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高等学校数学教育の問題点(2)

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高等学校数学教育の問題点(2)

教育学部数学研究室 宮 田 :龍雄 常磐女子高等学校  宮 田 加寿子

鉾田第一高等学校    ノj、 磯    毅

移動などをベクトルの概念の素地と考え」てこれを「抽 象化」して,ベクトルを有向線分または成分表示のいず まえがき      れかを用いて導入すべく規定されているのであるが,今 前稿の高等学校数学教育の問題点(1)蔦高等学校新  回調査した数学1の教科書のでの取り扱いで1馬16冊の 学習指導要領数学1の内容のうち,「数と式」, 「方程  すべてが,有向線分からの導入という方法をとっている。

式と不等式」とについて考察したPこれにひきつづき本  この方法でベクトルを導入する限りでは,平面立体に 稿では,同じく数学1の内容から,「ベクトル」および  おけるベクトルはまったく同じもので,それらを敢えて

「写像,簡単な関数,三角関数」についての問題点を考  区別する必要はない。事実この立場をとり,すくなくと えることにする。文中のカギ括孤はすべて「文部省学習  も導入の時点では平面,立体のベクトルの区別をしてい 指鞭領」,「学習指鞭領解説?またはそれらの作成 ない教科書は1・1、6に達する。さら・、「中学校以来学習 者による「高等学校学習指導要領の展開,数学科編」朝  している集合の類別の考えを用いて,平面上の有向線分 治図書)3)からの引用を示す。       を,その長さと方向とに着目して類別し,その類をもっ

てベクトルと定義することも考えられる」と解説されて 1 ベクトル      いるが,有向線分それ自身をベクトルとするのではなく,

a ベクトルの意味      それらの類をベクトルと考えなければ,論理的にベクト

数学1の内容A,(3)に「平面上のベクトルの意味な  ルに加法,スカラー乗法などの演算を定義することが不 らびにベクトルにっいての加法,減法および実数との乗  可能であるから有向線分によるベクトルを数学的対象と 法の演算にっいて理解させる」とあり,数学旺Bの目標  して取り上げることはできない。それにも拘わらず,べ

(3)では「行列を通して,いくっかのものの組を1つの  クトルの概念を類を用いて定義する教科書は1冊も見受 ものとしてとらえ,数学的に表現するしかたを理解させ, けられない。このことは,指導要領の内容,指導要領解 それを用いる能力を養う」と述べられている。さらに数  説の中に,すでにベクトルの概念規定の矛盾あるいは曖 学EBの内容A,(2)に「座標とベクトルの概念を空間  昧さが存在していることを示すものといえよう。

へ拡張し,それらを理解させ,基本的な図形を式に表わ  ベクトルの概念が「数学における重要性」を目指して すことができるようにする。また,ベクトルが,平面に 導入されたものとすれば,最小限ベクトルの概念自体が おいても,空間においても,ともに同じ考えに基づいて 論理的矛盾を内包したものであってはなるまい。さらに いることを理解させる」ものと指示されている。旧指導  高校数学教育における教材として,ベクトルが最初の,

要領では,ベクトルは数学皿Bの内容として含まれてい  かつ重要なnon−categoricalな数学教育への脱皮のため たのであるが,ベクトルのもつ「数学における重要性,  の役割を果たす教材であることを忘れてはなるまい。い 他の諸科学における有用性にかんがみ,必修の数学の科  いかえればベクトルを,特殊化した有向線分(正しくは 目の内容としてとりあげるために,新指導要領では数学  それらのなす類)のみがもっ,倭小化した性質の指導の 1の内容におろされている」という注釈がつけられてい  ための教材として位置づけるのではなく,ベクトルのな る。      す集合の台の上に,代数構造あるいは線形構造を与えて

「中学校での,正数,負数の数直線表示や図形の平行  ゆく統合,発展を目指した教材として位置づけて,はじ

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めて数学教育の現代化が指向されてゆくと考えたい£)こ  れるほど簡単に小,中学校の指導要領の内容として投げ のように「数学における重要性」をもつ素地であるベク  こまれてきたが,それらの多くが,ちしろの教材にまっ

トルを,教育的配慮から,たとえそれを特殊化した有向  たく活かされていないことは残念である。たとえば上記 線分を用いて導入したとしても,論理性を保ちつつ指導  集合の類別の概念もその一つである。このことは学習指 ができるように,指導要領の内容と,その配置が十分に  導要領それ自体の統合性,論理性が問われる問題でもあ 考慮されさえすれば,現状のような線形代数構造への無  ろう。

指向から逃れることができると考える。       b ベクトルの演算

いわゆるユークリッド空間は計量空間であり,必然的

に長さ,方向の概念を伴なうものである。しかも長さ,  上で述べたように,教科書におけるベクトルは有向線 方向の概念は線形性の諸概念と直接結びつくものではな  分のなす類そのものを意味するのではなく,類の代表元 いという意味で,ユークリッド空間におけるベクトルは  としての有向線分を意味しているから,一つ一つのべク

すでに一般者としてのベクトルではない。したがって計  トルの間における加法,減法,実数との乗法などは数学       ・

量の概念が直接表面にあらわれない形での,ベクトルの  的演算とみることはできない。ある演算が数学的演算で 概念の導入が望ましいし,類別の煩雑を避ける意味でも  あるためには,いわゆるその演算のwell−defi nedness

自然であるといえよう。したがって有向線分による導入  が保証されなければならない。数学的にはベクトルの演 よりも,この意味では成分表示による導入のほうがすぐ  算を有向線分で行なう限り,類の間の演算でなければな れていると考える。後者はさらに線形構造へのつながり  らないことはいうまでもない。「長さ,向きが等しい矢 を滑らかにし,数学皿における行列の指導を自然なもの  線はただ一つのベクトルで表わせる」という,いわゆる とするであろう。一方有向線分はきわめて具体的であり, 自由ベクトルを,演算の段階では,「無限に多くの矢線 他の科学との関連もあって,一見有向線分によるベクト  を,ただ一つのベクトル」として,正しい意味で生徒に ルの導入は,教育的であるかのように見えるけれども,  理解させることは無理であり,生徒は形式的に,演算の 有向線分そのものを数学的対象としてのベクトルと考え  方法のみを記憶するだけといえる。論理性をもたない概 ることは許されない。一般にある対象を数学的対象とみ  念の積み重ねを理解させることができないのは当然のこ るためには,それら対象間の相等が先ず定義されていな  とといえよう。まして現行の指導要領の範囲内で,ベク ければならない。教科書のすべてがこの事実に無関心で  トル導入のまえに,類別の指導を挿むことはほとんど不 あるのではないが,論理的厳密さを失うまいとすれば,  可能で,事実すべての教科書は,ベクトルの演算をきわ 実際の指導上の困難と,指導要領からの逸脱などが考え  めて形式的に記述し,well−definednessへの反省を避け

られる。したがって相等のみの定義があって,類別の問  てしまっている。中学校における剰余類の代数構造の指 題は伏せてしまっていると思われる。有向線分によるべ  導の場合には,生徒のもつ数学性の不足から,論理性が クトルの導入は,上述のように直観的であり,初等解析  避けられていることはやむをえないと思うが,高一の生 幾何学に直接つながるなどの利点もあるが,一方この利  徒の能力から考えても,代数構造における演算指導のた 点は同時にベクトルのもつ数学性の減殺をまねく怖れも  めの教材として,最もすぐれているものの1つであるべ あることに注意しなければならない。すでに小中学校  クトルの教材を,このままのレベルに位置づけるとすれ で数,図形などの集合の具体的類別の指導がなされてい  ば,高校数学教育は,いぜんとしてcategoricalな範囲 るのであるから,それを活かす意味でも,高一の段階で  にとどまってしまうことを意味しよう。したがってベク 一般の集合の類別を指導して差し支えないと考える。さ  トルの教材そのものの,現代化への貢献はなく,あるい らに数学皿,1で出会ういくつかの,この種の概念を透  はこの教材を高校数学教育からはずしても,これ以上の 明にするためにも,その準備は必要であろう。このよう 損失はおこらないとさえいえよう。これと関連して「べ な積み重ねの上で有向線分の類として,正面からベクト  クトルの導入を,実数の順序対を使って行なうという方 ルを導入することも考えられてよいのではあるまいか。  法も考えられる。この場合,演算は形式的になるが,簡

「事象を数学的にとらえ,論理的に考え,統合的,発  単でもある。矢線ベクトルの成分表示にまで行けば結果 展的に考察する能力と態度」を育成するためにも,数学  として同じになる。すなわち両者が1対1対応すること における非常に重要な概念が,ある意味では無謀と思わ  が理解される。要は,導入として,生徒にどちらがより

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よく理解されるかという手段の選択に属するだろう」と  である。いずれも計量概念が伴うという点で一般化に難 いう見解が示されていることを見逃してはなるまい。す  点をもつ。

なわちこのような発想からもし新指導要領が作成された   つぎにスカラー(実数)とベクトルの間の乗法である とすれば,大きな問題を含むからである。直観的である  が,すべての教科書では,kを実数として,盧を k>

有向線分を用いてのベクトルの導入が,論理的にも,実  oのときは宕と向きが同じで,大きさがk倍のベクトル,

際教育の場でも,真にベクトル空間のもっ代数構造,線  kくoのときは,一ぎと向きが反対で,大きさがlkl倍 形構造の理解へと,将来っなぐための素地をなす材料と  のベクトル,k=oのときは一δ と定義する。なお上の

しては不適切であると思うからである。いいかえれば,  定義でもれている,互「=ずの場合に言及していないもの どの次元での生徒のベクトルの理解,を期待するのであ  が13116もあり,しかもこれらではk了=了であること ろうかという問題である。成分表示による導入が多少技  は駅明らかなこと あるいは 論証すべきこと として,

術的であっても,すくなくともあとの行列とのつながり, ベクトル空間の諸公準,たとえばk(T+6)三k慕露な 線形性への希望があるならば,それによる演算の形式性も  どを,ぶを含めた意味で導いていることは,明らかに論 無視できないはずであり,たとえ,ある時点で同じ結果  理的矛盾であることに注意したい。いずれにしても上の

に到達したとしても,数学的maturityの少ない生徒に  定義では, kのもつ必要以上の実数としての特性とベク とっては,指導の方法,論理の過程は重要な意味をもっ  トルの計量性を用いているので,一搬化に支障がある。

ことを忘れてはなるまい。       これも成分表示を用いれば問題のないことである。

以下個々の演算の指導上の問題点を考察しよう。指導   以上の諸演算の導入のあと,ベクトル空間の諸公準で 要領によれば,加法などの指導は,有向線分を用いても, ある2,3の公式が導かれ,その結果ベクトルの集合の 成分表示を用いてもよいとしているが,すべての教科書  もつ「数と同じ」性質が理解されるとしている。数の集 が有向線分によってベクトルを導入しているため,加法  合が有する性質,たとえば分配法則と,k(ず+了)=k書 にも,有向線分の特性にもとつく方法,すなわち平行四  +kでとの形式的類似はあるとしても,ここで注意しな

      ければならないことは,数の分配法則は数のもつ環論的辺形法が用いられている。加法の定義可能性の問題とと

烽ノ,この加法、礪謹的概念が伴うため,搬のべ性最あり激の集合のもつ内演算に関する性質である.

クトルの演算にっながらないという2っの欠点がある。  一方kGf+「ぢ)ニkぎ+kτは,実数体R上のベクトル空 この点だけからしても,成分表示による演算の導入の方  問のR加群としての性質であり,外演算に関する性質で がすぐれている。また実際の指導にあたっても,成分表  ある。したがって両者の間には本質的な差があることに 示による指導上の困難はない。さらにいたる所で加法が  注意がはらわれなければならない。もっとも実数体Rを 定義されるためには駅零ベクトル の概念が必要である。 R上のベクトル空間と見なしうる段階ではこの差も消滅 これを艦大きさ0の平行移動∵一点からなるベクトル  するのであるが・高校数学の段階で,ベクトル空間を,

とするものが12116, 許(→−a) とするものが3/16で  数のもつ代数構造の延長上におくことは,きわめて早計 ある。かかる定義こそ形式的であるというべきで,生徒  であろう。数の構造の延長上におくことのできる教材は,

になじませること灘しい.すなわち元来ベクト,レには,高鰍学においても相当豊富であるの・、ノ)あえて異質と 大きさと方向があったはずであるが,零ベクトルには大  もいえるベクトル空間を,ここで取り出す必要はないと きさも方向もないのであるから,このことは生徒には  考える。ちなみにかかる諸等式は,生徒にとって数学的

数学という学問のもつ狡猜,身勝手 と映るよ.うであ  興味の対象とはならない。たんに演習問題のレベルでし る。いうまでもなく零ベクトルを用いた形式的計算を,  か受けとらないことを附言しておこう。

形式的に指導することは容易である魁そのことと,生      C ベクトルの成分表示

kがベクトル を理解したとする判断とは別であろ

う。零ベクトルの指導においても,成分表示による方法   ベクトルの有向直線上への射影を基礎に,ベクトルの は自然であり,生徒に理解させ易いといえる。加法の逆  成分表示が指導されるが,有向線分の有向直線上への射 算としての減法を定義するために鵯逆ベクトル が導入  影では,有向直線上の1つの有向線分に射影される有向

されるが,これを 大きさが同じで,向きが反対のべク  線分は無数にある。さらに同一の有向線分に射影される トル とするもの11116, (−1)諭 とするものが2116 ベクトル類も無限である。このように射影は生徒にとっ

(4)

て一般過ぎて理解し難いものの一つである。したがって   ベクトルを,もし可能であるならば計量的性格から分 ベクトルの成分表示指導の準備としては過大である。有  離して 数の対 として導入し,独立性,生成の概念な 向線分から導入されるベクトルの成分表示のためには,  どを通して,数学皿Bの一次変換,行列などの数学的に 最初から直角座標軸への射影を用いるだけで十分であろ  重要な概念にまで結びつけ,少くとも有限次元ベクト空

う。このように限定してさえ,対応はベクトル類と,座  間の構造を指向する教材,いいかえればnon−categori一 標軸上の二つのベクトルの組のなす類との対応,という  ca1な数学教育の代表的な教材として生かし,育てて 高度の対応が必要とされる。ここでの成分表示の本質的  ゆくことを提言するものであるξ)

な目標は,平面上のベクトルの,ある基底に関する一意

2 関  数 表示の指導であると思われるが,表示の一意性を一次独

立の概念を伏せた形で指導するため,論理性を期待する  従来の関数の指導では,数式あるいはグラフで表現さ ことは無理である。一方一次独立性の欠除は,数学皿に  れた個々の関数の,数値的考察ないしは式変形という古 おける行列を指導する意味を失わせ,一次変換と行列と  典的,伝統的な方法が固守されてきたのであるが,数学 の対応を姑息なものにしてしまっている。教科書でみる  教育現代化の思潮の中で,数学教育における数学性の重 と15116が有向直線上へのベクトルの射影を基礎に,解  視,諸概念の統合が自覚されるとともに,関数を写像と 説書通りの展開をしている。直接直角座標軸への射影か  してとらえる必要に迫られ,高等学校数学教育の内容に ら入るものは1116である。また髄射影 正射影 と  はじめて「写像」が取り上げられることとなった。いう いう用語の混乱も目立っ。なお線形写像としての,射影  までもなく関数概念は線形性の概念とともに,数学些お のもつ線形性にふれているものが4116であるが,このこ  いてはもとより,高等学校数学教育におけるもっとも重  聖ニもそれ自身孤立しているので,ほとんど無意味であろ  要な基本概念の1つであるから,どのような具体的内容 う。成分表示のための基底(基本ベクトル)もその性格  を媒体とするかが,数学教育における大きな問題であっ の特徴づけは見られず,たんに特定のベクトルに対する  た。現在の関数教材についての評価を与えるためには,

名称に過ぎない。ちなみに基本ベクトルを定義しない教  もちろん高等学校数学教育全部の内容について検討され 科書が3116みられる。また成分表示の一意性の事実を,  なければならないが,数学皿,置の基礎としての数学1 表面にだしているものは1116で,他は表示の可能性につ  における関数教材をまず検討する必要があると思われる いて述べているだけである。「般に表示可能という場合  ので,ここでは数学1の内容に含まれる範囲で考察して 表示の一意性までを含意しているものが多く,表示の一  ゆくこととする。

意性を用いる際はそのことを当然のこととするという態

a 写   像 度がしばしば見られるのであるが,高等学校の場合には,

一意性についてはもっと厳格な取り扱いをする必要があ  解説書にも教科書にも「2っの集合XYが与えられ るのではあるまいか。       たとき,Xの各元劣に, Yの元yが一意に対応するとき この対応の機能(または規則)fを,XからYへの写像 以上a,b, cで考察してきたように,数学1における  といい, f:X→Yと表わす」として,数学における定 ベクトルの指導に拭ベクトル空間を目指すものは、っ 籔同じ写像の臓がみられる.したがっ磁轍育に

もなく,旧いベクトル解析への指向のみにとどまってい おいても写像の概念は(1)機能f,②始集合X,③終集 るといえよう。有向線分という新らしい数学の対象の不  合Yの三者からなる複合の概念と解釈される。中学校の 完全な導入と,それにもとつく不完全な形式的演算の指  場合と同様に,高等学校の数学教育における関数概念指 導に終始している。その応用についても,内積を数学皿 導の初期においては形式的ではあるが,このような複合 Bに移行してしまったので,図形における平行条件のみ  の概念としての定義,表現の記号がみられるのではある を中心とし,平行条件と自然に対をなす垂直条件は,旧  が,具体的な関数,すなわち一変数の実変数実数値関数 来の解析幾何学の手法に依存せざるをえないというきわ  の教材が登場するとともに,関数を写像としてみる態度 めて不均衡の状態でぽベクトルのもっ数学における重  はまったく失われ,式表示のみによる古典的関数の指導 要性から,必修の数学1の内容に折角ベクトルを入れた  に逆戻りをしてしまう。このことは関数概念の現代化に 理由も不明なものといわざるをえない。        重点をおく新指導要領の精神に反するばかりか,現揚で

L

(5)

の写像の指導に異和感をもたらすことにもなろう。関数  いることを示すものであろう。

概念はそれ自体が・数学および数学教育における重要な   ある記号をもつ数学的対象でも,その対象の属する母 対象であり・また適当に始集合・終集合をえらべば・た  集合が異なれば.たとえ同じ記号のものでも異質の数学 だちに代数構造の概念に転換することから,新指導要領  的性質をもつことはしばしば見られることである。たと を改訂する際の大きな柱とみられてきたと考えられる。  えば,自然数の集合Nの元である数3は2数の積とならな 一方その実質内容が・旧指導要領のままであることは・  いのであるが,mod 5の剰余環z15zでは2・4=3で まったく理解し難いのである。具体的には旧指導要領の  あるから,数3(で表わされる剰余類)は2数の積に分 関数の内容の頭・ら独立に写像の説明を乗せただけとも解する」°隔についてもこれと同様な現象がみられる。

いえる。      Rが実数体であるとき,関数f:R→R,f@)=2劣+1 通常・数学では・関数f;X→Yにっいて・機能fは  は全単射である。一方mod6に関する整数環Zの剰余環 同じであっても・始集合あるいは終集合x・Yのいずれ  の自己写像である関数9:z!6z→z/6z,9(¢)=2の+1 か一方が異なれ1鴻関数としては区別して考えることが  は全射でもなく・単射でもない。さらに関数F:耳→R,

多い・ここで始集合・終集合などをまったく考えないで  F@)=¢2は全射ではないが,Cが複素数体を示すとき.

機能だけに着目させて・関数を指導している教科書が1 関数G:C→C」G(の=%2は全射である。このように 冊見られることは興味のあることである。現在の指導要  variab lesが含まれるdomainsに従属して変化する性質 領の内容では・実質的には写像の概念が活かされていな  こそ,ある意味では写像のもつ本質的概念であるともい いことから,生徒への負担の軽減を考慮したものという  えよう。すなわち,たとえまったく同じ式で表示される 見方ができるからである。ほとんどの教科書(瑠16)で  関数であっても,その機能が作用する場,すなわち始集 は・値域imf={f@)ぼεX}だけを重視し・終集合Y 合.終集合が異なれば,まったく反対の性質をもっこと

を重視しない立場をとっている。すこし厳しくいえば・  もありうる。これらの事実を正視しない現在の関数指導 このことは写像または関数の概念を・すでにその機能f は関数の間のたんなるcalcUlusであり,決して「関数を に縮小しているといえよう。一方具体的関数の指導が・  写像として把える」こととはいえないと思う。しかも関 関数の機能である・式表示のみに着目させる現状では・  数指導に先だって,関数の変数の動くdomai nsの有資 このような事実は当然なことなのかも知れない。これと 格者として,R以外の種々の集合がすでに指導されてい 関連して中への写像と・上への写像(全射)とを区別す  るのである。さらに多くの教科書にみられるように・関

る教科書は11!16・一対一を単射とするものが9116・  数y=lo9瓢の定義域は何か という型の設問の意味す

全単射とするものが3/16である。また終集合と値域とを るものは,関数指導の原理が古典的形式そのものの関数 9区別しているものは僅か1!16だけである。原理的には・  であり,そこに写像の考えがまったく存在しないことを

同一教科書内で用語の定義が統一されていればよいとい  示すものであろう。

えるであろうが,教科書ごとに同一用語に対する意味が

       b 写像の合成,逆写像違っていることは,数学教育の立場からは望ましいこと

ではないだろう。もっともここでの用語は・以後の高校  上で考察してきたように,関数の指導がすでに写像の 数学教育で用いられることはない。ただしこのような単  概念から離れてしまっているの蔦関数の合成逆関数 射・全射・全単射の意味がまちまちであることから・全  の指導も写像の合成.逆写像の概念に直結したものでな 単射写像に対する逆写像の基礎部分は・不明確にならざ  いことは当然である。したがって「一般的な写像の概念 るをえなく・多くの教科書では,論理的に展開されてい  の理解は,関数の合成や逆関数の理解を助けることにな るとはいえない。しかも写像概念の導入時には・全単射  る」という期待も,事実上は空しいものに終っている。

写橡を出発点として・逆写像を明確に指導している9116 すなわち不完全ながち写像の合成の指導は行なわれるの の教科書でさえも・具体的な関数の指導にまでくると・  であるが,関数の合成は写像の合成の例示に位置づけら 関数の形式的変形から・まず逆関数の形式を求めてしま れるにとどまり,積極的に写像の合成を関数の合成に生 った上で・その形式に意味をもたせる必要から・逆に定  かす指導がみられない教科書が14/16にも達する。この 義域・値域に制限を加える形の指導に変化してしまうこ ことは逆関数の指導についてもまったく同様である。し とは・依然として,関数概念が写像の概念から遊離して たがって実際の数学教育の教材からみる限り,現代化を

(6)

 ●レ指す指導要領改訂の精神は少しも見られない。このこ  ならないであろう。これらの事実をどρようにして数学 とは新指導要領に含まれる内容自身が不備であることが  教育の教材になじませるかという問題を疎外しておいて.

その最大の原因をなしているといえよう。上述の結見   非可換性という偶発的現象にのみとらわれることに,ど 現場での指導では.具体的な関数の合成なり,逆関数の  れ程の教育的価値がみられるというのであろうか。むし 取り扱いも他の関数指導の場合と同様に,たんに式表示  ろ数学1に含まれる多くの具体的関数は数学雇の微積分 の間の形式的変換のみであり,そこに写像の合硯逆写  と直接的であり,数学皿の内容に含まれる一次変換,行 像にもとつく指導を行うことが困難である。すなわち生  列などの本質と深くつながるM(X,X)の代数構造は元 徒の理解を中心に考える限り,写像と関数との関係は一  来正面から指導すべき教材ではないであろうか。このよ 般者と特殊者との関係として把えることができないので  うな現代化のための重要な教材を僅かの特殊例を通して ある。指導要領を作成する側が,かかる現実の教育の場  それのもつ性質の一部を,構造と切り離して指導するこ を十分認識することなしに,たんに理想の幻影を追う限  とが,真の意味の数学教育といえるものであろうか。さ

      ● 閨Cこの種の問題は解決できないことであろう。なお以  らにこのように構成が簡単であって,しかも数学の本質 後の数学教育の場に,関数の合成,逆関数の概念が積極  に深くっながる教材こそ,categoriealな数学教育から,

的には利用されている,とはいえないことを指摘する必  nOn−CategOriCalな数学教育への変換に極めて重要な役 要がある。したがって,現状のままでは関数の合成逆  割をはたすことを忘れてはなるまい12)

写像が指導要領の内容への奉仕者としての意味しかもち   写像の合成の非可換性の指導にも見られるように,数 えない・という見方もできよう。      学を知っている側からすれば,ある内容のもつ意味が,

指導要領解説には「生徒はいままで,a+b, axb,  数学において重要であり,興味のあるものであることを P(Q・P)Qなどの多くの演算を学んでいる瓜これ  理解することが容易であるものでも,数学を学びつつあ らはいずれも交換可能であった。しかし,写像の合成を  る生徒からすれば,その意味は不明確であり,その位置 演算とみると,これは一般には交換可能でない演算の例  づけを理解することを,安易には期待できないことは,

となる」と,写像の集合のもつ代数構造に関係ある解説  しばしば見られる現象である。なお数学教育現代化の中 がなされている。写像の合成を演算とみることができる  枢が,関数概念の指導の現代化であることを疑うものは ためには,写像そのものが元である関数空間M()もY)  いないとすれば,「関数を写像として把える」ことを可

={flf:X→Y}の代数構造を考察しなければならな  能にすることこそ,数学教育の改革を具体化する原動力 い。一方a+b,axbなどの演算は,たとえば実数体R  ともいえるわけであるから,教材の精選にもからんで,

      、 ノおける代数構造であり,PへQ P)Qはたとえば普  ここでの教材の指導には十分の余地を与え,しかもこの 遍集合Xの部分集合の全体の族2xにおける演算であ  関数概念を中心とする他の教材の配置を,論理的に展開 る。実数体Rの代数構造を除いては,必ずしも2x,   する構想を樹立することが急務であろう。

M()もY)の構造は指導されているとはいえないことの

c 簡単な関数 他に.M(X, Y)では終集合Yに何等かの構造が与えら

れていない限り,それに構造を入れることはできない。   数学1で指導される関数には,一次関数,二次関数,

写像の合成に恨っていえば,合成を自由に行なうために  分母子が一次式である程度の有理関数,対数関数,指数 M(X,X)という特殊な写像の集合,すなわち自己写像  関数ならびに三角関数がある。上で述べてきたように,

f:X→Xの全体からなる集合に限定して考察する必要  これらの具体的関数の指導の段階では,写像の本質的な がある。この意味からすると,具体的関数が実変数実数  概念はすこしも活用されることなく,むしろそれとは遊 値関数であることから,写像の変域が実数体Rの部分集  離した伝統的,古典的関数指導に終始する。もちろん部 合に倭小化されて指導されることが多いようである。さ  分的には写像の合成,逆写像の用語もみられるが,その

て写像の合成の非可換性f。g≠g。fはM(X, X)の  場合にも教材の取り扱いは,式変形を中心とする古典的 もっ代数構造に関するものであり,もしXが加法群であ  かつ形式的なものであるから,写像としての合成,写像 ればM(LX)は環をなすから}1)f。・を演算とみな としての逆関数の概念を指導の中に見ることはできない。

すために.その非可換性を問題にするとすれば,当然   このことは数学1以外の関数指導にも共通していえるこ M(X,X)の他の環論的性質もとり上げていかなければ  とであり,いわゆるWeierstrass流の関数指導であり,

L

(7)

あるいはNewton−Leibnitzの流れをそのまま継承する  については,定義域をともにR\ρにとれば同じ関数と もので,18−19世紀時代の古典的実関数論からの伝統  いえるが,前者では定義域をRにとることはできない。

を,一歩も踏み出しえないままになっているといえよう。 一方有理式としては 関数を写像として把えることは現代の数学の基盤であり,

古蝋学からの激であ飛したがってこれを数轍  X(X+1X),X斗・

育で実現するためには.今までとまったくちがったspi一

ritから,過去にとらわれない教材の選択と,その有機  は同一視してよい。さらに有理式間の加法

的配列を再考慮してゆく必要があろう。       X(X+1)    X+3

前稿でも指摘したように,整式(多頃式),有理式        X   +  X+2

(分数式)の概念がまったく曖昧であることから,二次

の整式,あるいは簡単な有理式で表現される関数である  は無条件に行なうことができるが,関数間の加法 二次関数,分数関数の概念も極めて粗雑なものになって

勿@+1)  瓢+3

絵叢灘窺搬繍姦瀦匿諭、享竺   忽+餌2

も考慮されていない。第二に超越元である,整式,有理  は・2つの関数とも定義域をR−{0,−2}としておか 式中の変数Xと,関数に随伴する定義域内を動く変数¢  なければ無意味である。このように関数を写像としてみ

との区別をすくなくとも生徒には理解させることができ  れば・二次関数・分数関数などの用語も必ずしも論理性 ないことを指摘しておこう。このことは関数を写像の概  をもつものとはいえないので,たとえば 二次整式で表 念に関連させないことと,関数の表示を式表示のみで行  わされる関数 分数式で表わされる関数 と改めた なっていることがその原因になっていると考えられる。  方が適切であろう・またその表記法も,f:R→R,f@)

以上について具体的考察をしてみよう。        =aが+bの+cなどの形のものに変えるべきであろう。

超越元Xと,実数a,bcとの組から成る形式としての  実際には・すべての教科書での取り扱いは,定義域を 二次整式aX2+bX+cに含まれている,形式的乗法, 実数の全体Rとするか,または暗黙のうちにそれを認め 加法は実数体Rにおける数としての乗法,加法とは異な  ることを出発点として,式のみによって関数を導入する

る演算であるから,aX2+bX+cそのものを関数記号y 形がとられている。そのためたとえば・分数関数で分母

=a♂+b磁+cの右辺における表現と同じとみることは  を0とする特異点は関数ごとに,あとから除外すること できない。数学的にいえば,まず実数体R上の一変数X  としている。逆関数の扱い方も類似で,韓逆が一意でな の多項式の相等,加法,乗法を定義して多項式環R〔X〕 いときは・多くの場合,原像の集合をせばめて一意性を を作り,RをR〔X〕に埋め込んだ後に,R〔X〕からR  もたせる として,たとえばy=がでは逆関数への形 への代入と呼ばれる準同型写像:R〔X〕→R,f(X)→  式変換であるy=±πを先に出してしまって,あとか

f(¢)によってえられる二次多項式aX9+bX+cの像  ら劣≧o・の≦oという制限をつけて,もとの関数の定 砺2+勿+cを,Rの元躍に対応させる写像f:R→Kl磁  義域を補正するという形で指導が進められてゆく。

→a♂+協+cが二次関数である。分数関数についても同  表面的ではないにせよ,グラフの指導の際の必要から じように考えることができる。したがって二次関数,分  関数の連続性の問題を避けることはできない。連続性を 数関数の間の相等や加法,乗法は,関数を写像として把  この発達段階の生徒に対して論理的に指導することは無

えてはじめて意味をもつものであり,それらがすでに実  理であるから・それを素朴であり,直観的である指導だ 数であると見なして二次関数,分数関数を,実数の構造  けで逃げることはやむをえまいが,関数を写像として把 の中に埋め込んで取り扱うことは論理的ではない。たと  えてゆく過程では連続性を軽視することはできない。す えば形式の異なる2つの関数y=¢乳3勿+2とy=0とを  なわち連続性は関数の定義域,値域に深く関連するから 考えよう。これらをともに定義域{1,2}での関数とすれ  である。しかもこの概念は,数学においては関数概念の ば,等しい関数であり,定義域をともにRとすれば異な  中でも重要なものであるので,この時点における生徒に る関数である。また関数      誤った形で印象づけられてはならないからである。論理

y一髪+1),y−…   的・・は関数の臓域,値域を共にdiscre・・な位相謂

(8)

@      噛 にとれば,すべての関数は連続となり,したがってたと  から高校の数学1に移行され,多くの教科書ではそれは えば整数全体の集合Zについて,関数f:Z→Z,f@) 三角関数指導のための準備のためのものとされている。

=2勿+1を通常のグラフに表示すれば,ある直線上に等  もともと三角比は幾何学的概念を取り扱う上での尺度で 間隔にならぶ離れた点の集合がえられる。このグラフは  あり,三角比そのものを関数概念と見ることは無理であ っながった曲線(または直線)ではないが,この関数は  ろう。たとえば0°,90°,180°などの三角比は考えられ 連続関数である。また煕関数yr毒は詔=0で連続では  ないのであるが,これを三角関数の立場で考えれば定義 ない ,などと指導されることがあるが,これを写像と  できるわけである。また角そのものを図形的に把えるか 考えれば,すでに定義域から勿=0が除かれているので  変数としての一搬角で把えるかでは,本質的には指導法

¢;0における連続性を問題とする必要がすでにないわ  が変へられなければいけないのであろう。その例として けである。      三角比にはないが,三角関数には存在する周期性を挙げ

対数関数を指数関数の逆関数とみるためには,指数関  れば十分である。対数関数の導入を,ある数の対数を考 数y=ヂで。灘が無理数の場合に論理的な定義を与え  察することから行なえば,対数関数の指導の実質内容が

ることが高校の数学教育の範囲では無理であることが問  写像ではなく,計算のための対数の方向にひかれてしま 題であろう。また指数関数の逆関数を考えるためには,  うのと同じく,三角関数を,三角比を基礎として導入し 指数関数f:R→P(Rは実数全体,Pは正実数全体の集  てゆけば,写像としての三角関数は,生徒にとって三角 合),f@)=ゼ(a>o)の全単射性を保証する必要が  比にまで躾小化された対象になってしまうのである。

ある。単射性は,無理点を除いては,比較的容易に示し  「三角比相互間の関係は,角が一般角まで拡張されても うるが,全射性は困難である。したがって対数関数を指  そのまま保存される」として,加法定理以前の三角関数 数関数の逆写像として本質的に理解させる指導はこの段  の基本的な相互関係が指導されているが,これらを活用 階では望めない。実際教科書ではすべて,対数が指数の  するための数学1での教材はむしろ少なく,一方異なる 逆機能,いいかえれば劣,yを固定した実数と考えた場合  関数の間の関係という概念は,数学教育ではほとんどみ

のy=♂q別な表記が対数である・という取り扱いを  られないことでもあるから,これらの関係を,写像の間 しているに過ぎない。この意味では対数,指数と,それ  の関係として把えさせ,たんなる機械的計算のための道 らを写像として見る対数関数,指数関数との間には大き  具として位置づけてしまわないためにも,これらの諸関 な質的相違があるといえよう。さらに指数関数,対数関  係は,加法定理以降の教材の中に組み入れた方がよいと 数の「意味」として「和を積に,積を和に対応させる関  考える。なお「三角関数の逆関数は扱わない」としてい 数としての基本性質」があることとされているが,これ  るが,これも関数概念が,写像の概念としておさえられ も上述のR,Pにそれぞれ加法群漂法親しての代致 ていさえすれば詣導上重大姻難ますこしも考えられ 構造を与えた上で真の意味をもつものであり,たんに形  ない。また関数の合成の指導も,三角関数のグラフとい 式的な意味づけに終るならば,写像でない,関数の性質へ  う好材料を用いてさらに積極的に行なわれるべきであろ

と特殊化したものに留まってしまうであろう。すなわち  う。

上の性質は,写像としての対数,指数関数のもつ準同型

的性質であると見られるから,演算の保存に着目させる   以上関数の指導について考察してきたが,ここでの指 ためのモデルとしての対数関数,指数関数を取り上げな  導要領の内容は,実質的には,旧い関数教材の中に,現 くとも,もっと基本的で技術的に容易である対象が十分  代の数学から断片的に写像の教材を集めて,しかも無株 にあることであるから,かかる基本性質の指導を,ここ  序,無指向のまま投げ入れてしまっている,といっても でだけ敢えて強調する必要もないと思う。むしろ2つの  さほど言い過ぎではあるまい。むしろここでは,たとえ 代数構造の間を結ぶ性質である,写像としての準同型性  ば線形の数学を指向し,関数の写像としての性格づけに の指導は,たとえばベクトル空間における線形写像の中  だけ教材をしぼり,たとえ重要な古典関数であっても,

に求められるべきであり,その系列の中に行列,微分積  その多くを数学且の微積分の内容に,それらの関数の無 分の演算などの指導も乗せてゆけば,よりよいものにな  理点における定義可能性,連続性などについての不明な ってゆくであろケ。       指導を残さない形で移せば,よりすぐれた関数の指導が

       16)

ナ後に指導要領の改訂により,三角比の指導は中学校  期待できるのではあるまいか。

(9)

      吉田洋一他,数学1,学校図書,昭和49年。注および参考文献

5)ベクトル空間については,たとえばN・Bourbak i:

       

P)宮田・宮田:高等学校数学教育の間題点(1),教育学  Elements de mathematique, LivreまたはC・Cheval1 部紀要,vo124,1974。      −ey:Fundamental coneepts of Algebra(.Academic 2)高等学校指導要領解説,文部省,1972      Press,1956), Chap. III.

3)高等学校学習指導要領の展開,数学科編,明治図書  6)たとえば 宮田:環論入門(棋書店)。

1971.       7)たとえば剰余系,集合族のなす代数構造。

4)伊関兼四郎他,新数学1,数研出版昭和49年.   8)宮田・宮田:高等学校数学科における線形教材にっ 植竹恒男他,数学1,清水書院,昭和50年。     いて,数学教育学会紀要,)皿一3・4,1971172。

大槻富之助他,数学1,日本書院,昭和49年。    9)たとえば 弥永・小平:現代数学概説1,第一章

〃   ,数学1,三省堂,昭和50年。      (岩波書店)。

小平邦彦,数学L東京書籍,昭和49年。      10)6)参照。

小林善一,数学1,教育出版,昭和49年。      11)  〃

小松勇作,数学1,旺文社,昭和48年。       12)宮田二数学教育の現代化,教育学部紀要,⑩119・

正田建次郎他,数学1,啓林館,昭和48年。      1969。

〃    新数学1,  〃      13)6)および宮田:体論入門(棋書店)

寺田文行他,数学1,大日本図書,昭和49年。    14)位相空間については,たとえばN・Bou rbaki,

       

逑≒M太郎他,数学1,池田書店,昭和49年。     Elements de mathematique,Livre皿または 福原満洲雄他,新数学1,実教出版,昭和49年。    J・L・Kelley:Gene ra1τbpology(Van Nostrand,

守屋美賀雄他,新数学1,最新版.帝国書院,      1955)。

昭和49年。      15)群については,たとえば宮田:群論(棋書店)。

〃  ・ 新数学1,初訂版,帝国書院,    16)関数教材の新しい取り扱いが次の教科書に見られる。

昭和49年。      Lam㎞cher唱ehweizer:Algebra I,匹Ernst Klett,

矢野健太郎,数学1,学研書籍,昭和49年。     Berlin,1972:Alepho/Algもbre 1,2(lre CDE), Clasi 一ques Hachette,1970,Paris。

Problems in Math㎝atics Teaching in Upper Secondary School Education (2)

Tatsuo Miyata, Kazuko Miyata and Takeshi Koiso

Abstract

Th・R㎝孟・ed C・urse・f St・dy ・ai・ed m・・y q…ti… i・m・th㎝・tics teachi。g i。。pPer sedcondary school educations。 The pt∬rpose of this study is to survey and consider the oontents of the teaching materials particularly in the theory of vectors and functions.

参照

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