授業実践?
著者 木下 聡美, 小野 祐一郎, 繁田 美帆
雑誌名 研究紀要 : 共に創りあげる授業
巻 20
ページ 14‑21
発行年 2020‑03
出版者 静岡大学教育学部附属静岡中学校
URL http://doi.org/10.14945/00027138
授業実践Ⅱ
1 題材名 トロッコ
―「語り」を通して読む―(第1学年)
2 題材の目標
「トロッコ」を良平の8歳の時の体験談であると読み取った子どもたちが,文章の展開や表現の効果を通 して語りについて考えることで,大人になった良平の生活と8歳の時の思いのつながりや,トロッコが描く 道と人生の重なりに気づき,読みを深めることができる。
3 題材観
(1) 題材としての「トロッコ」
「トロッコ」には,何度も読み返したくなる工夫 が随所に施されており,長きにわたって教科書に掲 載されてきました。
まず,土工との会話を通して,良平の緊張感や喜 び,失望などが鮮やかに描かれており,ここから良 平の心情の変化を読み取ることができます。そして,
情景描写が多用されており,この点からも,良平の 心情にせまることができます。また,トロッコの軌 道が良平の人生とつながるのではないかと読むこ ともでき,読む度に新たな発見のある作品というこ とができるでしょう。
さらに,文章は平易でありながら,現代の日常会 話では用いられないような語彙も含まれており,そ の獲得ができるということもあげられます。静岡県 の中学生が読むことを考えれば,時代は違うものの,
「小田原・熱海間」の軽便鉄道敷設という身近に感 じられる場所での話で
あるということも,親 しみやすさに多少なり とも貢献しているのか もしれません。
このように,「トロ
ッコ」は,様々な魅力のある作品ですが,大人にな った良平が突然登場する驚くような展開は,この作 品の本質にせまるために欠かせない要素です。そこ で,本題材では,思い出として語る「語り手」の存 在を通して,読みを深めていくことを考えました。
(2) 「トロッコ」の語りの重要性
「語り」と一口に言っても,様々な側面がありま す。そこで今回は,ジェラール・ジュネットの考え を取り入れることにしました。
「トロッコ」の中には,物語内部に流れる時間と は別の「今」の時点から,良平ではない(誰でもな い)語り手によって語られる部分が2か所あります。
特に二つめ(最後の部分)では,8歳の体験が, 「今」
の良平の生き方と何らかのつながりがあることが 示唆されています。これらの部分は昭和 40 年代に
発行された教科書では削除され,その後復活したと いう経緯があります。
もし「今」の時点からの語りがないテクストであ れば,「トロッコ」は,主に8歳の良平の恐怖体験 とその心情を読み取る題材となります。しかし,本 来の形のテクストで読むならば,8歳の体験は,大 人になった良平の人生を暗示する「引用部分」にす ぎません。大人になった良平の様子が語られている 部分こそが重要であり,そこをどのように読むのか ということが中心となります。実は,この最後の4 行は,語り手がその存在を読者の前に現す部分でも あります。この語り手とはどのような存在で,8歳 の良平と大人になった良平をどのように結びつけ ているのか,考えていく必要があります。その結び つきを考えることで,この作品の本質にせまってい くことができるでしょう。
①「今」の視点から考える
「トロッコ」における語りは,大きく二つの種類 に分けることができます。
一つめは,以下の〈語り1〉〈語り2〉に示した ような, 「今」の地点がはっきりと現れる部分です。
〈語り1〉
そこには古い印ばんてんに,季節外れの麦わら帽 をかぶった,背の高い土工がたたずんでいる。――
そういう姿が目に入ったとき,良平は年下の二人と 一緒に,もう五,六間逃げ出していた。――それぎ り良平はつかいの帰りに,人けのない工事場のトロ ッコを見ても,二度と乗ってみようと思ったことは ない。ただそのときの土工の姿は,今でも良平の頭 のどこかに,はっきりした記憶を残している。薄明 かりの中にほのめいた,小さい黄色い麦わら帽,―
―しかしその記憶さえも,年ごとに色彩は薄れるら しい。
下線部を見ると,「今でも」という語があります が,ここを読んだだけでは「今」とはどの時点なの か,まだよくわかりません。しかし,「年ごと」と
トロッコの通っていたところ
いう表現があるため,この体験からは何年も経過し た時点なのではないか,という予想ができます。こ の謎にヒントを与えてくれるのが以下の部分です。
〈語り2〉
良平は二十六の年,妻子と一緒に東京へ出てきた。
今ではある雑誌社の二階に,校正の朱筆を握ってい る。が,彼はどうかすると,全然なんの理由もない のに,そのときの彼を思い出すことがある。全然な んの理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前に は今でもやはりそのときのように,薄暗いやぶや坂 のある道が,細々と一筋断続している。…………
下線部には「今では」「今でも」と「今」を含む 表現が二つ含まれています。ここを読むと,「今」
がどの時点なのかわかるような気がします。しかし,
「二十六歳」という年齢は「東京へ出てきた」年齢 であり,「今」はそれより年をとっていることが予 想されるものの,一体何歳になっているのかは,は っきりわからないようになっています。また,「塵 労に疲れた彼の前には今でもやはりそのときのよ うに,薄暗いやぶや坂のある道が,細々と一筋断続 している。」とあるように,語り手は,良平の「今」
より先の人生がどのようになっていくのかを知っ ているような語り方をしています。そのように考え ると,この語り手は固定されたある時点に留まって いるのではなく,8歳の良平の生活から,「今」よ りずっと未来の良平の生活まで,自由に行き来した り,見渡せたりする特殊な位置にいるのだと考える ことができます。
では,良平自身は,8歳の体験を「どうかすると」
思い出す理由を知っているのでしょうか。
〈語り2〉の「全然なんの理由もないのに,その ときの彼を思い出すことがある。」という部分は,
二通りに読むことができそうです。「全然なんの理 由もないのに」という表現をことば通りに受け取れ ば,良平自身には,過去の記憶とのつながりは自覚 されていないということになるでしょう。しかし,
すぐ後に「全然なんの理由もないのに?――塵労に 疲れた彼の前には今でもやはりそのときのように,
薄暗いやぶや坂のある道が,細々と一筋断続してい る。」とあることから,一見,理由を知らないよう に見えて,本当はそうではないということが語り手 から伝えられていると読み取ることもできます。良 平が理由の全てをわかっているわけではないとし ても,8歳の体験を思い出すのは,自分のこの先の 人生を思いやるときである,ということがこの部分 では示唆されているのです。
②文章表記から考える
また,この「――塵労に疲れた彼の前には…(中
略)…細々と一筋断続している。」という一節は,
良平自身の感じていることなのか,それとも語り手 だけが知っていることなのか,という疑問が出てく るでしょう。
この疑問を解くヒントとして,「トロッコ」の特 徴的な表現方法である「――」(ダッシュ)の使用 法について考えてみると,その後に描かれる心情に は,二種類あることがわかります。
〈Ⅰ 解説的な用法〉
・工事を――といったところが,ただトロッコで土 を運搬する――それがおもしろさに見にいったの である。
・ある夕方,――それは二月の初旬だった。
・その中の一人,――しまのシャツを着ている男は,
うつむきにトロッコを押したまま,思ったとおり 快い返事をした。
〈Ⅱ 良平の心情を語る用法〉
・細い線路がしなったり――良平はそんな景色を眺 めながら,土工になりたいと思うことがある。
・「この人たちならば叱られない。」――彼はそう 思いながら,トロッコのそばへ駆けていった。
・「もう押さなくともいい。」――良平は今にも言 われるかと内心気がかりでならなかった。
・「行きに押すところが多ければ,帰りにまた乗る ところが多い。」――そうも考えたりした。
Ⅰの場合,ダッシュの後には状況を補足説明する 語り手が現れます。Ⅱの場合も,状況の説明ではあ るものの,良平の心情に特化されており,多くはか ぎかっこ(「」)でくくられた良平の心の中のせり ふを補足する形になっています。
このように,ダッシュが良平とは別の語り手の見 解を示すために使われていることを踏まえて読み 直すと,最後の部分「――塵労に疲れた彼の前には
…(中略)…細々と一筋断続している。」は,語り 手の見解であると考えることができるでしょう。た だし,ここでの語り手は,良平の思考や感情に入り 込み,その内容を読者に語っています。仮に読者が その場に居合わせることができたとしても,見聞き することができないような内容が含まれています。
そのため,この部分が良平の考えなのか, 「語り手」
の見解なのかは,はっきりとわかりません。「トロ ッコ」の語り手が一体どのような存在なのかを考え るとき,良平自身とも,全く別の第三者であるとも 読めることにこそ,この作品のおもしろさがあるの です。
(3) 「トロッコ」で語りを読む意味とは
このように,語りに注目して読んでいくことは,
読者を物語から引き離す効果を生みます。読者が幼 いうちは,物語の内部に入り込み,登場人物と自分 を重ねて読むことによって登場人物の心情を理解 していきます。行動描写や情景描写,会話などを,
読者自身の経験や解釈と重ねて読むのです。ところ が,このような読み方をしているうちは,読者は登 場人物から離れることができません。「私/僕(読 者)が良平だったら……」という考え方から抜け出 すことができないのです。しかし,語り手と登場人 物を分離させ,語り手の存在そのものについて考察 していくうちに,物語を外側から客観的に見つめざ るを得なくなっていきます。人物の設定や文章の構 成がどのようになっているか,それらがどのような 効果を生み出しているか,などの点について,分析 的に読む視点を獲得することにつながっていくの です。
このような視点から読んでいくと,解釈や「読み」
が複数の読者の間で一致しなくてもよいというこ とになります。つまり,8歳の良平の体験と大人に なった良平の生活を重ねて考えるよう促している のは語り手であると気づくということです。読者は,
最後の部分の語りによって初めて,大人になった良 平の人生を8歳の体験と重ねて読み直すことにな ります。そして,トロッコの軌道が良平の人生のメ タファーであるという読みが生まれます。
また,既に述べたように,「トロッコ」では,登 場人物とは別の語り手に語らせることで,良平自身 が自覚していないこと(感情)までも,読者に情報 提供をしています。そのため,最後の部分は,どこ までが良平の考えで,どこからが語り手の考えなの かはっきりせず,渾然一体としています。こうした 表現方法そのものが,読者を混乱させ,「8歳の時 の体験を思い出すのには,本当に理由がないのだろ うか?いや,こう切り返すのは理由があるに違いな い」と思わせ,その「理由」を探すよう仕向けてい るのです。これが語りの「意図している効果」であ ることを読者が認識していれば,「本当は理由があ るのか/ないのか」という問題にただ一つの答えが 出せなくてもよいということに気づくことができ るのです。そして,読者は「何が正しい読み方か」
ということから解放され,それぞれの読みに浸りな がら,読むことを楽しめるようになっていきます。
(4) 本題材における国語科ならではの文化
本題材においては,「『語り』や『語り手』に ついて考えることを通して,良平の8歳の時の体 験を別の視点から読み直し,それをもとに大人に
なった良平の人生・生き方について語り合うこ と」を国語科ならではの文化とします。「『トロ ッコ』は8歳の時の体験について書かれた小説 だ」と考えていた子どもたちは,このような読み 方を獲得することによって,物語の中心を大人の 良平に移し,読み直していくことでしょう。ま た,良平ではない語り手について注目していくう ちに,本文ではわずか4行しか書かれていない良 平の「今」や「今後」について想像を広げていく はずです。良平の先の見えない心細さや不安感,
「泣いてもしかたない」と思い先へ進んでいこう とする焦燥感,過去の人生によい時はあったかも しれないが,今後はあまり期待できそうにないこ と,などを読み取ることでしょう。このように,
8歳の頃の体験と大人になってからの生活をつな げて読んだり,それさえも客観的に語る「語り 手」の存在にも気づいたりするはずです。このこ とにより,読者として成長していく自分自身にも 気づいていくのではないでしょうか。
(5) 題材と子どもたち
大人になった良平の生活と8歳の時の良平の体 験がどのようにつながっているのか,ということを 追究していく中で,子どもたちは,これまでの小説 には出てこなかったタイプの語り手を発見し,戸惑 いを感じることでしょう。なぜなら,良平そのもの ではなく,客観的に語る語り手に気づいたものの,
叙述からそれを「誰」と断定することはできず, 「人」
であると言い切ることもできないからです。
しかし,語り手を良平と分離させることで,多く のことが見えてきます。「語り手は,良平の気持ち を本人以上に知っている不思議な存在だ」,「26 歳 で東京に出てきたということは,『今』はもっと年 上になっているに違いない」,「なぜ,全てを見通 しているような語り手が『全然何の理由もないの に?』と聞き返すのだろう」など……。
子どもたちは,このような考えや疑問を伝え合う 中で,互いの考えを吟味したり,補い合ったりして いきます。そして,ただ一つの「正しい」読み方を 求めるのではなく,語りの効果を分析する視点をも 獲得していくことでしょう。すると,「トロッコ」
に対して,最初とは異なる見方ができるようになっ ているはずです。
読者として成長した子どもたちが,これから多く の題材と出会う中で,言葉を吟味しながら仲間との 対話を重ね,豊かな言語感覚を磨いていくことを願 っています。
参考文献:ジェラール・ジュネット著,花輪光・和泉凉一訳(1985)『物語のディスクール』
書肆風の薔薇
鈴木泰恵,高木信,助川幸逸郎,黒木朋興(2009)『<国語教育>とテクスト論』 ひつじ書房
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田中実,須貝千里(2001)『文学の力×教材の力〈1〉中学校編1年』 教育出版
田中実,須貝千里(2012)『文学が教育にできること―「読むこと」の秘鑰―』 教育出版 田中実,須貝千里,難波博孝(2018)『第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校』
明治図書
ピーター・バリー著,高橋和久訳(2014)『文学理論講義 新しいスタンダード』
ミネルヴァ書房 高嵜啓一(2007)「芥川龍之介における「語り」についての一考察―その散文観から―」
「近代文学試論」45 号,広島大学近代文学研究会
寺田守(2002)「小説教材の読みに関する学習者論的研究―「トロッコ」の場合―」
「全国大学国語教育学会発表要旨集」
深津謙一郎(2014)「文学研究における語りと視点―芥川龍之介「トロッコ」を中心に―」
「表現研究」
4 学習指導要領との関連
〔思考力,判断力,表現力等〕
C 読むこと
イ 場面の展開や登場人物の相互関係,心情の変化などについて,描写を基に捉えること。
ウ 目的に応じて必要な情報に着目して要約したり,場面と場面,場面と描写などを結び付けたりし て,内容を解釈すること。
エ 文章の構成や展開,表現の効果について,根拠を明確にして考えること。
〔知識及び技能〕
(1) 言葉の特徴や使い方に関する事項
ウ 事象や行為,心情を表す語句の量を増すとともに,語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に 注意して話や文章の中で使うことを通して,語感を磨き語彙を豊かにすること。
5 題材構想(全
10時間)
(1) 「トロッコ」と出会い,感想や疑問を交流する(2時間)
(2) 8歳の時の体験と大人になった良平の生活のつながりを考える(3時間)
(3) 「トロッコ」の語りから最後の部分を考える(4時間)
(4) 語りを通して読む(1時間)
6 国語科ならではの文化を味わう子どもたち
(1) 共有された問いに基づく追求活動子どもたちは,新しい題材と出会って様々な感想 や疑問をもち,それらを交流する中で,授業で追求 したい問いを共有していきます。
「トロッコ」では,まず, 「『良平は二十六の年,
妻子と一緒に東京へ出てきた』以降の部分(最後の 4行)は,それ以前の部分とどのように関連してい るのか」という問いを共有しました。この問いにつ いて考えていくうちに,第2段階として,「『トロ ッコ』は誰が語っているのか。そして,最後の4行 は子供の頃の良平と関係があるはずなのに,なぜ
『全然なんの理由もないのに?』などと言うのだろ うか」という問いを共有することになりました。こ こでは,この二つの段階において,それぞれどのよ うな追求活動が行われたのかを説明していきます。
①最初の問いを共有するまでの授業の流れ
本学級で授業開始時に「トロッコ」を読んだこと がある子どもを確認したところ,2人の子どもが
「ある」と答え,他にも「羅生門」など芥川龍之介 の作品を読んだことがある子どもも何人かいまし た。授業者はまず,題名を提示した後,トロッコと はどのようなものなのか資料を配って確認し,実際 に熱海・小田原間に軽便鉄道が走っていたこと,軽 便鉄道の前には「人車鉄道」が存在したことなど,
時代背景を共有してから範読に入りました。
子どもたちは,帰り道に感じた良平の不安な気持 ちに寄り添って感想を書いたり,「トロッコ」の前 に学習した「二十年後」(O・ヘンリー)と比較し て読もうとしたりしていました。
初読後に行った交流では,以下のような感想や疑
ひやく
問が語られました。(第2時板書参照)
・良平の気持ちが何度も変化しておもしろかった
・情景描写になっている表現がたくさんある。例え ば「花の咲いた梅に,西日の光が消えかかってい る」「薄ら寒い海」など
・海の近くに来て,遠く来すぎたとわかったものの,
楽しみを続けたくて「帰りたい」と言わなかった のではないか
・「ひやりとした」はどのようなことに対して感じ ていることなのか
・「……。が,……」という逆接表現が特徴的
・良平はなぜトロッコにそれほどまで乗りたいとい う思いがあるのか
・「(そのときはもう挟んでいなかったが)」とあ るが,この部分にどのような意味があるのか
・「―」をなぜ使っているのか
・26 歳の話はなくてもよいのではないか
子どもたちは,具体的な叙述や表現を指摘しなが ら考えを述べ合いました。その過程で,「(そのと きはもう挟んでいなかったが)」という表記につい て,意見の交わされる場面がありました。「この部 分にわざわざ( )をつける必要があるのか」とい う意見や,「( )の中に書かれているのは良平の 意見ではなさそうだ。それだとしたら,作者か語り 手の考えではないか」という意見,「( )を使っ ているのは,その人(作者または語り手)個人の考 えということではないか」といった意見が交わされ,
子どもたちは作者なのか語り手なのかわからない 人物が登場していることの違和感に気づきました。
この時間に共有された様々な意見をうけ,授業者 が「最後の4行は8歳の頃の話と関係があるだろう か」となげかけると,多くの生徒が「関係がありそ うだ」と答えました。更に,「良平は二十六の年」
から始まる一文は「東京へ出てきた」と過去形にな っているが,「今」は「校正の朱筆を握っている」
と現在形になっていることから,既に 26 歳よりず っと年上になっているのではないか,ということに も気づいていきました。そこで授業者は,「『二十 六の年』の部分は,それ以前の部分とどのように関 連しているのか考えよう」となげかけ,この時点で 考えていることを振り返り用紙に記入するよう促 して,次時の個人追求につなげました。
②さらに読みを深める問いを共有するまでの授業 の流れ
個人追求の時間では,二つの時間につながりがあ ると考える子どもたちは,最後の4行に出てくる
「塵労」や「薄暗いやぶや坂のある道」と重なる情 景描写をそれ以前の部分から探したり,トロッコの
レールを良平の人生と重ねたりしながら読んだり していきました。しかし,二つの時間につながりが あるはずだと思うものの,どのようにつながってい るのかをなかなか見いだせない子どももいました。
そこで似たような考えをもっていたり,同じような キーワードをもとに考えたりしている子ども同士 で小グループを作り,意見交換を行いました。
・つながりがあるから最後の4行があるはずだが,
それが何なのかはわからない
・8歳の頃,長い道のりを心細い気持ちで走り続け たことが,家族を養っている「今」の良平の塵労 とつながっているのではないか
・今も8歳の頃のように人生の道が続いていて,人 生は辛いことの繰り返しだということだろう
・寂しい気持ち,辛い気持ちを感じたことが印象深 く,いろいろな気持ちの入り混じった思いが仕事 での疲れと重なっている
・ 18 年以上経っても思い出すということは,トロッ コに乗ったことがそれだけ印象深かったという ことだが,そのようにはっきり書かないのは,読 者に想像してもらうことで,興味をもたせようと する作者の工夫ではないか
・「何の理由もないのに」と言っているけれど,良 平が気付いていないだけで実は理由があり,塵労 を感じているうちに,自然と辛かった8歳の頃を 思い出してしまうのではないか
この時間には,8歳の頃の良平の心情と,現在の 良平の心情の重なりについての意見が出されまし た。具体的な情景描写を出し合ううちに,「全然な んの理由もないのに?」という言い方に違和感を覚 えた子どもや,トロッコの通る道を人生と重ねた子 どもから,「もっと意見を聞いたりしたい」という 発言があったため,授業者は「次回はこの続きを話 し合おう」となげかけて一時間を終えました。(第 4時板書参照)
第5時は,最初に「トロッコの通った道には,み かん畑があったり,やぶがあったりして,まるで 色々なことが起こる人生のようだ」という意見を取 り上げました。そこから「大人の良平と8歳の良平 につながりがあるとわかる具体的な描写を本文か ら探そう」となげかけました。すると,次のような 意見が出されました。(第5時板書参照)
・「今でもやはり」という言い方から,8歳の頃に 竹やぶを通って疲れた気持ちが大人になっても 続いていることがわかる
・最後の部分に出てくる 「薄暗いやぶや坂のある道」
は,長い距離を走ったという大変さや,「たった
一人」で走ったという「心細さ」や怖さという点
で8歳の体験とつながっている
・「広々と薄ら寒い海」という情景描写は,さみし さを表現しているのではないか
・ 「花の咲いた梅に,西日の光が消えかかっている」
からは,暗い気分になっていることがわかる
・「彼はどうかすると,全然理由もないのに……」
という部分と「一瞬間あっけにとられた」という 部分のどちらも,問題が発生している状態を表し ているが,「彼はどうかすると」の方からは,ど のような問題かまでははっきりわからない
また,子どもたちの中からは,次のような疑問も 出されました。
・「今でもやはりそのときのように」の「今でも」
や「やはり」という言葉の使い方に違和感がある
・「なんの理由もないのに」と言っているが,理由 もなく思い出したのなら,「トロッコ」という題 名になるはずがない。だからなぜこのように言う のかやはり疑問を感じる
この疑問に対して,子どもたちの中からは「良平 自身は,理由があって思い出していることに気づい ていないのではないか」という意見が出されました。
そこで授業者は, 「次回は『なんの理由もないのに?』
など,みんなが疑問をもっている最後の部分につい て考えよう」と提案し,次時につなげました。
第6時は,前時の振り返りの共有から始めました。
最後の4行では,なぜ「全然なんの理由もないの に?」「今でもやはり」といった言い方をするのか を考えた子どもの意見を全体で共有するうちに,
「『?』を付けることで,良平が8歳の頃を思い出 す理由が,本当はあるのだと言いたいのではないか」
「それを良平が読者に伝えようとしているのでは ないか」といった意見が出されました。
また,第1時を振り返って,「(そのときはもう 挟んでいなかったが)」の部分で「なぜ( )をつ けた書き方をするのか」「( )の中は誰が言って いるのか」など,似たような疑問を話し合ったこと に言及する子どももいました。そこで授業者は,
「『トロッコ』は誰が語っているのか,そしてなぜ 最後の4行では『全然なんの理由もないのに?』の ような曖昧な言い方をするのかについて,意見を出 し合おう」となげかけました。すると子どもたちは,
周囲の子どもと意見を交わしながら個人の考えを 追求していきました。
(2) 生み出された「教科ならではの対話」