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Vol.68 , No.2(2020)079水野 和彦「四善根位の定についての一考察」

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Academic year: 2021

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四善根位の定についての一考察

水 野 和 彦

はじめに

本稿では,説一切有部(以下,有部)の四善根(catvāri kuśalamūlāni 煖・頂・忍・ 世第一法)について考察する.この四善根位については,有部の修行論の中では 見道(正性離生)直前に位置する加行位であり,昨今さまざまな観点から研究が 進んでいる.管見によればアビダルマの主な命題は,ダルマ(法)の有漏無漏分 別,業の因果則の解明などであろう. しかし本稿では,修行道を論説する側面に注目し,実践的な,定(修所成)と 慧(四善根)の観点からこの四善根について考察したい.筆者は,アビダルマ論 師たちが,禅定についてどこまで論理的思考によって説明しようとしたのか関心 がある. 有部論書において四善根の萌芽は,『発智論』から登場する.その中で「世第 一法・頂(頂堕)・煖」と三善根であり,階梯をさかのぼる形で論説される.さら にその 釈『婆沙論』では,世第一法と頂の間に「忍」位も付加され,これら四 善根が「順決択分」に相当することも議論されている.そして順決択分は解脱分 とともに,見道加行位の一部とされ,これらの教理は『倶舎論』や『順正理論』 へと継承されてゆく.本稿では,四善根について多くの諸門分別や科段を考慮し て,定慧の要素を以下の3つの観点に絞り考察する. ①四善根位の依地は,色界繋の六地である ②四善根位は聞思所成でなく修所成である ③順三分における順解脱分の記述から見える,四善根位(順決択分)の検討 1.

 四善根位は色界繋(六地)であり,修所成である.

『倶舎論』における四善根位の依地は,六地(初定乃至四定,未至定,中間定)で ある1).これは欲地でもなく,無色定も否定する.無色定は欲界の苦諦を遍知

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し,集諦を断ずることができないからとする. しかし異説も存在し,妙音論師は,煖,頂位に関しては,欲界での四善根位の 修習を認め,七地とする2).これに関して,周2005bにおいて,四善根位の依地 についての論考がある.この中で『婆沙論』の議論を引用し,この煖頂の二つは 欲界の不定地の聞,思慧であるので,「欲界繋」であるという. しかし有部は,妙音の所説を引用しつつも,これら四善根すべてを修所成と規 定している3).修所成とは,等引(禅定)によっての修習であり,「業品」では, 「等引の善を修と名づく,極めて能く心に薫ずるが故なり4)」とある.定地の善 は,心の相続においてよく薫習させて徳類を成就させることから,修所成であ り,四善根位とは,善に向かわせる心をよく養う段階のことである. つまり加行位の最終段階である四善根とは,禅定中での慧であり,定慧の併修 といえよう.有部はこれらをしばしば「修所成の慧」と論じるが,定慧を併修し ない聞思所成の慧とはどのようなものであろうか.さらに,修所成とは,定慧の 修習とすることに異論はないであろうか.このことから,聞,思,修についての 有部の規定を確認する. 2.

 三慧(聞,思,修所成)とはどのような相か

聞思修の三慧については,有部(毘婆沙師)と世親の理解に相違がある5) ①有部の定義は,聞,思,修をそれぞれ名,倶,義を境とする. ・聞所成(名の境を縁ずる未だ文を捨てて義を観ずることができない) ・思所成(名義の倶の境を縁ずる,文に由って義を引き,義に由って文を引く) ・修所成(義の境を縁ず,すでに文を捨て,唯義を観ずる) ②倶舎論における世親の理解 ・聞所成(修行者の至教を聞くに依って生ずる勝慧) ・思所成(正理を思するに依って生ずる所の勝慧) ・修所成(等持を修するに依って生ずる所の勝慧) 有部が名と義の境において,聞慧,思慧,修慧の順で段階的に高めてゆくのに 対して,倶舎論の世親の理解は,それぞれ至教,正理,等持を所依とした慧であ ると定義する. 世親は特に,有部の思所成の慧(名義を縁ずる)の規定は,それぞれ聞所成と修 所成に分類可能であるため,思所成が成り立つことはないと主張する.そして,

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思所成は正理を考察して生じた慧あり,修所成は禅定により生じた慧であると, 解釈する.『順正理論』では,この世親の説に対して,「聞慧を成じ已って,別義 を知らんが為に,復た精勤を加え,自ら審らかに思択す.思択をして 失無から しめんと欲するがゆえに,復た師教の名句文の身を念ず.此れに由って後時,義 の差別に於て決定の慧を生ずる6)」と反論し,あくまでも思所成を「名義の倶」 と説明している. この両者の思慧と修慧の規定に注目したい.有部は思所成の延長上に修所成 (禅定)を位置付けている.一方,世親は正理を思考すること,そして禅定におけ る慧を区別している.これは,論理的に法選別を志向する者と,実際禅定を修習 している者との慧に対する概念の相違であろうか.これは行の実践論にとって重 要な問題であり,精査が必要である.本稿では『倶舎論』と『順正理論』の比較 にとどめたい. 3.

 順三分における決択分の位置づけ

次に順三分について検討する.『婆沙論』から見られる,見道の加行位を三分 している議論が,順三分(福分,解脱分,決択分)の論説である.この枠組みにお いて,四善根は,決択分に相当し,この議論は『婆沙論』より見え,『倶舎論』 や『順正理論』などにも継承されている. 『倶舎論』「業品」によれば,この三分はそれぞれ,世間の可愛の果(福分),涅 槃の果(解脱分),さらには聖道の果(決択分)をそれぞれ引くとする7).長い仏道 修行の証果が,出家在家の聖俗問わず,どの段階で決定されるか,善根の因果を 説明したものといえよう. この区分では,決択分の実践については,「煖等の四」のみとし,具体的な記 述はない.この議論は決択分を明らかにすることではなく,三つの果報を示し, 生天や涅槃の種子が,聖道の決択の前に植えられる業の因果関係を説明すること が重要なのであろう. この論説と先の聞思修の階梯論によると,四善根(決択分)は修所成であるな ら,それ以前の解脱分は,聞思所成に相当すると推測できることから,解脱分の 内容を検討する.解脱分については,『倶舎論』「賢聖品」において,決択分(四 善根)を詳説した後,その付随的な論調で,階梯を 及する形で論じている(こ れは『婆沙論』でも同様8)). 決択分を今生にて引生する者は,前世において解脱分を起こすとされる.これ

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らの特徴を有部の主張が簡潔に整理されている『順正理論』より引用する9) (『倶舎論』の重複部分に下線,ただし世親はこの説を,伝説(kila)とする10).) ①解脱分は,聞思所成であり,修所成ではない. ②解脱分の自性は,身口意の三業であり,主要なものは意業である.(解脱を願う) 思願力(意業)によって起こった身業や語業も,解脱分に分類される. ③その具体的内容は,多くの善業を積むことでもない. ④一施一戒であろうと,生死を厭背し,強い涅槃への願力(意業)をもつことで あり,これによって解脱への種子が植えられると説く. また『倶舎論』「業品」には,「身中に涅槃有り,生死は過有り,諸法は無我な り,涅槃に徳有りと聞いて,身毛奮い立ち,悲泣する11)」とあるように,仏道に 感動し証果への意思を固める段階ともいえる.これらの引用では,解脱分は本格 的な定慧修行ではなく,善士に近づき仏法を聴聞したり,法を思惟したりする段 階である(聞思所成). こうした実践内容から解脱分について,佐々木2015は次のように指摘してい る12).従来のアビダルマ教学において,解脱分は四善根位の前の段階,三賢位 (不浄観・持息観,別相念住,総相念住)に相当すると考えられてきた.そして,この 論考の中で,解脱分の記述は大乗経典のテキストと類似性を見出すことができ, 三賢位と解脱分は別の概念ではないか,と考察している. 有部にとって,三賢位は不浄・持息観(=定),念住(=慧)の修習を説明する ものであり,解脱分は,涅槃の因を植種する善根果報の説明を意図するものであ ろう.しかし解脱分,決択分の順番を,有部の聞思修の順に配当すれば,解脱分 (聞思),決択分(修)である.世親は,思所成と修所成を,思惟と等引と区別し たが,有部は,「聞思」を「修」の予備段階として位置付けているので,三賢位 が思所成(定慧の予備修習)であるなら,解脱分は三賢位に相当すると主張する根 拠になる. いずれにしろ,定慧,聞思修の実際の実践における区別,解脱分や決択分の因 果をどのように整理するか.有部やそれ以外の者らの見解の違いは避けられない ことである.

まとめ

本稿では,有部の四善根位に関して,依地,聞思修,決択分,解脱分の論点か ら定の要素を検討した.

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今回は,定をキーワードに注目したが,定慧の区別,禅定の善根の果報などま だまだ不明な点は多い.最初に妙音の,四善根の依地に欲地を含む説を紹介した が,これは『婆沙論』から見られる.これは,有部の本流以外の一定の層から支 持を得てきた説であろう.また依地に関しても六地(六通り)であることなど, 行者の瞑想技術によって個別的であり,また先天的な要素(生得慧),法へ習熟度 (聞思所成慧),法臘など多様性のある個人の集合の中で,どこまで修行道を一般 理論化できるか. 有部論師たちは,実際同時並行的な定慧修習を念頭に置きながら,善根の因果 説とどう折り合いをつけるのか.その根底に聞思修の枠組みを置き,こうした複 雑な四善根位(順決択分)の論説が形成されていったのであろう.しかし,こう した議論が,後進実践者にとって,一定の指針になってきたと考えられる. 1)『倶舎論』(T29, 120a27–b04).   2)また周氏は,このテーマについて『婆沙論』か ら『甘露論』『曇心論』系,そして『倶舎論』に至るまで調査しているが,それによると, 妙音の七地の主張はほとんど引用されている(周2005b, 85).   3)『倶舎論』(T29, 120a23–24).   4)『倶舎論』(T29, 97c09).   5)『倶舎論』(T29, 116c11–c21).    6)『順正理論』(T29, 668c22–669a12).   7)『倶舎論』(T29, 98a12–19).   8)『婆 沙論』(T27, 35a).   9)『順正理論』(T29, 682c18–c25).   10)『倶舎論』(T29, 121a09–a20).   11)『倶舎論』(T29, 98a14–a16).   12)佐々木2015, 342. 〈一次文献〉 『発智論』 『阿毘達磨発智論』玄奘訳(T27, no. 1544) 『婆沙論』 『阿毘達磨大毘婆沙論』玄奘訳(T27, no. 1545) 『倶舎論』 『阿毘達磨倶舎論』玄奘訳(T29, no. 1559) 『順正理論』『阿毘達磨順正理論』玄奘訳(T29, no. 1562) 〈二次文献〉 石田一裕2018「 大毘婆沙論 における西方尊者」『印仏研』66(3): 1085–1090. 佐々木閑2015「有部の順解脱分と 想起触媒型 大乗経典」『印仏研』64(1): 348–341. 周柔含2005a「 頂 法説成立説における 頂 法の位置に関する一考察」『印仏研』53(2): 879–877. ― 2005b「 煖 法説成立に関する 信愛 の一考察」『韓国仏教学』10: 73–92. 鈴木紀裕1977「有部阿毘達磨に於ける四善根について」『印仏研』26(1): 340–342. 孫儷茗2003「説一切有部の修行段階説と三善根の関係について『婆沙論』から『倶舎論』 へ」『仏教学研究』58/59: 259–288. 田中裕成2017「有部系論書における七処三義観」『仏教大学仏教学会紀要』22: 69–88. 兵藤一夫1990「四善根について―有部に於けるもの―」『印仏研』38(2): 871–863. 〈キーワード〉 四善根,聞思修,順決択分,順解脱分,定慧 (正眼短期大学講師)

参照

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