博士学位申請論文審査報告
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(2) 1. 論文の構成 本論文は、A4 横書き、横 40 字・縦 30 行の書式で、目次 1 頁、本文・脚注 122 頁、参考文献 10 頁で、133 頁、およそ 18 万字からなっている。 論文の構成は以下の通りである。 序論 1. 助言の思想史 2. ホッブズの助言論に関する先行研究 3. 本研究の特徴 第 1 章 ホッブズの助言論 第 1 節 熟議から助言へ―「悪い助言」の排除 1. 相手の利益のための助言 2. 弁論家批判から助言論へ―熟議論の転換 第 2 節 助言者に必要な学知と経験 第 3 節 助言者が担う熟慮 第 2 章 教会批判と助言論―宗教的文脈 第 1 節 助言者としての聖職者―『法の原理』 『市民論』 第 2 節 主権者に従属する助言者としての聖職者―『リヴァイアサン』 第 3 節 『リヴァイアサン』教会統治論の射程 第 3 章 政体批判と助言論―政治的文脈 第 1 節 助言論による議会批判 1. 代表論と助言論 2. 評議会の伝統と身分制―議会批判から助言者批判へ 第 2 節 「哲学者」ホッブズへの批判 第 3 節 統治の運営と助言―ホッブズの政体構想 第 4 章 政体移行論―ホッブズの「助言」 第 1 節 「タキトゥス論」における元首政成立過程と内乱 第 2 節 『法の原理』と『市民論』―政体移行論の変容 1. 獲得による国家と設立による国家―ローマ史と内乱 2. 民主制から君主制への移行 第 3 節 『リヴァイアサン』―応用可能な政体移行論 結論 政治学における助言論. 2.
(3) 参考文献 本論文を構成している各章は、本論文の構想を前提として、査読のある学会誌に投稿し、掲 載された(あるいは掲載が内定している)論文が元になっている。それぞれの初出は以下の通 りである。 • 第1章: 「ホッブズの「助言」論と熟慮・熟議―『リヴァイアサン』における統治の構 想」 (政治思想学会『政治思想研究』第 16 号、2016 年 5 月、176~205 頁 ) 。 • 第2章: 「ホッブズの教会論と助言」 (日本イギリス哲学会『イギリス哲学研究』 第 42 号、2019 年 3 月刊行予定、掲載 ) 。 • 第3章: 「ホッブズは『助言者』であったのか—政治をめぐる同時代人との論争」(社会 思想史学会『社会思想史研究』第 43 号、 2019 年 9 月刊行予定、掲載)。 • 第4章: 「ホッブズの政体移行論—ローマの内乱から得た教訓」(政治思想学会『政治思 想研究』第 19 号、2019 年 5 月刊行予定、掲載) 。 なお、第 2 章の元となった論文は、ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の J・チャンピオ ン(Justin Champion)教授の指導の下に、2017 年 4 月に同校歴史学部に提出された”Hobbes's Religious Counsel: Erastianism and Ecclesiology”がその元となっている。チャンピオン教 授は、現在刊行中の新たなクラレンドン版ホッブズ全集の宗教関係の著作を集めた巻を編者と して準備している。 それぞれの論文は、本学位申請論文作成の過程で、整合性と一貫性をもつよう、大幅に手を 加えられ、また組み直されている。. 2. 論文の概要 各章ごとの概要は、以下の通りである。 序論 序論は、本論文の問題意識を述べ、研究の背景と目的を明らかにしている。 従来の有力なホッブズ解釈として、アリストテレス的な実践知としての政治学を近代的学知 (科学)の方法に基づく政治学へと転換したとして、ホッブズ政治哲学における「近代性」を強 調する解釈に対して、本論文は、ホッブズが実践知の伝統的関心を引き受け、初期近代特有の 多様な知のあり方を体現していることを明らかにする。そのために、これまで重視されてこな かった彼の政体に関する議論、中でも「助言」(counsel)に関する議論に焦点をあてる。 ヨーロッパでは中世以来、古典古代の書物に学び、世俗と霊的事柄に関して君主に対して助言 を試みる「君主鑑」の伝統が育まれていた。また初期近代のイングランドで王の助言者となる には、助言のあり方を教える人文主義教育を受ける必要があった。このように助言に関する思 想は、初期近代に至る西洋世界の政治世界において重要な位置を占めており、ホッブズはその. 3.
(4) 伝統的な実践知としての政治学の問題関心を継承している。 しかしホッブズは人文主義的な助言の伝統の単なる継承者ではなかった。ホッブズの助言論は、 絶対的主権者の存在を正当化する彼の国家論の現実性を示すために、その運営に様々な人びと が参与する現実に即した政体論の一貫として論じられ、助言者もその参与者として論じられて いる。 ホッブズはこの助言論を一般性をもつ理論として提示するが、それを導出する際の経験的知識 と学知の相補性は、ホッブズが近代的な幾何学的、演繹的学知のみに依拠するのではない、独 自の政治学のあり方を模索していたことを示しているとされる。 このように本論文では、主に『リヴァイアサン』で展開される助言論の同時代的文脈を明らか にするとともに、政体論としてのその全容を解明し、評価する。その際、ホッブズが伝統的な 実践知としての政治学を単純に棄却したのではなく、その問題関心を継承し、現実と伝統に根 ざした政治学を構想したことを明らかにすることに力点がおかれている。 第1章 第 1 章ではホッブズの助言論が、 「熟議/熟慮」(deliberation)および学知と経験的知識とい う問題視角から提示される。 彼は、すでに『法の原理』および『市民論』で助言と命令の区別にふれていたが、『リヴァイ アサン』において初めて助言に関する独立した章(第 25 章)を設け、助言を、自己利益のため になされる命令、あるいは自己利益のためにレトリックを用いて相手に説得を試みる勧奨・諫 止から区別して、 「相手の利益のため」になされるものと定義し、主権者に相応しい助言者とは どのような者かを論じる。 この助言論は、ホッブズにおいては、トゥキディデスの『戦史』翻訳以来の熟議批判の意味も もっていた。彼によれば複数人の集合体である合議制は、自己利益を増進し、名誉を得ようと 雄弁を用いる弁論家の煽動によって損なわれる。君主にとって「おべっか使い」の「悪い助言」 に支配されることが危険であるとすれば、弁論家によって煽動される合議体の熟議はその危険 を本来的に孕んでいる。そこで主権者は、コモンウェルスの安全のために必要な知識をもたら す「善い助言者」を選定しなければならないとされる。 ホッブズによれば「善い助言者」がもつべき知識は、人間の性向や統治の権利などに関する知 識と、自国や他国の強さや他民族の企図などに関する知識からなる。この知識の 2 区分は、ホ ッブズが別の箇所で示す学知と経験的知識の区分に対応しているとされる。前者の知識は、ホ ッブズがまさに『リヴァイアサン』で論じる政体(constitution)に関する学知であり、彼は助 言者に対して自ら勤勉な省察によって学知を獲得することを求める。他方、後者の知識は、主 にコモンウェルス防衛のために必要な知識とされ、経験的知識に位置づけられる。もっとも、 それは伝統的な政治学が要求した歴史や政治実践に基づく経験的知識とは異なるものとされ、 また彼は助言者に対し、経験の豊富さである「思慮」だけでなく、物事の相違点を見分ける「判 断力」を求めていたともされる。ホッブズは上記の区分を提示しながらも、コモンウェルスの 運営に関する 2 つの知識にはどちらも研究と経験が必要であると強調する。これはホッブズが 学知と経験的知識の厳格な区別よりも両者の相補的性格を重視していることを表しているのだ. 4.
(5) とされる。 助言者の知識は、主権者がある行為をするか否かを熟慮する際、行為の帰結の将来予測をもた らす。ホッブズは学知のもたらす将来予測の無謬性を指摘する一方、経験が豊富であればある ほど(無謬性では劣るとはいえ)より精度の高い将来予測が可能になるとも考える。人間の認 知過程で言えば「心の説話」と「記憶」の両面で主権者に仕える助言者は、学知と経験によっ て主権者に将来予測をもたらし、主権者の「熟慮」を補佐することで、主権者とは協働関係に ある。助言者は、熟慮に必要な知識を言語として主権者に伝達しなければならないが、助言か らはレトリックが排除されなければならないとされ、レトリックに起因する熟議の危険を避け るために、合議制をとる助言よりも主権者に対する個別的な助言が望ましいとされる。 こうして、ホッブズは、一人の君主の下で複数の助言者が個別に助言をする君主制がもっとも 望ましい政体であるとする結論を導いたとされる。 第2章 第 2 章ではホッブズ助言論の宗教的文脈が取り上げられ、当時政体を論じる上で大きな課題で あった教会統治論に注目し、ホッブズが、主権者中心の教会統治を阻害する複数の宗派を攻撃 する道具として助言論を用いたことが示される。 ホッブズは、 『法の原理』と『市民論』において、聖職者の主権者に対する従属を説くために、 聖職者は助言者であり、聖職者の権威は主権者に由来するとした。とくに『市民論』では、信 仰という人間の理解力を超えた事柄に関して判断する際、主権者は按手をうけた聖職者を通し て判断しなければならないとし、聖書の最終的な解釈権は主権者に帰属させながらも、聖職者 の助言が主権者を実質的に制御する余地を認めている。ここでは、ホッブズは、教会の長であ る君主に対して、助言者としての聖職者が優位に立つと考える、国教会の体制派(Conformist) の見方を追認しているとされる。 しかし、 『リヴァイアサン』においては、ホッブズは、聖職者支配の可能性を完全に排除する。 キリストを現世において、来るべき神の王国へと人々を誘う助言者であるとするホッブズは、 キリストの弟子である使徒らも助言者とみなす。新約聖書も助言にしか過ぎないと考えるホッ ブズは、立法権や強制権力は主権者しかもたず、聖職者やその合議体である教会会議(council) には聖書を法とする権限はなく、破門権を行使することもできないと述べる。彼は按手を単な るしるしだと見なして聖霊の移行を否定し、主権者が聖職者の力を借りること無く洗礼、聖餐、 叙任を取り仕切る事が可能であると主張する。このように、ホッブズは宗教的事柄の判定や聖 書の解釈に関して聖職者の助言を認めるが、聖職者の正当性が神権ではなく主権者の権威に基 づくことを明確にし、聖職者の主体性を完全に否定するにいたる。 ホッブズは、こうした教会権力批判において、枢機卿ベラルミーノとローマ教会を名指しで批 判しており、彼が助言論を導入した目的がカトリック批判であることは明白である。だがそれ にとどまらず、助言論は、聖職者の神権および使徒継承を主張し、主教中心の教会統治体制で ある主教制(監督制)の一層の強化を説く国教会ロード派への批判としても理解されることが指 摘される。さらに、合議体による助言を否定するホッブズの議論は、長期議会が主教制廃止後、 新たな教会統治を巡って助言をさせるべく召集したウェストミンスター神学者会議の議論とも. 5.
(6) 関係していること、また助言論を用いて教会会議の機能不全を論じるホッブズは、神学者会議 で多数を占め、国王権力からは独立した教会会議の導入を目指す長老派を批判していることも 指摘される。最後に、ホッブズが聖職者の主権者への従属を説いたことは、神学者会議が助言 の役割を超えて機能しようとしたことへの批判として解釈できるとされる。 こうしてホッブズは、助言論によって、主権者の権力を脅かしかねない教会統治の導入を目論 む諸宗派を批判したことが明らかにされる。そのことは、同時に、彼自身が「助言者」として、 どの宗派にも属さない立場から教会統治のあり方を助言したことを意味するであろう。 第3章 第 3 章ではホッブズ助言論の政治的文脈が取り上げられ、政体をめぐる同時代の論争に着目し、 ホッブズの政体論が既存の助言者をアクターとして想定したものであったことが明らかにされ る。 イングランド内乱前夜、イングランドの政体は混合政体であるのかどうか、また枢密院を中心 とした既存の宮廷内政治は腐敗しているのかどうかが問題となっていた。この議論は、議会や 枢密院などの誰(何)が王の「ふさわしい助言者」なのかをめぐる論争でもあった。中でも議会 派の理論的支柱であったヘンリー・パーカーは、通常期には人民の代表である議会が王の公的 助言者としても機能する一方、私的助言者により王政が腐敗する「危機」においては議会が主 権者の権力を凌駕し武力蜂起できるとした。 これに対して主権者と代表者(国家という人為的人格を代表する者)の同一性を強調するホッ ブズは、議会は主権者に従う「従属的代表」にしかなれないと主張した上で、合議体形式によ る助言の難点を示すことで、議会が「助言を目的とする」代表として相応しくないと結論づけ た。またホッブズは、パーカーによって議会の正当性の根拠とされた、伝統的な身分制評議会 (council)と議会とのつながりにも疑義を呈し、特権階級に独占された評議会自体を攻撃するこ とで、パーカーへの反論に留まらず、枢密院などによって構成される既存の政体への批判を強 めた。 こうしたホッブズの政体論に対しては、同時代のクラレンドン伯エドワード・ハイドや主教ジ ョン・ブラモールは、政治経験もない「哲学者」による、イングランドの政体への無理解に起 因する荒唐無稽な議論であるとして攻撃した。主権者と代表を結びつけ、身分制を否定するホ ッブズの議論は歴史の領域に侵入した「空想」である、と。ホッブズはクロムウェルに媚を売 っていると考える彼らは、政治(学)は研究ではなく経験、とりわけ歴史に基づくものである ことを強調し、幾何学の方法に基づいて政治学を構築しようとするホッブズは助言者には相応 しくないことを示そうとした。彼らのような既存の助言者はホッブズを、自分達に対する脅威、 そして自分達が依って立つ身分、政治経験、あるいは歴史を重視した政治実践に対する脅威と 捉えたのである。 これに対してホッブズは、実践的に、コモンウェルスの現実の運営(administration)に注目し ており、主権者が自ら運営する際に主権者の意思決定を補佐する役割を助言者に与えたことが 指摘される。原理的に、主権の権利とその行使を峻別するホッブズは、主権者が主権の行使を 別の者に委任することを想定しており、 『市民論』では主権者自身が主権を行使し国家の運営に. 6.
(7) 参与することに否定的ですらある。 『リヴァイアサン』でもホッブズは主権者に委任された「公 的代行者」が運営を担うと述べている。しかし、助言者の存在は、彼が主権者自身によるコモ ンウェルスの運営も想定していたことを物語っているとされる。 『リヴァイアサン』で初めて助 言に関する独立した章(第 25 章)を設けたホッブズは、主権者に従属し主権者を補佐する助言 者のあり方を明示することで、主権者が自ら主体的に統治の運営に関わることを初めて認めた のである。 こうしてホッブズは、クラレンドンらの批判とは裏腹に、助言者を中心とした多様なアクター が活躍する政体の現状を絶対的主権者の理論によって把握し直すことで、国家の舵取りに関し て現状に即した助言を行ったとされる。 第4章 第 4 章では、政体に関して学知と経験的知識の両方に根ざした助言を試みる、「助言者」とし てのホッブズが取り上げられ、既存の助言者たちが重視し、古代より個別性と法則性が相補的 に機能する分野と見なされていた歴史叙述の伝統に対する彼の取り組みに焦点があてられる。 若きホッブズが執筆に関与したとされる「タキトゥス論」をみると、ホッブズがタキトゥス『年 代記』で語られるアウグストゥス帝政成立史から、政体移行論を学んだことが窺える。 「タキト ゥス論」によれば元は王政であったものの暴君への反発から「自由とコンスルの政体」へと移 行したローマでは、独裁官でさえ任期によって制限を受けていた。しかしこの政体が内乱に陥 った際、人々は自由を犠牲にしてでも安全を求め、自発的に君主すなわち元首アウグストゥス の帝政を容認した。 「タキトゥス論」は、「自由とコンスルの政体」における主権の所在は明確 にされていないが、後にホッブズが語る政体移行論の発想の源がローマ史にあることを物語っ ている。 『法の原理』と『市民論』においてホッブズは、「獲得による国家」が君主政に始まる一方、 「設立による国家」の始原は民主政であると論じる。ここで主権論を導入したホッブズは、ロ ーマの独裁官制度を検討することで、 「タキトゥス論」では「自由とコンスルの政体」とされた ローマの政体(共和政体)が、民主政であったことを明確に論じる。ただし彼はローマの政体 がどのように変化したかではなく、国家の解体が引き起こす政体移行の一般法則に関心がある。 ホッブズは、人民が自発的に作った「設立による国家」がまずは民主政から始まり、そこから 何らかの契機によって人々の合意により君主政(ないし貴族政)へ移行すると考える。この移行 の最も大きな原因は、 『法の原理』では内乱、 『市民論』では国家間戦争であるとされる。 『リヴァイアサン』では、ローマ史の政体移行は、君主政への移行の必然ではなく、内乱によ る国家解体の例として登場する。ホッブズは絶対的主権者を置かなかったローマの「民主政」(共 和政体)が騒乱ゆえに君主政に移行したことを指摘するだけでなく、ローマ「民主政」が実際に は内乱を生んだにもかかわらず、ローマに関する歴史叙述は「民衆的統治形態」が繁栄をもた らすという誤解を与えていると述べる。こうしてホッブズは事例を観察するだけでは政体に関 する無謬の知識は得られないとしながらも、ローマ史から政体移行の一般的傾向性を学び、そ れを内乱に陥ったイングランドを理解する際にも応用可能な理論へと高めていったとされる。 このことは、ホッブズの政治学の源泉が歴史すなわち事実に関する知識にあることを意味する. 7.
(8) とされる。ホッブズは政体に関して性急な改革を助言することには慎重である一方、歴史から 教訓を学び普遍的知識を引き出し提示するという助言者のあるべき姿を自ら示していたのであ り、ホッブズの「助言」は、彼の政治学が演繹的・幾何学的学知の枠組みに収まりきらないこ とを示していると主張される。 結論 結論では、改めてホッブズの助言論が彼の政治学を理解する鍵であることが確認される。 ホッブズの助言論では、既存の助言者が依拠する人文主義的な伝統と、身分や特権ではなく主 権者にとっての有用性によって助言者の存在を肯定する合理的な思考の両方が共存していた。 こうして助言者の存在を前提とした政体論を展開したホッブズは、同時代の用法に従えば助言 者とは言えず、その「助言」は同時代、そして現代の論者たちにも正当に評価されてこなかっ た。それでも哲学者として政体や政治学そのものを問い直した彼は、単に空論によって理想の 政体を示したのではなく、現実の政治に関する現実的な処方箋を書こうとした助言者であった ことが強調される。絶対的主権者の存在を前提としながらも、多元的なアクターの存在を積極 的に認めたホッブズの政体論は、彼を批判したクラレンドンら立憲王党主義者らが示す政体構 想と親和的な部分すらあることが示される。 このようにホッブズは、哲学者として政治に向き合い、政治と哲学の緊張関係を如何に架橋す るのかという実践知の問題関心に正面から取り組んでいたことが示された。支配の正当性をめ ぐる抽象的な議論から為政者の日常的な統治までを包括するホッブズの政治学は、幾何学的な 演繹的・論証的知識以外にも、歴史などの事実から帰納的推論によって得られた普遍的知識を も含んだ学問であり、こうした多様な知のあり方を内包するホッブズの政治学をもはや「近代 性」で理解することはできないとされ、ホッブズの助言論を通して、彼の哲学的プロジェクト としての政治学がもつ重層性や複雑性をより正当に評価できると結論づけられる。. 3. 論文の評価 本論文は、 「助言論」という一貫した観点から、ホッブズの政治思想を再検討した、独自性と 完成度の高いすぐれた研究成果である。本論文は、科学、主権、近代という術語では十分に語 り尽くすことのできないホッブズの政治思想の特質を、ニュアンスをもって歴史的に記述する ことに成功している。 ホッブズの政治哲学は、主要な著作としては、『法の原理』『市民論』 『リヴァイサン』の順に 発表されたが、 『リヴァイアサン』において初めて、 「助言」が独立の一章として論じられた。 わずかに 16 パラグラフからなる短いものであったこともあり、これまでホッブズの助言論が論 じられることはほとんどなかった。それに対して、助言論それ自体をとりあげ、その観点から ホッブズの政治哲学全体を再検討しようとする本研究の意義は大きい。 助言論を取り上げることは、ホッブズの政治哲学を、近代的な科学や哲学をもっぱら背景とし て理解するのではなく、彼の半生がそこに属するイギリス人文主義の伝統の中から生み出され. 8.
(9) てきたものとして理解することを意味する。その文脈では、助言者とは、人文主義教育を受け て君主に助言する者にほかならず、助言論は、人文主義を通じて、キケロ以来の伝統的な「君 主鏡」の政治的文献にも連なるものとして理解されることになる。そのように人文主義的伝統 との関わりでホッブズの政治哲学を解釈することは、早くはレオ・シュトラウスによって、ま た近年においては、インター・テクスチャルな言語慣習の文脈を重視して政治思想史研究に強 い影響力をもつクエンティン・スキナーによっても強調されていることであるが、両者とも伝 統的なレトリック論をホッブズの中に読み込むことを通じてそれをなそうとしている。それに 対して、本論文は助言論を通じて人文主義的伝統をホッブズ政治哲学の背景として捉える点に おいて独自性をもつ。 また、本論文は助言論を通じて、ホッブズ政治哲学の歴史的文脈に新たな光をあてようとする ものとしても大きな意義をもつ。ホッブズ政治哲学の歴史的文脈についても、近年、N・マルコ ムらの研究によって研究の蓄積が進んできている分野であるが、そうした先行研究を踏まえな がら、本研究は、助言論が、一方ではイングランド内乱における政体論をめぐる論争において 鍵となると同時に、教会統治論においても鍵となることを示している。いずれにおいても、主 権者の権威を正当化し、熟議や合議制の有する危険性を主張する論理が助言者論を通じて貫か れているのが特徴的であり、政治的文脈と宗教的文脈の両方をつなぐ分析概念として助言を用 いていることに独自性がある。 このように人文主義の伝統を背景として、また内乱期の政体をめぐる論争や教会統治をめぐる 論争を背景として、ホッブズの政治哲学を理解することは、ただちにそれを伝統的な「君主鏡」 の文献として、あるいは、古き善き政体論に与するものとして理解することを意味しない。む しろ、本論文の主眼は、それらの文脈をサブテキストとしてはじめてホッブズの絶対的主権者 による統治の意味が明らかにされることを示すことにある。その意味では、本論文は、ホッブ ズの政治哲学が、そのような伝統や文脈から、初期近代に固有の重層性や複雑性をもつものと して生成される過程を、助言論から説明されるダイナミズムとして提示しようとした研究であ るということができよう。 そのことを通じて強調されることになるのは、ホッブズの政治哲学の近代的な科学的知として の性格よりも、なお伝統的な実践知としての性格、純粋な理論的構築物としての側面よりも、 現実的な政体のあり方に即した提言の側面、そして近代的で抽象的な主権国家論よりも、多元 的なアクターによる実際的運営を問題とする政体論である。もちろん本研究は、既存のホッブ ズ像を完全に否定するわけではなく、 「近代性」という言葉によって看過されがちな後者に目を 向けることによって、ホッブズの政治哲学については、両面の理解が不可欠であり、それらが どのように結びついているかを示すことにある。その意味で、本論文は、ホッブズ研究に新た な視点を提供するものとして高く評価されるであろう。 とはいえ本論文にはなお残された課題、あるいはさらなる検討の望ましい点があることも指摘 されなければならない。 上記の評価において示したように、本論文では「助言における学知と実践知の融合ないし併存」 が論じられているが、ホッブズの助言論において学知と実践知がいかなるかたちで融合ないし. 9.
(10) 併存していたのかについては、ホッブズ思想の理論的構造の面および歴史的背景の面から、さ らに立ち入って説明できる余地があるのではないかという点がまずあげられる。そうした説明 を付加することで、君主の有徳性の勧めにとどまらない初期近代の多様な助言論におけるホッ ブズ助言論の独自性を、より明確に示すことができるのではないであろうか。 本論文では、ホッブズの政治哲学について、理論知と実践知をはっきり区分けするアリストテ レスの『ニコマコス倫理学』第6巻の議論を前提として、実践知としての性格を残しているこ とが強調されているが、アリストテレスの『形而上学』第1巻(あるいは『分析論後書』第2 巻第19章)では、科学的認識(エピステーメー)は、技術(テクネー)の延長線上で捉えら れており、経験を蓄積して一般化することが技術の特徴であり、さらにその一般化した後で原 因を捉えられるようになった知識が科学的認識だとされている。本論文の視座からするなら、 ホッブズは、むしろこの後者からの影響によって、実践(技術)の延長線上にあるものとして 学知を捉えていたと理解できるのではないか。アリストテレス哲学体系の初期近代における受 容とともに、この影響関係の確認によって、ホッブズにおける学知と実践知の関係の理解はよ り深められるのではないであろうか。 また、助言者の知識の性格を論じるにあたって、ホッブズが学知と事実に関する知識に分けて いることを前提に、それらの間の相補性を論じているが、ホッブズのテキストに基づく議論は 必ずしもその論理が判明ではない。認識を対象の違いによって区別する古代的伝統と、認識と 認識対象をはっきりと区別する近代的な考え方の間にそのテキストを適切に位置づけ、理解す ることで、相補性の意味をもっと明確にすることはできるのではないであろうか。 さらに、本論文では、歴史を通して普遍的法則を認識し、政治体制が解体する原因を内乱に見 出そうとするホッブズが描かれているが、こうしたホッブズの歴史認識を、上記の学知と事実 の違いに関連づけるならば、どのような知識だと捉えられるのか、またそれは歴史を因果関係 として理解することを意味するのか。ホッブズが、因果関係を帰納的にではなく、 「演繹的推論 により因果関係を見出さなければ学知ではない」として、三段論法によって概念的に特定する ものとしているとすれば、事実認識にもとづく実践知の持続と結びつけて歴史の一般法則を語 るためには、もっと多くの議論を必要とするのではないか。 歴史的背景については、本論文は、主権とは区別される統治に注目することで、ホッブズの政 体論にみられる多元性の契機を析出して、そのうえで、そうした点における「立憲王党派」と の類似性を指摘している。しかし、ホッブズと「立憲王党派」の違いは、主権をどこまで強調 したかという違いである、という本論文の説明は、両者のあいだの激しい相互批判に十分な歴 史的説明を与えるものではない。ホッブズと「立憲王党派」の思想的違いについては、政治手 法、政治家の資質、政治学の特質など、政体イメージにとどまらないそのほかの点についての、 両者の理解や思想がどのように違うのかについても検討する必要があるのではないか。あるい は、本論文がこの問題を検討するにあたって主として依拠するキンチ・ヘクストラに倣って、 ホッブズと「立憲王党派」の、それぞれの知的リソースや思想的源泉に注目する手法も、両者 の違いを説明するにあたっては有益ではないか(また、ホッブズを独立派支持とするジェフリ ー・コリンズの解釈を吟味して論駁しておく必要もあるように思われる) 。 上記のように、本論文では、主権論とは区別される統治論の思想史にホッブズを位置づける必. 10.
(11) 要性が言及されている。従来の政治思想史理解では、内乱の収拾を旨とする主権論と、世俗的 統治の自律的運営を旨とする国家理性論的な統治術とは、別々の文脈で語られてきた。ホッブ ズ思想のなかに主権論と統治論の双方が見出されるとする本論文の視点からすると、ホッブズ において主権論の思想史と統治論の思想史とがどのように交差しているのか、さらなる説明が 必要である。 最後に、本論文が冒頭で採りあげた、ホッブズと「近代性」との関係にあらためて立ち返ると すれば、本論文からそれに対して最終的にどのような評価が下されることになるのか。 「近代性」 との関係を問う、という問題設定そのものをあくまで退けるのか。あるいは、助言、経験知と 学知、多元主義に光を当てることは、ホッブズをこれまでと違ってプレモダンやポストモダン の系譜に位置づけることなのか。あるいは、そうした観点からのホッブズ理解は、これまでと 違った別のかたちでのモダニティのすがたを明らかにするものなのか。従来の研究におけるホ ッブズの「近代性」には「いま」でもあるモダニティへの根源的問いを含んでいるとするなら、 本論文の批判はそうした問いとして自らに折り返されなければならないであろう。 言うまでもなく、これらは、本論文の成果によってさらに喚起される課題であり、また申請者 の今後の研究への期待でもあり、本論文の学術的成果を損なうものではない。. 4. 結論 以上、本論文は、 「助言論」という視角からホッブズの政治哲学を再検討した、独自性と完成 度の高いすぐれた研究成果を示している。この研究成果は、政治思想史研究の進展に必ずや寄 与するであろう。審査委員一同は、その学術的貢献を高く評価し、本論文は博士(政治学)の学 位を授与するに相応しいものであると判断する。. 2019 年 2 月 12 日 佐藤 稲村 厚見 犬塚. 11. 正志 (西洋政治思想史) 一隆 (政治哲学) 恵一郎(西洋政治思想史) 元 (西洋政治思想史).
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話教育実践を分析、検証している。このような二つの会話教育実践では、学習者の支援の
クター(SMB)およびバリューファクター(HML)および投資ファクター(AGR)の動的特性を得るために、特
ている。本論文では、彼らの実践内容と方法を検討することで、これまでの生活指導を重視し