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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨

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Academic year: 2022

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博士(文学)学位請求論文審査報告要旨 

論文提出者氏名  亀谷  弘明 

論  文  題  目  古代木簡と地域社会の研究  審査要旨 

  本論文は、出土木簡資料を駆使して、古代日本列島における地域社会の実態を解明したものである。その構成 は、序章、第Ⅰ部「地域社会の諸層−重層的な地域−」、第Ⅱ部「地域モデルとしての東海地域−駿河・伊豆を中 心に−」、終章、となっており、第Ⅰ・Ⅱ部は、さらに、それぞれの章・節から成り立っている。 

  序章は、本論文の意図が「地域社会」の解明と、その方法論の提示にあることを述べ、「制度的地域」「歴史的地 域」「地域モデル」という三概念をあらたに設定する。第Ⅰ部では、「制度的地域」と「歴史的地域」との「諸層」を「重 層的な」関係としてとらえ、基礎的な課題に再考を加える。第一章「律令国家の成立と地域社会」の第一節「『古代 王権と贄』の展望」は、古代史上の重要な税目である贄の貢納が、本来、様々な受け取り対象をもっており、大王は その一部であったこと、大王への貢納は「大贄」と呼ばれ、海・浜・浦・島などから貢納される「御贄」は後次的に発 生したこと、「個別人身支配」にもとづく「調」の国家支配と「贄」の王権支配とが二重構造をなしていることを確認す る。第二節「乙丑年木簡と『五十戸』制について」は、里制の前身である五十戸制の成立を問題にし、部名五十戸 制と地名五十戸制とは併存する関係にあるとして、「五十戸造」の性格に及ぶ。第三節「調庸布絁墨書銘と徴税機 能−国印の押印箇所を手がかりに−」は、正倉院等に伝来する調庸の布絁に押された国印のあり方を詳細に検討 し、国別に徴税行政の仕方が異なっていた可能性を示唆する。 

  ついで、第二章「ネットワ−クとしての歴史的地域」の第一節「中央下級官人と地域社会−美濃国を例に−」は、

美濃国の地域社会から宮都へ進出する氏族と地域社会に留まる氏族との二極化説を再考し、双方向性の実態を 確認する。合わせて、地域社会における寺院造営活動や高度な造紙技術の需要・供給関係に及ぶ。第二節「封戸 と郡司層」は、長屋王家木簡のなかの荷札木簡に注目し、長屋王邸宅へ搬送された生産物が封戸から封主へのも のか、公戸からのものに由来するのかを考察する。そして、国名・郡名を省略した荷札木簡には、封戸とのかかわり が深いものがあるとし、合わせて、郡司層の関与があったことを指摘する。 

  第Ⅱ部では、東海地域の駿河・伊豆に「地域モデル」を設定し、「制度的地域」と「歴史的地域」との重層性をこの 特定地域から浮き彫りにして、「地域モデル」「制度的地域」「歴史的地域」の三概念の有機的な検証をさらに深め ていく。第一章「律令国家の成立と東海地域」の第一節「駿河国・伊豆国の地域性」は、駿河国と伊豆国(天武九年 に駿河国から分立)の両地域における一体性と差異性とを指摘する。一体性としては、堅魚の貢進や造船を含む 海上交通があり、また、駿河湾奥に位置する駿河国の駿河・富士両郡地域と伊豆国の田方郡地域との間には、とく に一体性が認められるとする。差異性としては、堅魚の貢進量や方法の違いを上げる。さらに、伊豆国南部の賀茂 郡地域と北部の田方郡地域との間にも差異があるとして、伊豆国の分立は、この異質の賀茂郡地域(島々を含む)

を支配するためにおこなわれたものとみる。第二節「駿河・伊豆の国造・部民・評」は、駿河・伊豆両国地域の氏族 分布を網羅的に検討して、両地域の歴史的性格を解明する。まず、駿河国地域では、臣・君姓の地域豪族が西 部・中部(廬原・安倍両郡など)に集中するのに対して、東部(駿河・富士両郡など)に名代・子代、宮号舎人などが 比較的集中しており、この傾向は隣接する伊豆国田方郡の場合と近い。また、この駿河・富士・田方各郡の地に は、とくに大伴部・宍人部の分布が共通しているが、それは、稚贄屯倉の設置を契機として荒堅魚をともに貢進する という歴史的性格の共有性にもとづくものとする。ついで、伊豆国地域では、全体として部姓氏族の集中度が高い が、これは、伊豆分国による堅魚貢進体制と関係しているとみる。第三節「伊豆国の堅魚貢進と伊豆三嶋神社」は、

現三島市(旧田方郡)の三嶋神社の発生と移坐を手がかりにして、伊豆国地域の歴史的特性と変化を考察する。そ して、三嶋神社の祭神は、本来、造島神・航海神としてのミシマ神であり、堅魚もこのミシマ神に貢進される贄であっ

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  2 氏名    亀谷  弘明       

たこと、祭祀・祭神は、伊豆半島南部ないし島々から北上していったこと、膳臣と膳大伴部の「伴−部」関係が、当 該の贄を大王や諸王のもとへ届けさせることに貢献したこと、造船をめぐる「枯野」伝承や大山積神との交流伝承 は、斉明・天智朝の白村江出兵が契機になっていること、などを問題視する。 

  つづいて、第二章「駿河国・伊豆国の堅魚貢進と地域行政」の第一節「伊豆国の荷札木簡と(膳)大伴部」は、堅 魚貢進の手順や方法が郡ごとに微妙に異なることを指摘する。ついで、駿河国の駿河郡域に所在し、堝形土器な どを伴う藤井原遺跡・御幸町遺跡は、郷を越えた官衙的要素をもつ堅魚加工拠点であったことを明らかにし、伊豆 国における同様の拠点が田方郡棄妾郷周辺にもあった可能性を指摘する。そして、これらの地域を拠点として、

(膳)大伴部の編制がすすみ、堅魚貢進体制が構築されていったと考える。第二節「駿河国・伊豆国の荷札木簡と 堅魚貢進」は、当該の荷札木簡から読み取れる諸問題を抽出する。つまり、平城京での出土地としては二条大路 東西側溝が多いこと、大形が多いこと、駿河国の場合は短冊型が多く、伊豆国の場合は左右切り込み型が多いこ と、両国郡間で国郡郷里等の記載形式に差異が認められること、国衙勘検月に差異が認められること、未確認の郷 の存在が指摘できること、貢進される堅魚の重量や搬送形態が推定できること、税目記載の有無があること、郷単 位での記載や記載方法にも差異があるが、基本的には郡単位の差異を重視すべきこと、伊豆国三郡のうち、那賀 郡の場合が他と異なる記載形式をもつこと、内陸に位置し、国府所在地でもある駿河国安倍郡からの堅魚煎(イロ リ)貢進は、阿倍市を介した交易によるものであること、などである。第三節「駿河国安倍郡の郷名氏族」は、古墳の 空白地帯にして、国府所在の地域である駿河国安倍郡(隣接の有度郡も一部含む)の郷名と氏族名とが対応する 意味を考究する。出土文字資料のほかに『駿河国正税帳』を用いて、安倍郡・有度郡散事の横田臣、半布臣、川 辺臣が、それぞれ安倍郡内の横太郷、埴生郷、川辺郷を本拠にする郷名氏族であること、これらの郷は国府の周 辺にあり、その郷名氏族は国庁に出仕する非農業的性格をもつ新興勢力として編制されたことを指摘する。 

最後に終章では、本論文の総括をおこなうが、今後の課題として、伊豆国内でも堅魚貢進がみられない狩野川 流域と他の地域との生業圏の相違に注目すべきこと、堅魚貢進と荷札木簡作成の基盤が郡なのか郷なのかという 議論があるが、さらに堅魚の加工拠点施設を重視すべきこと、国府周辺の景観復元が必要であること、などを上げ ている。 

  本論文は、上記のように、膨大な木簡資料を巧みに活用し、かつ研究史を丁寧に検討して、日本列島の「地域社 会」の解明とその方法論の提示とに意欲的に取り組んでいる。その大きな成果は、駿河・伊豆の両国地域を「地域 モデル」にして、駿河湾奥地域の歴史的な一体性と制度的な国郡分断との重層的性格や、伊豆半島北部と南部・

島々との関係性を多角的に検証し、論者の提唱する三概念が有効であることを具体的に示し得たことである。ま た、駿河国府所在郡内の郷と氏族との制度的な編制関係を指摘したことも注目される。しかし、一方で、出土木簡 資料からの情報確認と研究史の整理とに傾斜するあまり、立論に充分踏み込めなかったところもうかがえる。これ は、扱う資料の特殊な性格と個別分散化し過ぎた研究史の現状とに由来する必然的な局面であり、本論文の研究 成果と価値を何ら損なうものではない。以上の評価にもとづき、本論文は博士(文学)の学位授与に値する論文で あると判断するものである。 

 

公開審査会開催日  2010年    3月    11日 

審査委員資格  所属機関名称・資格  博士学位名称  氏  名  主任審査委員  早稲田大学文学学術院・教授  博士(文学)早稲田大学  新川  登亀男  審査委員  早稲田大学文学学術院・准教授  博士(文学)早稲田大学  川尻  秋生  審査委員  国立歴史民俗博物館・教授  博士(文学)早稲田大学  仁藤  敦史 

審査委員       

審査委員       

参照

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