• 検索結果がありません。

中南米における反米主義と左派政権

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "中南米における反米主義と左派政権"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

<論 文>

中南米における反米主義と左派政権

山 﨑 眞 次

は じ め に

最近,ラテンアメリカの政治に2つのトレンド が顕著である。1つは反米同盟の結成であり,も う1つは政権の左傾化である。

2006年4月 29日,キューバのハバナでカスト ロ,チャベス,モラレスの3者が会談し,米帝国 主義のラテンアメリカ支配に抵抗するために,3 国の政治・経済・社会面での統合と連帯を強化す ることで合意した。これまで反米の旗手と言えば キューバのカストロの名が即座に上げられたが,

最近,過激な米国批判を展開しているのは,1998 年,べネズエラの大統領に選出された元陸軍中佐 のチャベスである。彼はカストロを師と仰ぎ,

日々強固となっていく両者の反米同盟は,米国の 神経を逆なでしている。この同盟にボリビアにお ける初の先住民系大統領モラレスが加わり,現在 の中南米でハバナ =カラカス =ラパスという反米 枢軸が結成された。

一 方,21世 紀 に 入 る と,南 米 に 左 翼 政 権 が 次々と誕生している。2003年にはブラジルでル ーラの労働党が政権の座についたのに続き,アル ゼンチンではメネム前政権を新自由主義と非難し 労働組合に配慮するキルチネルが大統領に選出さ れた。2004年 10月には,ウルグアイで左派連合 のバスケスが独立以来 170年以上政権を維持して きた伝統的2大政党の2人の候補者を破り,社会 的弱者救済と社会的公正の実現を掲げた。2006 年1月,チリ国民は決戦投票の末,与党連合のバ チェレ(社会党)を大統領に選択した。続いて3

月には先住民出身のモラレスがボリビア大統領に 選出され,チャベスとカストロの熱狂的支持を受 けた。しかしこれら左派政権が一様に反米を唱え ているわけではない。前述したカストロ,チャベ ス,モラレスの反米機軸に比べて,ルーラ,バチ ェレ,キルチネル,バスケスの中道左派政権は頑 なな反米主義を標榜してはいない。

本稿は,近年のラテンアメリカにおける反米主 義の高揚と中道左派政権の台頭に注目して,2つ の政治的潮流出現の理由を探り,同時に両者の関 係を分析するものである

1. 反米感情と左派政権の誕生

中南米では歴史的に反米感情が強い。19世紀 半ばに国土の過半を米国に割譲させられたメキシ コ人の反米感情と隣国に対する劣等感は,今日で も払拭されていない。スペインからの独立後,キ ューバを再植民地化した米国への反感はキューバ 革命につながった。運河建設のために内政干渉を 行った米国によってパナマの独立を余儀なくされ たコロンビア人の誇りは大きく傷ついた。米国企 業の利権を庇護するためにたびたび米軍に介入さ れた中米諸国は,政府軍とゲリラ間の内戦を克服 するのに長い年月を要した。銅鉱山の国有化を実 施したチリのアジェンデ社会主義政権崩壊の背後 には,自国権益を守ろうとした米国の影がちらつ いていた。また,ドミニカ,ハイチ,グレナダな どのカリブ海諸国への海兵隊の出動は幾多に及ぶ。

19世紀から第2次世界大戦までのラテンアメ リカにおける反米感情は,モンロー宣言の砲艦外

* 早稲田大学政経学術院教授

(2)

交によって国土を侵略・征服された領土的不満と,

現地の寡頭政治と結託して石油・銅・銀・錫・亜 鉛などの鉱物資源とコーヒー・綿花・砂糖・バナ ナなどの換金作物を不当に収奪されたことによる 経済的不満に起因する。大戦後の東西冷戦期には,

キューバ革命に誘発された共産主義の拡散を防止 する戦略によって展開された米国の軍事介入や親 米政権による国富の独占の容認に対して各国民の 反発が高まった。しかし,冷戦終結によって共産 主義の脅威は消滅し,米国のあからさまな軍事介 入がなくなり,曲がりなりにも民主的国家が生ま れつつある昨今,なぜラテンアメリカで反米感情 が高まり,政権が左傾化しているのであろうか。

その原因は,政治的なものというより社会経済 的なものであろう。中南米諸国は「失われた 10 年」という未曾有の経済停滞期を 80年代に経験 した。19世紀以降推進してきた1次産品輸出型 の経済政策は,世界恐慌以降,輸入代替工業化を 促進する国家主導の経済政策に変更された。この 財政出動を要する経済政策は当初かなりの成果を 挙げたが,結局,行き詰まり,支払いをはるかに 超える対外債務が残された。この累積債務を担保 に IMF と世界銀行は中南米諸国に経済自由化政 策を迫り,緊縮財政,規制緩和,国営企業の民営 化,関税の逓減化などを実行させた。ネオリベラ リ ズ ム に 依 拠 す る 新 自 由 主 義 経 済 は NAFTA

(北米自由貿易協定)におけるメキシコやメルコ スル(南米南部共同市場)のブラジルのように経 済成長率を上昇させたが,同時に貧困率の指標で あるジニ係数は上昇するか横ばいとなり,生産さ れた国富が国民に均等にトリクルダウンされなか った

人々は IMF が課した金融政策と構造改革が中 南米の国民生活を逼迫させ,所得格差を拡大した と感じた。とくに低所得者層は貧困の拡大を米国 主導のネオリベラルな経済政策にあると捉え,米 国の多国籍企業を批判の槍玉に挙げた。左翼政党 は,この民衆の不満を見逃さず,所得格差是正,

社会正義の実現,貧者救済の公約を掲げて,大衆 の支持を取り付け,総選挙や大統領選挙で勝利を 収めた。敗北した場合も肉薄した。国民が新自由 主義経済政策に距離をおき,社会資本の充実や社 会の中下層の救済を提唱した左翼政党や中道左派 に共感を抱いた結果である。

2. エボ・モラレスの台頭

エボ・モラレスはボリビア西部のアンデス山岳 地帯にあるオルロ県の寒村で 1959年に生まれた。

幼い頃から電気もない村で先住民のアイマラ族の 両親を手伝い,リャマや羊の世話をした。彼がそ の後,労働運動を通じて政治家を目指した背景に は,少年の頃から見聞きしたアンデス農民の極貧 があったに違いない。バスから投げ捨てられたオ レンジの皮を貪り食った経験を持つモラレスは,

疲労を和らげ空腹を満たすためにコカ葉を常用し ていたと想像できる。90年代,ボリビアのコカ 葉栽培農民は,米国の支援を受けたバンセル大統 領が掲げるコカ栽培根絶政策に激しく反対してい た。この反対運動のカリスマ的リーダーとして先 頭に立ったのがモラレスであった。モラレスは 1995年,コカ葉栽培組合を核にして社会主義運 動党(MAS)を創設し,その党首となった。そ して,1997年,圧倒的支持を受けてコチャバン バ地方の下院議員に選出された。では,モラレ スと MAS が掲げる社会主義とは,一体どのよう なものであろうか。モラレスの日頃の言動から推 察すると,彼の社会経済モデルは団結,相補性,

共同体,合意を基礎としている。そのエスニック 的社会主義は大衆との連帯を重要視し,社会正義 をめざした政治的実践活動である。MAS はプロ の政治家やインテリによって創設されたものでは なく,社会問題を根絶するために糾合した農民の 連合である。ボリビアの労働運動の担い手であっ た鉱山労働者がイデオロギーを注入したものでは なく,選挙登録という実践的目的のために創設さ れたものであったので,先住民,鉱夫,過激な左 派,社会主義者の寄り合い所帯であった。言い換 えれば,MAS はイデオロギー重視の前衛的な政 党ではなく,ラテンアメリカ先住民主義者,反レ ーニン主義者,反帝主義者からなる社会正義を実 現するために連携した異種混交的グループなので ある。フェリペ・キスペが率いる過激な先住民 党派であるパチャクティ先住民運動(MIP)と は異なり,非先住民層の支持の取り込みにも成功 している。そのため従来の扇動的レトリック使用

(3)

を控えている。MAS のリーダーの1人であるデ ィオニシオ・ヌニェスの「疎外された者から疎外 する者にはならない」という言葉は,そのことを 如実に表している

2002年の大統領戦を前にして,駐ボリビア米 国大使マニュエル・ロチャは,コカ葉栽培の根絶 に反対し,炭化水素資源の国有化を推進しようと するモラレスにあからさまな不快感を示し,もし ボリビア国民がコカイン輸出業国を目指す人物を 大統領に選出した場合は,ボリビアに対する経済 援助計画を停止すると警告した。モラレスはこ の選挙では惜敗したが,ジャーナリストのジンマ ーマンとの会見で,ネオリベラリズムは不正と不 平等と貧困しかボリビアにもたらさなかったと新 自 由 主 義 経 済 を 徹 底 的 に 批 判 し,メ キ シ コ が NAFTA を締結した結果,貧困と失業が増大し,

何千人もの農民が路頭に迷った例を挙げた。そし て豊かな白人・メスティーソと貧しい先住民とい う2つのボリビアが存在するが,政権を取った場 合は,現在,国際資本の手に握られている国の資 源を社会的弱者救済のための教育や医療に向ける と述べた

2005年末の大統領戦では天然ガス資源の国有 化,コカインの原料となるコカ栽培規制撤廃,ガ ス資源で得た収入を貧困層に分配する計画や富裕 者層への特別課税の検討を掲げ,国民の7割を占 める貧困層から圧倒的支持を獲得し,先住民とし て初めて大統領に選出された。モラレスは 2006 年1月 21日,大統領就任式の前日にアンデス古 代文明の発祥地の1つであったティワナコの遺跡 で先住民王に即位する宗教的儀式を受け,国中か ら集まったさまざまな先住民族4万人の祝福を受 けた。この儀式の開催は,これまで疎外されて きた先住民が自分たちの権利と利害を代弁し擁護 してくれる先住民の長の出現をいかに待ち望んで いたかの証明である。モラレスの先住民擁護の姿 勢は,同じ先住民系大統領であるペルーのトレド が米国との自由貿易協定に調印したことを,先住 民を裏切る行為だとして激しく非難したことにも 現れている 。

モラレスは就任後,天然ガスの販売権をボリビ ア油田公社(YPFB) を通して行うようになり,

危機感を覚えた米軍は,ボリビア国境に近いパラ グアイの国内に基地を設け,モラレス政権を監視

していると言われている。そのような米軍や国際 資本の圧力にもかかわらず,2006年5月 26日に 行った大統領演説で欧米から非難された天然ガス 国有化について変更する意思がないこと,天然資 源は,元来,先住民に帰属すること,キューバ,

ベネズエラを軸とした広範なラテンアメリカ諸国 の連帯が必要であることを力強く国民の前で宣言 した 。モラレスは,米国主導の米州自由貿易圏

(FTAA)を「米州の植民地化 を 合 法 化 す る 協 定」と呼び,さらにワシントンの麻薬戦争をボリ ビアの天然ガスを収奪する口実であると糾弾し,

天然ガス会社の国有化を宣言したのである。そし てチャベスが提唱し,キューバが賛同する南米統 合プラン「米州ボリーバル代替統合構想(ALBA)」

への参加を決定した。これにより南米最貧国ボリ ビアは,キューバからの医師団の派遣とベネズエ ラからの石油の優先的配給を受けることになった。

また内政面では,大統領職も含め公務員給与の大 幅カットと国有地の先住民への分配を実施し,将 来は大土地所有制を解体する農地改革を計画して いる。

3. ボリーバル革命

チャベスが盛んに掲げる「ボリーバル革命」は 19世紀初頭の独立戦争で活躍したシモン・ボリ ーバルの理念に着想を得たものである。ボリーバ ルは南米諸国がスペインから独立を勝ち取った際 の立役者で,「南米の解放者」の尊称を贈られた ベネズエラの英雄である。ベネズエラで有数の資 産家であったボリーバルは,独立戦争を遂行する ために,奴隷を解放し,所有していた荘園と鉱山 を売却して戦費を捻出した。彼は米国のモンロー と同時代人であり,中南米を北アメリカの排他的 な権益圏とみなすモンロー宣言に深い警戒心を抱 いていた。19世紀初頭に将来の米国の台頭とそ の野望を見透かしていたボリーバルの洞察力は鋭 いものがある。アングロサクソンのモンロー宣言 に対抗するために彼が提唱したのがラテンアメリ カ共同体構想である。北のリオ・グランデ川から 南のチリのフェゴ島へと及ぶ広大な大地に,起源,

言語,習慣,宗教を共通の土台とする気宇壮大な

(4)

ラテンアメリカ連合体の建設を説いたのである。

ボリーバルはアングロサクソンの進出を予見し,

その対抗アイデンティティとして各共和国から構 成されるラテンアメリカ連合体構想を提唱した。

彼の構想は「グラン・コロンビア共和国」の誕生 によって実現されたかにみえたが,この共和国は 誕生 10年余で地域のエゴを優先させた地域間紛 争の混乱のなかで3国に分裂してしまった。ボリ ーバルは晩年「ラテンアメリカは我々の手に負え ない。革命に奉仕する者は海を耕すようなもので ある」 と述懐し,この地域の連帯の難しさを嘆 いた。彼の夢は挫折したが,反米と統合の理念

(ALBA)を実現しようとしているのがチャベス である。

ALBA(米州ボリーバル代替統合構想)は米 国主導のネオリベラリズムが掲げる自由市場・自 由貿易構想に対抗する代替案である。その目標は 特権階級ではなく,一般大衆の社会状況を改善・

発展させ,ラテンアメリカの包括的統合を達成す ることにある。そのためには競争ではなく相補性,

支配ではなく連帯,搾取ではなく協力,そして他 の国家や大企業の支配に拘束されることのない相 互的国家主権の尊重を重視する 。ベネズエラが キューバからの医師団派遣に対して優先的に石油 を供給している一種のバーター取引は,ALBA の精神を生かしたものである。また,チャベスは 2003年にブラジルのポルトアレーグレで開催さ れた世界社会フォーラムにおいて,IMF に代わ る「ラテンアメリカ通貨基金」や南米の OPEC とも言うべき「ペトロアメリカ」(南米石油公社)

の 創 設 を 提 案 し て い る が,こ れ ら の 提 案 も ALBA 構想の具現化の1つであろう 。ブラジル のルーラ,アルゼンチンのキルチネル,パナマの トリーホス,ウルグアイのバスケスなど米国と距 離をおく国々もチャベス政権とは友好関係を保持 している。ベネズエラが 2005年にメルコスルに 加盟したことによって南米諸国との協調関係は,

さらに強化された。

国内政治においてチャベスが目指すベネズエラ 的社会主義は,大衆参加型民主主義と社会的公正 を目指している。市民は公務員とともに統治に参 加する権利を認められており,私企業において従 業員は発言権と管理を許されている。1999年公 布の新憲法の「基本的な社会的権利を保障し,生

活の質と公共の福利を改善することは国家の責任 である」という趣旨のもと,医療と教育の完全無 料化,住宅供給,高齢者のための社会保障年金制 度,土地改革,食糧供給,職業訓練,先住民の権 利保障などが「ミッション」という名の下に実施 されている 。このような大規模な公共政策が可 能なのは,西半球における最大の炭化水素(石油 とガス)の埋蔵量に裏打ちされた潤沢な資金に恵 まれているからである。しかし,石油価格高騰に よる石油収入が増大しているにもかかわらず,い くつもの「ミッション」の原資にあてるために財 政赤字が解消しないという問題を抱えている。そ の上,国営石油会社(PDVSA)からの石油収入 と中央銀行の為替差益が国庫を通さず直接,基金 に流れ込み,数十億ドルがチャベスの裁量に委ね られており,その分,国家予算の枠外での支出が 膨らみ,財政を圧迫している 。これはチャベス の専横ぶりを示す好例としてかつての特権を剥奪 された人々からの非難の的になっており,チャベ ス政権の先行きはまだまだ不透明である。

4. 左 派 政 権

本項では 21世紀に次々に誕生した中南米の左 派政権を検証する。ブラジルのルーラは現在の国 際関係を非対称的と捉え,先進国と途上国は相互 依存的関係になることが可能であり,この点を先 進国に提示することが不可欠と考えており,その 意味において米国を排除しない。ルーラの外交は マルティラテラリズムにある。発展途上国との関 係強化を提唱し,資源・エネルギー・食糧・貧困 撲滅などの外交イッシューを優先課題と考えてい る。WTO(世界貿易機関)における G 20(世界 人口の 60%,世界の農業生産の 22%)の連携の 必要性を説く。それと同時にアルゼンチン,ウル グアイ,パラグアイとともに結成したメルコスル

(南米南部共同市場)の強化と協調が地域の政治 的・社会的安定に繫がる重要なファクターである と表明している 。だからと言って,ブラジルが 南米の覇権を狙っているわけではなく,ルーラは この地域の良き調整者を目指しているようである。

過激な反米発言を内外に発するチャベスとは頻繁

(5)

に会談し,成熟した政治家としてポピュリズム的 手法を用いる隣人に政治手法の手ほどきをするこ とさえある。ルーラにはチャベスと南米のリーダ ーシップを争う気はなさそうである。南米の身内 同士が競合して,域外の覇権国家に付け入る𨻶を 与えたくないのであろう。ルーラの経済政策は,

インフレ抑制,GDP の拡大,金利引下げ,雇用 創出によって経済の安定を維持し,経済成長と所 得の再分配を目指すものであるが,マクロ経済政 策との整合性がつけられるかの課題が残る 。

チリのバチェレは軍政時代に獄死した父をもつ。

本人も拘束・拷問・亡命という辛い過去を経験し たシングルマザーである。当然のことながら軍政 に強い反感を抱き,ラゴス前大統領が推進した文 民統制の回復,人権侵害問題,権威主義の残る憲 法改正を継続的・政治的懸案として任期中に解決 しようとしている。また,年金制度と医療制度の 改革,格差緩和のための教育水準の向上を現政権 の新たな課題として大統領教書で発表し,徴税機 能の強化によって,GDP 比1%の構造的財政黒 字を堅持し,技術革新と中小企業の発展と安定化 を図ろうとしている 。経済政策においては,軍 政期の極端な新自由主義を修正し,適切な政策介 入を行い,成長と公正が両立可能な政策を打ち出 している。バチェレの外交政策は,南米における 近隣外交を重視しつつ,米国やヨーロッパ,アジ アとも良好な関係を維持するという全方位的なも のである。銅価格の高騰に支えられた好調な経済 が今後も維持できるかが最大の課題である。

アルゼンチンのキルチネルは同じペロン党の大 統領候補であったメネムを決戦投票で出馬断念に 追い込み,大統領に就任した。キルチネルは対立 候補のメネムを金融グループと独占の代表と呼び,

彼の新自由主義的経済政策を厳しく批判した。累 積債務問題では対外強硬姿勢を取り,債務削減案 を一方的に発表し,非応募者とは交渉しないこと を明言した。外資に対しても厳しい姿勢で臨んで いる。民営化企業の公共料金を統制したために,

フランス系水道事業会社は撤退を余儀なくされ,

政府はその会社を再国有化した。その一方で,労 働組合に対する配慮は際立っている。試用期間の 短縮,解雇補償,団体協約の奨励,最低賃金の 200ペソから 300ペソへの引上げなどの労働者保 護策を発表し,労働者政党であるペロン党をはじ

め広範な労働者階級の支持を獲得している 。外 交方針は強い反米ではなく,米国に距離をおき,

メルコスルを核とする南米の地域主義重視の姿勢 が強い。

ウルグアイのバスケスは 2004年に実施された 大統領戦の第1回投票で 50.45%の票を獲得した ので,決戦投票に臨むことなく大統領に当選した。

同時に行われた上・下両院の議員選挙でも左派連 合が上院で定数 30議席中 17議席,下院では定数 99議席中 53議席を獲得し,両院ともに過半数を 占めた 。バスケスが伝統的政党である国民党の ララニャガとコロラド党のスティルリングの両候 補を破った理由は,2大政党が導入した新自由主 義的経済政策が近年のウルグアイの経済危機を誘 発し,インフレと失業率を高め,国民生活が逼迫 したことにある。バスケスは選挙期間中,与党コ ロラド党が推進したネオリベルな経済政策を批判 し,社会的弱者救済政策である「緊急社会問題に 関する国家プラン」を公約に掲げ,貧困層を中心 に国民の幅広い支持を得た。バスケスは貧困状況 にある妊婦,年少者,障害者など社会的弱者に対 しての給食,保健サービスの提供や貧困家庭への 補助金支給などの救済策を提案する一方で,税制 改革においては急激な改革を避け,段階的変革を 掲げることによって国内企業家の不安を取り除き,

債務返済の履行によって国際金融機関の信用を勝 ち得ることも忘れなかった 。バスケスが選挙期 間中にワシントンの国際金融機関を訪問し,債務 返済履行を表明したことは ,彼の中道左派路線 が米国との協調姿勢を排除するものではないこと を示している。

パラグアイは 2003年,30億ドルの対外債務,

10%を越える都市失業率,15%のインフレ,弱 い通貨グァラニ,実質賃金の逓減,1人当たりの GDP 成長率のマイナスなど,さまざまな社会経 済問題を抱えていた。そのような厳しい状況のな かで,コロラド党のドゥアルテは国民の 37.1%

の支持を受けて大統領に当選した 。ドゥアルテ は就任演説でカストロを含む中南米諸国の元首を 前にして,ネオリベラリズムを推進する米州自由 貿易圏(FTAA)への反対とメルコスルの強化 を打ち上げた。貧困と腐敗の根絶を掲げるドゥア ルテの政策は中道左派と位置づけられているが,

世界でも最も腐敗した国の1つにあげられ,安定

(6)

した税収が期待できない状況で,IMF と対立す る反ネオリベラルな経済政策をとることは至難の 業であろう。ドゥアルテは「信頼と安全と決断」

を掲げ,これらの諸問題を解決しようとしている が,コロラド党は議会で少数与党という苦しい立 場にある。ドゥアルテは強い指導力と高い倫理観 でドラスティックな改革を推進すると言っている が,大土地所有者の休耕地を占拠する土地なし農 民への軍隊や警察による弾圧や企業への減税措置 をみると ,政権誕生時に民衆受けをする政策を 提唱したにすぎないのかもしれない。近隣諸国は,

パラグアイが米軍基地の設置を国内に認めたこと を非難している。この米軍の進駐は,ボリビアが 国境地帯にある基地をベネズエラ軍の援助によっ て強化するという結果を招いている 。

エクアドルでは,先住民運動を含む社会運動諸 勢力を結集した左派のグティエレスが 2003年か ら政権の座に着いた。しかしその後,グティエレ スは権威主義と縁故主義による独裁的体制を敷き,

国民の反発を募らせた。国政運営能力の欠如を露 呈したグティレスに対してホラヒドス と呼ばれ る民衆の激しい反政府運動が引き金となり,大統 領職を罷免され,ブラジルへ亡命した。2006年 4月に発足したパラシオ政権は政治・制度改革,

石油輸出余剰資金の活用による生産・社会部門へ の投資拡大政策,インフラ整備,人的資源の強化 などを盛り込んだ「国家再建」を掲げ,国民対話 という路線を打ち出した。だが,過去8年間にブ カラム,マワ,グティエレスという3人の大統領 が民衆蜂起によって退陣に追い込まれており,そ の前途は多難である。パラシオ政権はネオリベラ ル路線を継承せざるをえず,対外債務返済におい て国際協調を表明しているが,世界銀行はその姿 勢が左寄りであると見なし,警戒感を示してい る 。

5. 親米的政権

前述したような米国に距離をおく中道左派政権 がラテンアメリカに次々に樹立されているが,そ の一方で親米的政権の誕生も忘れてはならない。

今年6月にはペルーの大統領決戦投票で,ガルシ

アが,チャベスが熱烈に支持した革命的民族主義 者,元陸軍中佐のウマラを破って,16年ぶりに 政権の座に復帰した。出身母体の APRA(アメ リ カ 革 命 人 民 同 盟)は 強 硬 な 反 米 政 党 と し て 1924年に誕生したが,現在は米国を容認する親 米 的 政 党 に 変 身 し た。ガ ル シ ア 自 身 も 在 任 中

(1985〜1990)には IMF の背後にいる米国を非 難し,そのことによって大衆の支持を得ていたポ ピュリストであったが,経済政策の失敗によって 政権の座を追われた。あれから 16年,その変身 振りとペルー国民の忘却振りに驚かざるをえない。

ガルシアは,最初の大統領教書で何度も APRA の創立者アヤ・デラ・トーレの名を挙げながら,

1300万人の貧困者のいるペルーの現実をみつめ,

外資を導入して雇用を創設し,社会的不正義,経 済的不平等,政治腐敗に挑戦すると国民と出席し た各国首脳の前で雄弁に述べた 。しかし 16年 前,ペルーの政治を機能不全に陥れた前歴がある ので,稀代のポピュリストの演説を鵜呑みにはで きない。

7月のメキシコ大統領選挙で中道右派の PAN

(国民行動党)の候補者カルデロンが中道左派の PRD(民主革命党)のロペス・オブラドールを 得票率 0.58%差の僅差で破り当選した 。戦前 の世論調査では庶民に人気のある前メキシコ市長 のオブラドールがリードしていた。だが,豊富な 資金力でオブラドールのネガティブ・キャンペー ンを執拗に続けたカルデロン陣営の戦略が功を奏 し,メキシコ大統領選挙史上まれにみる大接戦の 末 の 勝 利 に つ な が っ た と 言 え る。メ キ シ コ は 1994年に米国,カナダと NAFTA(北米自由貿 易協定)を締結し,ネオリベラリズム的経済政策 に大きく舵を切り,安定した経済成長を達成した が,その一方で,経済格差が広がった。オブラド ールは国民の中下層をターゲットに所得格差の是 正と弱者救済を訴えたが,僅かに及ばなかった 。 この選挙結果は,以前ならば反米感情を露わにし ていたメキシコ国民の間に NAFTA 締結以降,

米国を容認する新たな潮流が生まれつつあること を示している。メキシコでは 1910年の革命以降,

顕著であったコーポラティズム的経済政策と政権 の求心性を維持するために利用されてきた感のあ る反米感情が効力を失い,国民がポピュリズムに 別れを告げ,政治に冷静に対応できるようになっ

(7)

たと言えるかもしれない。経済協定であるはずの NAFTA を介した米国とのつながりが政治や対 米感情にも予想以上に影響を与え,親米路線継続 を唱えたカルデロンの主張が国民の半数に受け入 れられたと解釈すべきであろう。オブラドールは 敗北を認めておらず選挙の不正を訴え,選挙裁判 所に持ち込むと述べているので,今年 12月の大 統領就任式まではメキシコの政局はかなり不安定 なものとなろう。

コロンビアの最大の問題は強力なゲリラ組織と 麻薬の存在である。メデジン・カルテルのボス,

パブロ・エスコバルの逮捕等によってコロンビ ア・マフィアは一時の勢力を失った。だが,マフ ィアに代わってゲリラがコカイン製造と販売に以 前にも増して関与するようになり,麻薬の製造は 続いている。米国の 90年代における麻薬戦略政 策の成功が,コロンビア革命軍(FARC)勢力の 予期せぬ強化という逆説的結果を生み出してい る 。そして麻薬はマフィアとゲリラだけの問題 ではなく,そこに政治家が関与する腐敗が常に存 在してきた。歴代の大統領もマフィアとの関係を 指摘されてきた 。ウリーベ中道右派政権は国内 に強力な3つの反政府ゲリラ組織を抱えているた めに,対ゲリラ戦における米国の軍事的・経済的 支持を必要としている。米国はゲリラの資金源で あるコカインの撲滅作戦のためにコロンビア政府 に過去8年間に 50億ドルを供出している 。ゲ リラを抑えたいコロンビア政府と麻薬の供給を断 ちたい米国の関係は強固なものがある。また米国 にとって,反米主義者のチャベスの隣国を友好国 として留めておくことは重要な外交戦略である。

コロンビアとベネズエラの外交関係は,表面上は 良好であるが,コロンビア側は,取りざたされて いるチャベスとゲリラ組織 FARC の関係がコロ ンビアの政情に影響を与えないか気を揉んでいる ようである 。

コロンビアの経済政策はガビリア政権(1990‑

94)から関税逓減,外資導入,公共事業削減を掲 げるネオリベラル路線に転換され,ウリーベ政権 では米国との2国間自由貿易協定が合意に達し,

米国企業の投資を促進している。しかし,コロン ビアの対外債務は 400億ドルに上り,ウリーベ政 権は IMF と世界銀行との協調路線を取らざるを えない。「堅い拳と広い心」をスローガンに,緊

縮財政,省庁の再編,公社の民営化,教育改革,

雇用創設を明示し 誠実で効率的政府 を目指し ている 。だが都市失業率が 15%前後を推移し,

国民の半数が貧困状態にある経済状況を対ゲリラ 戦も視野に入れて回復するのは容易なことではな い。

以上,米国との経済・軍事関係の親密度から米 国への距離を測り,国内の経済政策における社会 的弱者への配慮とネオリベラリズム採用の度合い によって政治路線を分析すると,中南米の主要国 における反米と左派の関係は上のような構図にな る。

結 び

メキシコの政治学者カスタニェーダは「ラテン アメリカの左翼は今日ひとつではない」という名 言を吐いたが,中南米の中道左派政権が国民の幸 せと国の発展を考えて立案する政策は国の事情に よって異なるのは当然であろう。しかし,昔のよ うに反米や反帝を叫べば国民の大半が追従した時 代は終わり,チリ,ブラジル,メキシコ,アルゼ ンチンのように確かな中産階級が自分の社会的地 位,収入を保障し,充実した社会福祉政策を標榜 する政党に冷静に1票を投じるような新しい時代 が到来していることは事実である。左翼政権とい っても冷戦時代に叫ばれた社会主義イデオロギー

(8)

色は薄れ,医療・年金・教育制度の充実,最低賃 金のアップ,再雇用の促進といった生活に密着し た中産階級と低所得者層をターゲットにした着実 な政策が主眼となっている。一方,米国から発信 された国境を越えるグローバル化の大波の到来を ラテンアメリカの人々は日々の生活のなかで身を もって実感している。このような趨勢のなか,豊 富な石油資源を武器にグローバリーゼーションに 異議を唱え,反米主義を貫くチャベスの姿勢はい つまで継続できるのかという疑問の声が生まれて いる。しかし,グローバル化は決して世界を均質 化するものではなく,むしろ差異化している。欧 米先進国は途上国の安い賃金,低い税負担,弱い 環境規制に乗じて資本蓄積を拡大している。米国 が推進するグローバリーゼーションが先進工業国 をますます豊かにし,途上国をさらなる貧困に追 い込むシステムであるなら,敢えて反米ナショナ リズムを掲げて,米国に対抗し,中南米の,否,

世界の途上国の立場を代弁しようとしているのが チャベスの民族主義的左派政権であろう。チャベ スに代表される南米諸国の米国離れは,米国の政 治的影響力と求心力の低下とこの地域の政治的自 立と連帯の証在といえるかもしれない。

ラテンアメリカの悲劇と特殊性は,大西洋を渡 ってきたヨーロッパ人に土地を征服され人権を蹂 躙された上に,奴隷制が導入されたことである。

ピラミッドの頂点に白人が君臨し,先住民と黒人 を隷属させる歪な社会構造は政治,経済,社会,

文化のあらゆる分野に及び,その負の連鎖は国内 の特権階級を介して国際資本と結びついている。

このシステムから生まれる社会格差,貧困,腐敗 を除去しない限り,経済的繁栄に担保された民主 政治と成熟した市民社会の構築は達成されないで あろう。

[注]

⑴ 本稿は「政策研究フォーラム」が発行した「改革者 9」(2006,September)に寄稿した拙稿「中南米に おける反米主義と左派政権」の一部を参考にした。

⑵ ラテンアメリカの左傾化については,第 27回日本 ラテンアメリカ学会のシンポジウム「ラテンアメリカ 現代政治を読む」で問題提起をされた5名のパネリス ト(宇佐見,遅野井,岸川,子安,安井)の見解を参 考にした。

⑶ ブラジルのジニ係数は,1985年の 0.590から 1998

年には 0.607に上昇している。World  Development Indicators 2002(世界銀行)。 

⑷ Sanchez, January 13, 2006. サンチェスは,モラ レスが欧州とアジアを歴訪中,大統領選挙での高揚し た気分を沈静化させたようなので,公約した過激な石 油資源の国有化を思いとどまるかもしれないと予想し た。だがモラレスは帰国後,国有化を断行した。

⑸ Dieterich, 27 de  diciembre  de 2005. 藤田は,

2003年以降メサ政権の事実上の与党となった MAS は,政権寄りの姿勢をみせたことで,従来の支持基盤 であるコカ農民から「魂を売った」と激しい突き上げ を受けたと指摘しており,モラレスを純粋な先住民擁 護主義者と考えるのは少しナイーブかもしれない。p.

79。

⑹ Madrid, p.164.

⑺ Ralston, July 15, 2002. モラレスは,コカ葉栽培 は太古から受け継がれてきた先住民文化の一部である とみなし,米国が要求する「コカ・ゼロ計画」に代わ る「コカイン・ゼロ計画」を提案し,コカイン問題は 消費者サイドで解決すべきと考えている。

⑻ Zimmermann, 7 de julio de 2002. 会見では,モ ラレスの口から何度も「反ネオリベラリズム」という 言葉が出ているのが印象的である。

⑼ Cların.com. 21 de enero de 2006.モラレスは,古 代先住民の宗教的指導者を象徴する赤い礼服と頭飾り を身につけ,王杖を受け取ると「今日からボリビア国 民にとって正義と平等の新しい日が始まると」と民衆 に向かって演説を開始した。

eldeber.com.bo, 2 de marzo de 2003.モラレスは,

隣国ペルーのコカ葉栽培農民ネルソン・パロミノをペ ルー政府が逮捕したことに遺憾の意を表明した。同時 にコロンビアのゲリラ組織 FARC との関係を否定し た。また,ボリビア軍がコロンビア,エクアドル,ペ ルー,ベネズエラの左派先住民組織を糾合させている という報道に関しては情報をでっち上げたとされる米 国の DEA と CIA を非難した。

石油資源輸出会社は,YPFB が少なくとも 51%の 資本をもつ合弁会社であることが規定されている。

Morales, p.4, p.15.

Bolıvar,La carta al General Juan JoseFlores,el Presidente de Ecuador(9‑11‑1830) p.959‑60, Vol. 

II. ボリーバルはさらに次のように続けている:3.

中南米で唯一できることは,移住することである。4.

この地域はきっと放埓な集団の手に落ち,あらゆる人 種が交じり合った凡愚な暴君の手に委ねられるであろ う。5.あらゆる犯罪に貪られ,残虐性ゆえに滅びつ つあるわれわれを,ヨーロッパ人は征服してはくれな いだろう。6.もし世界の一部が未開の混沌に戻るよ うなことがあれば,それこそ中南米の最後の時代に違 いない。

Lendman, January, 2006.

(9)

チャベス,pp.268‑269.

Ibid, p.3低所得者地区で行われている医療活動に は2万人以上のキューバ人医師や看護師が従事してい る。

坂口安紀 p.40.

堀坂浩太郎,p.209. 2003年にカンクンで開催され た WTO閣僚会議では,農業保護削減や市場開放問 題でブラジルと米国の対立が浮き彫りとなったが,通 商交渉決裂の声は聞かれない。この経験を踏まえて,

ブラジルは米州自由貿易圏(FTAA)交渉において もまずメルコスルを基盤に南米諸国の結束を固める体 制づくりを優先させるようになった。

Pliegos cıvicos, febrero de 2003. ルーラは,5300 万人の貧困者を抱えるブラジ ル を 立 て 直 す に は,

IMF が迫るネオリベラルな経済政策では困難と認識 している。FTAA を真の統合というよりむしろ一種 の米国への従属関係と捉え,メルコスルを介したラテ ンアメリカのより広範な統合を望んでいる。

安井伸,p.14.

宇佐見耕一,p.48.

佐藤美季,p.43.

佐藤は,「バスケスは基本的な経済政策に関しては ネオリベラルな路線を踏襲する可能性が高い」と考え ている。Ibid.pp.49‑50, p.52.

Ibid.p.50.

CIDOB, 28 de agosto de 2003.

Gonzalez Pueblos. 2004年9月に逮捕された農民 の解放と軍隊の撤退を求めてサンパブロ県の農民連合 は,11月に6県で道路封鎖を行ったが,さらに 30名 の逮捕者を出した。

elNuevoHerald.com. 10 de septiembre de 2006.

新 木 に よ れ ば「ホ ラ ヒ ド ス(forajidos)」と は,

「アウトローとか無法者という意味だが,そう訳して しまうと意味合いが十分伝わってこない気がする。元 来は軍事用語であり,コロンビアで陸軍が破壊活動従 事者に対してよく使用する言葉だという。」新木,p.

28.

Ibid.pp.29‑30.

El Comercio, 28 de agosto de 2006.

El Universal.com.mx. 7 de julio de 2006.29,756, 634人が投票して,その差は僅かに 243,934。国を二 分する結果を受けて,勝者のカルデロンは他党のリー ダーたちや議員たちに国政への協力を求めたが,オブ ラドールはあくまで全投票用紙の手作業による再集計 を主張している。

Lopez Obrador, p.79. オブラドールは市長時代,

普通のアパートに住み,市庁には大衆車の日産ツルで 出勤した。公約通りに老齢者援助,身体障害者保護,

医療サービスの向上と薬の無料化,雇用の促進,義務 教育の徹底化,腐敗と脱税防止,女性の登用等を積極 的に推進した。

Pecency& Durnan,p.97. コロンビアの麻薬カルテ ル組織が破壊されたことによって,FARC に対抗す る最も強力な軍事組織が弱体化し,FARC のコカイ ン徴税権が強化された。

ウリーベも,麻薬を運搬するパイロットに免許を与 えてメデジン・カルテルに便宜を図ったとする指摘が ある。CIDOB, 20 de agosto de 2002.

米 国 は ア ン ド レ ス・パ ス ト ラ ー ナ 政 権(1998−

2002)から開始された麻薬撲滅の「コロンビア計画」

を強力に支援している。elNuevoHerald.com.24 de agosto de 2006.  

Agencia de los pueblos en pie. 19 de mayo de 2006. 2004年,FARC の幹部であるロドリゴ・グラ ンダがベネズエラ国内で逮捕され,コロンビア政府に 引き渡された事件で,一時,両国政府の関係は悪化し た。

De la Torre,p.3.デ・ラ・トーレは,ウリーベは,

ペルーのフジモリが選挙スローガンに掲げた「誠実,

効率,勤勉」によって無党派層を引き付けたネオポピ ュリズム的手法を踏襲していると指摘している。また,

フジモリ同様,IMF 主導のワシントン・コンセンサ スに基づいたネオリベラルな経済政策を遂行したこと によって,2004年度における貧困指数は 65%を超え る一方で,外国銀行は前年比 150%の利益を得たとし て,ウリーベの政策に懐疑的である。

[参 考 文 献]

Agencia de los Pueblos en pie(2006),Venezuela no rompera relaciones   diplomaticas   con   Estados  Unidos.19 de mayo.  

新木秀和(2005),「グティエレス政権の崩壊とキト住民 の反乱」『ラテンアメリカレポート』2005,vol.22, no.2,アジア経済研究所。

Bolıvar, Simon(1947),Obras Completas, Caracas?, Junta Revolucionaria Gobierno de los Estados Unidos de Venezuela.  

チャベス,ウーゴ〔翻訳・解説 伊高浩昭〕(2004),『ベ ネズエラ革命(ウーゴ・チャベス演説集)』VIENT.

CIDOB(2002),Álvaro Uribe Velez, 20 de agosto.

⎜⎜(2003),Nicanor Duarte Frutos, 28 de agosto.

Cların.com.(2006),Proclamaron a Evo Morales ma- xima autoridad indıgena. 21 de enero.

De  la  Torre, Crisitina(2004),́lvaro  Uribe, Ne-A opopulista, Revista Numero 44, Bogota.

Diario Última Hora(2004), 22 de septiembre y 24 de noviembre.

Dieterich, Heinz(2005),Evo  Morales, el socialismo comunitario y el Bloque Regional de Poder, La  pagina de Dieterich, 27 de diciembre. 

El Comercio(elcomercioperu.com)(2006), Discurso completo de Alan Garcıa, 28 de agosto. 

(10)

Eldeber.com.bo(2003),Evo  Morares Ayma lamenta detencion  del cocalero  peruano  Palomino, 2 de  marzo.  

ElNuevoHeraldo.com.(2006),Uribe juramenta nueva embajadora ante Estados Unidos. 24 de agosto. 

⎜⎜ Paraguay:Duarte dice que no habra guerra con Bolivia, 10 de septiembre de 2006. 

El Universal.com.mx.(2006),Eleccion  presidencial, conteo total de votos.7 de julio.

堀坂浩太郎編『ブラジル新時代』勁草書房,2005。

Gonzalez Pueblos, Ignacio(2005),Represion  como unica respuesta del Estado a la crisis del campo, 

www.socialismo-o-barbarie.org, 1 de febrero.

藤田護(2006),「2003年 10月政変から改憲議会へ⎜⎜

ボリビア政治情勢への視点」藤岡美恵子・中野憲志 編『グローバル化に抵抗するラテンアメリカの先住 民族』現代企画室。

Lendman, Stephen(2006), Venezuelaʼs   Bolivarian Movement, Emerging Revolution in the South, 

ZNET, January.

Lopez Obrador, Andres Manuel(2005),Un proyecto alternativo de Nacion, Grijalbo. 

Madrid, Raul   L.(2005)“Indigenous  Parties  and Democracy in Latin America,”Latin  American  Politics & Society47.4. 

Morales, Evo(2006),Palabras del Presidente de la Republica, Evo Morales Ayma, en la Firma de los 

 

Acuerdos  de  Cooperacion  y  Solidaridad,5 de mayo.  

Peceny, Mark & Durnan, Michael(2006), “The FARCʼs Best Friend:U.S. Antidrug Policies and  the Deepening of Colombiaʼ  s Civil War in the

1990s,Latin American Politics & Society, 48.2.

Pliegos cıvicos(2003),El triunfo de Lula: Brasil da un giro historico, febrero. 

Ralston, Erin,Evo Morales and opposition to the US in Bolivia, ZNET, July 15, 2002. 

坂口安紀(2005),「ボリバル革命の検証」『ラテンアメ リカレポート』vol.22, no.2, アジア経済研究所。

佐藤美季(2005),「ウルグアイにおける左派政権誕生」

『ラテンアメリカレポート』vol.22, no.1,アジア 経済研究所。

Sanchez, Marcela(2006), Cuanto vale una corbata?

Evo Morales incita a la prensa.Washingtonpost.

com, January 13.

宇佐見耕一(2005),「経済危機後のアルゼンチン」『ラ テンアメリカレポート』vol.22, no.2,アジア経済 研究所。

安井伸(2006),「ラゴス政権からバチェレ政権へ」『ラ テンアメリカレポート』vol.23, no.1, アジア経済 研究所。

Zimmermann, Yvonne(2002), Entrevista  con  Evo Morales, Indymedia, 7 de julio. 

参照

関連したドキュメント

国(言外には,とりわけ日本を指していることはいうまでもないが)が,米国

 Horwitz  and  Kolodny(1980)は,店頭登録企業43社の R&D への投資行動 について分析を行い,Dukes,  Dyckman 

通信の「メガ論争」、マウンテントップ方式vs低地方式

After that the United States warned Egypt, in cooperation with the Soviet Union, not to initiate hostility while hinting to Israel that she would not, unlike on the occasion of the

自由主義の使命感による武力干渉発想全体がもはや米国内のみならず,国際社会にも説得力を失った

1970 年には「米の生産調整政策(=減反政策) 」が始まった。

Microsoft/Windows/SQL Server は、米国 Microsoft Corporation の、米国およびその

・2017 年の世界レアアース生産量は前年同様の 130 千t-REO と見積もられている。同年 11 月には中国 資本による米国 Mountain