少数民族の文化継承をめぐる小規模民族学校の役割
― 中国内モンゴルフルンボイル市を事例として ―
指導教員 野元弘幸 1-96 頁
2020 年 1 月 10 日提出
首都大学東京大学院人文科学研究科 人間科学専攻教育学教室 博士前期課程
18815103
莫
ム日
リ根
ゲ ンi
目次序章... 1
第
1
節 問題意識 ... 1第
2
節 先行研究 ... 2一. 学校教育における少数民族の文化継承 ... 2
二. 学校統廃合による民族文化継承の衰退 ... 3
三. 小規模民族学校 ... 4
第
3
節 研究背景と研究方法と論文構成 ... 6一. 研究背景... 6
二. 研究方法と目的 ... 6
三. 論文構成... 7
第
1
章 中国における学校統廃合 ... 9第
1
節 中国の教育政策 ... 9一. 中華人民共和国成立期から「文化大革命」終結期まで... 9
二. 「改革開放」期から教育の急速発展... 10
三. 「応試教育」から「素質教育」への転換... 12
四. 基礎教育改革―学校統廃合 ... 13
(一) 学校統廃合の背景... 14
1. 教育的背景 ... 14
2. 社会的背景 ... 14
1) 「計画出産」 ... 14
2) 「税費改革」(税金改革) ... 15
3) 「西部大開発」と「生態移民」 ... 15
4) 「行政区画の調整」(基層構造改革)... 15
(二)まとめ... 16
第
2
節 学校統廃合の影響 ... 16一. 学校統廃合のメリット... 16
二. 学校統廃合のデメリット ... 17
(一) 子どもへの影響 ... 17
(二) 学校への影響... 18
(三) 社会への影響... 19
(四) 家庭への影響... 20
第
3
節 学校統廃合の停止及び小規模学校 ... 21一. 学校統廃合の停止... 21
二. 小規模学校 ... 21
まとめ ... 22
第
2
章 少数民族に与えた学校統廃合の影響 ... 26第
1
節 中国における少数民族教育 ... 26一. 少数民族教育とその位置づけ ... 26
(一) 少数民族概況... 26
(二) 少数民族教育の位置づけ ... 27
(三) 少数民族政策... 27
二. 寄宿制学校と学校統廃合 ... 29
(一)寄宿制学校の少数民族教育への阻害 ... 29
(二)学校統廃合... 31
第
2
節 内モンゴル民族学校における学校統廃合 ... 31一. 内モンゴルの学校統廃合の実施から停止... 32
二. 子どもと教師の行方 ... 33
第
3
節 民族学校の減少から見る民族文化の危機 ... 34一. 民族学校の減少 ... 34
二. 少数民族言語文化の危機 ... 35
第
4
節 学校統廃合の少数民族に与えた影響 ... 36第
3
章 フルンボイル市の小規模民族学校を事例として ... 40第
1
節 フルンボイル市における少数民族教育と文化伝承 ... 40一. フルンボイル市の概要... 41
(一) 地理環境と人口 ... 42
(二) 「撤郷設鎮」... 43
(三) 多民族多文化の共存 ... 44
(四) 民族学校... 48
1. 文字を持たない民族のモンゴル語の使用... 48
2. 民族言語が放棄される傾向... 48
第2節 現地調査を通じて把握した
A
研究対象学校の概要 ... 49一.
Z
ソムとA
学校の概要 ... 50(一)
Z
ソムの概要 ... 50(二)
A
学校の概要 ... 50二. 統廃合政策実施前から停止までの
A
学校の動き ... 51(一) 統廃合政策実施する前の
A
学校 ... 51(二) 統廃合政策実施中の
A
学校の動き ... 52(三) 統廃合政策停止後の
A
学校の拡大 ... 53第
3
節 学校教育におけるモンゴル文化継承の現状 ... 54一. 児童の通学状況 ... 54
二. モンゴル語の授業... 57
三. 学校教育でのモンゴル伝統服 ... 60
四.
A
学校のカリキュラム ... 60五.
A
学校が存続した経緯 ... 63六. 学校の維持からさらなる文化の継承... 63
第
4
節X
ソムのB
学校の概要 ... 64一.
X
ソムの概要 ... 64iii
二.
B
学校の概要 ... 65三. 統廃合され後の再建... 65
(一)
B
学校の施設設備の状況 ... 661. 学校の設備 ... 66
2. モンゴル語の授業の参与観察 ... 66
第5節 まとめ ... 68
第
4
章 小規模民族学校による文化継承の役割 ... 70第
1
節 インタビュー方法及び対象者 ... 70第
2
節 統廃合されなかった要因の分析 ... 72一.
Z
ソムの牧民にとってのA
学校の位置づけ ... 72(一) ソムの牧民の学校統廃合への抵抗 ... 73
1.
学校統廃合を反対する要望運動 ... 732.
インタビューから見えてきた学校統廃合への反対理由 ... 741) 経済負担 ... 74
2) 通学の問題... 76
3) 民族文化の継承の難しさ... 76
二. ソムの学校に通う意義... 77
(一) ソムの学校に育てられた子どもの民族アイデンティティの形成. 77 (二) 寄宿する必要がない場合の家庭教育の充実 ... 78
(三) 遊牧地域に適さない学校統廃合... 79
(四) 民族文化授業の設置 ... 80
(五) ソムの学校の民族文化・母語学習に対する役割 ... 81
(六) ソムの学校の拡大と文化継承の可能性 ... 82
三.
A・B
学校の直面している問題 ... 84(一) 資金不足... 84
(二) 教師の流失 ... 84
1.
教師の異市化 ... 842.
教師の意識の変化 ... 85(三) 保護者の意識の変化 ... 86
(四) 子どもたちのモンゴル語学習に対する苦手意識 ... 86
第
3
節 まとめ ... 87終章... 89
参考文献... 93
謝辞
……….96
序章
第
1
節 問題意識現在、グローバル化に伴い、文化の多様性がますます重視されてきている。共に生きる 多文化共生という考え方が人々の視野に入ってきた。しかしその一方で、グローバル化に より、伝統的な文化が消滅しようとしている状況も見られる。
多民族国家である中国においても、少数民族の伝統文化、風俗習慣、民族特色の工芸品 などが現代品に取り変わっている。さらに、都市化の進展による出稼ぎ者の増加と都市の 学校で教育を受ける少数民族の子どもの増加につれて、彼らがマジョリティ文化に影響 されることはいうまでもない。
中国では、少子化と都市化の進展に伴い、2001年に出された政策によって、農牧地区 の多くの小中学校が統廃合された。これにより、多くの少数民族が暮らす辺境地域の学校 が廃止され、子どもたちが遠距離通学することになった。家庭の経済負担が増し、交通事 故が頻繁に起き、子どもの通学・入学困難などの様々な問題が起きたと言える。学校統廃 合のため、少数民族は都市に移動し、他文化と接触することによって、自分の文化に対す る考えも変化しつつある。例えば、ウリゲンによると、中国内モンゴル自治区(以下、内 モンゴルと省略)の子どもたちが「モンゴル語で話すことは恥」1と感じている状況がみ られることがあるという。少数民族は民族言語を放棄し、民族文化を学ばなくなり、民族 学校に入学しなくなっているという状況が起きている。それが少数民族の文化継承に深 刻な影響をもたらしたと言える。2012年に学校統廃合政策が停止した後もその影響はま た続いており、この状況は、短期間では改善されないだろう。
本論は、中国における学校統廃合政策のため、少数民族地域の多くの小規模学校が統合 され、それによって、民族文化の継承に深刻な打撃をもたらしたことを問題意識とした。
その後、学校統廃合政策が停止となり、近年、牧畜地域の小規模学校の復興現象が起き、
少数民族地域の小規模学校が再建しつつある。このことは、民族文化継承の新たな転機に なると考える。辺境地域に暮らす少数民族の文化継承における、小規模学校の役割を考察 することを本論の目的とする。
第
2
節 先行研究一. 学校教育における少数民族の文化継承
中国の学校教育における民族文化伝承についての研究は少なくない。ハスゲレルは、モ ンゴル族2学校の教育課程において、英語教育を導入することによって、漢語、英語、モ ンゴル語の三言語の学習バランスが崩れ、モンゴル語が衰退していることを指摘した3。 またモンゴル族小中学校で使用されているモンゴル語と歴史教科書を分析し、教育内容 のあり方を検討した。そしてモンゴル族学校での民族のアイデンティティの育成につい て、1980年代後半から教科書編纂制度改革が進められ、この
20
年間の改革には民族学2
校用の教科書に、文化史、民族史の内容が少ないことが課題であることを示した4。 ウリゲンは内モンゴルで使用している教科書とカリキュラムの具体的な内容から少数 民族学校教育における少数民族の次世代のアイデンティティの確立を阻害している要因 を論証した。民族的アイデンティティの形成について以下の三点で整理されている。一つ 目は、漢文化中心主義により、各少数民族についての歴史、文化についての記述は非常に 少ない、あるいは歪められているということ。二つ目は、内モンゴルの学校教育でも漢族 中心の教育が行われ、漢化・同化政策により、少数民族のアイデンティティの形成を妨げ ているということ。三つ目は生活実態とその家庭教育に合致していない教育を受ける子 どもたちは、身につけつつあったアイデンティティを見失い、アイデンティティの混乱に よる自己不全に陥っているという5。つまり漢文化に影響され、学校教育において自己文 化の接触、習得機会が少なく、実際の日常生活でも民族文化と触れる機会があまりないた め民族的アイデンティティが失われているということである。
哈斯額爾敦は、中国の少数民族に対する「特別な優遇政策」により、少数民族教育事業 がどのような発展を遂げたのかを分析し、「優遇政策」を通じて、「少数民族教育はハード 面での発展を遂げている」が、「少数民族言語・文字による教育が衰退に陥り、民族伝統 文化の厳しい状況に直面するという矛盾が生じている」と指摘している6。
宮本は言語消滅の重要な原因の一つとして挙げられるのが、言語転用であるとする。中 央政府が普通話政策7を推し進め始めてから、少数民族の中で普通話8を話すことができる 人々が増え、各民族のバイリンガル人口の構成比率も急速な高まりを見せている。それと 共に母語を捨て、中国における威信言語である普通話に転用する人々の比率も次第に高 まってきている9と指摘した。宮本は言語転用が言語消滅の重要な原因だと指摘し、中国 の場合、普通話を学校教育に導入し、二言語教育を行うようになってから、人々の民族言 語を放棄し、普通話に転用する人々がますます多くなっているという。民族文化継承につ いては、学校教育における教科書の分析、漢語教育による民族アイデンティティへの阻害、
民族教育政策、言語転用の危機などの研究が多く見られる。
二. 学校統廃合による民族文化継承の衰退
中国では、「計画出産」政策10の実施後、少子化が進み、学校統廃合の必要性がさかん に議論されるようになってきた。国や政府機関は財政難問題や少子化が教育環境に与え る被害を解決する手段として、2001年、学校の統廃合を行うことにした。学校統廃合に ついての研究は少なくなく、その効果と問題点を指摘した研究は多い。斯琴によると「学 校廃合後のため、学校の施設設備が大幅に改善され、学校の管理が規範化し、制度化され るに役に立った」11という。これは学校統廃合政策の効果について認めたものである。ま た賽漢花は、これまでの学校統廃合の研究の動向と成果を振り返り、民族学校の中でどの ような民族文化が教育されているのかという質的側面から、都市部の民族中学校と牧畜 地域の民族中学校の二つの学校の統廃合前と統廃合後で行われている少数民族教育内容 を比較し、少数民族教育の変化について明らかにした。その結果は、主に以下のようにま とめられる。統廃合後には、統廃合前よりも生徒たちのモンゴル語能力が低下し、モンゴ
ル族の歴史を学習する機会が失われ、子どもの民族文化の伝統行事への参加が減少し、日 常生活でのモンゴル文化やモンゴル語と接触機会が失われ、モンゴル族文化を体現して いたモンゴル族の教師が減少した12。
ハスゲレルによると、内モンゴルにおける学校統廃合の特徴は、政府に組織されたもの でありながら、「自発的」なものでもあった13という。この「自発的」というのは、子ど もたちは強制されて都市の学校に行ったのではなく、彼らは、自発的に行くようになった ということである。
都市部では、漢族の子どもがモンゴル族学校に通う例は極めて少ない。一方、モンゴル 族の子どもは小学校から漢族学校に通う子どもたちが増えている。これは、モンゴル族学 校の減少や民族学校の子どもの人数減少の理由の一つである。近年は、モンゴル族小学校 を卒業後、漢族の中学、高校に進学する子どもも増加しつつある。それの理由については、
麗麗は「少数民族は、母語に加えて自国語である漢語を学ばなければならず、さらに英語 教育の強化は、少数民族の子どもにとって大きな負担となっていることが挙げられる。民 族学校の子どもは、小学校教育の最初の段階から格差が生じ、将来的に不利となるため、
母語を放棄し、漢族学校を選択する子どもや保護者も少なくない、漢語で教育を受けた方 が大学入試の際、大学や専攻の選択肢がモンゴル語で大学入試を受けるより多いからで ある」14と指摘した。
張詩亜らによると、学校統廃合政策は、一定の効果をあげたが、より多く、より深刻な 問題をもたらしたという。具体的にいうと学校統廃合政策は、民族宗教文化の継承に影響 し、生徒の間の衝突を増加させ、教育資源の二次浪費現象15が起き、家庭負担を加重した
16など様々な問題が起きた。
このような問題も要因となり、2012年に中央政府から「農村義務教育学校の配置調整 の規範化に関する意見」17が発表され、学校統廃合は停止された。
学校統廃合は、少数民族の漢化にある程度の「成果」を残し、彼らの教育の質に影響し、
生活の質の低下を招いた。また、学校統廃合は都市化18を更に促進したと言える。ハスゲ レルによるとソム19の学校に通い、遊牧地域の暮らしの中で、自然にモンゴル族のことば と文化を身に付けていたスタイルは、学校統廃合によって一変したのである20という。楊 蘭・張業強は「盲目的に学校を統合し、中国農村の基礎教育の後退を招き、小規模学校を 苦境に陥れた。小規模学校の復興は農村教育を救う根本的な道であり、教育の均衡発展の 重要な措置でもある」21と指摘した。つまり学校統廃合のためたくさんの小規模学校をな くして、都市部に統合したため、教育の後退がもたらされた。そして農村部の基礎教育現 場である小規模学校の重要性が強調されている。
学校統廃合で多くの小規模学校が統廃合され、残された小規模学校は、非常に少ない。
しかし、近年、一度統廃合されたあと、再建している小規模学校も現れている。本論では、
研究対象として、統廃合されずに存続された牧畜地域の小規模学校と一回統廃合され、後 に再建した小規模学校に焦点を当てた。異なるプロセスを踏んだ二つの小規模学校の民 族文化継承の現状を考察し、本論の目的である、小規模学校の文化継承における役割につ いて明らかにする。
4
三. 小規模民族学校小規模学校のことを中国では農村小規模学校というが、本論では、内モンゴル牧畜地域 の小規模小学校を研究対象とするため、牧畜地域の小規模小学校を、小規模民族学校と呼 ぶことにする。本論での小規模民族学校は主に郷鎮22以下、牧畜地域のソムに分布してい る。子どもの数が少ないことが小規模民族学校の主な特徴である。そして、ここでとりあ げる
A
学校とB
学校はいずれも100
人未満の小規模民族学校である。学校統廃合政策の停止後、農村小規模学校が重視され、主に農村部の辺境地域の子ども の、平等に教育を受ける権利の保障が謳われるようになった。徐冰鴎らは農村小規模学校 の存在が農村部の子どもの公平的に教育を受ける権利を保障し、子どもの退学を防ぐ役 割を果たしていると指摘している23。学校統廃合はもともと義務教育を普及させるために 実施したはずであったが、大量の学校を統廃合したため、結果的に学校を中退した子ども が少なくなかった。遠距離通学は子どもにとっては負担であり、農村小規模学校の存在が 子どもの通学を実現できるのである。劉靖は中国の「農村小規模学校」における教育改善 への取り組みに着目し、若手教員の事例分析を通じて、この取り組みへの参加による教育 改善の実態、ならびに課題を明らかにした24。呉亜林は、小規模学校の建設発展は教育の 発展につながり、都市と農村の一体化を促進し、民生問題を解決する重要な課題であると いう25。
確かに、農牧地区の小規模学校を発展させることは、当地の民族の文化と経済発展に重 要な意味があるだろう。本論では、そのことを明らかにするために、統廃合されずに残さ れた学校と、いったん統廃合されたあと、再建した小規模民族学校を比較することを通じ て、小規模民族学校がなくなるということの民族文化継承にもたらす影響について研究 することとした。
第
3
節 研究背景と研究方法と論文構成 一. 研究背景筆者は内モンゴルフルンボイル市の少数民族が雑居26している多民族地域に生まれ、幼 い頃からモンゴル民族教育を受けてきた。牧畜地域、すなわちソムで最初の教育を受けた。
当時はガチャ27の子どもたちの実家が学校から遠いため、学校の近くに家を借りて通うの が一般的であったが、筆者は実家から学校に通っていた。そしてソムの学校は筆者に非常 に重要な意義がある学校である。
農村義務教育学校の配置調整の政策28の下で、「撤点并校」29(日本で言う学校統廃合の こと。以下、学校統廃合を使用)運動を行い、中学校の生徒は旗30の中学校に転校を余儀 なくされた。中学校の学校統廃合による転校は、小学校の児童にも影響を与えた。対象校 の「校史」(校志)31によると児童の保護者は、中学校が廃校されたことを見て、その後小 学校も犠牲になる恐れがあると考え、子どもを旗や市の学校に行かせるようになった32。 そこは、より児童が多く、そのため、競争力も高く、優秀な教師が集まっていて、教育条
件がより優れていると思われたため、多くの保護者が子どもを転校させる理由となった。
しかし、小学校の子どもは、あまりに幼いため、自分の日常生活を自分で管理することが できない。子どもを都市の学校に行かせるとき、寄宿問題が保護者にとって深刻な悩みの 一つになり、そして親の一人が子どもを連れて一緒に都市に生活するということが見ら れるようになった33。子どもを旗の学校に転校させたあと、毎週末の休みの時に、家と学 校の送り迎えを繰り返す生活を始める家族も出てきた。しかし、旗と市がガチャやソムか ら遠いため、毎週の送り迎えは不可能な家庭もあり、家庭の状況に応じて、毎月或いは二、
三ヶ月に一回、実家に帰っていた子どもも少なくない。このように、少数民族地域の学校 を統廃合させ、子どもを幼い頃から親元から離すことは、子どもの心身の健康の健全な成 長に影響しないかと懸念する。また、少数民族の子どもは、親元から離れることで、民族 の伝統的な生活、習慣、文化から切り離されることになる。民族意識、民族アイデンティ ティの形成に影響を及ぼすと考える。
二. 研究方法と目的
研究方法としては、フィールドワークを行い、現地にてインタビューを行った。なるべ く自由な語りに配慮し、半構造化面接形式で行った。自身の今回の調査目的と身分を説明 し、自由に語っていただく形で
A・B
学校(表1)
(表2)の校長に対しては 1
時間ほど伺 った。教師には対しては15
分ほど伺った。牧民に対しては10
分から30
分ほど伺った。インタビューの趣旨をご理解いただき、IC レコーダーによる音声記録の許可を得て、個 人名等は出さないことを伝え、個人情報に配慮した。インタビューした内容を文字起こし し、日本語に翻訳した。今回の研究対象者は学校関係者と牧民合わせて
8
名である。以下 は二つの学校の基本状況である。表
1:A
学校の概況:児童と教職員児童数 教師 校長・副校長 管理職員 小学校
74
名21
名(1
名)(1
名)5
名 幼稚園40
名8
名総数
114
名36
名表
2:B
学校の概要児童数 教職員 校長 小学校
9
名31
名(8名は旗に勤務)
1
名 幼稚園34
名総数
43
名24
名学校統廃合政策が停止されたが、その影響が今も存在し、しかもこの影響は短期間では なくならないと思われる。牧畜地域の統廃合されずに存続した学校や一回統廃合されて
6
再建している小規模民族学校の現場はどのような状況なのかを確認するために、現地調 査を行い、小規模民族学校の民族文化継承への状況を把握し、学校統廃合政策の背景のも とで、二つの異なる背景の学校の現状を比較することを通じて、文化継承の現状と問題を 明らかにする。本論は、学校統廃合政策により廃校になり、その後改めて再建された学校 と、学校統廃合政策の期間中も住民の運動により維持された学校への現地調査から、辺境 地域に暮らす少数民族の文化継承における小規模学校の役割を考察することを目的とす る。
小規模民族学校は、牧畜地域の基礎教育を保障するだけではなく、少数民族にとっては 地元で、自分の民族文化の薫陶の下で基礎教育を受けることができる。彼らを牧畜地域で、
自身の民族意識が強い環境のもとで教育を受けることは、民族文化の継承にとって非常 に有意義なことであるということを明らかにすることも本研究の意義であると考える。
三. 論文構成
第
1
章では、中国の教育政策について概観し、中国における学校統廃合の背景、学校統 廃合のもたらした影響、そして学校統廃合政策停止後の小規模学校の動きについて論述 する。第
2
章では、学校統廃合の実施が少数民族、少数民族教育にもたらした影響について検 討する。第
3
章では、フルンボイル市の概要を概観して、この地域の民族と地域特徴を理解した 上で、フルンボイル市に属する研究対象学校、つまりA・B
学校の所在地と学校の概要に 関して説明する。現地調査からA
学校が統廃合されずに存続された経緯を説明し、残さ れた後、現在までの状況を述べ、現地調査から把握したモンゴル語の授業の状況と学校課 程の中の、民族特色が見られるモンゴル将棋とエウェンキ語について述べる。またB
学 校の再建された経緯とモンゴル語の授業参与観察を通じて把握したことを述べる。第
4
章では、牧畜地域の小規模民族学校の位置づけ、小規模民族学校が民族文化継承に ついての役割を果たしているかを確かめるためにソムの牧民、A
学校の校長と教師、B
学 校の校長に対してインタビュー調査を行った。A
学校の維持された経緯、B
学校の再建さ れた後学校の状況と現在二つの小規模民族学校の直面している問題を明らかにする。終章では、本論のまとめと今後の課題について述べる。
1 ウリゲン『中国におけるモンゴル民族の学校教育』ミネルヴァ書房、2015、p.2.
2 中国では、56民族のうち、漢族以外の民族を少数民族と公認している。したがって、本論 では、中国国内に居住しているモンゴル族の人々を「モンゴル族」と称する。
3 ハスゲレル『中国モンゴル民族教育の変容―バイリンガル教育と英語教育の導入をめぐっ て』現代図書、
2016
、pp.167-169.
4 ハスゲレル、同上書、pp.41-169.
5 ウリゲン、前掲書、
pp.185-186.
6 哈斯額爾敦「中国少数民族地域の民族教育政策と民族教育の問題―内モンゴル自治区の民
族教育を中心にー」『Multicultural studies』2013、pp.267-268.
7 中国では全国共通語つまり普通話を普及させ、規範漢字を推し進め、調和のとれた言語生 活を構築するため実施した政策である。
8 普通話は中華人民共和国に通用する現代標準中国語である。
9 宮本大輔「中国における危機言語問題―言語転用が招く言語の死」神奈川大学大学院言語 と文化論、2004、p.119.
10「計画出産」政策については、第
1
章で詳しく説明する。11 斯琴「呼和浩特市農村中小学撤点并校現状調査研究」内蒙古師範大学、2008、p.11.
12 賽漢花「学校統廃合政策による民族教育の変容
-
中国内モンゴル自治区赤峰市を中心に」『日 本モンゴル学会紀要』2017
、(47
)、P.43.
13 ハスゲレル、前掲書、p.121.
14 麗麗「中国農村部の子どもへの学校統廃合の影響―内モンゴル自治区寄宿制学校調査を手 がかりにしてー」『福祉社会開発研究』2018、p.78.
15 ここでいう二次浪費現象とは学校を統合した後、多くの空き教室が出て資源の浪費を招い た。これが一つ目の浪費である。学校は国の集中的な学校運営政策によって、基本的な配置調 整が完成し、ちょうどこの時に国家が学校統廃合政策を停止することを打ち出したため、教室 棟と学生の寮の多くが空いているという状況に直面した。これが二つ目の浪費である。
16 張詩亜『民族地域教育を優先発展する研究』経済科学出版社、2014、pp.93-107.
17 「国務院弁公庁关于規範農村義務教育学校布局調整的意見」
http://www.gov.cn/zwgk/2012-09/07/content_2218779.htm
(2019
年12
月31
日閲覧)18 都市化:中国語では城市化・城鎮化という。主に、伝統的な農業の郷村社会から工業やサ ービス業が現代都市社会へ漸進的に転換する過程である。具体的に、人口職業の転換、産業 構造の転換、土地および地域の空間的変化を指す。
麗麗「中国農村部の子どもへの学校統廃合の影響―内モンゴル自治区寄宿制学校調査を手が かりにしてー」『福祉社会開発研究』2018、p.76.
19 ソムは中国の行政区画の一つで、行政区画のレベルは街道、鎮、郷、民族郷、民族の蘇木
(ソム)、県の管轄区と同じで、地方行政単位であり、郷級行政区に属して、市管轄区、県、
旗、自治旗によって管轄される。内モンゴル自治区特有の郷級行政区である。ガチャより 上、旗の下単位。
20 ハスゲレル、前掲書、pp.121-122.
21 楊蘭・張業強「後学校統廃合”時代小規模学校の復興」『農村教育発展研究』2014、6、
p.68.
22 郷鎮は日本の町と同じレベルである。
23 徐冰鴎・王向云「農村小規模学校生存的価値基礎」『教学及管理』2018、pp.16-18.
24 劉靖「中国における農村小規模学校の教育改善への取り組みー河北省の農村小規模小学校 の『90後教員』の事例を中心にー」『日本比較教育学会』第
55
回、2019、p.134.25 呉亜林「農村小規模学校的困境及出路」『当代教育科学』2014、pp.6-9
26 筆者の出身地域はフルンボイル市エウェンキ族自治旗であり、「三少民族」(エウェンキ 族、ダオール族、オロチョン族)が集中している地域である。それ以外は漢族、モンゴル 族、ボリヤト族などの民族が居住している。だが、人口からみると漢族が一番多い。
27 ガチャとはソムより下の地方行政単位のことである。
28 「国務院関与基礎教育改革及発展的決定」
http://www.gov.cn/gongbao/content/2001/content_60920.htm(2020
年1
月3
日閲覧)29 「撤点并校」とは、90年代末からすでに存在し、2001年に正式に始まった全国の農村小 中学校の再配置に対する「教育改革」のことである。具体的には、農村の既存の小中学校を
8
大量に廃校にし、生徒を都市部の学校に集中させるということである。1997年から
2010
年 までの14
年間で、全国の小学校は371470
校減少した。その中で、農村小学校は302099
校 減少し、学校統廃合された小学校のうち81.3%が農村小学校である。
https://baike.baidu.com/item/%E6%92%A4%E7%82%B9%E5%B9%B6%E6%A0%A1
(
2020
年1
月3
日閲覧)30 旗は内モンゴル自治区の行政単位名称で、「盟」の下位単位である。モンゴル語でホショ ーという。
31 校志は学校の建設されてからの発展歴史を記載しているものである。
32 鳥云格日楽『永続的文化揺籃』内蒙古文化出版社、
2018
、p.47.
33 魏霞「内蒙古農牧地区中小学校学撤点并校后陪読家庭問題研究」『満族研究』、2018、2、
pp.11-14.
第
1
章 中国における学校統廃合第
1
節 中国の教育政策中国は漢族と
55
の少数民族から構成された多民族国家である。2010 年に行われた第6
回全国人口統計1によると、漢族の人口は1,225,932,641
人、全人口の91.51%を占め、
各少数民族の人口は
113,792,211
人、8.49%を占める。地理環境からみると、漢族が大陸
の中部から沿海東部にかけて居住し、多くの少数民族は山林、高原、草原などの辺境地区 に住んでいる。民族分布の特徴は雑居、つまり56
の民族が交錯して居住しているのだ。それぞれの民族は自分たちの言語、文字、文化と習慣を有する。膨大な人口の経済発展を 支えている学校は教育を受ける大切な場所として、重要な役割を果たしている。まず、現 代中国の学校教育がどうなっているかを見る前に、その教育政策の流れを、先行研究を踏 まえ、概観して検討する。
一. 中華人民共和国成立期から「文化大革命」終結期まで
中国は、共産党の指導によって中央政府(国務院2)が政策の基本方針を定め、それに 基づいて各地方政府が実務レベルで政策を執り行って行く。その最高権力機関が全国人 民代表大会(全人代:政府系統)であり、あらゆる政策の基本方針が決定される3。
1949
年に中華人民共和国が成立した。建国から1976
年の「文化大革命」が終結した 時期にかけて、中国の教育は普及と発展の時期であったが、非常に屈折した道のりを経験 した。まず1949
年から1965
年までは、教育を改造して新中国の教育の基盤を築いた。中国成立初期の
1949
年、中国人民政治協商会議第1
回の全体会議は「中国人民政治協 商会議共同綱領」4を採択し、同年10
月1
日に国の施政方針としてこれを定めた。その第 五章の文化教育政策の第四十一条では、「中華人民共和国の文化教育は新民主主義の、す なわち民族的、科学的、大衆の文化教育である。人民政府の文化教育活動は、人民の文化 水準を向上させ、国家建設の人材を育成し、封建的なものや買弁5資産階級、ファシズム の思想を一掃し、人民に奉仕する思想を発展させることを主な任務とすべきである。」、第四十二6、第四十三7、第四十四8、第四十五9、第四十六10、第四十七11、第四十八12、第 四十九13では新中国の教育の性質と任務に対する明確な規定がある。この施政方針は、新 中国成立後の文化教育に関する重要な起点である。
そして
1966
年から1976
年までの「文化大革命」の10
年間で、中国の教育は大きな打 撃を受けることになった。例えば、「文化大革命」期、「文化人」が空前に大災難に巻き 込まれ、教育は一度国家権力によって全面的に否定され、人々の教育を受ける機会を実質 上に剥奪された14。この歴史上の出来事の中で、少数民族教育も大きな打撃を受けた15。 しかし、「文化大革命」終結後、教育は急速な発展期に入ったと言える。10
二. 「改革開放」期から教育の急速発展1978
年になると、鄧小平が文化大革命を終結させ、「改革開放」への道を開いた。そ して1978
年12
月の「中国共産党第十一届三中全会」(中国共産党第十一期中央委員会 第三回全体会議)において、文化大革命の混乱を鎮めるように指示した。その結果、大学 が学生を再募集し始めるなど、国家としての教育制度が回復し、中国の教育は新たな発展 段階に入ったのである。1980年代になると、中国の教育は急速に発展し、各地域で激し い進学競争が起こり、大学進学率の上昇が追求された。これに伴って児童、生徒の学習負 担過重などの諸問題も出現した16。1986 年4
月に「中華人民共和国義務教育法」17(以 下、義務教育法と省略)が制定され、7月1
日に施行された。この法律により、義務教育 が初めて法律で保障された。義務教育法第三条では「義務教育は国家の教育方針を貫き、素質教育を実施し、教育の質を向上させ、適齢児童、少年を品格、知性、体質などの面で 全面的に発展させ、理想や道徳、文化、規律がある社会主義建設者の後継者としての基礎 を打ち立てなければならない」と定めている。義務教育が法制化された後、1995年
9
月1
日、「中華人民共和国教育法」18が正式に公布され、それが中国教育の憲法とみなされ ている。中国の社会主義を基にした物質文明と精神文明の建設19と発展に伴い、労働者に求めら れる知識レベルが高くなった。しかし、当時の中国において非識字者の数が大変多く、政 府は識字率の向上を目指した。そのため、非識字者をなくすのは教育の重要な任務であり、
地方の各級人民政府が統一的に指導し、有効な措置を講じ、国を挙げて非識字者をなくす という歴史的任務を完遂するよう努力する必要があるとして、中央政府から
1988
年に「掃除文盲工作条例」20(非識字者をなくす工作条例)の通知が打ち出された。その中の 第二条では「十五歳から四十歳までの非識字者、半非識字者の公民は、学習能力を喪失し た者以外に、性別、民族、人種を問わず、半非識字者を一掃する教育を享受する権利と義 務がある。学習能力を喪失した者の鑑定は、県級人民政府教育行政部門が実施する」とし ている。また、四十歳以上の非識字者、半非識字者の公民が非識字者をなくす学習に参加 することを奨励するとされた。国家教育部から「国務院関与進一歩加強農村教育工作的決 定」21(国務院による農村教育工作の更なる強化に関する決定)が出され、「西部大開発」
22を更に推進するために、西部地域に「基本的に
9
年の義務教育の普及」と「基本的に青 壮年文盲(政策には、文盲と使っているが、差別言語なので、本論では「非識字者」と使 用)をなくす」(以下、両基23と省略)目標を実現する為に国家による西部地域における「両基」攻堅計画が実施された。
1980
年代からの中国社会の急速な発展は、当時の教育にも大きな影響を与えた。義務 教育は広範囲な普及をみせたが、その一方では、経済発展に左右されて、施設・設備、教 育内容、就学保証などの面において、地域格差、学校格差が大幅に拡大されることとなっ た。それが大きな問題になり、一番目立つのは財政や教育費などのカネをめぐる問題であ る24。1980年12
月、中央政府から「関与普及小学教育若干問題的決定」25(小学校教育 の普及の若干の問題についての決定)で1990
年までに初等教育を基本的に普及させる目 標と多様な形で学校を運営する発展戦略が確定された。本文書は「中国の経済と文化の発展がアンバランスで、自然環境と居住条件の差異が大きいため、現実的な解決策を講じな ければならない。学校の配置と学校運営の形式を民衆の生産生活に適応させ、生徒が近く の学校に行きやすいようにして、全日制学校を設立すると同時に、半日制、隔日制、巡回 制、朝昼夜組などの多種類の簡易小学校や教学クラスを開催しなければならない。このよ うな学校の学習年限と教育要求は,形式にこだわらず、国語や算数さえ身につければよい
26」と規定された。
国家の非識字者の撲滅と義務教育の普及方針を受けて、1980年代は郷、村が分散して 学校を運営したため、学校が多く建てられた。この発展モデルの利点は、地方政府と基層
(中国では農村、牧区などの地域を一般的に基層と呼ぶことがある)の教育を発展させる 積極性を動員し、農村教育の普及と発展を促進できることである。その弊害は同時期に多 くの学校が建てられたため管理が行き届かず、多くの地方における農村レベルの財政に とって過度な教育支出の負担となり、農村義務教育は安定した経費保障に欠けてしまう ことである。また、学校の分布があまりに広くて、規模効果が悪い27と指摘されている。
1986
年に義務教育法において「近くの学校への入学原則」が明確にされた。これらは中 国の義務教育の普及と発展を確立した28。張杰仲によると、近くの学校へ入学することは 村を農村教育の設置主体とし、学校を農民の家の近くに設置することによって、農民の子 どもたちの教育を受ける機会を拡大することに貢献し、農村学校とコミュニティの融合 を促進することにも役立つ。1990年までに初等教育はほぼ普及し、就学率は全国人口の 約90%を占めた
29。三. 「応試教育」から「素質教育」への転換
1990
年代になると、中国の教育の急速な発展に伴い、前述の受験競争、大学進学の追 求、学習負担過重などの問題はより激化し、いじめ、自殺、児童・生徒の体力低下などが 社会問題になった。小学校から中学校、高等学校、また大学へと進学していく教育システ ムにおいて、様々な試験により児童生徒が選別され、進学率で学校と教師が評価される英 才教育のような教育思想が芽生え始めた。そして、教育現場では生徒に学習の負担をかけ、多くの落ちこぼれた子ども、または試験ができても、創造力や思考力のない子どもを生み 出したとされ、「応試教育」30という名で批判されるようになった31。中国の教育が間違 った方向に進んでいるのではないかと多くの人々が考えるようになり、「応試教育」傾向 あるいは受験教育が見直され、新たに
21
世紀の教育方針として動き始めたのが「素質教 育」32である33。つまり、識字率の上昇と義務教育の普及により、中国政府は教育の役割 を必要最低限の知識の吸収にとどまらず、人間としての成長を達成できるように目指す ものであると考えるようになった。12
四. 基礎教育改革―学校統廃合改革開放以来、中国の基礎教育改革は大きな成果を収めた。2000年に全国で「両基」
の目標がほぼ実現された。「県(旗)を中心とする」農村義務教育管理体制が確立され た。学校運営の条件は絶えず改善されている。教師教育はより大きな進展を遂げ、教師 の素質は徐々に向上している。しかし、新しい社会情勢に直面して、中国の基礎教育は 体制、構造及び教育観念、教育内容と方法などの多くの面で、まだ時代のニーズに適応 できず、改革の発展を加速しなければならない。
教育の質を重視するようになった中国政府は、2001年に基礎教育改革を行い、その一 環として学校統廃合政策を打ち出した。学校統廃合政策は、教育上の観点のみならず、財 政上の観点も考慮に入れている34と丹間康仁が指摘する。つまり、各地域や学校の間にお いて、経済発展レベルの差によって生まれる施設・設備、教育内容、就学保証などの面に おける格差の広がりに見られるような財政や教育費などのカネをめぐる問題を改善する 必要性があるため、政策の転換が行われた。
中国の基礎教育改革は
2001
年5
月29
日から正式に実施された35。農村の学齢人口が 大幅に減少した状況に対して、中央政府は「国務院関与基礎教育改革及発展的決定」(国 務院の基礎教育改革と発展に関する決定)(以下、「決定」と省略)という文書を発表し、地方政府に対して「現地の状況に応じて農村義務教育の配置を調整する」と要求した36。
「決定」の十三条では以下のように記述されている。
地域の状況に応じて配置調整し、子どもが家の近くに入学できるように適当に統合し なければならない。交通不便な地域は必要最低限の分校を維持し、生徒の退学を防ぐ。必 要な場合寄宿制学校を設ける。
中国の都市と農村の格差によって生じる二元体制の影響下で、農村の教育資源は長期 にわたって劣勢な状況にあった。計画経済体制の下で農村教育資源の不合理な分配が行 われ、中国の農村義務教育段階の教育の発展を深刻に阻害している。一方、農村教育への 国の投資は低く、農村義務教育段階の教育ハード面施設は立ち遅れている。教員の数が少 なく、レベルも比較的に弱いため、義務教育の農村での発展をある程度抑えている。他方、
改革開放政策の着実な推進の下で、農村人口は絶えず都市に流れ込んだ。それに加えて、
中国の一人っ子政策の影響もあり、農村の学校の在籍生徒の数が急激に減少し、「一村一 学校」のコストが増大した。このような状況の変化の下で、もとからある農村の小学校の 教育資源の配置をはじめとする欠点が徐々に明らかになって、学校の構造調整はすでに 中国の学校が発展するための必然的な成り行きになった37。そして、教育資源を合理的に 配置し、充分に利用し、学校運営の効果を高めることが学校統廃合の目的であった。
(一) 学校統廃合の背景
学校統廃合政策の導入と推進は中国の人口構造の変動と、経費投入の調整と政策計画 の設計などの総合的な要因の結果である。以下では学校統廃合が行われた教育的背景と 社会的背景の詳細について述べていく。
1. 教育的背景
改革開放以来、中国の基礎教育は成果を収めた。「両基」目標を実現し、素質教育を全 面的に推進した。しかし、中国の基礎教育の全体的なレベルはまだ高くなく、発展のバラ ンスが取れていなかった。今世紀に入り、基礎教育は新たな問題に直面し、改革と発展の 任務は非常に困難であった38。義務教育が普及するにつれて、農民集団の要求が高くなり、
よい質の教育を求めるようになった。政府は、統合教育することを通じて庶民の要求を満 たし、教育の質を向上させることを狙った。文化大革命の終結後、義務教育法が制定され た
1986
年当時の中国において、非識字率が非常に高かったため、1988年に工作条例が 打ち出されて、義務教育の普及と非識字者の撲滅が目指された。これらの目標が1990
年 代に達成されると、人々は必要最低限の知識の獲得を目指す応試教育に満足できなくな り、政府は教育の質の向上を図った。その一環として行われたのが学校統廃合政策である。2. 社会的背景
1) 「計画出産」
人口が多いということは中国の基本的な国情であり、もともとの人口と年々増加する 人口が積み重なっている状態は、経済社会の発展と持続可能な発展戦略の実施に大きな 圧力を与えている。人口の持続的な増長と経済発展により、資源不足が深刻化している。
中国の国土面積は広いが、居住と経済活動に適した空間が限られており、人口分布が極め てアンバランスであるため、矛盾がより際立っている39。1980年
9
月、中国政府は第五 届全人大三回会議で人口が少ない少数民族地区を除いて、夫婦が子どもを一人しか産め ないことを広く提唱して、早めに人口増加率を抑えるようにする40と規定した。「計画出 産」政策は1982
年9
月に基本国策として制定され、同年12
月に憲法に記入された。「計 画出産」の法律的地位が確立されて、法に基づいた行政が行われるようになった。「計画 出産」による農村の人口出生率の低下が少子化問題をもたらし、学校の生徒数が減少した。それが学校統廃合政策の実施の一つの要因となった。
2) 「税費改革」(税金改革)
2001
年3
月24
日、中央政府は「国務院関与進一歩做好農村税費改革試点工作的通知」(国務院による農村税金改革試行工作に関する通知)を公布した。農民の生産活動に対す る税金の徴収を減らす農村の税金改革は、農民の負担を確実に軽減し、農業と農村の経済 発展を促進し、また農村社会の安定を維持するために、重要な意味を持つ。しかし、農民
14
の税金負担を減らすということは地方政府の歳入を縮小させることを意味する。つまり、
地方政府の財政困難により、教育への投資は非常に負担が大きいものとなった。このよう な地方政府の困窮を解決するために、教職員を減らし、特に「農村学校を適切に合併し、
教師チームに必要な整理と圧縮を行う41」ことが提案された。これは中国で初めて発行さ れた学校の配置調整の動員令である。
楊楓によると、農村教育は「両基」の基準達成と小中学校の危険住宅の改造を行うため に、各地で借金をして投資を増やした。しかし、農民に対する税金改革が行われたため、
教育の資金を集められなくなり、教育基金には大きなギャップが生じたという42。つまり、
歳入が少なくなった地方政府が本来教育費に当てるはずの財源が減少し、借金の返済が 困難になったのである。税金改革によって教育資金が不足するようになったため、教育経 費を節約するために、教師の人員調整と配置が不合理な農村小中学校に配置調整を行い、
コスト削減する必要があった。
3) 「西部大開発」と「生態移民」
1978
年の改革開放以来、中国の経済は飛躍的な発展を遂げてきたものの、開発が進ん だ沿海地域と開発から取り残された内陸地域との経済格差が顕在化し始めてきた。さら に、鄧小平の南方談話43(1992)による急速な市場経済化の流れと共に、この格差は一層 拡大した。このような状況のもとで、20世紀末から、「西部大開発」が21
世紀の国家事 業のプロジェクトの一つとして動き始めた。同プロジェクトの中で、生態環境を保全する ために立案されたのが「生態移民」44である。2002年12
月14
日に朱鎔基首相は、「中 華人民共和国国務院令(第367
号)」を公布したが、その中に「退耕還林条例」(退耕還 林45:農民の場合は土地を耕すことをやめて、牧民の場合はその土地を森林[草原]に戻す こと)が盛り込まれている。第五十四条に「国家は退耕還林の過程において、生態移民を おこなったことを奨励し、生態移民として移動した農家には生活生産の面において補助 を与える」など、「生態移民」に直接言及していた46。そして、以前から草原を生活土台 としている人々の都市及び都市周辺地域への定住化が一層促進された。都市化の過程の 中で流れ込む出稼ぎ労働者の両親を持つ児童が、都市への定住が進んだことに伴う都市 における就学などが農村・牧畜地域の小中学校の減少の一つの要因になった。それに加え て学校現場における学校施設の老朽化は統廃合のもう一つの原因になった。4) 「行政区画の調整」(基層構造改革)
1984
年に中央政府は「国務院批転民政部関与調整建鎮標準的報告的通知」47(国務院 による民政部の鎮(町)を調整建設することについての報告を批准した通知)(以下、「通 知」と省略)を打ち出し、民政部が鎮を調整建設することとなった。「通知」は経済発展 の需要に適応するため、適当に鎮の建設基準を緩和し、鎮が村を管理する体制を実行する ことは、小城鎮の建設と発展を加速させ、都市と農村の格差を徐々に縮小する上で重要な 意義があると述べた。中央政府は地方政府に対して、すでに鎮を建てる条件を備えた地域が、鎮を建てる基準に基づいて、きちんとした計画を立て、合理的に配置し、小城鎮の建 設が本当に都市と農村の物資交流と経済発展を促進させる役割を果たせるように監督す る義務が地方政府にあるとした。それ以来、多くの地域の村・ソムが合併されるようにな り、学校の合併と廃校が促進されたとも言える。
(二)まとめ
学校統廃合政策の導入と推進は、中国の人口構造の変動、及び要素投入の調整と政策計 画の設計などの総合的な要因の結果である。1980年代に小学校教育の普及を力強く推進 し、全国の各地に大量の小学校が設置された。しかし、
1982
年に人口を抑えるため、「計 画出産」政策が基本国策として実施されて以来、人口出生率の減少に伴って、各地の小学 校の児童が少なくなり、空き教室が増え、教育資源の浪費を招いた。また、「税費改革」のため、財政が困難に陥り、地方政府が実質的に義務教育経費の負担を強いられ、教育経 費が問題として浮かび上がった。「西部大開発」と「生態移民」による移民の都市化が促 進されて、多くの学齢児童が両親と一緒に都市に行くことになった。その上、農村・牧畜 地域に行政区画の調整が行われたため、併村、併校はさらに促進された。
以上の要因は、地方政府に学校統廃合するのに至る刺激と動力を直接提供したと言え る。
第
2
節 学校統廃合の影響農村小中学校の配置調整は農村教育改革の重要な項目である。その目的は教育資源を 合理的に配置し、充分に利用し、学校運営の効果を高めることである。学校統廃合は義務 教育の均衡ある発展を促進し、素質教育の推進や教育の質の向上にとって意義がある。
しかし、この政策は農村の教育問題を解決するとともに、一連の新たな問題をもたらし た。
一. 学校統廃合のメリット
学校統廃合政策が実施されて以来、メリットとデメリットが共存している。メリットと して、阴晨雪は学校統廃合の実施は、農村学校の建設に役立ち、農村学校の教育資源の配 置を最適化し、規模の利益を形成したとする。さらに、学校統廃合前の生徒の平均教育費 の高さという問題と、小規模学校の資源の浪費、大規模学校の資源不足の苦境を解決し、
資源の利用効率を向上させた48と指摘している。また、斯琴は、統廃合政策の実施は、学 校、教師を中心(センター)小学校に集中させ、教育管理工作の展開を円滑に進めると同 時に、教育事業の発展を大いに推進し、義務教育のバランスの取れた発展を効果的に促進 し、規模の学校運営を実現した役割を持つとする。また全体的に素質教育を推進し、教育 の質を全面的に向上させることに有益である49としている。さらに、宮偉・蔡偉娟は、カ リキュラムの整備が進み、学校統廃合の後に新しい課程が増加され、例えば、体育、音楽、
16
美術などに加えて、三年生から英語の課程を開講するようになったと指摘する50。つまり、
学校統廃合の政策は教育資源利用の最適化を図り、学校教育の質を全体的に向上させた ことがメリットである。
二. 学校統廃合のデメリット
確かに、「学校統廃合」はある程度教育資源の配置を合理化し、地域間の教育の均衡発 展を促したが、同時にこの政策の実施過程に問題が生じた。その生じた問題について子ど も、安全上の問題と教育の質、社会、家庭の四つの方面から整理する。
(一) 子どもへの影響
経済的な理由や都市化された地域で、親元を離れて寄宿舎生活をするという環境の変 化に慣れないため不登校となる子どもが増えた51と賽漢花が論じている。桂萍によると農 村の子どもの中退率が回復したのは、農村の新しい「読書無用論」がまた台頭しているか らであるという。全国の厳しい雇用情勢、農民の狭い社会関係、そして農村教育のレベル と都市の大きな格差によって、農民は自分の子どもがスタートラインで負けてしまい、都 市の子どもと競争する実力がないと感じている。その一方で、学校統廃合政策による合併 が多発している。したがって、子どもにとって教育を受けることは、「困難」、「高い」、
「遠い」が農村教育の新たな問題となった52という。
寄宿生活を始めるのがあまりにも早い時期からとなると、予想外の問題を引き起こす 可能性がある。小学校の段階はまさに子どもの成長と人格の形成の肝心な時期であり、早 くから親元を離れて学校に住んでしまうと、親との交流が減ってしまい、親との距離が遠 ざけられる53。北京大学教育学院教授康健は記者の取材に、学校統廃合による親心の破壊 と郷土のアイデンティティの喪失は、より反省すべき問題であると答え、「五・六歳の子 どもが両親と離れて寄宿制学校に来て、家庭の温かさや家族の温かさが剥がされた。しか し、家庭教育は最も重要な教育である。これは子どもの成長に大きな影響を与える」54と 指摘している。1998年から
2007
年の九年間で、全国の小学校は60.96
万校から32.01
万校まで減り、47.50%減少した。在籍生は13,953.8
万人から10,564
万人まで減り、24.30%減少した(表 1-2-1)。データから読み取れるのは学校が大幅に減少したことであ
る。この数値をみると、学校の減少は在学人数より多いことがわかる。このことは農村貧 困地域の子どもと保護者にとって大きな負担となっているのではないかと考えられる。
「決定」では、「交通が不便な地域で必要に応じて必ず学校を維持し、配置調整による生 徒の退学を防ぐ」と規定している。しかし、「交通が不便な地域」であればあるほど、学 校統廃合が深刻であったと楊貴平が指摘した55。
学校統廃合は政府から基礎教育改革の一環として行われた政策である。それは子ども のより良い質の義務教育を受けさせるためであるはずだが、逆に子どもが寄宿生活に慣 れないため、不登校や中退する子どもが多くなってしまったのである。学校を統廃合した ため、幼い子どもがあまりにも早い段階で親から離れ、彼らの心身の健康に成長していけ
るかどうかを充分に考慮したのであろうか。学校統廃合は少子化問題のため、学校を減ら して財政支出を節約するためだが、データからみると、実際に生徒の減少よりは学校の減 少がはるかに多いことが、政府の現実を基づいていないではないかと考えられる。
表(1-2-1)中国全国小学校数と在学生徒数
学校数(万校) 在学人数(万人)
1998 60.96 13,953.80
1999 58.23 13,547.96
2000 55.36 13,013.25
2001 49.13 12,543.47
2002 45.69 121,56.71
2003 42.58 11,689.74
2004 39.42 11,246.23
2005 36.62 10,864.07
2006 34.16 10,711.53
2007 32.01 10,564
減少総数
28.95 3,389.80
減少率
47.50% 24.30%
表注:教育部(1998〜2007)年の教育事業発展統計公報のデータ:全国学校統廃合データを基づ いて、楊(2010)を参考にして筆者作成
(二) 安全上の問題と教育の質
学校統廃合の実施中、各種の安全上の隠れた危険が増えた。それは、宿泊安全上の問題、
生徒の飲食安全上の問題と、最後に、交通安全上の問題が最も緊迫していると指摘されて いる56。桂によると、学校統廃合政策が始まった当初は、都市と農村の教育バランスの取 れた発展を促進し、農村学校の教育の質と学校運営の効果を高めるための一定の積極的 な意義を果たし、この政策が十年以上進められて、全国の農村小学校は半分に減ったとい う。学校の数が減り、学校が町に集中することが、この政策の基本的な特徴となった。し かし、2011 年には大きなスクールバス事故57が相次いで発生し、学校統廃合政策を見直 すきっかけとなった58という。また、「優秀な生徒の流出が学校のエリート生徒の減少を もたらした。保護者の良質な教育に対する追求がますます高くなり、農村学校は都市部の 小学校と比べて明らかな格差が存在するようになった。学校を統合した後、生徒の学習環 境の変化によって、保護者も不安を感じるようになった。また、優秀な生徒の一部は、出 稼ぎに行く両親に連れられて都市で勉強している。このようにして、いくつかの農村学校 は多くの優秀な生徒を失い、質の向上に影響を与え、教育の質が低くなり、優秀な生徒が 集められないため、授業は悪循環に陥り、他の学校との教育格差がますます大きくなって
18
いる」59と肖家姗が述べている。杜桂華は寄宿制の実施によって、生徒の授業と休憩の時 間はもとの学校とは違い、寄宿制学校の人数の増加につれて学校管理の難しくなった60と 指摘した。学校を町に統合したため、辺境地域のような遠く住んでいる子どもが学校に通 うとき交通事故などの安全問題も出てきた。町の学校に通うために命の代償まで出すと なると、学校統廃合政策が正しいのかどうか、深く考えさせられる。
(三) 社会への影響
学校統廃合によりもたらされた留守児童61問題は容易に解決されない。多くの農村の子 どもの保護者は長年出稼ぎに行っている。子どもを祖父や祖母或いは親友に預けており、
これらの子どもは父母の愛情に欠けて、親の厳格な教育が足りない。これが統廃合政策の 実施後、学校管理に多くの問題をもたらした62とされ、社会問題にもなっている。
学校統廃合によって、村落小学校が本来持っていた文化センターの機能が次第に失わ れていった。学校は歴史的にも地域の軸であり、統廃合は地域の元気を奪うものではない かとの声もある63。辺境の農村では、学校の多くは村の文化センターで、教師は文化人の 象徴である。学校統廃合を実施した後、知識の伝授や文化娯楽の場といった機能を失い、
教師と生徒が離れることで、元々あるこの地域の文化は衰退して行き、伝統文化の継承が 阻まれている。あまりにも早く家から離れた農村の子どもはその郷土文化に対する認識 が低下した。子どもが彼らを育てた農村の環境と隔絶されたため、農村文化の伝播過程で の抵抗が強まり、文化の断層をもたらした64と陳富祥が記述している。多くの廃校にされ た村落学校はうまく利用されていない。廃校になった村の小学校は、雑草が生い茂り、豚 小屋や羊小屋にまでなったという事例もある65。
以上のことから、学校というところは単なる子どもに知識や文化を伝承する場所では なく、周辺の住民にも文化センターの機能を果たしていることから学校が地域住民に重 要であることがわかる。地域の学校がなくなることは、地域の発展にも影響を及ぼすこと につながるのだ。
(四) 家庭への影響
学校統廃合政策の実施によって、家庭の経済負担が増加した。家と学校の距離が近い家 庭の教育負担は軽いが、学校が遠い家庭にとっては、経済的な負担は重い。辺境の村の生 徒は学校統廃合が実施された後、宿泊費、食費、交通費、子どもの通学に付き添う家庭(陪 読家庭)により多くの費用がかかった。「二免一補」66という政策があるが、両親が実際 に支払ったコストは学費免除、本の代金等、政府援助をはるかに上回っている。そのため、
生徒の中退が相次ぎ、特に学校から遠く離れた家庭で特に目立っている67と阴が報告して いる。
肖は、家庭教育の取り組みが足りないと指摘している。教育は学校、家庭、社会の三者 一体の教育であり、どの段階でも教育の質の向上に影響する。社会経済の発展に伴い、農 村の多くの親はお金を稼ぐためにより働くが、子どもたちの成長を顧みる余裕がなくな り、彼らは子どもを学校に預けるだけで安心した。学校統廃合の後、子どもが親から遠く 離れて家庭教育がなされなくなり、それが、農村学校の教育向上の阻害要因になっている という68。
学校統廃合のもたらした否定的な影響について、子ども、安全上の問題と教育の質、社 会、家庭の方面から先行研究を踏まえてみた。学校統廃合の出発点としては良いが69、そ の政策の実施中は盲目的に統合されたため、多くの問題が生じたと言える。
農村学校廃合の理由としては主に、農村児童人数の減少、農村学齢児の都市部へ流出、
農村学校の教育資源の整備最適化、都市部等農村部の教育格差を縮小させることが挙げ られる70。しかしながら、学校統廃合の実施中、多くの問題が出ており、その中でも、学 校の中退、交通安全問題などが深刻であり、それは人々が学校統廃合について新たに考え るきっかけとなり、この政策についての批判が上がるようになった。楊蘭・張業強は「盲 目的に学校を統合し、中国農村の基礎教育の後退を招き、農村小規模学校を苦境に陥れた。
農村小規模学校の復興は農村教育を救う根本的な道であり、教育の均衡発展の重要な措 置でもある71」と指摘した。
丹間康仁は学校統廃合を推進したからといって、必ずしも教育経費の縮減につながる とは限らないとする。丹間は、本多正人を引用し、「学校統廃合には代替的通学手段の確 保、通学路変更・長距離化に伴う安全対策、あるいは新設統合の場合なら建設・移転の費 用など、社会的なコストはむしろ増加し、それは設置管理者の負担となっている」72と指 摘されるように、農村における教育経費が増加する場合もあるからである73と述べている。
都市の学校に学校を統合することは、都市の子どもにはあまり影響しないが、農牧地域 の貧困家庭にとってはさらなる貧困と経済負担をかけるのではないかと思われる。それ が本当の教育平等だと言えるだろうか。都市の子どもは、家庭教育を受けながら実家から 学校に通える。しかし、農牧地域の子どもたちは家庭教育を受ける機会を犠牲にして、本 来必要ではないはずのお金を払って、寄宿制学校に通う。これが家庭にとっては負担であ るだけでなく、まさに不平等である。