D
ヒ
ュームの経験論的人間学の研究︵二︶
iヒュームのキリスト教神学批判11一
︵古賀 勝次郎
序文
第一章 ヒュームのキリスト教神学批判
一 哲学とキリスト教神学︵以上前号︶
ニ ロック︑バークリからヒュームへ︵以下本号︶
三 ヒュームの﹁神の設計論的証明﹂批判
ω 自然宗教あるいは理神論
㈹ 設計論的証明批判
㈹ 新しい思考様式の展開 四 ヒュームの﹁真の宗教﹂1結びに代えてー
ニ ロック︑バークリからヒュームへ
早稲田社会科学研究 第42号 91(H3).3
43上述のように︑経験論的人間学は︑ロックによってその端緒が開かれ︑ヒュームによって確立されたが︑ロックか
らヒュームへのプロセスは必ずしも平坦なものではなかった︒とりわけ︑その経験論の立場から︑中世のキリスト教
神学を批判し︑克服していくプロセスには厳しい思索と非常な苦悩とが伴った︒ヒュームのキリスト教神学批判は︑
一挙になされたかのように見えるが︑しかしそれに到るまでのプロセスを無視しては︑十分な理解は得られぬであろ
う︒それはまことに長い険しい道であった︒ ここではロックとバークリを取り挙げ︑彼等の経験論的人間学におい
て︑キリスト教神学がどのような位置を占めていたかを述べることにする︒
ロックの主著﹃人間知性論﹄が︑経験論的人間学の哲学的基礎づけをなした最初の著作であったことは言うまでも
ない︒しかしそこには︑キリスト教神学の影響がまだ深く残っていた︒ ﹃人間知性論﹄の第一巻に展開されているよ
うに︑ロックはその経験論的人間学を生得説︵凶昌昌陰口一ω旨P︶批判から始めているが︑当然ながら︑神についての生得観
念も批判している︒いや︑ロックにとって︑神の観念こそ何にもまして生得と呼ぶに相応しい観念であった︒ここに
我々は︑中世のキリスト教神学との明瞭な断絶を看取することができる︒しかも注目されるべきことは︑神の観念が
生得なものでないことを実証に基づいて批判していることである︒例えばロックは︑大航海時代がもたらした航海記 ︵1︶や探検輝北に依って︑非キリスト教世界の中に︑神の観念を有さない民族があることを指摘する︒そこには︑世界的
な視野からの議論が見られ︑その比較宗教学的アプローチとも呼ばれ得るものは︑ヒュームにおいて一層顕著になる
︵例えば︑﹃宗教の自然史﹄︶︒またロックは︑生まれたぽかりの子供の心には神の観念は発見されないと述べ︑更に︑
神の観念を持っている人々の聞においてそれぞれの観念に相異が見られると論じている︒こうしてロックは︑第一巻
の最後のところで︑神の観念が生得でないならぽ︑生得といえる観念はないと︑彼の生得説批判を締め括っているの
である︒
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D.ヒュームの経験論的人問学の研究(二)
このようにロックは︑神の観念の生得性を批判することによって︑彼の経験論的人間学とキリスト教神学との連続
性を︸旦断ち切るのであるが︑しかしその後︑つまり﹃人間知性論﹄の第二巻︑第四巻になると︑ ﹁神﹂がその経験
論的人間学の中で極めて重要な位置を占めることになる︒同著第二巻でロックは︑単純観念と複雑観念の考察を行な
っているが一これについての議論は第三章でも行なう一︑そこでは対象を認識する際︑その背後に神の存在が前
提とされており︑また︑人間の理性1それは限界を有しているにも拘らず一が自然あるいは宇宙の究極的原因と
推論することにより︑神の観念に達し得る︑と論じられている︒即ちそこには︑ 一般に言われている神の存在の宇宙
論的証明︑あるいは目的論的証明︑その一種である設計論的証明に近い議論がなされているのである︒もっともロッ
クはそうした議論を明示的にしている訳ではない︒しかし︑例えば次のような文章はそうしたことを明らかに証左し
ヘ ヘ へている︒ ﹁作り主の知恵と慈愛はこの巨大な︹宇宙の︺仕組みのあらゆる部分に︑⁝⁝だれにもわかるように現われ
︵2︶ ︑ ︑ ︑ている⁝⁝﹂︒また﹁⁝⁝万物の無限に賢明な考察者は︑⁝⁝生活の便宜とこの世で私たちのなすべき仕事に適させ
ヘ ヘ へたもうた⁝⁝︒⁝⁝地球上にあって全知な建築者︹神︺は私たちの感官とこれを感発する諸物体とを互いに適合させ ︵3︶たもうてある⁝⁝︒﹂︒因みに︑作り主︑考察者︑建築者の原語を示せば︑寓艮①びOo巨ユ︿o炉﹀容び一89である︒
神の存在については︑第四巻でも論じられる︒
ロックは︑その第四巻において︑知識︵あるいは真知︑内昌︒琶①qαqo︶を︑一︑直観的知識︑二︑論証的知識︑三︑
感覚的知識︑の三つに分類し︑これ等を実在的存在と関連づけ︑一が︑われわれ自身の存在に︑二が︑神の存在に︑
そして三が︑有限な個別的存在に︑それぞれ対応すると論じる︒ここで注目されるのは︑神の存在が論証的知識︑即
ち︑自己の直観とそれを介しての理性による推論によって証明されるとしていることである︒そうだとすれば︑ロヅ
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クは神の存在については︑宇宙論的証明︵あるいは目的論的・設計論的証明︶に近い考えと同時に︑論証的知識を持
っていたといえる︒ ではそれはどのようにして得られるのであろうか︒ロヅクはこれに啓示︵鴇①<①一9一一〇昌︶によって
と答える︒しかしこの場合の啓示は︑神が直接伝える本源的啓示︵o鴇おぎ巴おく①一鉾凶︒ロ︶ではなく︑神が人間に知る
べきことを知らしめたまう自然的啓示︵づ簿霞巴器く︒δ口︒昌︶である︒そしてロヅクによれぽ︑人間の理性もこの自
然的啓示である︒一方の本源的啓示とは︑奇蹟を通して示される啓示のことである︒そしてロックはこの本源的啓示
をも承認する︒
ロックが自然的啓示のみを認めているのであれば︑彼を理神論者︵◎①一ωけ︶と見倣すこともできよう︒しかし︑本
源的啓示をも承認しているのであるからロックは理神論者ではなかった︒この意味で︑ロヅクの経験的人間学には︑
中世的なキリスト教神学の影響がいまだ色濃く残っているといわざるを得ない︒ヒュームは︑理神論も奇蹟も徹底的
に批判した︒ヒュームの理神論批判は後に述べるとして︑奇蹟について︑ロックが︑自然の因果法則を超えたもので ︵4︶はあるが神聖なものとして承認するのに対し︑ヒュームは︑奇蹟を﹁自然の法則の侵害﹂だとしてこれを否定した︒
このようにロックとヒュームの間には︑非常に大きな距りがあったといわねばならない︒しかしロヅクの思想は基本
的には近代的な人間学から成っており︑ただキリスト教神学の影響を余りに強く受けていたため︑斉合的体系性を欠
くことになったのである︒ロックの人間学は︑大きな前進であったが︑ヒュームの人間学に達するにはまだ遥かな道
のりを歩まねばならなかった︒ ︵5︶ 通説に従えば︑イギリス経験論の系譜は︑ロックの次にバークリが続き︑そしてヒュームとなる︒この系譜は決し
て誤りではないし︑ヒュームもロックほどではないにしてもバークリの影響を強く受けている︒しかし︑それは経験
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
論の発展という側面からいえばそういえるという意味であって︑彼の人間学は︑ロック以上にキリスト教神学の残光
が見られる︒上に︑バークリの思想を経験論的形而上学と呼んだ所以である︒
ヒュームはバークリから︑例えば︑抽象的観念あるいは一般的観念についての考え︑あるいはその懐疑主義的議論
から多くを学び︑それを更に徹底させた︒バークリの抽象的・一般的観念についての考えや︑その懐疑主義的議論
は︑ロックの経験論を一層発展させたものであった︒バークリはその主著﹃人知原理論﹄ ︵︾↓§ミ㍉器8ミミミミ隣
ミ恥︑識ミミaミ亀ミミ§さ︒ミ貯蓄り嵩一〇︶の中で︑抽象的︑ 一般的観念は一定の名辞と結びつけられた特殊な観
念であると論じたが︑ヒュームはそれを当時の学界における最大の功績と讃えている︒またヒュームは︑ ﹃人知原理 ︵6︶論﹄を懐疑主義の最善の教訓とも述べている︒
このように︑バークリはその経験論の系譜においてはロックを発展させヒュームに引き継いだのであるが︑しかし
彼の人間学はキリスト教神学の影響を余りにも強く引き摺っている︒バークリにとって︑神の存在は人間の存在より
も自明のことであった︒また神の存在について︑バークリは︑宇宙論的証明あるいは目的論的証明︑その一種である
設計論的証明をしている︒バークリは例えば﹃人知原理論﹄の中で次のように述べている︒ ﹁神の存在は人々の存在 ヘ へより遥かに明白に知覚されると主張してさえよい︒なぜなら︑自然の結果は︑人間という創作者に帰せられる結果よ
り無限に数多文著大であるからであぎ︵西七節︶また次のようにもいう・﹁神は・︒⁝慰のもろもろの業によ・
て神の属性を私たちの理知に承服させる方を選びたもうように思える︒この自然のもろもろの業たるや︑その出来栄
ヘ ヘ へえにおいて極めて大きな調和と工夫とを知らせて︑造り主︵︾露普︒﹃︶の智慧と慈悲とを極めて平明に指教するのであ
︵8︶る﹂ ︵六十三節︶
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またバークリは奇蹟を疑うこともなかった︒寧ろ︑奇蹟は必要であり︑神的存在者を人間に認めさせ︑道徳の酒養
ヘ ヘ ヘ ヘ へに役立つと考えた︒今引用した文章のすぐ前に次のような文章が見い出される︒ ﹁取る場合には︑自然の造り主は︑
もの ヘ ヘ へ事の通常の序列から外れた現象を産み︑よってもって造り主の超法則的力能を現示する︑ということも必要である︒
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ自然の一般規則からのこのような例外は︑人々に驚異と畏怖の情を抱かせて神的存在者を承認させるのに適切であ
る︒﹂このように奇蹟を認めるバークリはもとより理神論者ではなかった︒彼は公然と理神論を批判した︒否︑彼は︑
理神論の形成に甚大な力のあったニュートンの近代的自然科学にも強い疑念を示した︒それは専ら︑ニュートン的自
然科学が無神論を導く危険性を恐れたからである︒ニュートンの自然探求の方法に︑社会現象の理解の出発点を計い
出したヒュームと何という違いであろうか︒このようにバークリの経験論的人間学は︑ロック以上にキリスト教神学
的色彩の濃いものであったが︑それは年を経るに従っていよいよ濃くなっていった︒
以上述べてきたところがら明らかなことは︑ロックもバークリも理神論者ではなく︑奇蹟に疑念を挾まなかったよ
うに︑彼等の経験論的人間学にはキリスト教神学の影が色濃く落ちていた︒しかしヒュームにおいては︑キリスト教
神学の影は殆どといってよい打見られない︒少なくとも彼の社会科学においては︑キリスト教との関係は断ち切られ
ている︒ヒュームの経験論的人間学には︑何故︑キリスト教神学の影が見られないのであろうか︒また︑彼の社会科 ︵9︶学は︑キリスト教神学との関連が切断されているのだろうか︒以下︑これ等の問題について検討して見よう︒
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三︑ヒュームの﹁神の設計論的証明﹂批判
上述のように︑ロックが近代の経験論的人間学の端緒を開き︑バークリがそれを継承︑発展させたにも拘らず︑彼
D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
等の人間学がキリスト教神学の影響をまだ強く受けていたのに対し︑ヒュームの人間学は︑キリスト教神学の影響か
らほぼ完全に免れていた︒ロックやバークリの経験論的人間学は︑デカルトまで湖る合理論的人問学に対抗し︑それ
に代る人間学の形成︑確立に専らその関心が向けられ︑キリスト教神学に対しては︑宗教としてのキリスト教のよい
面はこれを護ろうとしたため︑その内部に立入って批判しようとはしなかった︒しかし︑ヒュームは合理的人間学だ
けでなく︑キリスト教神学に対しても批判した︒キリスト教が現実の社会にもたらしている様々な問題が︑一でも述
べたように︑キリスト教神学からきている︑また︑キリスト教神学の思考様式が近代社会を理解する上で有効でない
ぽかりか有害でさえある︑と考えたからである︒そのためヒュームのキリスト教神学批判は徹底を極めた︒だが︑ヒ
ュームがキリスト教神学を批判できたのは︑ロヅク︑バークリから受け継いだ経験主義を発展させた結果であった︒
ヒュームのキリスト教神学批判は︑神の存在についての設計論的証明批判がその中心をなしている︒設計論的証明
︵ら︒ω骨昌β︒円σqo露〇三︶は︑目的論的証明の亜種であり︑言うまでもなく人間の理性によって神の存在を証明しようと
する方法の一つである︒1・カントによれぽ︑人間の理性︵思弁的理性︶によって︑神の存在を証明する方法には三
つあ菊一つは・存在論的証明︵88憂ω国b・塞一ω︶で︑神の概念から全くア・プリオリに最高原因としての神
の実際的存在を推論する︒第二は︑宇宙論的証明︵脚︒ωヨ︒δひq一ω畠臼ゆ①ミ巴ω︶で︑自然のような現実的存在から︑無
条件に必然的な存在者としての神を推論する︒そして三番目が︑物理神学的証明︵9団ω涛︒昏Φo一〇σq一ω︒ゴ︒﹃しd⑦ミ9ω︶︑
あるいは︑目的論的証明︵8δ巳︒αq冨島頸bd①ミ︒凶の︶と呼ばれるもので︑感覚界の特殊な性質︑即ち合目的性から︑
世界の創造者としての神を推論する︒ヒュームが批判したのは︑主として第三番目の証明であった︒
ヒュームの設計論的証明批判は︑ ﹃人間知性研究﹄に収められている﹁特殊的摂理と未来の状態﹂と︑死後出版さ
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れた﹃自然宗教に関する対話﹄においてなされている︒前者の論文は最初︑ ﹁自然宗教の実際的帰結について﹂
︵Oh誓①勺轟︒江︒巴Ooロωoρ二Φづ︒①ωoh2象霞巴国︒嵩σq一§︶となっていた︒ このように︑前者の論文にも後者の著書
にも﹁自然宗教﹂という用語が使われているが︑キリスト教を専ら人間の理性によって基礎づけ正当化しようとする
教理であり︑理神論︵O①一ωヨ︶とも呼ばれる︒そして自然宗教には︑カントのいうように︑存在論的証明︑宇宙論的
証明︑目的論的証明11設計論的証明の三つあったが︑ヒュームは最後の設計論的証明を主に批判した︒設計論的証明
が当時最も広範に行われていたからである︒
① 自然宗教あるいは理神論
後でも取り上げるが︑キリスト教は一神教であり︑従ってヒュームも言うように合理的な宗教である︒そのため︑
最初から信仰と共に人間の理性がキリスト教と深く関っていた︒他の宗教には見られないような﹁神学﹂という宗教
としてのキリスト教の壮大な知的体系が形成︑確立されたのもそれと関係する︒トマス・アクィナスの﹃神学大全﹄
︵⑦袋ミミ黛↓鳶︒︑o曳ミ︶はその一大産物であった︒しかし中世のキリスト教神学には︑ ﹁神﹂の名の下にまだ多くの
不合理的なものが存在していた︒
だが︑時代が近代に近づくにつれ︑神に代わり人間が次第に表舞台に上るようになり︑また︑自然科学の発展にも
影響を受け︑中世の神学体系に残っていた不合理的なものは︑人間の理性の名の下に拒否されるようになった︒こう
して十七世紀も後半になると︑中世のキリスト教神学とは根本的に異なる自然宗教︑理神論といったキリスト教を人
ヘ へ間の理性によってのみ正当化しようとする教理が隆盛になってきたのである︒E・ハーバートも理神論者の一人であ
るが︑彼は不合理な啓示や信仰を拒否し︑万人に受け容れられる合理的な宗教の確立を試みた︒また一方︑J・トラ
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
ンドやM・ティンダール等は︑﹃神秘的でないキリスト教﹄︵ら魯蕊騎§篭篭ミさ無ミ劉§脇鰯 O霧︶や﹃天地創造と共
に古いキリスさ教﹄︵Gミミ馬§ミ§Oミ題︑ぎG§ミ著きH認目︶等を著おし︑キリスト教の合理性を努めて示そう
とし繍・.彼等は・キリスト教が合理的であることを・二・ーンやボイル等の自然科学から強い影響を受け︑合理的
推論によって論証しようとした︒即ち彼等は︑自然の中に見い出される﹁一般的摂理﹂︵σq魯①円巴賢︒<置Φ昌︒①︶に訴
えることによって神の存在を証明しようとした︒
ニュートンの自然科学は自然宗教の普及に大きな威力を発揮したが︑ニュートン自身は︑R・H・ハールバト三世
の用語を使えば﹁科学的有神論﹂ ︵ωo一〇ロ薮ざ夢Φ一ωヨ︶を打ち出し︑神の存在については︑設計論的証明に近い考︑兇
農適して馳f三!トソはこの世界が神によ・て創造され︑神によ・て支配されていると信じていた︒﹃・リン
キピア﹄︵︑ミh8魯ミ§嵩ミミミ噛︒︒︑識§嘗融§ミ書§ミ旨職︶のコ般注﹂の中で︑﹁壮美なる太陽︑惑星及び彗星の系
統は只智あり︑力ある存在の意思及び支配からのみ生ぜられる﹂と述べている︒またニュートンは︑﹃光学﹄︵◎鷺詩華︶
の中で︑自然科学の主な任務が︑ ﹁仮説をねつ増せずに現象にもとづいて論じ︑結果から原因を演繹して︑ついには
絶対確実に機械的でない第一原因そのものに至る﹂ことだとし︑物理的自然世界の秩序の究極的原因を問い︑ ﹁非形 ︵13︶体的な︑生きた︑英知をもち︑遍在する︑ある存在者のあることは︑もろもろの現象から明らか﹂であると論じてい
る︒ このように︑自然科学の成果を背景としたニュートンの自然宗教は︑上にも少し触れたが︑多くの知識人に多大な
る影響を与え︑ヒュームが世に出る頃には︑一世を風靡する程の力を得︑事ある毎に伝統的神学と論争を繰り返して
いた︒ヒュームはこうした宗教上の論争から身を外らすことをしなかった︒彼は︑伝統的神学ばかりでなく︑合理的
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な神学︑即ち自然宗教︑理神論に対しても鋭い批判を加えた︒ヒュームはニュートンの経験論的︵実験的︶方法を高
く評価し︑その社会科学への適用の妥当性を信じていたが︑自然宗教や神の存在についての設計論的証明はこれを批
判した︒ 上述したようにヒュームのキリスト教批判は︑主として神の設計論的証明批判から成っている︒思うに設計論的証
明にキリスト教神学の根本的な特徴が表われているとヒュームが考えたからであろう︒しかし︑設計論は︑ギリシア
以来多くの思想家に見られる議論であって必ずしもキリスト教神学特有のものではない︒ただ言えることは︑設計論
はキリスト教神学において最も明瞭な形で説かれているということである︒それはキリスト教のいう創造が形成や製
作といったものとは違って﹁無からの創造﹂︵oH①呈出ooメ三三嵩︒︶であることと深く関っている︒プラトンやプロテ
ィノスにはそうした概念はなかった︒
しかし︑﹃宗教の自然史﹄で述べられているように︑宗教史の教えるところによれば︑起源的には︑一神教よりも
多神教︵OO一︽甘げ①一ω日︶の方が古い︒ ヒュームは︑ 一神教は多神教から発展したものであると論じている︒そしてそ
れは人間が物事を合理的に考えるようになったからだという︒合理的でない人間は︑自然や社会のすべての現象をそ
のまま受け容れ︑それらを統一的な原理で説明しようとしないので多神教で満足する︒だが︑人間が合理的になれ
ば︑様々な現象を統一的な原理で説明しようとする︒一神教はこうして現れる︒即ち︑人間は合理的になれば︑すべ
てのものの中に﹁︸つの目的︑一つの意図︑一つの設計﹂を見︑ ﹁もっとも強い確信をもってある知的な原因ないし
創作者の観套採用芋にはいられ拓くなる・キリス薮も・うして現れた一神教の;であ・た︒しかしすべて
の現象の中に統一的な原理を求めようとする点で哲学の営為と相い通じるところがあった︒中世のキリスト教神学
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
は︑いま述べたような﹁神教としてのキリスト教をより論理的な哲学によって補強し体系化したものである︒そして
近代に至って︑人間の理性がより尊重されるようになり︑また自然科学の影響もあって︑自然宗教︑理神論が盛んに
主張されるようになった︒神の存在についての設計論的証明は︑R・ウォルハイムがいうように︑ ﹁理性の時代﹂ ︵15︶︵9Φ諺αq①oh切︒霧§︶の偉大な勝利の一つと当時看倣されていたのである︒ヒュームはこの設計論的証明を批判し
た訳である︒
恥 設計論的証明批判 ︵ 設計論的証明批判の大筋は既に﹁特殊的摂理と未来の状態について﹂の中でなされている︒われわれは︑ ﹁目の前
に半分できあがった建物﹂を目にすると︑ ﹁それが煉瓦や石やモルタルの山とか︑その他石工のあらゆる道具でかこ ︵16︶まれていた場合︑⁝⁝この結果から︑それが設計と考案の一作品であることを推論できるであろう︒﹂これと同じよ
うにわれわれは自然の秩序から創作者︑つまり神を推論できる︒即ち︑われわれは自然の秩序の中に﹁知性と設計の
多くのしるしが現われている﹂のを認めるが︑これを結果としてそこから原因を求めていくと︑自然という﹁創作物 ︵17︶の秩序﹂から︑創作者︑そして﹁創作者の中には企図と先見が存在﹂していることを推論できる︒以上のような論証
が設計論的証明であって︑﹁類比﹂︵き巴︒σq団︶という方法を専ら使っている︒しかしこの類比の仕方は︑﹁理性の上昇
を空想力の翼によって助けた﹂ようなものであって類比の規準に反している︒即ち︑ ﹁人間の意図や計画から︑人間
とはあれほど異なりまたあれほど優越している一存在老︹神︺の意図や計画へと論考することは︑類比のあらゆる規 ︵18︶準に反している︒﹂この類比の規準は因果論によって与えられる︒ここで展開されているのは次のような因果論であ ︵19︶ ︵20︶ゐ︒一︑ ﹁原因は結果に比例していなけれぽならない﹂︑もしその比例を超えた推論をすれば︑それは﹁専断的仮定﹂
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へ︵母9言碧団ωgOOo忽鉱︒昌︶によってなされたもので︑誤った推論といわねぽならない︒二︑ ﹁対象の二つの種が恒常
的に結合して発見されるときにおいてのみ︑われわれは一方を他方から推測できる⁝⁝そこで︑完全に特異でかつい
かなる既知の種にも包括されえないような一結果が呈示されたとすれぽ︑⁝⁝この原因に関していかなる推測ないし ︵21︶推論をも行なうこと﹂は不可能である︒
このような因果論からヒュームは以下のような結論を導く︒人間の設計による産物については︑その産物︑即ち結
果から原因を推論したり︑その原因から結果に関して新しい推測をすることはある程度認められる︒人間は一つの存
在物であり︑それを人間は経験で知り︑その動機や意図に精通しており︑人間本性の中には︑ ﹁設計や性向のある種 ︵22︶の経験された一貫性﹂が存しているからである︒しかし︑こうしたことは︑神と自然の作品についてはいえない︒神 ︵23︶を自然の作品から推論することは︑ ﹁太陽潮一本の小心ーソクにもはるかに乏しい類比﹂であって︑人間の経験を超
えており︑ ﹁専断的仮定﹂なくしてはできない︒また︑神は︑ ﹁種とか︑類比とかの下に包括されていない︑宇宙に ︵24︶おける唯一の存在物﹂だからである︒
以上が﹁特殊的摂理と未来の状態について﹂でヒュームが行っている神の存在に関する設計論的証明批判である
が︑それは専ら︑﹃人性論﹄の第一篇﹁知性について﹂︑また︑﹃人間知性研究﹄において展開されている因果論を︑
設計論的証明に適用したものである︒そしてそれをより詳細に︑また様々角度から論じたのが﹃自然宗教に関する対
話﹄ ︵以下﹃対話﹄と略称︶であった︒
﹃対話﹄は三人の人物の対話からなっている︒デメアとクレアンテスとフィロの三人である︒デメアは正統派のキ
リスト教徒で︑神の存在については︑ア・プリオリな存在証明︑つまり︑存在論的証明と宇宙論的証明を結合させた
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
ような議論をしている︒クレアンテスは理神論者で︑神の存在についてはア・ポステリオリな存在証明︑つまり設計
論的証明を支持する︒最後のフィロは︑懐疑論者で︑神の存在についての存在論的証明︑宇宙論的証明︑設計論的証
明の何れにも批判的である︒
﹃対話﹄での議論の順序とは逆になるが︑最初にデメアのア・プリオリな存在証明についてみることにしよう︒そ
れは﹁第九部﹂の最初のところに展開されている︒デメアは以下のように言う︒どのような存在であれその存在の原
因を持たねぽならない︒いかなる存在も自己を産出したり︑自分の原因であることはできない︒それ故︑結果から原 ヘ ヘ ヘ へ因へとさかのぼると︑究極的原因︵=一一一凶PO一① O簿鉱ωΦ︶を持つことなく無限に継続していくか︑あるいは︑必然的に存
在する究極的原因に到達するかの何れである︒しかし前者の仮定は合理的でない︒というのは︑原因と結果の無限の
継起の中で︑個々の結果は︑それに直接先行する原因によって限定されているが︑この無限の継起の全体は何かによ
って限定されていない︒しかもこの継起全体が︑時間の中で存在し始める特定の対象と同じく原因を要する︒そこか
ら次のような疑問が生じる︒何故︑この特定の原因の継起が永遠の昔から存在して︑他の継起が存在しなかったの
か︑あるいは全く存在しなかったのか︑という疑問である︒もし必然的存在者︵昌oooωω母一ξo恩ω8三び︒ぼσq︶がな
ヘ ヘ ヘ へければ︑あらゆる仮定が可能になる︒そして︑何ものも永久の昔から存在しなかったという主張は︑宇宙を構成する
諸原因ということより不合理ではない︒では何かが無︵コ9三目ゆq︶ではなく存在するように限定するもの︑かつ他の
ヘ ヘ ヘ ヘ へ可能性を排除してある特定の可能性に存在を付与したものは何であったか︒外的な原因︵偽肩焼恥︑篭黛︑ ら貸ミ恥恥い︶は仮定で
ヘ ヘ へきない︒偶然︵急貸ミ鳴︶は意味のない言葉である︒それは無であったか︒しかし無は何も産出できない︒デメアは以
噛上のような議論をした後︑次のような結論を導く︒ ﹁われわれは︑それ故︑必然的に存在している存在に助けを求め
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ヘ へなければならず︑この存在は︑自分自身の存在の理由をそれ自体の中にもっているのであり︑またこの存在は︑明確
な矛盾なしには存在しないと想定され得ないのだ︒したがって︑そのような存在が存しているのだ︒すなわち一神が ︵錫︶存在しているのだ︒﹂
デメアのこのような神の存在についてのア・プリオリな証明に対してクレアンテスは次のように反論した︒クレア
ンテスはある事実をア・プリオリな議論によって証明しようとすることの不合理について︑先ず︑﹃人間知性研究﹄第
十二章﹁アカデミー派あるいは懐疑派の哲学について﹂︵Oh9①①8α①目客鶏自ωoΦ冥一〇巴勺三一〇ωo℃ξ︶で行ってい
るような議論をしている︒何ものもその反対が矛盾を含むものでない限り証明はできない︒しかし判明に思考できる
ものは何ものも矛盾を含んでいない︒われわれが存在するものと思考できるものはすべてまた非存在︵口OローO〆一ω一①づけ︶
としても思考し得る︒だからその非存在が矛盾を含むようなものは存在しない︒それ故︑その存在が証明され得るよ
うな存在者というものはない︒以上のような議論を︑神は必然的存在老とする議論に適用してみよう︒後者によれ
ぽ︑神の存在の必然性は︑われわれが神の全本性を知ったならぽ︑二掛ける二が四でないことが不可能であるのと同
様︑神の非存在は不可能であると説かれる︒ただ人間の能力が今日と同じに止まる限り︑そうしたことは起らない︒
われわれは何時でもわれわれの前に存在すると思考したものの非存在を思考できる︒また︑ある対象を常に存在し続
けると仮定する必然性の下にはいない︒おれわれの心が二掛ける二は四であると思考する必然性の下にあるのとは類
︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︵26︶を異にする︒従って︑ ﹁必然的存在という言葉は意味をもたない︒﹂
次にクレアンテスは︑カントのアンチノミー論に似た議論によって︑デメアの議論を反駁する︒クレアンテスは︑
対象の無限の継起をたどれぽ︑一つの一般的原因︵p︒σq①昌曾巴8彦①︶︑第一創作者︵h酵ωけ9⊆昏霞︶を問うことは不合
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D,ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
理であるという︒何故というに︑永遠の過去から存在しているものが︑どうして一つの原因を持つことができるだろ︐ ︵︶うか︒原因という関係は﹁時間における先行と存在の発端﹂を含意しているのであるから︑個々のものの特定の原因 ︵28︶を示せば︑全体の原因を問う必要はない︒ ﹁全体の原因は︑諸部分の原因の説明と同時に十分に説明されている﹂の
である︒ 以上が︑デメアの神の存在についてのア・プリオリな証明に対するクレアンテスの批判である︒しかしそれはま
た︑フィロの批判でもあった︒ということはそれは更に︑ヒュームの批判でもあったということである︒ ﹃対話﹄に
登場する三人の中で︑フィロはヒュームの思想に最も近い人物と看倣されるからである︒
神の存在についてのア・プリオリな証明を見たので次はア・ポステリオリな証明である︒クレアンテスは︑ア・ポ
ステリオリな証明の妥当性を次のように説く︒少し長いが引用しておこう︒ ﹁世界を見回してみたまえ︒その全体と
あらゆる部分をよくながめたまえ︒⁝⁝世界が一つの大きな機械にほかならず︑無数のより小さな諸機械に細分され
ているのを見出すだろう︒そしてまた︑この小さな諸機械が︑さらに細分を受け入れ︑遂に人間の感官や能力が跡づ
けたり︑説明したりすることのできる程度を越えてしまうに至るのだ︒これらすべてのさまざまな諸機械およびそれ
らのどれほど微細な諸部分であろうとも︑相互に一種の正確さで適合されており︑この事実は︑それらをかつて熟視
したすべての人々の心を奪って驚嘆の念を抱かせるのだ︒全自然を一貫している手段の目的への巧妙な適合は︑程度
は遥かに高いにせよ︑人間の工夫︑つまり人間の設計︑思惟︑知恵および知性への諸成果と正に類似している︒この
ような次第で結果が相互に類似しているからというので︑われわれは︑類比のあらゆる法則によって︑原因もまた類
似していると推論するに至るのだ︒また自然の創作者が人間の精神にある程度似ていると推測するに至るのだ︒ただ
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自然の創作者は︑彼が成就した作品の偉大さに比例して︑遥かに大きな諸能力を備えているだけの違いなのだ︒この
ヘ ヘ ヘ へ ヘ へようなア・ポステリオリの論証により︑またこの論法だけによって︑われわれは直ちに一神の存在と︑この神の人間 ︵四︶の精神や知性への類似性を証明するのだ︒L
フィロは︑クレアンテスの以上のような神の存在についての設計論的証明を様々な角度から批判する︒
フィμは先ず︑因果論に基づいて設計論的証明を批判する︒それは︑ ﹁特殊的摂理と未来の状態について﹂で展開
した議論をより詳しくより精緻にしたものである︒フィロが第一に指摘するのは︑﹁類比﹂が誤謬と不確実に陥りやす
いということである︒確かに家を見れば確実に設計者の存在を推論できる︒だが︑それと同じように︑宇宙を見れば ︵30︶その設計者としての神の存在を推論できるだろうか︒前者との類比で後者を導くには︑﹁空想をほしいままに遊ばせ﹂
なけれぽ不可能である︒ ﹁空想をほしいままに遊ばせ﹂る︑これは︑ ﹁特殊的摂理と未来の状態について﹂に出てい
た﹁空想力の翼﹂あるいは﹁専断的仮定﹂と同じ意味を持つものである︒ ︵31> またフィロは次のように論ずる︒ ﹁経験だけが︑ある現象の真の原因を⁝⁝指示する﹂という原理に従えば︑秩序
あるいは諸目的因の調節ということは︑それ自身では﹁設計﹂のあることの証明にはならない︒証明はただ秩序がこ
の原理に由来していることが経験される場合に限られる︒また人間や地の動物の中に見出される﹁思惟︑設計︑知 へ詑︶性﹂︵爵︒鑓σq9OΦω茜員冒8一=αq魯8︶は︑寒暑︑引力や斥力などと同じく宇宙の一つの原理に過ぎない︒確かにそ
うしたものによって︑特定の部分が他の部分に変化を及ぼすことは認められる︒だが︑ ﹁部分から全体へとある結論 ︹お︶がなんらかの的確さをもって及ぼされること﹂は可能だろうか︒人間や動物の理性︵﹃Φ勉ωO口︶や設計は︑微細で脆弱
であり︑また思惟も特権を持ち得る程のものでは到底ないのである︒
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D,ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
また︑人間の思惟や理性に類似している思惟や理性が全宇宙にゆきわたっていると仮定しても︑完成された世界の
機能が形成途上にある未完成な世界に確実に及ぶとは限らない︒自然は︑われわれの有限を経験からだけでも︑無数
の原理を持っており︑それは位置や立場の変化に応じて多様な形で現れる︒しかし︑ ﹁自然の一部がそれから非常に ︵43︶遠く離れた他の一部にとっての規準であろうか︒それは全体にとっての規準であろうか︒﹂
ここにまた︑ ﹁特殊的摂理と未来の状態について﹂でなされている議論が出てくる︒二つの対象が恒常的に結合さ
れていることが観察されたら︑﹁習慣﹂︵︒⊆ω8ヨ︶によって︑ある存在から他の存在を推論することができる︒フィ
ロはこうした議論を﹁経験による証明﹂ ︵Ω・蹟信ヨΦ旨h8日①×℃雲一①旨8︶と呼ぶ︒しかし対象が特異でしかも種的類
似を有さない場合には︑これは妥当しない︒宇宙︑神は種的類似を有さない特異な対象である︒もし︑宇宙の秩序が
人間の思惟といった原理によって生じたといい得るためには︑様々な世界の起源について経験を持つことが必要であ
る︒しかしわれわれはこうした経験を持たない︒家の構造と宇宙の発生の間に類似性があるというためには︑諸要素
の最初の配列に類似しているような自然状態を知る必要がある︒コペルニクスやガリレオの天文学は︑経験的観察に
基づいているのである︒以上は﹃対話﹄第二部で展開されている議論である︒ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑︵錨︶ フィロはまた﹃対話﹄第五部で次のような議論をしている︒ ﹁同様な結果は同様の原因を証明する﹂という証明は
経験に基づくもので︑クレアンテスによればそれは︑ ﹁唯一の神学的証明﹂︵誓︒ω20夢Φ90ぴq一8一卑Hαq露ヨ〇三︶であ
る︒この証明に従えば︑観察される結果と推論される原因が共に︑同様であればある程︑この論証はそれだけ強力に
なる︒しかし︑どちらかが逸脱すれぽ蓋然性︵℃吋Oげ四び一一一一嘱︶は減少し︑経験︵①×O嘆言︒馨.ヒュームは実験を経験と
同じ意味で使っている︶を決定的なものとしなくなる︒自然の作品の偉大さを証明している天文学における新発見
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は︑真の有神論の体系によれば︑﹁一神﹂︵僧∪Φ一筆︶にとって有利だが︑クレアンテスの﹁経験論的有神論﹂︵①×O興聴
巨Φ三巴島①冨ヨ︶によれば︑人間の技術︵餌陰︶の結果への類似から更に遠くへ結果を移動させることによって一層多
くの反対論を惹き起こす︒このように推論すると以下のような答えが導かれる︒第一に︑神に無限性を与えることは ︵36︶できなくなる︒ ﹁原因は結果にもっぱら比例させられている﹂はずであり︑また︑結果は﹁われわれの認識の範囲内 ︵訂︶にある限り無限ではない﹂からである︒神を人間という被造物との類比から遠ざけることによって︑最も専断的な仮
定に落ち込み︑同時に神の存在証明を弱めている︒また第二に︑神に完全性を帰する理由もない︒自然の作品の中に
は多くの因難があるが︑もし完全な創造者をア・プリオリに証明できれば簡単に解決するが︑上の原理に従えばこれ
らの困難は現実となる︒即ち︑上の原理に従えば︑人間の技術と神の技術との類似の実例が増えるからである︒少な
くとも︑この体系が大きな欠陥を持っているかどうか︑また︑他の体系と比較して賞賛に値するかどうか︑について
は︑われわれの有限な見解から何も言うことはできないのである︒それは︑農夫が﹃アェネェイス﹄︵︾鴨謹ミ︶を読ん
で聞かされたとしても︑この詩に全く欠陥がないと宣言できないのと同様である︒更に︑世界がたとえ完全な作品で
あったとしてもすべての卓越性が製作者︵≦o時日碧︶に帰せられるかどうかは確実ではない︒そして第三に︑神の
単一性も証明できない︒家を建てたり︑船を作ったりするには多くの人々の協力がなけれぽできない︒であれば︑世
界を考察し形成するのに何故多くの神々が協力し合わないのか︒寧ろそうあってこそ人間と神が類似しているといえ
るのではないか︑とフィロは説く︒
そしてフィロは︑そこから新しい考えを展開し始める︒
⁝叫 新しい思考様式の展開 ︵
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
以上︑ ﹃対話﹄の中で︑特に重要と思おれる第五部と第二部を取り挙げ︑フィロの設計論的証明批判を見てきた︒
要約的に言えば︑因果論よりすれば︑人間の設計から神の設計を﹁類比﹂によって推論することは︑専断的仮定を持
ち込まない限り無理である︵第二部︶︑また︑経験論的立場から推論していけば︑神の無限性︑完全性︑単一性︑とい
った設計論的証明が前提とする神の概念が成立しなくなる︵第五部︶︑ということであった︒
フィロの︑従ってヒュームの︑設計論的証明批判は︑ロックに始まりパークリに継承された経験論的汰間学を形成
・発展から確立に向かわせる大きな前進であった︒既に述べたように︑ロックやバークリが思考を神ではなく人間か
ら出発した点では︑彼等の知的体系は人間学と言ってよく︑また︑人間の理性よりも人間の経験の方を重んじたとい
う意味で彼等の人間学は経験論的人間学であった︒しかし彼等の経験論的人間学にはまだ中世的なキリスト教神学の
影響が根強く残っていた︒彼等は進んでキリスト教神学を批判しなかった︒否それどころか︑説明がつかないとこ
ろ︑あるいは議論が進まないところでは︑キリスト教神学に助力を求めた︒だがヒュームは︑キリスト教神学に助力
を求めようとはしなかった︒キリスト教神学を真正面に据え︑上述したようにこれを批判したのである︒しかし︑そ
れはキリスト教神学批判にのみ止まらなかった︒そこから思考の新しい地平が拓かれることになった︒即ち︑﹁生成﹂
を中心とする自然一生成−作為という三分法的思考様式が︑ヒュームの設計論的証明批判の中から展開されることに
なったのである︒これは︑ギリシア以来︑中世を通して西洋の伝統であった自然1作為という二分法的思考様式の批
判・克服ということを意味する︒いやそればかりではない︒近代のデカルトに由来する合理論的人間学の思考様式
が︑自然−作為の二分法であることを考えると︑ヒュームの三分法的思考様式の展開は︑合理論的人間学の批判.克
服をも意味しているといえるのである︒
61
では︑フィロの口を通して説かれているヒュームの新しい思考の地平を見ることにしよう︒それは︑ ﹃対話﹄の第
六部と第七部で展開されている︒
クレアンテスは︑上に述べたように︑ ﹁同様な結果は同様な原因を証明する﹂という経験主義の原理に立っていた
が︑それと同じ確実性を持ったものとして﹁多くの知られた事情が類似的であるのが見られる場合︑未知の事情もま ︵38︶た類似的であるのが発見される﹂という原理が考えられる︒ところでこの後者の原理を宇宙に適用すると︑人間の有
限の知識をもってする限り︑宇宙は人間の設計の作品に似ているといわんより︑動物︑人体により一層類似してい
る︒宇宙を構成する要素の絶えざる循環は︑無秩序をもたらしはしない︒各部分の消耗は不断に補給される︒極めて
緊密な﹁共感﹂︵ω図§冨昏ど共感はここだけでなく︑ヒュームの社会科学の中心に位置する概念であることに注意す
る必要がある︶が宇宙全体を通して認められる︒そして各部分は本来の任務を果たしつつ︑自己の維持と同時に全体
の維持のために働いている︒で︑フィロは次のように言う︒ ﹁世界はそれ故に︑僕の推測では一種の動物なのだ︒そ ︑ ︵39︶して神は︑世界の魂であり︑世界を働かせており︑また世界によって働かされているのだ︒﹂ここにはクレアンテス
と非常に違った考えが説かれている︒クレアンテスは心︵知性︶と身体とを別々のものと考え︑心を専ら問題とした
がフィρは心と身体は同時的で分離不可能なものと主張している︒そしてこのブイロの考えは当然︑神と人間の関係
にも及ぶであろう︒ ︵40︶ ところでここで突然﹁新しい思想﹂︵同筆Φ心遣︒帥︶がフィロを襲った︒それは︑もし宇宙が人間の作ったものより
も︑動物や植物に類似しているならぽ︑宇宙の原因や起源も理性や設計よりも寧ろ︑﹁産出﹂︵ゆq①口︒鑓謡︒昌︶や﹁成長﹂
︵<o︒q①富二8︶に帰せられるということ︑これであった︒フィロは次のようにいう︒ ﹁世界は時計とか編織機に似て
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D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
いるというよりも︑むしろ﹁匹の動物や一本の植物に明らかによりょく類似している︒世界の原因は︑それ故︑一層
ありそうなことなのだが︑後者の原因に類似している︒後者の原因とは産出ないし生長だ︒世界の原因を︑それ故︑ ︵41︶われわれは産出ないし生長に類似ないし類比している何かであると推論してよいであろう﹂と︒ ︵42︶ 扱て︑フィロによれぽ︑この人間の住む世界には︑その原因について四つの原理がある︒即ち︑本能︵一一ωけ一︼POけ︶︑
生長︑産出︑そして理性の四つである︒しかも︑フィロによれぽ︑これ等の原理の結果は︑われわれの経験からすべ
て知られているが︑しかし原理そのもの︑またその作用の仕方は全く分からない︒しかし確かなことは︑人間の住む
この世界で観察されることは︑多くの場合︑理性が産出から発生している︑ということである︒フィロは次のように
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ言う︒ ﹁一本の樹木は秩序と組織を他の木に付与するが︑この木はその秩序を知ることなしに元の木から発生してく
るのだ︒﹁匹の動物は︑これと同じようにその子孫に︑一羽の鳥はそのひな鳥に秩序と組織を付与する︒そしてこの
種の実例は︑理性と考察から生ずる秩序の例よりもこの世界でははるかに一層ひんぱんである︒動物や植物にみられ
るこれら一切の秩序が︑究極的には設計から由来するということは︑先決問題要求の虚偽を犯すことだ︒⁝⁝われわ
れの限られた不完全な経験によって判断すれば︑産出に理性よりもいくつかの特典をもっている︒なぜならわれわれ ︵43︶は毎日︑後者が前者から生ずるのを見ているが︑前者が後者から生じるのは︑決して目に見えないからだ︒﹂
以上が︑フィロを突如襲った﹁新しい思想﹂の内容である︒それを要約すれば︑人間の住むこの世界の原因として
は︑本能︑生長︑産出︑理性の四つの原理がある︑それ等の原理の結果は知られるが︑原理自体またその作用は分か
らない︑多くの場合︑理性は産出から発生している︑ということであった︒
扱て︑ここで︑上の四つの原理についての用語の使い方やその内容について少し指摘しておきたい︒先ず本能とい
63
︵44︶う用語であるが︑ここではフィロは殆ど何も語ってない︒ヒュームは他の著作の中で︑本能を理性に対立するものと
して︑人間性に生来的に植えつけられている生命愛とか子供への愛情等の意味で使っている︒しかしここではそうし
た意味だけでなく思考様式の一つとしても使っている︒従って自然と言い換えてもよいかと思う︒また︑フィロは理
性と設計を同じ意味で使っている︒設計は作為−理性による作為︑設計という作為iに含まれる︒従って︑理性
も作為と言い換えてもよかろう︒そうすると︑この世界には︑自然と生長と産出と作為の四つの原理があることにな
る︒ 次にこれ等四つの原理の内容についてであるが︑フィロは︑生長と産出を区別し異なった原理としているが︑そこ
までする必要があろうか︒それは︑フィロがこの四つの原理を持ち出すまでの経過を見てもその必要はないように思
える︒恐らく︑フィロが世界は動物に類似していると言ったのに対し︑クレアンテスが﹁世界は動物というより植物 ︵砺︶の方に一層より強い類似を帯びている﹂と言い返したので︑その反論をも受け容れ︑生長といった原理を持ち出した
のであろう︒しかし上の引用文︑即ち︑﹁一本の樹本﹂から﹁付与する﹂までの文章からも窺えるように︑少なくとも
フィロにおいては︑生長と産出は同じような機能を持つものと理解されている︒それ故︑私は︑生長と産出を共に含
む原理を表現するような用語を用いても︑決してフィロ︑即ちヒューム︑の考えを損なうことにはならないと思う︒ ︵妬︶私がこれまで使ってきた用語で当てると︑ ﹁生成﹂︵αq魯︒轟鉱8︶という用語になろう︒従って︑もし右の議論にし
て正しければ︑フィロは︑この世界の原因として︑大きく言えば︑自然︑生成︑作為の三つの原理を考えていたと言
っても差し支えないであろう︒ということは︑フィロは三分法的思考様式を提示した︑といってよいということであ
る︒ フィロを襲った﹁新しい思想﹂とは︑実はこの自然1生成一作為という三分法的思考様式のことだったのであ
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D.ヒュームの経験論的人閲学の研究(二)
る︒そしてこのミ分法的思考様式は︑ヒュームの入間学を構成するすべての領域を通して見られる思考様式である︒
ではこのような三分法的思考様式を内容とする﹁新しい思想﹂はいかにして導かれたのであろうか︒結論を先に言
えば︑それは︑ヒュームの因果論に現実に対する観察︵即ち︑経験︶が加えられて導かれたのであった︒ヒュームの
因果論については第二章で詳しく述べるが︑要するにそれは︑谷︒ξ8易巴︾な因果論︑即ち︑原因と結果の関係は
非常に複雑であり︑両者の関係は﹁義的にこれを規定し得ないというものであった︒分かり易く言えば︑ある結果に
対する原因は一つでなく多数の原因が考えられるし︑またある原因に対しては一つの結果ではなく多数の結果が考え
られ得る︑ということである︒そしてこのようなヒュームの谷︒ξo伊二︒a巴︾な因果論は︑キリスト教神学批判︑従っ
て設計論的証明批判ばかりでなく︑合理論的人間学の批判にも適用されたのであった︒
拙著﹃東西思想の比較﹄の第二章において既に論じておいたように︑キリスト教神学の思考様式は︑自然−作為の
二分法である︒それは︑近代の合理的なキリスト教である自然宗教においても同様である︒いな神の存在についての
設計論的証明において︑それは露骨といってよい程明瞭に示されている︒人間の理性が作為の主体であり︑家や船が
作為されたもの︑つまり自然である︒そしてこのような人間と家等との関係が類比によって︑神と宇宙の関係に及ぼ
される︒即ち︑神の理性が作為の主体であり︑宇宙が作為されたもの︑つまり自然ということになる︒そこでは作為
の主体と作為されたもの討自然との間の関係は一義的に規定されている︒即ち︑キリスト教神学は︑︽ヨ︒昌08二ω9︒一︾
な因果論をしているのである︒ヒュームが特に設計論的証明を選びこれを批判したのは︑かかるキリスト教神学の因
果論の特徴がその中にとりわけ明瞭に示されていたからであった︒ヒュームは︑ロックやパークリから受け継いだ経
験主義的方法を更に発展させ︑それをもってキリスト教神学の因果論を批判したのであった︒しかもヒュームがキリ
65
スト教神学の因果論も批判したのは︑単に純粋に学問的関心からだけではなく︑キリスト教が社会にもたらす様々な
問題の原因がキリスト教神学の因果論と密接な関係を有していると考えたからであった︒後者の問題は次節で述べる
として︑ここでは︑ヒュームが発展させた経験主義的方法を設計論的証明に適用した場合どうなるかについていま少
し説明を補っておこう︒
経験主義的方法を設計論的証明に適用すれば︑神の無限性︑完全性︑単﹁性は成立しないと上に述べたが︑その中
の神の単一性の不成立を議論している箇処で︑フィロは次のようなことを述べている︒ ﹁必要もないのに原因を多様
化することは︑確かに真の哲学に反する︒しかしこの原理は︑目下の例には当てはまらない︒一神が⁝⁝前もって証
明されたとし︑この神が宇宙の生産に必要なあらゆる属性を備えていたとすれば︑その他いかなる神が存在すると想
定することもなるほど︵不条理ではないにせよ︶不必要であろう︒しかしこれらすべての属性が一主体の中に結合さ
れているのか︑それとも︑かなりの独立の諸存在の間に分離されているのかが︑なお一つの問題として残されている ︵74︶間は︑われわれは自然におけるどのような現象によってこの論争にあえて結着をつけることができるであろうか︒﹂
ここには明らかに︑︽ゴPO昌OO鋤=ω9一︾な因果論に懐疑が表明され︑谷︒貯8¢の巴︾な因果論の有効性が主張されている︒
またこの文章の直ぐ前でフィロは次のように述べている︒﹁人間ほどに愚昧で︑人間ほど欠陥だらけの被創造物で
も︑一つの計画を形成し成就するのにしばしぼ団結できるとすれば︑われわれよりも段ちがいに完全であると想定で ︵48︶きるあの神々ないし鬼神は︑ 一層協力できるか知れないではないか︒﹂この引用文をこの前の文章の続きの中で判断
すれば︑フィロは︑一つの結果が多数の原因の結合によってもたらされていることを︑現実の人聞や社会に対するわ
れわれの観察は示しているので︑この観察を宇宙の成立に適用すると︑多くの神の存在が想像でき︑それ等の神々の
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協力によって宇宙は出来たとも考えられる︑というのである︒つまりもっと直裁に言えば︑経験主義的方法を設計論 ︵49︶的証明の議論に徹底的に適用すれば︑多神教に帰することになる︑とこうなる︒
最後に指摘したいのは︑空間が拡大すれば︑原因と結果の関係もより複雑になる︑ということである︒これはヒュ
ームの﹁類比﹂の考えからくる当然の帰結であるが︑例えば︑フィロが人間の住むこの世界には︑本能︑生長︑産
出︑理性の四つの原理が存すると説いた直ぐ後︑次のような文章がきている︒ ﹁もしわれわれが遊星から遊星へ︑体
系から体系へとこの偉大な構造物のあらゆる部分を調査するために旅行できたとするならぽ︑宇宙の巨大な広がりと .︵50︶多様性の中に︑どれほど多数の他の諸原理をわれわれは当然のこととして想定できることだろう︒﹂
四 ヒュームの﹁真の宗教﹂1結びに代えて一
D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
以上のようにヒュームはキリスト教神学を徹底的に批判した︒そのためヒュームは無神論者という非難を受け︑当
時の社会や教会から屡々迫害された︒しかしヒュームは決して無神論者ではなかった︒彼は懐疑主義者だったのであ
る︒ヒュームは合理主義に懐疑の目を向けたようにキリスト教神学にも懐疑の目を向けたのである︒ヒュームは﹃対 ヘ ヘ ヘ へ話﹄の最後のところで︑フィロの口を通して実に興味深い考えを述べている︒ ﹁神の共感と寛大さを受ける資格を持 ︵51︶つ唯一の人たちは︑哲学的懐疑論者ということになろう﹂と︒また︑ ﹁哲学的懐疑論者であるということは︑一文人
︹一知識人︺にとっては︑健全で信仰を持ったキリスト教徒であるための︑最初のそしてもっとも本質的な第一歩な
︵52︶のだ﹂と︒この二つの文章は明らかに︑懐疑主義とキリスト教とが対立しないものであるばかりか︑懐疑主義的思考
を持つことがキリスト教徒にとって不可欠である︑と説いている︒即ちヒュームは︑キリスト教にとって懐疑主義の
67
持つ積極的意義を認めているのである︒しかしヒュームはロックやバークリ︑あるいはニュートン等と違って︑キリ
スト教の信者ではなかった︒
ヒュームはキリスト教が当時の社会に様々な害を与えていることを認めその原因がキリスト教の﹁不寛容﹂からき
ていると考えた︒ ヒュームが一神教︵ヨO口OけげΦ一ωヨ︶よりも多神教︵bo言合Φ目当︶により親近性を示したのもそのた
︵53︶めである︒ ﹃宗教の自然史﹄の第九節の中でヒュームは︑一神教よりも多神教の方がより寛容であったことを実証し
ている︒ ﹁神の単一性を持続してきたほとんどすべての宗教の不寛容は︑多神教徒のこれと反対の原理と同じく顕著
︵騒︶である︒﹂﹁多神教はきわめて社交的なので︑たまたまこれと反対の宗教の中に極端な苛烈さや反感に出会っても︑そ ︵55︶れがため嫌悪の念をいだいたり︑疎遠な気持をもったりすることがほとんどない︒﹂ヒュームは多神教に纒い付いて
いる無知や不合理性には批判的であったが︑上の引用文からも明らかなように︑寛容な多神教に好意を示し︑一神教
の不寛容を厳しく批判した︒
問題は︑一神教であるキリスト教が何故︑不寛容であるかということである︒ヒュームはその原因の一つ︑恐らく
最も大きな原因︑がキリスト教神学の︽ヨ088口ω巴︾な因果論に存すると考えた︒その原因と結果の関係を一義的
に規定しようとする因果論は︑多様な原因︑多様な結果の存在可能性を排除する︒人間の作った家や船や機械はとも
角︑それ等よりもっと複雑な構造を持つ植物や動物に関わる現象はそうした因果論では説明がつかなくなる︒また︑
空間も狭い範囲の現象であれば︽ヨ088二ω巴︾な因果論でも有効性はあるかもしれないが︑空間が拡大すれぽ︑現
象に関する因果関係は当然複雑になる︒ヒュームが対象とした社会は勿論︑スミスの用語を使えば︑ ﹁大きな社会﹂
︵αqδ碧ω09①ξ︶であった︒この社会は分業の発達した複雑な社会である︒このような社会の現象は︑︽ヨ︒ロoo9ロω巴︾
68
D.ヒュームの経験論的人間学の研究(二)
な因果論では十分解明できない︒多くの原因が考えられる︒ということは︑多くの異なった考えが生じるということ
である︒であれば︑そうした多くの異った考えに対し寛容な態度が社会的に求められねぽならない︒ロックも寛容を
説いたが︑カトリック教徒や異教徒に対してはそれは除かれていた︒これに対しヒュームは︑異教である多神教に寛
容を認めたのである︒
ヒュームは︑懐疑論者であり無神論者ではなかったが︑キリスト教徒でもなかった︒またヒュームは︑多神教に非
常な好意を示したが︑しかしいかなる多神教の信者でもなかった︒ではヒュームはいかなる宗教も求めなかったか︒
いやそうではない︒ヒュームは﹃真の宗教﹄︵嘗二①着目ぴq凶8︶の存在を認めそれを追求℃ようとしたが︑しかし殆ん
ど展開することなく終った︒だが︑﹃対話﹄の最終部から︑真の宗教が︑極めて内面的な宗教であり︑しかも︑他の
宗教に対してばかりでなく︑社会的な価値一学問の独立︑政治や経済の自由といったもの一に対して寛容な宗教 ︵56︶であることが推測できる︒ヒュームのいう真の宗教が極めて内面的な宗教であったことが︑後に﹁信仰主義﹂の発展
に大きな役割を果たし︑キェルケゴール等に影響を与えていくことになったと思われる︒筆者は︑ヒュームの真の宗
教の内容が︑K・ヤスパースのいう﹁哲学的信仰﹂に近いものではなかったかと考えているが︑これは既に本研究の
範囲を超えている︒
︵1︶ い︒︒閃ρ匂ごト論肉︒・陸鳥§鍵ミ§頓ミミ睾qミミ無亀ミ§偽︑ε・◎︒O−りO・邦訳︑大槻春彦訳﹃人間知性論﹄︵岩波文庫︑H︶ 注
第一巻四章参照︒ ここでは﹃人間知性論﹄によってロックの宗教論を論じたが︑ ﹃自然法論﹄ ︵的鈎亀勃§導恥い貸§ミ
き帖ミ恥︶︑﹃キリスト教の合理性﹄︵↓富肉ミき謹ミ§窃吻駄O魯識箕貯ミ耐塁織納期qミミミ三三⑦ミもミミHΦ㊤bQ︶︑﹃寛容に関
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する書簡﹄︵︾いミ怖ミ亀§ミミ轟↓ミミミご§H①︒︒甲①︶︑ ﹁奇蹟論﹂︵﹀∪おoo霞ωΦoh夕月⇔90︒・噂ミObこ︶などにも言及しな
ければロックの宗教論を扱ったことにはならないが︑ここでの議論は︑ロックの経験主義とキリスト教︵神学︶との関係で
あるのでこれ等の著作に直接触れることはしなかった︒
︵2︶ ドoo醤ΦD罰Hぴ達ご︐置9前掲邦訳のこ〇九頁︒
︵3︶ Ho良P旨D矯Hげ峯.や︒︒O卜︒.前掲邦訳・二五四一五頁︒
︵4︶口§ρ∪ご.︑oh冬§奮︑︑ぼ吋ミミ§︒§ミ惹蚕糞§qミ§縣§§鋤§犠8§ミき︒︒§垂雪廿§︒︑さミ・.−
Ωp︒お口畠︒昌写︒ωω○籠oa.O﹂置●
︵5︶ A・D・リソゼイは﹁バークリはロックの直接の後継者﹂と述べている︒ ピぢ匹鐸ど﹀●O﹂..ヨ霞︒臼9帥︒昌..冒冨寒ミ
↓ミミヒ&類︒・き斜国ぐ①蔓筥9昌︑ωい凶酵曽ざ戸く凱参照︒バークリについても﹃シリス﹄ ︵O聴黄嵩澄︶その他にも言及しな
ければならないのであるが︑ここでもロックの場合と同じ理由で︑﹃人知原理論﹄によって論じた︒
︵6︶ 国庫旨①U..肉蕊ミミ題.潤窃9ロ﹂●
︵7︶ バークリ﹃人知原理論﹄︵大槻春彦訳︑岩波文庫︶ 一六五頁︒
︵8︶ 同右︑九一頁︒
︵9︶ 尚︑イギリスの経験主義とキリスト教の関係について論じたものとして︑特によく纒っているのは大槻春彦﹁イギリス古
典経験論における神と人間﹂︵﹃白山哲学﹄第七号︑昭和四十五年三月号︶である︒本論でも多くの教示を得た︒
︵−o︶ カント﹃純粋理性批判﹄︵﹃カント全集﹄第五巻︑原言訳︑理想社︶三〇九頁︒
︵11︶留=客帥円音二..冒ぎ9︒ぎロ.︑ぎ寝ミ轟ミ鮪O§︒ミミ高き蛛ミミさ︑畦§.℃︒昌αqa昌Ω鎖︒︒ω蕊H80も・刈・
︵12︶国巨巨詳目即国ごミミu≧馬§§§儀§ミ織讐ミ讐§ミu閃①ぐ冨臣︸夢卸d昌ぎ︒hZ①げ冨玲餌津①ωP這︒︒9
第﹁章参照︒同著のヒュームの設計論的批判の議論は欧文の中でも最もよく纒っている︒第九章参照︒
︵13︶ ニュートン﹃プリンキピア﹄の退際注﹂については拙著﹃東西文明の比較﹄︵成文堂︑平成元年︶一五五1六頁を参照︒
またニュートン﹃光学﹄︵阿部・堀訳︑岩波文庫︶三二七!八頁参照︒
︵14︶国ζヨρ∪こ↓ぎさ︑ミミミ無ミヒミ知ミ鷺§.↓詳℃ミ喜憂ミミミミ瀞・・<︒ピ心・巴二三︿①ユ餌咀﹀器βo・ω①一邦
訳︑福鎌忠恕・斎藤繁雄訳﹃宗教の自然史﹄︵法政大学出版局︶︑一〇︸頁︒
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