博士(医学)高橋明弘 学位論文題名
ヒト頭蓋内動脈中膜平滑筋の構造―正常と異常一 走査電子顕微鏡による観察
学 位論 文 内 容 の要 旨
[序 論]
頭 蓋内動脈の中膜平滑筋は収縮弛緩する事で脳血流を一定に保ち、またクモ膜下出血 後に は激しく収縮し,脳血管攣縮を引き起こすことが知られている.さらに,中膜平滑 筋が 動脈瘤の発生に深く関与している事も示唆されてきた.生理学的および病理学的な 様々 な状態を理解するためには,頭蓋内動脈の中膜平滑筋の構造や配列に関する詳細な 知識 が必要である.血管の中膜は内膜・外膜の間に存在し,しかも中膜平滑筋細胞その もの も基底膜や結合組織線維成分に包まれているために,中膜平滑筋構造を直接観察す るこ とは長い間困難とされてきた.近年,基底膜や結合組織線維成分を選択的に消化除 去す る方法が考案され,血管壁の中膜平滑筋細胞を三次元的に観察する事が可能となっ た. 本研究では,選択的結合組織消化法のーつ水酸化カリウム・コラゲネース法を用い てヒ ト頭蓋底部主幹動脈の膠原線維成分を消化除去し,中膜平滑筋細胞を走査電子顕微 鏡で 三次元的に観察した.これにより,その立体構造と立体配列を明らかにし,特に動 脈瘤 の成因 につ いて の考 察を 行っ た.
[対象と方法]
脳 血管 は, 明ら かな 脳疾 患の 既往 を有し ない4剖 検例 と,クモ膜下出血にて死亡した 1剖 検例 から得 た. 死後12時 間以 内に 摘出 した 脳を りン 酸緩衝10%ホルマリン(pH7.4)で 灌流 固定 した 後, 脳動 脈を 摘出した.摘出した脳血管は,リン酸緩衝2%グルタルアルデ ヒド 液(pH7.4)で1日以 上室 温で浸漬固定した.頭蓋内内頚動脈・中大脳動脈・前大脳動 脈・ 頭蓋 内椎 骨動 脈・ 脳底 動脈 の直 線部と 分岐 部・ 合流 部を 適当 なサ イズ に切 断し た 後,リン酸緩衝液(pH7.4)で洗浄し,300h水酸化カリウム水溶液(60‑65℃)に約10分間浸漬 した .そ の後 ,血 管標 本を りン酸緩衝液(pH7.4)で洗浄し,37℃のO.l%コラゲネース溶 液に3〜5時間 浸漬 した 。こ の標本をりン酸緩衝液(pH7.4)で1時間以上洗浄した後に,2%
夕ンニン酸溶液に3〜6時間浸漬し,蒸留水で数回水洗してから更に,1%四酸化オスミウ ムで3時 間処理 する こと によ り導 電染 色を 行っ た. その 後,標本をエタノール系列で脱 水し ,酢 酸イ ソア ミル に置 換してから二酸化炭素により臨界点乾燥を行なった.乾燥し た標 本は 試料 台に 固定 後, 必要に応じて実体顕微鏡下で針とピンセットを用いて外膜の 結合組織を除去し,イオンコーターにて白金一パラジウムをコーテイングした後に走査型 電子顕微鏡で観察した.
[結果]
I.直線部
椎 骨・ 脳底 動脈 ,内 頚動 脈では,数個から数十個の平滑筋細胞が集まり,束を形成し てい た. この 平滑 筋束 は血 管の長軸に対して,主に輪状に配列していたが,斜走・輪走
するも のも 多く 認め られ た.前大脳動脈と中大脳動脈の水平部では,平滑筋束の単位が 小さく なり ,末 梢に 行く にし たが って 不明 瞭と なっ た.Imm程度の末梢枝では,輪走す る平滑 筋細 胞と 斜走 する 平滑筋細胞が交互に認められ,平滑筋細胞の楔型の集団が組み 合わさ った よう な配 列を していた.直線部の平滑筋細胞は紐状をしており,表面は平滑 で,細 胞の 端は 様々 な形 態をしていた.動脈直線部の中膜平滑筋細胞を除去すると,表 面 平 滑 で 直 径10l.tm以 内 の 円 形 の 穴 を 多 数 有 す る 内 弾 性 板 が 認 め ら れ た . II.分岐部・合流部
2本 の分 枝に 挟ま れた 分岐 角の部 分の 平滑 筋は 密に 配列し,そこから分岐部の前壁・
後壁に 向か って 放射 状に 配列していた.また,前壁・後壁では,様々な幅の平滑筋束が 本幹と 分枝 を繋 ぎ止 める ように配列していた.分岐部・合流部の平滑筋細胞は紐状のも のの他 に, 様々 に分 岐し た複雑な形態をしたものも含まれていた.分岐角部の内弾性板 は線維状であり,前後方向に引き伸ばされた長径15J.1.m以下の楕円形の穴を有していた・
4例中2例に 分岐 部に 中膜 欠損 を認 めた .中 膜欠 損部 に向 かって 平滑 筋細 胞層 が徐 々に 薄くな り, 中央 部で は完 全に平滑筋細胞を失い,内弾性板が露出していた.中膜欠損部 の周囲 には テー プ状 で周 囲に 複雑 な突 起を 有す る平 滑筋 細胞を 認め た. 内弾 性板 には 15ym以下の楕円形の穴が存在した.
III.脳動脈瘤
脳動 脈瘤 の平 滑筋 細胞 は動脈瘤により内側から押し広げられたように配列していた.
また, 動脈 瘤壁 の平 滑筋 細胞 はテ ープ 状で ,中 膜の 欠損 部に向 かっ て配 列し てい た・
内弾性 板は 動脈 瘤頚 部で 急激に断裂していた.また,内弾性板の穴は動脈瘤頚部を取り 囲むように配歹lJし,長径が20Ltmを超えるものが多かった.クモ膜下出血症例では,親血 管の中膜平滑筋細胞表面に極めて深い皺が刻まれていた
[ 考察 ]
ヒト 頭蓋 底部 主幹 動脈 の中膜平滑筋細胞の立体構造を明らかにしたのは本研究が初め て であ る・
ヒト 頭蓋 底部 主幹 動脈 直線部では,従来の動物での報告と同様に輪走筋が主体である が ,斜 走筋 や縦 走筋 が多 く存在していることが大きな特徴であった.ヒトでは血管径が 大 きく ,血 管に 加わ る壁 剪断カや脈圧などによる様々な方向のストレスが小動物に比較 し て大 きく ,こ れら のス トレスに抗する構造,すなわち斜走筋や縦走筋が発達している も のと 思わ れる .末 梢枝 では平滑筋が楔型の細胞配列を示す点が特徴的であった.頭蓋 内 血管 壁は 中膜 と外 膜が 薄い事が解剖学的な特徴とされている.楔構造の組み合わさっ た 細 胞 配 列 は 歪 み 捻 れ に 対 し て の 補 強 に 役 立 っ て い る と 推 測 さ れ る ・ 流体 力学 的研 究は ,分 岐部の分岐角部に最も大きなストレスが加わり,その周囲では 流 線が 乱れ るこ とを 示し ている.分岐角部の密に配列した平滑筋はこのストレスに抗す る のに 有効 であ ろう .ま た,分岐部の前壁,後壁の平滑筋の複雑な配列は,多方向性に 加 わる スト レス から 血管 壁を防御するのに役立ち,平滑筋細胞が小束を作ることで,よ り 効果 的に 補強 をす るも のと考えられる.動脈瘤の発生母地と推測されている血管分岐 部 の中 膜欠 損部 およ びそ の周囲の立体構造を明らかにしたのも本研究が初めてである.
動脈 瘤発 生の 原因 とし て様々な仮説が提唱されている.即ち,胎生期脳血管網が成人 脳 血管 に移 行す る過 程で その数を減じ,最終的に消失する動脈幹の遺残から動脈瘤が発 生 する とぃ う 先天 説 .中膜の欠損部を脆弱部位と考え,さらにストレスによる内弾 性 板の 変性 が加 わっ て動 脈瘤が発生するという 中膜欠損説 .動脈硬化などによる内 弾 性板 の局 所的 な変 性が ,動脈瘤の発生に最も重要な因子であるとする 弾性板説 . 血 管壁 の病 的変 性よ りも 流体力学的ストレスの重要性を強調した 流体力学説 などで あ る. 脳動 脈瘤 の壁 やそ の周囲の平滑筋細胞の配列ヤおよび平滑筋細胞の形態は正常例 に 見ら れた 中膜 欠損 部と よく類似しており,動脈瘤を取り囲むような特別な平滑筋細胞 は 存在 せず , 先天 説 は考えられない.動脈瘤頚部の内弾性板は動脈瘤入口部で急激
に断裂・欠 損してお り,内弾 性板が動 脈瘤部で 失なわれ る際に,時間をかけてゆっくり と薄くなり 欠損する のではな いことを 示してい る.した がって, 弾性板説 も否定的 である.流 体力学的 ストレス が生理学 的要因で ある事は 否めないが,今回の観察結果か ら中膜欠損が動脈瘤の発生部位とな´ることは十分考えられる.クモ膜下出血例で認めた,
細胞表面の 極めて深 い皺はク モ膜下出 血による 平滑筋細 胞の攣縮像を表わしているので あろう.
以上より本 研究は, 脳血管の 病態生理 ,脳動脈 瘤の発生 を理解する上で非常に有用で あった.
学位論文審査の要旨
学 位 論 文 題 名
ヒ ト 頭蓋 内動 脈中 膜平 滑筋 の構 造―正常と異常―
走 査電 子顕 微鏡 によ る観 察
[序論] 中膜平滑 筋が動脈 瘤の発生 や、クモ 膜下出血後の脳血管攣縮などに関与し ているこ とが示唆 されてき た。これ らの成因 ,病態を理解するためには、頭蓋内動脈 の中膜平 滑筋の構 造や配列 に関する 詳細な知 識が必要である。しかし、血管の中膜平 滑筋は内 膜・外膜 の間に存 在し、し かも平滑 筋細胞そのものも基底膜や結合組織線維 成分に包 まれてい るため、 中膜平滑 筋構造を 直接観察することは長い間困難とされて きた。本 研究では 、選択的 結合組織 消化法の ーつ水酸化カリウム・コラゲネース法を 用いて、 ヒト頭蓋 底部主幹 動脈の膠 原線維成 分を消化除去し、中膜平滑筋細胞を走査 電子顕微 鏡で三次 元的に観 察した。
[対 象と方法 ]明らか な脳疾患 の既往を 有しない4剖 検例と、 クモ膜下 出血にて 死 亡し た1剖検例 から得た 脳血管を 対象とし た。リン酸 緩衝20/0グル タルアル デヒド液 (pH7.4)で浸漬固定した脳血管を、リン酸緩衝液で洗浄し、300/0水酸化カリウム水溶液 (60−65℃)に 約10分間浸 漬した。その後、血管標本をりン酸緩衝液で洗浄し、37℃の 0.1%コラゲネ ース溶液 に3〜5時間 浸漬した 。この標 本をりン酸緩衝液で良く洗浄した 後、走査 電子顕微 鏡の常法 に従い、 導電染色 ・脱水・乾 燥・微小解剖・金属コーテイ ングを行 い走査型 電子顕微 鏡で観察 した。
[結 果]直蘊 盤:椎骨 ・脳底・ 内頚動脈 では、平滑 筋細胞が 集まり、 束を形成してい た。 この平滑 筋束は主 に輪状に 配列して いたが、斜 走・輪走 するもの も多く認められ た。 前大脳動 脈と中大 脳動脈の 水平部で は、平滑筋 束の単位 が小さく なり、密に配列 して いた。中 膜平滑筋 細胞を除 去すると 、表面平滑で直径lOLtm以内の円形の穴を多数 有 す る内 弾 性 板が 認 めら れ た 。銓 岐 部: 金 流 部:2本 の 分枝 に 挟 まれ た 分岐 角の部 分で 平滑筋細 胞は密に 配列し、 そこから 前壁・後壁 に向かっ て放射状 に細胞を広げて いた 。前壁・ 後壁には ,本幹と 分枝を繋 ぎ止めるよ うに配列 した平滑 筋束が存在して いた 。分岐角 部の内弾 性板は線 維状であ り、前後方向に引き伸ばされた長径15Ltm以下 の 楕 円形 の 穴 を有 し てい た 。4例 中2例 の 分 岐部 に 中 膜欠 損 を、1例 に 未 破裂動 脈瘤 を認 めた。中 膜欠損部 に向かっ て平滑筋 細胞層が徐 々に薄く なり、中 央部では完全に 平滑 筋細胞を 失い、内 弾性板が 露出して いた。内弾 性板には15pm以下の楕円形の穴が 存 在 した 。 脳 動胝 瘤 :脳 動 脈 瘤の 平 滑筋 は 動脈 瘤の中膜 欠損部に 向かって徐 々に菲 薄化 していた 。動脈瘤 壁に平滑 筋が残存 する場合、 平滑筋は 内側から 押し広げられた
弘一 雄 浩邦 部沢 代 阿寺 田 授授 授 教教 教 査査 査 主副 副
よ うに配列 していた 。内弾性板 は動脈瘤 頚部で急 に断裂し ていた。内弾性板の穴は動 脈 瘤頚部を 取り囲む ように配列 し、長径 が20ymを超え るものが 多かった。クモ膜下出 ■
血 症 例 で は 、 親 血 管 の 中 膜 平 滑 筋 細 胞 表 面 に 極 め て 深 い 皺 が 刻 ま れ て い た 。 [考察 ]ヒト頭 蓋底部主幹 動脈の中 膜平滑筋 細胞の立 体構造を明らかにしたのは本研 究が初 めてであ る。直線部 では、従 来の動物 での報告 と同様に輪走筋が主体であるが、
斜走筋 や縦走筋 が多く存在 している ことが大 きな特徴 であった。壁の厚い中膜が効率良 く収縮 するため 、あるいは 縦方向の ストレス に抗する 構造、すなわち斜走筋や縦走筋が 発 達し て いる も の と思 わ れる 。流体 力学的研 究は、分 岐部の分 岐角部に 最も大きな ス トレス が加わり 、その周囲 では流線 が乱れる ことを示 している。分岐角部の密に配列し た平滑 筋はこの ストレスに 抗するの に有効で あろう。 また、分岐部の前壁・後壁の平滑 筋の複 雑な配列 は、多方向 性に加わ るストレ スから血 管壁を防御するのに役立ち,平滑 筋 細胞 が 小束 を 作 るこ と で, より効 果的に補 強をする ものと考 えられる 。動脈瘤発 生 の原因 として様 々な仮説が 提唱され ている。 即ち、動 脈幹の遺残から動脈瘤が発生する とぃう 先天説 。中膜の 欠損部を 脆弱部位 と考え、 さらに内弾性板の変性が加わって 動脈瘤 が発生す るとぃう 中膜欠損 説 。動 脈硬化に よる内弾性板の局所的な変性が、
動脈瘤 の発生に 最も重要な 因子であ るとする 弾性板 説 。血管壁の病的変性よりも流 体力学 的ストレ スの重要性 を強調し た 流体 力学説 などである。本研究では、動脈瘤 頚部を 取り囲む ような特別 な平滑筋 細胞は存 在せず, 先天説 は考えられない。動脈 瘤頚部 の内弾性 板は動脈瘤 入口部で 急に断裂 ・欠損し いる所見は、内弾性板が時間をか けてゆ っくりと 薄くなり欠 損するの ではない ことを示 しており 弾性板説 も否定的で ある。 脳動脈瘤 の壁やその 周囲の平 滑筋細胞 の配列は 正常例に見られた中膜欠損部とよ く類似 しており 、中膜欠損 説を支持 する所見 であった 。近年の研究から、流体力学的ス トレス が生理学 的要因であ ることは ほぼ確実 であり、 本研究の結果と会わせて、中膜欠 損部に 流体力学 的ストレス が加わっ て動脈瘤 が発生し たものと推察された。以上より、
本 研究 は 、脳 血 管 の病 態 生理 ・脳動 脈瘤の発 生を理解 する上で 非常に有 用であった 。