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1990 年代初頭の極東地域における地方主導の国際戦略

はじめに 

 本章では、ハバロフスク地方、沿海地方の具体的なケースを扱う第一歩として、ソ連末 期からロシア連邦成立直後までの、1990年代初頭の時期について検証する。この時期は、

これらの地方で地方政府主導の積極的な国際戦略が試みられ、またそれとともに周辺諸国 による極東地域との国際協力への期待が高まった時期である。序章で述べたように、この 時期に極東地域とアジア太平洋諸国との経済協力に対する期待が高まった背景には、この ロシア極東地域をめぐる冷戦構造の終焉と、ソ連における対外経済活動の自由化の進展が あり、またそれらに促された中露国境経済交流の進展や図們江開発計画のような国境をま たいだ開発プロジェクトの提起があったが、それに加えて重要なことは、この時期、自律 性を高めた地方政府が主導となり、諸々の「経済特区」のような、市場経済化と対外開放 に向けた積極的な政策が試みられるようになったことが重要な要因としてあった。この時 期におけるロシア極東地域の地方政府に見られた、国際協力に向けた積極的な行動は、

1993年以降これらの地方政府の行動が急速に保護主義化した時期のそれと比較すると、大 きくかけ離れたもののようにに見える。しかし、この時期、すでに中央・地方関係のあり 方や地方政府の行動様式において、その後に引き継がれていく様々な要素や問題が現れて いたことを見ることができるのである。

 こうした 1990 年代初頭の「地方主導の国際戦略」のブームの背景を理解するには、そ れに先立つ 1980 年代半ばの時期に、極東地域の学者や経済管理者たちの中で行われてい た、極東地域の経済産業構造の転換の議論と、すでに述べたゴルバチョフによる極東地域 政策の転換を踏まえる必要がある。そこで、本章ではまずこの 80 年代半ばから議論を始 め、それを踏まえて、1990年代の「ブーム」がどのような文脈の下にあり、どのような問 題を孕んでいたかを明確にしてゆきたい。

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1 80 年代後半における極東地域の経済構造転換の試み 

(1)極東地域における地域経済構造転換の議論とウラジオストク演説

 第2章で述べたように、ソ連の計画経済体制下において、国内の地域間分業システムの 中で資源採取産業と軍需産業に特化し、中央財政からの投資に依存した形で開発が進めら れてきたロシア極東地域の経済は、1980年代には著しい停滞に陥っていた。このような状 況の中で、極東地域の内部では、こうした同地域の経済構造を根本的に転換すべきだとい う議論が起こるようになった。

 科学アカデミー極東支部経済研究所所長で、1991年から1993年までハバロフスク地方 政府第一副知事を務めたパーヴェル・ミナキルによれば、この時期の極東地域において、

成長率や生産性、国家投資の収益性の低下が顕著となり、明確な停滞の傾向が現れ始めて いたことから、従来の極東地域の経済体質を転換させるべきだという考えが、同地域の学 者や経済管理者たちの間で確立されるに至ったという。この議論の中で重視されたのは、

地域独自の財政基盤を強化するということであった。というのも、この時期には、中央か らの諸地域へ財政支援が、一層複雑で、かつ不安定なものとなりつつあった。さらに、特 に極東地域の場合、国内の地域間分業システムの中で、他の地域よりもはるかに高い輸送 コストを要するという不利な条件を持っていた。このため、従来のように一次産品の採取 に特化し、中央の財政に依存した「植民地的」な産業構造を維持した状態では、この地域 が本質的な意味で停滞から脱することはできないという認識があった。そのための戦略と して提起されたのは、資源採取産業をはじめとする同地域の主要産業の設備、技術の近代 化を進めると同時に、これを効果的に補完する製造業を発展させることを通じて、同地域 の生産物の付加価値を高めるというものであった1

  1980年代半ばからゴルバチョフによって開始されたペレストロイカは、こうした極東地 域の新しい発展戦略と軌を一にしていた。とりわけ、1986 年 7 月にゴルバチョフが行っ

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1 Pavel Minakir, “The Russian Far East: From a Colonial to a Borerland Economy,” Steven Kotkin and David Wolff,eds., Redicovor ng Russia in Asia: Siberia and the Russian Far East, M.E. Sharpe, 1995, p.174.

た「ウラジオストク演説」において極東復興の方向性が提示され、またアジア太平洋諸国 との関係改善の意向が示されたことは、こうした発展戦略の実現を後押しするものであっ た。前章で触れたように、この演説は、中国をはじめとするアジア太平洋諸国との関係改 善を呼びかけたものとして言及されることが多いのであるが、その前半は、停滞していた 極東地域の開発の問題を、具体的に述べたものである。以下、その部分を詳しく見てゆき たい2

 同演説においてゴルバチョフは、連邦政府によって提起されている「経済・社会発展を加 速化させる戦略的方針」が「新しい地域政策」を実施する必要性をもたらしていると語っ ている。そして、「党は、そこ〔注:新しい地域政策〕における重要な地位を、東部地域の 優先的な発展に与えている」ことを表明した。なぜこの極東地域の発展が優先されるのか といえば、「極東経済の発展が、国の全国民経済よりも鈍くなってきている」のであり、「結 果として、全連邦の生産におけるこの地域の割合は、高まっていないだけでなく、縮小さ えしている」からであった。こうした極東地域における成長の鈍化を危機感をこめて指摘 した上で、ゴルバチョフは、計画されていた極東発展のための措置の、その多くに関して 実施状況が悪いということを指摘し、これに関する連邦各省庁の責任者の「極東経済の役 割と意義に対する無理解」「政策的な先見性の無さ」を非難し、同時に「共和国、地方諸機 関」の責任をも指摘して、中央、地方の政策責任者の認識と姿勢の根本的な転換を要求し たのである。

 その上でゴルバチョフは、「現在、統一的な国家の地域政策の枠内における極東の長期発 展のコンセプトを作成する問題が出ている」ことを明らかにした。そして、その「コンセ プト」の目的として、「極東において、全連邦的ならびに国際的な分業のシステムに包含さ れた高い効率性を持った国民経済コンプレックスを、それが保有する大規模な資源基地・

科学的生産基地と最適な経済構造、発展した社会領域を持った形でつくりだすこと」にあ ると言っている。さらに、これに続いて、この「コンセプト」の作成の最も重要な方向性 として、以下の7点を指摘している。

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2 "Речь товарища Горбачева М. С. на торжественном собрании, посвященном вручению Владивостоку ордена Ленина," Проблемы Дальнего Востока, №4, 1986, стр.1-19.

    (1)漁業・水産加工業の発展のための総合的施策の実施

    (2)非鉄金属・木材の採掘・伐採に加えて、その加工産業を発展させ、多様な完成品を 生産できる完結した生産のサイクルをつくる

    (3)燃料・エネルギーコンプレックスの建設を加速化し、将来的には、極東を、そうし た燃料やエネルギーの国内近隣地域への供給地とするだけでなく、強固な輸出地 にもする

    (4)鉄道や道路、港湾、海運などの生産インフラを発展させる

    (5)極東地域の産業に必要な機械設備を、最新の科学技術を利用した形で自給できるよ うにし、さらにそうした機械設備を輸出できるようにする

    (6)極東経済の発展の輸出志向の能力を最大限に利用する

    (7)極東独自の高度に発展した農業基地、食品産業を創設する

特に第六の、極東経済の輸出志向の発展というポイントに関してゴルバチョフは、「現在、

国家の輸出におけるこの地域の割合は低く、その潜在的な能力から大きくかけ離れている。

沿岸貿易も国境貿易も活性化させ、生産協同組合や合弁企業を含めた外国との経済的結び つきの進歩的な形態を習得し、専門化された輸出基地を創りだすために、根本的な転換と 新しいアプローチが必要である」と、この地域の輸出志向工業化に向けた積極的な姿勢を 打ち出している。

 以上のような包括的な指摘をした上で、前章で述べたように、アジア太平洋地域の経済 の目覚しい発展を賞賛し、この地域の諸国との関係改善の意向をゴルバチョフは示したの である。すなわち、ゴルバチョフによるアジア太平洋政策の転換は、安全保障上の環境を 転換するというだけでなく、輸出志向工業化を含んだ極東経済の復興という課題と密接に 関わっていたのである。

(2)中央主導の開発戦略とその挫折

 ゴルバチョフが言及した「統一的な国家の地域政策の枠内における極東の長期発展のコ ンセプト」は、翌 1987 年、「2000 年までの極東経済地域、ブリヤート自治共和国および

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