Posted at the Institutional Resources for Unique Collection and Academic Archives at Tokyo Dental College, Available from http://ir.tdc.ac.jp/
Title
私,櫻井薫
Author(s)
櫻井, 薫
Journal
歯科学報, 119(3): 179-187
URL
http://doi.org/10.15041/tdcgakuho.119.179
Right
Description
私の学会活動は,40年前大学院1年目の東京歯科 大学学会からスタートした。本稿は2018年10月21日 に開催された東京歯科大学学会における特別講演の 内容を基に,私が体験したことを通して,当講座の ことを論文風に述べたものである。 Ⅰ.背 景 私,櫻井 薫は,1953年12月6日に長野県望月町 で誕生した(図1)。祖父と父も東京歯科大学の同窓 である。祖父・関太は,大正8年に本学を終え,当 時無歯科医村であった地方民の切なる願いから望月 に開業した。祖母・とよとの間に6人の子どもがあ かず と り,長男は私の父・和人である。祖父は開業しなが ら,歯槽膿漏の治療器具や薬剤,さらに咬合器の特 許を取得した。また北佐久歯科医師会会長の任につ き,1951年には日本学術会議の選挙権を得ていた (図2)。父・和 人(図3)は,本 学 を1950年 に 卒 業 し,国立大蔵病院(現国立成育医療研究センター)に 勤務し,その後長野県春日に祖父とは別に開業し た。しかし私が2歳の時,父の学位取得のために東 京に転居した。その時には本学生理学教室に席を置 き,伊藤秀三郎教授や東京大学耳鼻咽喉科の藤田馨 一教授の指導の下,東京医科大学で医学博士を取得 した。学位論文は,当時の最先端であったソナグラ フを用いた双生児の音声に関する研究であった。学 位取得後は,杉並区浜田山駅前で開業した。その時 に祖父が父に送った歯科医院看板用のフレーズは 「親と歯は大切に」である。母・香津(図4)は,府
歯学の進歩・現状
私,櫻井 薫
櫻井 薫
キーワード:小史,生き方,講座運営 東京歯科大学老年歯科補綴学講座 (2019年3月26日受付,2019年6月3日受理) http : //doi.org/10.15041/tdcgakuho.119.179 連絡先:〒101‐0061 東京都千代田区神田三崎町2−9−18 東京歯科大学老年歯科補綴学講座 櫻井 薫Kaoru SAKURAI: The Way of Professor Kaoru Sakurai (Department of Removable Prosthodontics &
Gerodontol-ogy) 図1 昭和28年12月6日に長野県 望月町で誕生した 図2 祖父・櫻井関太と祖母・とよ。左は昭和32年10月10日の 信濃衛生新聞 179 ― 15 ―
立第一高女(現都立白鴎高等学校)を卒業して,本学 の奥村鶴吉学長の秘書をしていた。母は,東京歯科 大学歯科放射線学講座および昭和大学歯科放射線学 講座のいずれも初代主任教授であった三崎釥郎先生 とは従妹関係にある。父とは母が,大藏病院の患者 として受診したときに出会ったということである。 さとる 父が学位取得した年に弟が生まれ,「学」と命名さ れた。学は6歳年下で(図5),やはり本学を卒業し 大学院まで進んで,修了後には本学歯科麻酔学講座 に勤務した。そして2013年に朝日大学麻酔学分野の 教授となり,現在もそこに勤務している。3代目と なる私は,そのような環境下で,子どものころより 東京歯科大学に入学して歯科医師になるものと思っ ていた。 はたしてそのようになり本学に入学した。図6は 旧水道橋校舎講堂での進学式後の写真である。進学 式は,市川の進学過程から水道橋校舎に来る3年生 の時に開催された。図7は6年生の登院時代のもの である。 本学入学後,私はゴルフ同好会に入会したが,3 年生の時に同好会から部に昇格した。5年生のゴル フ部キャプテンの時には,全日本歯科学生総合体育 大会でゴルフ部を団体優勝に導いた(図8)。その時 のリーダーシップの成功体験は,その後の講座運営 に大きな影響をもたらした。なお卒業後もゴルフ部 に関係し,瀬端部長退任に伴い後を引き継ぎ,2代 目ゴルフ部部長を23年間務めた。 本学卒業後,私は歯科補綴学第一講座(現老年歯 科補綴学講座)に2人目の大学院生として入局した (図9)。当時はまだゴシックアーチの Apex を用い た咬合採得が主流であったが,習慣性開閉口運動を 基にしたタッピングポイントによる咬合採得を主張 し,タッピングポイント描記時の条件を研究した (図10)。 大学院2年時に布施絵理子と結婚した。絵理子 は,本学の自然愛好会を同級生の佐藤裕子さんとと もに立ち上げた創設者である。彼女は,卒業後に歯 科保存学第一講座(現在の歯内療法学講座)の大学院 図6 進学式。後列左から蛯谷剛文,田中宏美,中摩伊都 子,佐々木良紀,黒田勇一,板谷雅一,眞木吉信,前列 布施絵理子と私 親と歯は大切に 櫻井歯科 図3 父・和人は昭和25年に 本学を卒業,双生児の音 声に関する研究により医 学博士を取得し,杉並区 浜田山で開業 図4 母・香津と 図5 弟は父が学位をとった時に生まれたので「学」と命名 され,私と6つ違いである 180 櫻井:私,櫻井 薫 ― 16 ―
に属し修了した。私は大学院終了後に,休暇を利用 して妻・絵理子と共に留学先を探して回った。米国 タフツ大学に素晴らしい総義歯学と歯内療法学の講 座が存在することを知り,二人でそれぞれの講座に 手紙を書き,幸運にも二人とも Visiting Assistant Professor として受け入れていただいた。留学先の ボストンに生後8か月の長男・瑠加を連れ1986年ま での2年間を過ごした(図11)。長女・めぐみは,帰 国3週前のぎりぎりのタイミングにボストンで誕生 した。 1993年には助教授に昇任した。そして1997年11月 から本学歯科補綴学第一講座主任教授に就任し,補 綴学教室(三講座制になる前の OB も参加)として帝 国ホテルで祝賀会を開催していただいた(図12, 13)。今年で主任教授として22年目になる。 上記のような背景のもと私は,「優秀な人材を輩 出すること」を目的に主任教授としての職務を開始 した。 Ⅱ.方 法 23名の講座員からスタートし,1997年11月12日 (水)の講座会で,講座員に対して「これからの歯科 補綴学第一講座」と題した所信表明を行い,目標を 明確にした(図14)。私が就任するまでは,当講座は 総義歯学が担当であったが,これからは教育研究の 守備範囲を広くして,総義歯領域,老年歯科領域お よび顎補綴領域とした。また診療の範囲はこれらに 限定はしなかった。図15に示すように,有給者の使 命は,①自分自身の研究テーマを持つこと(科研費 を取得し,紙上発表は英文で行う),②研究結果は 臨床に反映すること,③病院収入の向上に貢献する こと,④後輩の教育を行うこと(後輩とは学部学生 だけでなく,講座の後輩も含め,さらに講師以上は 大学院生も担当する)とした。 講座員は,朝8:30には講座に到着し,毎週水曜 日の講座会には出席することとした。大学院生に は,今後の講座運営を担う人物も育てることも考慮 して,文献検索法や統計手法について,外部講師を 招いて教育した。また図16,17に示すような研修プ ログラムに基づいて若手講座員の教育を行った。毎 朝8:30からは前日に1時間読んだ歯科に無関係の 書籍の内容をまとめて皆の前で発表し,指導医はそ 図8 運営することを学んだクラブ活動の重要性,右はデンタル優勝時の数々のトロフィー 図7 左写真:佐藤博之,酒井田京子,斎藤文明,私,後列:櫻井正治,坂 茂,坂 順子。右写真:小児歯科で登院診療中の私と坂 順子さん 歯科学報 Vol.119,No.3(2019) 181 ― 17 ―
図9 大阪での補綴学会にて,溝上隆男教授の歯科補綴学第一講座講座員と関根 弘教授の歯科補綴学第三 講座講座員と 図10 補綴ラボで実験装置作成中の私 と妻・絵理子 図11 30歳から2年間のタフツ大学では,研究だけではなく,臨床 教育も行った。私の主任は Albert Yurkusutus 教授 図12 帰国10年後の1997年,43歳で主任教授に 182 櫻井:私,櫻井 薫 ― 18 ―
の内容とプレゼンテーションのやり方にコメントを することとした。 2006年4月から3つあった補綴系の講座が,統廃 合されて有床義歯補綴学講座とクラウンブリッジ補 綴学講座の2つとなり,当講座にも歯科補綴学第三 講座の有給者と大学院生が移籍した。その結果,大 学院生が18名となった。新講座名になった時にも所 信表明を行い,従来の方針に専門医の取得を追加し た。そして2つの講座が単に混ざったのではなく, 両講座の良いところを合わせて,講座の質が倍以上 になったのだからがんばろうと檄を飛ばした。統合 当初はわれわれの講座で,水曜の3年生に総義歯と 図13 帝国ホテルで開催された補綴学教室による主任教授就任祝賀会 歯科学報 Vol.119,No.3(2019) 183 ― 19 ―
金曜の4年生に局部義歯のそれぞれの講義と臨床基 礎実習を2講座分実施していた。講座員は,これら に多くの時間が割かれた。また作成する試験問題数 も大学内で最多となった。よく講座員は不平も漏ら さず,大学のために頑張ってくれたと感謝する。そ れから9年後に再び,補綴が三講座制に戻り,パー シャルが復活したために,講座名を老年歯科補綴学 講座と改変した。その時に大学の要請により,当講 座の田坂彰規君にパーシャルデンチャー補綴学講座 に移籍してもらった。三講座制に戻っても講座の方 針は1997年の所信と変わらず,老年歯科医学と歯科 補綴学を担当し,現在に至っている。 中間期の2009年からは,講座の基礎系研究力の向 上を狙って,UCLA Weintraub Center for Recon-structive Biotechnology の小川ラボで研鑽を積んだ 山田将博君を助教として向かえた。その結果,講座 におけるトランスレーショナルリサーチ(基礎研究 の優れた成果を次世代の革新的な診断・治療法の開 発につなげることを目的として行う基礎研究から臨 床現場への「橋渡し研究」)が行われるようになっ た。 講座の活性化を図るために,大学の長期海外出張 制度を利用して,4名の講座員を留学させた。上田 貴之君 に は,ス イ ス ベ ル ン 大 学 歯 学 部 補 綴 科 の Regina Mericske 教授の 下 で イ ン プ ラ ン ト・オ ー バーデンチャーについて,石崎 憲君には米国カリ フォルニア大学ロサンゼルス校歯学部の小川隆広教 授と John III Beumer 教授の下で基礎研究と顎顔面 補綴について,また竜 正大君にはスイス,バーゼ ル大学歯学部の Carlo Marinello 教授の下で CAD/ CAM デンチャーについて修得できるように手配を した。その効果は大きかった。引き続き2019年4月 からは,太田 緑さんにスイスジュネーブ大学歯学 部の Frauke Müller 教授の下で研鑽を積んできて 図14 1997年11月12日(水)の講座会での所信表明。当時のパ ワーポイント 図15 助手以上の使命 図16 研修プログラムの概要 図17 当講座の研修指導担当とその役割 184 櫻井:私,櫻井 薫 ― 20 ―
もらうこととした。 Ⅲ.結 果 上記のような方法の中で184名の方々が講座に属 し,そのうち73名の学位論文を指導し,6名の外国 人留学生を受け入れた。その間,ピーク時は50名近 い講座員を有したこともあった。現在は水道橋24名 (市川2名を含む),稲毛13名,計37名であり,各施 設で当講座の人々がなくてはならない存在となって 活躍している。 前述した環境下で,私は多くの仕事をすることが できた。図18に22年間の当講座の紙上発表を表す。 上段は当講座名の変遷を下段の数字は西暦を表す。 講座員の努力の賜物で,様々な有益情報を世に提供 したといえる。なお,口頭発表は本来の業績ではな く,それを紙上発表して初めて業績となると私は考 えている。 国産のインプラント(純チタン性インプラントに 塗布熱分解法により,約3μm のハイドロキシアパ タイトの薄膜コーティングしたもの;プラトン社) の治験を東北大学と東京歯科大学のチーム(当講 座,口腔外科学第一講座,歯科放射 線 学 講 座)で 1999年10月から開始した。そして2002年7月に治験 総括報告書を厚生労働省に提出し,追加資料の提出 を行って,2004年2月に厚生労働省より製造承認が 降りた。実に開始から5年3か月後である。 図19に私の大学やそれ以外の場での活動を示す。 本学の活動において,特記することは,1998年から 6年間,初代の臨床研修委員長を務めたことであ る。第1回歯科医師臨床研修指導医リーダーのため のワークショップを修了した(厚労省,第9号)。そ して学内の評価シートの作成や従たる施設(現在の 協力型施設)の確保に奮闘した。歯科医師臨床研修 をスタートするにあたり,従たる施設の確保は喫緊 の課題であった。全国の講座 OB,ゴルフ部 OB お よび同級生にお願いして,図20に示す44の施設が確 保できた。 学外の役割としては,日本補綴歯科学会副理事長 を1期,日本歯科医学教育学会副理事長を1期,さ らに日本老年歯科医学会の理事長を2期4年務めた ことは大きい。日本老年歯科医学会理事長時には, 「認知症患者の歯科的対応および歯科治療のあり 方」と「歯科医師と管理栄養士が一緒に仕事をする ために」という2つの立場表明を行った。また「高 齢期における口腔機能低下症−学会見解論文 2016 年度版−」も公表し,これによって平成30年度の診 図18 22年間の紙上発表内容 歯科学報 Vol.119,No.3(2019) 185 ― 21 ―
療報酬改定で新病名として口腔機能低下症が認めら れた。さらに「認知症患者の義歯診療ガイドライ ン」も公表できた。6年間務めた日本歯科医学会常 任理事の時には,「口腔ケア」に関する検討委員会 委員長として,今まで変えることが困難とされてい た「口腔ケア」という用語から,歯科医療関係者が 行った場合に使用する用語として「口腔衛生管理」 を提唱し,最近は各所で使用されるようになった。 図19 研究以外の私の活動 ( )の中の数字は年数を示す。2004年から金子学長,2011年から金子理事長,井出学 長,2014年から水野理事長,井出学長,2017年から井出理事長・学長に。私も2014年から 図書館長,続いて大学院研究科長を。なお,下段の数字は西暦を示す。 図20 最初に確保した全国の従たる施設(現在の協力型) 186 櫻井:私,櫻井 薫 ― 22 ―
1999年から厚生科学研究分担研究(医療技術評価 総合研究事業),歯科医師臨床研修の必修化に向け ての諸制度の整備に関する研究に分担研究者として 参加し,中原 泉,岩久正明,橋本弘一,住友雅人 各先生と共に必修化に貢献できたことは素晴らしい 経験であった。また歯科医師国家試験委員を2期務 めたことも良い経験であった。さらに石井拓男研究 責任者の下で,厚生科学研究分担研究者(医療技術 評価総合研究事業),歯科分野における診療ガイド ライン構築に関する総合的研究に参加できた。歯科 界においては,当時診療ガイドラインについて各学 会は全く知識がなく,それを浸透させることは大変 であった。早くから自分でも責任者となり舌機能検 査法の診療ガイドラインを完成させた。これも口腔 機能低下症の礎になっている。 外部研究費は毎年数社からいただけたので,資金 面で研究に支障をきたしたことは一度もない。文部 省科学研究費もほぼ全員が取得しているので,皆個 人としても潤沢な研究費の下で研究を行っていた。 毎朝行っているプレゼンテーションの成果と皆の 有意義な研究成果が,教授になって7年目から出始 めた。ほぼ毎年学会で講座員が受賞している。 2004年 第17回日本顎関節学会 2006年 第115回日本補綴歯科学会で2名 2008年 第118回日本補綴歯科学会 2009年 第39回日本口腔インプラント学会 2010年 25th Anniversary Meeting of Academy
of Osseointegration 2011年 89th IADR
2011年 第22回日本老年歯科医学会 2011年 第41回日本口腔インプラント学会 2012年 第121回日本補綴歯科学会
2012年 14th International College of Prostho-dontists
2013年 第122回日本補綴歯科学会で2名
2013年 15th International College of Prostho-dontists
2013年 第18回日本補綴歯科学会東京支部 2014年 29th Meeting of Academy of
Osseointe-gration
2014年 第123回日本補綴歯科学会
2014年 Indonesia & Japan Prosthodontic
Soci-ety Joint Meeting
2014年 第19回日本補綴歯科学会東京支部 2015年 第26回日本老年歯科医学会 2016年 第27回日本老年歯科医学会 2016年 第125回日本補綴歯科学会 2016年 第20回日本補綴歯科学会東京支部 2018年 第127回日本補綴歯科学会 2018年 第29回日本老年歯科医学会で2名 であった。学内でも学長症例研究助成や同窓会長賞 など数多く受賞している。私も2016年に日本老年歯 科医学賞受賞と日本補綴歯科学会学会論文賞を受賞 することができた。 2019年4月からは,当講座の主任教授に上田貴之 君が,ライオン歯科衛生研究所の東京デンタルクリ ニック院長および本学客員教授に大神浩一郎君が就 任することが決まっている。また石崎 憲君は, 2020年から国際医療福祉大学歯科口腔外科学講座教 授になることが,さらに5月からは非常勤講師の小 林健一郎君が,徳島大学産業院の招聘教授になるこ とも決定している。 Ⅳ.考 察 上記のような結果が残せたことは, ① 子どものころから東京歯科大学を愛していること ② 講座の基本方針を提示していること ③ 講座内で派閥を作らないこと ④ 講座員一人一人を良く観察して育てていること ⑤ 講座員は家族のようなものと思っていること ⑥ 人との繋がりを大切にしていること が理由と考える。 今後はこれらの経験を活かして,さらに世の中に 貢献していきたい。休憩したいとは思っていない。 Ⅴ.結 論 多くの優秀な人材を輩出することができた。また その方々の支えのもと,学内や学外で貢献できた。 謝 辞 講座員をはじめとして,先輩,同級生,後輩,病院関係 者,事務職員,各学会関係者などの多くの方々の助けと,家 族の理解をもって,私の目的を達成できたことに感謝した い。 歯科学報 Vol.119,No.3(2019) 187 ― 23 ―