D ・ヒ
ーヒューム社会 ユームの経験論的人間学の研究︵十三︶
科学の基礎︵二﹀
序文第一章 ヒュームのキリスト教神学批判
︵第四十一・二号︶
第二章 ヒューム体系の哲学的基礎
第﹁節ヒュームの知覚論︵第四十三号︶
第二節 ヒュームの因果論︵第四十四・五号︶
第三章 ヒュームの方法論
第一節 懐疑主義と自然主義︵第四十六号︶
第二節 ヒュームの道徳哲学方法論
︵i︶ 近代自然科学の方法論
︵h> ヒュームの実験的・経験的方法論
︵以上四十七号︶
︵⁝m︶ ヒュームの歴史的方法論︵第四十八号︶
︵短︶ ﹁存在﹂と﹁当為﹂の問題
第四章 情念について
古賀勝次郎
第
第第五第 第第第第第
範3齋章奮麗瓦器論爵
ヒ
窪華皆遷擁曇耀饗
論灘あ纏程畠謡曲蓉雛畠
道利徳道先科 徳思量徳駆学 感主批論者の 覚義判 達基 論_ _礎
と§争にと 人冨 つ卵
責邑 情
と係し
て? 同一性の関係
﹁知覚の束﹂としての心︵第四十九号︶
情念の分類
間接的情念と直接的情念
必然と自由について良由意志論争
両立説︵OO§O鋤け=︶一一一ωヨ︶︵以上第五十号︶
必然と自由と人間の責任
庸念と理性
ヒュームの先駆者達︵以上第五十一号︶
ヒュームの道徳論
合理主義道徳論批判
利己主義と利他主義︵以上五十二号︶
ヒュームの道徳感覚論
1 早稲田社会科学研究 第53号 96(H.8).10
(1)
﹁自然﹂概念の転換
㈲ 古代・中世の自然概念
㈲ 近代の自然概念
ω 合理主義の自然概念
︵以上本号︑以下続く︶
㈲ 経験主義の自然概念
㈲ ロック︑バークリの自然概念
㈲ 道徳感覚学派の自然概念 第六章第七章第八章第九章 ㈲ ヒュームの自然概念勿ヒュームの道徳感覚論馴スミスの道懸紐論共感︵ω鴫ヨO山けげく︶についてヒュームの正義論統治論近代の経済社会
2
第五章 ヒューム社会科学の基礎
第二節ヒュームの道徳論
ヒュームの道徳感覚論
ω ﹁自然﹂概念の転換
さてこのあたりで︑先に約束していたように︑﹁自然﹂の概念についてまとめて論じておこう︒もっとも﹁自然﹂
の概念に関しては︑このヒューム研究の最初に︑さもなければ少なくともその情念論に進む前に議論しておくべき
であったかもしれない︒周知のように︑ヒュームの学問体系は人間学︵ωO一ΦコOO Oh 竃poづ︶であり︑その人間学は
人性に基づいている︒人性︵げ二﹁P四コ コ①け偉門Φ︶とは人間本性︑即ち人間の自然︵昌曇霞Φ︶のことである︒ヒューム
D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
がその主著の表題に工寒ミ曾ミミ§§さミミを選んだのも︑自らの学問体系の基礎をなしている人間本性︑
人間の自然を論じ人間学の全貌を明らかにせんがためであった︒それ故︑ヒュームの人間学の一芸として﹃人性
論﹄︑の第︸篇で述べられている一哲学的基礎も︑当然ながら人間の自然に関わっているので︑その哲学的基礎も
﹁自然﹂かち論じておくべきだったかもしれない︒しかしヒュームが︑人間の自然を具体的に叙述することになる
のは﹃人性論﹄第二篇からである︒だが同第二篇は﹁自然﹂の概念の吟味など行うことをせず︑直ちに情念の内容
に入っている︒ヒュームが﹁自然﹂の概念をややまとまった形で取り挙げているのは︑﹃人性論﹄第三篇第二節
﹁道徳的区別は道徳感から来る﹂の最後のところで︑同第二節に一応の締め括りをつけると共に︑同項三篇第二部
第︸節﹁正義は自然的徳か作為的徳か﹂︵..冒ω叶搾P≦訂昏興鋤爵ε憎巴oN霞三宮息巴≦﹁9①.︑Vへと繋げている︒私が
ここで自然の概念について取り挙げようとするのは︑まさにこのためなのであるが︑しかしそこでのヒュームの自
然概念の吟味は不十分である︒従ってヒュ〜ムの自然の概念を理解するためには︑そこだけではなく︑﹃人性論﹄
の他の箇処︑またその他の著作に見られる自然を検討することがどうしても必要となる︒
ヒュームの人間学は︑人間の自然に基づいている︒自然には一以下に見るように一様々な意味があるけれど
も︑それらの意味を統御しているという意味で最も重要なのは︑﹁本性﹂である︒自然が本性という意味を有して
いることは︑ギリシア以来今日まで変らない︒従ってi繰り返しになるがi入間の自然とは人間の本性という
ことであって︑人間の本性によって浮き上がってくる姿である︒しかし︑本性の内容︑意味は︑時代によりまた思
想家によって異なっていた︒それは時代や思想家によって自然の理解︑捉え方が達っていたからである︒古代ギリ
シアの自然︑中世の自然︑近代の自然は︑それぞれ概念的に異なっていた︒また近代においても︑合理主義者の自
3
然概念と経験主義者の自然概念との間にはかなり距りがあったが︑同じ経験主義者でも︑ロックやバークリなどと
ヒュームのそれとの間にも非常な違いが見られるのである︒ヒュームの人間学はその基礎をなしている人間本性を
理解してはじめて把捉できるが︑その人間本性はヒュームの自然理解によって規定されている︒ところが上述のご
とく︑ヒュームの自然概念は︑古代・中世の自然概念とはもとより︑近代の合理主義者のそれとも︑そしてロック
やバークリなどの経験主義者のそれとも違っていた︒自然概念に関して︑古代・中世の自然概念と近代のそれとの
間に大きな転換があったが︑ヒューム以前の経験主義者の自然概念とヒュームのそれとの間にも大きな転換があっ
たのである︒それ故︑ヒュームの自然概念︑ヒュームの人間本性を理解するには︑その前に︑ギリシア以来の自然
概念の歴史を知っておく必要がある︒
㈲ 古代・中世の自然概念
今日使われている﹁自然﹂︵づ讐霞Φ︶のギリシア語の語源はピュシス︵勺ξ匹ω︶である︒ピュシスには大きくい
えば︑①素材︑存在︑②成長︑生成︑③存在全体︑④本性︑本質︑といった意味がある︒ピュシスは動詞
ピュエイン︵Oξ①冒︶に由来し︑能動態で﹁生む﹂︑受動形で﹁生まれる﹂などを意味しており︑生成︑成長がピ ︵1︶ユシスの本来の意味だったといわれる︒しかしそれも︑その前提に素材や存在というものがあって生長や生成と
いう概念も出てくるのではないかとも思われる︒そうして︑素材や存在︑そしてそれらの成長や生成を観察し︑そ
の観察の範囲を空間的︑時間的に拡大していくことによって︑次第に存在全体といったものを認識していったので
あろう︒だが︑ピュシスが本性や本質といった意味を有するようになったのは如何にしてであろうか︒
これについては︑研究者の問にも色々な説があるようだが︑大体次のような理由が考えられよう︒ω 素材や存
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
在の多様性や変化を観察し︑その中に共通するもの同一のものを求める知的欲求が起こり︑それに本性︑本質を認
めるようになった︒② 社会的存在−慣習︑法︑政治制度など一の多様性と変化を観察し︑その中に普遍的な
もの変らざるものを求める知的欲求が起こり︑それを本性︑本質として認識するようになった︒⑧ 論理的斉合性
を求める知的欲求が起こり︑それをより根本的なものから遂げようとするが︑そのより根本的なものを本性︑本質
と認めるようになる︒㈲ 存在全体を統一的に把捉しようとする知的欲求が起こり︑それがより根源的なものへの
探求に向わしめ︑そのより根源的なものを本性︑本質と認識するようになった︒
恐らく以上のような過程を経て︑ピュシスは本性︑本質という意味を獲得することになったと思われる︒つま
り︑ピュシスの中に︑共通性︑同一性︑普遍性︑不変性︑根本的なもの︑根源的なものを求める知的欲求が︑本
性︑本質という意味を生んだのである︒思うに︑こうした知的欲求の営為を﹁哲学﹂︵〇三一〇ω8三9N9四一〇ω+ωo・
9雷一1愛車︶といい︑それを行う者を﹁哲学者﹂︵ロ巨︒ω090ω︶というのであろう︒すべての存在の根源を水とし
たターレスを︑アリストテレスが哲学の祖と呼んだのも︑こういうことだったのだろう︒
ところで︑ピュシスが本性︑本質といった意味を獲得することによって︑ピュシスはノモス︵8ヨ︒ω︶︑即ち慣 ︵2︶習︑法︵律︶︑政治制度といった人間と関わる存在︑と対概念︑そして次第に対立概念となっていく︒最初にピュ
シスとノモスを対概念として使ったのはヒッポクラテスといわれ︑ヒッポクラテスは︑肉体の特徴がピュシス︵素
質︶とノモス︵慣習︶の両者によってもたらされると論じた︒そこでは︑ピュシスとノモスは対立的関係としてで
はなく︑相補的関係として描かれている︒
ピュシスとノモスを対立的関係として初めて描いたのはソフィストのアンティフォンで︑それはアンティフォン
5
がピュシスを絶対化したことから起こった︒当時は︑小さな共同体が多数並存していて︑それぞれの共同体には独
自の法があった︒しかしアンティフォンは︑それぞれの共同体が持っている法は時間や空間に制約された相対的な
もので真の法ということはできない︑真の法はそうした制約を超えた普遍的︑絶対的なものであるとした︒そし
て︑前者の法を実定法︵8ヨ︒勉貯蝕8︶︑後者の法を自然法︵Oξω9象暴露8︶といって︑自然法の優越性︑絶対
性を主張したのである︒明らかにここではピュシスとノモスとは対立関係にある︒
しかしソクラテス以後︑哲学者の関心が次第に人間あるいは人間的なものに移っていくに従い︑ピュシスとノモ
スの対立的関係はより深まっていった︒ソクラテスは著作を残さなかったけれども︑その思想はプラトンやアリス
トテレスによって継承・発展された︒彼等の思想は︑形相︵Φ置︒ω︶と質料︵ゴ覧Φ︶の対概念を軸として構成され︑
しかも形相が質料に対して優位を占める︑といった構造をとるようになった︒ここに︑ハイデガーがいうように︑ ︵3︶本質存在︵ΦωωΦ暮凶鋤︶と事実存在︵①×圃ω器づ島⇔︶との分裂が生じることになる︒つまり︑ピュシスとノモスとの対
立関係がより深まったということである︒そして︑前者が後者に優位するという思考様式が︑その後の西洋思想を
決定的に規定することになるのである︒
プラトンの思想はイデア︵乙爵︶を中心に構成されている︒プラトンはピュシスのより本質的なものとしてプシ
ュケー︵魂︒Oω鴇冨︶を考える︒それは質料と鋭く対立するもので︑イデアはそれを理念的に表現したものであ
る︒プラトンのイデア論によれば︑世界はイデア界と目に見える現象界の二つからなり︑前者が真実の世界である
とされる︒ハイデガーに従えば︑前者が本質存在︑後者が事実存在ということになる︒
さて︑プラトンにおいては︑現実の現象界は︑イデアと質料とが混合して成ったもので︑その混合を惹き起こす
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
のがデミウルゴスという神である︒デミウルゴスは︑最至高のイデアである善が神話的に人格化されたものと考え
られる︒このようにプラトンの世界観は︑イデアが作為の主体で︑現象界はそのイデアによって作為されたもの︑
という形をとっており︑そうした作為されたものという意味で︑現象界を自然ということができる︒そしてその現
象界という自然にはイデアが浸透しているのであるから︑プラトンの自然も︑ギリシア時代の他の哲学者と同じ
く︑神的︑精神的なもの︑従って有機体的なものであった︒また︑プラトンの自然観が︑自然を数学的用語で記述
できるものとしたピュタゴラスの自然観に近いものだったことは注意してよい︒ζ亨した自然観が近代初期︑近代
の自然観の形成に少なからず影響を与えたのである︒
プラトンの思想が超越論的になされているのに対し︑アリストテレスの思想は目的論的に行われている︒先ずア
リストテレスは︑プラトンがイデア界を真の実在と考えたのに対し︑真の実在は現象界にあるとした︒つまりイデ
アは︑現象界を構成する個々の事物に内在するものだ︑とアリストテレスはいうのである︒アリストテレスの場合
には︑イデアと形相と異なるものではない︒しかしそれでも︑形相が本質存在で質料が事実存在であることには変
りはない︒アリストテレスにおいては︑形相が現実態︵①コΦ噌σq①一鋤︶で︑質料は形相の可能態︵身冨ヨ邑であっ
て︑両者の間には目的論的関係がある︒即ち︑形相は運動の目的因であると共に作用因であり︑他方質料は形相を
目的とし形相に動かされながら形相を実現する︑というのである︒このように︑アリストテレスの現象界としての
自然は︑目的論的関係を有したものであり︑しかも他のギリシアの哲学者と同様︑神的︑精神的︑有機体的なもの
であった︒ ︵4︶ ギリシア哲学の最後を飾ったのは︑ネオ・プラトニストのプロティノスだった︒プロティノスの思想を最も明瞭
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に表わしているのは︑その階層的な実在の構造論である︒その実在の構造は︑一襲︵8げΦ昌︶︑ヌース︵神的知性︒
ロ︒βω︶︑心魂︵Oω署げΦ︶︑自然︵℃ξ匹ω︶︑質料︵げ覧Φ︶の五層からなっていて︑それはプラトンのイデア論を更に
超越論的に展開せしめたものといえる︒しかしそれらの五層は︑流出論的関係にあって︑一老からヌースが︑ヌー
スから心魂が︑心魂から自然が︑自然から質料が︑それぞれ流出する︑つまり上位のものから下位のものが生まれ
出てく︐るという関係にある︒従って︑自然は︑直接的には心魂から生まれ出たものであるけれども︑間接的には義
者︵11いかなる思惟や経験を超えたもの︶やヌースとも関係している︒そしてピュシスは︑動物や植物などの自然
物に生命を与えるものとされる︒
・以上から明らかなように︑ギリシア時代の自然観は︑目的論的・有機体論的自然観であった︒
中世を支配したのはキリスト教神学であって︑中世の自然観もその中で形成された︒キリスト教神学は︑宗教と
してのキリスト教と哲学としてのギリシア思想とが︑前者が優越的地位を占めるという形で−所謂き6已帥昏oo・
δαq壁①1︑結合したものである︒従って︑その自然観は︑ギリシア哲学のそれと異なるところもあれば似たとこ
ろもある︒キリスト教神学の自然観をギリシア哲学のそれと異ったものにしたのは︑キリスト教の神がギリシア哲
学におけるのと全く違っていたからである︒キリスト教の神は創造神であって︑o話帥什δ①×巳巨︒といわれるよう
に︑∴神の存在以前には何も無く︑そこから時間や空間をはじめ万物を創造する神である︒これに対し︑プラトンの
デミウルゴスは形成者・制作者であり︑既に存在しているイデアと質料とを混合して現象界を作る神で創造神とは
まるで違う︒また︑キリスト教の神に最も近いといわれるプロティノスの一揖も︑ヌースや心魂︑自然などと流出
論的関係にあって︑キリスト教の神が︑人聞や自然に対し超えることのできない深い断層を作る︑といったことは
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
ないのである︒しかし︑神概念に見られるそうした違いにも拘らず︑キリスト教神学がギリシア哲学を組み入れる
ことによって成ったものであるから︑その自然観がギリシアのそれと類似しているのも当然のことであった︒
さて︑ギリシア哲学における自然はロ︒日◎ωに対するロξω♂だったが︑中世のキ虜スト教神学では︑自然は ︵5︶鴨卑二兎︵恩寵︶に対する昌讐霞鋤であった︒ギリシア語のOξωδはラテン語で口鉾二鑓と翻訳されたけれども︑そ
の過程でキリスト教的な色彩が色濃く加えられていて︑従ってOξωδとコ鉾霞鋤は︑概念的に全く同じということ
はできない︒キリスト教神学においては︑自然は神によって創造されたものであるから被造物︵oお心懸9︶ともい
われる︒勿論︑人間も被造物である︒キリスト教神学ではこのような自然に対するものが恩寵で︑それはその根源
としての神から発せられたものである︒
アウグスティヌスは︑人間の自然︑即ち人間の本性︵質︶と恩寵の関係を論じ︑それをそのキリスト教神学の土 ︵6∀台に据えた︒アウグスティヌスは︑人間の自然・本性に三つの段階があることを認める︒第一段階︑アダムにおけ
る損われていない健全な自然︒・第二段階︑罪によってもたらされた損傷された自然︒第三段階︑キリストの恩寵に
よって更新された自然︒既に上に述べたように︑アウグスティヌスがペラギウスの自由意志論を批判したのも︑ペ
ラギウスの議論が第︸の段階に止まっていたからである︒アウグスティヌスが強調するのは︑第二︑第三の段階で
あり︑・その根底には︑神の恩寵が人間の意志に根源的に先行しているのだ︑という考えがあった︒このように︑恩
寵は自然を超えた超自然的なものである︒確かに恩寵と自然の間には超えることのできない深い断層がある︒しか
しこのことは︑恩寵が自然を否定しているとか︑恩寵と自然とが排斥し合っているということではない︒トマス・
アクィナスの次の言葉は︑恩寵と自然とが相い補い合う関係であることを示している︒﹁恩寵は自然を廃すること
9
︵7︶なく却ってこれを完成するものである︒﹂︵酒倉・鼠鋤8巳茜旨8p8=圃叶℃ωΦ◎℃①匪9ご
また︑キリスト教神学では︑人間を含めた︒お簿二墨としての自然と恩寵の関係も︑ギリシア哲学にキリスト教
的色彩を加えたものであった︒即ち︑キリスト教神学の世界は︑プラトンの二つの世界と似ていて︑超越的な恩寵
の世界と︑それに従属する自①讐q鐙としての自然の世界から成っていた︒更に︑恩寵の世界と自然の世界の関係
も︑アリストテレス哲学におけるのと同じように目的論的関係にあった︒従って︑キリスト教神学における
︒お簿日報としての自然も︑神的︑精神的︑有機体的なものであり︑その意味ではギリシアの自然観と似ていた︒
だが︑キリスト教神学における恩寵の世界と自然の世界の間の断層が︑プラトンに見られたイデアの世界と現象界
の間の断層より一層深く越えることのできないものであったばかりでなく︑人間と人間を除いた自然との間にも︑
越えることの不可能な断層があったのであって︑この点で︑キリスト教神学の自然観とギリシア哲学のそれとの間
には非常に大きな違いがあったといわなければならない︒近代の自然観の一つ︑しかし近代において支配的となっ
た自然観︑即ち機械論的・客観主義的自然観が現れたのは︑キリスト教神学において︑恩寵の世界と自然の世界の
間だけではなく︑人間と人間を除く自然の間にも越え得ない断層があったからと考えられる︒キリスト教において
は︑人間は神の姿に似せて作られたもの︵冒⇔ひqoUΦ凶︶であるから︑人間と人間以外の自然とは次元が異っていた
のである︒
㈲ 近代の自然の概念
西洋における自然の概念は︑近代に入ると大きく変る︒中世の自然観は︑ギリシアの自然観をキリスト教的に脚
色したものだったが︑近代の自然観はそれに更に﹁自然科学﹂︵ロ目貫巴ωo団Φ昌︒Φ︶が加わることによって大きく変
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
化することになった︒勿論︑上述したように︑中世の自然観と近代の自然観の間には連続性がある︒そして変化の へ コぢ 程度も︑ギリシアの自然観からキリスト教神学の自然観へよりも︑キリスト教神学の自然観から近代の自然観への
変化の方が遥かに大きかった︒しかし中世の自然観から近代の自然観への移行は︑極めて複雑な過程を辿るのであ
り︑︑決して一朝一夕にしてなったのではない︒そこには実に多くの自然科学者や哲学者が関わったのであって︑し
かも彼等が導いた自然の概念︑自然観も色々なものがあった︒しかも彼等は︑そうした自然の概念︑自然観を血の
滲むような苦悩の末導いたのだった︒何故なら︑神と自然の関係が︑中世の自然観から近代の自然観の移行におい ︵8︶て最大の問題だったからであるコ
中世の自然観に最初に打撃を与え︑近代の自然観への道を拓いたのはコペルニクスであった︒死後出版された
﹃天体の回転について﹄︵bQミ壁ミミ帖§き器ミミミミら︒職8職ミ§レ恕ω︶は︑それまでの天動説を否定して地動説を唱
えたもので︑天文学史上文字通り﹁コペルニクス的転回﹂をなしたものだった︒この地動説は︑従来の宇宙論を百
八十度換えたばかりではなく︑物質的世界には中心がないことを明らかにし︑それまでの有機体論的自然観の転換
を迫るものであっ.旭−それ才量ペルニクスの地動説は︑天文学史上︑自然科学史上の一大発見ではあ・たけれど
も︑キリスト教神学との抵触を孕んでいたのである︒その地動説がキリスト教会の激しい批判に晒されたのは当然
であった︒コペルニクスの死後︑その地動説を発展させようとしたジョルダーノ・ブルーノは︑異端審問所に捕え ︵10︶られ火刑に処せられたのである︒
コペルニクスに続いて︑近代自然科学の前進に大きく寄与したのはケプラーであった︒ケプラーは︑コペルニク
スの地動説に反対したT・ブラーエの弟子だったが︑火星の運動の研究を進め︑所謂ケプラーの三法則を導き出
11
し︑コペルニクスの地動説を正当化したばかりでなく︑新しい理論を展開したのである︒しかるにケプラーの自然
観は︑古代︑中世の自然観をそれ程大きく出たものではなかった︒ケプラーの自然観は︑プラトン的・ピュタゴラ
ス的自然観だったし︑また︑宇宙の秩序は︑神の意志を顕現したものである︑と考えていたのである︒
ケプラーの後︑コペルニクスの地動説を正当づけたのはガリレオである︒ガリレオは自ら望遠鏡を作り︑コペル
ニクスの地動説の正しいこと一もつとも蓋然的にということだが一を証拠だてたのであった︒そしてガリレオ
はコペルニクスの地動説を普及しようとしたが︑宗教裁判にかけられ有罪とされた︒勿論︑地動説を普及させよう
としたのは︑ガリレオがキリスト正教会に反抗を企てようとしたからではない︒ガリレオは誠実なカトリック教徒
だった︒しかしガリレオが︑キリスト教の目的と自然科学の目的が違ったものであることを認識していたことは確
かである︒即ち︑キリスト教の目的は人間の魂を救済することであり︑自然科学のそれは︑自然の実際の動きある
いは実在を明らかにすることであった︒だが︑ガリレオにとって自然の実体は︑第一性質にあって︑第二性質は第
一性質の作用である︑即ち︑自然の実体は︑量的・計量可能なものからなっていて︑色や音はそれに従属するもの
であった︒神も人間も何れも自然に超越したものと︑ガリレオは考えていた︒その行こうした考えが︑近代自然科
学の自然の概念︑自然観として支配的になっていくのである︒
自然科学において帰納法的方法を確立したベーコンは︑自然科学自体の発展には殆ど貢献することはなかった
が︑その科学方法論や思想は後世に大きな影響を与えた︒ベーコンの科学に対する基本的な態度は︑アリストテレ ︵11︶スを去り﹃聖書﹄を取れ︑ということだった︒ベーコンには﹁二つの書物﹂︵叶≦oσoo評ω︶があった︒ 一つは︑神
の意志を啓示する﹃聖書﹄であり︑いま一つは︑神の被造物である自然という書物である︒しかしベーコンによれ
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D・ヒュームの経験論的入間学の研究(十三)
ば︑自然という書物が﹃聖書﹄理解の鍵となる︑即ち︑自然の研究者は﹃聖書﹄解釈者を教導することができる︒
そこには中世のキリスト教神学に見られた神と自然の関係の逆転さえ量れる︒だがベーコンは︑自然科学におけ
る数学の重要性を一理解していなかったのだろう一余り強調しなかった︒そのためベーコンの自然には量化で
きない質的なものが残っていた︒そうした量化できない質的なものを取り除いて︑量的.数学的自然観を唱えたの
がデカルトでありホッブズであった︒
ニュートンについては︑既にヒュームの道徳哲学方法論のところで︑その自然科学方法論ばかりでなく︑その背
景にあった神学的有神論についてもかなり詳しく述べておいたので︑ここに繰り返す必要はないであろう︒ただ︑ ︵12︶ニュートンの行績が自然科学史上いかに輝かしいものであったかを︑ポープの詩を引用することで示しておこう︒
Z9︒εお9ρ嵩山Z蝉εお︑ω冨≦ω冨くげ置ぎ巳ぴqゴ貸
O&ω蝕負トミ﹀δミ§9\帥&巴≦霧=ひqゴニ
Gり 合理主義の自然の概念
近代の知の体系が人間学と呼ばれるのは︑人間に特に強い関心が示され︑人間を中心に置いて体系が構成されて
いるからである︒しかし近代の知の体系が︑人間をそのように位置づけ得たのも︑既に中世のキリ.スト教神学にお
いて︑神と人間︑人間と自然の間に越えることのできない断層︑つまり分断があったからである︒さてその人間を
中心にした入間学にも︑人聞の本性︑本質を理性に求めるものと経験に求めるものの二つあった︒そして前者の人
間学︑即ち合理論的人間学の始祖がデカルトであった︒
デカルトによれば︑すべての入間には理性という優れた能力が具わっているが︑重要なことは︑その理性をいか
13
に正しく用いて︑確実な知識を獲得するか︑ということである︒感覚的世界は極めて不確実な世界であるとしてデ
カルトはこれを否定するが︑しかし数学的真理も絶対的に真であるかは疑わしい︑という︒この徹底した懐疑主
義︑即ち﹁誇張懐疑﹂が︑ヒュームのいう先行的懐疑主義︵山導Φ8号馨ω80鉱6一ω日︶の一つであることは言うま
でもなかろう︒デカルトは懐疑をすべてに及ぼす中で︑疑っている自己の存在に気付き︑ついに︽oooqぎ Φ茜︒
ω信ヨ︾であることを発見し︑これを哲学の第一原理としたのである︒ここに︑思惟する主体としての人間が確立
し︑それが自然に対することになる︒しかしこの場合︑人間とは精神のことであり︑自然とは物質︵体︶のことで
ある︒従って人聞の身体も物質に入る︒そしてデカルトは精神と物質を実体とし︑前者の属性を﹁思惟するもの﹂
︵冨ω8σq冨ロω︶︑後者の属性を﹁延長するもの﹂︵おの①×8ロωm︶とした︒このようにデカルトにおいては︑精神と
物質とが分断されていて︑そこにはラディカルな二元論が見られる︒
このようにデカルトの自然は︑人間の精神を除く人間の身体を含んだ被造物である︒それは︑延長という属性を
持つ物質であって︑形︑大きさ︑運動という性質を有している幾何学と力学の対象となる世界︑即ち幾何学的・数
量的世界である︒このような自然観は︑明らかにギリシア哲学︑キリスト教神学のそれとは違っており︑コペルニ
クスやガリレオなどの近代の自然科学者達が描いた自然観に極めて近い︒ところで︑既に因果論を扱ったところで
述べておいたように︑デカルトはかかる幾何学的・数量的世界が︑必然主義的−自然科学的意味での1因果関
係によってなっている︑と説いたのである︒言うまでもなく︑自然の中にそうした必然主義的因果関係を発見する
力が理性なのである︒
しかしデカルト哲学は︑ただ人間と自然︑精神と物質からのみなっていたのではない︒神がデカルト哲学の出発
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
点であり︑事実︑デカルトは神の存在証明からその哲学の体系化を始めている︒デカルトにとっては︑神こそ︑ へじ﹁コギト﹂の真理を支え︑自然に必然主義的因果関係︑つまり絶対的確実性を保証するものだったのである︒従っ
てデカルトが人間の本性とした理性も神によって保証されていたのであって︑その意味では人間の理性は神によっ
て制約されていたのである︒さて︑デカルトの神は︑宇宙の創造者︑支配者であり︑万物の運動の第一原因で︑そ ︵13︶うした点では︑中世のキリスト教神学と変らなかった︒しかもその神学は主意主義的神学といえるものであった︒
デカルトの演繹主義︑決定論はそこに由来した︒例えば︑三角形の内角の和が二直角なのは︑神がそう意志された
からであり︑だからそれは真理である︑と︒このようにデカルトにおいては︑自然の法則や真理は︑神の意志によ
って創造されていたものである︒従って人間のなすべきは︑神の意志が創造した自然の法則︑真理を発見すること
である︒そして理性にその役割が与えられた︒しかし注意されるべきは︑デカルトは人間には神の目的は知り得な
いとしていることである︒というのは︑神の目的など人間の理性も遠く及ばないからである︑と︒それ故︑デカル
トにあっては︑自然の創造者である神は目的因と結び付けられて論じられてはいない︒
以上のような世界観︑宇宙論から︑徹底した機械論的自然観が導かれてくる︒デカルト哲学には二つの分断があ
る︒一つは︑神と自然との間の分断であり︑いま一つは精神と物質との間のそれであるコ神と自然との間の分断は
既に中世のキリスト教神学において見られていたが︑デカルトにおいては神の目的が自然と結びついていないた
め︑その分断は徹底したものになった︒また︑精神と物質の分断は︑人間の身体をも物質と見倣すと共に︑人工物
と自然物の区別を無くした︒つまりデカルトの自然は物質なのである︒言うまでもなく︑この物質は神が創造した
もので︑しかもこの物質に神が運動を与える︒そうすると︑物質なるこの自然は︑もともと数学的構造をしている
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ので時計のように働き続ける︒つまりデカルトにとって自然は︑神によって創造された機械であった︒それは︑人
間と人間が作った機械とに類比させて︑神と自然との関係を表現したものである︒ただ︑人間の作った機械よりも﹁
神の創造した機械の方が︑より複雑で精巧なところが違う︒
以上のようなデカルトの機械論的自然観を唯物論的方向でより徹底したのがホップズであった︒既に述べたよう
に︑デカルトは精神と物質を実体とする二元論を展開した︒デカルトは︑人間の身体をも物質としたが︑精神に人
間の気高さを認めていた︒そればかりかデカルトは︑神の存在がこの二元論の前提であるとしていたのである︒し
かし精神も物質も実体である限り︑両者が結合することは本来あり得ない︒だが現実の人間を観察すると︑そこに
は精神と身体が結合していると認めざるを得なくなる︒ここにデカルトの難点があった︒勿論デカルトもそれに気
付いて︑精神と身体との相互作用が脳髄内の松果腺で起っているとした︒だがこの議論は曖昧で説得力に欠いてい
た︒ホッブズはこれを唯物論的方向で結着をつけようとしたのである︒ ︵14︶ ホッブズはデカルトの二元論を批判して︑物質︵体︶一元論ともいうべき議論を展開した︒即ちホップズの物質
は︑物質そのものは勿論だが︑精神も人間も社会も含むものであった︒ホッブズにとって精神は脳髄の中の空想的
居住者に過ぎなかった︒ホッブズ哲学は︑何より︑そのような物質を対象とし︑そこに見られる因果法則を明らか
にすることを目的としたものである︒さてホップズのいう物質は︑延長と運動という二つの属性を有するもので︑
前者は物質の大きさ︑後者は場所の移動の継起と規定される︒そうしてそのような物質によって構成されている世
界︑即ち自然は︑因果的︑数量的に理解できるものであった︒しかもホッブズは︑自然の因果関係において︑作用
因のみを唯一の原因となし︑目的因や形相因を排除し︑自然における目的論的関係を否定した︒こうした自然観
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三〉
は︑機械論的自然観以外の何ものでもない︒
ホッブズの哲学を唯物論と断定することはできないとして典唯物論的傾向を有していることは否定し難い︒ホ
ッブズの哲学に唯物論的傾向を与えたのは︑上述のごとく人間や社会までも物質としたこと以外に︑キリスト教︑
キリスト教神学をかなり手厳しく批判したからでもあった︒この点がケプラーやデカルトなどと違うところであっ
た︒ケプラーやデカルトは︑キリスト教の世界と自然科学の世界を和解させようとしたけれども︑ホッブズはこれ
を拒んだ︒もっともホッブズといえども︑キリスト教をストレートに批判することはしなかった︒ホッブズにとっ
て﹃聖書﹄の言葉は何よりも理性によって読まれねばならぬものだったし︑神の掟は自然の掟であり︑道徳律と同
じものであった︒また神に冠せられる﹁至高の﹂とか﹁全能の﹂とかいった形容詞は︑哲学的真理を表示するもの
ではなかったのである︒
しかし機械といってもその外にそれを作る者がいなければ機械は存在することはできない︒しかもそれを作る者
に機械を作るという意志があって機械は作られ得るのである︒機械と機械を作る者とを類比させて︑神と神が創造
した自然の関係を説いたのが機械論的自然観である︒上述のごとくデカルトの機械論的自然観にも︑精神︑精神の
核としての意志︑神︑そして神の意志がその条件としてあったのである︒しかしホッブズの哲学では︑創造者とし
ての神︑神の意志は背景に退いている︒人間の意志が強調されるのはそのためである︒ホッブズにおいてもそれが
全面に現れるのは〜何れ後に述べることになるがi社会契約子においてであり︑主権者の意志として出てくる︒
従ってホッブズの自然観も︑ギーーシア以来のノモスとピュシスの対立の上に築かれた自然観の近代版といえるので
ある︒但し︑そこには目的論的関係が消え失せている︒
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スピノザはデカルトから大きな影響を受けつつ︑デカルトとは違った哲学を展開した︒デカルトが﹁コギト﹂か
ら出発したのに対して︑スピノザは﹁神﹂から出発した︒デカルトは精神と物質を実体としたが︑スピノザは神を
唯一の実体とし︑神から哲学を組み立てていった︒勿論デカルトにおいても︑精神︑物質という二つの実体の背景
には神があり︑しかもその神は伝統的な創造者としての神であった︒しかるにスピノザの神は︑超越神や人格神で
はなく︑内在神︑非人格神であって︑﹁自然﹂と同じであった︒スピノザの神概念が汎神論︵O雪上Φδヨ︶と言わ
れる所以である︒
スピノザのいう実体は︑他の原因から独立した自己原因︵S伍ω凶ω巳︶であって︑﹁その本質が存在を含むもの﹂
と定義される︒そうした実体は有限ではなくて無限である︒というのは︑同じ本性をもつ他のものによって限定さ
れるものが有限といわれるからである︒けれども︑同じ本性を有する実体は二つ存在することはできない︒従って
実体は﹁必然的に無限﹂であるので︑﹁絶対無限の存在者﹂たる神と同じものとなる︒この神という存在者は︑不
可分であり︑唯一のものであり︑そしてすべてを含むものである︒そしてそこからスピノザは︑﹁神は︑あらゆる
もの︑の内在的原因であって超越的な原因ではない﹂︑という定理を導く︒これは明らかに︑伝統的な神概念ではな
く自然と同じ概念で︑スピノザ自身︑﹁神即自然﹂︵U①βωωぞΦ昌讐仁昼︶とヨ﹇口っている︒もっとも︑この﹁神即自
然﹂という言葉は︑スピノザが初めて使ったのではなく︑既にデカルトが﹃哲学の原理﹄︵聖§曹費博ミご防雪ミミ℃ ︵15V呂念︶の中で用いていた︒しかし上述したように︑デカルトの神は︑伝統的な創造神︑超越神であった︒しかし上
の引用文からも明らかなように︑スピノザの神は内在神︑非人格神で︑そのような神と自然とが同じものであると
いうのである︒
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D・ヒュームの経験論的入間学の研究(十三)
ではスピノザのいう自然とはどういうものか︒それにはスピノザの﹁所産的自然﹂︵津ε轟コ9霞鋤訂︶と﹁国産
的自然﹂︵コ讐貫︒づ讐霞餌霧︶の概念を理解する必要がある︒所産導車然と能産的自然という言葉は︑アイルランド
の哲学者スコトゥス・エリウゲナに由来するが︑アヴェロエス以来ひろく中世の神学黄昏によって使用されてい
た︒彼等は︑合目的的に万物を創造する普遍的原因としての神を能産的自然︑神によって創造された世界を所産的
自然と呼んでいたのである︒だがスピノザは︑中世の神学者のように︑能産的自然を合目的的な五日遍的原因とは考
えず︑それ自身の本性から活動する自由原因とし︑所産的自然を神の必然性から生じるすべてのもの︑即ち神の︸
切の様相と考えたのである︒それ故︑神即自然という場合の自然も︑神から産出された様相の世界としての所産的
自然ではなく︑合目的的な普遍的原因ではないが︑それらを産出する能産的自然なのである︒もっとも︑神と自然
とが同義といっても︑C・ブラウンもいうように︑スピノザは︑神を語る時には注意をより原因に向け︑自然につ ︵16︶いて述べる場合は︑最終産物に向けている︒そして人間も︑実体の変容として自然の一部である︒例えばスピノザ
は︑﹃国家論﹄︵8§らミ豊津ミ勘塁一①ミ︶の中で次のように述べている︒﹁自然は︑人間の真の利益と維持のみを
意図する人間的理性の諸法則によって制約されずに︑かえって︑全自然i人間はその一小部分にすぎない一の ︵17V永遠なる秩序にかかわる他の無数の諸法則によって制約される⁝⁝﹂と︒
ところで︑結論を急ぐけれども︑このような人間をその一部とするスピノザの自然は︑幾何学的・数学的秩序を
有するものであった︒幾何学的・数学的秩序では一切が必然的関係からなる︒スピノザにとって理性とは︑ものを
その必然性において理解することである︒この必然性は︑既に述べたごとく︑神の永遠の本性の必然性そのもので
ある︒神と自然は同義であるから︑神の必然性と自然の必然性とは同義である︒自然の必然性は幾何学的・数学的
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必然性である︒そして自然が必然的関係から成立しているが故に︑自然からすべての目的︑価値が取り除かれる︒
このようにスピノザの自然は幾何学的・数学的自然であるが︑機械論的自然とはいえない︒というのは︑スピノザ
においては︑神と自然︑実体と様相︑能産的自然と所産的自然との間には区別がなく連続しているからである︒
デカルトの二元論における実体間の関係の問題はマルブランシュにも引き継がれた︒マルブランシュはデカルト
からその機械論的自然観を受け容れたが︑他方では人間の身体を物質同然に突き離すと却って精神は内省に至る︑
というアウグスティヌスの思想からも影響を受けた︒そこから﹁機会原因論︵ooo鋤ωδ量一凶ωヨ︶﹂が展開されるこZ
になった︒精神と身体を含む有限実体間においては真に作用因を有しているのは神だけで︑有限実体自体は神の
﹁機会﹂に過ぎないという議論がそれである︒機械論者は︑神が一度この世界を創造した後は世界は自動的に動く
と考えがちだが︑マルプランシュは︑それは結局︑神との関係を絶った独立した世界という観念に導くとして反対
した︒マルブランシュによれば︑もし神が世界の存在を望まなくなれば︑世界は直ちに無に帰するのであり︑従っ
て︑被造物が維持されているのは︑神がその維持のために常に創造的行為をされているということである︒このよ
うにマルブランシュの哲学は︑スピノザとは勿論︑デカルトと比べても︑中世的・神学的・色彩が強く残ってい
る︒しかしマルブランシュは︑数学的・機械論的な自然の秩序を認め︑その中に見出される法則を客観的真理とし
た点で︑近代合理主義の系譜上に位置づけられるのである︒
十八世紀に入ると西洋の学問の中心地はイギリスに移り︑そこで合理主義に対抗して経験主義が興り展開される
ことになるが︑近代合理主義哲学の最後を飾ったのが万能の天才といわれたライプニッツだった︒調停の哲学︑総
合の哲学といわれるように︑ライプニッツの哲学は︑近代合理主義の種々の思想を調停︑総合しただけではなく︑
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
ギリシアのピュタゴラス・プラトン的哲学︑中世のキリスト教神学などとも調停を試み︑より高いレベルで総合し
ようとしたものである︒
ライプニッツは︑ピュタゴラスと同じように︑宇宙の調和的秩序を信じ︑数こそ究極的実在であると考えてい ︵18Vた︒そしてそこから二進論を展開しまた独自の宇宙論を展開した︒即ち︑算術学がすべて一と0とからなっている
ように︑宇宙も根源的存在者としての一である神と︑0である無とからなっている︑プラトンの讐喩でいえば︑太
陽が一でありその光が注がれる形相無き地が0ということになる︒言うまでもなく︑根源的存在者としての一たる
神が最高のモナド︵ヨ︒轟山①︶で︑その産物が無数の独立した個体としてのモナドーモナドについては既に上に
述べている一であって︑ライブこッツはそれを実体とした︒モナドは︑﹁1﹂あるいは﹁1なるもの﹂を意味す
るギリシア語のヨ︒轟ωに由来している︒ ︵19︶ しかしモナドも表象︵OΦ﹁oΦ℃口︒旨︶の度合に応じて四つの段階がある︒最高のモナドでモナドの中のモナドがい
うまでもなく神である︒次に人間の精神としてのモナドであり︑その次に︑有機的生命体におけるモナド︑そして
一番下位に︑﹁裸のモナド﹂といわれる無機的物質界を形作るモナドである︒このように︑神も精神も有機的生命
も無機的生命もすべてモナドであって︑ただ表象の度合の差に過ぎない︒そこには連続的思考がある︒だから精神
と身体も︑それぞれ独立した別ものでありながら︑両者は連続しているので︑一方の変化は他の変化に応ずる︒但
し︑精神の表象は物質のそれよりも明瞭であるから︑精神の変化が物質の変化の原因︑つまり物質の変化の説明を
与えることができる︒では何故︑実体間の総合が行われるのか︒ライプニッツはこれに対し︑あらゆる実体の間に
﹁予定調和﹂︵一ゴ気当○巳Φ胃獄冨げ一一①︶が存するからであると︑即ちモナドが結合するように予め定めておいた神の
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働きがあるからだと答えた︒
実体間の結合が予定調和によって起こるということは︑また当然ながら︑目的因と動力︵作用︶因とが調和する
ことを意味する︒ここにスピノザとライプニッツとの大きな違いが存在する︒ライプニッツは物理学にも目的因の
効用を認めた︒自然現象は︑作用因からだけでなく︑目的因からも証明できると考えた︒ライプニッツは︑自然を
機械と見倣す考えと︑自然を非物質的な本性に訴える考えを調和させようとしたのである︒自然の法則の原理を目
的因に求めねばならないのは︑ライプニッツによれば︑神は何時も最善のもの最も完全なものを心懸けているから
である︒このようなライプニッツの自然は一つの巨大な有機体といってよい︒
また︑ライプニッツによれば目的因と作用因との間に調和があるごとく︑﹁自然の世界﹂と﹁恩寵の世界﹂の問
にも調和が存する︒﹁理性に基づく自然及び恩寵の原理﹂︵.︑牢冒︒言①ωαΦ訂づ讐霞①①けα①冨鵯鋤︒①胤︒コα0ω①⇒
﹁巴ωoP.ミ=︶の中で︑ライプニッツは次のように言っている︒﹁自然の世界と恩寵の世界﹂の間には︑﹁予定調和
の力﹂が存している︒そして︑﹁自然そのものは恩寵に導き恩寵は自然を使いながら自然を完全なるものとして
︵20︶行く﹂と︒ライプニッツはアウグスティヌスのように世界を自然の世界と恩寵の世界とに分けた︒ライプニッツに
とって自然の世界と恩寵の世界とは︑精神と物体との関係に類似している︒物体は精神とは全く別のものである
が︑その原因をモナドとしての精神から得ている︒自然の世界は作用因の法則が支配していて︑恩寵の世界とは全
く違ったものである︒けれども作用因は自然においてもその意味と力を目的因から得ている︒従って︑自然の完成
は目的因の最高表現である恩寵の中に到って初めて見出されるのだ︑とライプニッツはいうのである︒
このようにライプニッツの哲学は︑ギリシア哲学︑キリスト教神学︑近代合理主義などを調停し︑それらをより
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D・ヒュームの経験論的人間学の研究(十三)
高い次元で総合しようとしたものであるが︑ライプニッツはそれを一貫目て﹁理性﹂によって企てたのであった︒
以上から明らかなように︑近代の合理主義者達は︑コペルニクス以後の自然科学者達が見出してしまった客観的
自然︑物質的自然を自然科学上からだけでなく︑哲学・思想の上からも認め︑そしてそれらが︑幾何学的・数学
的・機械論的秩序をなしていることを明らかにしたが︑しがし同時に︑彼等の多くは︑そうした自然の世界の確実
性の保証を神に求めたり︑自然の世界と神の世界とを調和させようとしたり︑自然の問題を決して神の問題と切り
離そうとはしなかった︒実に彼等の最も苦悩したところはそこにあった︒だがライプニッツ以後︑.自然の問題から
神の問題は切り離され︑自然は客観的・物質的自然となってしまった︒蓋し︑自然ばかりでなく︑神︑神の世界の
理性による理解は︑何れ両者を切り離さざるを得なかったのである︒しかもその理性は人間の理性である︒近代合
理主義における本質存在は人間の理性といってよかろう︒
︵1︶ 種山恭子﹁ギリシアにおける自然哲学とコスモロジー﹂︵﹃自然とコスモス﹄︒新岩波講座哲学5︑岩波書店︶昭和六十年︑一一 注
六頁︒また以下参照︒区①珠臼90■bd㌔甫げΦ昌︒∋o︒︒−Oξω帥ωOo口#o<①﹁ω<℃︑.ぢ§Q⑦愚ミ御職らミ︒器§§50餌ヨσ鴇己αq①d巳︿●牢①ωω
一り︒︒H.F・ハイニマン﹃ノモスとピュシス﹄︵広川・玉井・矢内訳︑みすず書房︶︒
︵2︶ 以下拙著﹃東西思想の比較﹄︵成文堂︶︑第一︑二章参照︒
︵3︶ 木田元﹁哲学と反哲学﹄︵岩波書店︑平成二年︶︑一九八頁︒
︵4︶ 拙著﹃東西思想の比較﹄第二章参照︒
︵5> 下村寅太郎﹃自然哲学﹄︵弘文堂︑昭和十四年︶︑十四頁︒
︵6︶ ﹃アウグスティヌス著作集﹄9︵教文社︑昭和五十四年V︑三六一−二頁︒
︵7︶ トマス・アクィナス﹃神学大全﹄︵山田晶訳﹃世界の名著﹄20︑中央公論社︶︑︸〇四頁︒
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︵8︶ 以下拙著﹃東西思想の比較﹄第五章参照︒
︵9︶O亀ぎひq毛︒︒山比.9§鳴§笥ミきミ蚤04︒a¢三︿︐零①ωω同語㎝も写¢早N
︵10︶ き帖蹴.bO︒りoQ■
︵11︶ 国oo団罫鎚ρカ■−沁災暗帖§亀ミ職ミ鳴気格鴨ミミq§§の職§ミM︒︒60け賦ω7鋤︒餌匹①ヨ剛︒買Φωω−一〇おもP︒︒㊤ム9尚︑ベーコンの自然観
のいま一つの特徴は一自然に対する技術の優位を説いたことである︒
︵12︶ ≦圏=①ざじUこ§鳴§艦題ミミO鳴§ミ曙惣q粛こミ謡90げ費け8帥ぐ5コ二二ωピ巳Uo5匹︒戸一〇軽ρロ.伊
︵13︶国8属きρ勾こ§ミ.も.自また︑.≦Φ陰雲♂即ω.−︑︑↓国国ω①9ω︒陶曾8軽子げ①∪8=器︒︷9昏・匹︒×O﹃﹁甑︒コξ⁝﹀
ωε匹︽oh図①琶①びU①oooo﹃け①ω四ロ匹Z①≦けoP−.ヨOo靴鳥壽駄﹀貯ミ誌甲Φユ幽びく∪.○.いぎ江σ①﹁ぴq餌コα幻.ぴ.Z声門びΦ﹁ω¢巳く①﹁ωヰ鴇oh
O巴賦O﹁コ凶m℃﹁Oωωu一り︒◎①.
︵14︶ 福居純﹁理性の体系︵ ︶︵二︶﹂︵﹃哲学の歴史H﹄﹁岩波講座哲学﹄17︑岩波書店︑昭和四十七年︶︑七九頁以下︒
︵15︶ Oo簿ヨσq﹃鋤ヨ℃旨§篤勘ミ帖︒誌斜欺賄融㌧O×眺︒﹁O﹇﹁三く.勺﹁①器−一〇QQQQ℃.㊤ω.
︵16︶ じσ﹁o≦員Owき職︒︒り魯ミ篇蕊駄寒鴨O諒§ぢ職黛ミ壽円熟H昌け①﹁く鋤吋ω津賓℃﹁ΦωρHり①OQO.㎝伊
︵17︶ QoロヨoN甜卜憲鳴ミ碗勘oIぎ鳶職らミぎミ蹄驚縞ミ職︾ぎ識職ミ︑ぎ笥︑詠鳴㌧曾蝉コω■σ︽国論=﹂≦︒O一≦①ρOo︿Φ﹁勺二⊆帥︒拶江︒昌ω﹄コP一㊤0い
OO﹄Oや9畠中尚志訳﹃国家論﹄︵岩波文庫︶︑二三−四頁︒
︵18︶ 図︒圏−O■H≦ごト戴尊謡詩層O×ho﹁αd三く■℃﹁①器一㊤co♪℃.一〇ド
︵19︶国谷純一郎﹃自然思想史﹄︑二五二頁︒
︵20∀ いΦぴ三N層O噛芝こき賊︑二八ミ§︑雰恥§Fけ冨拐.σ日乗︾臥Φ≦餌冨αU・Ω費σΦき=9︒o押簿ρPN旨●河野与一訳﹃単子論﹄︵岩波文庫︶︑
一六五頁︒
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