国地域統合が深化しつつあり、加盟国は近年 飛躍的な経済発展を遂げてきた。
その結果、ASEAN は FTA を挺子にした「世界市場(特に新興市場)開拓の最前線」として戦略的な役割を 担う重要な拠点になった。それによって、日本企業にとって ASEAN は、海外生産及び輸出拠点と同時に 消費地(市場)としても一段と注目されるようになりつつある。そのため、日本企業にとって、自立的な 対 ASEAN 戦略や組織づくりが重要になっているのである。
また、ASEAN における日本企業の経営活動と技術移転については、S. Yamashita 、浦田秀次郎、F. M.
Montes、安保哲夫、小林英夫などが日本的経営、技術移転、経営の現地化などを分析し、日本的経営の 定着と技術移転の可能性を明らかにしている。
そして、「国際分業」については、天野倫文が、1990 年代を中心に日本企業がいかに国際化戦略(「国 際分業」の展開)をとりながら(国内の)産業空洞化を克服してきたのかという解決策と企業立地戦略 を提起した。木村福成は、フラグメンテーション理論、アグロメレーション理論、多国籍企業の立地、
所有、内部化の優位性を組み合わせて、新たな国際分業の枠組みを提起し、東アジアにおける「国際分 業」の現象を説明しようとしている。そして、そのサービス・リンク・コストの削減ために、新たな国 際経済秩序を形成する要因としての FTA 及び開発アジェンダについて注目し、東アジアの各国・地域の 取るべき開発及び通商政策を提案している。
しかしながら、これらの先行研究は、日本企業の進出と「国際分業」の背景(要因)とその変化などに ついては、あまり触れていないのである。そして、ASEAN における日本企業の経営戦略と事業活動のー時 期のみを考察していたので、時間を通じての経営環境変化に対応した進出と国際分業の要因と経営戦略 の歴史的変化が明らかにされていなかったとする。つまり、時間の経過とともに投資国、受入国と第三 国の政治・外交的、社会的、経済的、不可測リスク及びその他の国際的な要因が、なぜどのように生じ て変化してきたのか、その環境変化が日本企業(特に ASEAN における日本企業)のビジネス形態、経営戦 略及び組織構造など経営活動に対してどのような影響とその解決策あるいは経営戦略を採ってきたのか は、明らかにされていなかったのである。
かくして本論文では、グローバル経済の進展の中で、地域統合の深化などによって、複雑な日本国内 外のビジネス環境が絶えず変化しており、企業の海外進出と国際分業の要因は、単に企業自身の所有優 位性、あるいはコスト削減することだけでは、説明が十分ではないことを強調したかったとする。それ らに加え、投資国、受入国・地域と第三国の政治・外交的、経済的、法的、文化的、不可測リスク、そ して国際的な環境に及ぼす様々な影響(要因)も、企業の海外進出と国際分業の重要な要因として考慮し なければならないとする。
本論文では、各時期において投資国である日本側の要因と受入国・地域である ASEAN 側の要因さらに 第三国及び国際的影響(要因)を加え、日本企業の優位性と経営戦略をトータルに考慮し、以下の 3 点を 明らかにした。
第一は、日本企業の ASEAN 進出と分業体制の背景(要因)とその変化(日本企業の ASEAN 進出の動機とプ ロセス)である。
第二は、その進出する時の背景(要因)だけでなく、進出後の国際ビジネス発展の過程において、日本 の政治・外交、経済、法律、文化などの側面における不確実性やリスク(日本あるいは投資国との関係の 要因)のみならず、海外投資先としての ASEAN(ASEAN 的な要因)、第三国及び国際的な要因(グローバルな
環境変化)の影響と、それらに対応するために、日本企業が採った解決策あるいは「経営戦略」である。
第三は、1990 年代に入ってから、ASEAN 地域内の経済統合の深化により、国際貿易・投資などの自由 化が進展した。こうした変化に対応して、日本の代表的な産業及び企業が、ASEAN 地域内において展開し た国際的な産業内分業や国際的な企業内分業の背景とその変化である。
従来の理論や研究は、比較優位などの国際貿易・投資理論、またプロダクト・サイクル・モデル(PCM)、
内部化理論、折衷パラダイム、クラスター論などの多国籍企業論を中心に企業の海外直接投資の決定要 因と多国籍企業の経営戦略について説明している。それらの理論と研究成果は、特に多国籍企業に関す る理論に見られるように、企業の内部的な問題(要因)と投資国か投資先(受入国)の条件や政策的要件の みを考えて、企業の海外直接投資と国際分業の決定要因と多国籍企業の経営戦略を説明しようとする傾 向がある。
しかしながら、現在のグローバル経済の進展の中で、グローバルな環境に及ぼす第三国の政治・外交 的、経済的、法的、文化的、不可測リスクなど様々な影響も、企業の海外進出と経営戦略の展開の重要 な要因だと考えられるのである。本研究で議論した日本企業は、ジャカルタ暴動やタイ政情不安などの 政治・外交リスク、東アジア通貨危機やリーマン・ショックなどの通貨・金融・経済危機、東日本大震 災やタイの大洪水の自然災害など様々なリスクが、投資国あるいは受入国の経済と企業の経営戦略や事 業活動に大きな打撃を与えるだけでなく、世界経済全体に大きな影響を及ぼしている。
とりわけ、東日本大震災やタイの大洪水は、特定の地域で生じたにもかかわらず、その影響は全世界 に及んでいることが明らかになった。こうしたサプライチェーン途絶による被災地域以外の生産活動へ の波及は、自然災害に伴うリスクの一つとして再認識されることになった。そのため、東日本大震災と タイの大洪水はリスク分散及びサプライチェーンの重要性を気付かせる契機になっている。
したがって、企業の海外直接投資と国際分業の決定要因と多国籍企業の経営戦略を説明あるいは研究 するには、企業レベルの議論や受入国の一時期の政策的要件のあるいは要因のみを考慮するだけでは十 分でない。本論文では、時間の経過とともに企業の経営戦略や事業活動、投資国内の条件や政策、受入 国の条件や政策、そして第三国及ぶ国際的要因(グローバル化)などを、トータルに考えていかなければ ならないことを明らかにしたのである。
この分析枠組みによって、本論文では、そのような複雑な日本企業の海外(特に ASEAN)進出と「国際分 業」の背景(要因)とその変化を考察できた。そして、日本企業のグローバル戦略を展開する中で、ASEAN での効率的な調達、生産、販売、及び研究開発を目指して展開されてきた経営戦略と事業展開の特徴と その変化が明らかになった。
このように、本研究は日本企業の ASEAN への進出と国際事業展開の要因とその変化を歴史的に分析す ることによって、従来の研究史上の空白を埋めると同時に、新しい研究の枠組みを提案できた。
しかしながら、本研究に関連するはずにもかかわらず充分に分析と議論がなされなれかった課題がい くつかある。例えば、①ASEAN における個別企業(産業・企業別) の経営戦略と国際化戦略、②新加盟 ASEAN4 カ国における日本企業の投資及び経営戦略、③韓国、台湾などにおける日本企業の経営戦略と事業展開、
④アジア域内において国際事業ネットワークあるいは東アジアワイドでのサプライチェーンの形成が進 んでいる中で、どのように「国際分業」が実現していくかである。
ASEAN における地域統合(リージョナリズム)が深化する中で、そのメリットを活かし、リスクを分散と 域内での生産ネットワークによる「補完」体制を構築するために、日本企業が 1990 年代に新加盟した ASEAN4 カ国(CLMV)に対して具体的にどのように経営戦略と事業展開を行っているのかという問題を明ら
かにするために、包括的な史的研究方法を用いて時間の経過とともに日本企業の経営戦略や事業活動、
投資国内の条件や政策、受入国の条件や政策、そして第三国及ぶ国際的要因(グローバル化)などを、ト ータルに考察していかなければならない。
また、グローバル経済が進展する中で、東アジア全体において、日本企業が国際事業ネットワークあ るいは東アジアワイドでのサプライチェーンの進展に対して、どのように日本企業の投資及び経営戦略 を展開していくのか、研究を継続していくことが必要であるとする。
III 審査要旨
本論文の審査結果は、大要以下のとおりである。
1.本論文の長所
(1)本論文は、戦後から現在にいたるまでの日系企業の ASEAN 投資について、通史としてまとめた地 道な研究である。日本企業の ASEAN における経営活動について、歴史的観点、当時の経済状況につ いて詳細に分析を行ない、その特徴、背景などを明確にしている。日本企業の ASEAN ならびにアジ ア市場における企業活動を ASEAN の研究者の視点から、時系列に沿って丁寧に観察している。
(2)先行研究の問題点や空白部分をよく分析すると同時に日本企業の ASEAN 進出についての資料に広 く当っている。そして、ASEAN を地域経済圏としてとらえ、日本初の多国籍企業の活動を一国のみな らず、経済圏の観点から明らかにしている。つまり、日本企業と ASEAN というユニークな関係にお ける経済発展をモデル化しようとしているといえる。また本論文は、現在の ASEAN 経済共同体(AEC)
のブループリント(ASEAN 全体での生産基地の構築等)を理解するために役立つものとなっている。
(3)日本側、受入国側、第 3 国の影響要因とそれに対応する日本企業との関係について新しい独自の 研究枠組を構築した。
2.本論文の短所
(1)本論文は、日本企業の動きについて、各章でバランスよく説明するために産業部門別、機能別、
さらには受入国別など、もう少し分類し整理しておくとよかったと思われる。
(2)最近の AEC、RCEP、APEC などの地域統合について制度的な議論がなされているが、これらの ASEAN 諸国や日本企業に与えた影響とそれへの対応についての考え方が示されてもよかったのではないか。
AFTA の影響や日本企業の行動を日本側の統計によってのみ考察しているので、ASEAN 側の立場(各国 でスタンスが異なる)が明確化されていない。ASEAN の日本企業に対する評価があっても良い。日本 側の論理が中心になっている。日本企業と ASEAN5との長期にわたる関係について、ASEAN 側、とり わけ新加盟国のラオスでの評価はどのようなものかについてふれると、研究に一層の厚みが出たと 思われる。
(3)史的考察であるが故に、特定の期間(たとえば戦後~1971 年)ごとに日本企業と ASEAN との関係 を企業活動の観点から分析しているが、それが日本企業とアジアリージョナリズムにどんなインパ クトを与えているのか、さらに言えば、第二章の「先行研究と分析枠組み」で議論されている、Vernon の PCM、Perlmutter の EPRG プロファイル、Dunning の OLI、Bartlett & Ghoshal の Transnational Model などがどう関連付けられるのかが曖昧である。
(4)理論的背景、分析が不明瞭である。31 ページのモデルは本論の議論を一般化したものとして提示
されている。しかし実際の議論内容を見ると、日本企業と ASEAN 市場との良い意味での特殊性を前 提としている。PCM にしても EPRG プロファイルにしても、当時のアメリカ企業の世界戦略の視点か ら一般化したものであることに鑑みれば、むしろ本論文も日本企業と ASEAN 市場とのユニークな関 係を前提したモデルの精緻化に注力した方が意義深くなったといえる。
3.結論
本論文は以上に述べたような長所と短所を持つが、長所と比較するときその短所は将来の研究課題と なるべき軽微なものであって、本論文の優秀性をいささかも損なうものではない。
論文提出者のサヤボン・シテサイは現在ラオス国立大学経済経営学部専任講師である。ラオス国立大 学では、大学院プログラムが充実していなかったので、将来の同大学の研究教育者を養成するため、ス タッフを海外で勉強させてきた。彼は同大学経済経営学部立ち上げ時期から、早稲田大学大学院商学研 究科において、JIC A プログラムで修士課程を修了し、文科省国費留学生として博士課程を満期退学した。
彼は商学研究科に正規学生として在籍している間は、川邉信雄ゼミに所属して指導を受けていた。彼は、
すでに同国の産業政策に関ったり、同国を代表して国際会議で活躍したり、日本の学会で研究発表をし たりしている将来を嘱望される気鋭の研究教育者である。
以上の審査結果にもとづき、本論文の提出者 サヤボン・シテサイには「博士(商学)早稲田大学」の 学位を受ける十分な資格があると認められる。
2016 年 1 月 10 日
審査員
(主査) 早稲田大学教授 博士(商学)早稲田大学 池尾 愛子
早稲田大学教授 博士(商学)早稲田大学 太田 正孝
早稲田大学教授 博士(商学)早稲田大学 横山 将義
早稲田大学名誉教授 文京学院大学名誉教授 福井県立大学客員教授
博士(商学)早稲田大学
Ph. D. in History, オハイオ州立大学 川邉 信雄