留学生との交流が示唆すること
関 友作*
(1996年11月1日受理)
The Meaning of Foreign Students at Universities
Yusaku SEKI*
(Received November 1,1996)
1.はじめに
現在,日本の高等教育機関には,5万人以上の留学生が在学している.これは,一時代前にくらべ ると,かなりの数である.昭和58年(1983年)に当時の中曽根首相が,「留学生受入れ10万人計画」
を提唱して以来,日本への留学生は,図1のように急速に増加してきた(ただし,平成7年度の留学 生数は,前年とほぼ横ばいであるが,これは円高による生活コスト増などの経済的影響のためと思
われる). 留学生数(人)
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40,000 /
35,◎00
30,000 口政府派遣
25,000 曹国費
■私費 20,000
15,000 10,000
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年度
図1.留学生数の推移(文部省学術国際局留学生課 1996より)
注:国費留学生とは,日本の文部省が奨学金を支給する留学生であり,政府派遣留学生とは,
海外政府が費用を負担して派遣する留学生である.
*茨城大学教育学部・知識経営講座(〒310−8512水戸市文京2−1−1,Chairs of Knowledge Management,
Faculty of Education, Ibaraki University, Mito, Ibaraki 310−8512Japan)
か.本論では,このことについて,わたし自身の体験をもとに,考察をおこなってみる.
2.留学生会館のチューターとして
2.1東京工大・松風留学生会館
わたしは,1996年の3月末まで,在学していた東京工業大学に付属する,留学生対象の寄宿舎,
松風(しょうふう)留学生会館(図2)において,住み込みの日本人チューターという仕事をしていた,
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@ 舗 図2.東京工業大学・松風留学生会館
東工大では,外国人対象の寄宿舎として,おもに海外からの客員研究員向けの国際交流会館と,学 部・大学院の留学生を対象とする二つの留学生会館が用意されている.わたしは,このうち一つの留 学生会館で,チューターとして,大学院在学中の4年間を過ごした.
松風留学生会館は,東工大の二つ目の留学生会館として,1984年に,横浜市の郊外に竣工された ものである.3階建ての宿舎には,留学生用の夫婦室5室,単身室46室(男子対象)と,事務室,レク リエーション・ホール,和室,管理人室などが設けられている(図3−5).各居室には,エアコン,机,
ベッド,ワードローブ等が設置され,快適に生活できる環境になっている.
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図3.単身室
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図4.レクリエーション・ホール
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図5.和室
なお,留学生のほかに,チューターとして日本人大学院生2名が,住み込むことになっていた.こ のチューターは,留学生会館の主事をつとめる教官が,希望者のなかから選考して任命するしくみ である.チューターも大学院生であり,自分の学業があるわけで,彼らはいわばボランティアとして,
チューター業務を担当するかたちになっている.ただし,チューター手当として,毎月16,800円が支 給され,これで寄宿料がほぼ相殺される.つまり,家賃ゼロという特典が,実質的にあることになる
.そのため,わたし自身,経済的にはかなり助かっていた.これは,わたしがチューターを希望した 理由のひとつでもあった.
ところで,わたしが留学生会館を出たあと,現在のチューターは,2名とも留学生になっている.
彼らは,日本語の能力と生活への適応力が高いことをふまえて,在館者のなかから選ばれた者であ る.チューターが日本人学生から留学生に変わったのは,ひとりでも多くの留学生が会館に入居でき る方が望ましいと,大学側が考えるようになったためである.
じっさい,留学生対象の宿舎は,現状ではかなり不足している.図6が,日本における留学生の宿 舎の状況である.
掩瓢
公益法人・自治体等 の留学生宿舎
10%
学校の一般学生寮 民聞宿舎・アパート 4%
73嘱
図6.留学生の宿舎の状況(文部省学術国際局留学生課 1996 より)
注:「公益法人・自治体等の留学生宿舎」には,企業の社員寮もふくむ.
宿舎の種類には,次のようなものがある.
1.学校が設けている留学生宿舎
2.公益法人(日本国際教育協会等)や自治体が設けている留学生宿舎 3.企業の社員寮(一部の部屋を留学生に貸与)
4.学校が設けている一般学生寮(日本人学生と混住)
5.民間のアパート
1
カ部省は,留学生10万人の目標を達成するためには,留学生への経済的支援が必要であるとし,
その一環として,宿舎の確保をあげている(木谷 1996).具体的に,公的宿舎の新設・拡充,一般学 生寮での日本人学生と留学生の混住化,などが進められている.しかし,公的な宿舎に入居している 留学生は,まだ,全体のおよそ4分の1にすぎない.7割以上の留学生は,民間アパートに住んでいる.
民間アパートの家賃は,とくに都市部では高額であり,敷金・礼金等の日本独自の慣行も存在する.
そのうえ,留学生に部屋を貸し渋る家主は,残念ながら少なくない,このような事情から,日本にや ってくる留学生が,快適な住居を確保するのは,いまのところ,必ずしも容易ではない.
2.2 チューターの仕事
さて,留学生会館のチューターは,つぎのような仕事を担当することになっていた.
1.新入館者へのオリエンテーション 2.日常生活についての相談・世話 3.学業についての相談・世話
4.日本語の指導
5.公式パーティの企画・実施
6.その他,留学生会館主事の指示による仕事
これ以外にも,たとえば,大学による留学生対象の見学旅行のさいに,引率者として同行するなど の仕事を,適宜おこなった.
さて,留学生会館では,毎年,4月と10月に,入館者の入れ替えがあった。ひとりの留学生の在館 期間は,1年半以内と決められていたため,期限が来て,会館を出る留学生は,新たな住居を見つけ て移ることになっていた.
留学生会館に入居してくる学生は,日本に来るのがはじめてである者が多く,そのため入館の当初 には,たいてい,かなりの対応を必要とする.まず,役所関係の事務手続き(外国人登録や健保申請)
や学務関係の諸手続きを済まさねばならない.また,留学生は,所属する大学・研究室を,自分の希 望ではなく,日本の文部省から,専攻領域により決められていることが多く,その場合は,指導教 官とまったく面識がない.そこで,留学生と指導教官との間をとりもつことも,チューターの仕事と なっていた.指導教官によっては,留学生の世話を進んでおこない,みずから積極的にめんどうを見 たり,研究室の学生を担当としてあてがうなどの対応をとってくれる場合もあった.そのような教官 に接すると,あたたかい心づかいを感じ,チューターである自分も見習わなければ,と思ったもの
である.
また,日本に来た留学生は,東京の電車に乗って,かなりのショックを受ける.きっかり定刻に発 着する電車が,すしづめの乗客をのせて動いていくのは,異様な光景なのであろう(ラテンアメリカ の学生が, Es un reloj. 「日本の電車は,まるで時計だ」といったのを覚えている).留学生たちは,
駅の自動改札に,はじめはなじめず,複雑な東京の路線図には,うんざりする.とりあえず,通学の ルートは,知っておかねばならないから,留学生と一緒に電車に乗って,乗り換えなどを教えてお
く.
日常の買い物も,大事な問題である.「安いのはどこか」ということを,よく聞かれるため,近辺 のスーパーを,値段や品揃えで,あらかじめランクづけしておいて,教えることにしていた.留学生 によっては,宗教上の理由で,特定のものが食べられないという場合もあり,ファーストフード店 や学生食堂のメニューについて,豚肉が入ってなくて無難なものはどれか,などということを知っ ておく必要があった.
留学生会館には,いろいろな機器があり,その使用法も教えておかねばならない.たとえば,電子 レンジ,洗濯機・乾燥機インターフォン等は,日常的に利用するものであるから,使用法をきちん と知っておく必要がある.じっさい,これらの機器を使ったことがないという留学生は,かなりいる.
また,トイレの使用法も,重要なことである.アジアの国には,排便後,お尻を水で洗う習慣のと ころがある.日本では紙を使います,と説明しても,身にしみついた習慣を変えるのは,容易ではな いのだろう.そのような国からの留学生が,トイレを水びたしにしてしまうことが,何回かあった.
それにこりて,入館時のオリエンテーションのさい,留学生の前で,トイレの使い方を「実演」し てみせたこともある.
いずれにせよ,日本に来たばかりの留学生は,だれでもはじめは心細さを感じている.チューター しか頼れる人がいないということは,少なくない.やがて,研究室などに友人ができはじめると,精
に助かるものである.同じ国でなくても,ラテンアメリカ諸国のように,言語や文化が同質の地域間 であれば,かまわない.このような相談相手となりうる留学生の存在は,本当に貴重である.
ところで,会館では4月と10月に,新しく留学生が入居するのにあわせて,Welcome Partyという ものを,毎年おこなっていた.大学から経費の補助を受けて実施する公式のパーティである.「だれ でも歓迎」という方針のもと,新旧の留学生,チューター,会館主事の教官,事務官,管理人をは
じめ,地域の国際交流団体,留学生の個人的な知り合い,日本人学生,会館近辺の住人など,関係 のあるさまざまな人びとが参加する.
このパーティの目的は,留学生たちがおたがいを知り,日本人をふくむ人びとと交流する機会を提 供することである.ふだんは自分の学業があり,なかなか人とつきあう時間がとれない留学生たちに とって,このパーティは,人間関係を広げるためのよいチャンスとなっている.チューターにとって も,会館にいる50人の留学生全員をよく知っているわけではないので,パーティは貴重な場である.
日ごろ,なんとなく声をかけづらく感じていたような留学生とも,気軽に話せて,その人柄を知る ことができることがよくあった.また,地域の国際交流団体の方々とお話しする重要な機会でもある.
松風留学生会館では,留学生が会館を出て外部の住居に移るさい,この国際交流団体に,部屋のあ っせんや家具のリサイクル利用などで,大きな便宜をはかってもらっている.パーティは,いろいろ な情報を交換して,協力関係を維持する場となっていた。
3.留学生の位置
東工大に来ている留学生は,1996年に731人である.その出身国は,多い順に中国277名,韓国139 名,インドネシア46名,タイ42名,マレーシア35名,台湾20名と続き,アジア地域の留学生が上 位をしめている.全体のほぼ9割にあたる644人が,アジアからの留学生である.それ以外は,ヨーロ
ッパ,中南米,北米,アフリカなど世界諸地域からで,出身国の総計は56におよんでいる.日本全国 では,留学生の91.5%がアジアからである(1995年).ちなみに,茨城大学の場合は,1996年で,97%
がアジア諸国の留学生である.
つぎに,東工大の留学生を課程別でみると,学部142名,修士課程172名,博士課程306名,研究 生111名であり,大学院とくに博士課程の割合が高くなっている.博士課程の全学生1206名中,じつ に4人に1人が留学生なのである.理科系には,学位取得や技術習得を目的として来日する,とくに アジアの留学生が多いことが,その背景にあろう(岩男,萩原1987).
ところで,東工大では1995年,工学部に開発システム工学科という新学科を設立した.この学科の 目的は,発展途上国(おもにアジア)の開発に貢献できる技術者の養成である.注目すべきは,学科 定員40名のうち半数の20名を留学生の枠としたことである.それにより,日本人学生と留学生の間 での交流を促し,相互に相手の価値観を理解しあうことを期待している(大即 1995).
じつは,日本の国立大学で,学部の留学生をきちんと定員化したのは,これが初めてである.従来,
留学生は,学生定員の枠外として扱われてきた.これは,留学生が,いわばお客さんとして,日本人 学生とは別の扱いをうけてきたことを意味する教員数は学生定員数に応じて決められるので,定員
外の留学生がふえても,教員数には反映しない.すると,留学生の存在は,各教員の余分な負担とな り,教育面は,どうしても手薄になってしまう(平野 1994).このような問題から,留学生の定員化 というのは,今後促進していかねばならない課題であろう.
また,全留学生の8割以上をしめている私費留学生を支援するための対策が,必要であろう.わた しの経験からみても,さまざまな問題をおこすのは,私費留学生が多い奨学金等を得られるのは,
一部の留学生だけであるので,経済的な事情から,アルバイトをする私費留学生は多い.しかし,ア ルバイトは学業を圧迫するため,しだいに生活面で無理が生じて,それが,いろいろな問題のもと になることが多いようである.いったん問題がおきると,本人だけでなく,指導教官や事務関係者も,
対応がたいへんである.そうならないよう,事前の対策が求められる.この点からは,留学生カウン セラーの充実等も必要であろう.
4.留学生との交流
4.1 ことばをめぐって
留学生にとって大きな問題は,やはり日本語である.日本語の能力は,個人間のばらつきが非常に 大きいことが特徴である.留学前に,日本語をかなり学習してきた者から,まったく日本語を知らな い者まで,さまざまである.東工大では,1993年度から,国際大学院コースという,授業と論文作成 を英語だけでおこない,日本語を要しないコースが設置された.そのため,留学生間の日本語能力の ばらつきは,さらに広がったようである.
とはいえ,研究は英語だけで可能としても,日本に住む以上,まったく日本語なしで生活していく ことはできない.むしろ,日本語の理解が広がるほど,日本での生活は豊かになる.わたしは,日本 語について,留学生からひんぱんに質問を受けていた.日常生活の語彙から,専門領域のテクニカル
・タームまで,さまざまなことばを説明するのに,頭をひねったものである.修士課程のときに,日 本語教育能力検定試験を受けて,合格はしていたものの,いざ,外国人がわかるように日本語を説 明するとなると,簡単ではない.以前,夫婦室に入居していた韓国人の奥さん方に,しばらくの間,
日本語会話を教えたことがあった.これは,いろいろと勉強になったうえ,楽しい経験でもあった.
こちらの言いたいことが,なかなか上手に説明できなくても,相手にわかってもらえたようなとき には,やはりうれしい.また,日本や日本人に対して,どのように考えているかを知ることができる のも,貴重な点であった.
ところで,わたしは語学に関心があって,大学院生のとき,スペイン語やインドネシア語を語学学 校で学んだりしていた.これは,まったく個人的な趣味からであった。ただ,外国語をかじっている と,じっさいに使ってみたくなるものである.留学生会館にいるのを機会とばかり,わたしは,周囲 の留学生を相手に,覚えたての表現をよく試していた.それが通じてほめられたりすると,調子にの
ってしまい,貧弱な語学力に留学生をつきあわせることが,何度もあった.
もちろん,留学生にとっても,自分の母語で話してくれる外国人がいることは,とてもうれしいこ とであろう.英語のように強大な力をもっていないことばであれば,なおさらである.じじつ,かた ことであれ,留学生の母語が話せると,彼らの心の開き方が,大きくちがってくることを経験した.
そのおかげで,何人かの留学生とは,非常に懇意になった.
ついて,いろいろな面が見えてくる.そうすると,留学生は,ひとりひとりみなちがうということが,
よくわかる.これは,あたりまえのことのように聞こえるかもしれない.しかし,日ごろ,われわれ は外国人を,白人・黒人・黄色人種あるいは,中国人・韓国人・アメリカ人・イラン人 .というよ うな単純な分け方で,見てしまっていることが,どれだけ多いだろうか.つまり「ステレオタイプ」
である.ステレオタイプにたよっていれば,たしかに楽である.「日本人はみな,まじめで仕事の虫 である」と決めてかかれば,よけいなことをいちいち考えなくてすむ.人間の能力は限られているか ら,ステレオタイプに依存せざるをえない面もある.しかし,このような見方をしているかぎり,相 手を本当に知り,理解しあうことはできない.
留学生たちは,ときには,日本の人びとから好奇の目で見られたり,あるいは,冷たい視線を受け ることもあろう.ふりかえってみると,チューターとしての自分はどうか.留学生の出身国のちがい によって,色めがねをかけているのに気づいたことは,何度もある.ことばを通して特定の留学生と 親密になることは,ある意味で,ひいきをしているのと同じであろう。そうでなくても,.自分と相性 のよい留学生のめんどうばかり,どうしても見がちになってしまう.このような点は,以前,別のと
ころでも書いたことである(関 1994).
日本人は,アジアの人びとを軽視する一方で,欧米人を好意的に扱う傾向がある.そのような態度 は,留学生の心にも,大きな影をおとしてしまう.アジア人留学生は,差別的な待遇を忘れはしない.
また,ちやほやされたということで,欧米人が日本を好きになるわけでもない.むしろ,アジア人と ちがう扱いを受けることで,日本人がもつ人種的偏見や閉鎖性を強く感じているのである(岩男,萩
原 1987).
しかし,さいきんの若者には,このような欧米重視の偏りが減ってきているように,わたしは思う.
アジアに目を向ける学生は,確実にふえてきている.東工大でも,わたしの知り合いの大学院生たち が,国際交流のサークルを自主的に作り,アジア人を中心とする留学生たちと,積極的に交流をお こなっている.彼らは,アジア諸言語の習得にも熱心である.
また,以前にくらべて近年は,日本人学生が,留学生のめんどうを進んでみるようになったといわ れている.その背景には,いまの学生が経済的・物的に裕福になり,さまざまな対象に関心をもつよ うになってきていることがある(阿部ほか 1994).もちろん,日本に住む外国人が増加し,珍しくな くなったことも影響していよう.
このように,外国人に対するステレオタイプ的思考は依然としてあるものの,アジアをはじめとす る諸外国の留学生と積極的に交流し,その価値観を理解しようとする日本人学生が,着実にふえて きている.異文化交流の主役は,あくまで個人であり,ひとりひとりの間のつきあいが基本であるこ とを考えれば,このような傾向は,明るいきざしではないだろうか。多様な価値観が共存する可能性 を,今後に示唆していると思える.
5.おわりに
わたしが,留学生会館のチューターを引き受けたきっかけは,異文化交流に漠然と関心があったこ
とと,自分の視野を広げ,新しい可能性をみつけたいと思ったことにある.しかし,じっさいにチュー ターを始めてみると,その仕事は,自分がいだいていたイメージとはことなる部分が大きかった.高 尚な異文化交流とはほど遠い,雑用の連続という感じであった.それでも,周囲のスタッフの支援も あり,なんとか自分のペースで仕事をやっていけるようになっていった.
ただ,わたし自身も大学院生であり,自分の研究とのかねあいがあって,必ずしも満足に仕事がで きたとはいえない.自分のことで頭がいっぱいで,留学生の立場はまるで理解できていないのではな いかと,感じることがあった.研究がうまくいかなくて,不機嫌な顔でキャンパスを歩いているとこ ろを,留学生に見られているのに気づき,小さな自分が恥ずかしくなったこともあった.
それでも,自分なりにチューターの仕事を続けていくうちに,わたしは,こう考えるようになった.
自分をとりつくろっても仕方がない.留学生が受けとるわたしは,まぎれもない,ふだんのわたしで ある.それ以外のわたしはありえない.そもそも,毎日,寝食をともにしているのだから,自分をか くしてよく見せようとしても無理である.そうであれば,ありのままの自分を理解してもらうより方 法がない.また,こちらも,ありのままの留学生を知るしかないだろう.そう思うようになった.
結局,問われているのは,ひとりの人間としての自分全体であった.自分自身について,わたしは 好きなところもあれば,嫌いなところもある.それと同じように,ひとりひとりの留学生が,好きな ところも嫌いなところもある人間である.このことをしっかりふまえたうえで,先入観にとらわれず,
ありのままの相手を理解しようとする姿勢が,異文化交流の出発点にちがいない.さまざまな面で自 分と異質な相手を理解しようとすることは,とりもなおさず,自分自身の心を広く豊かにすること である.この点で,留学生は,自分の姿を映す鏡の役目をはたしてくれる.これが,チューターの仕 事を通して得た,わたしの意見である.
ところで,外国人との交流の場において,もっとも早く彼らと親しくなれるのは,だれよりも「子 ども」であるという(榎田勝利 1994).子どもたちのもつ,柔軟な感性と素直な態度こそが,異文化 交流に対する最大のヒントなのかもしれない.
謝辞
資料収集に協力を受けた,東京工業大学大学院の植木正裕君に感謝します.
引用文献
阿部汎克,井上雍雄,平野健一郎,横田雅弘,堀江学.1994.「異文化接触による日本人の肯定的変 化」r現代のエスプリ』322,9−25.
榎田勝利.1994.「国際交流と地域文化の助成」r現代のエスプリ』322,58−63.
平野健一郎.1994.「留学生の受け入れは大学教育に何をもたらしたか」『現代のエスプリ』322,50
一57.
木谷雅人.1996.「留学生政策の今後の展望」 r留学交流』8(4),2−4.
文部省学術国際局留学生課.1996.「留学生受入れの概況」 r留学交流』8(5),24−27.
大即信明.1995.「東京工業大学工学部開発システム工学科の概要」『留学交流』7(5),23−25.
関 友作.1994.r留学生との交流を通して』(国際行政交流協会主催,第1回国際交流を考える感想 文・友好賞).