Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Jan.- Mar. 2020] │ 14
写 真 の 向 き を め ぐ る 謎 │ ︽ジョージア・
オキーフある肖像│手と指貫︾
について
アルフレッド・スティーグリッツの︽ジョージア・オキーフある肖像│手と指貫︾︵一九一九︶﹇図
手に針を持ち︑右手の中指に指貫をした 1﹈は︑表題のとおり︑左
ジョージア・オキーフの両手を写した作品
である︒独特の暗褐色の画面は︑パラディ
ウム・プリントという印画技法によるもの
で︑手や背景となっている布地の形が輪郭線のようなものに縁どられているのは︑
ソラリゼーションという暗室技法が用いら
れているからである︒ソラリゼーションと
は︑現像の過程で一瞬︑過度な露光をす
ることで︑明暗の逆転や濃い輪郭線が生
じるといった効果を得る技法だが︑この作品では︑それが絶妙に用いられている︒
この作品の魅力は︑そうした印画紙や技法の採用によって︑縫いものをするオ キーフの優美な手に︑彫刻のような存在感が与えられていることにもよるのだが︑
もう一つ注目すべきは︑その構図である︒画面の上端から下に向かって伸びる左手
と︑下端から伸びる右手は︑同じ人物の手でありながら︑あり得ないような不自然
な角度で組み合わされているように見え
ないだろうか︒そう見えるのには理由があ
る︒実は︑私たちが見ている構図は︑撮影
した時の角度から︑九〇度回転している
のだ︒つまりこの写真は横位置で撮影さ
れたものを︑縦位置で見せているのであ
る︒この小文では︑この構図の回転という問題を手がかりに︑この作品の背後に見
えてくるものについて考えてみたい︒
構図の回転について考える前に︑まず
はこの作品の背景を簡単に確認し
ておこう︒
アルフレッド・スティーグリッツ
は︑アメリカにおいて写真を近代的
な芸術表現の一ジャンルとして確立することに大きく貢献した写真家である︒一八六四年にニュー
ジャージー州ホーボーケンに生まれ
たスティーグリッツは︑青年時代に ドイツに留学して写真化学を専攻すると
ともに︑当時のヨーロッパにおける写真芸術の主流であったピクトリアリズムの潮流
を学び︑新進の写真家としてアメリカに帰国︑写真芸術を根づかせるための活動を開始した︒彼は二〇世紀の初頭︑ピクトリ
アリズムを標榜するグループ﹁フォト・セ
セッション︵写真分離派︶﹂を組織し︑また
ニューヨーク五番街二九一番地にギャラ
リー﹁二九一﹂を開設︑一九〇三年から一六年にかけては季刊芸術誌﹃カメラ・ワー
ク﹄を刊行した︒これらは当時の写真芸術
の発展に寄与しただけでなく︑﹁二九一﹂や﹃カメラ・ワーク﹄は︑ヨーロッパの最新の美術の動向をアメリカに伝える窓口とし
ても大きな役割を果たした事で知られる︒
そうした活動を通じて︑スティーグリッ
ツ自身の写真表現も︑先行する視覚芸術
である絵画に追随することで芸術性を確立しようとしたピクトリアリズムから︑し
だいに写真独自の表現を目指す方向へと転換していく︒彼はまず︑より洗練された
ピクトリアリズムを目指し︑﹁ストレート・
フォトグラフィ﹂という考え方を提唱する︒
これは︑絵画に範をとるピクトリアリズム
が︑ときにソフトフォーカスやさまざまな 増田玲作品研究
暗室技法の採用により︑過度に絵画的で
あろうとしたのに対し︑そうした技巧を排
し︑より写真らしい対象のストレートな描写︑すなわちレンズの描写力をそのまま生
かそうという方法論である︒ストレート・
フォトグラフィはやがてアメリカにおいて︑
ピクトリアリズムを脱し︑近代的な写真表現を体現する理念へと発展していく︒ス
ティーグリッツ自身は︑写真の独自性の追究をさらに進め︑一九二〇年代の半ば頃︑﹁イクィヴァレント︵等価︶﹂という美学に到達する︒︽ジョージア・オキーフある肖像
│手と指貫︾は︑こうした展開において︑重要な意味を持った︑オキーフを被写体と
した作品群のうちの一点なのである︒
オキーフをめぐる写真は︑一九一七年か
ら二十年ほどの間に約三百点が撮影さ
れ︑﹁ある肖像︵A Portrait︶﹂というシリー
ズ名が与えられている︒一連の作品は︑い
わゆる肖像︑つまり顔を中心にその容姿
を捉えたものだけでなく︑ヌードやこの作品のように身体の一部にレンズを向けた
ものまで︑ヴァラエティに富んでいる︒オ
キーフと出会った一九一六年頃︑スティー
グリッツは﹃カメラ・ワーク﹄誌が終刊する
など︑芸術としての写真を確立するために
図1 アルフレッド・スティーグリッツ《ジョー ジア・オキーフ: ある肖像─手と指貫》1919年 東京国立近代美術館蔵 ジョージア・オキーフ氏 寄贈
15 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Jan.- Mar. 2020]
邁進してきた活動が一段落し︑家庭にも問題を抱え︑写真家としても低調な時期
を迎えていた︒そこに現れた才能ある新進の画家オキーフとスティーグリッツは︑互いに惹かれ合い︑後に結婚する︒オキー
フはまた創作意欲をかきたてる被写体と
して︑写真家スティーグリッツを賦活する存在ともなっていくのである︒
﹁ある肖像﹂の連作は︑スティーグリッツ
の求めに応じてさまざまなポーズをとるオ
キーフに反応して︑あるときはその顔立ち
や表情に注目し︑あるときは手や胸など身体の一部分をクローズアップするといっ
た具合に︑即興性をはらんだ撮影プロセス
から生み出されていった︒この経験からス
ティーグリッツは︑レンズの前で流動する被写体に反応し︑それをそのままイメージ
に移し替えるという︑写真ならではの方法論にあらためて確信を深めていく︒オキー
フという特別な存在ではなく︑空に浮か
ぶ雲を被写体に撮影された連作﹁イクィ
ヴァレント﹂﹇図
2﹈
で示された︑写真はレ ンズの前の世界と﹁等価﹂であるというシ
ンプルな写真美学に至る展開において︑﹁ある肖像﹂の連作が重要な意味を持って
いたというのは︑そのような理由による︒
︽手と指貫︾にもどろう︒同一のイメージ
の作品は︑いくつかのアメリカの美術館に
も所蔵されているのだが︑それらの別プリ
ントを調べてみると︑興味深いことに気づ
く︒作品の方向が︑三通りあるのである︒
まず当館と同様︑縦位置で左手が上にあ
るものは︑ニューヨーク近代美術館や
イェール大学ベイネック図書館など︒同じ
く縦位置だが︑指貫をした右手が上にあ
るものがシカゴ美術館やナショナル・ギャ
ラリーなど︒そしてフィラデルフィア美術館にあるものは横位置なのだ﹇表﹈︒
これらを比較して分かるのは︑フィラデ
ルフィア美術館の所蔵する横位置の作品
が︑おそらく撮影時の天地と同じ方向で
あるということである︒鏡の前で試してみ
れば分かるように︑体の前で縫いものをす る手を正面から撮影すれば︑無理なくこ
のような構図になる︒しかし当館のものも含め︑現存するプリントの大半は︑縦位置
が指定されているのだ︒スティーグリッツ
は写真を展示する際の台紙や額装の仕様
にも細心の注意を払ったことが知られて
いて︑たとえばシカゴ美術館のプリント
は︑スティーグリッツによるオリジナルの台紙が残されており︑それは視覚的に安定して見えるよう︑上よりも下の余白を大きくとった上で︑右手が上にくる位置
でプリントが固定されている﹇註1﹈︒つま
りスティーグリッツは︽手と指貫︾におい
て︑撮影時と同一の天地にこだわらず︑右手または左手を上にする二通りの方法を試し︑そのどちらもあり得るという判断を
したらしいのである︒
先にも述べたように︑どちらを上にする
にせよ︑縦位置になると︑とたんに二つの手の位置関係が︑あり得ないような不自然なものに見えてくる︒このことは私たち
の視覚が︑無意識にさまざまな常識に囚 われているということを示唆している︒画像が九〇度回転するだけで︑私たちの視覚は混乱し︑元の向きなら無理なく体の前にあると了解される両手の位置関係が︑
まるで身体から切り離され︑独立して動
く二本の手のように見えてしまう︒同時
に︑スティーグリッツをいつも魅了したと
いう︑オキーフの長い指を持つ手の優美
な存在感がいっそう際立つという効果も︑縦位置でこの写真を見せることで生じて
いるようだ︒
さらにいえば︑写真はレンズの前の世界
と﹁等価﹂であるというイクィヴァレントの美学において︑世界と等価に現れる写真
イメージとは︑決して人間の見ている世界
と等価ではないということが︑ここでは示
されている︒だからこそ︑写真にしかでき
ないかたちで獲得された﹁等価﹂な世界の像とは︑人間にとって新たな経験を開く
のだ︒雲を撮影した﹁イクィヴァレント﹂の連作において︑スティーグリッツはときに
ほぼ真上の空にカメラを向けてシャッター
を切るなど︑イメージの中に︑写真の向き
を決める手がかりを入れないようなフ
レーミングを試みた︒作品の裏面に︑どの向きから見てもよいという指示を書き入
れたものもあるという︒三通りの方向で作品となっている︽手と指貫︾とは︑この﹁イ
クィヴァレント﹂での試みを先取りするも
のと解釈することもできるだろう︒
[表]
主要美術館所蔵の《手と指貫》の方向
ニューヨーク近代美術館、イェール大学 ベイネック図書館、東京国立近代美術館
ナショナル・ギャラリー(ワシントン)、
メトロポリタン美術館、ボストン美術館、
シカゴ美術館、サンフランシスコ近代 美術館
フィラデルフィア美術館
図2 アルフレッド・スティーグリッツ《イクィヴァ レント》1925年 東京国立近代美術館蔵 ジョージア・オキーフ氏寄贈