Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [July- Sep. 2017] │ 14
ポスター﹇図
1﹈
に描かれているのは黄︑緑︑青︑紫の線で描かれた大きな電球のシ
ルエット︒その中は黒く塗られている︒この電球のシルエットが配置されているのは白い縦長の四角︒その周りは黒く縁取られ︑箱
のなかに入った電球のようにも見える︒ポス
ターの下部には﹁ヤマギワ国際照明器具コン
ペ入賞作品展﹂とある︒
本作は日本の近代グラフィックデザイン界を牽引した亀倉雄策︵一九一五│一九九
七年︶による一九六八年の仕事である︒亀倉自身がメンバーを務めていた日本デザ
インコミッティー主催の展覧会告知のため
に作られた︒このポスターが生まれた六〇年代後半といえば︑現代のように
EL D
照明もなければ︑まだ蛍光灯の普及率も低く︑白熱電球が住宅用照明の代名詞で
あった︒展覧会には日本初の照明器具の国際コンペティションで話題をよんだ国内外の作家による入賞作品が一堂に集合︒白熱電球を光源に︑いかに創造性溢れる光を生み出すことができるか︑つまり﹁照明器具の可能性への透視﹂﹇註
1﹈を目論ん
だ展示であった︒そして︑このポスターは亀倉がその後展開していく光の表現の可能性を透視している︒ 前富山県立近代美術館副館長︑片岸昭二氏は亀倉のグラフィックデザインにおい
て存在感を放つ﹁光﹂の表現について語っ
ている﹇註
2﹈
︒︽原子力エネルギーを平和産業に!︾︵一九五六年︶で︑亀倉は当時の新しいエネルギー源であった原子力をコ
ンパスで精巧に作図した光で表し︑同時期に発表したニコンのポスターシリーズで
は︑直線と曲線を用いて平面上にオプティ
カルイリュージョンを作り出した︒︽ヤマギ
ワ国際照明器具コンペ入賞作品展︾も同様に︑光を主な題材として扱った作品と
して同じ文脈で紹介されている︒
本作を皮切りに︑亀倉はヤマギワ国際照明器具コンペのポスターを合計十回︵一九
七三年に﹁東京国際照明デザインコンペティショ
ン﹂へと名称変更︶にわたり手がけており︑様々な光の表現を試みている︒その中で亀倉がヤマギワのイメージにつながるとした
のは︑本作で見られた色の組み合わせ︵亀
倉のいう色相︶による造形であった﹇註
3﹈︒
そこで本稿は︽ヤマギワ国際照明器具コン
ペ入賞作品展︾とこの後に制作された二点
のポスターを検証しながら︑そこに浮かび上がってくる亀倉の造形方法論について考察していく︒ まずは︽ヤマギワ国際照明器具コンペ入賞作品展︾に描かれている黒い電球の話か
ら始めよう︒ポスターの大部分を占拠する
この電球グラフィックは︑かなりの存在感
を放っている︒しかし︑ポスター下部に記載されている展覧会タイトルを読むと︑即座にこれが光に関係するイベントのポス
ターグラフィックであることが分かる︒﹁だ
から電球なのか﹂と見る者はあっさりと結論づけ︑この電球に対して大して注意を払
うことはないかもしれない︒しかし︑よく見ると平面に描かれている黒い電球の異様さに様々な疑問が浮かび上がってくる︒
なぜ︑黄︑緑︑青︑紫の線で描かれている
のだろうか︒なぜ︑明るく照らすものであ
る電球が黒く塗られ
ているのだろうか︒な
ぜ︑黒い電球なのに発光しているように見えるのだろうか︒
一説には︑一九六七年頃に亀倉は黄︑緑︑青︑紫︑黒の五色
を組み合わせた試作
を作っており︑それ
は﹁黒い物体が光を 放つように見える︑色の帯による不思議
な表現﹂﹇註
4﹈
だったといわれている︒こ
れがきっかけで翌年︑︽ヤマギワ国際照明器具コンペ入賞作品展︾のポスターを作っ
たのだ︒亀倉自身は﹁これは無論錯覚であ
るが︑この色の組み合わせ︑この色相の幅
でないと効果をあげない︒これは一種の発明だと思う﹂﹇註
5﹈と語っている︒亀倉が
どこまで計算してこの表現にたどり着い
たのかは定かではないが︑注視すると︑こ
の色の組み合わせが不思議な視覚効果を生み出していることがわかる︒
黒い電球に接している最も内側に配置
された紫は一番幅が広く︑外側の色に徐々
に目を移していくと︑それらの幅は少しず 野見山桜作品研究
亀 倉 雄 策 の 光 の 表 現 に つ い て
図1 亀倉雄策《ヤマギワ国際照明器具コンペ入賞作品展》
1968年 東京国立近代美術館蔵
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つ狭くなっている︒一見︑同系色を並列し︑
それらの濃淡によりグラデーションを作る
ことで発光を表現しているように見える
が︑実際配置されている色はそれぞれ全く異なる︒最も外側の黄に到達した色の層は最後︑辺りを白く照らすのである︒亀倉が﹁発明﹂としたこの光の表現は︑何の違和感
も持たせることなく一瞬で見る者の注意を引き︑そして照明に関連したポスターの告知内容と紐づく︒本作はポスターというメ
ディアが最も重視する役割を見事に光のグ
ラフィックによって果たしているのだ︒ここ
で︑このポスターの後に制作された同シリー
ズの他の作品を見てみると︑亀倉が同じ色合いでデザインしていたことが分かった︒︽
展︾︵一九七三年︑図 73東京国際照明デザイン指名コンペ作品
2︶︑︽
83第 際照明コンペティション︾︵一九八三年︑図 10回東京国 3︶
がその例である︒
︽ヤマギワ国際照明器具コンペ入賞作品展︾では︑電球の外側に大々的に白を用い
ることで明るさを表現している︒︽
白の部分はかなり減り︑その代わりに黒 国際照明デザイン指名コンペ作品展︾では 73東京
が増えた︒ただ︑この圧倒的な黒の中に白
が入ることで︑逆に白の存在感が強調さ
れている︒発光という瞬間的な光というよ
りは︑ずっとそこにあって辺りを照らして
いる光のように見える︒︽
83第
10回東京国 化はないものの︑今度はグラフィックに新 際照明コンペティション︾では色合いに変
しい表現が加わった︒各色が塗られたギザ
ギザの層が積み重なり︑閃光のようなまば
ゆさを持つ︒照明に関連したモチーフがな
い分︑具体性は無くなったが︑光が放たれ
ている状況を克明に表現している︒この造形は︑一九五〇年代に亀倉が発表したニコ
ンの一連のポスターや一九七〇年の大阪万博のポスターを彷彿とさせる︒光を表す二
つの造形言語︑色と形が融合されたのだ︒
ここまで︑亀倉の光を表現する造形の移
り変わりを三つのポスターを比較して読み解いてきたが︑ここで考えたいのは︑亀倉
がどのように色彩を主とした表現にたどり着き︑その表現を展開する方法を取得した
のかということだ︒そのきっかけの一つとし
て浮かび上がってくるのが︑ドイツの造形学校バウハウスである︒なぜなら︑亀倉が
バウハウスから影響を受けたというのは頻出の事実であり︑一つのデザインから導き出した光の表現を他の作品に展開する亀倉のこの方法論は︑バウハウスが提唱した
デザインを規格化するための造形言語の創造・展開と重なる部分が大きい︒一九二三年のバウハウス展の図録を通じてバウハウ
スのデザイン教育・思想論に強く感銘を受
けた亀倉は︑一九三五年にバウハウスの教育をモデルに川喜田煉七郎が設立した新 建築工芸学院に入学する︒中学卒業後す
ぐに少年図案家として就職した亀倉が︑グ
ラフィックデザインを学んだ始めての学校
がここだと考えると︑その造形教育が亀倉
のデザインにおける方法論に大きな影響を
もったと考えても不思議ではない︒亀倉の曲線と直線を巧みに使ったグラフィックに
はバウハウスの構成主義が色濃く影響して
いるとよく語られるが︑ここでは亀倉がど
のように発光する色の組合わせに到達した
のかという点に焦点を絞って︑亀倉の造形方法論について考えていく︒
まず気になるのが︑光を表現するためにどのように亀倉
が暗い色を含んだ色の組み合
わせを選んだかということで
ある︒様々に試した結果とは
あるが︑その前提として光の表現に対する先入観
│
光は明るい色をつかって表現す
るもの
│
を捨て︑もっと多角的に光について考える必要がある︒ここで出てくるのが川喜田が唱えた明暗練習であ
る﹇註
6﹈︒新建築工芸学院で
も実践された造形教育の一つ
だ︒川喜田は︑明暗とは比較対照が成立することで定義で
きる感覚であり︑色彩もその固有の明暗によって比較され ることで相互の関係がはっきりするとし
た︒そこでは白と黒はもちろんのこと︑黄
と紫︑黄と青の組み合わせが明暗を示す上で効果的であるとしている︒光の表現に明だけを求めずに︑色の構成によって完成
させようとした亀倉の色相の原点をここ
にみることができる︒この色の組み合わせ
は︑パターン演習によって表現の追求をす
ることで感覚を揺さぶるものとなるのだ︒次に色彩練習では︑川喜田は理論に囚わ
れずに︑実際に自分自身の目で色を吟味
図2 亀倉雄策《73東京国際照明デザイン指名 コンペ作品展》1973年 東京国立近代美術館蔵 図3 亀倉雄策《83 第10回東京国際照明コンペ
ティション》1983年 東京国立近代美術館蔵