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早稲田大学大学院日本語教育研究科
2013年7月
博士学位申請論文審査報告書
論文題目:タイ人日本語学習者の独話における助詞「ネ」の機能の研究
申請者氏名:チューシー・アサダーユット
主査 小林 ミナ (大学院日本語教育研究科教授)
副査 蒲谷 宏 (大学院日本語教育研究科教授)
副査 小宮千鶴子 (大学院日本語教育研究科教授)
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●本論文の背景と目的
タイ国での日本語教育における独話練習は,これまで,あらかじめ書いておいた原稿を 暗記し,それを話すという方法が主流であった。しかし,この方法では,その場にいる聞 き手の反応を取り入れることはできず,一方的に話し続けることになってしまうことが多 い。他方,日本語母語話者の独話を観察すると,言い直しや倒置など,必ずしも言語的に 整っているとはいえないが,聞き手の反応を取り入れていることがわかる。その一つに,
終助詞「ネ」「ヨ」の使用がある。「ネ」「ヨ」といった助詞の適切な使用が,聞き手との相 互作用として独話の展開に貢献している可能性がある。
本論文は,このような問題意識に基づき,日本語の独話における助詞「ネ」の機能に着 目し,終助詞をはじめ,間投助詞,感動詞,複合助詞の「ヨネ」「カネ」など種々の機能を 解明することを目的とするものである。具体的には,以下の三つの研究課題について,考 察がなされている。
[課題1]日本語母語話者の独話における助詞「ネ」の機能を解明する。
[課題2]日本語の助詞「ネ」とタイ語の助詞”NA”の機能の異同を解明する。
[課題3]タイ人学習者の日本語の独話練習のための助詞「ネ」の学習項目を提案する。
●本論文の構成および概要
本論文は,全8章から構成される。
第1章では,本研究の目的と課題が述べられ,第2章では,日本語助詞「ネ」の先行研 究が概観される。第3章では,「独話」「機能」「文節」「発話」といった本論文のテーマの 主要概念が定義され,本論文が主として「話段」を分析対象とすることが述べられる。さ らに,分析の対象となる6種類の言語データ(下記)とそれぞれの特徴が紹介される。
(1)『日本語話し言葉コーパス』(国立国語研究所)「摸擬講演」の独話部分
(2)タイ国内大学で収集されたタイ人日本語学習者によるスピーチ
(3)タイ国内大学で収集されたタイ人日本語学習者による雑談
(4)日本語の映画シナリオ
(5)タイ語の映画シナリオ
(6)日本語教科書
第4〜7章が具体的なデータを用いた各論である。第4章,第5章が上記[課題1]に,
第6章が[課題2]に,第7章が[課題3]にそれぞれ対応している。
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第8章では,本論文での結論がまとめられ,今後の課題が述べられている。
● 本論文の結論
本論文での研究課題に対して得られた結論は,以下にまとめられる。
[課題1]日本語母語話者の独話における助詞「ネ」の機能を解明する。
日本語母語話者の独話における助詞「ネ」には,「伝達機能」が4類7種と「談話展開機 能」が3類7種あることが明らかになった。
[課題2]日本語の助詞「ネ」とタイ語の助詞”NA”の機能の異同を解明する。
日本語の助詞「ネ」の伝達機能のうち,「時間保持注視要求」「注視表示」「自己確認表示」
の3種は,タイ語の助詞”NA”にはない機能である。よって,タイ人日本語学習者にとっ ては,母語であるタイ語の助詞”NA”の知識が活用できないことにより,習得が難しい可 能性があることが示唆された。
[課題3]タイ人学習者の日本語の独話練習のための助詞「ネ」の学習項目を提案する。
タイ人日本語学習者が聞き手と相互作用をしながら日本語の独話を行えるように,会話 で学習した「同意要求」,および,タイ語の助詞”NA”の知識が活用できる「注視要求」の
「ネ」を導入し,独話における助詞「ネ」の伝達機能と談話展開機能の組み合わせからな る8種を学習項目として提案した。
●評価できる点
本論文の評価すべき点は,次の3点である。
1点目として,独話における助詞「ネ」の伝達機能と談話展開機能について,先行研究 を踏まえて,日本語母語話者の談話資料を詳細に分析し,独自の分類案を提示している。
2点目として,それを踏まえて,日本語の助詞「ネ」にほぼ対応するタイ語の“NA”の伝 達機能について対照分析を行っている。さらに3点目として,それの結果に基づいて,タ イ人日本語学習者に対する独話の助詞「ネ」に関する学習項目案を提示し,日本語教育に 資する点を述べている。これらの個々の成果,および,日本語教育の観点からそれらを結 びつけている点が,独創性として評価できる。
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● 残された課題
一方で,本論文において残された課題として,次のような点が指摘できる。
本論文で明らかにされた日本語の「ネ」の伝達機能や談話展開機能を,知識・情報とし て学ぶこと,日本語の「ネ」とタイ語の“NA”との異同を知ることなどが,学習者の独話 の表現能力を高めることにどう関連するのかについては,明らかにされていない。この点 は,日本語教育・日本語学習の方法論に関する筆者の立ち位置,問題意識にも関わるとこ ろであり,さらに検討する余地がある。
また,タイにおける従来の独話指導が,原稿を作成して暗記して行うスピーチに偏って いるという問題意識は評価できるものの,本論文が主張する「即座的スピーチ」によって 育成しようとする技能が,「話す」技能全体においてどのような位置を占めるかが曖昧であ る。具体的な提案としてあげられている「10 分程度の即座的スピーチ」の必要性も,現実 にはそれほど高いとは思われない。
このように,談話分析,対照研究の手法により,学習項目案は提示されたが,実際の使 用において自由度の高い助詞「ネ」のさまざまな機能を学習者が理解し,即座に使用でき るようになるためには,教授上の課題が数多く残されている。
以上,さらに考察されるべき課題は残されてはいるものの,本論文は,日本語教育分野 の学術研究として高く評価することができる。よって,本論文を以て博士学位授与に値す るものであると判断する。