1990 年代におけるロシア極東地域の地方政府の 対外協力と中央・地方関係
―― ハバロフスク地方、沿海地方における対中国関係を中心として ――
International Cooperation of the Regional Governments
and Center-Regional Relations in the Russian Far East during the 1990s
― A Case of the Relations of Khabarovsk and Primorskii Krai with China ―
早稲田大学大学院社会科学研究科 地球社会論専攻 国際社会研究 国際関係論
堀 内 賢 志
HORIUCHI, Kenji
2005 年 11 月
表2
目次
序章
はじめに………...…… 2
1 ロシア極東地域の地方政府を分析する視角……...…... 4
(1)ロシア極東地域をめぐるサブリージョナルな 国際協力への期待と幻滅...4
(2)極東地域の地方政府――対外協力をめぐるアンビバレントな姿勢...6
(3)知事の行動における政治的背景 ――「中央・地方関係 」の観点の重要性...8
(4)中露国境地域における緊張とその国家間関係へのインパクト ――国際政治と国内政治とのリンケージ...11
(5)中国との比較...14
2 先行研究の位置づけ...15
(1)環日本海経済圏、北東アジア経済圏形成の立場...15
(2)ロシアおよびロシア極東地域の地方政治・経済、 中央・地方関係に関する実証研究...17
(3)制度論的な観点からの理論研究...20
(4)国際関係と国内政治の連関をめぐる研究...21
3 本研究の主題と構成...24
(1)主題と方法...24
(2)構成...25
第一部 分析の視点...30
第一章 市場化・国際化の中における地方政府 はじめに………... 31
1 「市場と政府」の関係について――「市場拡張的見解」に即して ...…… 32
2 市場経済化と分権・国際化 ………...… 34
(1)市場経済化と分権 ………...…...…… 34
(2)国際化と分権 ………...………...……… 37
3 「市場拡張的行動」を促す制度的条件 ………...………… 40
(1)ワインガストによる「市場保全型連邦制」 ………...……… 40
(2)「市場保全型連邦制」に対するスライダーの批判 ――ハイアラーキーの重要性 ....… 42
4 国際政治と国内政治のリンケージに関して ...44
結論 ………...…… 48 i
第二章 ロシアの連邦制・地域政策とロシア極東地域
はじめに………...….…… 51
1 ロシアにおける連邦的秩序の形成とその特徴 ………...…….…… 51
(1)ロシアにおける連邦制形成の経緯 ………...…… 51
(2)ロシア連邦制の特徴 ………...….…… 55
(3)ロシアの連邦制の諸特徴がもたらすもの ……...……….…… 62
2 ロシアの地域政策 ………...…….…… 63
(1)地域発展連邦プログラム ………...……….…… 66
(2)経済特区 ………...……….… 68
3 ロシア極東地域の特徴 ………...………….……… 72
(1)ソ連期以来の極東地域の概要 ………...……… 72
(2)極東地域の特徴とそれがもたらすもの ……...…… 74
(3)ハバロフスク地方、沿海地方の概要 ……...…….………… 77
結論 ………...……….……… 78
第三章 ソ連・ロシアと中国の市場経済化の中での地方政府 はじめに…………...…… 80
1 中国とソ連・ロシアの地方政府――「地域コーディネーター」の観点から... 82
(1)中国の分権改革 ――地方国家コーポラティズムの形成と郷鎮政府の発展 ...…… 82
(2)ハフによる「地域コーディネーター」の概念と ペレストロイカ期におけるソ連の地方政府 ………...…… 84
2 地方政府の行動の背景――歴史的・制度的要因 ………...…… 87
(1)改革前の政治構造および経済・社会構造の観点から ……...… 87
(2)中ソにおける分権と地方政府の対応の相違 ――ソルニックによる説明 ………...…… 93
(3)地方政府をめぐる政治経済的文脈とインセンティブの観点から ――「市場保全型連邦制」をめぐって ………...……… 95
結論 ………...……… 98
第二部 エリツィン期における極東地域の地方政府の保護主義化と 国境の中露関係の緊張 ...103
第四章 中央政府レベルの中露関係における極東地域の位置づけ はじめに………...…… 104
1 1980年代までの歴史的経緯 ………...……… 105
(1)中露国境とロシア極東地域の歴史 ……...……… 105
(2)80年代における転換 ………...……… 108 ii
2 中露国家間関係の進展と極東地域の位置づけ ………...……...….…… 111
(1)90年代における中露関係の緊密化 …………...………...…… 111
(2)緊密化の背景にあるもの ………...………… 113
(3)中露国家間関係における国境地域間交流の位置づけ …...… 116
3 中露国境の両地域の経済的補完性 ………...……… 122
結論 ………...……… 125
第五章 1990年代初頭の極東地域における地方主導の国際戦略 はじめに ………...….. 127
1 80年代後半における極東地域の経済構造転換の試み ……...…...…. 128
(1)極東地域における地域経済構造転換の議論とウラジオストク演説....128
(2)中央主導の開発戦略とその挫折 ………...………. 130
2 沿海地方とハバロフスク地方における国際戦略 ………..…...….… 132
(1)沿海地方における動向 ………...…….… 132
(2)ハバロフスク地方における動向 ………...…..………….… 135
3 地方主導の国際戦略が孕んでいた問題 ………...…….…137
(1)ロシア共和国政府による支持の「政治的」文脈 ………..…...…137
(2)地方間のエゴイズムと極東地域の統一性の解体 …...…….…138
(3)極東地域主義の動き――「極東共和国」の独立? …...……….…140
結論 ………...….…141
第六章 急進的な市場経済化の改革と地方政府の保護主義化 はじめに ………. 145
1 急進的市場経済化の中のロシア極東地域 ………...…...……145
2 急進的な改革がもたらした問題 ………...….……148
(1)強いられた「国際化」とそれがもたらした 対外的脆弱性の意識の高まり ...148
(2)学者政権の終焉と地方政府の保護主義化 ………...…...…150
(3)中央の地域政策における合理性の欠如 ………...…...……151
3 地方政府による保護主義的行動 ………...…153
(1)地方政府の保護主義化と知事の権力基盤強化………...……..……154
(2)地方政府による反「市場拡張」的行動 ………...……..…156
結論 ………...…159
第七章 沿海地方、ハバロフスク地方における対中国関係の緊張とその政治的背景 はじめに………...……. 162
1 対中脅威論の高揚と地方政府の対中強硬政策 ………..………..………….163
(1)中国脅威論高揚の背景 ………...…….…163
(2)対中国関係の緊張 ………...…….…166 iii
2 中露東部国境画定問題をめぐって ………...……….……167
(1)中露東部国境画定問題の係争化 ………...…….……167
(2)国境協定への反対運動における「駆け引き」としての側面 …...…173
(3)ナズドラチェンコ知事のプラグマチズム ……...……175
3 ハバロフスクと沿海地方の相違 ………...…………..………178
結論 ………...……180
第三部 中露国境の緊張緩和と中央・地方関係、地域政策の転換に向けた試み...185
第八章 国境の緊張緩和と国境問題解決に向けた動き はじめに ……… …..186
1 国境における軋轢解消の試み ………...……187
(1)国境管理の強化と国境貿易の制度化 ………...……187
(2)地域政策の転換と「極東ザバイカル地域長期発展プログラム」...…189
2 中露東部国境画定問題の解決に向けた中央の戦略とその挫折 ……...………191
(1)中露東部国境画定問題と「極東ザバイカル発展プログラム」の 大統領令による承認 ………...……191
(2)ナズドラチェンコ知事への統制強化の試み …………...………194
(3)中央の戦略の破綻 ………...………195
3 国境画定「完了」以後 ………...………197
(1)中露国境交流促進のための制度的整備 …...………197
(2)沿海地方における国際協力の積極化 ……...………198
結論 ………199
第九章 ロシア金融危機とプリマコフ政権による転換 はじめに…………...… 202
1 ロシア金融危機とそれがもたらした混乱 ………...………...……203
2 プリマコフ政権における政策転換 ………...………204
(1)プリマコフ政権の成立と経済政策の転換 ……..………204
(2)中央・地方関係の再構築 ………...…………206
(3)極東地域に対する姿勢 ………..………207
3 プリマコフの連邦制改革論 ――「連邦関係の発展に関する全ロシア協議会」における演説から ....…208
結論 ………..…….……211
第十章 プーチン政権における連邦制改革と極東地域に対する政策 はじめに……...….…… 214
1 プーチン政権の誕生――安定的な政治基盤の実現...214
2 連邦制改革...216 iv
(1)連邦管区制の導入と大統領全権代表...216
(2)統一的な法的空間の創出と垂直的権力構造の強化 ...220
3 地域政策の方向性...223
4 対東アジア政策、対極東地域政策の方向性と展開...225
(1)対東アジア政策、対極東地域政策の基本方針...225
(2)極東における中国人入国者問題と経済・社会開発の問題...228
(3)中露国家間関係の進展と国境画定問題の最終的解決...231
結論...233
終章 はじめに………...…………...…238
1 極東地域の地方政府はなぜ国際協力に対して消極的であったか...238
(1)極東地域の地方が市場経済化、国際化にあたって直面した困難....240
(2)地方政府による市場経済化、国際化の「回避」を 可能にした諸条件...243
(3)地方政府のエゴイズム、短期的利益の追求を促す諸条件...245
(4)中央政府のリーダーシップにおける問題...246
2 対中国関係をめぐる中央・地方関係...248
(1)中国脅威論の高揚 ――地域政策の欠陥と中央・地方関係の観点から...249
(2)中露関係をめぐる中央・地方間の認識のギャップ...250
(3)「『3』レベルゲーム」としての中露国境画定問題 ――「バランサー」としての地方...252
3 国際協力の進展と緊張緩和をもたらした諸要因 ...253
(1)中央の政策と地元社会との「バランサー」としての地方政府...253
(2)国境の不安定要因の除去と国境地域間交流の制度化...254
4 プリマコフからプーチンへ ――「北東アジア協力におけるロシア極東地域」の将来...255
(1)プリマコフ、プーチンによる連邦制と 地域政策の改革が持った意味...256
(2)極東地域における「国家の強化」...258
(3)「上からのイニシアチブ」と「下からのイニシアチブ」の調和...260
おわりに...262
付録 ...264
参考文献一覧 ... 286
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図表一覧
図1 北東アジア関連地図...1
図2 国際政治と国内政治のリンケージ...45〜46 図3 図們江開発計画地図...120
図4 沿海地方の係争地点...169
図5 ハサン地区拡大図...169
図6 中露東部国境...172
図7 ハバロフスク地方近郊の二島...172
図8 連邦管区...217
表1 1991 年におけるロシア連邦の総生産高におけるロシア極東地域のシェア...73
表2 ロシア極東地域における移出入の比重...73
表3 ロシア極東地域とソ連全体の工業生産伸び率の比較...73
表4 地域ごとの諸指標の比較...75
表5 ロシア極東地域の諸地方財政の連邦財政に対する依存度...75
表6 ワインガストによる「市場保全型連邦制」と、これを通じた中露の体制の比較、 およびスライダーによる「市場創造型連邦制」...96
表7 黒龍江省におけるロシア極東地域との貿易額の推移...119
表8 中露国境の地方の人口動態...123
表9 黒河、綏芬河の中露国境を通過した人・貨物の推移...164
表10 ハバロフスク地方、沿海地方の対中貿易額、および両地方の全貿易額に 占める対中貿易額の割合の推移...164
vi
図1 北東アジア関連地図
出所:Sherman W. Garnett ed., Rapprochement or rivalry? : Russia-China relations in a changing Asia, Carnegie Endowment for International Peace, 2000, pp.432-433の地図を 修正
序章
はじめに
本論は、1990年代以後のロシア極東地域1 (以下、略して「極東地域」とも記述する)
における地方政府の対中国政策と行動を分析するものである。
冷戦終焉後の 1990 年代初頭、北東アジア地域における国際協力の発展には大きな期待 がよせられた。にもかかわらず、現実には期待されたような成果は上がらなかった。なぜ、
期待に反してこの地域の国際協力は停滞してしまったのか。その背景を問うのが本論の主 題である。
この目的にそって、主題の背景を分析するにはいくつかの課題を詳細に検討しなければ ならない。第一に、当初この国際協力を担う主体として期待されていたロシア極東地域に おける地方政府の、この国際協力に対する姿勢を分析する必要がある。1990年代初頭にお いては、これらの地方政府のその取り組みの姿勢は非常に積極的であった。しかしそうし た姿勢は、93 年頃を境にして、急速に転換された。その後、90 年代を通じて、むしろ消 極的な姿勢が強く貫かれたとすらいってよい。なぜこうした転換がなされ、なぜその後消 極的な姿勢がとられたのか、その背景を明らかにしなければならない。
第二に、しばしば指摘されることとして、地方政府の知事の状況認識、およびその行 動がこうした転換の背景にあり、さらにはそれが地方政府の対外姿勢一般に対して大きな 影響力を持つということがある。したがって、ここではまず地方政府の知事の言動とその
2
1 ロシア極東地域とは、ハバロフスク地方、沿海地方、サハ(ヤクーチヤ)共和国、サハリン州、
アムール州、マガダン州、カムチャツカ州、ユダヤ自治州、チュコト自治管区、コリャーク自治管 区の、10の「連邦構成主体」(注2を参照)からなる地域である。この地域はソ連期より「経済地 域」の一つとして、地域経済・産業政策の単位としてあり、また2000年の制度改革を通じて「極東 連邦管区」という、ある種の行政上の単位ともなっている。ただし、極東地域の地方政府で構成さ れる「極東ザバイカル地域間協力協会」には、この10の連邦構成主体に加え、チタ州とブリヤート 共和国(これらは経済地域としての「東シベリア地域」の一部であり、2000年以降は「シベリア連 邦管区」の一部となっている)が含まれており、また、1996年に策定された連邦の地域経済社会長 期発展プログラムの一つである「極東ザバイカル地域経済社会長期発展プログラム」(第八章を参照)
もこの12の連邦構成主体が開発対象となっているなど、地域経済政策の単位としては、これら12 の連邦構成主体が「極東ザバイカル地域」という一まとまりのものとして扱われることが多い。
背景を分析することを通じて、上記の問題にアプローチすることが課題となる。
第三に、極東地域の知事たちの対外姿勢の変化や特徴が、特に先鋭的な形で現れたのが、
対中国関係においてであった。極東地域の社会において「中国脅威論」が高揚する中、知 事たちは、中露関係の最も重要な基礎というべき「中露東部国境協定」に基づく国境画定 作業に対して反対の姿勢を明白に示した。それは、知事によって同協定の「破棄」を求め る行動が示唆される事態にさえ進展したのである。そこで、本論では、こうした対中国国 境地域における緊張がいかに生じたかを分析し、また、それが中露関係においていかなる 含意を持ったのかを考察する。
第四に、以上のような目的から、本論が具体的なケースとしてとりあげるのは、ロシア 極東地域においても、とりわけ中国国境に接する地帯に位置し、かつ、極東地域の政治・
経済の中心とされるハバロフスク地方、沿海地方の動向となる。この両地方の地方政府の とった対中国関係を中心として分析を進めることは、本論の目的にそった課題として欠く ことができない作業である。
従来、これらの問題に関しては、いわゆる「環日本海圏」、「北東アジア圏」の形成に向 けた一連の研究、および、ロシアの政治・経済研究の中で扱われてきた。しかし、前者に おいては、こうした国際協力における否定的要因が正面から分析の対象となることは少な かった。また、後者においては、いくつかの研究が、それぞれの視角から諸要因を抽出す ることに成功してきた。しかし、上に本論の課題として掲げた一群のテーマに対して、十 分に体系的で一貫した記述・分析がなされてきたとはいいがたい。いずれにしても現象面 の記述を追求する論考が多くを占めているのが現状である。ここに掲げた分析すべき課題 に一貫して共通するのは、ソ連崩壊後のロシアにおける中央・地方関係である。現象面の 記述も、中央・地方関係の解明なしには、有益な知識をもたらすとは考えにくい。
本論は、こうしたこれまでの研究に欠落した視点を補うためにも、ロシアの中央・地方 関係を軸とした分析を通じて、ロシア極東地域の地方政府がとった国際協力への消極的な 姿勢を、その背景から一貫して体系的に説明しうる諸要因を抽出し、先行する諸研究に新 たな知見を加える試みである。
現在、プーチン政権が進める改革では「集権」が進んでいるとみられている。そうした 動きが、地方政府を主要な主体とした北東アジア国際協力において、いかなる意味を持つ
3
のか。あるいは、中露関係が様々な不安定要因を抱えながら緊密化を進めている中で、そ の最大の不安定要因の一つである国境地域間関係は、いかなる性格をもったものであり、
国家間関係にいかなるインパクトを持ちうるのか。本論で追求する課題は、こうした問題 を考察する際にも分析の一助となりうると考えられる。
以下において、上で述べた本研究の課題、すなわち分析の視点について、その背景をよ り詳しく述べる。
1 ロシア極東地域の地方政府を分析する視角
(1)ロシア極東地域をめぐるサブリージョナルな国際協力への期待と幻滅
ソ連末期の 90 年代初頭、ロシア極東地域は、潜在的なマーケットとして、周辺諸国か ら非常に大きな注目を集めていた。同地域は、中国、日本、韓国をはじめとする北東アジ ア諸国に隣接した地域である(図1の地図を参照)。一年の大半を厳しく寒冷な気候に覆わ れ、領土の広大さに対して人口密度は著しく低く、経済的、社会的なインフラの整備は国 内でも立ち遅れている。しかし、石油・天然ガスなどのエネルギーや、金・ダイヤモンド などをはじめとする非鉄金属、森林資源、水産資源など、多くの天然資源に恵まれており、
潜在的には大きな発展の可能性を秘めている。とはいえ同地域は、ソ連期において長らく 厳しいアジア冷戦、中ソ対立の最前線の地としてあり、また、国内向けの一次産品と軍需 製品の供給地として機能し、長らく周辺諸国との経済関係は限定されてきた。
この地域がそうした潜在的なマーケットとして特に急速に国際的な注目を集めるように なったのは、80年代の半ばにおけるゴルバチョフ政権の成立以降のことである。同政権の 下でソ連の新たなアジア政策が推進される中、中ソ国交正常化や韓ソ国交樹立が達成され てゆくことよって、北東アジア地域の冷戦体制は終焉に向かった。また、ペレストロイカ の進展の中で、ソ連における経済活動の自由化、とりわけ対外活動の自由化が進められて いった。こうした状況の変化によって、ロシア極東地域をめぐる国際協力を発展させる条 件が整っていったのである。
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さらに、それに加えて重要なことは、この極東地域の諸地方(以下「連邦構成主体」と しても触れる)2の地方政府が、ソ連中央の統制と計画経済のくびきが緩和されてゆく中で、
自律的な行為体としての性格を強めていったことである。極東地域にとって、遠いソ連欧 州部との経済的な移出入関係が多大なコストを伴うことは明らかであり、またこの時期中 央の計画と投資に依存した発展のあり方は全く行き詰っていた。逆に、近接する北東アジ ア諸国、さらにアジア太平洋諸国と自由な経済関係を結ぶ方が、コストが低く大きな利益 ををもたらすことが明らかである以上、自律性を高めた地方政府の行動は、当然こうした 諸国との経済協力を積極的に進めていくものと想定された。事実、90年代初頭、極東地域 の諸地方政府は、相次いで、自らの地方に「経済特区」を設置する政策を打ち出すなど、
対外協力に向けた積極的な姿勢を見せていた。また、91年には国連開発計画(UNDP)が ロシア・中国・北朝鮮の三国の国境が接する地帯に「第二の香港」を建設するという「図 們江開発計画」を発表していた。こうした、地方を主体とした北東アジア地域のサブリー ジョナルな国際協力が進展する兆しがみられたことによって、この地域が国際的にも大き な注目を集めたのである。こうした状況の下、ロシア極東地域と中国東北部、日本におけ る日本海側諸県、南北朝鮮、モンゴルなどからなる「環日本海経済圏」「北東アジア経済圏」
の実現に向けた議論が、各国の地方政府や経済界をも巻き込んで、熱心に交わされること となった。
しかし、その後の展開は、こうした期待を相当に裏切るものであったと言ってよい。90 年代を通じて、ソ連、ロシアでは、政治的混乱や経済的、社会的な危機が常態化した。と りわけ極東地域は深刻な生産の低下と経済・社会システムの混乱、生活レベルの低下が著 しく、治安が急速に悪化した。他方、法制度やインフラの整備は進展せず、著しく不安定 な経営環境の中、合弁企業が現地のパートナーとのトラブルや裁判に巻き込まれ、その資 産を不当に接収されるといったケースも多発し、90年代初頭に極東地域に進出した多くの
5
2ロシア連邦では、連邦の次の下位レベルにある地方単位を「連邦構成主体субъект федерации」 と呼んでいる。本論では基本的に、より一般的な呼称としてこれを「地方」と呼び、その行政府を
「地方政府」と呼んでいる(地方の議会などと区別する必要のある場合は「地方行政府」という言 葉も用いる)。ただし、連邦構成主体の中には「共和国 республика」や「州 область」とともに「край」
という単位があり、この「край」は日本語では一般に「地方」と呼ばれる。(本論で扱うハバロフ スク「地方」や沿海「地方」はкрайである)。このため、これが混同される可能性のある場合、あ るいは特に連邦制度上の単位として言及する場合には「連邦構成主体」という呼称を用いる。なお、
この連邦構成主体の下位に「地方自治体 местное самоупровление」があり、これは「市 город」
「地区 район」などからなる。ロシアの連邦制は、基本的にこうした三層構造からなる。
企業が撤退していった。
ソ連期にエネルギー資源や原料資源の生産、軍需生産等に著しく特化していた極東地域 は、他方で日用品や食料品を自給できない構造にあり、こうしたものを国内の他地域から の移送に頼っていた。その膨大な輸送コストは国家によって補填されてきたのであるが、
しかし、ソ連末期から国内他地域との輸送コストの高騰が激しくなっていったため、極東 地域はいわばこれに強いられる形で、近接する東アジア諸国との経済的、社会的関係を強 めていった。とはいえ、不足する日用品や食料品の調達というレベルを超えて、豊かな天 然資源と技術的なポテンシャルをベースに、周辺国との貿易や資本の導入を通じて天然資 源の加工産業を発展させ、あるいは物流の要としてこの地を発展させてゆくという当初の 期待は、ほとんど実現されていない。
ロシア極東地域をめぐる北東アジア国際協力の、こうした期待と幻滅とのギャップに、
本論の問題関心の原点がある。なぜこうした事態が生じたのか、その背景にはいかなる要 因があるのかという問題が、本論の背景にある基本的な問いである。
(2)極東地域の地方政府――対外協力をめぐるアンビバレントな姿勢
こうした問いを設定した時、一つの要因として浮かび上がってくるのが、そこにおける 地方リーダーたちの行動のあり方である。すなわち、こうしたロシア極東地域の対外協力 をめぐる当初の期待とその後の現実との大きなギャップの中で、とりわけ識者の予想を大 きく裏切ったことの一つは、この極東地域の地方リーダーたちが、こうした周辺諸国、諸 地域との協力について必ずしも積極的ではなく、時に対外的な脅威を煽り、対外経済交流 を阻害するような行動をとるようになっていったことである。彼らにおいては、周辺諸国 との協力を、「チャンス」と見る以上に、「脅威」と見る傾向が強かった。こうした点につ いて、ロシア科学アカデミー極東支部極東諸民族歴史・考古・民族学研究所のヴィクトル・
ラーリンが明確に論じている。彼によれば、この地域の地方リーダーたちや住民の心理の 中には、アジアに対する「恐怖」と「共感」という、矛盾した感情が共存している。彼は このアンビバレントな感情を、以下のように指摘する。
6
この地域の外的条件(何よりも中国と日本であるが)は、重要な形で、そ の経済的・社会的・民族的構造、政治的・軍事的組織に対してだけでなく、
住民の意識に対しても働きかけていた。アジア的な精神、すなわち、アジ アへの近接性に対する自覚的、無自覚的感覚が、非常に本質的な役割を果 たしてきたし、今も果たしている。そして、現在、アジアへの恐怖、ある いは共感――決して無関心ではなく――これが、地域リーダーたちが行わ なければならないところの、あるいは行うことが可能であるところの地域 政策の優先順位の選択に影響を与える、最も重要なファクターである…〔中 略〕…少なからぬ程度、日本や中国と隣り合っているということが言われ るのだが、そのことは、ロシア人においては、この地域で自分たちは異質 なのだという確固たる感覚を形成することとなっている。そして、太平洋 ロシア〔筆者注:ロシア極東地域とシベリア東部を含む地域を指す〕が、
すでに地理的にだけでなく歴史的にもアジアの一部であるにもかかわらず、
ロシア人たちは、アジアに住むロシア人たちでさえも、ヨーロッパ的な文 化、ヨーロッパ的な世界認識を持つ者であり続けている。自分の隣人たち をそうしたものによって認識する中では、最初から、常に、二面性と矛盾 性とがあらわれ続けているのは、驚くべきことではない。…〔中略〕…総 じて言えば、中国との関係においては、政権とマスメディアによって煽ら れた恐怖が、思い上がりと共に存在し、また日本との関係においては、伝 統的な不信が、純粋に情緒的なものを基礎として発達した歓喜と共に存在 していたといえる。3
中国や日本といった隣接諸国との協力が利益と繁栄をもたらすことが明らかであるにもか かわらず、同地域がいまだそれに消極的でしかないことの重要な理由として、こうした極 東地域の住民や地方リーダーたちの認識があることは確かであろう。本論の焦点は、こう
- о г с
7
3 Виктор Ларин, "Китай и Япония в Судьбе и Надеждах Тихоокеанской России," Ро сия - Китай- Япония в Северо Восточной Азии: Пр блемы Ре ионального Взаймодействия в XXI веке, Институт истории, археологии и этнографии ДВО РАН, 2000, стр.6.
した地方リーダー、特に知事4の対外姿勢に絞られる。知事たちはなぜ、周辺諸国、諸地域 との協力について必ずしも積極的ではなく、時に対外的な脅威を煽り、対外経済交流を阻 害するような行動をとったのか。そうした知事たちの対外姿勢の背景を、より先鋭的な問 題となった中国との関係に焦点を当てながら考察することが、本論の基本的な目的となる。
(3)知事の行動における政治的背景――「中央・地方関係5」の観点の重要性
極東地域の知事たちの、中国、日本などに対するこうしたアンビバレントな対外姿勢の 要因を考える場合、ラーリンが指摘しているような歴史的、文明的要因があることは、他 の識者もしばしば言及するところである。そもそも、20世紀におけるロシア極東地域の歴 史は、対日戦争、アジア冷戦、そして中ソ対立という、東アジア諸国との対立の最前線と しての歴史であった。また、同地域は、近接するアジア諸国との交流を長らく閉ざされ、
中央の計画の下で、国家の手厚い庇護の下、国家との強い結びつきの中で開発されてきた 地域である。そして、天然資源の採取のためにロシア欧州部やウクライナなどから人為的 に移民が進めてられてきた地域であるため、その住民は、日本や中国、朝鮮半島、東南ア ジア諸国の住民が共有しているような明白な文化的、人種的共通性を持っておらず、東ア ジア諸国との間には、いわば「文明的」な断絶がある。
しかし、それだけで知事たちの行動を説明できるだろうか。後に検討するが、こうした 知事たちの対外姿勢のあり方は、地方ごと、知事ごとに違っており、しかも同じ知事であ ってもその姿勢は一定ではない。すなわち、歴史的、文明的要因だけでこれを説明するこ とはできない。知事の政策選好や行動に影響を与えるような、政治的背景を考慮しなけれ ばならないのである。1990年代における同地域の市場経済化の過程で生じた経済的な落ち 込みや社会的混乱、あるいは特に中国との交流の増大がもたらした様々な軋轢は、「歴史
4 ロシアでは、連邦構成主体の首長を、「行政長官 глава администраций」と呼んでいるが、州・
地方の首長たちは、自らを「知事 губернатор」と呼ぶようになってゆき、これがごく一般的な呼 称となっている。本論でも、州・地方の首長たちを「知事」と呼ぶ。ただし、連邦構成主体として の「共和国」(ソ連期の「自治共和国」)の首長は「知事」ではなく「大統領 президент」と呼ばれ る。このため、「知事」と共和国の「大統領」を総称する際には「首長」という言葉を使うこととす る。
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5 本論において「中央」という言葉は、連邦レベルの大統領府と行政府とを念頭に置いている。基 本的に連邦議会は含まれない。「中央・地方関係」という言葉も、連邦レベルの大統領府・行政府と、
連邦構成主体の行政府との関係を指す。
的・文明的要因」を強める効果を持った。さらに、こうした地元住民の上に立つ知事たち は、当然そうした住民の意識に対応した行動をとることが求められるわけであるが、また 彼らにとってそうした対応は地元における権力基盤を強化し、中央との交渉で有利に立つ ための、政治資源となりうる。こうした側面に、この問題に政治学的にアプローチする切 り口がある。
現在のロシアにおける知事の役割と地位について、ごく簡単に触れておきたい。ソ連期 において地方の統治は、建前としては地方のソヴィエト(議会)が支配することとなって いたが、実態としては地方の共産党第一書記を最高責任者とし、さらにソヴィエト執行委 員会議長、および地方政府の官僚組織が支配していた。そして、共産党の上意下達式のハ イアラーキーにより、中央の決定が貫徹されていた。同時に、地方の企業に対しては、連 邦の省庁を通じて、中央の計画に従った命令が直接的に下されていた。しかし、こうした 共産党の紐帯と計画経済システムが解体される中で、地方の政治経済上の統治責任と権威 は、地方の行政長官=知事に、一手に集中してゆくこととなる。知事の権力は、93年に地 方ソヴィエトが解体され、新たな地方議会が形成される中で一層強化された。しかも、ソ 連期のように地方党書記から中央へ党のハイアラーキーを上っていくという階梯も存在し なくなり、逆に95〜96年頃からは知事公選が一般化していった。すなわち知事の地位は、
中央の意向や命令に従うことではなく、地元の政治・経済エリートや有権者の支持によっ て保障されることとなった。このため知事は、中央の意向や命令の執行者としてよりも、
地元利害の代表者としての性格を強めていった6。そして、地元の利害を中央へ伝えるチャ ネルとして、また中央から様々な支援を獲得するロビーイングのルートとして、中央・地 方関係において特権的に重要な機能を果たすものとなり、同時に、各地方内部の官僚組織 と政治経済への管理権限を一手に束ねる、大きな権力を持つこととなった。
ロシア国内でもとりわけ市場経済化、国際化にあたって困難な条件をもった極東地域の 発展を促すには、中央が適切な地域政策を講じることによって、市場経済化、国際化への 移行のための好適な条件を整備するとともに、地方政治経済の責任者たる知事に対して、
そうした政策を実施するよう促すことが必要となる。しかし、ロシアの中央・地方関係、
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6 地方、すなわち連邦構成主体という単位は、ロシア憲法において「地方自治」の範疇にはない。
それはあくまで「国家権力地域機関」である。ロシアにおける「地方自治」は、この下位の市・地 区レベルの「地方自治体」において存在する。
および中央の地域政策は、そうしたあり方におよそ反するものとなった。
この点に関する、本論の基本的な仮説は、以下のようなものである。
1990年代を通じて、ロシアの中央は、安定的な政治的基盤を欠くと同時に、地方政府に 影響を与え、また地方の現場で政策を執行する力を著しく低下させた。他方、ソ連末期か ら顕著になった地方政府の独立的な傾向と、市場経済化に向けた困難な試みの中で、中央 は、相互の権限と責任を明確にした、安定的で一貫性をもったルール・制度を、地方との 関係において構築することができなかった。むしろその関係は、個々の地方リーダーとの インフォーマルかつバイラテラルな政治的取り引きに依存したものとなった。
ソ連期の計画経済体制の中で、各地方は特定の産業に特化した形での発展を強いられて おり、それらを多くの輸送コストを使って連関させることで、ソ連経済は機能していた。
このため、ロシア連邦を構成する 89 の地方は、おのおの自立性を持たず、その生産物は 多くの場合、国際的な競争力を持たなかった。それだからこそ、連邦の一体性を確保しな がら各地方経済の市場経済化、国際化への対応を促すためには、本来、中央の適切な地域 政策が不可欠である。しかし、地方への影響力を著しく低下させ、また地方から税を吸い 上げ財政を確保する能力も、その財政を戦略的に配分する能力も失っていた中央は、そう した要請に応えてはこなかった。
こうした中、事実上の政策的自律性を確保し、地元住民や地元の支配的な政治経済エリ ートをその支持基盤とするようになった地方政府および知事は、市場経済化、国際化に対 する地元社会の抵抗の強さから、むしろそうしたものに対応した地元経済構造の再編には 消極的となり、より安易な、中央からの財政支援の確保のようなものに頼る傾向を強める。
とりわけロシア極東地域は、特に深刻な経済的、社会的な脆弱性を抱えたまま隣接諸国と の経済関係への依存を強いられ、社会における対外的脆弱性の意識はかえって強化された。
それは、ロシアにおける中央・地方関係の不安定性とあいまって、地方政府が長期的展望 の下に地元経済・社会の再編を行うことを困難にし、中央との交渉を通じた様々な支援獲 得を目指す、知事のレント追求的な行動、および、法的規範を軽視した短期的利益極大化 の行動を促す効果を持つことととなった。
極東地域の知事たちの対外姿勢の背景に、政治的な要因があり、また特に中央・地方関 係という文脈でその政治的な要因が機能していることは、これまでも様々な形で指摘され
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てきたことではある。しかし、その要因を概念化し、中央・地方関係の中で位置づけ、体 系的にこれを説明する試みは、十分になされてきたとはいえない。さらに、現在のプーチ ン政権の下で中央・地方関係の改革が進んでいる。これは一般に「集権化」と規定され、
それが現在のロシアでは必要なのだと指摘する識者もいれば、危険であり害があると指摘 する識者もいる。しかし、そもそもこのプーチンの改革は、エリツィン期の体制の歪みを 克服しようとする目的を持っており、単純に「集権化」と呼ぶことの出来ない性質のもの である。このプーチンの改革は、いかなる性格を持ち、何を目指しており、どのような問 題をはらんでいるのか、何より、それは北東アジア協力と極東地域の発展の将来において、
どのような意味を持つのか、そうした問いがなされなければならない。本論は、それに体 系的な答えを出そうとするものである。
このように本論は、中央との関係がこうした知事の政策選好や政治的姿勢がを形成する という面に注目し、中央・地方間のフォーマル・インフォーマルな制度的関係や政治的関 係、あるいは中央の地域政策のあり方を主たる説明要因としながら、極東地域の知事たち の対外姿勢を分析するものである。
(4)中露国境地域における緊張とその国家間関係へのインパクト
――国際政治と国内政治とのリンケージ
こうした極東地域の知事を初めとする地方リーダーたちの対外姿勢の持つ問題が、特に 先鋭的な形で現れたのが、対中国関係においてであった。ロシアと中国は、4000キロを越 える長大な国境を接した大国同士としてある。こうした長大な国境を接しているという条 件は、国境の地域間における豊かな交流の可能性をもたらすものであると同時に、そのま ま深刻な地政学的不安定要因ともなってきた。事実、ソ連と中国が深刻なイデオロギー対 立に陥っていた1969年には、国境の川に浮かぶ小島の領有をめぐって武力衝突が起こり、
それは中ソの全面戦争という危機を予感させるものとさえなったのである。ゴルバチョフ 政権誕生後の 1989 年に両国は国交正常化を達成し、この敵対関係に終止符が打たれるこ ととなるが、この国交正常化は、国境線と国境のソ連軍の撤退の問題に関するゴルバチョ フ政権の譲歩によって初めて可能となった。国境地域の安定という問題は、両国関係の安
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定のために不可欠な要素なのであった。
とはいえ、このゴルバチョフの譲歩が意図していたものは、単なるそうした地政学的な 不安定要因の解消にとどまるものではなかった。1986 年の「ウラジオストク演説」7は、
そうした中国への譲歩を言明し、ソ連のアジア太平洋政策の転換を示したものであった。
この演説の中でゴルバチョフは、長い国境を接する中国について、「歴史的に形成されたソ 中両国経済の相互補完性は、国境地域を含め、経済交流を拡大する大きな可能性を与えて いる」と指摘し、国境をはさんだ地域の経済協力を推進することを通じて、極東地域の発 展を促した。同時に、国境地域を「平和と友好の地帯」とし、両国の関係を改善し、強化 する意欲を示したのである。こうした方向性は、その後ロシア連邦と中国との関係が緊密 化してゆく中でも重視された。国境画定作業や国境の軍事的な信頼醸成の推進ともに、国 境地域間の経済協力、国境貿易の拡大や、両国の国境をはさんだ地方政府間の交流などが 共同宣言においてうたわれた。こうした国境地域の安定と、国境地域間交流の増大、繁栄 が国境の不安定要因を緩和、解消し、両国の関係の安定を保障するものと想定されていた のだといえよう。
ゴルバチョフが指摘したように、国境をはさんだロシア極東地域と中国東北部との間に は経済的補完性が存在し、交流がもたらす潜在的なメリットは大きい。ロシア極東地域は、
豊富な天然資源を保有する一方、消費財や食料品などを自給できない構造にある。また、
広大な土地に人口が少なく、またソ連崩壊後に人口流出が進んだこともあって、深刻な労 働力不足の状態にある。これに対し、国境をはさんだ中国東北部では経済発展が著しいた め、石油、石炭などのエネルギー資源や鉄鋼、非鉄金属、木材などの需要が大きい一方、
安価な消費財が豊富に存在し、また多くの余剰労働力が存在する8。事実、80 年代に中ソ の国家間関係が改善され、国境貿易に関する規制が緩和されてゆくに従って、両国の国境 地域間の経済交流は着実に増大した。とりわけ 1991 年末のソ連崩壊にともなう自由化の 中で、それは一気に拡大し、目覚しい活況を呈していた。
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7 М. С. Горбачев, "Речь товарища Горбачева М. С. на торжественном собрании,
посвященном вручению Владивостоку ордена Ленина," Проблемы Дальнего Во тока, №4, 1986, стр.1-19.
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8 ロシアと最も長い国境を接する黒龍江省だけでも、ロシア極東地域で最も人口の多い沿海地方の 18倍、ハバロフスク地方の25倍の人口がある。また人口密度でも、沿海地方が12.8人/km²、ハバ ロフスク地方が1.9人/km²であるのに対し、黒龍江省は81.3人/km²、吉林省は144人/km²と格段 に高い。(以上は2002年のデータ。『ロシア統計年鑑』『中国統計年鑑』より)
ところが、特に1993年頃から、ロシア極東地域の、中国と国境を接する地方において、
中国との経済交流、経済協力に否定的な風潮が生まれていった。その直接のきっかけとな ったのは、長らく対外的な交流から閉ざされ、また人口密度が非常に低いこの地に、大量 の中国人の商人や労働者が流入してきたことによって、この地域の住民の間に中国に対す る脅威感が高まったことがある。ソ連崩壊後のロシア極東地域の経済的、社会的な落ち込 み、あるいは歴史的な経緯などとも相まって、それは「中国による静かな侵略」として捉 えられるようになった。折しも、ソ連末期に締結された「中ソ東部国境協定」が、それま でソ連が実効支配してきた国境河川の島々や土地の一部を中国に引き渡すものであったこ とが明らかになり、それがこうした中国脅威論と相まって事態を紛糾させ、ついには国境 地域の地方知事がこの協定の「破棄」要求を示唆するといった事態さえ引き起こした。中 央にとっては、両国の関係を下支えするはずの国境地域間の交流が「中国脅威論」の高揚 をもたらし、さらには両国の関係の最も重要な基盤である国境協定をも揺るがす事態とな ったのである。
かつてのように、中央レベルの決定を無条件に国内における決定として強制しえた中央 集権体制であれば、こうした問題は起こりえなかった。また、かつてのように地方レベル における自由な国境交流が著しく制限されている状態であれば、やはりこうした問題は起 こらなかった。いわば、これは「分権」と「国際化」を同時に経験したソ連、ロシアにお いてこそ深刻化した問題であった。それは、「国際政治と国内政治とのリンケージ」「グロ ーバリゼーションと国内政治」という枠組みにおいて捉えられるべき問題であるといえよ う。
この問題に関する知事たちの行動は、まさに、知事たちによって異なっており、また、
最も激しい反対運動を繰り広げた沿海地方のナズドラチェンコ知事にしても、その姿勢は 一貫性を持ったものではなかった。すなわち、こうした知事たちの行動も、文字通り地元 の領土を守るための行動というだけでなく、やはり中央・地方関係をはじめとする政治的 要因に促された面があると考えられるのである。この点に関する本論の仮説は、先に触れ たようなロシアの中央・地方関係、とりわけ中央と極東地域との関係こそが、この問題を 係争化させたということである。極東地域の地方政府、および知事たちは、こうしたリン ケージにおける一つの結節点となった。中央集権的な体制が解体し、国際政治上の問題が
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容易に国内政治と結びつくようになる中で、中国に対する強硬姿勢は、地方政府および知 事にとって、地元における権力基盤を強化すると同時に、中央に対する立場を強化するも のとなり、また中央との政治的取り引きにおいて有用なものともなったのである。本論で はこうした点を強調しながら、極東地域の知事の、中国との関係についての姿勢と政策を 見てゆき、その背景について考察する。特に、中国と国境を接し、中央に対する政治的影 響力、および産業の集積度も同地域の中では大きい、ハバロフスク地方と沿海地方のケー スをとりあげることとする。
(5)中国との比較
対外的脅威感を強く持ち、対外経済協力を非常に慎重に進めようとする傾向の強かった ロシア極東地域の地方リーダーたちの姿勢は、国境をはさんだ中国東北部の地方リーダー たちのそれとは対照的なものであったといえる。ロシア極東地域と長い国境を接する黒龍 江省では、ロシアとの近接性と経済的補完性を生かす形で地元経済を発展させるため、ロ シア極東地域との国境貿易や経済技術協力を推進し、さらに北東アジア諸国との協力関係 を拡大するための、積極的な政策が地方政府によってとられてきた。また、すでに触れた
「図們江開発計画」は、やはりロシア極東地域と近接する中国吉林省の地方政府のイニシ アチブによるところが大きかった。さらに、後述するように、吉林省政府はロシアの沿海 地方政府に対し、同省との沿海地方との輸送ルートの開発に協力するよう、熱心な働きか けを行っていた。
そもそも、1980年代以降の中国で驚異的な経済発展が実現した背景には、中央から権限 を委譲されることによって地方経済の効率的運営を行うようになった地方政府の働きが大 きく貢献したことが指摘されている。その典型的なケースは、同国の改革の中で急成長し た「郷鎮企業」である。この「郷鎮企業」が急速に発展するにあたっては、これに事実上 の所有権を持つ郷や鎮といった地方レベルの政府の積極的な関与があったことが指摘され ている。これに対して、ソ連・ロシアの地方政府はむしろ改革に抵抗し、地方における既 存の権力構造を維持する傾向が強かった。1970年代からソ連末期に至る経済改革の中にお ける地方党組織の役割を分析したラトランド(Peter Rutland)は、「ゴルバチョフ政権下
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のソ連政治における最も驚くべき側面は、地方党官僚からペレストロイカへの真の支持者 がほとんど現れなかったことである」と指摘している9。
ロシアと中国は、ともに広大な領土を持ち、各地域の条件が多様な国家であり、また、
中国はソ連の体制を真似て作られたため、両国の統治組織は基本的に同じ構造を持ってい る。その両国で、改革の中における地方政府の働きにこうした対照的な相違が現れたこと は、上で述べてきたような本論の問いに答えるに当たって、両国のケースの比較が重要な 知見をもたらすことを示唆しているといえよう。こうしたことを踏まえ、本論では、改革 の中における中央・地方関係と地方政府の役割に焦点を当てたかたちで、中国とソ連・ロ シア両国の体制や改革の進め方に関する比較を行い、これを通じて、ソ連・ロシアの中央・
地方関係や改革がはらんでいた問題と、それが地方政府の行動に与えた影響に関して、よ り深い考察を行うこととしたい。すなわち、本論において、「中国」は、ロシアとの「関係」
を見る対象であるとともに「比較」の対象ともなっている。
2 先行研究の位置づけ
(1)環日本海経済圏、北東アジア経済圏形成の立場
ここで、本論に関わりのある先行研究と、それとの関係における本論の位置づけ、意義 について触れたい。
まず、ソ連における政治的・経済的自由化と北東アジア地域の冷戦構造の溶解に伴い、
80年代半ばから、「北東アジア経済圏」「環日本海経済圏」という形で、ロシア極東地域を 含む北東アジア地域のサブリージョナルな国際協力、さらには地域統合の可能性に関する 先駆的な研究がもたらされた。この時期には、ロシア、中国、日本、韓国をはじめとする 諸国の学者・経済人・行政関係者によって、こうした観点から北東アジアの国際協力に関 する会議やシンポジウムが開催されるようになった。
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9 Peter Rutland, The Polit cs of E onomic S agnation in he Sovie Union: The Role o Lo al Par y O gans in E onom c Management, Cambridge University Press, 1993, p. 207.
この時期から現れた「北東アジア経済圏」「環日本海経済圏」の議論は、特に理論的、規 範的、歴史的な視点を強く持っていたといえる10。そこでは、この地域が経済レベルやイ デオロギーその他に関して著しい多様性を持った地域であり、それが国際的な協力にあた っての困難をもたらすものであることが踏まえられている。とはいえ、そうした困難な条 件が同時に協力のもたらす大きな可能性をも秘めているということが重視されているので ある。特に、ロシア極東地域、中国東北部、日本の日本海側諸県といった、ここで国境を 接する諸地方は、それぞれの国家の中でも開発の遅れていた場所であり、また冷戦構造の 中で、それらの地方はそれぞれの国家の中心地域との政治的経済的な結びつきを強くもち、
互いに背を向けてきた11。そうした地域間が協力するからこそ、そこには発展の余地が大 きく、またそれが各国家内の中心・周縁構造を克服すると同時に、国家間の対立関係をも 緩和、解消させる可能性を持つのだという意義が示されたのである。そして、日本海を内 海とする地理的特徴、あるいは、かつてこの地に豊かな交流が存在したという歴史的な事 実が、この地域における交流の妥当性を裏付けるものとされた。
しかしその後、日露、日朝間の国交正常化の遅れ、北朝鮮をめぐる情勢の悪化、ロシア の改革における様々な混乱、図們江開発計画の停滞といった諸々の否定的要因によって、
この地域の国際協力が予想以上の困難をはらんでいることが明らかになった。こうして、
これらの議論において示されたシナリオが短期的に実現する可能性は奪われることとなっ た。現在に至るまで、北東アジア地域、環日本海地域は、経済的、社会的な交流圏として 成熟するには至っていない。しかし、長期的な視点からの、この地域における発展の方向 性と、その意義を、理論的、歴史的な視点を含めて示したものとして、これらの議論は今 なお有効性を失ってはいないと考えられる。逆に、一時的な「ブーム」を越えて、小さな レベルではあるが地道にこの地域で進められている国際協力の試みを、将来的な大きな動 きの中で見るビジョンは必要である。そのためには、これらの研究で示されたような、歴
10 新潟大学はこうした研究において先駆的な役割を果たしており、1988年には「環日本海研究会」
が設立されている(多賀秀敏「編者まえがき」多賀秀敏編『国境を越える実験 環日本海の構想(環 日本海叢書1)』有信堂、1992年、iv頁)。その後のこうした観点からの研究成果として以下のもの がある。本多健吉他編『北東アジア経済圏の形成 : 環日本海経済交流』新評論, 1995年、坂田幹男、
本多健吉、凌星光編『北東アジア経済入門』クレイン、2000年、坂田幹男『北東アジア経済論 : 経 済交流圏の全体像』ミネルヴァ書房、2001年。
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11 多賀秀敏「環日本海圏の創出――地方単位の実験」多賀編、同上書、3〜30頁。多賀はこれらの特 徴を「遮断性・多様性・周辺性」とまとめている。
史を参照し、抽象的なレベルで思考を重ねる「構想力」は重要である。
その際、この地域の国際協力における「否定的」な要因の一つとして、上に述べた、ロ シア極東地域の地方政府の国際協力に対する消極的な態度が、重要な要因として挙げられ よう。しかし、総じてこれらの研究は、地方政府が自律的な行為体として行動するように なることのポジティブな側面が強調される一方、それがネガティブな効果をももたらしう るという側面は、見逃されがちであったといえる。本論は、まさにそのネガティブな側面 を正面から扱うことで、北東アジア協力が直面している困難の一端を明らかにしようとす るものである。
(2)ロシアおよびロシア極東地域の地方政治・経済、中央・地方関係に関する実証研究
他方、ソ連における政治的・経済的自由化の進展は、ソ連・ロシア研究にも、それまで にない多様な研究領域をもたらした。中でも、中央に対する地方政府の自律性の高まり、
地方政治の活性化といった状況により、ロシアにおける地方政治・経済の研究や中央・地 方関係の研究が活況を呈した。その中には、単なる実証研究の枠を超えて、一般的な理論 的仮説や比較枠組みの構築を目指した試み、あるいは、中央・地方関係の政治的関係や財 政関係、地域政策などの観点から体系的な説明をめざした野心的な研究もあった。ストー ナーワイス(Kathryn Stoner-Weiss)による研究は、一地方において労働力や資産、生産 物が特定のセクターや少数の企業に集中しているか否かという、ソ連期からの経済・産業 上の特徴が、政治・経済エリートの協調行動の成否をもたらし、地方政府の政策的パフォ ーマンスの成否につながるという理論仮説を下に、ニジノ・ノヴゴロド州、チュメニ州、
ヤロスラヴリ州、サラトフ州のケーススタディーを行った重要な研究であった12。また、
カーコウ(Peter Kirkow)の研究は、アルタイ地方と沿海地方をケースとして、改革の中 での困難な経済・社会状況と中央の不適切な地域政策の中で、地方政府の非制度的な自律 的行動が促されていったことを検証している13。さらに、諸地方経済が90年代以降の経済
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12 Kathryn Stoner-Weiss, Local Heroes: The Politi al Economy of Russian Regional Governance, Princeton University Press, 1997.
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13 Peter Kirkow, Russia's Provinces - Au hori a ian Transfo mation Versus Local-Au onomy, Macmillan Press, 1998.
改革にいかに対応していったかを、各地方の比較分析を通じて検証した包括的な研究とし て、ハンソン(Philip Hanson)とブラッドショウ(Michael Bradshaw)を編者とする研究 がある14。中央・地方間の財政関係、いわゆる「財政連邦主義」に関しては、ラブロフ(А.М.
Лавров)による各地方別の詳細なデータを利用した包括的な研究が、この領域における諸 研究を促す重要な意味を持った。さらに、こうした財政関係と地方の政治行動との関係を 分析したものとして、トレイスマン(Daniel S. Treisman)の研究がある15。
ロシア極東地域についても、地方政治・経済の研究が蓄積された。東アジア、アジア太 平洋地域におけるロシア極東地域という観点からの研究としては、比較的初期のまとまっ た重要文献としてコトキン(Stephen Kotkin)とウォルフ(David Wolff)による編著があ る16。また、特に同地域の経済に関しては、ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所に おいて、所長のミナキル(П. А. Минакир)を中心として極東経済の現状分析と発展の方向 性に関する研究が継続的に進められている17。同研究所の研究は、ハバロフスク地方政府 の政策を始め、第8章でも触れる「極東ザバイカル長期発展計画」など、国家レベルにお ける極東地域政策にも大きく反映されている。
ロシア極東地域の政治・経済の研究は、同地域との協力の可能性の大きい日本において盛 んであり、とりわけロシアと交流の深い日本海側諸県において研究が進んでいる。特に、
北海道大学スラブ研究センターにおける諸研究は、ロシ極東地域の政治・経済や国際関係 に関する多くの緻密な実証研究を含んでいる18。また、新潟の環日本海経済研究所では、
環日本海経済圏の形成という視野に立ち、現地の経済状況に関する実地調査と実証研究が
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14 Philip Hanson and Michael Bradshaw eds., Reg onal economic change in Russia, Edward Elgar Publishing, 2000.
15 Daniel S. Treisman, After the Dluge: Regional Crises and Political Consolidation in Russia, The Univertity of Michigan Press, 1999
16 Stephen Kotkin and David Wolff eds., Redis over ng Russia in Asia : S ber a and the Russian Far East, M.E. Sharpe, 1995. その後のこうした研究としては、Под ред. Г. Витковской и Д.
Тренина, Пер пективы Дальневосточного региона: межстрановые взаимодей твия, Моск.
Центр Карнеги, 1999; Judith Thornton, Charles E. Ziegler eds., Russia's Far Eas : A Region a Ri k, University of Washington Press, 2002.などがある。
17 Под ред. П. А. Минакир, Экономическая политика на Дальнем Востоке, ДВО РАН, 1999.
その他の研究成果は同研究所のWEBページ(http://www.ecrin.ru/)内のリストを参照のこと。邦 語に翻訳された文献としては、ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所編『ロシア極東経済総覧』
東洋経済新報社、1994年がある。(なお、以下注釈にて示されているインターネット上のウェブサ イトは、2005年9月10日現在有効であることを確認している)
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18 同センターにおける諸研究は、重点領域研究「スラブ・ユーラシアの変動諸研究」や「シンポジ ウム関連出版物」「研究報告シリーズ」などの形でまとめられている。同センターWEBページ
(http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/)を参照。