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     二元的経済組織論の展望

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(1)

     二元的経済組織論の展望

       池 田 浩 太 郞

      第一節序  論

 現代の財政諸学説はすべて現代財政の体系的統一把握を目標とする︒このいみで現代のすべての財政学説はほ

ぼおなじところを志向するといってよからう︒しかし現代財政の各学説はそのよってたつ方法論の相違から若干

の学派にいろわけされる︒その方法論の相違の生ずる所以は︑第一にその学説の生じてくる学問的伝統の地盤の

相違であり︑第二にその学説が現代財政のいかなる点に問題をみつけ︑財政の論理を構成してゆくかに関する点

の相違である︒このことをいはゆる財政学上の新経済学派についてしらべてみよう︒いはゆる財政学上の新経済

学派の概略については︑井藤半弥教授著﹁改訂︑財政学概論﹂昭和二十三年︑の九ぺージを参照していただきた

い︒    二元的経済組織論の展望

‑一一71 一一−

(2)

 まづ第一の学問的伝統の地盤という点から新経済学派について考察しよう︒この学派は財政学止の正統派と目

されるワグナー学説の批判︑および財政学上の純経済学派の代表者ザックス学説の批判のうへに生じてくるもの

である︒すなわちワグナーからは財政を独自の経済組織としてみとめる観点をうけつぎ︑ザックスからは財政の

経済理論的解明の立場を継承する︒しかもワグナーのもつ行政論重視の傾向︑ザックスのもつ財政を私経済的に

考察する傾向には拒否の態度をとるのである︒

 つぎに第二の観点︑すなわち学説の出発点︑および論理構成という観点から新経済学派を考察してみよう︒こ

の学派は現代財政における財政の社会経済的聯関性の側面にまづ注目する︒そして現代の財政を国家経済組織と

市場経済組織との二元的経済組織論というかたちで把握しようとするのである︒

 以上の説明によって二元的経済組織論の主張こそが財政学上の新経済学派の学説の核心をなしているという次

第があきらかになったこととおもう︒

 つぎに二元的経済組織論とは一体どんな学説であるかについて概略の説明をしておかう︒まづこの立論の根底

には国家経済︵財政︶を固有の経済体制として把握しようという努力があることをみとめなければならない︒そし

てこの学説を論理構造の面からかんがへてみると︑二つの側面をあはせもっている︒その第一は二元的対立論で

あり︑第二は二元的交錯論である︒前者の基礎のうへに立って後者の展開がなしうるとかんがへれば︑前者の方

がより根本的なものであるといいうるかもしれない︒しかしこれは論理自体の必然的結論というわけではない︒

前者にあっては主として経済組織の類型の問題︑すなわち諸種の経済組織の異質性︑対立性が問題になる︒ここ

では国家経済の特質の抽出がとくに重視され︑財政主体の構造を把握すべき道が問題となる︒したがって財政の

‑72 一一

(3)

うちに存する政治的なものの処理ということがとくに問題として登場する︒後者については二つの経済組織の交

錯によって総体経済社会の循環ないしは発展を展望することが問題となる︒そして財政を不可欠の要素とする国

民経済の統一的把握を目ざすにいたる︒したがって経済理論的なものがとくに重視されるのである︒かくて二元

的経済組織論はその論理構造の性格の批判を別にし︑個々の具体的なものの成否を別とすれば︑財政における主

体的なもの︵主導性い︑あるいは政治的なもの︑および社会聯関的なもの︑あるいは経済理論的なものを統一的に

把握すべき契機をその論理構造のうちにもっているとかんがへることができよう︒

 二元的経済組織論は大体以上のやうな性格をもつものである︒しかし現実の新経済学派の二元的経済組織論は

かならずしもこのやうな問題処方法を典型的に発展させてるわけではない︒が︑ともかく意識的にせよ︑無意識

的にせよ︑この方向にしたがって論理を構成しようとしている︑ということだけはたしかである︒

 そこでいわゆる財政学上の新経済学派の人々が主張する二元的経済組織論が︑どの程度現代財政の解明に寄与

しうるかについて若干の具体的考察をなすことがつぎの問題となってくるであらう︒

 さて︑筆者はかって雑誌一橋論叢第二十九巻第一号︵昭和二十八年一月号︶に論文﹁新経済学派の二元的経済

組織論﹂を執筆したので︑さしあたりこれと本稿との関係を説明しておくことが必要である︒前稿では現代の二

元的経済組織論のもっとも重要なるタイプであるG・コルムの学説とH・リッチュルの所説とを比較的くわしく

紹介し︑検討したつもりである︒同時に二元的経済組織論自体への私見もつけくわえておいた︒しかし前稿では

筆者が論じておきたいとおもったものをすべて書きつくしたわけではない︒たとえば﹁二元的経済組織論の前

史﹂とか︑コルム︑リッチュル以前すでに二元的経済組織論を主張した﹁マルギット・カッセルの所説﹂などに

一一73‑

(4)

は論ずべくして論及しえなかったのである︒論及できなかった理由の第一は紙幅の制限である︒第二は私見によ

ると︑この部分は二元的経済組織論の発展からみると︑大体その前半に属するものである︒しかもこれらはコル

ム︑リッチュルの所説にくらべるとその現代的意義ははるかにおとるとかんがへたからである︒本稿では前稿で

省略した部分を比較的くわしく論じ︑あはせて前稿で論じたコルム︑リッチュルの研究の結果をも綜括し︑その

要約を再録しておきたいとおもう︒したがって本稿は文字どほり筆者の前稿﹁新経済学派の二元的経済組織論﹂

の補完をなすものである︒しかも二元的経済組織論にたいする筆者の根本的見解は前稿の時と全然かわっていな

いことをここでのべておかう︒本稿の説明で不充分なところは前稿で比較的くわしく論じてあるのでこれを参照

していただきたい︒

       第二節 二元的経済組織論の前史およびマルギット・カッセルの所説

  一︑前  史

 二元的経済組織論の論理構成に似たものはすでに第一次大戦よりずっと以前にみとめられる︒しかし︑この時

代のものは一応二元的経済組織論の前史とかんがへてよいであらう︒すなはち現代の財政把握を志向するための

基礎的形式として新経済学派の人々が︑二元的経済組織論をおもいうかべたときには︑その問題意識の現実的切

実さや︑学問意識の強烈さの点で︑以前の二元的経済組織論の主張をはるかにしのいでいるのである︒この前史

についてはわれわれは二つの点を指摘するにとどめたい︒

‑74‑

(5)

 国 観点をごく漠然と︑公経済と私経済との対立あるいは交錯というところにおくと︑二元的経済組織論の歴

       ︵註1︶ 史をのべることは︑ただちに経済学の歴史を回顧することとならう︒

 ㈲ これをさらに限定して︑国民経済全体のうちに存する国家的経済組織︵財政︶と市場的自由経済組織との

経済組織原理の対立︑あるいは両経済領域の交錯といういみの二元論とかんがへるにしても︑なほかつ第一次大

       ︵註2︶ 戦以前すでにその代表者をあげることができる︒

  二︑マルギット・カッセルの所説

 二元的経済組織論の歴史は大体マルギット・カッセルの学説からはじまるとみてよいであらう︒彼女の経歴に

ついては︑彼女がスェーデンの著名な経済学者グスタフ・カッセルを父にもつということ以外ほとんどしられて

いない︒著作についても﹁共同経済−交換経済におけるその地位と必然性︱﹂︵一九二五年︶一Margitcassel。

DieGemeinwirtschaft.IhreStellungundNotwendigkeitinderTauschwirtschaft。Leipzig.1952︶とい

―一一75 −一一

(6)

う労作があるということしかしられていない︒しかしこの書物は一応現代財政学の問題を多少とも意識しながら

はじめて二元的経済組織論を明確なかたちで主張したものとみて差支えなからう︒

 彼女にあっては二元的経済組織論の問題は経済生活の領域の問題すなわち両経済組織の対立性異質性の問題で

もあったが同時によりつよく経済性の問題︑経済原則競合の問題︑すなわち両経済の交錯の問題でもあった︒し

たがって彼女にあっては二元的対立論と二元的交錯論との面のあいだがきわめて流動的である︒二元的対立を論

ずることがそのまま二元的交錯を論ずることになっている︒このことは何よりもまづ彼女の問題提起の方法から

明瞭にうかがはれる︒

       ︵註3︶ 彼女は文化発展という経験をこえた一種の形式的社会価値を無雑作にもってくる︒そしてこれを経済生活の目

標とする︒ここからいはばテレオロギー的に総体経済を理解しようとしているのである︒また同時に︑経験的に

看取されうる価格機構や経済性といふものをかんがへ︑とくに︑文化発展と最高の経済性を結びつけてかんがへ

ようとする︒したがって価格機構の存在する現実のうちで︑共同経済がその目標をいかにして︑また︑いかなる

程度まで経済的に達成しうるかを価格理論のたすけをもって確定してゆくことが彼女の二元的対立論および交錯

論の問題である︒

つぎの二つの場合に総体経済のなかで価格構成的経済組織とならんで共同経済組織を必然ならしめ︑また経済

−一一76

(7)

的にのぞましいものとすると彼女はいう︒その第一は財がその充足にさいして不可分的な︵gt匹ぼ﹁﹂性質をも

つ場合であり︑第二は非社会的需要を除去すべき場合である︒

 まづ第一の場合について説明しよう︒財の不可分的性質にたいする彼女の議論は︑従来の財政学でいふところ

の協同欲望論を検討整理した結果うまれたものである︒彼女によれば協同欲望充足の対象となる財貨は一定限度

までは需要の増加にともなってそれを充足する費用の増加がみとめられない︵本書︑六〇ページ︶︒この事態を彼

女は財の不可分性となづけるのである︒そして不可分的性質をもつ財は二つのものにわけられる︒すなわち不可

分的財を使用する場合に︑そのたびごとに一定の価格を支払いうる場合には︑これを積極的協同欲望となづけ

る︒使用の都度の価格を支払ひえない場合には消極的あるひは純粋協同欲望となづけるのである︒

 まづ消極的協同欲望の充足については︑彼女はこの場合有償原則の適用が不可能であり︑したがって強制組織

を必要とする︑といふ︒すなはち﹁社会はその同胞にたいし︑除外や禁止によって支払ひを強制したり︑消極的

消費の参与をはばみうるという可能性をもたない⁝⁝﹂︵本書六五ページ︶のである︒国防︑司法などは消極的

協同欲望のもっとも基本的なものとしてあげねばならないであらう︒

 積極的協同欲望は︑たとへば学校の授業料や有料の橋の建設などにみとめられる︒この場合にはそれを利用し

つくすことAusnutzunffがもっとも重要なる問題となる︒すなはち積極的協同欲望の場合には︑有償原則の貫

徹はかならずしも不可能ではない︒しかしこの原則の貫徹から生ずる消費の制限はそれに比例して費用の減少を

もたらさない場合が多い︒したがって有償原則の適用が不経済になる場合が多いわけである︒したがってこれを

利用しつくすために︑費用のうちの一部を有償にし︑他の一部を租税のごときものによって強制経済的に充足す

一一77‑

(8)

ることが有用とならう︒勿論利用しつくすための方策はこれにつきているわけではない︒

 共同経済存立の第二の根拠は非社会的需要を除去することであると彼女はいふ〇その意味はつぎのごとくであ

る︒価格構成原則が理想的に貫徹されたとしても︑彼女のいはゆる文化発展の見地からは当然希求すべき財であ

りながら︑個人的な需要もあらはれず︑充足もおこなはれぬ場合もあるし︑また好ましからざる生産消費がおこ

なはれる場合もある︒これを是正する必要が共同経済存立のための第二の根拠をなす︑と︒これは従来いわゆる

社会価値︵自然価値︶と個人価値との離反からうまれる間隙を社会価値の観点からいかにしてうづめるかといふ

問題として取扱はれたものである︒そしてかかる離反が存在する原因のうち重要なものは国民所得の不平等なる

分配および不平等なる購買力の存在である︒ここで共同経済原則がその是正手段としてあらわれるわけである︒

たとへば社会保障制度︑物資の割当制︑国家による財貨の低価提供︑一定生産消費部門の助長または抑圧策など

がこの種の方策として登場する︒

 かくて総体経済のうちで︑財の不可分的性質の存在する場合や︑また非社会的需要の除去が問題となるところ

では共同経済組織が市場経済的価格構成経済にとってかはることになる︒

 以上がマルギット・カッセルの主張のあらましである︒われわれは彼女の学説の個々的な批判はすべて省略す

る︒そしてわれわれの間題意識からして彼女の成果がいかなるいぎをもつかといふことだけを検討してみよう︒

 既述のごとくマルギット・カッセルにあっては︑生活領域としての経済と︑経済原則の競合としての経済性と

の区分が不充分のところから︑二元的対立論と交錯論が未分離︑流動の状態にある︒二元的対立を論ずることが

そのまま二元的交錯を取扱ふこととなっている︒したがって二元的経済組織論が本来問題にすべき財政における

一一78

(9)

主体の構造あるひは政治的なもの︑および社会経済的聯関性あるひは経済組織的なものにたいする問題意識がか

      l i l I I I I I I I I I I 4 1 1 1 1 1なり稀薄な感じをうける︒これは﹁交換経済における共同経済の地位と必然性﹂を確定するだけにとどまる彼女

の問題意識から当然くるところかもしれない︒しかしこれは同時に現代の財政的現実認識の不徹底性のしからし

       ︵註4︶めたところでもあらう︒

       ︵註5︶      ︵註6︶

 現実的適合をめざしての父カッセル学説の完成︑およびワグナーの三元論の純化である彼女の学説は︑逆に現

      ︵註7︶

代財政の事実およびそれにたいする問題意識からの遊離をもたらしてしまった感がある︒

  ︵5︶ 彼女の労作が父カッセルの理論の補完であることは彼女みづから明言するところである︵本書序論︶︒父カッセルは

   その主著TheoretischeSozialkonomie。4.Aufl.。Leipzig。1927。において︑欲望分類論と価格構成論とによって

   総国民経済を把握しようとした︒この場合彼は財政現象にも注目していた︒たとへば彼は協同欲望を論じ︑その充足方

   法の差異にしたがってそれを純協同欲望と︑相対的協同欲望とに分類した︒そして彼は協同欲望充足のためには国家が

   必要であるとし︑かかる本来純協同欲望に基礎づけられた必然性こそが︑全財政学の出発点をなすべきであったといっ

‑79−一一

(10)

ている︒さらに彼はいう︑かくしてこそはじめてこの専門科学は︑その学問の本質的︑必然的範囲が最初から論理的必

然性をもって規定される確平たる核心をえ︑そして組織的聯関性をもって総経済科学のうちに他置づけられうるのであ

ると︵父カッセル︑同上書︑五九ページ︶︒つぎに彼は価格構成原則︵有償原則︶の対極として無償原則をたてた︒有

償原則は交換社会に妥当し︑無償原則は典型的には共産主義経済においてのみ実現するという︒しかし彼は有償原則か

らの多少の離反はつねに現実に存するとした︒そして彼はこれを正常状態からの偏差とかんがへた︵父カッセル︑同上

書︑七八︑七九ページ︶︒しかし彼はこれらをもって独自の経済組織としての財政をえがきだすところまではいたらな

かったのである︒父カッセルと財政学説との関聯については井藤半弥教授著﹁財政学原理﹂三五︑五二︑五三︑五七ペ

ージ︑永田清著﹁現代財政学の理論﹂三〇二︑三〇三ぺIジを参照されたい︒

一一80−・−

(11)

 要するマルギット・カッセルにおいては研究の出発点は所与のものであった︒すなわち第一に父カッセルの欲

望論価格論を純化して共同経済原則をあきらかにすること︒第二にワグナーの経済組織論を純化して共同経済組

織をえがきだすこと︑この二つであった︒現代財政の解明のための二元的経済組織論を発展させる契機となった

といふ点では彼女の学説は勿論大きな貢献をなしている︒しかし彼女の意図はあくまで前世代の学説の純化に重

点がおかれてゐたとゆうべきであるIもっとも︑彼女自身本書の序言で現実の重視を言明してゐるが1した

がって現代の財政的現実の解明といふ問題意識は背後に追ひやられてしまってゐる︒M・カッセルの学説は︑そ

の問題意識と論理構成の点からみると︑二元的経済組織論の前史と現段階のもの︵コルム︑リッチュルの所説︶

との過渡的な性格をもつものといってよい︒そしてカッセルの書物が現在では読者に大きな魅力を感じさせない

のを一つの原因はこの現代的問題意識の稀薄にあるといふべきではなからうか︒

       第三節 コルム︑リッチュルの二元的経済組織論の性格

 現代的意義をもつ二元的経済組織論は︑コルム︑リッチュルの著作が世にでるにおよんではじめて一応の完成       ︵註8︶ をみたといってよからう︒

両者の著作の紹介はすでに他のところでしておいたので︑ここでは︑彼等の二元的経済組織論の特色をみ︑そ

‑一一81‑

(12)

の意義だけを簡単にのべておきたい︒

 両者の主張は大局的見地からみると大体同一地盤のものとおもはれる︒しかし問題意識や論理構成などの点で

はかなりの相違がみられる︒いまここで両者の主張を対照的にしめすとつぎのごとくである︒

 たとへばコルムにあっては二元的経済組織論の問題は︑本来現実の総体経済の複雑なる様相を二元的経済組織

の交錯関係から解明しようとするものである︒二元的経済組織の現実的交錯関係が関心の中心をなす︒これに反

しリッチュルは現実の総体経済の背後に︑純粋に︑理念型的に対立する二つの経済組織をみようとするものであ

る︒二元的経済組織の本質的対立性が彼にとっては本源的な根本問題なのである︒

 コルムはあくまで経済社会の現実的関係のうちにとどまって︑そこから二元的経済組織論を構成してゆかうと

する方法的態度をもつ︒彼は二元的経済組織の本質性の問題や︑歴史的社会的必然性の問題にたいする広汎な社

会学的問題を断念しいちづに経済理論的問題を追求する︒リッチュルは現実的関係の背後にいはばアプリオリー

的な概念として︑ドイツ観念論的な国家観よりするテニース的ゲマインシャフトとゲルシャフトとの対立をおも

ひうかべる︒そしてかかるイデアールなものをもって現実に迫ってゆき︑財政問題の社会学的解明から財政学の

根本的構成原理の解明に迫ってゆくのである︒

 国家経済を独自なものとして認める根本的基準に関しても両者はことなる︒コルムはそれを国家給付の強制性︑

あるいはそのオルガン︑カラクターにもとめる︒リッチュルは社会構成原理や欲望種類の特異性にもとめている︒

 また国民経済全体の循環あるひは発展の様相を二元的経済組織の交錯をとほして統一的に概観する場合の両者

の態度もことなっている︒コルムは︵国家経費︶と国民所得といふ量化−等質化lしうる概念を使用して全

‑82 −‑一一‑

(13)

体の展望をこころみている︒リッチュルは経済性の概念のみが国家経済および資本主義市場経済に共通であると

へかんがる︒それ以外の点では両経済の活動は異質的なものとかんがへる︒そして単に総体経済内における国家

経済の個々の領域と資本主義経済との交錯関係を叙述するにとどまっている︒したがって統一的見地から総体経

済を全体的に把握し展望することを困難にさせている︒このやうな両者の態度の相違によって国家経済の生産性

にたいしてコルムが︑国家経費の作用の面に着目してこれを生産的とみるのに反し︑リッチュルが国民経済の本

質の面に着目してこれを消費的にみるという対立もあきらかとなる︒

 最後に総体経済を観察するにさいしての両者の相違をあげねばならない︒コルムは現実の総体経済を資本主義

と観念し︑そのうちに二つの経済体制の交錯するすがたをみとめる︒リッチュルは資本主義的市場経済とそれに

真向から対立する共同経済との二元的対立交錯をとほして総体経済をおもひうかべるのである︒

 以上の説明によってコルム︑リッチュルの所説の特色がどんな点に存するかについてのおおよその見当はえら

れたものとおもう︒

 つぎに両学説のもつ現代的意義の観点から若干の批判をしてみよう︒ここでは本稿のはじめにしめした二元的

経済組織論の課題にしたがって︑第一に交錯論を中心とした二元的経済組織論の経済理論的性格︑第二に対立論

を中心としたその政治的性格という点から検討してみよう︒

 第一の観点からはじめよう︒普通には交錯論は対立論を前提にするとかんがへてよい︒しかしここでは交錯論

を最初に考察する︒既述のごとくこれは二つの経済組織の交錯によって総体経済の循環あるひは発展を把握しよ

うとするものである︒財政を不可欠の要素とする国民経済の統一的把握が問題となるのである︒したがってここ

−一一一一83‑

(14)

では財政の経済理論的性格が重視されるといってよい︒さてゲルハルト・コルムは国家経費の市場経済にたいす

る交錯過程を︑いわゆる政治目的によって区分し叙述するとともに︑所得の形成および使用という点に着目して

とくに経済理論的に把捉しようとしている︒いわゆる所得移転的経費︵貨幣給付︶と︑実質的消耗的経費︵固有

の行政給付︶にわかって市場経済︑とくに市場的生産経済と財政との関聯をきわめようとするのである︒これは

単に国家給付の市場経済的生産消費にたいする実質的作用をしめさんとするにとどまらない︒さらに国民所得の

概念をとおして︑その量的測定へのみちをひらくものである︒国民所得と国家経費とをもって現実の総体経済過

程を二重の循環国式として量的に表現してゆかうとするコルムの図式は︑かなりの批判かある︒しかしともかく

も︑現代の財政と経済との総体を展望すべき︑したがって現代財政の社会経済的聯関性を経済理論的に把握すべ

き統一的地盤あるいは基礎理論を提供するものといってよい︒ただこの場合コルムが静態的把握にとどまってい

たということは大体の傾向としてうたがいえない︒最近のフィスカル・ポリシーにおいては︑かかる静態的把握

をこえた動態的な発展理論が構想されているのであるが︑その基礎の一がコルムのあたりに存することも大体正

当とされる︒

 さて︑リッチュルの交錯論は理念としての共同経済の現実的なあらわれかた︑あるいはそれと資本主義との交

錯を論ずるものである︒いわゆる政治的なものl彼にあっては︑すぐれて普遍主義的であると理解されるl−

と資本主義的なものとを異種的︑独立的にかんがへてゆく︒﹁静態的共同経済﹂と﹁動態的市場経済﹂とはあく

まで接触するにすぎない︒したがって具体的に両経済組織の現実的交錯関係をかんがへるときには︑国家的財政

経済の個々のあらはれかた︑すなわち国家的生産経済︑国家的統治経済︑等々をそれぞれにわかって市場経済と

‑84 −一一‑

(15)

の接触面をばらばらに研究するにすぎなくなる︒勿論それ自体としては従来のドイツ財政諸学説の批判と整理を

へた価値ある研究である︒また︑これらのわけかたによってはじめて︑経費︑租税︑手数料︑官業︑等々の作用

内容およびその作用領域を確定し︑研究することができるといってよい︒しかしながら彼にはこれらをすべてふ

くめて統一的に観察すべき観点が欠けている︒したがって財政を不可欠の要素とする総体経済の統一的把握とい

う交錯論のもつ課題の一半は依然はたされないままであるといってよからう︒

 つぎに第二の観点から考察しよう︒さて︑かかる交錯論は︑それが総体経済の展望を可能にしているかぎり︑

かならずなんらかの統一的見地を基礎にして展望している︒たとへばコルムは国家給付を費用で︑市場経済給付

を国民所得で計算して展望しているのである︒しかしほかならぬかかる統一的立脚点こそは二元的対立論があき

らかにすべきものなのである︒したがってこれは二元的経済組織論の基礎をなすものといってもよい︒しかしな

がら︑本来二元的対立論の問題は︑経済組織の異質的二元性をとほして国家経済の主体の構造をあきらかになさ

むとすることである︒そしてここから国家経済の主体を研究する財政学の構成原理をもあきらかにしようとする

努力もうまれるのである︒いはば政治的性格をもつ財政主体の構造分析にまですすみうるところに二元的対立論

の意義が存するのである︒コルムは国家財政の把握にさいし︑財政需要を所与とし︑その手段調達の強制性にの

み注目する形式的普遍主義のかんがへ方を不当とする︒そして既述のごとく給付の強制性︑あるいはそのオルガ

      ︵註9︶ ンカラクターに財政の本質をみとめることにより︑財政主体の構造分析への道をひらいた︒さらにまた︑給付の

      ︵註10︶ ﹁領域﹂あるいは﹁種類﹂による経済作用の区分をとほして︑逆に財政主体の分析をせまるものがある︒しかし

ながらコルムはこゝでとどまっている︒経済理論的問題をこゝでの直接の対象するコルムは︑かかる問題に解答

85 ‑一一

(16)

する必要を感じなかったのであらう︒しかしたとへば︑彼がいはゆる政治的なものを経済化してつくりあげたと

いはれる所得循環の図式の説明にさいしてもーいかなる観点から国家給付を︵たとへば経費と同価値として︶図

式にくみいれるかは︑財政主体の構造の社会学的分析をまってはじめてあきらかにされるものである︒したがっ

て経済的観点にのみ固執するのは不充分となるおそれがないではない︒

一一一一86‑

(17)

 リッチュルは共同経済の理念をひつさげて財政主体の問題にむかう︒彼にあっては共同経済は資本主義的市場

経済とは真向から対立するものである︒国家はゲマインシャフトの理念を体現すべきものであり︑国家の経済は

この理念にしたがっていとなまるべきものとなる︒国家の必要とする財貨はこの点からいわゆる共同社会欲望と

して所与のものとなる︒かくして彼の普遍主義社会観はドイツ観念論的国家観の伝統に根ざすものであり︑した

がってドイツ財政学の主流を代表する見解でもある︒それは全体としての財政の意義あるいは重要性をあきらか

になしうるのであるが︑われわれがここで問題にしている財政主体の構造を把握するためにかなりの困難をおも

はせる︒けだし︑ゲマイシャフトの理念の圧倒的に優越するところ︑財政需要を所与とかんがへるところ︑現実

の財政主体の構造は依然ヴェエルにかくされたままでいるよりはほかはない︒社会学的観点から財政学の根本問

題に迫っていったリッチュルが逆に社会学的分析への道をとざしてしまった感じがするのはまことに残念なこと

  ︵註11︶ である︒

 第四節 む  す  び

以上によって財政学上の新経済学派が主張する二元的経済組織論についての概観がえられたものとする︒

勿論二元的経済組織論が現代財政の解明にどれほど有効であるかという点に関してはこれを正面から論ずるこ

‑87 ・一一一一

(18)

とはしなかった︒しかし既述のうちにその評価の若干を暗示しておいたつもりである︒

 要するにM・カッセルとH・リチュルの体系は財政理論としては比較的一貫した体系をなしている︒これはド

イツ財政学の伝統的議論題目であった協同欲望論や︑ドイツ社会学界の中心テーマであったゲマインシャフト論

を整理し純化していった当然の結果であらう︒彼等は現実の財政把握の情熱より以上つよい情熱をもって前世代

の学説の整備純化をこころざしたといってもたいしたいひすぎではなからう︒したがって彼等の理論体系が完成

すればするほど︑現実解明への適応性に欠けてくるという結果がうまれるのである︒

 これに反しコルムの学説はあくまで財政の現段階の統一的把握に関する一つの試論であった︒理論体系の整備

という点からみれば前二者よりかなり劣っているであらう︒しかし彼の現実に忠実ならんとする議論は︑一方で

は財政社会学的問題意識への発展の基礎をつくり︑他面では今日流行の経済政策的財政論︵フイスカルポリシ

ー︶への発展をうながす契機をなしているのである︒コルムの書物が今日なほ興味ふかくよみうるのはおおよそ

以上の性質にもとづくものであらう︒

       一九五五年八月十七日

‑88 一一

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