はじめに
本章から第十章に至る第三部では、1990年代前半において形成された中央・地方関係が もたらした諸問題を、何らかの形で解決しようと試みた中央の動きと、それに対する地方 の対応という側面を中心に論じてゆきたい。
以上のように、1990年代前半期において、ロシア、中国の中央政府によって両国の関係 を下支えするものとして期待された国境地域間の交流は、中国脅威論の台頭を招き、さら には両国の関係の最も重要な基礎である国境画定問題にまでその矛先が波及する事態をも たらした。その一方、活況を呈した国境貿易は急減した。また、ソ連時代の中央からの手 厚い保護を失い、生産の減退と生活環境の悪化が続いたロシア極東地域の社会では、中央 への不満が高まり、分離主義を求める言論さえくすぶり続けた。こうした状況を背景とし て、沿海地方をはじめとするロシア極東地域の諸地方は、中央にとって厄介なアクターと なった。
しかし、特に 1990 年代半ば頃から、こうした国境沿いの地方における中国脅威論とそ こにおいて生じた国境問題の解消に向けた動きが中央によってとられた。本章では、こう した中央の措置や戦略について見てゆく。この問題への対応としては、まず中国人入国者 の管理強化や国境での犯罪の取り締まり強化、および国境貿易の制度化といった措置があ った。しかし、こうした中国脅威論や国境問題の遠因として、国際化、市場経済化に対応 できない極東地域の困難な条件と、対外的な脆弱性の意識などが作用していることはすで に見たとおりである。こうした側面に対応するものとして、本章では1996年4 月に大統 領令によって承認された「極東ザバイカル地域長期発展プログラム」に触れる。
このプログラムの承認は、1996年半ばにエリツィン再選のかかった大統領選が予定され ており、また中露東部国境画定作業の完了期限が1997年に迫っていたという文脈もあり、
中央と極東地域との関係を制度化し安定化させ、国境問題を解消しようとする中央の積極 186
的な戦略と密接にかかわったものとなった。それは、90年代前半において著しく分散的と なった中央・地方関係を、何とか制度化し、中央の影響力を回復しようという、中央の地 方に対する一般的な政策ともかかわっていた。
ここでは、こうした中央の戦略について説明し、さらに1997年11月における東部国境 画定の「完了」宣言に至るプロセスを、その戦略が破綻してゆくプロセスとして見てゆく。
そして最後に、この東部国境画定が一定の「解決」に達し、またそれを期に中露国境の地 方政府間の経済協力のための制度が整備されてゆく中で、地方政府の行動にも変化が見ら れたことを見てゆきたい。
1 国境における軋轢解消の試み
(1)国境管理の強化と国境貿易の制度化
国境沿いの諸地方における中国脅威論の高揚、中露国境画定問題の係争化などの背景に は、中国との国境貿易がもたらした混乱や、中国からの不法入国者の問題などがあったこ とはすでに見たとおりである。このため、中露両国の中央政府、および国境の中国側の地 方も、こうした問題への対処を強化していった。
中国からの不法入国者の流入や国境における犯罪の多発は、中国脅威論の主たる要因で あった。中露の中央政府は、国境管理や国境における犯罪の取締りを強化し、同時に国境 貿易や中国人労働力の利用をより制度していく努力を通じて、こうした軋轢を解消しよう と努力した。1993年には輸入関税の導入と移民管理制度が導入され、同年末には外国人労 働者の雇用にライセンス制が導入された。また、前章で触れたように、1994年から一般の 中国人によるビザなし訪問が廃止されるなど、国境の管理が強化されていった1。
しかし、関税等の導入はむしろ「担ぎ屋」貿易を増大させたし、ロシア人の担ぎ屋を雇 って商品を運ぶといった形も一般化した。また、ビザなし交流の廃止後も、団体旅行など の形でビザなし入国はできたため、中国人たちは、団体旅行者として入国し、その後滞在
187
1 Vitkovskaya, Zayonchkovskaya and Newland, op.cit., pp.357-358.を参照。
登録しないまま姿を消すなど、様々な方法で国境管理をすり抜けていた2。中国側もこの問 題に対応し、1995年には、中国で、中国の旅行業者にロシアへの渡航者を必ず中国に帰国 させるよう義務付ける政令を出すなど対処を始めた。団体旅行者に関しても、1998 年 7 月のプリマコフ外相訪中をきっかけに、滞在期間を限定し、旅行業者の資格を厳しくし、
さらに旅行業者による旅行者の行動把握を義務づけるといった方向で、法整備の検討が始 められた3。
国境の侵犯や密輸などの犯罪に関しては、1995 年2月に「ロシア連邦国境警察と中華 人民共和国公安部との間の協力に関する」協定が締結され、両国の国境警備隊との間で武 器や麻薬、外貨などの不法な取り引きや国境侵犯に関して情報を交換し、これらに対する 共同行動をとることができるよう制度化された4。1996年7月にはロシア連邦国防省と中 国国家安全部の代表者がオブザーバーとして参加し、「アムール 96」と名づけられた共同 演習が行われ、また 10 月には両国軍艦の相互訪問も行われるなど、国境警備隊間の協力 体制が強化されていった5。1996年10月には連邦法「ロシア連邦の国境政策の原則につい て」が採択されており、これにしたがって翌年にはハバロフスク地方にイシャーエフ知事 を議長とする省庁間委員会が設置され、地方における諸連邦機関が国境犯罪の防止・摘発 に有効に協力できるよう制度化が進められた6。
また、脱税や犯罪等の温床になりやすい「担ぎ屋」貿易やバーター取り引きへの依存が 国境貿易の混乱と急減の一因であると指摘されたことから、国境管理の強化という方向だ けでなく、国境貿易自体をよりフォーマルなものに変えようとする方針がとられた。1994 年のチェルノムィルジン訪中の際の中露共同声明では「国境と地域間の経済協力が中露の 貿易経済関係の大きな構成要素であることが確認された。地域レベルにおける生産協力、
投資協力、その他の取り引き関係を促進し、その法的基礎を改善するという希望が強調さ れた」とうたわれた。特にこの訪中においては、「中露国境管理体制に関する政府間協定」
с с г
2 岩下明裕『中・ロ国境4000 キロ』角川書店、2003年、57-58 頁。
3 これは2000 年2 月、改訂版の「ビザなし団体観光旅行に関する中露政府間協定」として法制化
された。なお、この経緯については次の論考に詳しい。伊藤庄一「プーチン時代の中露関係−ロシ ア東部地域をめぐる2 国間関係を中心に」『ロシア外交の現在Ⅰ』 (21世紀COEプログラム研究 報告シリーズNo.2)、北海道大学スラブ研究センター)、2004年、82〜83頁。
4 ИТАР-ТАСС, 11 Февраля, 1995 г.
5 Александр Филонов, "Пограничная политика России в Дальневосточном регионе,"
Пер пективы Дальневосточного региона: на еление, ми рация, рынки труда, Под ред. Г.
Витковской и Д. Тренина, Моск. Центр Карнеги, 1999, стр.36-37.
188
6 там же.
が締結され、国境貿易をバーター取り引きからハードカレンシー決済にする施策がとられ た。さらに、エネルギー協力や兵器輸出など、より高度な分野での協力が促された。
国境貿易の混乱と急減に関しては、中国側の国境の地方政府当局も深刻に受け止め、戦 略転換の必要性を自覚していた。黒龍江省副省長の王宗璋は、1994年以来の国境貿易の激 減の要因として、バーター貿易に偏った貿易形態が価格の不当な吊り上げやダンピングを もたらすような不安定な取り引き関係を必然的にもたらすという面や、国境貿易に従事す る企業が状況の変化に応じて品質の向上や組織の合理化する能力を持っていないこと、ま た、中国南部の進んだ地域と同省の協力が進んでいなかったため、低品質、低レベルの製 品輸出しかできず、他国の製品に市場を奪われてしまったことなどを指摘した。その上で、
対露貿易の再強化のために必要な戦略として、国境貿易の企業に対してハードカレンシー での決済を促し、同時に企業の合理化、品質の向上を促すことを通じて、日用品を輸出し て原料を輸入するというパターンから、中国から軽工業品を生産する技術や設備を輸出し、
ロシアからエネルギーや通信、航空・船舶、機械製造、原子力・水力発電等の技術を導入 するといった形で貿易の高度化を実現することを提唱した。また、国境都市間の協力や自 由貿易合作区の設置を通じて国境協力を制度化することや、中国製品の中国南部の先進地 域から資本や先進技術を導入することを通じて地元産業を高度化する必要性などをも指摘 している7。
しかし、担ぎ屋にしてもバーター取り引きにしても、ロシア極東地域に依然相当の需要 がある以上、これを減少させることは困難であり、とりわけ担ぎ屋貿易は、様々な形で法 や管理体制をくぐりぬけ、継続された。また、4000キロ以上もある国境を管理することは もとより困難であり、数々の取り締まりにもかかわらず不法入国者も後を絶たなかった。
これは当然、犯罪の流入にもつながった。
(2)地域政策の転換と「極東ザバイカル地域長期発展プログラム」
すでに述べたように、極東地域における「中国脅威論」はまた、80年代半ばに提起され た、極東地域経済・産業構造の高度化と産品の付加価値化、国際競争力の向上といった課
189
7 王宗璋「加速实现边境地方经济贸易向国际规范化转变」『黑龙江对外经贸』1995年、5~6頁