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幕末、明治初年における西洋史研究

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Academic year: 2021

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(1)Title. 幕末、明治初年における西洋史研究. Author(s). 高橋, 功. Citation. 學藝 : 北海道學藝大學機關誌, 2(2): 108-112. Issue Date. 1950-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3502. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . .EI GAKUG. Vo l .2‘ No,2. 新撰北海道史第六巻史料二 345 3~799 (82 ) 新撰北海道史第二巻 79. ・ー郎 19 1~192 225 北海道拓植史 高倉新 .. 228 -252 . 249-. (83) 同 上 801.. 北海道移民政策史 安田泰次郎 677 692~705 9) 新撰北海道史第四巻 746 (5 第七巻 248 同上 ・て猫北海道に本店を有する銀行が十 昭和元年に ,於し. (84) 日本近世商業史研究 宮本叉次 ”, (85) 商人の漁業家化 菅野和太良 .経済論業 30-5 彦根高商調査研究 8 (86) 新撰北海道史第二巻 .505・682 (87) 禰山秘府 松前賢長 新撰北海遭史第五巻 史料二 134~ヱ35 (88) 同上 (89 ) 鮮血遺書 聖カルベリヨ、 リダッ .ショ.の致命 (奇 、 森豚史第ー 巻元利七年頃) . 久保田といふ所より津軽に渡らんと忍び しに商人の み従来巻を渡 し他の旗人に渡さず……一の工夫を回 ・時を得て津軽に渡らんと恩ひ…… し-旦蝦夷に入り 当時蝦夷……数多の鉱夫彼地へ渡る最 中なり しかば . 師は信者を語らひ鉱夫となりて往来巻を求め (90) 藤野家文書 番人稼方人数調子 書 嘉永七寅年 番人稼方人数調子 書クナシリ (91) 新撰北海道史第七巻年表統計 150~i52. 四 も 見 られ る’ ・. 60) 新撰北海道史 ′第三巻 735~736 (. (61) 「62){63) (64) (65)(66)(67)(68)(69)(70) (71) (72)(73). 新撰北海道史第四巻 29~70. (75) 註 (11〉 譜 (ヱ2). Dec .1950. .. (74} 同上 485. (76) 昭和二十四年六月香深村古老坐談会に於ける談話 3}146 (77) 新撰北海道史第七巻年表統計 14 (78 ) アイヌ 政策史 高倉新一郎 48~52 9 (7 ) 同上 58(寛女九年乱後蝦夷は一従殿様如何成儀 うたれ男女に不 被仰膿候とも私機は勿論孫子一門並. ・の起請文を出し松前の支配雛 眼逆心仕間数候事 等 - 〆)294 を訣 忍め たd) 74~88 , ー38~140 , 232 (80) 同 上 418~423. 1) 来愛氏北海道記事 (8. 幕末、 明治初年における西洋史研究 高. 橋. 功. 北海道学塾大学釧路分校歴史学研究室 Tsut。mu TAKAHASH工:. on t hc Study of.Eur opean .. i ly Me i Hi tory i i j s n the Per od of・Late Yedo and Ear .. この論女の趣旨とするところは幕末明 治初 年 に お い たそれが て、 西洋史研究 がどんな観点から進められ、.ま、. た, 儒学者として高い教養を持ち珍 しくも西洋研究に関 心を持った新井白石は、 キリス ト教の博道が単に植民地. 拡張の手段であるという豊臣秀吉以東の一般的な見解が. どん,な時代傾向の反映であるかを考えて見る こ と に あ る。 歴史研究は過去の事実 を取扱う学問であるが、 それ ぞれその時代の問題と密接なつながりを持つ も の で あ. 誤りであり、 オランダ人が商敵ポルトガル人を陥れるた ・ 1 ) ( . めの遺言であって、 「謀略の一事はゆめゆめあるま じき 事」 が理解されたが、 「所謂形而下なるもののみ知り形. り、 研究者の問題意識とその解決の 見通しが自ら歴史研 究に惨み出て来ることはまぬがれない, むしろそれが切. にまで考えつく して ゆく態度を取らなかった, 佐久間象. 而上なるものはあづかり知らず」として・西洋女化の本質. 実であればそれだけ研究が繊密となりo 透徹し、 それ ぞ. 山の 「東洋道徳、 西洋整備」 の園策諭は幕末に至るまで 終始馨らない知識階級一般の常識であったd 蘭学者がォ. て最も動きのはげしい時代の 一であり、 特に西洋観の著. ラソダ語によって橋駁した西洋の科学は 「発達史的に観. れの歴史的意味を担い得る。 幕末明治初年は日本におい. 、. 2 ( ). た。. 察すれば必要が誘導した学問であったから学問の悪用方 面が先づ講ぜられ、 基礎学叉は基礎研究は寧ろそれに附. し極めてうすい関心 しか持つことが出来ない理由となっ. もすれ ば幕府政治批判の温床となる傾があったから、 幕. しい愛化は西洋研究に大きな影響を典えるも の が あ っ. 江戸時代における鎖国政策は、 封建制度下、 儒教的教 養に基く篇政春の女教政策と相まって、 西洋史研究に対. 随し、 若くはそれに刺戟誘導せられて発達し た 観 が あ る」 とし われている。 歴史、 法律、 経済等の学問はや. 08 1 ・.

(3) . 第2巻 第2号. 聾. 学. 府の圧迫が激しく、 幕末において、 、東西学問の両大関と して江戸の杉田成卿と対立した大阪の緒方洪庵塾であっ 3 ( ) ても 「蔵書は物理書と医書と此二種類の外に何・ もないj (の. それも坂集めて僅か十部」 に足りなりものであり 「西洋 の歴史さえ乏し、 況んや経済、 法律、 政治書の如き日本 0 図曾て見ざる所」 であった。 り ‘ -. 江戸時代にはヨーロッパの歴史、 政治、 経済の書物が. 極めて少かったことは上に述べたところであるが、 必ず. しも全く ・輸入されていなかったわけではない。 八代将軍 吉宗が洋書の禁をゆるめてキリスト教に関係のない洋書 を読むことを許 したという説の当否は別として、 儒学及. び国学に於ける実証的方法の成熟と、 吉宗の実用的な学. 問の奨励とは次第に洋学の発達をうなが した。 近藤正賓 , 6 ( ) の好書故事には呉突弗以鐸の西洋史一班がのせてあるか ら、 幕府には多少の西洋史書の所職があった こ と1が 分 り、.しかも同じ書名の本が山村昌永の訂正増訳栄覧異言. にも引用されているから一部ならず輸入されていたもの ・ ‐ G ( ) ようである。 また安政六年現在 (1859).で岩崎克己校 訂蕃新調所書籍目録によると、 蕃所調所には政治に関す. るものが十四部、 簿記類が四十九部歳き れていた。 その 外に鷹見泉石、,大槻盤水な どの個人及び水戸の彰考館な どにも歴史書があったことが確められているから、.若干. の西洋史書の輸入されていたことはた しかである。 これ ・らの舶載洋書を手が1りに して蘭学者の西洋史研究が進 められ、 またその結果に基いて儒学者の手に成る西洋史 関係の連作 が世にあらわれた。 85 6 安政三年 (1 ) 洋学断が誓書調所と改められ、 教授. 職は箕作院甫、 杉田成卿の二人であった, 杉 田 成 卿 は 7 (). 「先生は博く歴史地理、 算数物理の諸学にもわた」 った. と博えられているが、 梅里先生著訳書目には歴史関係の ものは一期も載せていない 積極的に歴史研究を行い、 8 ) ( 多くの著述を残したのは箕作院甫である。 嘉永三年 (18. 50) はやくも歴史の畝中をつ くり、 腕甫の家に同好者を. 集めたことがあり、 翫甫が蕃所調所で講義したものも多・ くは歴史か地理に関するものであった。 ′ . ′ 9 (). ‐. その著遮にも泰西大事国策七冊、 極西史影五冊、 大西 .大 西春 秋 一 隆史一冊、 史影二冊、 極西唾史一助、 大西i 冊、 大西古今組年一粉、 古今史略一班、 西史年表一冊、 西史外樽二冊、 記ヘ ットスコー ソフルボソ ド野戦の事初 縞一冊、 和蘭古今海図武功記÷鋤、 ガラーフウイリレヘ ルム一世護法軍に従って ダミ アーテを取るの陣一冊、 医 . ▲. .. 聖依ト 千小鰯付依ト子医経一冊、 日本細聞一班等が写本 ・. として箕作家に博えられていた。 それではこれらの洋学者は どんな老で西洋史を研究 し. 昭 和25年12月. たのであろうか。 高野長英は知助一読に篤爾知の万図史 I U (). 略なるものを引用して 「吾西洋従来仁義道徳ヲ以テ其図 ヲ治〆、 以テ目守ノ道 ヲ率ス。 今世頻ニ外邦 二・通 商 シ テ唯其利ノミ此ヲ射ル。 人情安楽 ヲ欲シテ辛苦ヲ厭フ。. ・富貴 安 楽 ヲ,求ム 富貴ヲ好ソデ貧騰ヲ悪ム。 貿易ノ法ノ ルニ其来路甚ダ易シ」 とヨーロ ッパ諸圃が領 土 を 拡 張 し、r貿易を盛んにして富図張兵をはかつていることを述. べている。 こういう開 港論の立場に立って書かれ、 しか. も磨く読まれたものに西洋列園史略三篭がある。 西洋列 園史略は佐 藤信淵家学全集下遂に収められており、 袖書 によると阿波藩の重臣集堂氏の食客となり、 集堂氏のた. めに嘗って宇田川玄髄、 山村昌永等から知った西洋歴史 の大要をしるして贈ったとある。 その奥書には文化九年 80 6) 戊辰多十二月東総の佐藤百紡撰した旨しるして (1. ある。 佐藤信淵は上総「宮藩主加納氏に招 かれたことが あるから、 その地で成稿を得たものであろう。. 上巻はヨーロッパの古代史及びヨー ロッパ及びアジア. 諸園の歴史について書いて あるが、 その記述は必ず しも. 正確でなく、 た どた どしいもの がある。 下堪は近世史で 特にヨーロッパ諸図が新航路の発見、 海外植民に努力 し. たことが極めて適確に扱われている。 歴史観については. 上巻旧約聖書を要約して、 「また大怪なる哉」と云ってい るに止まり、 別に批判的に見ようとしてはいない。 古代 史を取扱うにも政治史が主題であって、 王朝の盛衰興 亡. は簾政者の行篇の善悪に帰せしめられ、 儒教的勧善懲悪 の歴史観と異るものがない。 西洋列国史略の本領とする ところは下遂にあるようである。 即ち附録として防海策 が収められている が、 これが佐藤信淵の云わんとする結 論であって、 宇内混同秘策に述べなれているような積極. 的海外発展策が述べられている。 佐藤信淵の歴史研究は 正にこのような政策論と表裏一体をなすも の で あ り、 1 1 ( ). 「此笹は昔時より蕃人の大洋に航 して 方園に通津せし其 始末を記して以て航海通商は国家の要務たるを示 し、 且 ・斯把爾亜、 波爾杜瓦銅、 魯西亜、 暗厄利亜等の事業慶 伊 大なるを詳にして今の世界の古の事体に非る を 説 く も. の」 が著述の動機であった。 くしているが これよりおくれてこれとほ ゞ体裁を同じ・. 1 2 ) (. 長山貫の西洋小史三巻である。. この書物の西洋列国史略と異っている点は後者が十八. 世紀中頃で縫っているのに対し、 前者はナポレオン時代. で縫っている。 こ1で注意すべきはナポレオン時代で縫 っているにか わらず、 明治初期女明史家の好題目であ つたイ ギリス立憲政治の発達や、 フランス革命が扱われ こつい ていないことである。 ところがナポレオンの博記そ ・ ては特にこまかに語っている。 ナポレオンの簿記は幕末. 109.

(4) . GA GAKUGB GBI. Vo l .2 .2 , No. .. Dec 1950 .‐. 則無以自立, 、唯奔走是務而図本既塞 況交易珍玩奇器不 口其異日不踏是班蒲萄之前 得不生著瞬拶麗之蔽習……亦矢. に 於て少からず世に出た 小関三英の那波列翁博、 大槻 精顧の ト那把種的紐略、 箕作院甫の記ヘットスコーソフ. 「是知用兵之道不 軌」 とい▲またナポレオンを批評して、. ルポソ ド野戦の事初稿等がある。. 小関三英の那波列翁樽は三巻四班より成り 扉には菊 池客斎の子樺卿筆の曾像 が入 れて あり、 安政六年(1859) 木版本として 出版された。 ナポ レオンが幕末におい・て注 1 3 ( ) 184 1) の落日 目されたことは、 杉田成卿に天保十三年 ( ,. 可独限於火砲也。 雑然兵貴制気, 気之道目養而莫徽。 」と 1 6 ( ) が言志鎌で「 其所出奇技淫巧。 導 いっている。 佐藤一斎 人著修便人不覚屡々然入求其中。 学者当亦以淫声美色待 1 7 ) (. ・気ラモ 之。 」とい 、 また大橋調庵が開郡小言で 「器械ノ モ 非レ セラ ペク 機 ノ ・ ノニ ハ、.先 器械ニ制 ル・ テ圧ス 、活 ヅ我長所ヲ洞 察シテ義烈ノ気胆 ヲ激動シ、 折衝ノ根墓ヲ. 橋歌があり、 「狭河両岸鱗臨淋……呼酒素燭看此図」 と いっていること などによって 知ることが出来る。 ナポレ. 堅定セ ソコソ殊ニ喫緊至要ノ事ナレ」 といっているが、 これは蕃史の論評とよく 一致 し、 幕末儒学者に共通の見. オン力;このように関心の的となったのは、 那波列翁惇の ] 4 ) (. 附言に、’「彼の綿年にて千百年の代の末 つ方より八百年. が出来る, 安積良斎は幕末昌 解であつたことを知ること ′ I S ( ) . 平髪の儒官として名声が高かったが、 その著洋外紙略三. の代の初乃比悌郎察図大に乱れし .よりして勃那把爾的世. .. に起り、 なべて欧羅巴の国々是にかふらひて戦争多かり りも軍な ければ、 軍に便利なる物種々出来て遂に軍陣の帯 オンの繊 こよるもので・ ナポレ ども皆改りたろ」 ことキ 巧. 巻もま た撰夷に通ずる儒者ら しい見解を出している。 上 巻ではヨーロッ パ諸図の各図史、 中巻はコロン ブス、 ワ. シントン等の 簿記及び古市、 妖数などの題目で植民史、 キリスト教史を書き、 下巻は防海策とい う政策論になっ ている。 ョ[ロッパ諸園の海外植民を批判 して 「西洋諸. ようである。 けだ しナポレオ , と で あっ 砲兵の運用に巧であったこ 戦術の特色は ンの. 用兵 が問題となったもの. て、 .高野長英の三兵答古知畿、 ,箕作院甫の三兵達歩知畿. 国諸審欲坂人之図必先取其心, 坂其心者 有術 厚 利 以 後之、 邪説以塾之, 而叉以阿片煙蓋之便其橋場髄枯無報. 訳本などによって知 られるように、 幕末における兵学研 究の中 心課題は歩暁砲の三兵特に新しい戦術と して砲兵. ′ 復」・といっている, 以上儒学者の西洋 史研究は政策論と表裏を なすことに おいて、 たとえ撰夷論と開園論との違い があっても、 ひ. 運用にあっ たのである。. 以上のように洋学者の西洋史研究は政治問題、 政策論. によって促された ものであり、 開港論、 兵学 と 結 び つ き、 純粋な学的欲求に基〈ものでは なかった。. と しく実用的歴史銭遮たるこ とは馨りなかった。. 以上のように蘭学 者が西洋史を研 究した外に、 儒学者. ところが明治初年に なる と開園進]反の国是が定まり、 もはや撰夷、 開園の論争はあとを縄ち、 人々はいかにし. の手に成る西洋史書もいくつかある, これらは おそ らく. 洋学者の孫訳か談話に裁くか、 または中園から舶載され. き- て● ‘ロッバ文明が今日のように発達したかを知るこ と に興味を持 つた, そこでヨーロッパの歴史書の謙訳 され ● たのも多くは文明 史の名を持つ歴史で ある。 .-ロッバ歴史は幕末に於て理解され 女明史によって ヨ. な西洋史 た孫訳、 翻刻によったものであろう。 このよう ・ . \. 書の例に斎藤竹堂の蕃史と安積民斎の洋外紀略などがあ る。 髪嚢は編年体で書かれ、 それに論賛を附した在来の 修史体である0 序文は昌谷精漢が書いて あ る。 ,斎 藤 竹. たよりも一層内面的に掘り下げられ・ また鋭く儒教的歴. 堂、 昌谷精漢、 安償民斎共に箕作院南と親交があった,. 史観を批判することになった, 稲沢諭吉は慶態三年 ”8 9 1 ( ) ・ヵ行から帰って来るとゞ 慶} 感表塾で 67 ) 第二回の アメリ. 昌谷精漢名は頑、 字は子臓、 美作の人で、 亀井南摂、 佐 藤ー斎について学 び、 津山幕に仕えた儒者である。 その. 序文に「方今士大夫以商権西洋人用兵巧拙、 器械利鈍、 , と儒学 」 而建防禦之策篇先務鴇, 然往々不知所盛衰勝敗。 し、 史研究の学風 を 批 判 の立場から幕末における西洋 「動心揚眉粁模倣斯体則十年之後必有編年成史樽於我土 者是子徳敏之世己」 と 、歴史蔽遮の体裁の上から蕃史の出. 来 ばえをほめている。 斎藤竹堂は仙台の人で、字は子徳、 江戸の下谷 名は馨、 大槻平泉、 増島開園について学び、 , 8 5 1 相生町で儒学を教えた。 蕃史は嘉永四年・1 )に成った もので上中下三巻より成る。 イギリス、 オランダの植民. 地政策を論評して、 「今被二図薯互市立園荷不一日交易. 月六 回づ の講義をはじめ たが、 その テ キ ス トは. ‐ o 、 \Va l i i l eco 1 . omy d; E1 t t ca 1 1 sof 1 eme ・ . Pl ya . F, Wayl t n sof moralscience. and; 即eme i i i iv l t tory of c on in F. P. G. Gui za zot; Hi s. Europe ,. であった。 其後も慶礁義塾ではギゾー のものが最上級の 2 0 ( ) テキス トとして用いられていた, 開成学校でも明治七年. の学科課程を見ると、 第三学年で史学 (開 化史) が課せ られていた, バックル、 ギゾーの著書も相っいで孫訳さ 2 1 ) , (. れた。 バックルの欧洲文明史の一部は明六雑誌第六号に 箕作隣辞が 「開化ノ進ムハ政府;因ラ ズ。 人民ノ家論二. 110.

(5) . 第2巻 第2. 学. 号. 昭 和25年12月. 2 6 ) (. る。 ギ ゾーは文明の進歩を ac ty to lmani s our e for ht. 因ルノ説」 として訳出しているが、 単行本とし℃ 出たの は明治八年訳述の英国開化史がはじめである。 これは私 の見たところでは総論笹 」上だけであり、 バックルの第 五章までが出ている。 バックルの孫訳はその後明治十二. iny fori i l l t tt s o acomp l run~ade s , と 考 え て い た, 人 ▲ 2 7 ) , . (. 間性の完成を保証するためには、 「私は次の 事 を 信 ず る。 総べての権力、‐‐それが知的のものであれ、 世俗的 のものであれ、 叉政府又は人民の何れに属するものであ. 』年土居光華、 萱生率三両氏によって試みられているが、 2の ( 「其古今史家ノ材識ニ乏 シキラ諭ス ル処最モ余ヵ意二適. っても~あらゆる人間の力はそれ自身の中に 固 有 の 罪. 合セリ」 と書いてあって、 その歴史蔽遮に注目 している. 悪、 常識を無税Lて、 乱用され得る原理を含むもの であ るから制限されなくてはならないことを承認することは. が、 六巻であって、 バックルの第一巻第六章までしか訳 出されていない けだしバックルの本は大冊であって通. われわれの義務であり、 またわれわれの時代の特色であ る」 と い って い,る ギ ゾーはたゞに歴史家であったばか. 2 3 ( (. 読するものは少かった ら しく、 「或は バックルの文明史 な どによって之が著述の動機を得られしやも未だ知るべ. りでなく、 十九世紀前半に於てフ ランス立憲王党の領袖 であり、 市民王ルイ・フイリップの下で宰相となった人. からず」 といわれている田中卯吉の日本開化小史も、 閥 2 4 ( ). 田徳三は 「事によると先生は初の数章殊に第五章までは. である。 その政治上の主張は教養ある市民だけが、 絶対 専制君主と渦数なジャコビン主義から流会を救うもので. 丹念に通読せられたであろうとも、 第六章以下は果 して 如何であったろうか」 と批評している。 即ちバックルの. . 多く読まれたのは第五章までの総論の部分であって、 歴 史慾述の部分はあまり影響を輿えていなかった。 これに. 西村茂樹は泰西史鑑の序文で、 イギリスの橋教徒革命 を批判して、 「其園富張蕃庶者以抑君立民権 也」 といっ ているカミ 、 この言葉の中に、 明治初年の時代の問題が何. しかも英訳本で三百頁ばかりの小冊子であっ 分り易く ・ 、 ・ て、 ヨーロッパの歴史そのものについての知 識を奥え汁 ものはむ しろギゾーであったらしい ギゾーの孫訳は年 ゾ 明史秒として一部 代不明であるが、 ,西村茂樹がギ ー文 を難綴に収めてある。 全訳の刊行の早いのは明治八年の ▲ の翻訳であると 西洋開化史二巻である。 どこにもギゾ . 書いてい ないが、 内容は十四課で体裁がギゾー と一致し. ある。 原語がそのま ▲用いてあるところから察してフラ ンス語の原本から訳出したものであろう。 どんな意図か ら訳 したかといえば、 「文明ノ図存立経営ノ感ナル所ノ. 者ハ」 「畢意其富張ナルラ以テナリ」 「而シテョク此二 進ムルノ本ハ則チ政ラナス八二於ル才高ク識博ク古今ノ. 治革ヲ喋り、 各園ノ成敗ヲ見テ之ヲ我 今日二処スルラ以 ‘とあるように第一に学問としての歴史を学ぶの, テナリ」 ではなく、 直接政治に役立つ知識を得ようと し、 第二に ‘ にして今日の文明に進むことが出来た ヨーロッパは如何・ かを知ろうとする弧い慾求を酌み取ること が出来る。 明 治八年永峰秀樹がギゾ【の英訳本から重訳 して欧羅巴文. 明史十巻を出したが、 その題字に勝海舟が 「解事 宜 読. . で あった。. こ面倒でな 反して ギゾーの欧洲女明史はバックルのようす たから、 出版したものであっ く、 明快な講 義をそのまム. ているか らギゾーの孫訳であるこ とは間違いがない。 扉 には孫訳局訳述としてあり、 明治五年室田充美の序文が. . あり、 フランス革命によって得られた成果は立憲王制に .・ よつてのみ維持できるという、 イギリス流の立憲主義者. であったかを 知り、 叉その解決の見通しと して自由民権 運動を展望することが出来る。 明治九年内田正雄の西洋. 史略、 明治六年西村茂樹の校正万図史略、 明治六年文部 省の万図通史、 箕作麟群の万国通史いづれもこう した雰 囲気の中から生れた, しかしこれらの文明史は グーチュ 2 8 ( ).. ・. ′. ・界の饗化と運命を が 「オリソ プス の山の頂から人間の世 危険がある といっているように 見渡すという 」 、 個々の. 歴史事実とその意味を無税し、 抽象的な既成概念を説明. する手段と して歴史事実を撰択する傾 があった, ニーフ ー ルには じまる ドイツ歴史学の厳密な史 料 批 判、 特 に. ラソケによって宣揚された実在論的 歴史観が明治二十年 ) によって 日本に移植されるされるように リース (Li鮎s ・になり なると、 女明史家はようやく批判を受け るよう 、 2 つ ) ( バ 「バッ トレー ルの旨 本開 クル 史も 化小 田口卯吉の日 、 .必ず しも当 .園の事実に〈は しか ら ざ る も 義に倣ひて、. の」 という批判を受け るのを甘受せざるを得ない厭態と なったo.・ - 80 ) . 7 謡 (1) 新井白石全集第四巻西洋紀聞 ,t (2) 板沢武雄・ 蘭学の発達 (岩波講座日本歴史). 史」 と書いてあるが、 これは明 治初年知識人のひとしく 西洋史書に求めるもので あった,. それではこれらの西洋史研究によって学びとられたも. のは何であったかJ それは ギゾーの歴史がどんな性格を 持っていたかを明にすることによって答えることができ 111. p. 74. (3) 頑沢全集第七巻面翁目博 p . 375 (4) 同沢全集第十巻 p . 379 (5) 近藤正斎全集第三 . . 246 p (6) 岩崎克己校訂 豆擦書調書書籍目録 影考飴蘭書 目録 ・大概女庫間書目鎌 (7) 梅里先生遺稿所牧 伊沢修二 梅里先生仲.

(6) . Dec .1950. GAKU( E工. Vo l .2 .2 , No. 1) 明治文化全集第十八巻 p . 89 、(2 22) 土居光華、 萱 生泰三 英国女明史 p ( . 2~3 3) 岩波文庫 日本開化 小史 黒板勝美序文 (2. (8) 呉秀三 箕作院市 p . 197 (9) 土掲書 p . 13~18 lo) 高野長英全集第一巻 p ( . 40 (=) 佐藤信淵家学全集巻下 p . 797 (12 ) 東京教育大学附属図書節減写本 13) 梅里先生遺稿 ( !4) 慶鷹義塾図書節減木版本 ( (ー5 ) 上野図書館戯写本 (ヱ6) 岩波女庫 言志鰍 p . 169 (ー7 ) 大橋諮庵先生全集第一巻 p . 179 18) 上野 図書館減自筆本 ( 19) 慶膿義塾大学五十年史 p ( . 76 (20) 東京帝国大学五十年史上巻 1 ) . 298. 22. (24 )J R軒田口卯吉全集 (25) 上野図書館自筆本. 悌二巻解 ‐題 p . 28. i i i i l (26) F. P, G, G悌 tory of c ー l za[ o g vi oら Hi s i l r ted by c.s e 1 l ー Buropq t rans a キ . 日[ , y, p . 18. i d, 1 b (27)i ) . 305 l t t nt l od も′ Hi (28) G」 P. Go s ory and hi s orans i e l t ni ・ ・ ・cent 〕 e eent ury, I . 306. (29) 早稲田文学第一号 時女批評 p . 13. 新憲法により保障された る経済的. 基本権の法律的特色 中 ・塩. 屋. 九. 一. 郎. ・究室 校就会学研 北海道学馨大学札幌分 , i i i f EcoI ter t e Io I I I s cS o 王 i にui l el ego1 Char孔c く^s日[OYA, ; T1 」 ch ro NAI ‐ i io fJ 七 tut Fundame I he c。・ ap乳 】 ta. Right l ー○ l s ・ . t ー s Sec red by t .. 次. 目 1 . は し が き. 2 ‐ 経 済的基本椎の観念 3 gの類型 ヂ . 基本的人寺 4 , 経済的某本椎の新憲法. 基本的人権の保障は、 近代のいわゆる立憲主義的憲法. に共通の特色であり、 それに不可欠のものとされた。 新 とし、 憲法も基本的人権鰍重主義を、 その基本原理の一, 「 利義 の 権 一 を 図民 ( ) その第三章 q隣乃至四〇係 、. 務と」 題し、 基本的人権の保障を規定している。 然し、 らの規定中、 最も二〇世紀的憲法の特色をもつてい こ .れ るといわれている、 いわゆる 「経 済的基本権」 について は、 規定するところ寧ろ極めて 少いとの非難 が一般にな . されている。 而 して、 この非難は立法論としては、 まこ とに当っていると言わねばならない。 然 し、 新憲法は既 に制定実施されつ▲ ある。 そこで、.われわれ に と っ て. は、 ・立法論の時代は一先づ過ぎ去って、 解釈論の時代に 這入っ たとも見られうる。 この意味に於いて、 私は、 解 釈を通じて、‘基本的人権に関する規定中の特に経済的基 本権について、 その法律的特性を明 らかに し よ う と 思. えの具体的顕現. 5 . む. す. び. 参考 文献. う。 この経 済的基本権に関する憲 、法の規定は、 其の数に於 .それぞれの規定の内含する目的 し,てこそ少いけれ ども、. が鹿汎旦づ多岐に亘り、 鴬に全体として その法律的性格′ を、 一義的に把握することば、 極めて困難であって・ 随. って・ その解釈区々たるを得ない実状にある。 .この事実は、 国民を して、 新憲法の経済的基 而 して、. 本鰹に関する規定が・ 直ちに現実に国民の経済生活・ 耐, 会生活を確保 しているのだとの錯覚に陥 らしむる虜ある 反面・ この事は叉同時に、 国民をしてこれ等の規定が、 く、 園民の日常生活にとって は、 厄病 単なる室女に等し , 除けの護符以上に役立たない存在で あると思わしめる弊. 害ともなる。 何れに して も・ 園民を して新憲法えの関心 と希望とを失わしむることとなり、 延いては・ この事. r の手によって、 圃民自らのために、 接角典 は、 図民自 ら .自殺せ しむることとな・ る えられたこの柴ある新憲法を、. 1 12.

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