<実践研究>
アクティブラーニング型授業の実践とデザイン
―個人レベルの学びと集団レベルの学び、リーダーシップの涵養―
飯塚 理子
1 はじめに
中原淳研究室(東京大学・大学総合教育研究センター)と日本教育イノベーションセンターが 立ち上げた「マナビラボ」から、授業見学と取材のお話を頂いたのは 2016 年の夏であった。その 際見ていただいた授業は『大鏡』の「花山天皇の出家」という単元で、この授業は『ひとはもと もとアクティブ・ラーナー!未来を育てる高校の授業づくり』(北大路書房、2017 年 3 月刊)の第 1 章において非常に細かな分析を賜った。そしてこれを読んで下さった竹内先生からもお話を頂 き、本稿の執筆に至っている。
教員になって 4 年が経過する。所謂アクティブラーニング型授業の実践を開始したのは 3 年程 前になる。最初の 1 年が終わる頃、「体育祭や文化祭では生徒たちに自主性を求めるのに、授業で は求めないのか?」という非常に素朴な疑問を抱いていた私に、同僚の先生が教え導いてくれた 概念が「アクティブラーニング」だった。当初は表層的にしか理解しておらず、実際に小林昭文 氏の実践をコピーしたような授業をしたら全くもってうまくいかず、二度とやってたまるかと卑 屈になったのはもう笑い話である。しかしそれをきっかけに様々な人に出会い、研究を重ね、実 践を繰り返す中で、私の授業デザインの骨子が漸く見えてきたのだった。
アクティブラーニングという「新しい授業方法」は高校教育界に様々な議論をもたらしている ようだが、私は「新しい授業方法」ではなく、「今までの当たり前を見直すムーブメント」だと捉 えている。むしろ、「新しい授業方法」のように考えられて形骸化してしまうと、かなりの危うさ をはらむのではないか。アクティブラーニングとは「当たり前のものを見直すムーブメント」だ ということを(私の授業デザインが証明できるかは別として)是非本稿では強調していきたい。
折角なので、本稿では『大鏡』ではない授業を紹介させて頂くことにした。まず実際の授業実 践について具体的に紹介した後、その授業のデザインについて説明する。
2 授業実践「物語」(菅原孝標女『更級日記』より)
紹介するのは 2 学年を対象とした「古典 B」(3 単位)の授業で、単元は『更級日記』「物語」で ある。本単元は 3 時間で計画した。以下の本文を(1)〜(3)に区切ったのは、「(1)時間目の授業で 扱う部分」という意味である。本稿で紹介する授業は(2)に該当する。
(1) かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと心苦しがりて、母、物語などもとめて見せ給 東京女子大学 教職課程・学芸員課程 2018 年 月
ふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語 らひなどもえせず。誰もいまだ都なれぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆ かしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ。」と心のうちに 祈る。親の太秦にこもり給へるにもことごとなくこのことを申して、「出でむままにこの 物語見果てむ。」と思へど、見えず。
(2) いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いと うつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をかたて まつらむ。まめまめしき物はまさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものをたてまつら む。」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あ さうづなどいふ物語ども、一袋とり入れて得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。はし るはしるわづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じら ず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。
(3) 昼は日ぐらし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのこと なければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、い と清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ。」と言ふと見 れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、「我はこの ごろわろきぞかし。盛りにならば、容貌も限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光 の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。」と思ひける心、まづいと はかなく、あさまし。
乳母や侍従の大納言の姫君の死が重なり(教科書に記述はない)嘆き沈んでいたところに、母 が物語を探してきてくれた。元々物語を読み耽っていた筆者の心は、自然と慰められていった。
『源氏物語』の続きを仏に祈るまで読みたいと思うが、なかなか叶わなくて歯痒い思いをしていた。
母のおばに当たる人物から『源氏物語』その他一式を貰い、「后の位も何にかはせむ」と言い切る。
この「后の位も何にかはせむ」の一節に込められた孝標女の思いを言語化したい。
授業は大まかに、①音読、②読解、③確認と説明、④グループワーク、⑤教室全体での共有、
⑥記述、⑦リーダーシップへのフィードバック、という構成になっている。順を追って解説して いきたい。
① 音読
音読は毎回行っており、隣の席に座っている生徒と 2 名で行う。一文一文を交代で読み上 げる読み方(所謂「丸読み」)に加えて、「ば」「と」「ども」「を」「に」「が」といった接続助 詞が出てきたタイミングで音読を交代するという読み方も取っている。生徒曰く意外と難し いので、かなりの集中を要求される作業らしい。見えにくい主語の切れ目を可視化しながら 読み上げることで、本文の内容に意識を向けさせることをねらいとしている。
② 読解
配布するプリントには所々に空欄のある、訳出された文章を書いている。生徒たちには、
この訳出された文章の空欄箇所を独力で埋めさせる。本単元は 11 月に取り扱ったものだが、
4 月の段階でのプリントに比べると空欄箇所を増加させ、古文を読む力を付けられるように 配慮している。
予習は特に強制していないため、生徒たちは原則「未知」の文章を読むことになる。「未知」
に触れた感覚を大事にしつつ、更に深く理解しようとする努力をしてほしいということは、
4 月のガイダンスで伝えている(今年度は 2 学期が始まる 9 月にもガイダンスを行った)。初 めて見る単語を辞書で引いたり、語法について副教材で調べたりしながら、生徒たちは「未 知」をなんとか理解しようともがくことになる。
文章の空欄箇所を埋める手段は自由に設定しているが、作業そのものは一人で行うことを 徹底させている。本文と徹底的に向き合い、読み込む時間を確保するためである。予習の本 質はここにある気もするが、予習を宿題化したくないので、行わなくなった。
③ 確認と説明
空欄を埋めたら、机の位置が前後している生徒 2 名同士で本文内容を確認し合う。この際 は片方が片方に 1 分程度で説明し、補い合う形式をとった。1 分で話す感覚と、要約して伝 える力の涵養を目指す。私が訳出や語法の確認をすることもあるが、それも部分的なものに とどめている。
④ グループワーク
次の課題は「『后の位も何にかはせむ』に込められた孝標女の気持ちを、四十字程度で書け」
と設定している。一人で取り組んでもよいのだが、生徒たちの「リーダーシップ」を高める 場として、また多様な「未知」に触れる場として、グループワークを採用している(「リーダー シップ」については後述する)。
4 人から 5 人のグループになったら、まずは自分の「リーダーシップ」を決める。「リーダー シップ」についてはガイダンスで生徒たちに話をしているが、自分なりの共同的な学びに対 する宣言であり、態度指針である。共同的な学びが、どのように行動すればより良いものに なるか?を考え、事前に他のメンバーにも共有させてから、課題に取り掛かる。例えば生徒 たちは「意見、アイディアをとにかくたくさん出す」「タイムキーピングをする」などを設定 している。
それぞれの「リーダーシップ」の共有が終わり次第、「『后の位も何にかはせむ』に込めら れた孝標女の気持ちを、40 字程度で書け」を達成するためのとっかかりを作る。グループ内 での話し合いを経て、孝標女の気持ちを、「一語で」端的に、小さなホワイトボードに書かせ る。グループワーク自体はかなり長い間やってきており、手間取ることなく生徒たちもス ムーズに取り組むので、あまり私の方から口出しをすることはないが、事前に決めた「リー ダーシップ」を意識して行動するように再三呼びかける。
私はホワイトボードとペンを各グループに配布しながら、どんな話し合いが展開されてい るか観察している。話し合いでは意見が割れたり、同じ意見が出てきたり、全く新しい発想 が出てきたりする。まさに「未知」に触れる機会で、この「未知」を否定的に捉えて拒否し てしまうのは勿体ないということは生徒に重々伝えている。他者と対話をし、自己の中で噛 み砕く過程に、この学びの形の面白さがある。
⑤ 教室全体での共有
孝標女の気持ちを一語で表現したホワイトボードが、次々と黒板に貼られていく。貼って いく段階で、同じような語や似たような語が書かれているものは近くに貼り付けておき、分 類していく。すべてのホワイトボードが出切ったところで何枚かのホワイトボードを選択 し、そのグループの誰かに、どういう経緯でその語を書いたのか、を説明してもらう。この
「経緯」こそ、「『后の位も何にかはせむ』に込められた孝標女の気持ちを、40 字程度で書け」
の解答の殆どを占めるものになる。
后の位につくことが当時の女性たちにとって至高の幸福であるということを、私の方で解 説してもよいのだが、それは敢えてしない。「そもそも『后の位』とは何か?」という疑問が、
学び合いの端緒になる可能性があるからだ。また生徒たちは、『后の位』について調べたり、
考えたりする力を持っていると信じている。
この授業は 3 クラスで実施しているので、40 人学級で 4 人グループを作ると、ホワイト ボードの語はおよそ 30 通りになる。それでもやはり、「喜び」「嬉しさ」「幸福」という類の 語が目立つ。しかし語が同じでも「経緯」はグループによって異なる。どのクラスでも見ら れたのは、「后の位もどうでもよいほど、物語を読み耽ることは幸福」なのか、「物語を読み 耽るのは、まるで后の位につくような幸福だ」なのか、という「経緯」の相違だった。後者 は「何にかはせむ」の語法が理解できていない読み方だが、この「経緯」の相違を明らかに することで語法を学ぶことができる。
⑥ 記述
私の授業の中で強く意識していることだが、共同的に学ぶこととは、集団におけるリーダー シップやコミュニケーション力、言葉の感覚を身につけるために必要な過程である。しかし 思索に耽り、書き綴るという段階を経て初めて、学びは自分のものとなるのではないか。グ ループワークを経て得た概念に文章という形を与えることで、漸くこの作品の自照文学性も 見えてくる。
「『后の位も何にかはせむ』に込められた孝標女の気持ちを、40 字程度で書け」という課題 は、グループワークを経た今、あまり難しい問題ではない。いわゆる「記述の問題」へのハー ドルも格段に下がり、生徒たちは各々で考えたことを書けるようになる。各グループからの 意見であるホワイトボードも、思索の助けになる。
ちなみに、本単元の本文は、「『我はこのごろわろきぞかし。盛りにならば、容貌も限りな くよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこ
そあらめ。』と思ひける心、まづいとはかなく、あさまし」と結ばれる。本時の次の授業では、
この「まづいとはかなく、あさまし」に込められた孝標女の思いを、同じような形式で探っ た。少女時代を懐かしく、また少し悲しげに思い起こす『更級日記』の自照文学性を強く感 じさせるこの結びの布石として、最高の喜びを表現した「后の位も何にかはせむ」を分析し たのである。
⑦ リーダーシップへのフィードバック
最後に、「リーダーシップ」へのフィードバックを行う。実際にリーダーシップを意識して 行動することができたか、同じグループのメンバーと相互フィードバックを行うことで、次 回のグループワークに繋げていくのが目的である。
日向野幹也氏は「リーダーシップ最小三要素」をカスタマイズしており、「リーダーシップ」
の成立要件を挙げている1。「目標設定(set the goal)」を行い、その目標のためにまず「率先 垂範(set the example)」する。率先して一人で動いているだけでは他者との関係が築かれて おらずリーダーシップとは呼べないため、自分だけではなく他者にも動いてもらえるように 成果目標を共有し、仮に目標の達成を阻害するものがあればそれを取り除こうとする「他者 支援(enable others to act)」が必要だと言う。生徒にもこの最小三要素は伝えており、これ が達成できているかがフィードバックのポイントになる。
3 授業デザイン
(1) 個人レベルでの学びと集団レベルでの学び
この授業は個人レベルと集団レベルでの学びを、生徒たちにスモール・ステップ的に踏ませる という大枠を持っている。個人レベルでの学びとは、一人で思索に耽り、考え、形にしていくこ とである。集団レベルでの学びとは、他者と協力したり会話を交わすことで、学びに深さを与え ることである。どちらか片方にとどまるのではなく、双方に取り組むことで、より深い学びを目 指す学習サイクルを目指す。
個人レベルでの学びがなくては集団レベルでの学びは難しいし、その逆もまた空虚な時間しか 生まない。双方を授業中に往還させることが、より深い学びと理解を促すのではないかと考えて いる。
個人レベルでの学びばかりに留まるのではなく、学校という社会の中で生きる一個人としての
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集団レベルでの学びの必要性を感じている。
(2)「リーダーシップ」という概念
集団レベルでの学びを通して育成したいものはもう一つあり、それが「リーダーシップ」であ る。この概念は、立教大学経営学部のビジネス・リーダーシップ・プログラムを参考に導入した。
アクティブラーニングの研究の中で出会った概念だったが、アクティブラーニング型授業の成立 と更なる深い学びの創出において、大きな鍵を握っているのではないかと直感した。リーダー シップ教育の第一人者である日向野氏は、次のように提言している。
いわば組織のトップや上位階層だけのリーダーシップでは環境の激変に対応できないばか りか、変化を作り出すこと(イノベーション)もできないことが徐々にはっきりしてきた。
そのため、一部の企業では最近、権限者だけがリーダーシップを発揮すべきであるという考 え方から、徐々に全員がリーダーシップを発揮すべしという方針に転換しつつある。…(中 略)…全員が発揮すべきである、ということは、命令権限のない者も発揮すべしという意味 であり、日本の通念でいうリーダーシップとは異なってくるかもしれない。2
リーダーシップとは、特定の何かに与えられる権限の事ではなく、集団のすべての者が発揮す べきものであるという考え方だ。つまり全員のリーダーシップが発揮されている状態とは、生徒 たちの相互の関係性が対等であり、尊重し合いながら目標にともに向かっていける状態を指して いると考えられる。
しかしリーダーシップの定義は非常に困難である。その歴史を辿っても時代によって様々な価 値を持つため、一概に「こういうもの」と断言できない。ただ前述の日向野氏の「リーダーシッ プ最小三要素」は、リーダーシップを達成できているかの確認に役立つ。
実は当初、グループワークを導入した際、全く上手くいかない経験をしたことがある。振り返 ると、生徒たちは何をしていいのかも、何をどう取り組んでいいのかもよく分からなかったのだ と思う。補助輪を付けてあげなければ高校生には意外と難しいのかもしれないと取り入れたのが
「リーダーシップ」だった。生徒たちには事前に「リーダーシップ最小三要素」について説明し、
グループワークをする際は、①自分がその集団の中でどのように行動するかを見極め宣言し、② 実際に行動し、③フィードバックをもらい、④改善する、というサイクルを要求した。グループ ワークを行うことの意味づけである。
生徒たちは当初戸惑っているようだったが、自分なりのリーダーシップを決定し、行動してい くことで徐々に慣れていった。グループワークにどう臨んだらよいか分からないという生徒も多 い中、「リーダーシップ」は非常に有効であることが分かった。
無論、すべての生徒にリーダーシップの意義が行き渡っているとは思えないし、私自身もまだ 研究中の概念である。ただ授業終了後、「先生。部活でも、目標を決めてから練習したり、反省し
たり改善したりするっていうのは、僕はずっとやってきたことなんだけど、『みんなで』やるって いう考えが無かったのかもしれない。『みんなで』ってなった途端に難しくなるような気がする けど、部活は『みんなで』やってるんだから、本当はそれが当たり前なんだよね」と言ってきた 生徒がいた。今でも強烈に覚えている。この生徒はリーダーシップの本質に近いところを突いて いるように思われる。授業を超えて、教室の外でもリーダーシップを意識してくれることが大き な成果だ。
4 終わりに
授業という場で育てたいのは、古文を正しく読む力だけではない。それをさらに抽象化したり、
体系化したりしながら、文章という形にしていく力を育てたい。また生徒一人一人のリーダー シップが発揮され、そして教室の外でも各々がリーダーシップを発揮できるようになる、という のが私の授業デザインの目指すところである。
実際の現場で教員に漂っているのはアクティブラーニングに対する「やらされ感」、それに対す る強い拒絶感だ。しかしアクティブラーニングの根底にあるものは、心ある教員たちが追求して きた、生徒の自主性を育むという点で重なるのではないか。アクティブラーニングはお役所から 言われてやっているものでも、全くもって目新しいものでもなく、私たち教員が作っていくムー ブメントであり、当たり前のことを当たり前に見直すチャンスである。生徒たちに主体性を求め るなら、我々教員もまた主体性を持って学んでいかなければならないだろう。
またこのムーブメントを通して、教育機関と社会との繋がりがより深まっていくにちがいない。
アクティブラーニングはもう、教育界にとどまらないムーブメントになっていくのではないか。
注
1
日向野幹也「新しいリーダーシップ教育とディープ・アクティブラーニング」、松下佳代編著『ディー プ・アクティブラーニング』(2015 年、勁草書房)第 9 章。
2
前掲論文。
(東京都立調布北高等学校国語科教諭)
東京女子大学現代教養学部人文学科日本文学専攻卒業(2014 年度)