長崎大学教育学部教育科学研究報告 第34号 1〜7(1987)
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文化行政と社会教育
猪 山 勝 利
Adiministration of Culture and Social Education Katsutoshi IYAMA
1,問題の限定
本稿の目的は,いわゆる「文化行政」に対する研究の一環として,「文化行政」を社会 教育論形成の視角から基礎的考察をなすことにある。
1970年代に入って,従来の教育行政を主体とした文化施設,文化財,文化事業助成に関 する伝統的な文化行政は質的転換を始め,一般行政主導の総合行政としての「文化行政」
が成立しはじめたのである。文化行政史において,その画期となったのは1972年の大阪文 化振興研究会の組織化であるが1),その後1975年にNIRA(総合開発機構)の委託による CDIの「地域社会における文化行政システムに関する研究」報告の出版と翌年のその報告 にもとずく「文化行政シンポジウム」が開催されたことを契機に,全国の自治体に文化行 政の組織化が行なわれ,1980年代後半の現在では都道府県を主体にほとんどの地方自治体 の主要な行政施策として確立しつ・ある。文化行政は日本だけでなく,世界的動向として 成立しつ・あり,文化行政に対する研究もしだいに蓄積されはじめている(2}。従来の文化 行政に対して,現代文化行政と言える現代の文化行政に関する研究は,その総合性ゆえに 多面的なアプローチを必要としているが,本稿においてはその教育四一とくに社会教育 性の視角から考察を試みることとする。
本稿がそのような視角からのアプローチをするのは,第1に文化行政の基本的性格を明 らかにするためである。1970年代に入って現代文化行政が組織化される過程において,従 来の教育行政の一分野として展開していた文化行政と区分するために,有名な「教育瓢充 実」,「文化=放電」論が提起され,現代文化行政論はその内部から教育性を否定する論理 を展開しつ・ある。しかしながら,文化行政の現実的展開が進行する中であらためて教育 論の導入が求められはじめており(3),この点において文化行政における教育性の研究は重 要な課題となっている。
第2に,第1とも関連して,その組織的性格を明らかにするためである。現代文化行政 は,その総合性を前提に教育行政から一般行政主体に組織されつ・ある。そのことによっ て,現代文化行政は行政の文化統合政策化する傾向を強化しつ・あり,この点から社会教 育行政否定論さえ提起されはじめている{4)。地域文化を振興する視点から,その組織性を 社会教育論と関連させて研究することは,重要な課題となっている。
長崎大学教育学部教育学教室
∬.現代文化行政と教育の論理
1.教育性否定論
現代文化行政成立の画期となったのは,1972年に組織化された「大阪文化振興研究会」
であるが,研究会は文化行政の基本的性格において教育性否定論を展開している。この論 理は,現代の文化行政展開の主導的位置を占めており,現代文化行政の基本的性格を把握 するには欠かせない論理である。こ・では,研究会の座長であり,現代文化行政展開に現 実的にも主導的位置を占めている梅樟忠夫氏の論理および上田篤氏の論理を中心に検討を 試みたい。
梅棟氏は,氏が監修した「文化経済学事始め 文化施設の経済効果と自治体の施設 づくり一一」において,つぎのように文化行政と教育の関係を論じている(5)。「文化行政 を多くの場合,教育委員会に委ねているのは問題である。文化は教育的なものではない。
むしろ文化と教育は相反する。教育は仕込み,文化は発散,逆方向のものである。教育栄 えて文化滅ぶ。」この論に見られるように,千早氏は文化と教育を対立させる論理を展開 している。この論理は,「文化行政を着想から現実の行政へと飛翔させることとなった。」
と現代文化行政史論上の高い位置づけがなされている(6)。
この論理は,文化行政を教育行政の一セクションから転換する論理を提起した点では評 価できるが,重大な問題をはらんでいる。その1は,教育=チャージ(充実),文化=ディ
スチャージ(放電)とする論は,教育や文化の性格把握において一面的であることである。
すなわち,この論は,教化的教育行政の一セクションにおいて教育の手段的位置づけを与 えられていた文化行政批判の意義をもっているが,文化そのものの創造性に関する論理を 持たないことである。一方,教育を文化の充実=文化の伝達性に限定することによって,
教育における文化性を否定し,教育の解放性や創造性を否定する論となっており,教育概 念の一面的認識にとどまっていることである。
その2は,第1の論理の帰結として,文化創造を一部の文化エリートに限定し,文化創 造における民主主義を否定する論理となっている。この点について,上田篤氏は公然と「文 化というものには,本質的に 民主主義 では冷せない要素があるようだ。つまり,そこ には競争の原理が働いているからである。競争によってしか,文化の質は向上しないから である。」と述べている(7)。この論理は,現代の文化人類学や文化記号論から否定されは
じめている論理であり(8),文化の創造性どころか文化の活力性をも否定する論理であると 言える。
2、教育性内包論
現代文化行政が本格的展開期を迎えた1980年代に入って,上記の教育性否定を修正する
「教育性内包論」が展開しはじめている。その論は,地方自治体で実際の文化行政展開の 主導的理論化を推進している森啓氏によって提起されている。森啓氏は,文化行政が本格 的な確立期を迎えた1970年代末に,文化行政の課題をいわゆる「行政の文化化」と論理化 しており〔9),以後文化行政の本格的な確立期に入った1980年代前半の文化行政の展開に指 導的役割を果してきた。
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森啓氏は,筆者の管見するかぎり,文化行政と教育の関係に対して本格的論究をなして いないが,氏自身が参加した座談会において,つぎのように発言している佃}。永い引用に なるが,現代文壮行政論の中心的論者の論理であるので,あえて全文を引用する。「梅悼 先生も,文化と教育は本質的に機能が異なると言われております。文化行政を教育委員会 所管から解き放つために,文化と教育が本質的に異なるものだとする議論の起こし方は有 益であったのですが,しかしそれでは,教育委員会のしごとは文化行政と無縁のものなの か,文化財保護や社会教育は現状のままでよいのか,ということになると,『それは違う』
と思うのです。教育は文化の継承という保守的機能であるわけですが,しかしその場面に おいても,人間的な教育,人間を育てるという創造的な営みとしての教育が必要でありま す。……そのためには,従来のあり方を問い直す,つまり自己革新としての文化化が必要
になります。」
以上の引用に示されるように,森氏は現代文化行政の主導性を前提とした上で文化行政 の中に教育性を内包させていく論理をとっている。したがって,梅樟氏や上田氏のように,
教育否定論ではない点で文化創造におけるエリート主義を否定する論理になっている。し かし,森氏の論理は「行政の文化化」という行政の自己革新性を課題とすることによって,
かえって行政の主導性を導入する論理となっている。つまり,教育の主体性を前提として 現代文化行政と結合する論理ではなく,現代文化行政の一セクションとしての教育性を内 包する論であると言える。華氏の論の根底には,いわゆる「市民文化」論が前提されてい るために,行政の文化革新による市民文化への「対応」が企図されており,文化行政が文 化創造や変革として機能していく側面を否定しているのである。したがって,革新された 文化水準をもつ行政主導性を肯定する論理になり,教育は従属的に内包される論理になる 弱体性を孕んでいるといえよう。
3、教育性同一論
1970年代に入って,文化と教育の関係論を一貫して追求し,文化行政が「文化の政治化」
や「文化の産業化」に督していくことを批判し,文化行政と教育の関係の同一性を論理化 してきたのは北田耕也氏であった。北田氏は,「価値の発見や識別力が文化の本領なので ある。また,教育と文化の機械的区分に反対していえば,教育は文化的価値の人間への内 在化を中心のいとなみにすえているのであるが,逆にそのことがあって,文化の維持と発 ロユ 展が可能になる。」と述べ,「文化行政は教育委員会の重要なしごとであると考える。 」
と位置づけている。
北田氏は,前2論にない文化行政の「政治化」や「産業化」を批判する視角および文化 と教育の住民主体性の視角を設定することによって,文化行政と教育性の同一性を論理化 している。その視角から,文化行政は教育行政として展開する論理を展開している。北田 氏の論理は,文化の創造性や変革性における教育性の役割を高く評価し,その点において 文化行政を教育行政として位置づける論理である。言うまでもないが,北田氏の論理は明 治以来の近代文化行政が教育行政の手段的,従属的位置づけをもってきた伝統への批判を 前提としたものであり,その伝統の再編成とも言える中教審答申「地域社会と文化につい て」の文化行政の視点に関して否定的評価を下している(12}。
北田氏は以上の論理から,一般行政に従属させられている文化行政を批判し,文化行政
が一般行政から自立し,一般行政を批判する重要性を指摘している。しかし,北田氏の論 理には文化における住民の主体性や文化の創造発展性についての論理はあるが,文化と行 政に関する論理を欠落させているために,一般行政がもつ文化性についての論究を欠くも のとなっている。その結果,氏の論理からではあるが,現代文化行政における「行政の文 化化」に対して,「文化の理念をもって一般行政を批判するというのにほぼ等しい。〔13)」
と把握している。北田氏の論理では,一般行政における環境文化,生産文化,生活福祉文 化の意義などを欠落させ,文化行政を狭い範囲に限定させる論理とならざるをえない。そ れは,現代教育の他分野とのネットワーキングを軟幽する論理にもなるであろう。
4 .教育性関連(ネットワーキング)論
1970年代後半から,文化行政を地域再生の視角から主体的に把握する論理が形成されは じめており,3の北田氏の論理を批判的に継承発展させる論理が形成されほじめている。
その論者には地方財政研究者の二宮厚美氏{14}や社会教育研究者の佐藤一子氏(15)がいる。筆 者もこの立場から理論形成を試みてきた(16}。こ・では,もっとも総合的論理を提起してい
る二宮氏の論理を中心に,教育性関連論を把握していくことにする。
二宮氏は,現代文化行政が主張している論理を政府・財界の文化戦略に対応するものと して「文化動員主義」論理や「カルチャー・マーケティング」論理としてとらえたうえで,
しかし文化行政を否定するのではなく,「暮らしのなかの産業・文化おこし」の論理で文 化行政を主体的に形成する論理を提起している。氏は現代文化行政について,「文化それ
自体のもつ総合性のうえにたった行政の総合性の回復は,文化と産業,文化と福祉・教育,
文化と本づくりを結びつけ,地域がもっている都市文化の潜在力を解放する意義をもって きます。……文化行政は,住民みずからがもつ文化的潜…在能力をその源泉から豊富化し,
顕在化すること,都市文化の潜在力を蓄積し,それを一歩一歩開花していくことを固有の 課題にするものです。」と述べ,「住民の発達保障や高い文化的欲求,能力を育成,開花す
る方向で行政の力を生かすこと。(1の」と文化行政の課題を提起している。
二宮氏の論理は,文化行政と教育性を分離する論でもなく,手段的に位置づける論でも なく,さらに文化行政と教育を同一化する論でもない。氏の論理は,総合行政としての文 化行政は,住民生活の多面的側面と関連する論理であって,教育性もその一関連(ネット
ワーク)として位置づける論理である。この論理は,住民の文化創造の主体性を基本視角 として前提としたうえで,文化創造における教育性の意義を論理化するとともに現代文化 行政が住民の発達保障に機能することを課題化する論理である。したがって,文化創造の 主体を「住民と文化・芸術専門家による分業・協業」として設定するとともに,「権利・
発達保障労働としての公務労働」の展開組織として現代文化行政を形成する論理を構築し ている。
以上,現代文化行政の基本的性格を明らかにするために,それがどのように教育性を位 置づけているかについて分析してきた。それによれば,大別して4つの論理が形成されつ・
あることが判明した。筆者は,4の教育性関連論こそ現代文化行政の基本的方向性である と考えるが,つぎにそれらの論理をふまえて,現代文化行政がどのような行政組織化論を 提起しているかについて分析していくことにし,・1と合せて現代文化行政を把握していく
ことにしたい。
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皿.現代文化行政と行政組織性 1.基本視角一興合性と主体性
1970年代前半から成立しはじめた現代文化行政は,全国的な組織化の主導的役割を果し てきた森啓氏によって,「いまや岐路にある。市長が,市役所の機構を使って市民の文化 に注文をつけはじめた。もしかすると市民文化に号令をかけるやもしれないという不安す らもある。〔18}」と指摘されている。すなわち「文化の政治化」か「地域文化の育成行政」
かという行政的性格が問われはじめているのである。その行政的性格を明らかにするため には行政施策の政策分析が不可欠であるが(1勃,本稿では行政組織性に限定して行政的性格 を考察することにしたい。
周知のように,1970年代前半に現代文化行政が成立する時点において,従来の教育行政 中に組織化されていた「芸術文化行政」と区別するために,別の行政組織として組織化す る論が提起されたのであった。その論は,従来の教育行政における文化行政より広範な内 容を対象とするために「総合行政」として組織化する必要および当時の「地方の時代」を 理念とする「地方分権システム」として組織化する必要を論拠としたのである。
以上の論にもとづいて,教育行政ではなく一般行政として組織化する自治体が主導的 リーダ「一シップをとり,現実に一般行政として組織化する自治体が増大している。とくに,
大都市の都府県や政令指定都市において,そのような組織化が進行している。現実的動向 を把握するには別稿を必要とするが,「府民文化室」(大阪府),文化局(兵庫県),文化芸 術室(京都府),総務部県民文化課(埼玉県),県民部文化室(神奈川県),県民福祉課文 化振興室(茨城県),県民課文化振興係(宮城県),知事公室文化振興課(和歌山県),県 民生活局生活文化課(山梨県)など府県段階において1970年代後半期に,一般行政部局と して文化行政は組織されている。市段階でも,文化局(京都市),企画調整局文化室(川 崎市),自治文化室(藤沢市),市民部文化行政班(徳島市),生活文化部文化企画課(伊 丹市)など組織化は統一していないが,いずれも市段階では1980年代前半に新しい文化行 政のセクションが一般行政局に設置されている。
先に記したように,このような現代行政の組織化が進展したのは,総合性と主体性が論 理的根拠をなしていたのである。筆者も現代文化行政の組織化が総合性を論拠にすること については正当な論理であると思われる。問題は主体性の論理をどのように構成するかに ある。すなわち,現代文化行政の「地方分離システム」には問題ないとしても,地方自治 体そのものの主体牲の内容が問われるべきである。つまり,現代地方自治は団体自治と住 民自治が折出され⑳,住民自治こそ基底的論理として設定すべきであるといわれているが この点をめぐって現代文化行政の組織性のあり方が問われているのである。とくに地域文 化に対応する現代文化行政は住民の主体性や創造性への行政対応を原理とする以上,この 論理からの視角は不可欠の課題である。
そこで,第1表を見てほしい。第1表は,教育行政か総合行政かの要因と団体自治か住 民自治かの要因で作成したものであるが,それによれば4つのタイプの類型で折出される。
もちろんこのタイプ折出は基本類型であり,現実には軸の交差する要因で組織化されてい る場合もあるが,こ・では基本論理を中心に分析していくことにする。
第1表 現代文化行政の行政組織性 行政組織
n方自治 教 育 行 政 総 合 行 政 団 体 自 治 (1)団体自治的教育行政 (2) 団体自治的総合行政
(ミックス)
住 民 自 治 (3)住民自治的教育行政 (4) 住民自治的総合行政
2.現代文化行政の組織化類型
(1)団体自治的教育行政
(1)のタイプは,現代文化行政が成立してくるまでの伝統的文化行政の組織化であった。
このタイプは,「文化庁的文化行政」として地方自治の主体性確保の視点から批判され るとともに,文化行政の内容が「芸術文化」に狭く限定されている点において,現代文 化行政が地域環境地域福祉,地域産業などにおける文化性を早道していることから総 合行政確立の視点から批判されることとなった。筆者もその批判は正当的論拠をもって いると評価できる。
(2)団体自治的総合行政
(2)のタイプは,(1)のタイプに対する批判から組織化され,先に述べたように現代文化 行政の主流となっているタイプである。すなわち,伝統的な教育行政として展開される 文化行政が文化を狭く限定していることに対して,文化行政の総合性を強調し一般行政
として組織化することを主張したのである。このタイプは,基本的にはさらに三つの論 が提起されている。
①はこの論の基本論拠を提起した梅樟論を基底にし,アーバンデザイン事業のリー ダーシップを推進している上田篤氏の論理に代表される(2P。上田氏は,文化施設,文化 財,文化事業行政を拡大して,「文化行政は,地域のドラマを創り出すこと,地域に文 化的な生活空間を演出する」であるとし,文化の視点で都市づくりをプロモートし,総 合行政として文化行政を組織化する実践論を主導したのである。
②は,①の上田氏の論をさらに徹底化し,教育行政における文化行政を否定する松下 圭一氏の論理である。松下氏は最近著において{22),教育は高校教育までに限定すべきで,
成人教育や市民文化には教育行政はタッチすべきではないとする論を提起している。松 下氏の論に対しては,すでに社会教育の「公共性」からきびしい批判が提起されてい る。こ・では,文化行政に関わる松下氏の論点を考えてみたい。氏は,いわゆる「市 民文化主義」の立場から,社会教育行政を徹底的に否定し,とくに「条件整備」行政さ え否定する論理を提起している。この点では,上田論よりも徹底している。しかし,
団体自治そのものがはらんでいる「文化の政治化」については当為的否定を行うのみで,
結果的には許容的である。
③は,上記した①②の修正型とも言える組織性論であり,主として森啓氏を中心に提
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起されている組織化論である。貸馬は「文化行政」を「行政の文化化」すなわち「行政 の文化的革新」に力点をおいて組織化する視点であり,基本的には文化行政の組織性を 総合行政として一般行政部門に設置する立場をとりつ・も,教育行政もその一部門に積 極的に位置づけている〔25)。さらには,住民自治的総合行政に対しても,自治体職員の自 己改革を通して「接近」する視点をもっていると言える。しかし,それは団体自治の枠 の中での「自己革新」に止まるという限界をもっている。
(3)住民自治的教育行政
従来の団体自治的教育行政における文化行政を住民自治的教育行政へ転換させる論理 を近年主張しているのは北田耕也氏である。氏は,「社会教育における芸術文化活動は,
地域住民の自主性と主体性を重んじて展開されるべきである㈱。」という原則から,「文 化の政治化」批判を徹底化し,「一般行政に従属化させられている文化行政の自立が必要」
との視点から,逆に,「文化から一般行政を批判する」住民自治的教育行政タイプの文 化行政を展開している。氏は,文化行政の行政的組織性は教育行政として行う視点をと り,住民自治的教育行政はいわゆる「条件整備」行政に限定されるべきであると論理化
している。
以上のような北田氏の論理は,団体自治的総合行政に対する批判を住民自治原則の立 場から展開している点で,上記①②論より住民主体論の立場に立っているが,それが「芸 術文化」主体の立場に立っているが故に,文化行政の総合性に言及できない限界をもっ
ていると言えよう。
(4)住民自治的総合行政
皿の1で指摘したように,筆者は文化行政の主体性と総合性を基本視角として,それ を現代文化行政の組織性を考える立場から,住民自治的総合行政として組織化する立場 こそが現代文化行政が,「文化の政治化」や「文化の産業化」へ方向づけられない行政 組織化論と考えている。この立場から論理構築を志向しているのは,Hの「教育性関連
(ネットワーク)論」を構築している論者である。その中でも,二宮厚美氏の論は,こ の立場から一定の方向を提起している。二宮氏は,住民自治的文化行政をいわゆる「公 務労働論」の視点から論じている(2の。氏は公務労働の二重性,すなわち「官治・営利保 障労働と権利・発達保障労働」の矛盾的二重性をふまえたうえで,専門的発達保障,全 国・地域の組織化,地域ネットワーキングの課題を設定している。この行政職員論は個 人の当為的努力に期待する森啓氏の職員論に比較して,住民自治的な方向性をもつ行政 組織性を提起していると言える。
しかし,二宮氏の論は行政組織体としての組織性は弱体であると言わねばならない。
すなわち,権利・発達保障労働が基盤とする行政組織性の論理の提起に及んでいないと 言わねばならない。この点にかかわって,筆者は地域福祉へ対応する現代地域福祉行政 の行政組織性に言及したが(28),こ・では地域ネットワーキングのコロラリーとして,現 代文化行政の組織性について一つの試論を提示することにする。住民自治的文化行政の 組織性を論理化するには,行政対象の組織性論がまつ設定される必要があろう。この点 にかかわって,将来的にはイタリアの「地区住民評議会」的な地域組織化が設置され,
一定の法的権限が附与されるべきであるが{28),当面は一定の法権限が附与された「地域 文化評議会」が住民の主体性によって組織化されることが不可欠である。それをふまえ
て,総合行政としての現代文化行政の行政組織性として,教育委員会のような独自の行 政権限をもつ「文化委員会」を組織すべきである。この点,団体自治的文化行政の立場 から,「文化行政の即題的な推進事務局として,文化行政主管部門を設置する」という「推 進体制」論が提起されているが四,この行政組織論は首長からの独立性や住民の参画性
を保障できない行政組織化であると言える。
文化行政の基本的性格および行政組織性を論じてきたが,今後さらに,文化行政と地域 文化・地域づくりとの関係の把握や行政組織化の現実的分析が求められている。これらに ついては,基本視点や問題について提起したことがある力避もっと深化して発表したい。
〈註〉
(1)田村明,生年編「文化行政とまちづくり」 時事通信社,1983年,272頁
(2)カルラ・ボード(佐藤一子他訳)「自治体の文化行政」 三省堂,1986年
(3)大森彌,三国他「行政の文化化の現状・課題・展望」(「地方自治職員研修一総合特集『行政の 文化化読本』一⊥229号) 公務職員研修協会,1985年,21頁
(4)松下圭一「社会教育の終焉」 筑摩書房,1986年
(5)梅;樟忠夫監修,NIRA編「文化経済学事始め」 学陽書房,1983年,12頁
(6)田村明,森啓編,前掲(1),272頁
(7)NIRA,上田篤編「都市の文化行政」 胡琴書房,1979年,47頁
(8)星野克美「消費の記号論」 講談社現代新書,1985年,80頁
(9)森啓「文化行政のあゆみ」(前掲7),247頁
(1① 前掲(3)18頁
(11)北田耕也「現代文化と社会教育」 青木書店,1980年,201頁
(吻 北田耕也,同上書,187〜189頁
(13 北田耕也,同上書,190頁
(凶 二宮厚美「生活と地域をつくりかえる」 労働旬報社,1985年
(19 佐藤一子「生活・文化協同への模索」(「月刊社会教育,No.352」) 国土社,1986年
(1⑤ 猪山勝利,牛津信忠編「転換期の地域福祉」 長崎県社会福祉協議会,1984年〔A〕
猪山勝利「文化行政の今日的展開」(「第14回,地域・自治体問題全国研究大会予稿集」) 自治 体問題研究所,1984年〔B〕
(1の 二宮厚美,前掲書 229頁
(1㊨ 前掲(3)7f頁
(19 猪山勝利,前掲(1⑤〔B〕
⑳ 山田公平「日本における住民自治発達史」(「自治体問題講座第1巻一現代の地方自治」) 自 治体研究社 1979年,146頁
(21)上田篤,田村明「行政の文化化の意味と可能性」(前掲(3)所収) 128頁
(吻 松下圭一,前掲(4)
㈱ 島田修一「生涯教育政策と社会教育の公共性」(日本社会教育学会編「生涯教育政策と社会教 育」 東洋館出版社,1986年,27頁
(2の 松下圭一,前掲(4)
松下圭一「市民文化は可能か」 岩波書店,1985年,308頁
㈱
(2⑤
⑳
㈱
(29
G①
文化行政と社会教育
前掲(3)21頁
北田耕也,前掲書(11)186頁
二宮厚美,前掲書個 176頁イタリアCdQ研究会「地区住民評議i会」 自治体研究社,1982年 前掲書(1),300頁
猪山勝利,前掲(1⑤〔B〕,