平成 23 年度修士論文
静電型イオン蓄積リングのための 冷却巨大分子イオン入射系の開発
およびレーザー合流実験
首都大学東京大学院 理工学研究科 物理学専攻 原子物理実験研究室
10879312 佐藤 智子
概要
静電型イオン蓄積リングは,孤立イオンを超高真空下で周回させることによ り,多原子分子イオンやクラスターイオン,生体分子イオンなどの非常に重い イオンの蓄積を実現した.実質的なイオン強度の増加と,秒オーダーにおよぶ 長時間蓄積可能という特徴を生かし,レーザーや電子,中性粒子ビームとの合 流による巨大分子イオンの分光・低速衝突実験,それに伴う遅延過程の寿命測 定などが可能である.生体分子などの巨大分子は膨大な数の振動の自由度を有 するため,孤立状態でも高い内部エネルギーをもつことが可能である.分子は その内部エネルギーに依存して構造や電子状態,反応過程などを大きく変化さ せる可能性があるため,内部エネルギーを制御した測定が重要である.本学 設置の静電型イオン蓄積リング( TMU E-ring )ではこれまでに,レーザー脱 離イオン化( LDI )法やスパッタ法によって生成した高温状態の巨大分子やク ラスターイオンを用いて,その冷却過程に着目した測定を行ってきた.しか し,これらのイオン源で生成した分子イオンは広い内部エネルギー分布を持つ ため,解析が困難であった.そこで現在,あらかじめ温度制御した巨大分子イ オンを蓄積リングに周回させるための新たなイオン入射システムを開発中で ある.
今回開発を行ったイオン入射システムでは,エレクトロスプレーイオン化
( ESI )法によりイオンを生成している. ESI 法では,大気中で生体分子やクラ スターなどの巨大分子イオンを,解離することなくソフトにイオン化すること が可能である.これを蓄積リングに導入することにより, LDI 法では得られな かった,基底状態付近での光吸収スペクトルの測定を行うことができると期待 される.装置は主に (1) 巨大分子を解離させずにイオン化できるエレクトロス プレーイオン源, (2) イオン輸送用の イオンガイド, (3) 四重極型質量選別器,
(4) イオンを一定時間蓄積し,内部温度を制御することが可能なイオントラッ
プ, (5) イオンを 15 keV に加速し蓄積リングへと入射するためのパルス加速
装置で構成される.
本研究では,まず,イオン源および上記のイオン入射システムの設計・製作
を行い,イオン生成のテスト実験を行った.これまでに,クラスターやタンパ
ク質を含む様々な巨大分子イオンの生成を確認している.色素分子であるメ
チレンブルー正イオン( MB + )のテストでは,数十個の水分子が付加したイ
オン( MB + (H 2 O) n )が観測された.ヒートキャピラリー温度の上昇と共に付
加水分子数は単調に減少し, 120 ◦ C で水和分子がほぼなくなるのを観測した.
3
質量スペクトルには主に 2 つの特徴が見られた. 1 つ目は,水和イオンのピー クは n = 4 以上でのみ観測され, n = 1-3 は極端に少ない. 2 つ目は, n = 24 で明らかなマジックピークが現れた.ここで (H 2 O) 20 クラスターは十二面 体構造を形成する良く知られたマジックナンバーである.これらの結果より,
MB + (H 2 O) 24 は構造的に安定な MB + (H 2 O) 4 に (H 2 O) 20 が付加した構造を 形成すると予想し,これと量子化学計算との比較を行った.
また,開発を行ったイオン入射システムを蓄積リングへと接続し, MB + の
室温でのレーザー合流実験を行った. ESI で生成した MB + を蓄積リングへ入
射し,蓄積リング内の直線部で波長可変レーザーと合流させ,光解離によって
生成される中性粒子を検出した.中性の解離生成物は,減衰しながらも数 10
周程度の間引き続いて観測され,ミリ秒オーダーの非常に遅い反応が誘起され
ていることが分かった.さらに,解離曲線は 2 成分の指数関数でフィッティン
グでき, 2 つの内部エネルギーの状態が生成されていることが分かった.中性
粒子強度のレーザーパワー依存性により,それぞれ, 1 光子吸収と 2 光子吸収
したものに対応していると考えられる.また,レーザー波長に依存した中性粒
子強度から励起スペクトル測定を行った. MALDI 法などで生成した MB + を
用いた過去の実験でも,水溶液中の MB + の吸収スペクトルからのシフトが観
測されていたが,今回の測定では,さらに短波長側へシフトした結果が得られ
た.これはイオン生成法による違いが反映されているものと考えられる.
5
目次
第 1 章 序論 7
1.1 静電型イオン蓄積リングについて . . . . 7
1.2 現在までに使用してきたイオン化法 . . . . 8
1.3 エレクトロスプレーイオン化( ESI )法の特性 . . . . 10
1.4 過去の研究 . . . . 12
第 2 章 実験装置 15 2.1 装置のセットアップとその開発の流れ . . . . 15
2.2 エレクトロスプレーイオン源の構成 . . . . 19
2.3 イオンガイド部の構成 . . . . 24
2.4 質量選別部の構成 . . . . 27
2.5 検出部の構成 . . . . 28
2.6 温度可変イオントラップ . . . . 30
2.7 差動排気部 . . . . 36
2.8 イオン加速部の構成 . . . . 37
2.9 静電型イオン蓄積リング( TMU E-ring ) . . . . 37
2.10 入射部レンズ系 . . . . 40
第 3 章 巨大分子イオンの生成テスト 43 3.1 ヨウ化セシウム: Cs + (CsI) n . . . . 43
3.2 水クラスターイオン: H 3 O + (H 2 O) n . . . . 44
3.3 メタノール . . . . 45
3.4 テトラフェニルポルフィリン . . . . 46
3.5 亜鉛ポルフィリン二量体 . . . . 48
3.6 インスリン . . . . 48
3.7 アルブミン . . . . 50
3.8 負イオンの測定 . . . . 53
第 4 章 水和メチレンブルーの生成と構造計算 61
4.1 質量スペクトル . . . . 61
4.2 水和イオン MB + (H 2 O) n の生成 . . . . 63
4.3 溶媒の変更 . . . . 65
4.4 水和メチレンブルーの構造計算 . . . . 70
4.5 メチレンブルー正イオンの解離エネルギーの計算 . . . . 76
4.6 メチレンブルー正イオンの励起エネルギーの計算 . . . . 76
第 5 章 蓄積リングでのレーザー分光および遅延過程の観測 79 5.1 周回イオン量の減衰について . . . . 79
5.2 レーザー誘起信号の測定 . . . . 80
5.3 中性粒子強度のレーザーパワー依存性 . . . . 82
5.4 2 光子吸収による解離過程の考察 . . . . 83
5.5 光励起スペクトル測定 . . . . 84
5.6 300 K におけるレーザー照射後の解離曲線の波長依存性 . . . . 86
第 6 章 まとめ 91
謝辞 93
参考文献 95
7
第 1 章
序論
1.1 静電型イオン蓄積リングについて
イオン蓄積リングは,高エネルギー荷電粒子を蓄積し,高エネルギー実験や核物理実験 のために利用することを目的として発展してきた [1] .これまで開発されてきたイオン蓄 積リングは,基本的に高エネルギー実験のための蓄積リングをモデルとしており,磁場 によってビームの偏向と収束を行っていた.磁場型リングでは,イオン軌道は √
mE/q (m :質量, E :エネルギー, q :価数 ) に支配されるため,イオンの質量が増すと蓄積が 難しく,低価数の重イオンを回すことができない.ところが磁場を使わずにすべてを静電 的に制御するイオン蓄積リングでは,イオン軌道は E/q に支配されるため,重いイオン,
すなわち多原子分子イオンやクラスターイオンの蓄積が実現した.またイオン蓄積リング の周回軌道の途中に直線部分を設けることにより,レーザー,電子,中性粒子との合流実 験が可能である.ここでは中性生成物あるいは価数の変化した生成物は周回イオンと同じ 速度を持って飛行するため,これを実験的に検出するのは容易である.主な特徴として,
(1) ビームが周回するため実質的ビーム強度が強い, (2) リング内は 10 − 9 Pa と超高真空 に保たれている, (3) 磁場型より小型化できるため,ヒステリシスのない再現性の良い装 置ができる,などが挙げられる.これより,様々な分子やクラスター,生体分子イオンの 分光や,電子や中性粒子などとの衝突におけるエネルギー微分衝突断面積を調べることが 可能となる.さらに,イオンの蓄積時間は数秒から数分に及ぶため,この領域での時間分 解測定に有利である.
現在稼働中の静電型イオン蓄積リングは本学の TMU E-ring を含め世界に 3 台存在す る.一つは, 1997 年にデンマークのオーフス大学で初めて建設された ELISA である.
ELISA ではすでに,多原子分子イオンの寿命測定や生体分子のレーザー分光など,多く
の先駆的な実験が行われている.オーフス大学に続いて,国内でも高エネルギー加速器研
究機構 (KEK) で静電型イオン蓄積リングが建設された [2] . KEK ではすでに,孤立系
DNA アニオンなどの生体分子イオンと電子の衝突実験や,多価負イオンと電子の衝突実 験に成功している. 3 台目となる TMU E-ring では,静電型イオン蓄積リングを液体窒 素温度にまで冷却できるのが特徴である.そのほかにも,理化学研究所,スウェーデン・
Manne-Siegbahn 研究所の DESIREE ,ドイツ・ Max-Planck 研究所,ドイツ・フランク フルト大学や重イオン研究所 (GSI) などでも開発計画が進んでおり,今後 10 年以内に 10 台近くの装置が登場する予定である.
1.2 現在までに使用してきたイオン化法
現在,試料をイオン化するため,多くのイオン化法が考案されている.試料を効率よく イオン化するには,試料の性質により,適当なイオン化法を選択する必要がある.これま
で, TMU E-ring にイオンを入射するため,様々な方法で試料のイオン化を行ってきた.
まずはじめに,現在までに使用してきたイオン化法の特性について説明を行う.
1.2.1 レーザー脱離イオン化( LDI )法
LDI 法では,試料に直接レーザーを当てることにより,試料に含まれる分子をイオン化 させることができる.しかし,この方法では,レーザーを当てることにより試料が高エネ ルギー状態に励起されるので,解離を起こしやすく,熱に不安定な有機物質などの試料の 測定には不向きであった.このような試料を解離せずにイオン化するには,イオン化にお いて試料分子に過剰なエネルギーが与えられることを防止する必要がある. LDI 法は,ク ラスターイオンの生成に適している.
1.2.2 マトリックス支援レーザー脱離イオン化( MALDI )法
LDI 法の問題点より,試料の有機物質にマトリックスと呼ばれる不揮発性物質を添加
する MALDI 法が考案された. MALDI 法では,高真空下で試料とマトリックスの混合物
にパルスレーザーを当てることにより,マトリックスを介して試料をソフトにイオン化さ
せることができる.そのため,マトリックスはレーザーの波長領域に吸収帯を持つものが
用いられる.試料に対して過剰のマトリックスを加えてイオン化することで,マトリック
スがレーザー光を吸収し,間接的に試料にエネルギーが供給されるので, LDI に比べて分
子イオンの内部エネルギーは相対的に低いと言われている.レーザーには主に,窒素レー
ザーや Nd:YAG レーザー( 3 倍波)などの紫外線レーザーが用いられるが, Nd:YAG レー
ザー(基本波)などの赤外線レーザーも使用可能である. MALDI 法では分子量が 100 万
程度までの分子についてのイオン化が可能である.
1.2 現在までに使用してきたイオン化法 9
1.2.3 Cs スパッタ法
Cs スパッタ法では,試料表面に加速したセシウム正イオンを衝突させることにより,
試料を構成する原子分子が固体表面からたたき出される(スパッタされる) .スパッタさ れた原子分子は大部分が電気的に中性であるが,一部はセシウムより電子を受け取り負イ オン化したものが含まれる . また,中性でスパッタされた試料の構成元素にさらにセシウ ムが衝突し,試料構成元素の負イオンが生成される.セシウムはアルカリ金属であるた め,イオン化エネルギーが小さく正イオンになりやすい.セシウムを加熱して蒸気化し,
加熱したコイル状のタングステンの表面に吹き付けることにより,セシウム正イオンを生 成する.試料は,生成量を最大にし,二次負イオンビームのエミッタンスを最小にするた め,コーン状にセットする.
1.2.4 電子衝撃型イオン化( EI )法
EI 法とは,標的ガスに電子を照射し,標的分子の電子を衝撃により弾くことにでイオ ンを生成する方法である.イオン化に用いる電子ビームは,抵抗加熱された金属線もしく はフィラメントからの熱電子放出により生成される. EI 法は,イオン源に導入された試 料がイオン化される確率が非常に小さく,導入された試料のほんのごく一部がイオン化さ れ,大部分の試料は真空ポンプによって排気されてしまう.しかし EI 法は,他のイオン 化法と比較して,イオン源からのイオンの引き出し効率,実験において観測する質量範 囲,分析部の透過効率において非常に高い感度を持つため,イオン化効率の低さが問題と なることは少ない.
1.2.5 デュオプラズマトロン型イオン化法
デュオプラズマトロン型イオン化法では,アーク放電により発生したプラズマが,陽極 に開いた小さな穴を通り,高電場によりプラズマからイオンを引っ張る.アーク放電は,
加熱されたフィラメント陰極と陽極表面の間で起き,軸方向磁場や陰極と陽極の間の電位
に保たれたプローブ電極またはグリッド電極より形成され,閉じ込められる.このイオン
化法は,水素やヘリウム,フッ素,酸素を含む様々な軽いイオンの生成に有効である.
1.3 エレクトロスプレーイオン化( ESI )法の特性 1.3.1 ESI 法の特徴
ESI 法では,大気中に噴霧した試料溶液の帯電液滴から溶媒が蒸発することにより,イ オンを生成する [3–5] .このイオン化法では,分子量 10 万程度以下で濃度 10 − 6 〜 10 − 3
mol/l 程度のイオン性試料の揮発性溶媒溶液の測定が可能である.反対にイオン化の原理
上,試料は溶液状態にしなければいけないので,溶解しにくい試料や,溶解したとしても その溶媒が ESI 法の測定に適していない場合などは,測定ができない.イオン化の過程 で解離を起こさないため,フラグメントイオンが生じず,生体分子などの巨大分子のイオ ン化に適している.また,測定に必要な試料量も数 pmol のオーダーなので,生体由来の 微量な試料に対しても大変有効である.
1.3.2 原理
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蒸発・細分化
Taylor
コーン++
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+
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+
++++
+
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++
++
++
+
++
図
1.1 ESI
法の模式図図 1.1 に示すように,高電圧が印加された針にシリンジポンプなどによって押し出され た試料溶液が流出すると,先端の強い電場のために先端部の液体中で正と負のイオン分離 が起こる.例えば先端に正の高電圧を印加した場合,先端の液滴表面に正イオンが集ま り,これらは電場により対極の質量分析側に向かって引きつけられ,液体が円錐状になる
(テイラーコーン) .そして細く伸びた末端からはるかに小さな液滴が連続的に射出される
ことで,対極に向かって細かな液滴ジェットの放出が始まる.通称液滴ジェット分裂と呼
ばれるこの現象は,フラッシュ顕微写真撮影でも確認されている.しかしこの帯電液滴
1.3 エレクトロスプレーイオン化( ESI )法の特性 11 ジェットは,最も大きな電荷密度を持つコーン先端から発生するので,非常に不安定であ るため,短時間内に微細な液滴に分裂する.これらの微細液滴は帯電しているため,クー ロン反発により空間的に広がり,微細な荷電粒子からなるスプレーが発生する.スプレー された正または負イオンを過剰に含む液滴から溶媒が気化すると,液滴表面の電荷密度が 次第に増加していく.静電反発力が表面張力よりも大きくなると,帯電液滴がより小さな サイズの液滴に分裂する.この現象が起きる点をレイリー極限といい,これに続いて液滴 がクーロン分裂(クーロン爆発)し,このような分裂過程が繰り返されることで,さらに 小さな液滴が生成するといわれている.
帯電液滴からイオン生成の過程として 2 つのモデルが提案されている.まず帯電残留モ デルは,連続的なクーロン分裂が起こった結果,最終的に 1 個の試料分子のみが含まれる 十分小さな液滴が生成し,これらの脱溶媒が起こって気相イオンが生成するというもので ある.この最終的な液滴中の電荷(プロトンなど)が試料分子に移行することによりイオ ン化する.またイオン蒸発モデルは,高度に帯電した微細液滴表面から直接気化するとい うものである.このようにして,試料溶液がイオンとして気相中に放出されると考えられ ている.
1.3.3 試料溶液の調製法
エレクトロスプレーイオン化法によって得られるイオンの質量スペクトルは,試料の調 製方法に大きく依存する.
まず試料を溶かす溶媒は,粘性が低く,試料分子との間でプロトン授受が容易なものが 良い.よく用いられる溶媒として,メタノールやアセトニトリル,水とメタノール混合 液,水とアセトニトリル混合液などがあり,有機溶媒の容積率が高いほうがうまくイオン 化できる.溶媒として水だけを用いると,高い表面張力のため溶媒の噴霧がうまくいかな いので,有機溶媒に溶けにくい試料の場合でも,最低 10 %程度の有機溶媒を入れる方が 良い.またイオン強度を高めるには,試料が塩基性物質の場合,プロトンをより多く付加 させるため試料溶液の 1 %以下程度の酢酸を加え,酸性物質の場合,酸性基からプロトン を解離させるため, 1 %以下程度のアンモニア水を加えると良い.
試料の濃度については,濃度があまり高い場合は装置内を汚染してしまったり,最適電
気伝導度を超えてしまい,試料が十分であるのにも関わらずピークが現れないこともあ
る.そのため,はじめは 1 〜 10 pmol/µl 程度の濃度で測定をするのが良い.ピークが強
すぎたり現われなかったりする場合は,適宜濃度を調整する必要がある.
1.4 過去の研究
1.4.1 イオントラップにより冷却された TyrH + の分光実験
T. R. Rizzo のグループにより,イオントラップ中で冷却されたプロトン付加したト
リプトファン( TrpH + )とチロシン( TyrH + )の電子スペクトルの測定が行われてい る [6, 7] .実験のセットアップを図 1.2 に示す.イオンはナノ ESI 法によって生成してお り,内径数 µm のスプレーニードルを使って試料を数十 nl/min でスプレーする.生成し たイオンはガラスキャピラリーを通過した後, RF 六重極トラップで 50 ms 蓄積する . パ ルスとして掃き出されたイオンは四重極型質量選別器によって目的のイオンのみを選別し た後, 6 K に冷却された 22-pole RF イオントラップで熱平衡になるまで 40 ms 蓄積す る.トラップ中に UV レーザーを照射後,掃き出したイオンバンチを質量選別すること で,特定の解離生成物の量を測定する.これを波数の関数でモニターすることによりスペ クトルを得ている.
図
1.2
実験セットアップ(参考文献[6]
より引用) 図
1.3
光解離電子スペクトル:(a)
室温のTyrH
+,(b)22-pole
イオントラップ中で冷 却したTyrH
+(参考文献[6]
より引用)図 1.3 に, m/z=136 u の解離シグナルをモニターすることにより得た TyrH + の電子
スペクトルを示す.図 1.3(a) は室温で測定を行ったもので,図 1.3(b) は 6 K のトラップ
で蓄積したイオンを観測したものである.冷却していない場合は,非常に幅の広いスペク
1.4 過去の研究 13 トルとなったが,冷却することにより,個々のピークの幅が 2.7 cm −1 のスペクトルが得 られている.それぞれのピークは回転バンドを表しているものだと思われる.明らかに ホットバンドがないことから,イオンの振動温度は ≤ 10 K と見積もられている.
1.4.2 亜鉛フタロシアニン負イオンの冷却過程における励起スペクトル
測定
これまでに,我々研究グループでは TMU E-ring を用いた,亜鉛フタロシアニン負イ オン( ZnPc − )の冷却過程に関する研究が行われている [8] . ZnPc の分子構造を図 1.4 に 示す. ZnPc は, π-π ∗ ( Q 帯および B 帯)の特徴的な吸収帯をもつ.
レーザー脱離イオン源により生成された ZnPc − は 15 keV に加速し,蓄積リングへと 入射した.周回イオンに波長可変レーザーを合流させることより生成した中性粒子を直線 部に設置された MCP で検出した.レーザーを照射するタイミングを変化させ,蓄積時間 の違いによる励起スペクトルの変化を観測した.
図
1.4 ZnPc
の分子構造図
1.5
蓄積時間24.7
,74.7
,174.7 ms
にお けるZnPc
− の励起スペクトルおよび273 K
におけるDMF/hydrazine
溶液中の吸収 スペクトル図 1.5 に,蓄積時間 24.7 , 74.7 , 174.7 ms における ZnPc − の励起スペクトルと, Stillman
らにより報告されている 273 K における DMF/hydrazine 溶液中の吸収スペクトルを示
す.いずれのスペクトルにも, 2 つの幅の広いピークが観測された.蓄積時間が長くなる
ごとに, 24.7 ms における ∼ 570 nm と 640 nm の 2 つのピークの幅が狭くなっていき,
585 nm に小さな構造が現れたことが観測できる.さらに, 2 つの大きなピークの強度比
が明らかに変化している.これは,輻射冷却により振動準位の占有率が変化していくため
だと考えられる.計算により,蓄積時間が 24.7 ms から 174.7 ms の間で,イオンの内部
エネルギーは ∼ 1.5 eV 程度減少していると見積もられる.励起スペクトルは吸収スペク
トルより ∼ 10 nm ( ∼ 50 meV) 程度短波長へとシフトしているが,これは溶媒和効果によ
るものだと考えられる.
15
第 2 章
実験装置
2.1 装置のセットアップとその開発の流れ
2.1.1 ESI および質量選別器のテスト
セラトロン
カウンター Preamp Amp Discriminaor エレクトロスプレー
イオン源
八重極イオンガイド
加熱 キャピラリー
レンズ
スキマー
シリンジポンプ 注射針
流量:〜 10 μl/min 濃度:5.0×10-4 mol/l
高電圧:2-5 kV 四重極型質量選別器
図
2.1
イオン生成テスト用セットアップイオン生成テスト用のセットアップを図 2.1 に示す.装置は主に, ESI イオン源 [9] , イオンガイド,質量選別器で構成される.質量選別したイオンを検出するため,四重極型 質量選別器の後ろにセラトロン検出器を設置した.セラトロンにより得られたシグナル は, PAD(Preamp Amp and Discriminater) により増幅・選別したものを,カウンター によって計数し, PC に取り込む. LabVIEW のプログラムにより解析を行うことで質量 スペクトルが得られる.
このセットアップで排気テストを行ったところ,質量選別器部の圧力は 3.4 × 10 − 2 Pa
となった.セラトロンの動作に要する真空度は 10 − 3 Pa 以下のオーダーであるため,さ
らなる差動排気が必要となる.安全のため,目標として 10 − 4 Pa のオーダーになるよう
対策 到達圧力 ( 質量選別器部 ) イオンガイド出口 → 内径を小さく 9.8 × 10 − 3 Pa イオンガイド外周 → 円筒を取り付け 7.1 × 10 − 3 Pa キャピラリー部 → ロータリーポンプを追加 1.9 × 10 −3 Pa イオンガイド出口の2つの穴 → ネジでふさぐ 1.6 × 10 − 3 Pa スキマー → 内径を絞る( ϕ1 →約 ϕ0.6 mm ) 1.1 × 10 − 3 Pa
表
2.1
差動排気対策の手順対策を行った.行った差動排気の手順を表 2.1 にリストアップした.
ここから,さらにヒートキャピラリーを加熱することにより真空のコンダクタンスが下 がり,質量選別器部の到達圧力は 7.0 × 10 − 4 Pa となった.追加したキャピラリー部の ロータリーポンプ(排気速度: 11.8 L/s )は,外しても影響が少ないので取り外した.以 上により,セラトロンを動かせる真空度に到達することができた.
2.1.2 簡易イオントラップによる入射テスト
レンズ パルス加速装置
TMU E-ring
プリイオントラップ 四重極型質量選別器 ESI
図
2.2
簡易イオントラップを用いた蓄積リングでの室温実験用セットアップ温度可変イオントラップを設置する前に,テストとして,図 2.2 のセットアップで蓄積 リングへと接続し,イオンの周回実験を行った.イオン強度を増加させるため,イオンを 一定時間蓄積してパルスとして取り出すことができるイオントラップを簡易的に設置し た.最終的には温度制御可能なイオントラップを設置する予定であったが,まずはテスト のため,一時的にイオンガイドにガスセル,出口レンズを取り付け,簡易的なプリイオン トラップを設置した. (図 2.3 , 2.4 )ガスセルには 1/16 パイプが取り付けてあり,パイ プを通じてバッファーガスを送り込むことができる.この際,イオンガイドに取り付けて あった差動排気部品はすべて取り外した.
また,イオンをリングへと加速して入射するため,パルス加速装置を設置した.四重極
2.1 装置のセットアップとその開発の流れ 17
図
2.3
ガスセル図
2.4
出口レンズ(チャンバー内側より)型質量選別器とパルス加速装置の配線の都合上, 2 つのチャンバーを直接接続することが 不可能なため,間にチューブ状の電極とアインツェルレンズを設置した.このレンズの設 計のため,イオンの軌道計算を行うことができる SIMION プログラムによるシミュレー ションを行った.シミュレーションの結果を図 2.5 に示す.
-50 V -50 V
-5 V
-100 V
-100 V
-100 V -12 V
-30 V
図
2.5 Qmass-
レンズ-
パルス加速装置間のSIMION
によるシミュレーション結果2.1.3 室温イオントラップの設置
次に,温度可変イオントラップの開発を行い,四重極型質量選別器の下流側に設置し
た.これにより,質量選別された目的のイオンのみを効率よくトラップすることが可能
である.装置のセットアップを図 2.6 に示す.冷凍機を設置する前に,温度可変イオント
ラップのテストとしてダミーの支持部品を取り付け,室温での実験を行った.その際,ガ
スセルにイオンがトラップされるのに必要な圧力( 2 × 10 − 2 Pa )の He ガスを導入する
と,蓄積リングの上流の入射部の時点で 2.5 × 10 − 7 Pa と圧力が悪くなりすぎるため,蓄
TMU E-Ring イオンガイド Q-mass
パルス加速装置 ESI
イオン ガイド
ダミーの支持部品
イオン ガイド
室温 イオントラップ
He gas
図
2.6
蓄積リングでの室温実験用セットアップ積リングで実験を行うことが出来なかった.そこで,バッファーガスを Ar ガスに変更し たところ,入射部で 9.3 × 10 − 8 Pa ,蓄積リング内で 4.2 × 10 − 8 Pa となったので,今回は Ar ガスを用いて実験を行った.
TMU E-Ring パルス加速装置 イオン
ガイド イオン
ガイド
4K 冷凍機
He gas ESI イオンガイド Q-mass
温度可変 イオントラップ
図
2.7
蓄積リングでの冷却実験用セットアップ2.1.4 4K 冷凍機の設置
ダミー部品を取り外して 4K 冷凍機を設置し,図 2.7 のセットアップで蓄積リングの
実験を行った.また,蓄積リング内の真空の悪化を防ぐため,差動排気用のチャンバー
と部品を追加した.これにより,バッファーガスとして He ガスを用い,イオントラップ
部に 2 × 10 − 2 Pa までガスを導入したところ,入射部で .7.6 × 10 − 8 Pa ,蓄積リング内で
2.2 エレクトロスプレーイオン源の構成 19
Setup HC 部 OPIG 部 Qmass 部 IonTrap 部 差動排気部 PS 部
図 2.1 RP : 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s
TMP : 810 L/s 350 L/s
図 2.2 RP : 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s L/s
TMP : 810 L/s 350 L/s 350 L/s
図 2.6 RP : 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s 11.8 L/s L/s
TMP : 500 L/s 350 L/s 1400 L/s 350 L/s
図 2.7 RP : 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s ∗ 8.9 L/s 11.8 L/s ⋆ L/s ⋆ L/s
TMP : 500 L/s 350 L/s 500 L/s 300 L/s 350 L/s
表
2.2
各セットアップにおいて使用したポンプの排気速度(HC :
ヒートキャピラリー)4.6 × 10 − 8 Pa となった.
各セットアップにおいて使用した真空ポンプの排気速度を表 2.2 に示す.
2.2 エレクトロスプレーイオン源の構成
2.2.1 シリンジ部分の構成
シリンジ中の溶液を針に一定流量で送り出すため,シリンジポンプ( kd Scientific 社,
KDS200 )を用いた.このシリンジポンプは,シリンジの長さ,体積を設定することで,
流量を細かく指定することができる.今回の実験では,容量が 2.5 ml のガラス製のシリ
ンジ( Hamilton 社, 1002RN 標準型)を使用した.以前まではポリプロピレン製のテル
モシリンジ( TERUMO 社)のシリンジを使用していたが,試料溶液に影響を及ぼす恐れ があるため変更した.
シリンジと針をつなぐチューブは,試料の影響を受けないよう,耐薬品性の PEEK 樹
脂製のチューブ( PEEK TUBING, 1/16”OD, 0.015”ID, Gray )を使用した.シリンジ
には交換可能な専用の針が接続されており,このままでは 1/16”OD 用のユニオンを通じ
て PEEK チューブを接続するのは困難である.針の外径を 1/16” にするため,短く切っ
た PEEK チュープに針を差し込み, PEEK チューブが外れないように熱収縮チューブを
付け,ユニオンに取り付けた.
2.2.2 針部分の構成
シリンジからチューブを通り送られてきた試料溶液は,高電圧を印加した金属の細い管
(針)を通過する.今回の実験では,試料溶液を ESI に送り込むための細い管として, 3 種類の針を使用した.それぞれの特徴を以下に示す.
(1) TERUMO27G ( TERUMO ,内径: 220 µm , 長さ: 27 mm )
内径が大きく先端がとがっているため,針とヒートキャピラリー間での放電が起きやす い.必要に応じ,先端を削って使用した.
(2) µMetalTip (栄商金属,内径: 30 µm , 長さ: 50 mm )
TERUMO27 Gと比べ,内径が非常に小さいため,試料溶液が少量で済み,非常に細かい
液滴が生成される.また先端が細いため,針とヒートキャピラリー間での放電が起きにく い.ただ,内径が小さいために針がつまりやすい.
( 3 ) PicoTip Emitters ( NEW OBJECTIVE ,内径: 50 ± 5 µm, 長さ: 35 mm )
TERUMO27G (TERUMO
製)
内径 30 μm 内径 30 μm
(外径 400 μm) (外径 300 μm)
μMetaiTip
(栄商金属)
内径 50 μm
(外径 320 μm)
PicoTip
(New Objective)
図
2.8
針の比較2.2.3 針のセットアップ方法
針のセットアップ方法を図 2.9 に示す.電圧がかけられるように導電性のユニオンを使 用し, PEEK チューブと接続する.図は µMetalTip のセットアップを示したものだが,
針の種類により外径が異なるため,適当なフェラルを選択する必要がある.適当なフェラ ルがない場合は,針とフェラルの間に PEEK チューブを挟んで調整した.
シリンジから送られてきた試料溶液を帯電させるために,針に高電圧を印加する必要が ある.電源からのケーブルにはワニ口クリップを取り付けており,針を取り付けたユニオ ンをネジで抑え,ネジをワニ口クリップで挟むことにより高電圧を印加している.
針への印加電圧は最大 5 kV と非常に高電圧であるため,数 mm 間隔で設置されている
針とキャピラリーの間で放電が起こり,電源が破損する危険性がある.これを防ぐため,
2.2 エレクトロスプレーイオン源の構成 21 ワニ口クリップと電源の間に 5 MΩ (途中より 10 MΩ に変更)の抵抗を接続した.これ により,針とキャピラリーの間で放電が起きても抵抗により電圧降下が起こるため,電源 の破損を防ぐことができる.
図
2.9 µMetalTip
のセットアップ2.2.4 試料溶液の入射方向
はじめ,試料溶液はヒートキャピラリーに対して平行に入射していたが,この方法だと イオンと同時に溶媒も真空層内に入ってしまうため,真空層内を汚染してしまう危険性が ある.実際,ヒートキャピラリーは詰まりやすく,頻繁にヒートキャピラリーの超音波洗 浄が必要であった.そこで試料溶液の入射方向を可動にするため,針を XYZ ステージに セットした.ヒートキャピラリーに対して試料溶液を斜めに噴霧することにより,電荷を もつイオンのみを電場によってキャピラリー方向に引っ張り,電荷をもたない溶媒は引っ 張られることなく直進し,真空層内に直接入らないようにした.
2.2.5 ネブライザーガスの導入
イオン生成の際に溶媒の蒸発を促進させるため,ネプライザ―ガスを導入する.ガスは
不活性である窒素ガスを使用する.方法として,試料溶液を囲むようにし,スプレーと同
じ方向に導入する気流支援型を採用した.気流支援により,より大きな液流量に対応で
注射針 加熱キャピラリー 試料溶液
溶媒
イオン
斜め入射 直線入射
図
2.10
試料溶液の入射方向き,溶媒の表面張力の軽減が期待できる.窒素ガスの導入針のセットアップを図 2.11 に 示す.ユニオンの出口方向のネジ穴に先端を少し細く削った 1/16 パイプを叩き込んだ.
またそのネジに, 1.5 mm の穴を開け,窒素ガスを導入するための PEEK チューブを差 し込んだ.この方法は,どの針の種類の場合にも有効であるが,針の種類によって適当な ユニオンとフェラルを選択する必要がある.
1/16
パイプFerrule
for 1/16” OD tubing PEEK TUBING, 1/16” OD
(1565, 0.015” ID)
μMetalTip TERUMO27G N
2ガスю
PEEK TUBING, 1/16” OD (1532, 0.020” ID)
試料溶液
⇒
Ferrule for 360μOD tubing for 1/16 OD tubing STANDARD STAINLESS STEEL ZDV UNIONS
(U-435, Thru-hole 0.010” , U-402, Thru-hole 0.020” )
図
2.11
窒素ガス導入針のセットアップ方法2.2.6 ヒートキャピラリー部分の構成
針に高電圧を印加することによりスプレーされたイオンは,電気的反発により液滴が細 分化され,さらに蒸発により液滴中の溶液が細分化される.蒸発を促進させるため,窒素 ガスの導入および加熱を行った.
ヒートキャピラリーは, ThermoFisher 社の LCQ と呼ばれる質量分析計の ESI 部に使
2.2 エレクトロスプレーイオン源の構成 23 用されているものを使用した.このヒートキャピラリーは,長さ 114 mm, 外径 ϕ8 mm, 内径 ϕ0.25 mm で,内部にヒーターが設置されている.またヒーターの温度は白金測温抵 抗体でモニターできるようになっている.キャピラリー温度を制御することにより,キャ ピラリー内部を透過中の液滴の脱溶媒の速度を変化させることができる.ヒートキャピラ リーから出たイオンはレンズ電極を通り,次にスキマーを通過する.その際,スキマーの 中心がイオンの軌道と同一直線状にあると,イオンは効率よくスキマーを通過することが できない.キャピラリーから抜けてきたガスが直接入らないようにするため,ヒートキャ ピラリーの出口に中心をずらすためのスペーサーを取り付けた.
図
2.12 Thermo Fisher
社ヒートキャピラリー図
2.13
中心をずらすためのスペーサー2.2.7 レンズ部分の構成
ヒートキャピラリーを通過したイオンを収束させるため,円筒型のアインツェルレンズ を設置した.レンズ(外径 ϕ16 mm, 内径 ϕ8 mm, 長さ 9 mm )はステンレスでできてお り,レンズ部分と電極部分以外は,絶縁のため,アルマイト加工を施してある.これによ り,別に絶縁のための部品を用意する必要がなく,直接,真空チャンバー内壁に設置する ことができる.
2.2.8 スキマー部分の構成
レンズを通過したイオンを低真空部から高真空部へと輸送するために,スキマーを取り
付けた.スキマーは直径 ϕ58 mm の円盤型をしており,中心には直径 ϕ1.0 mm の穴が空
図
2.14
アインツェルレンズいている.この部品を低真空部と高真空部の間に設置すると,圧力差の流れにより,イオ ンが中心の穴を通過する.中心の穴は後に,差動排気のため改良し,約 ϕ0.6 mm にまで 絞った. (図 2.16, 図 2.17 )
途中,イオン量増加のために,スキマーに電圧を印加できるよう改良を行ったが,イオ ン量に大きな変化は見られなかったため,接地している.
図
2.15
スキマー(改良前)2.3 イオンガイド部の構成
イオンガイドは,入射した低速のイオンビームを損失なく輸送する役割を持つ. ESI イ オン源と四重極型質量選別器の間で差動排気を行うため設置したイオンガイドは,八極型
で,長さ 235 mm ,直径 3 mm のステンレス製のロッドを円周上に等間隔に並べたもの
2.3 イオンガイド部の構成 25
図
2.16
スキマー改良前(ϕ1.0 mm
) 図2.17
スキマー改良後(約ϕ0.6 mm
)である.このロッドに交互に正負の異なる高周波交流電圧をかけることにより,イオンを 輸送することができる.ロッドは外側に取り付けられた絶縁の支持部品にネジで固定して いる.
図
2.18
イオンガイド中心 図2.19
イオンガイド全体図チャンバーに設置する際,イオンガイドの入射側は, ESI 出射側のフランジに固定し た.またイオンガイドの出射側はチャンバーに台座を取り付け,その中心に空いた穴には め込み固定した.チャンバーに電流導入端子を取り付け,イオンガイド中心の電極コネク タと接続した.
2.3.1 RF 発振回路
イオンガイドの制御を行うための RF 発振回路として, R. M. Jones らが報告している
回路 [10, 11] を採用した. (図 2.20 , 2.20 )大きな分子量のイオンを観測するため,動作周
波数を小さくする必要があるので, C tune に並列にコンデンサを追加し,配線は,できる
だけ太く短く左右対称に行った.回路図および用いた部品を図 2.22 ,表 2.3 に示す.
図
2.20
全体図1
図2.21
全体図2
DC FLOAT VOLTAGE INPUT
RF OUTPUT
HIGH VOLTAGE INPUT
6.3V VAC/2A FILAMENT VOLTAGE
Ctune
Ltank
6146B 6146B
L1
L1 C1
C1 C2 C2
C4
L2
C3 R1 R1
R2 R2
C5 C5
図
2.22 RF
発振回路図RF の動作周波数は可変コンデンサ C tune で決定される.テスト実験より動作周波数を
下げることによってイオンのカウント数が増加することが分かったので,もとの回路に
C 4 を加えることにより動作周波数を低下させた.
2.4 質量選別部の構成 27
記号 値 型
C 1 100 pF at 1 kV disc ceramic C 2 100 pF at 1 kV disc ceramic C 3 1000 pF at 3 kV disc ceramic C 4 220 pF at 6 kV disc ceramic C 5 390 pF at 500 V mica
C tune maximum variable condenser R 1 25 kΩ 25 W wire wound
R 2 33 kΩ (carbon)
L 1 2.4 mH , 2 A rf choke L 2 2.5 mH , 0.4 A rf choke
L tank hand wound
表
2.3 RF
発振回路に用いた部品イオントラップ用 RF 発振回路
同様に,節 2.6 で説明する温度可変イオントラップに用いる八重極イオンガイドの制 御のため, RF 発振回路の製作を行った.回路図および用いた部品を図 2.23 ,表 2.4 に 示す. 3 組の八重極イオンガイドへ異なる DC FLOAT VOLTAGE を印加するため,
OSCILLATOR 部からの出力を 3 つに分岐し,それぞれ異なる OUTPUT CIRCUIT へ と接続した.動作テストを行ったところ, 300 V を印加することにより約 1.1 MHz で発 振した.
2.4 質量選別部の構成
質量選別器として四重極型質量選別器( Extrel, 150QC )を用いた.四重極型質量選別 器は 4 本のロッドが円周上に等間隔に並んでいる構造をもつ.このロッドに交互に正負 の異なる直流電圧と高周波交流電圧をかけることにより,電圧,周波数に応じ安定な振動 をした特定の質量電荷比を持つイオンを取り出すことができる.この四重極型質量選別器 は,最大で分子量 9000 u までのイオンを選別できることが特徴である.
この四重極型質量選別器をチャンバーに取り付けるため,支持部品の製作を行った.本
体は電気的に浮かせるため,本体と周りを囲むアルミ製のリングの間にテフロンをはさ
み,テフロンを外側からネジで押し込むことにより本体を固定した.四重極型質量選別器
DC FLOAT VOLTAGE INPUT
RF OUTPUT
HIGH VOLTAGE INPUT
6.3V VAC/2A FILAMENT VOLTAGE
L
tank6146B 6146B
L
1L
1C
1C
1C
2C
2L
2C
3R
1R
1R
2R
2C
4C
4C
5C
5C
3OSCILLATOR OUTPUT CIRCUIT
図
2.23
イオントラップ用RF
発振回路図.OSCILLATOR
部からの出力を3
つに 分岐し,それぞれ異なるOUTPUT CIRCUIT
へと接続.の運転は, DAQ ボードからの電圧出力信号を用いて付属電源を制御して行った.また,
そのソフトウェアは LabVIEW を用いて作成した( 2.25 ) .
2.5 検出部の構成
セラトロンは,セラミック半導体でつくられた二次電子増倍管であり,真空中内で電子
やイオンを高感度・低雑音で検出することができる.セラトロンを T 型ニップルへ取り
付ける際,イオンの検出効率を上げるため,イオンビームをセラトロンの中心から少しず
れた位置にあたるように設置した.その際,既存のセラトロンはセラミックの台上に設置
されているのだが,そのまま取り付けるとすると,中心がイオンビームの中心と大きくず
れてしまうため,セラトロンを付属の台に対して逆向きに設置した.図 2.26 , 2.27 にセ
ラトロンの正イオン用および負イオン用の配線図を示す.セラトロンにより得られたシグ
2.5 検出部の構成 29
記号 値 型
C 1 10 nF at 1 kV disc ceramic C 2 1000 pF at 3 kV disc ceramic C 3 10 nF at 1 kV disc ceramic C 4 100 pF at 2 kV disc ceramic C 5 2200 pF at 6 kV disc ceramic R 1 25 kΩ, 25 W wire wound R 2 56 kΩ, 1/2 W carbon L 1 2.5 mH , 0.4 A rf choke L 2 5.6 mH , 0.25 A rf choke
L tank hand wound
表
2.4
イオントラップ用RF
発振回路に用いた部品図
2.24
四重極型質量選別器ナルは, PAD(Preamp Amp and Discriminater) により増幅・選別したものを,カウン ターボードによって計数し, PC に取り込む. LabVIEW のプログラムにより解析を行う ことで質量スペクトルが得られる.
長期の使用によりセラトロンの利得が下がった際,純水で 30 分間超音波洗浄を行い乾
燥したところ,利得が復活した.しかし洗浄することにより,汚染が全体に拡がり,か
えって悪くなるなることもあるため,注意が必要である.
1 MΩ 33 KΩ 四重極型質量選別器 セラトロン
PCI-6602
カウンターボードPreamp Amp Discriminat
or
PCI-6229
カウントDAQボード
1 mV = 1 u 9 V = 9000 u
( )
制御 四重極型質量選別器
コントローラ
DC + RF
dM dRes pole bias mass command bias readback
図
2.25
四重極型質量選別器の制御方法PAD
カウンタースコープオシロ
33 kΩ
1MΩ -2〜 -4 kV
図
2.26
正イオン用回路図PAD
カウンタースコープオシロ
100 kΩ
1MΩ
1kV
2200pF
5kV
図
2.27
負イオン用回路図2.6 温度可変イオントラップ
あらかじめ十分に内部エネルギーを下げた巨大分子イオンをリングに入射するため,温
度制御可能なイオントラップの開発を行った.低温分子イオンに波長可変レーザー光を入
2.6 温度可変イオントラップ 31 射することにより,任意の内部エネルギーに励起された分子イオンをイオン蓄積リング内 に生成でき,内部エネルギーと崩壊寿命の相関という最も基本的な情報を定量的に得るこ とが期待できる.また,四重極質量選別器の下流に設置することにより,蓄積後に質量選 別器の透過によって目的のイオンを損失することが避けられる.水和分子イオンのよう に,生成されるイオン全体の中でマイナーな成分のイオン種を他のイオン種と同時に蓄積 してしまうと,目的のイオンの蓄積量は大きく抑制されてしまう.質量選別後にトラップ することにより,そのような問題は解決される.
5 連の八重極型イオンガイドを制御するため製作を行った RF 発振回路の説明は
2.3.1 節に示したとおりである.それぞれの八重極イオンガイドへ異なる DC FLOAT
VOLTAGE を印加するため, OSCILLATOR 部からの出力を 3 つに分岐し,それぞれ異
なる OUTPUT CIRCUIT へと接続した.現在は上流部より 1 つ目と 2 つ目を 1 セット,
また 4 つ目と 5 つ目を1セットとして,それぞれ同じ RF を印加している.
図
2.28
温度可変イオントラップpotential
図
2.29
イオントラップ模式図今回,開発を行ったイオントラップの構成を図 2.28 に示す.イオン輸送部は 5 連の八 重極型イオンガイドで構成されており,上流より 3 番目のイオンガイドの両端に内径 9 mm のリング状電極を設置し,イオンの蓄積・掃き出しを行うことができる.真空が悪 くなるのを避けるため,バッファーガスはパルスバルブ(オリフィス径 0.79mm, Parker
Hannifin )を用いてパルス的にガスセルへと導入した.パルスバルブを動作させるための
ドライバーの回路図を図 2.30 に示す.可変抵抗によりガスの導入時間を制御することが
できる.
SN74LS221N SN7433N V
cc16 7 6
2C
ext2R
ext/C
ext2Q
52B
11
2CLR Pulse IN
102A GND
89
180Ω
1kΩ
6
GND
72A
2B
5
V
cc 14V
cc2
1A
3 4
2B 620Ω 2Y
1Y
11Ω
2SD822 C1505
HV IN
OUT
10μF
図
2.30
パルスバルブドライバーの回路図ガスセルは 4 K 以下まで冷却が可能な GM 冷凍機(住友重機械工業株式会社, RDK-
408D2 )の先端に載せた.冷凍機とトラップの間にはヒーターも内蔵し, 10 〜 100K 程度
の範囲で自由にトラップ温度を変化させることができる.イオントラップには He バッ ファーガスを導入し,このガスとの多重衝突を通じて,蓄積イオンの内部温度をトラップ 壁面と同じ温度まで熱平衡化させる.一定時間蓄積した後,イオンをバンチとして取り 出す.
2.6.1 スイッチング回路
イオントラップからイオンをパルスとして取り出すためには,出口レンズのポテンシャ ルを周期的に上下させる必要がある.出口レンズに周期的に電圧を印加するため,スイッ チング回路の製作を行った(図 2.31-2.33 ) .動作テストを行ったところ,出力パルスは立 ち下がりが約 80 ns ,立ち下がりが約 5 µs となった(図 2.34 ) . V H はアース, V L には 20 V 印加し, TTL IN には 10 Hz , 20 µ のパルスを入力した.
2.6.2 ガス圧依存性
2.6.3 トラップイオン量の見積もり
イオントラップから掃き出したイオン量を見積もるため,イオントラップ下流側に簡易
的はファラデープレートを設置し,電流アンプ( 1211 Current Preamplifer, ITHACO )
を用いてイオンの電流を電圧に変換し,出力波形をオシロスコープ( USB5133 )で観測
した.イオンを効率よく収集するために,電池を用いてファラデープレートに -18 V 印加
した.
2.6 温度可変イオントラップ 33
AC 100 V YS 505A FG
V +
V -
V
H300 Ω 10 kΩ
6N137
2 3
7 8
6 5 TTL IN
0 5
0.03 μF
3.3 kΩ
3.3 kΩ COSEL
V
LV
LV
L+ 5 V
2SC1815 OUTPUT
V
HV
L図
2.31
スイッチング回路の回路図図
2.32
回路写真1
図2.33
回路写真2
イオンラップ出口電極に印加しているパルス電圧の印加タイミングを変化させることに より,イオンの充填時間を変化させた.イオンの掃き出し時間は 40 µs とした.その結果 を図 2.35 に示す.イオンの充填時間を長くすることによりトラップイオン量は増加し,
10 秒で最大値まで到達することが分かった.このとき,イオントラップ内には約 10 8 個 のイオンが蓄積されていると見積もることができた.イオントラップを設置する以前は,
イオン量が少なくファラデープレートでは観測できなかったため,セラトロンを用いて増 幅したものを観測していた.セラトロンの増幅率をきちんと見積もることが困難なため,
イオントラップ設置前後の定量的なイオン量の比較はできない.
図
2.34
上:入力パルス,下:出力パルス-8 -6 -4 -2 0
voltage / V
1.6x10
-31.4
1.2 1.0
0.8 0.6
0.4
time / s
10
-8A/V
0.1 秒 0.125 秒 0.167 秒 0.25 秒 0.5 秒 1 秒 2 秒
20 秒 10 秒
図
2.35
蓄積時間依存性2.6.4 イオンバンチ幅の見積もり
イオントラップから掃き出されたイオンは,ポテンシャルスイッチを通過する際に 10
µs のパルス幅に切りだされてしまうため,できるだけ細いバンチにする必要がある.ト
ラップイオンの掃き出し時間を変化させることによりバンチ幅を見積もった.測定方法は
トラップイオン量の見積もりの場合と同様である.イオンの充填時間は 10 秒とした.
2.6 温度可変イオントラップ 35
voltage / V
time / s
10
-8A/V -5
-4 -3 -2 -1 0
2.0x10
-31.8
1.6 1.4
1.2 1.0
0.8 0.6
0.4
1 ms 800 us 600 us 400 us 200 us 100 us 80 us 50 us 30 us 10 us
図
2.36
掃き出し時間依存性トラップイオン量の掃き出し時間依存性を図 2.36 に示す.掃き出し時間を短くしてい くとバンチ幅が短くなっていき, 80 µs 付近から最初に立ち上がるピークの値も減少して いくことがわかった.これは掃き出し時間がパルス幅よりも短くなってしまったことで,
イオンが掃き出しきれなかったためである.これより,掃き出しイオンの最初に立ち上が る鋭いパルスの幅は約 80 µs と見積もることができる.
また,イオントラップ出口レンズの掃き出しのタイミングと同時に入口のレンズにもパ ルス的にイオンを押し出す電圧を印加することにより,パルス幅が狭くなると考え,パル ススイッチを別にもう1つ製作した.結果として,電圧やタイミングをいろいろと変化さ せてみたが,パルス幅はほぼ変化しなかったため,入口レンズのパルススイッチは取り外 した.
2.6.5 イオントラップの冷却テスト
He 温度まで冷却されるトラップ本体には Si ダイオードの温度センサー( LakeShore
社, DT-670-CU ) ,約 70 K の第 1 ステージに接続された熱シールドにはクロメル・アル
メルの熱電対を取り付け,温度をモニターした.温度センサーの配線の色は, I+ ( Clear ) ,
I- ( Red ) , V+ ( Black ) , V- ( Green )に対応している. Si ダイオードの出力は専用のコ
ントローラで温度としてみることができ,付属の CD に記録されている固有のカーブを用
いて較正を行った.また,温度センサーのコントローラのアナログ出力と熱電対の電圧は
DAQ ( National Instruments, USB-6008 )を用いて PC に取り込み,モニターした.ソ フトウェアは LabVIEW で製作した.
イオントラップ単体で冷却テストを行ったところ,冷却開始より 1 時間半程度で 1st Stage では 70 K 程度, 2nd Stage では 3.8 K 程度まで冷却することができた. (図 2.37 ) 冷凍機稼働後,真空度は次第に上昇していき,その後は減少していった.その際,真空度 が急激に減少する部分が 2 箇所あった.これは,窒素などの成分が凝固点に達し,凍っ たためだと考えられる.また,冷凍機停止後,室温に戻るまでには3日程度かかった(図 2.38 ) .
300
250
200
150
100
50
0
te m pe rat ur e / K
150 100
50 0
time / min
20x10
-615
10
5
0
pr e ssur e / Pa
1st Stage 2nd Stage Pressure
図
2.37
冷却過程また,ガスセルに He ガスを導入することで温度は徐々に上昇していき, 2 × 10 − 2 Pa で 2nd Stage の温度は 5.4 K 程度まで上昇した(図 2.39 ) .
2.7 差動排気部
イオントラップへの He ガス導入により,蓄積リングの真空度が悪くなるのを避けるた
め,差動排気用のチャンバーと部品を追加した(図 2.40 ) .イオントラップの上流側より
5 番目のイオンガイドを長くし,イオンガイドの外径からチャンバーの内径ぎりぎりに差
動排気壁を設置した(図 2.41 ) .これにより,蓄積リングの真空度の悪化を防ぎ,残留ガ
スとの衝突による中性粒子のシグナルを減らすことができる.
2.8 イオン加速部の構成 37
300 250 200 150 100 50 0
70 60
50 40
30 20
10 0
20
15
10
5
0
1st Stage 2nd Stage Pressure
te m pe rat ur e / K
time / h
pr e ssur e / Pa
25x10
-5図