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算数・数学教育における教材研究の視点 平 岡 忠

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算数・数学教育における教材研究の視点

平 岡   忠

(1982年10月31日受理)

1.教材研究の意義

学校教育における学習指導活動の多くの部分は授業の形式をとって行われている。そして, 授 業は教師の生命である とか 教師は授業で勝負する などといわれているほど,毎日,毎時間の 授業は教師にとって重要な意味をもっている。しかも,ヘルバルト(J。F.且erbart)も教材を「教 師と生徒との連帯の結び目」とよんだことがあるように,1)その授業は教師と児童・生徒と彼らの 間の媒介をなす教材とによって構成されるとなれば,学習指導において教材の果たす役割は極めて 大きなウェイトをもっているということができる。つまり,しばしば,授業の成否はそこで使用す る教材についての研究が深くなされているかどうかの度合いによって決まるとさえいわれている。

このような観点から,学習指導に際して,じゅうぶん吟味された目標に対して,児童・生徒の発 達段階や実態に即した価値や意味のある適切な教材を選択したり開発・工夫したりして,学習指導 のための教材研究をすることの必要性や意義はいくら強調してもし過ぎることはない重要事である。

2.指導内容と教材

学習者が学習することによって一定の教育目標を達成するためのものとして選ばれた文化財を教 育内容または指導内容といえば,これらは,一般に,学習者が経験しやすいように適切な範囲にま とめて適当な順序に配列しなければならない。これは,カリキュラム編成のスコープ(scope)や シーケンス(sequence)とよばれるものになる。

上述のような指導内容について,その指導のねらいに即して,適切な場面,素材,教具・機器,

さらに媒体などを選択し活用することによって組織し構成したものが教材であるということができ る。このとき用いられる 媒体 としては,文字,視聴覚的なもの,操作や実験などと種々考えら れるが,算数・数学教育においては文字を媒体にしたものが比較的多く用いられる。したがって,算 数・数学教育では,教科書に示されている事柄は代表的な教材の例といえる。

つまり,例えば,指導内容を骨格にたとえてみたとすれば,その骨格に対して,そのときの指導 のねらいにふさわしい場面,素材,教具・機器,媒体などを選択・活用して,適当に肉づけするこ

とによって得られるものが教材であるということができるであろう。しかし,このときも,単に骨 格に肉づけをするというのではなく,骨格の構造に即して,系統性や有機的な関連をもつように肉 づけすることが大事である。

以上のように,ここでは,教材というものを指導内容をも包括した,指導内容をより具現化した ものとして考えていくことにする。

例えば,小学校第3学年で,「除法」の意味の指導を,「12このあめを,1人に4こずつくばる

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62      茨城大学教育学部教育研究所紀要15号特集(1983)

と,何人に分けられるでしょう。」ということの指導を通して進めるとする。これは「除法」という 内容の指導を, あめ , 12こ , 4人 といった素材による, あめを1人に同じ個数ずっ 配る という場面を, 文字 という媒体で表現された「学習課題」形式の1つの教材の指導をも とにして進めようとしているわけである。

そして,この例でいえば,あめを同数ずつ配るという学習課題から考えられる12÷4ということ の意味の指導は,「除法」の意味という内容の指導のためのいわば代表とかモデルとして扱ってい

るのであるという意識が大事である。つまり,この時間の授業では.児童に,上述の「12このあめ       7

1人に4こずつくばると,何人に分けられるでしょう。」という「学習課題」そのものを解決させ ることを目指しているというよりは,いや,それだけではなく,この課題を解決させようとする学 習指導を通して,その背景になっている本質的内容としての「除法」の意味を理解させることやそ の除法の結果を求めることを可能にさせるような能力や態度を身につけることをねらっているので あるということである。もちろん,「除法」の意味という内容が,上述のような学習課題による12

÷4というただ1つの例の指導を通しただけで児童に身につくとは安易に考えられないが,ここで は,ある内容を指導する際の,その内容に対しての実際に用いる教材というものについての認識の

しかたについて述べたわけである。

このことと関連することでは,例えば,ホワイトヘッド(AH. Whitehead)も「教育の仕事は生 徒に木を通して森を発見させることである」と言ったことがある。ここで,指導内容は森で具体的 な教材は木であるといえよう。そして,すぐれた教師は,つねに木を通して森を,つまり,適切な 素材で構成された教材の指導を通して,その背後の指導内容が何であるかを生徒にわからせること ができるのである。2)

3.教材研究の立場

算数・数学教育の教材研究について考察するときの立場はいろいろ考えられるが,まず第1に,

算数科・数学科の教育は,これらの教科の指導を通して,児童・生徒の人間形成のいかなる側面を 分担していくのかという,算数科や数学科の目標の立場から考察することが必要である。つまり,

算数科・数学科は,児童・生徒に,数量や図形についての基礎的な概念(用語・記号など)・原理・

法則などの知識や計算・測定・作図などの技能を身につけ,事象を数理的にとらえたり,筋道を立 てて思考したり,数学的に表現したり処理したり,さらにはそれらを活用したりすることができる ような能力や態度を育成することを通して,彼らの人間形成をねらっているわけである。

また,教育は社会の進展や児童・生徒の発達に即応していかなければならないことはいうまでも ないが,このことは算数・数学教育においてももちろんのことである。

そのうえ,算数・数学科の教育には,この教科の背景となっている学問としての数学の特性も大 きく影響してくる。例えば,数学は,そこで扱う対象は実在する具体物そのものではなく,それら のものをもとにしてある観点から抽象して得られたものであることからもいえるように, 抽象性 という性格が強い。このこととも関連するが,数学では実質を抜きにした形式を重視するので,

形式性 という性格も挙げられる。また,数学を論理学の一部とみる見方もあるほど,数学は

論理性 が強いこともよく知られていよう。この論理性から,数学は仮定したり既に認めた事柄

を基にして系統的・組織的に体系化していくという 系統性 という性格も挙げることができ,さ

(3)

      

ス岡:算数・数学教育における教材研究の視点       63

●   o  ●   ■  ●  ●   ●

らには,形式不変の原理によるなどして,つぎつぎと統合していくご統合性 という性格も特徴的 である。3)ボアンカレ(HPoincar6)が「数学とは,異なった事柄に同一の名称を与える技術であ る」といっていることは,この統合性という性格を表しているといえよう。4)そのほか,数学は記 号を巧みに用いるので 記号性 などもその性格として挙げることができるであろう。このように,

数学はいろいろな特性を所有しているが,算数・数学教育という場では,これらの特質を浮き彫り にしたり活用したりして,そこからできるだけ教育的な価値が産み出せるような形で指導していく ことが大事になる。

以上のように,算数・数学科の教育の目標は,児童・生徒の発達や社会の変化・進展に即応しな がら数学の特質もできるだけ生かしていく方向で彼らの人間形成を目指しているものであるが,こ れらをさらに具体化して示してみれば,算数・数学の学習指導を通して,児童・生徒に

O算数・数学の知識や技能を実際の生活や行動に役立てられるようにする(実用・有用的目標)

o算数・数学の学習を通して,判断力や推理力や思考力などを訓練し,さらにそれらを必要な場 面に転移して使えるようにする(訓育・陶冶的目標)

o算数・数学が広く文化の発展に貢献していることを認識させたり数学の美しさを感じとらせた りする(人文・教養的目標)

などを目指しているということができる。したがって,算数・数学教育における教材研究は,これ らの目標を具現化するような方向で進めていかなければならない。

つぎに,教材研究は,実際に指導する教師の立場からも考察していかなければならない。これは,

直接指導する教師は,各人の資質,力量やこれまでの経験などによって,教材の見方や教材研究の しかたや深さも異なってくるからである。そこでは,内容を含めた教材の研究をしてそれら自身に ついて熟知するだけではなく,互いの教材の前後の関係や他教科の内容との関連などをもふまえた,

教材の有機的な構造についても十分研究をする必要がある。

このことに関連しては,rいかにして問題をとくか』(How to solve it)5)の著者としてよく 知られているポリア(G.Polya)も,算数・数学の指導についての「教師に対する十戒」として述 べていることのなかの第1番目と第2番目に,教師は

自分の教材に興味を持て(Be interested in your subject)

自分の教材を知れ(Know your subj㏄t)

を挙げている。6)そして,彼は, 教師が自分の教材にうんざりしたら,彼のクラス全体は間違い なくその教材にうんざりするであろう。 教材があなたに興味がなければ,それを教えてはなら ない,なぜならそれを快く受けいれられるように教えることはできないだろうから。興味は3伽6 卿σ初π必要条件,必要欠くべからざる条件である。しかし,それは,それだけでは十分ではない。

いかに多くの興味や,教授法や,他の何物かがあってもあなたは自分がはっきり理解していないこ とを生徒にはっきりと説明することはできないであろう。 教材に関する興味,そして知識は,

ともに教師に必要なものである。私は興味を第1に置いた。なぜなら,真の興味を抱いていれば,

あなたには必要な知識を得るよい機会があるが,興味の欠乏と一体になった多少の知識は,容易に あなたを並外れて悪い教師にすることができるからである。 といっている。まことに, 戒め

という語にたがわず,厳しい言葉である。

さらに,教材研究は学習者としての児童・生徒の立場からも考察していかなければならないこと

はいうまでもないであろう。彼らは大局的にみればおおむね年令に応じた発達の段階がみられ,さ

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64      茨城大学教育学部教育研究所紀要15号特集(1983)

らに局所的にみれば,各人によって質的や量的な種々の個人差がみられる。したがって,そこには,

認識の傾向やつまずきの様相などに対する一般的や個別的な状況が見いだされる。これらのことか ら,直接指導する教材の構成や提示は,このような児童・生徒の発達段階や個人差からくる能力や 性格や興味・関心や経験の差異などを十分に配慮してなされなければならない。いかに研究し苦心

して作った教材でも,学習者としての児童・生徒に理解できず彼らの関心や意欲を誘うものでなけ れば,授業としては成り立たないことになる。

以上のように,算数科・数学科の教材研究をするには,まず大きな前提としてのこれらの教科の 目標をふまえて,さらに指導する教師の立場と学習者としての児童・生徒の実態などからの立場か ら考察していかなければならないが,また,このことを見方を変えていえば,この教材研究は算数 科・数学科の指導内容の面と指導方法の面との両方の側面から考察していかなければならないとい うことになる。そして,このような立場からみて適切な教材を選択・工夫・開発して構成し活用し ていかなければならないということである。これらの立場は,教材研究をするときの大局的な立場 を述べたので,より細部をみていけば,さらに種々の要因が考えられることになる。

かつて,篠原助市氏は「教材選択の諸見地」として

(甲)心理的見地

(乙)科学的見地 丙)形式的見地

という3つの見地をあげていた。ηここで,氏のいっている心理的見地というのは「教材は生徒の 心理的要求に適合すべきである」という学習者としての児童・生徒の立場からのことであり,科学 的見地というのは「教材選択は文化財の体系そのものをなるべく破壊しないで,それに固有な科学 的秩序を出来る限り保存しようとする」ことであるから,算数・数学教育でいえば,算数科・数学 科の背景となっている学問としての数学の特質を生かしていくようにしたいという算数科・数学科 の目標の立場に関連したことといえよう。そして,形式的見地は「形式的見地とは教授と形式的陶 冶を重視し,主として心力の陶冶という立場からして教材を選択しようとするもの」であるといっ ていることからもわかるように,これは教材を構成するときの原理というより目標選択の原理に属 すべきものと考えられる。したがって,篠原氏は3つの見地を挙げているが,実質的には2つにな るといってよいであろう。8)

このような教材に対する見方に関連して,前者の児童・生徒の立場を重視するものとして例えば デューイ(J.Dewey)を,また後者の教材の系統を重視する立場として例えばヴィルマン(0. WilImann)

を挙げることができるであろう。デューイの経験主義の立場からすれば,教材は個人を成長させる のに役立つ経験とか環境であり学習者の生活に密着した 活動的な諸仕事 であるといえる。9)ま た,ヘルバルトの流れを汲むヴィルマンの立場からすれば,教材は教育的に役立つ文化遺産である ということである。

4.教材研究の視点        ●

つぎに,教材研究を具体的に進めていくときに留意すべきと思われるいくつかの視点をあげて考 察していくことにしよう。もちろん,それらの視点は独立のものではなく相互にも密接に関連して

いる。       ・

(5)

1)授業の目標に即した妥当な教材を用意する

授業では,その時間の授業を通して,児童・生徒にどんな能力や態度を身につけさせようとして いるか。例えば,本時の授業を通して,児童・生徒に位取りの原理とか円周角の概念のような知識 を理解させるのか,定規とコンパスによる平行四辺形の作図とか正の数・負の数の計算のような技 能を習得させるのか,資料の収集・整理や証明の仕方のような方法を定着させるのか,概算・概測 による見通しや整数・小数・分数を分数として統合するような見方・考え方を育成させるのか,数 の列や図・表・グラフなどからの規則の発見や図形の操作による性質の発見のような態度を養成さ せるのかといった,本時で目指す目標は種々あろう。

授業の成否の評価は,まず第1に,その授業は何を目指して行れているかという授業の目標に照 合して考察しなければならないので,目標を明確に一焦点を絞ってできるだけ具体的に一把握して,

その目標達成に相応しい教材を選択して用意するよう研究し努力をすることが重要なことはいうま でもない。

このことに関しては,算数・数学教育では,どちらかといえば,知識や技能の習得を目指す教材 の研究や工夫は従来からも比較的よく行われているが,見方・考え方や方法や態度などの育成を目 指すための適切な教材の研究は十分でないように思われる。算数・数学教育においては,とりわけ,

数学的な考え方の育成は極めて大切なので,この考え方を育成伸長するのにふさわしい教材の開発 工夫も熱望される。この種の教材の研究については,数学史などにみられる数学者のアイデアー例 えば,8才のガウス(C.F. Gauss)少年が1+2+3+…+99+100の和をたちどころに導いたア イデア10)とか,オイラー(L.Euler)がトポロジー(Topol ogy)の先駆ともいわれる 一筆がき を案出する際に用いたアイデアωその他一からも授業に生かせるものが沢山みいだされる。あるい は,つぎの おはじきのちらばり の程度をどう数値化するかという オープンエンドの問題

(open ended problem)とよばれる,観点によって多角的に反応できるような問題の研究も有効

であろう。12)

〔例〕「A,B, Cの3人でおはじき遊びをしたら,下の図のようになりました。この遊びは,

落したおはじきのちらばりの小さい方が勝ちとなります。

この例では, お

A B C

はじきのちらばりの

程度は,A, B, C

●   ● o ● ●

の順にだんだん小さ

 ■・       ●

 ●

くなっている とい

●      ●

えそうです。

このような場合,ちらばりの程度を数で表すしかたをいくとおりも考えてください。」

2)指導過程からみた適切な教材を工夫する

上の1)では,授業の目標に焦点を合せて妥当な教材を準備する必要があることを述べたが,さら に,1時間の授業の指導過程に沿って適切な教材を工夫し提示しながら,その授業を進めていくよ うにしなければならない。

例えば,小学校第3学年における「わり算」の指導を 等分除 と 包含除 のどちらの場面か

ら入っていくのがよいか。 わる ということを印象づけるのは等分除の方がよいのか,操作と結

びつけて進めるとすれば包含除の方がよいのかどうか。そして,仮りに操作などと結びつけて包含

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66      茨城大学教育学部教育研究所紀要15号特集(1983)

除によって入っていったとしても,そのとき用いる素材は,あめとかカードのような離散量で扱っ ていくのがよいのかモールの長さや色水のかさのような連続量で扱っていくのがよいのか,さらに は,そのとき用いる数の大きさも12と4とか18と6などのいくつぐらいの大きさが適当なのかなど,

種々の側面からの考察が必要になる。あるいは,第6学年の「分数÷分数」の指導C÷÷号につ

いての指導を, ことばの式 を軸にして割合で進めていくか,数直線を活用していくカ㍉(÷×号)

÷(1×!3 2)=÷x号÷1のような除法の性質を用いて進めていくのではどれがより適切といえるだろ うか。さらには,中学校第1学年の「正の数・負の数」の指導も損得や温度のような反対の性質を もつ量から入っていくのがよいのか,矢線などをもとにして入っていくのがよいのかなどと,同じ 内容を指導するのにも,それ以後の指導過程をどのように進めていくのかという観点によっても望 ましい効果的な教材はどちらかということが判断されることになろう。

しかし,教材に対するこのような見方は,特に教材を指導過程という観点からみた場合は,単に その授業の指導にさらにはその授業の指導過程のある段階での指導に都合がよいから適していると 判断してしまうのは早計で,もっと広く,それ以後に続く指導展開の系統や発展からみてどの教材 によって進めるのがよりbetterであるかという面からも検討していかなければならない。

また,授業中の指導過程のどこの,どの場面(段階)で,どんなことをするのかという視点から,

つぎつぎに提示して進める教材とか,発問事項や,とくに板書事項とか,終末の段階での整理事項,

さらには評価に用いる問題なども,教材として十分に検討・吟味して授業を進めていくことが大切

になる。

教材研究を怠って,マンネリ化した指導法で,児童・生徒を飽きさせるような授業であってはな らない。班目氏は「落語家は客があくびをすると自分を責める。学校の先生は子供があくびをする と子供を叱る。(中略)教育のプロなら,1時間の授業の中にひとつか2つわさびのきいたものを

うろζ

入れられないだろうか。わさびがきいているのは 目から鱗が落ちる ような,ハッとして新しい 見方がわかるような,峠にのぼりつめて急に視界が開けるような,そんな教材である。」といってい る。13)まことに耳の痛い言葉である。

また,指導過程に関連することといえば,過程ということについて,砂沢氏は「過程という概 念を弁証法に結びつけて好んで用いたヘーゲル(GWHegel)は, Prozessということは そこを 通り過ぎる(durchlaufen) という意味とともに,その後なにかが 生み出される(erzeugen)

ことがあるという意味を見いだしている。過程とは,単に移り変わることではなくて,そのことに よって何かが起こり,何かが生み出されることである。それは,もろもろの手段がそこに介在して いるからである。教師の教授活動との相互主体的な関係によって,子どもの学習活動が彼になんら かの変化を起こさせるばかりでなく,彼に新しいものを生み出させることが過程の本質的意味であ るが,そのためにはできるだけ適切な手段や方法が取られねばならない」といっているが,14)指導 過程に応じて提示する教材についての研究と指導法についての研究の重要性をいやがうえにも強調

している言葉であるといえよう。

3) 「学習課題」としての教材を研究する

上の2)とも関連するが,授業に極めて重要なものとして,授業の初期の導入段階で児童・生徒に 提示する「学習課題」をどのように構成するかということがある。この導入段階にどのような「学 習課題」を提示するかということは,その授業の成否にも大きくかかわるほど大切なことである。

導入段階で提示する「学習課題」ばかりではないが,一般に,算数・数育の指導において児童・

(7)

生徒に提示する問題について,伊藤説朗氏も学習指導法と教材研究の立場から「算数科(数学科)

においてのよい問題とは

(11数学的に意義のあるものであって,

② 個々の児童(生徒)が是非とも解決したくなるもの のことである。②の条件を満たすためには,

① 児童(生徒)にとって現実性が感じられるものであって,具体化して捉えることができる もの

② informa1な解決が可能であって,いろいろな水準で解決できるもの

●  ●

であること力泌要である。このようなよい問題を作るには,教材研究が不可欠であって,その上に 立って,問題提示における工夫が要点となる」といっている。15)

また,今世紀初頭,イギリスの数学教育者カーソン(S.Carson)は,「数学の問題の教育的効 果は,その実用的,あるいは,科学的価値によって測らるべきものではなく,生徒に対する真実性

(reality)の程度によるものである」としているように,16)古くから,教育的に効果のある問題の 必要は指摘されていた。

さらに,授業の展開ということからすれば,工夫し努力して得た学習課題などの教材を,児童・

生徒に必然性や興味・関心をもって受けとめられるようにするには,指導法の面からどのような提 示の仕方や与え方をするのがよいのかといった研究も大切である。

例えば,小学校第3学年での「小数」の意味や表し方についての指導を,Zますや磁ますで水の

かさを測る測定と結びつけて入ったとして,水のかさが2Zと4磁あったとするとき,この2Zと

忽に満たない端数部分としての4d2からなる2君4d4という水の量を,最初から2.4Zと小数を用い て表さなければならないという必然性は児童には感じられないであろう。これを例えば,「ある国

   こびと

i例えば小人の国)で,量の大きさを表わすのには1つの単位しか使ってはいけないというきまり があったとしたら,いまの水のかさはどう表せばよいでしょう」などというようにしたら,どうで あろうか。

児童・生徒の学年にもよるが,一般には,現実味を帯びたものは,比較的,親近感や興味・関心

や必然性をもちやすいといえる。そして,彼らが心の底から感動できるような,ブルーナー(J.S.       ,ζじ

aruner)の言葉を借りれば 効果的な驚き (effective surprise)17)という情感が滲み出るような しみじみとした授業を展開したいと願うものである。

4)児童・生徒の学習意欲を高める教材の構成を工夫する

授業は,児童・生徒が意欲をもって学習に参加し自主的に学習に取り組まなければ,その成功は 期待できない。このことは,しばしば,「馬を水際に連れて行くことはできるが,馬自身が水を飲

もうとしなければどうにもならない」という例えで引用される。

 さて,学習者としての児童・生徒が学習に意欲をもつ要因は種々考えられるが,まず考えられる       酔のは,学習している内容がわかるということであろう。林竹二氏も「学んだことの証しは,ただ1

つで,何かがかわることである」といっているが,18)学習したことがわかって学習者自身に変化が 生じるようでなければ本当に学んだということにはならないのだといっているのであろう。児童・

生徒は,一般に,学んだことがわかれば,自信がつき,勉強に興味や関心も覚え,したがってよく

勉強するようになるからさらにできるようになり,できた喜びや満足感を味わうようになり,さら

に,よい意味でのcyclicな図式に沿って進むようになるであろう。

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68      茨城大学教育学部教育研究所紀要15号特集(1983)

その意味では,前の3)の「学習課題」でも述べたことなども含めて,彼らに学習のねらいがよく わかるようにして指導したり,教材としての課題も児童・生徒の実態に合った適度の困難さをもっ たもの一難しくて歯が立たないようでもあまり易しすぎてもやる気を起こさせないので,真剣に取 り組めば克服できるようなもの一が効果的である。そして,汗水流して努力した末に結果が導けた ときの喜びや満足感をじっくり味わわせるようにすることが大事である。どんな教科でも,できた り成功したりしたときの喜びはあるが,算数・数学科での問題の解けたときの嬉しさはまた格別で あるといえよう。補助線1本で図形の証明ができたときの嬉しさなどは体全身にジーンとこみ上げ てくるような感激である。このような体験を是非児童・生徒にもたせたいし,やる気を誘うような 魅力的な教材を工夫したいものである。

学習意欲をもたせるのには発見的な指導法も有効なので,それに適した教材の開発も工夫したい。

例えば,「分母が7以下の真分数を小さい方から大きい方へ順に並べたとき,そうして並べたつ ぎの数の列をみて気づいたことをできるだけあげてみなさい。

÷,÷,÷,÷,÷,÷(一÷),÷,÷,÷(一甚一÷),÷,÷,÷,睾暑,多÷,与 などというのも多様に反応できる興味ある教材であるといえよう。

5)児童・生徒の個人差に即応し,評価に適した教材を開発する。

児童・生徒には,例えば,ピァジェ(J.Piaget)などのいっている 感覚運動期 , 前操作的 思考期 , 具体的思考期 , 形式的操作期 のような一般的な発達段階があり,19)また,各人 にもそれぞれ個人差があるので,教材の構成にはこういった面からも十分配慮していく必要がある。

とりわけ,算数・数学科は論理性や系統性が強いので,彼らの推理力や思考力の発達の段階などに ついてよく考えて進めなければならない。

また,児童・生徒の個人差に応じた知識の理解や技能の習得の助けとなる1つの方法としては,

例えば,色板による形づくり,定規とコンパスによる模様かき,三角形・平行四辺形・台形の図形 の移動による面積の求め方,図形の切断などの操作的活動を有効に活用するような適当な教材を工 夫することも大切である。20)理解や習得は,一般には,視る,聴く,触れる,…などの,なるべく 多くの感覚を駆使した方がよくなるといわれているので,この方向に沿った多感覚教具(multi一 sensory teaching aids)の開発なども期待したい。なお,彼らの個人差に即応する手立ての1つと

しては,教育機器などの活用もさることながら,ゲーム的要素を含んだ教材などの開発も有効であ

る。

また,評価という側面からも,評価の観点(目標)が知識,技能,数学的な考え方,関心・態度 のどれを主にしてみようとしているのかによって,それらの評価にふさわしいテストとしての教材 の作成も容易ではない。とりわけ,前の3の目標に関しても述べたように,知識や技能を評価する 教材例の研究はよく行われているが,見方・考え方や関心・態度の評価の教材例の研究はまだ十分

とはいえない。

これらのテストに活用する教材の使用は,そのテストが診断的評価の性格のものか,総括的評価 の性格のものか,形成的評価の性格のものかなどによっても異なってこよう。それぞれの評価のね

らいに即した教材の作成が望まれることはいうまでもない。とくに,授業中に形成的評価をしなが

ら指導に使用する教材は一発問とも関連するが一学習者としての児童や生徒の反応に刻々対処して

進めていかなければならないので,予め児童や生徒の反応を予想していくつかの水準での何種類か

の教材を準備しておいて授業中に臨機応変に選択して手を打って進めていかなければならない。

(9)

また,学年や内容の領域によって,例えば小学校第2学年の乗法九九ではどの段が誤りやすいか など,とかく共通して誤りやすい誤答や誤算の傾向のある教材もあるので,これらについて予め十 分に教材研究をしておいて,彼らのつまずきを未然に予防するように留意して指導を進めることも 大事である。

6)教材の構造や教材の背景となっている数学的な事柄について十分研究しておく

●  ■  ●   ●   ●   ●  ●  ●  o

ある教材が他のどんな教材とどのようにかかわっているのかという,教材の有機的な関連として の教材の構造について研究することもまた極めて大切である。特に,前述したように算数科・数学 科は系統性や論理性が強いので,この重要性の強調はなおさらである。例えば,小学校第5学年の

「図形の面積」の指導を,正方形,長方形の面積を指導した後で,平行四辺形の面積へと進めた方 がよいのか三角形の面積へと進めていった方がよいのかといったことなどもその一例といえよう。

このようなとき,相互に関連する教材の間でも特に基礎や基本となる事柄は何であるかということ をしっかりおさえてかかるようにすることが大事である。

教材の配列に関連しては,教授学の大御所であるコメニウス(J.AComenius)も有名なr大教 授学』の中で「自然は飛躍しない。段階を追って進む。」とか「自然は平易なものから困難なものへ 進む。」などということをはじめ,教材の構造化の研究についての手本となる大切なことを述べてい

る。21)

なお,算数科・数学科の指導においては,教材そのものの背景となっている数学的な事柄につい て十分に研究しておくことも,専門職としての教師には欠かせない教養である。算数・数学におい ては,例えば,0で割るということを除いているのはなぜか,(正数で)割るとき余りは割る数よ

り小さい(負でない)数であるとするのはなぜであるか,あるいは,四則混合の計算において乗除 先行としたり括弧内から先に計算するとしているのはなぜだろうか。22)これらは約束といえば,そ れまでだが,そう約束するまでにはそれなりの理由があるはずであろう。その理由が明らかになれ ば,算数・数学の天下り式の約束というような受けとめかたではなく,必然性を伴った理解ができ るであろう。このような,教材の背景となっている数学的な事柄やアイデアを数学の史的発展の姿 の中から見出しておくことも大切な教材研究の1つであり,指導においても有効に役立てられるも のである。

5.教材研究の1つの方法

授業を効果的に進めるためにも,教材研究はいつでも・どこでも工夫し努力して続けていかなけ ればならない教師の責務である。このとき,教科書はそれぞれの立場から十分に研究し吟味された 教材例のモデルであるから,何種類かの教科書(できれば国内ばかりでなく国外のも)を分析して 比較研究してみることは極めて有効であろう。

また,このような方法ばかりでなく,平生から絶えず自分なりのアンテナを張っておいて,児童

・生徒の指導に役立てられると思えるような情報や資料は貧欲なまでにキャッチして,それらを適

当な方法によって分類整理しておいて,指導に際しての適当な段階や場面で有効に活用していくと

いう心構えが大切である。

(10)

70      茨城大学教育学部教育研究所紀要15号特集(1983)

参  考  文  献

1)村井 実:『教育学入門(下)』講談社(1976)p.98.

2)前掲書1) pp.130−131.

3)数学基礎論の立場からは,数学は 論理主義 , 直観主義 , 形式主義 に分けて考えられる。日本 数学会:『岩波数学辞典第2版』岩波書店(1968)pp.659〜660.

4)ボアンカレ 吉田洋一訳:『科学と方法』岩波書店(1957)p.37.

5)G.Polya:『How to solve it;anew aspect of mathematical method.』Princeton Univ.

Press. (1948).

6)G.Pol ya:『MATHEMATICAL DISCOVERY−On understanding, l earning, and teaching pmblem solving. Vol.2』John Wiley&Sons Inc.(1962)P.116.

7)篠原助市:『教授原論』岩波書店(1942)pp.49〜55.

8)中内敏夫:『教材と教具の理論』有斐閣(1968)p.106.

9)杉浦美朗:『デューイにおける教材の研究』風間書房(1982)P.6,

10)小堀 憲:『大数学者』新潮社(1968)pp.10〜11.

11)平岡 忠:『新しい幾何』岩崎書店(1979)pp.53〜65.

12)島田 茂:『算数・数学科のオープンエンド アプローチ』みずうみ書房(1977)p.38.

13)班目文雄:「座談会で欠落している点を強いてあげると」 『教室の窓』東京書籍KK(1982) 5月号

P.7.

14)奥田真丈他編:『教育学大事典團』第一法規出版KK(1978)p。330.

15)伊藤説朗・伊従寿雄:『授業に生きる教材研究小学校算数科1・2年』明治図書出版KK(1982)

pp.16〜17.

16)鍋島信太郎:『数学教育本論』池田書店(1955)p.62.

17)J,S. Bruner:『On Knowing−essays for the left hand』Harvard Un泣Press (1962)P.18.

18)林竹二:『学ぶということ』国土社(1978)p.95.

19)J.Piaget:『Logic and Psychology』Manchester Univ. Press.(1953)pp.9〜22.

20)平岡 忠:『操作的活動を生かした授業』明治図書出版KK(1982)pp.132〜145.

21)コメニウス 鈴木秀勇訳:『大教授学1』明治図書出版KK(1973)p.165,p.178.

22)平岡 忠:「教材研究の方法」 平岡 忠他著『これからの算数教育』東洋館出版社(1978)pp.142

〜147.

参照

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