著者 安川 哲夫
著者別表示 Yasukawa Tetsuo
雑誌名 日本の教育史学
巻 32
ページ 265‑269
発行年 1989
URL http://doi.org/10.24517/00052998
doi: 10.15062/kyouikushigaku.32.0_265
西 洋 教 育 史
の研 究 動 向
金 沢 大 学
安 川 哲 失
教 育史研究はい ま大 きな曲 がり角に来て い る。 国別, 時代 別, 分野別に研 究が専門分 化さ れて多くの知 識を
確
て る よ うになっ た反 面, 研 究者た ちの共通 認識は薄らぎ, かつて の よ うな教育史 固有の課題は見つ けに くくなっ て い る。 近年の学 会シ ン ポ ジ ウム は こ うし た混迷か ら抜け 出すため の懸命の試みの よ うに も見える。 い ま教 育史に求め られて
い るもの は何か。 何が歴史研究にお い て問題なの か。 純粋に知 的な誠実さ だけで果たし て教 育史 研究は成 り立つ の か。 そ うい う思いで こ の一 年 (1 月 〜
12
月)を注目 して い た。少 々 オ ーバ ーな 言い方か も し れないが, 以後の教育史研究 を 占 う意 味で注目 すべ き二
っ の 出来事があっ た。 一つ は
, 『世 界新教育運 動選書』
(長尾十三 二監修, 明治図書)
の総 ま とめ と も言 うべ き別 巻三冊が公刊さ れ たこ と。 そ して もう一つ は, 「教 育の社 会 史 とは」 とい うテーマ で教 育史研 究の方 法論 をめ ぐる問題が学 会シ ン ポ ジ ウム で取 り上 げ られ たこ と。 幸い , 昨年度担 当の斉藤新 治が全 般的な動 向を詳細に チ ェ ッ ク して くれ
てい るの で, 今年は思い切っ て新教 育 と社会 史 関係に 重点 をお い て フ ォ ロ ーしたい と思
う。
( 1 )
『選 書』 別巻は, 新 教育 運動の遺 産の 厂問い直し」作業であ っ た 本巻の成果を踏 ま え,
「教 育学説史へ の 展望を 開 く」 とい う課題の下に行わ れた, わ が国最初の新教育の 「総 合的」 研究で ある。 そ れ は 各 国の新教 育理論 や運動の基本 的側 面 を扱 っ た 『新 教 育運 動の生起 と展 開』, そ れ を支えた学問 的 ・人 間観的基礎 を論 じた 『新 教 育運動の理論』,
学 説史 的な 展望を 試み た 『新 教育運動の歴史的考察』の 三巻か ら成っ てい る (詳 細は
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教 育学研究』55
巻4
号 を参照)。 これ まで個 別的分散 的に し か論 じ られる こ との な かっ た新教 育運動を多角的多面 的に論究した その成果は高く評 価 する こと がで きる。 研究 者
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名 (延べ 総 数)の手 よ りなる別巻の教育史研究へ の貢献は まず第一に こ こ に ある。だが 全体を読み通 し て み ると, い くつ か疑問が浮か び上 がっ て くる。 例え ば, 新教育
は何であっ たの か とい う問題ひ とつをとっ てみて も, 良い新教 育と悪い新教育があっ た りする し・ ま た新教育を 旧教育の全 面的な批判 ・ 克服 と見るのか改良 ・ 改革と見るの か,
ま た遺 産の継承 ゜発 展 なの か批判・ 反省なの かにつ いても論者の 立場は ま ち ま ちである。
問題は大きく見れ ば二 つ あるよ うに思われ る。 第一は
, 新教 育に 対立 する もの として位
IV 研 究 動 向
置づ け られてい る 旧 教育の捉え方が一面的であるこ と。 こ の一面性は, 新 教育の 担い 手
た ち が 自らの理論と実践の正当性と有 効性 を明 示する た めに描 き出した 図式に論者が安 易に飛び乗っ たので はない か と錯覚する ほどで ある。 現実の公教 育との関係や新教 育が 失敗せ ざるを得なか っ た矛盾など, ま だ十分には解明 されてい ない。 第二 の 問題は ,教 育学説史 的観点か ら新教 育を位 置づける際の 共通の概念枠 組の 欠如である。 こ こ に は運 動の段階 区分の問題 も入っ てこ よ う。 新教育の多様な性 格か ら して, こ の作 業がい かに 困難である かは 容易に察しがつ く。 が, 方法論 も課題意識 もば らば らで は 「学 説 史へ の 展望を開 く」 とい う課題は結 局は論者個 々 人の手に委ね られ, ひいて は読み手に任され
て し ま うの で はなか ろ うか。
以上 はあ くまで も全 体的な概括であっ て, 個 別的に見る と秀 作が少な くない。 中で も,
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世 紀的な進歩史観の崩壊の道筋に新教 育の発 達観を位 置付 けた原聡 介の論文は, 近代 教 育 と新 教 育の連続 一非連 続の 問題を考え る 上で示 唆に 富む。 また ニ イル の感情の教育 を 論 じた宮寺晃夫の 論文は, 子どもの解放を目指 し た新 教育が逆にその 自然に合致し た 技術 と制 度で もっ て子 ど も を囲い込み, 体 制 内化し てい くパ ラ ドヅ クス を明 らか に し て くれ る。 イ ギ リス お よびア メ リカ の新 教 育運動の学 問的基礎を生 命学お よ び社会 学に 求め て考究した三 笠乙彦, 森田尚人の論文は, 新 教育の本質を理解 する 上か らも有 意義。
1900
年前後の世 界を横断的に素描 した長 尾論文は, 共通の関心に貫かれた新教 育運動の 国 際的な 広 が りを証 明し て くれる。 ア メ リ カ新 教 育運動の評価や デュ ーイ解 釈におい て 森田に論戦を挑む毛 利陽太郎の論文 も刺激的。『選 書』は これ 以外に マ カレ ン コ 『科学的訓 育論の基礎』, ウォ ッ シ ュ パ ーン
r
教 育の 個 別 化』, キ ル パ トリッ ク他r
アメ リ カの幼稚 園運動』を刊 行。 完結 も間近である。一っ
の 仕事の完成は次の新た な研 究の始ま り。 リーツの ア ポ ツホル ム の新 学校 を生活 改良運 動 との関連で お さ えた財満寿子の論文 (別巻 所収 ), 学会での 菅野文彦
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.ホ ール の 思想課 題」, 友成 昇 「イ ギ リス の 進歩主義教 育に おける精神 分析的教 育革新の あ り 方」の発 表, そ れに橋 本伸 也 「ロ シ ア の新教育に お け る自由の 問題」 (『京 都大学 紀要』
34
)な ど, 若手研 究者の間に新た な息吹きを感 じ る。今後の成 果が期 待される。( 2 )
社 会史 的研究としては, 宮澤 康人編
r
社会史の中の子ども一ア リエ ス 以後の 〈家族 と 学校の近代 〉』(新曜 社), 中 内敏 夫 『教育学 第一歩 』(岩波書店) に注目し た い。 共に 伝統的な 「教 育」概念と教育史 研究に おける方法論の革新 を目指し た作 品。
前
者は 厂家族 と学校の社会史研 究会」の研究成果の一部で, 宮澤ほか森田伸子, 森田 尚人, 鳥光美緒子, 北 村三子 らの 力作が収録されて い る。 いずれも各国の家 族 ・子 ども一
260e
一西 洋 教育史の研究動 向
史 研 究の成果を フ ォ ロ ー
し,その批判的検討を通 して教育史研究に お い て い ま何が問題 であるの かを 問 うて いる。 『教 育学 研 究』
55
巻4
号に書 評が掲載されてい るの で,こ こ で は学会 シン ポ ジ ウム の提 案者の一人で も あっ た宮 澤に限 定 して動 向 を探っ て み たい と 思 う。宮澤は, 総論部分にあた る第一章 「ア リエ ス の近 代 と子 ども ・家族 ・学校」におい て,
まずア リエ ス に よっ て指摘さ れ た近代の子 ど も期へ の 二 つ のサ ン チマ ソ (幼少年期へ の 家庭 的な 可愛が りの サ ン チマ ン と青少年期へ の学校的=モ ラ リス ト的サ ン チ マ ン)を手 掛か りに彼の書の徹底した読み返 しを行い, 次に先 行研 究にあた りな が ら近 代に おける 家族一学校の連関 変 化の視点を吟 味し,最後に家族 ,学校, 地域 社会, 階級, 国家に お ける大人と子 ど もの 関係 を全体構造 とし て歴 史的に 描き出すこ とがこれか らの教 育史研 究の主 要な課題 である と主張す る。 こ こ に は従来の教育 主体 中心の意 図史 と子 ども史研 究 に見 られる学 習主体 中心の歴史と を相互に 架 橋 し, 関 係の諸相か ら教 育の本質に迫ろ うとする新た な視 点の提示 がある。 ところ で宮澤は, こ の立場 を 〈教 育関係〉論 あるい
は 〈関係〉史 と呼び, その枠組の構築を数年前よ り大学のゼ ミその他で模索して い るが,
それが教 育史研究の方法 とし て今後 根づい て い くた め に は, 青写 真の 輪郭が個別研 究を
踏ま えつ つ よ り一層 明確
i
に される こ とが望まれよ う。なお, ゼ ミ の成果の一部は小林亜子「〈教 育関係〉と近 代一教 育史の新 しい ア プ ロ ーチ を 求め て一」 (東京大学教 育哲学 ・教 育史研 究室 『研 究紀要』
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)に 要 領 よ く ま とめ ら れて お り, ま た 同 会員の, フ ラソ ス 革命期に おける 「青年期」概念の 成立の 画期性を論じた 「伝統的 〈若者期〉の変容と近代的 〈青 年期 〉の形 成」 (
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教 育学 研究』55
巻4
号)はその具 体的な研究成 果となっ てい る。 ル ゴ フ の 『煉 獄 の誕生』とダン テ の
r
神曲』を 参考に,若者の 自己浄化へ の意志をて こ に近 代教 育論の読み直 し を試み た寺 崎弘 昭 「煉 獄 と近代 教育」 (お茶の水女 子大学r
人間発達研究』13
)も同 じ文 脈に位 置する論 文。中内の 書は, 「教育学のパ ラダイ ム の転換」 を意図 し た第一部 厂教 育原論」 と, 発達
の助成的 介入 と しての教育の概念の 成立 と発 展を扱 っ た第二 部 「教 育学 説史」とか ら成
っ て い る。 こ こ で重要なの は, 著者の提 唱して きた 「新しい 教 育史」の内実が被瀝 さ れ た後 者。 ラ トケ以下の教 授学者に 「汎愛派 」 の用語を 当て る ことに疑 問な くはない が,
事実は さ しあた っ て問題で はない。 な ぜ な ら, そ れは ひ とつ の教 育の社会 史の試み であ り,今日 「教 育」 「教 育学」 と呼ん で い る概念を生み出す母体となっ た近代固有の 教育
心性が, 中世共 同体の解体か ら公 と私, 知と徳の二元 的世界の確立と直系 単婚家族の 自 立に伴 うその誕生 ・外 化の過程で, 何を新た に獲得し何を喪失して きたか, 更には教育 論か ら教育学へ の体系化が教育心性の何 を組 織し何 を とりこぼ して きた か を 明 ら かにす
る こ とに よっ て, 学校 化社 会 と言 わ れ る 教 育現実に対する 批判の視 座を提 起 することに
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研 究 動 向著者の意 図がある か らだ。 こ の書が 教科書風 の通史の域 を 越 えてい るの はまさしくこ の 点にあ り, またそれ が
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世紀の教授学者 とヤ ン セ ソ派を近代數 育史上の転機とし て重 視 する, 従 来の思想史とは異な る枠組を 示す結果 ともなっ てい る。ところで, 宮澤に し ろ中内に し ろ, 両 者に共 通し て いるのは, 長期 的なス パ ン に お い
て人 間形成の全体史を描くこ とで教 育史研究 が現在陥っ て い る袋小路を打 開し てい こ う
とするその方 法 論と, 現 代の 子 どもや教育の問 題の解決の糸口を それ らが作 られて きた 近代に まで遡 っ て求め て い くとい う研 究 視点であ る。 社会 史につ い て は学会で異 論な く
はない が, そこ で提起された, 知の細分化に対す る抗議を含ん だ教育 史研 究の方 法論的 反省は, すで にある程 度研究 者間に共有されつ つ あるの で は なか ろ うか。 オ ーソ ドッ ク
ス な 立場か らで はあるけれ ど も, 奥平 康照は教育史を現 代に連 なる教 育の問題史とし て 捉える こ との大切さ を改めて強 調し(「現代教 育 問題と教育思 想史」 『世界教 育史研 究会 会 報』
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), ま た社会 史に直結 する わ けで はないが, 近代の教育を新たな 角度か ら捉 え直そ うとするす ぐれた研究成果 もすで に現 れ始め てい る。
例 えば, 学 会発表に お ける金子茂 「近代学 校に お ける 「クラス 」 と授業形 態の史 的変 遷
a
こ つ いて」 と細川 た か み 「17
世紀末フ ラソ ス に おける父観の 変容」(共に本号掲載)。 前 者は,ア リェ ス に よっ て注目 さ れ, ま た教育学 固有のキー ・ターム で ある ク ラス の 起 源 や発 達を, 教 師 身分の変化, 教 授課程の変化 ,教室の分化 ・独立の観点か ら説 き明か
し, クラ ス 論 を中心 とし た一つ の理論および政策とし てヘ ル パ ル ト派を再解 釈しようと す る意 欲的な もの。 そこ に近代学 校の段階区分の必 要 性の提案と, 教 育の歴史がマ ソタ
リテ論だけでは割 り切 れ ない とする問題意識があるこ とに注目。 後 者は, フ ェ ヌ ロ ン の
『テ レ マ ッ クの冒険』に見 られ る 父 不在 を子か ら父へ の意識の変化の相に おい て捉 え,
ユ
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世紀 後半 フラン ス の伝統的な 「家父 」 か ら近代的 な 「父親 」へ の変 容を論 じた秀 作。16
・7
世紀イ ギ リス 近代 公教 育の再検討を行っ た 久保田圭 司の発表は, 最近の社会 史の 研 究成 果を取 り入れた もの で あっ たが, 性急 な吸収の た め に枠組にば らつ きが見 られ,研 究意図 がい ま一つ 明 らか でなか っ た。 第一次資 料に基づ く緻 密 な研 究が要 求されよ う。
( 3 )
以上見て きたよ うに, 新教育 も社会史 も共に最 終 的に は総合的な通史を志向してい る。
こ うした試みは, 新た な教育史像の確立のため に も, ま た視 野狭窄に陥 らないた め に も, 今 後ますます求め られて い くで あろ う。
上 記以外の関係で は, 制度 ・政策史を中心 と し た個 別研究が依然盛ん である。 増井三 夫, 大崎功男, 池田稔, 坂 本弘視, 神 山栄治, 山本久男らの継続研 究が所 属 大学の紀 要
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発表されて お り, また遠藤孝夫 「L
.v.シ ュ タ イ ン の教 育行政理論の特質 とその歴史的一
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一西 洋 教 育 史の研 究 動 向
背景」,大田直 子 「
1862
年改正教 育令の再 検討一市場原理に よ る イ ギ リス 公 教育制 度の組 織化一」な ど (共にr
教育学 研究』55
巻2
号に掲 載),19
世紀 中葉の改革に焦点 を 合わせ た公教育制度の再検討 も始まっ てい る。 イギ リス近代公教育制度の 出発点をロ ウの改
正教育令に求め た大田 論文は, 新鮮 味は あるが, 市揚 原理に基づ く国家の教 育支配だけ
で事が片付 くか ど うか議 論の別 れる ところ。 公教 育の 見直しは, 現 在フ ラ ン ス で行わ れ てい る 「革命」 の見 直し論議や サ ッ チ ャ ー政権下で実 施された
1944
年法 以来の大改革と 合わせ て, 今後ますます進展して い くよ うに思われる。 なお近代公 教育制度を ど う捉え るか につ いて は,r
近 代教 育の史的展開一 松島鈞博士退官記念論文 集一』(紫峰図書)
に収め られ たコ ン ドル セ の 『公教 育の必要性』に関す る論考 (松島), 桑原敏 明「公教 育 制 度の 歴史 的類型 論 」 な ど も一つ の参考になろ う。
人物研究と して は, 山内芳文 厂
C
.F
.バ ール トに お ける教育概念の変 容につ い て」, 三笠乙彦 「ラス キソ と民衆教育」
(共に同上書 ), 鈴木 剛 「ジ ョ ン ・ロ ッ ク 厂知 性 指導論」
と 〈習慣〉成 立の視点」 (
r
東 京 大学 紀要』27
), 山崎 高哉 「ケ ル シ ェ ン シa タイ ナ ー教 育学の基底と して の前半生 (1
)」(『京都大学紀要』34
)が 目に付く。 井ノ ロ淳三, 太田光 一 がコ メ ニ ウス に関する論文 を各 大学の紀要 その他に発 表 し て い るが, 思想研 究の深 ま り とい う点で は物足 りな さを感 じた。 『世 界 図絵』の翻 訳 (井ノ ロ訳, ミネ ル ヴ ァ 書 房)とコ メ ニ ウス研究誌の資料紹介 (太田,『教育学研 究』
55
巻2
号) が行わ れ た こ ともここ に並記し て お こ う。
訳書で は, ア リエ ス 図式の再 検討を試みた ポ ロ ク 『忘れ られた子どもた ち 』 (原著
19 83
年, 勁草書房), ピ ェ ール ・リシ ェ 『中世における教育・ 文化』(岩村清太訳, 東洋 館), デ ィ ル ゼ ー 『大 学史』全二 巻 (
1933
/35
年, 池端次郎訳, 東洋館), プ ラ ール 『大 学 制度の社 会史』(
1978
年, 法政大学 出版局) が見逃せ ない。 後二 者の うち, 前者は思 想 史 と法制・ 制度史の接点で大学の全体史を描い た古典。 後 者は ドイ ツ を中心に社会 史 的発 展との関連で叙述し た もの で, 大学 史研 究の発 展 と動向を知る上で も好著。 その他,ギムナ ジ ウムの校長や視学 官時代の式辞や報 告書を集め た 『へ 一ゲル 教育 論集』 (国文 社 )がある。 なお これは学 術書とは 言 え ないが, 学校の教育 よ りも世 間知や世 渡 りの術 を説い たチ = ス ターフ ィ ール ド 『息子へ の書簡』 (
1774
)の部分訳が, 歴史を完全に捨 象し た形で, 竹 内均 訳r
わ が息 子よ, 君は ど う生 きるか』 (三笠書房)と して出た。 ベス ト セ ラーだ と言う。 こ うい う書が好んで読まれてい る現状 を教育史 家は い か に判断す
べ きか。
教 科書の類で は, 三笠乙彦 ・森川輝紀編 『教育 史』(
r
実 践教 職課程 講座』第18
巻, 目本教 育 図書セ ソ タ ー)がある。