中国の「国境文化」の人類学的研究
著者 塚田 誠之
発行年 2013‑03‑31
その他のタイトル The Culture of Ethnic Groups in Border Areas of China
URL http://hdl.handle.net/10502/5668
雲南 にお け る イス ラー ム回 帰現 象 と中阿 学校
世俗化 ・漢化は克服できるか
松 本 ま す み(敬 和学園大学)
は じめ に
多 民 族 居 住 地 で あ る雲 南 省 には 公 式 統 計 によれ ば約69.8万 人(2010年)の 回族(漢 語 を話 す ム ス リムで 、 イス ラー ム を拠 り所 に した宗 教 的 エ スニ シ ティ)が 住 み 、 雲 南 の 少 数 民 族 の 中で も上 位 を 占 め る。 歴 史 的 に は元 時 代 以 来 、 中央 ア ジア か ら移 り住 ん だ ム ス リム が 定 住 した。 清 代 には 馬 注 や 馬 徳 新 な ど博 識 の イス ラー ム学 者 を輩 出 し、 独 自の 中 阿(漢 語 とアラ ビア語)兼 学 の イス ラー ム 文 化 を 育 ん だ 場 所 で もあ る。 清 代185◎ 年 代 半 ば か ら70年 代 に は大 規 模 な 「回 民 起 義 」(回 民 とは、 中 華 人 民 共 和 国 以 前 、 漢 語 を話 す ムス リム に 関 す る一 般 の 呼 称 。 「起 義 」 とは、 マ ル クス主 義 的 呼 称 。 蜂 起 の こと)が 引 き起 こされ た 。 この 蜂 起 は 「叛 乱 勢 力 」 と断 定 され 、 回 民 は 清 朝 側 の 大 弾 圧 ・大 繊 滅 にあ い 、 大 き く人 口 を減 らした とい う負 の 歴 史 も背 負 ってい る。
中 華 人 民 共 和 国 にな って も災 禍 は止 ま らな か った 。 反 右 派 闘 争 、 文 化 大 革 命 期 にお い て、 宗 教 勢 力 は 階 級 の 敵 ・保 守 反 動 勢 力 として 恣 意 的 な 大 弾 圧 を受 け、 清 真 寺(モ ス ク)や 宗 教 学 校(マ ドラ サ:ア ラビ ア語 学 校 、 イス ラー ム学 校 や 中 阿 学 校 な どとも呼 ば れ る。 伝 統 的 に経 堂 と呼 ば れ た)な ど 宗 教 施 設 の 多 くは破 壊 され た 。 宗 教 教 育 は全 面 禁 止 され 、宗 教 指 導 者(阿 笥 アホ ン)・学 生 は 「打 倒 」 され 、 「労 働 改 造 」 と称 す る強 制 労 働 に駆 られ た り、 甚 だ しき は暴 力 で 死 に追 い や られ た りした 。 文 革 末 期 の1975年 に は悪 名 高 い 「沙 旬 事 件 」 が 起 き、 人 民 解 放 軍 が 無 差 別 発 砲 、 公 式 見 解 で も 900名 以 上 が 殺 され た。 それ ほ どで な くて も一 般 の 回 族 は養 豚 を強 要 され た り、 井 戸 に豚 の 骨 を投 げ 込 まれ た り、 女 性 の 蓋 頭(ヴ ェー ル)は 全 面 禁 止 され た り、 長 い髪 は強 制 的 に切 られ た りした 。 社 会 的 混 乱 の 中 、 失 われ た宗 教 関 係 文 献 や 知 識 も多 い 。 極 左 社 会 主 義 路 線 の 中で ム ス リムで ある とい うこ と、 信 仰 とい う内 面 の 自由 をもつ こと自体 が 完 全 に否 定 され た の で あ る。 この 時 もム ス リムで あ ることは 潜 在 的 「叛 乱 勢 力 」 とみ な され た とい える。
文 革 が 収 束 し、80年 代 に宗 教 活 動 が 大 復 活 を遂 げ た 。 これ を宗 教 狂 熱 とい う。 それ か ら約30数 年 を 経 た 現 在(zolz年)、 回 族 は 雲 南 に お け るプ レゼ ン ス は比 較 的 高 い。 それ は 、 各 地 の 回 族 集 居 地 に讐 え立 っ 再 建 ・補 修 され た 各 種 清 真 寺 、 各 種 中 阿 学 校 、 地 方 風 味 の ハ ラー ル ・レス トラン(清 真 餐 庁)と い った可 視 化 され た施 設 で行 わ れ る宗 教 儀 礼 や 習 慣 以 外 、彼 らの 強 固 な ムス リム ・ネ ットワー クが 婚 姻 の 機 会 の み な らず 運 輸 業 とい った 生 業 、 最 近 は通 訳 ・通 商 業 務 とい っ た就 業 ・ビジ ネ スの 機 会 を 提 供 して い るか らで あ る。 近 年 はム ス リム専 用 ホ ー ムペ ー ジ(中 穆 網)な どで 情 報 交 換 が さか ん にされ て い る。
雲 南 各 地 に 回 族 集 住 地 が 点 在 す るが 、 本 論 で は フィー ル ドリサ ー チ を2007年3月 、2009年9月 に二 度 に わ た って 行 った 西 部 の1)魏 山 県 、2011年3月 に行 った 北 部 の2)昭 通 市 、2007年3月 、 2012年8月 に2度 に わ た って行 った 南 部 の3)個 旧市 沙 旬 、2009年9月 に行 っ た 中 部 の4)楚 雄 市 南 華 県 の例 を挙 げ る。 前3者 はイス ラー ム教 育 とイス ラー ム熱 の 非 常 に高 い所 で あ り、 後1者 は イ ス ラー ム熱 が 比 較 的 低 調 な所 で あ る。
これ らの 例 を挙 げ な が ら、 回 族 の イスラー ム回 帰 の 動 向 、 イス ラー ム 教 育 の あ りよう、 ヒトと知 識 の 移 動 、 さ らに は世 俗 化 の危 機 の克 服 つ いて考 察 す ることにす る。
R南 におけるイスラーム回帰現象 と中購学校 59
1.回 族 の 世 俗 化 と中 阿 学校 の概 況
世 俗 国 家 体 制 の 中 国 は、 小 、 初 中(日 本 の 中学 校)、 高 中(日 本 の 高 校 にあた る)で は 私 立 学 校 で あって も国 家 の 定 め た世 俗 的 カ リキュラム を遵 守 す る。 日本 で い え ば 、学 校 教 育 法 に定 め るL条 校J が 中 国 で は一 般 に 「国 民 学 校 」 「公 弁 学 校 」 と呼 ば れ 、 そこで 行 わ れ る教 育 をr国 民 教 育 」 と呼 ぶ 。 本 論 で は 、 便 宜 的 に 「公 立 学 校 」 「公 教 育 」 としてお こう。
回族 に関 して は 、 保 護 者 か ら要 望 の 強 い アラビア語 教 育 は公 立 学 校 で は一 般 的 にな され な い。 これ は 、 モ ン ゴル 族 、 チ ベ ット族 、 ウイグル 族 、 朝 鮮 族 な どが 自治 区 、 自治 州 内 の 民 族 学 校 で 民 族 語 を 教 授 言 語 として学 ぶ ことが で きることと対 比 をなす ω。 ア ラビア語 が 教 えられ な い理 由 として、 アラビァ 語 は 回族 の 日常 言 語 で な く宗 教 言 語 で あ ること、師 範 学 校 卒 業 生 にアラビ ア語 が で きるもの が い な い こ とな どが 挙 げ られ て い る(Matsumoto and Shimbo 2011:90‑93)。 公 立 学 校 で は英 語 が 外 国 語 とさ れ る所 が ほ とん どで 、 最 近 は その 学 習 開 姶 時 期 も小 学 校 の低 学 年 はお ろか 幼 稚 園 まで 下 りて きた。 保 護 者 の 要 望 が 強 い とい う(2)。
沿 海 部 の 大 都 市 で は 豚 肉 を食 べ ない だ け、 イス ラー ムの 内 容 は何 も知 らな い とい う回 族 も急 増 加 中 で あ る。 例 え ば 、 有 名 な 北 京 の 回 族 集 居 地 で あ る牛 街 で もイスラー ム実 践 者 は少 な くな って きた(納 静 安2011)。 また 、 中 国 共 産 党 に入 党 し(2012年 現 在 、8060万 人 、2007年 か ら5年 間 に1000 万 人 増)(ビ ュラ ー ル:2012)、 信 仰 を原 則 捨 て た 回 族 の 共 産 党 員 もい る(澤 井2012:278‑281)。
中 国 で は 共 産 党 員 にな ることは栄 達 へ の 道 と解 釈 され 、大 学 在 学 中 に入 党 申請 を 出す もの も多 い 。従 っ て、 回 族 と信 仰 の 関 係 は 地 域 間 偏 差 、 階 層 間 偏 差 、 家 庭 間 偏 差 、 個 人 間 偏 差 が 非 常 に大 き く、 一一 様 に論 じることは で きない 。
雲 南 の 回 族 集 居 地 域 に は、 清 真 寺 付 属 の 「経 堂 」 とい う学 堂 で クル アー ン、 法 学 、 神 智 学 等 を 学 ぶ とい うイス ラー ム 教 学 の 伝 統 が 清 代 か ら民 国 時 代 まで 連 綿 と続 いて い た(挑 継 徳 他2005:86‑
lab)。1950年 代 後 半 の 反 右 派 闘 争 か ら文 化 大 革 命 収 束(1976年)ま で 、 イスラー ム教 育 はほ ぼ 壊 滅 状 態 にあ った が 、 改 革 開 放 後 徐 々 に復 活 し、 現 在 は 中 阿 学 校(漢 語 とア ラビア 語 双 方 と社 会 常 識 を教 え るた め こう称 され る)と して さまざ まな形 態 を とりつ つ 各 地 の 回 族 集 居 地 域 で 発 展 を遂 げ て い る。
この ような学 校 を 「半 宗 教 半 普 通 的 混 合 型 教 育 」(納 麟2001:179‑181)機 関 と規 定 す る学 者 もい る。
修 了 者 には義 鳥 や 広 州 で 通 訳 業 務 に就 き、 大 卒 以 上 の 高 収 入 を得 るよ うにな った もの もい る。 これ に注 目 し、 中 阿 学 校 修 了 生 か らの 仕 送 りで 地 方 振 興 を 目論 む寧 夏 回 族 自治 区 呉 忠 市 とい った 地 方 政 府 も出始 めた 。3000人 の 通 訳 が1億 元 を呉 忠 に還 流 して い る(蘇 峰2010)。 他 方 で、 近 年 で はアラ ビア語 学 校 は金 儲 けの 道 具 とな り、 従 来 の 宗 教 心=道 徳 心 の酒 養 が 疎 か にな ってい る、 とい う批 判 も 内 部 か ら相 次 いで い る(松 本2010a)。
2.雲 南省魏山県永建鎮東蓮花村東蓮花清真寺と中阿学校:地 元密着の学校
1)経 済 力 と イ ス ラ ー ム 復 興:歴 史 か らの 逆 照射
位 置:東 蓮 花 村 は 、 か っ て 蒙 化 とよば れ た 地 域 の 一 部 で、 現 在 は 魏 山 回 族 舞 族 自治 県 永 建 鎮 の 北 部 の 盆 地 、 温 暖 な 田 園 地 帯 にあ る。 場 所 として は一 番 近 い大 都 市 の 大 理 市 下 関 まで 、 直 線 距 離 で 25キ ロ、 道 路 で は60キ ロ ほ どの 距 離 で あ る。 しか し、 道 路 整 備 が 遅 れ 、 アクセ ス は よ くない 。 付 近 に は小 團 填 、 大 園 壇 、 回 輝 登 、 米 姓 廠 とい った イスラー ム信 仰 ・実 践 が さか ん な 回 民 村 が 数 キU以 内 に 点 在 して い る。
回 民 起 義 失 敗 後:魏 山 の馬 蓄(小 型 の螺 馬 、 馬 を連 ね 細 い 峻 険 な 山道 を抜 けて物 資 を運 ぶ 隊 商) は 明 代 か ら始 ま り清 代 に最 高 潮 を迎 え、 ビル マ 国 境 を越 えて 「回 民 起 義 」 の 杜 文 秀 政 権 を 支 える対 外 交 易 を行 って い た(挑 継 徳2002)。 清 末 の 雲 南 「回 民 起 義 」(1856‑1872)で は この 地 域 の 回 民 は徹 底 抗 戦 した 杜 文 秀 側 にっ いた 。 最 終 的 に清 朝 の 徹 底 的 繊 滅 に遭 い 、 村 は 焼 き払 わ れ 焦 土 と化 し
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た。 例 え ば 、 付 近 の 小 園 壇 村 に は 起 義 以 前1500戸 以 上 が 存 在 した が 、 残 った の はわず か28戸 の み、 殺 し尽 くされ た 人 々の 遺 体 は 「万 人 坑 」 に投 げ 込 まれ 、1980年 代 で も400戸 余 に迄 しか 回 復 し てい な か った(米 如 琳1985)。 大 理 州 全 体 で は 、1873年 以 前 に 回 民 人 口は 推 定26万1千 人 で あ っ た もの が 、1980年 代 で5万2千 人 、 魏 山 県 で は1873年 以 前 推 定5万 入 が 、1980年 代1万6千 人 余 りで、1世 紀 を経 過 して も清 代 の人 口 を恢 復 で きて い な か った(馬 守 先1985)。 生 き残 っ た 回 民 は 土 地 を 「叛 産 」 として 没 収 され 小 作 で 食 い 繋 い だ り、 「殺 され 損 な い 」 と蔑 まれ た り、 棄 教 や 養 豚 、 飲 酒 を迫 られ た り、 清 真 寺 再 建 に も付 近 の 漢 人 住 民 か ら難 癖 をつ け られ た りと侮 辱 ・差 別 を 受 け続 け、
赤 貧 洗 うが 如 き生 活 を強 い られ るとい うことが1920年 代 まで 続 い た(伏 波1985)。
東 蓮 花 村 で は 「回 民 起 義 」 で は馬 姓 の2名 だ けが 生 き 残 りここに定 住 した 。 別 の場 所 に逃 亡 し生 き残 った 張 姓 の もの も合 流 した(馬 永 歓2012)。 東 蓮 花 村 の 清 真 寺 は清 代 初 期 に建 て られ た が 、 「回 民 起 義 」 失 敗 で 灰 儘 に帰 した。 生 き残 っ た 回 民 は 土 地 を買 い 戻 した り、 訴 訟 を起 こした りして 徐 々に 土 地 を取 り戻 した。1921年 に清 真 寺 建 設 工 事 を開 始 し、 民 国 期 の1924年 に3年 か け て現 在 の形 と な った 。
民 国 時 代 の 村 の 発 展:魏 山 の 回 民 村 はい ず れ も民 国 時 代 に馬 甜(3)の 拠 点 だ った 。 各 村 に再 建 さ れ た 清 真 寺 は 苛 烈 な虐 殺 を生 き抜 い た 回 民 た ち の 精 神 的 拠 り所 で あ った 。 現 在 の 東 蓮 花 村 は、12 平 方 キロ、270戸 、 人 口800〜1000の 全 て 回族 か らな る小 集 落 で あ る。2007年 に 「魏 山 県 文 物 保 護 単 位 東 蓮 花 回 族 古 民 居 建 築 群 」 として 「中 国 歴 史 文 化 名 村 」 に認 定 され(雲 政 発120072 9号 2007)、 民 国 期 以 来 の 古 い 町 並 み の 保 存 と観 光 開 発 に 力 を 入 れ て い る。 特 に、 「馬 家 大 院 」(1941 年 完 成)と い う豪 奢 な 建 造 物 が 文 物 単 位 に認 定 され て い る。 「馬 家 大 院 」 は 、 内 部 は木 造 、 外 部 は 土 壁 と石 で 固 め られ た 四 合 院 タイプ の4階 建 ての 広 大 な 建 物 で 銃 眼 を備 えて 一 見 要 塞 の ようで あ る。
馬 幣 によ る 跨 境 経 済:清 末 か ら民 国 初 にか けて苦 渋 を舐 め 続 けた 回 民 社 会 の 再 生 は馬mtに よる経 済 活 動 に よった 。 「馬 家 大 院 」 をつ くった 馬 如 騨(1897‑1983)は 、 民 国 初 期 に兄 弟 の 馬 如 瑛 、 馬 如 唾 とともに馬 蕎 の大 元 締 め 「大 鍋 頭 」 で あ った 。 彼 らは、 ここか ら国 境 、 省 境 を越 え険 しい 山 道 を 歩 き物 資 を運 んで 財 をな した 。 まず 雲 南 省 政 府 主 席 龍 雲 と知 己 を得 て 龍 家 の 馬 甜 とな った 。 か っ て この 小 さな 村 で50戸 が 馬 を飼 い350匹 の 螺 馬 ・馬 が い た とい う。 村 に は7人 の 「大 鍋 頭 」 が お り、
100人 の 引 き手 が いた 。 省 内 は もちろん チ ベ ット、 四 川 、 貴 州 、 桂 林 、 広 州 、 タイ、 ビル マ、 ベ トナム な ど東 南 ア ジ ア諸 国 に 行 き、 商 品 を売 り捌 くと同 時 に新 知 識 や 新 製 品 も仕 入 れ た 。 先 進 的 な 外 国 文 化 が 流 入 した 東 蓮 花 村 は 「小 上 海 」 と呼 ば れ た 。 ちな み に1949年 以 前 には 魏 山 全 県 で 長 距 離 の 馬 mtは665戸 、,.馬 ・馬 は4500匹 以 上 お り、 その ほ とん どが 回 族 で あっ た。 一 大 運 送 業 集 団 で あ っ た とい え る(挑 継 徳2002)。
馬 兄 弟 は 、さらに 国 民 党 国 防 部 長 の 白崇 禧(回 民)と 知 己 を得 、抗 日戦 争 中 に ビル マ ・雲 南 間 の 「援 蒋 ル ー ト」 の 軍 事 物 資 輸 送 を 担 った 。 「馬 家 大 院 」 の 「名 道 至 遠 」 とい う匠 額 は1939年 に 白 崇 禧 本 人 が 訪 問 時 贈 った もので あ る。 もち ろん 、 抗 戦 協
写 真1:東 蓮 花 清 真 寺 の マナ ー ラ
力 の 功 を 労 うた めで あ る。 馬 兄 弟 の 抗 戦 支 援 とは、
以 下 の ような ことで あった 。1938年 に騰 沖 、 龍 陵 が 日本 軍 に より占領 、 保 山 も何 度 も爆 撃 を 受 けた 。 援 蒋 ル ー トは 爆 撃 ・寸 断 され 、 後 方 の 抗 戦 物 資 の 運 送 は 困 難 とな り、 日本 軍 の 作 戦 は一 見 成 功 した よう に見 えた 。 しか し、 峻 険 な 山 岳 地 帯 の 細 い 山 道 を辿 る馬 需 は 日本 軍 に発 見 され に くく小 回 りが 利 き、 重 慶 国 民 政 府 側 に軍 事 物 資 の 輸 送 手 段 として 珍 重 さ れ た 。 馬 蕎 は ビル マ ー 昆 明 一 広 東 一 重 慶 に至 る遠 距 離 を軍 事 物 資 ・生 活 物 資 を運 ん だ。 リス クが 高 い 危 険 な 仕 事 の 報 酬 として 馬 如 騨 ら3兄 弟 は莫 大 な 財 を な した(4)。 な お、 抗 日戦 争 期 、 雲 南 の 馬 甜
雲南におけるイスラーム回帰現象と中阿学校 61
は 回 民 が95%を 担 い 、 荷 車1000両 余 、 螺 馬 ・馬1万 匹 以 上 が 動 員 され 、 戦 略 物 資1200ト ンを運 ん だ(楊 兆 鉤1989:282‑283)。
教 育 振 興:馬 如 騨 は 民 国 時 代 この 地 域 の 郷 長 を務 め 、 村 人 の信 頼 が 篤 か った 。 幼 時 か らクルアー ン とイス ラー ム 教 義 を学 ん だ 敬 慶 で 信 義 に篤 い ムス リムで あ った。 他 の 回 民 「大 鍋 頭 」 も馬 帯 で 蓄 え た経 済 力 で 自分 の 村 の イス ラー ム振 興 、 特 に教 育 振 興 に力 を入 れ た 。 雲 南 「回 民 起 義 」 失 敗 後 、 回 民 が 政 治 、 経 済 、 文 化 上 の諸 権 利 を制 限 ・剥 奪 され 、 貧 困 と被 差 別 の 地 位 の 甘 ん じて きた ことを反 転 しようとい う目論 見 で あ った 。 馬 如 騨 の 巨額 の 寄 付 もあ り、1924年 に は東 蓮 花 清 真 寺 が 竣 工 し、
喫 珍 富(1878‑1960)と い う卓 越 した 阿笥 が この 清 真 寺 の 学 校 で 教 えるようにな っ た。 彼 は 「貧 、愚 、卑 」 に苛 まれ 弱 体 化 した 回 民 の 地 位 向 上 のた め 「自強 自救 」 を 打 ち出 し中 阿兼 学 と男 女 平 等 も唱 えた(馬 存 兆2000:136)。 四 川 の 西 昌市 出 身 の 学 生 も3
人 い た とい う(東 蓮 花 清 真 寺 提 供 史 料2008)。
さらに、1943年 とい う抗 日戦 争 中の 最 も困 難 な 時 期 に、 巨額 の 出 資 で 「蒙 化 私 立 興 建 中 学 」 を 作 った 。 ここで は 漢 語 とア ラビア 語 を 同 時 に教 え 、 その 他 、 数 学 、 地 理 、 歴 史 、 体 育 、 音 楽 等 の カ リキ ュラムを備 えて いた。当 時 の高 名 な 阿 笥 納 潤 章 (1900‑1971)を 日本 の 爆 撃 に 晒 され た保 山 か ら 迎 え校 長 とし、 省 内 外 か ら教 師 を集 め 、 ア ラビァ 語 文 法 、 会 話 、 読 本 、 教 義 、 論 理 学 、 修 辞 学 、 イスラー ム法 、 イス ラー ム哲 学 、 体 育 を教 えた 。5 年 制 の この 学 校 は 評 判 を 呼 び 、 学 生 は雲 南 中 か ら 70余 名 集 め た(納 潤 章1964(1985)、 楊 兆 鉤 編 1989:314、 維 駿2004:615、 銚 継 徳 他2005:
240‑241)。 さらに女 学 も開 設 した。
写 真 は1947年 、濠 溝 、下 関(大 理)、 喜 洲(大 理)出 身 の 修 了 生 「喚 醒 穆 民 」 「振 瞳 発 声 」 「興 教 先 声 」 「教 化 宣 」 な どと書 か れ た 旗 を送 った 記 念 写 真 で あ る(Pickens Collection, Harvard University)。 彼 らは雲 南 省 内 、 国 境 を越 えて ビル マ、 タイ に 阿 笥 、 ア ラビア 語 教 師 、 小 学 校 教 師 と
して赴 任 し、 そ の 総 数 数 百 人 に上 る(東 蓮 花 清 真 寺 提 供 史 料2008)。
しか し、 国 民 党 と共 産 党 の 内 戦(1946‑1949) と1949年 の 中 国 共 産 党 の 政 権 奪 取 に伴 い 、 タイ に 移 民 す るもの が 続 出 した 。 王 柳 蘭 の 研 究 に よれ ば 、 中 国 共 産 党 の 政 策 は 「資 本 家 」 に1948年 ご ろか ら悪 評 で、 財 産 没 収 や 階 級 問 の嫉 妬 を巧 み に 利 用 しな が ら地 主 を 打 倒 す るな どの 冷 酷 なや り
写 真2:私 立 興 建 中 学 の 学 生 1947年 Harvard Pickens ColIection
写 真3:私 立 興 建 中 学 の 学 生 と教 師 1947年Harvard Pickens Collection
方 を伝 え聞 き身 の 危 険 を感 じた 国 外 へ の 逃 亡 者 が 引 き もき らな か った(王 柳 蘭2011:83‑91、243‑
244)。 馬 如 騨 もそ の筆 頭 で 、1948年 に まず ビル マ に居 を移 し、その 後 タイに移 住 した 。 タイで もイス ラー ム文 化 と中 国 文 化 教 育 に 心 を砕 い た(馬 永 歓 他2012)。
2)経 済 力 とイ スラー ム教 育
1924年 に竣 工 した東 蓮 花 清 真寺 は文 革で は幸 いに全面 的破 壊 を免 れ、 改 革 開 放後 改修 され 宗 教 活 動の場 として復 活 した。 現在 の清真 寺 への寄 進 ・寄 付 は、清 真寺 管 理 委 員会 によって管 理 され
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て い るが 、 年 を追 って 増 加 す る様 相 を 呈 して い るの は 他 の 回 族 集 居 地 域 と同 じで あ る。 また、 ここで は、 海 外 教 胞 か らの 寄 進 も多 い。2009年 の 開 斎 節(ラ マ ダ ン明 け の 祭 り イー ド ・ル ・フェ トル)で は、 天 課 ・也 貼(ザ カ ー ト、 ワクフ、 サ ダ カ)が108件 、 計49250元(日 本 円1元e14円 として、
689500円)集 まって い た(清 真 寺 内 の 掲 示 板 による)。 清 真 寺 へ の 寄 付 は これ 以 外 の 機 会 、 例 えぼ 新 教 学 楼 や 清 真 寺 の 改 築 ・増 築 な どの機 会 に も集 め られ る。 天 課 は 阿 匂 、 中 阿 学 校 教 師 の給 与 や、
清 真 寺 の諸 経 費 、 各 種 社 会 事 業 な どに清 真 寺 管 理 委 員 会 を通 して公 正 に使 われ ることにな って い る。
現 在 馬 轄 は廃 れ 、 村 の 経 済 は農 業 、 商 業 、 出稼 ぎ 者 か らの仕 送 りが 中 心 で ある。 特 に周 辺 地 域 か ら集 め た菜 種 搾 油 業 が 盛 んで 、その 風 味 の よさ、品 質 の 良 さか ら、省 内 の大 都 市 の 昆 明 や 下 関(大 理) で も高 値 で 取 引 され る高 級 品 で あ る(馬 永 歓 他2012)。
3)東 蓮 花 中 阿 学 校 の 実 際
この 清 真 寺 内 に は 中 阿 学 校 が あ る。 公 立 学 校 と変 らな い規 則(5>や 教 学 規 劃 も存 在 す る。 東 蓮 花 中 阿 学 校 の 教 学 規 劃 は次 の とお りで あ る。 これ らの 内 容 は、別 の 中 阿 学 校 で もほ ぼ 同 じなの で、 以 下 、 参 考 まで に列 挙 して お く。
(1)小 学 班 甲班 と乙 班 内 容:イ スラー ム 常 識 、発 音 、アラビア語 アル ファベ ット、フ トバ 、雑 学(簡 単 なイス ラー ム の 内 容 を集 め た 文 言 集)講 釈 、 学 習 の仕 方
(2)基 礎 班 甲班 と乙 班 内 容:イ ス ラー ム常 識 、 クル ア ー ン ・ハ ディース、 イス ラー ム法 講 釈 、 実 施 方 法
(3)補 習 班 甲班:内 容:イ スラー ム常 識 、 発 音 、 ア ラビア文 字 アル ファベ ット、 クル アー ン ・ハ ディー ス 、 イス ラー ム法 講 釈 、 実 施 方 法
乙班:(老 年 班 女)と 丙 班:(老 年 班 男)内 容:イ ス ラー ム常 識 、 クル アー ン ・ハ ディース、イスラー ム 法 講 釈 、 実 施 方 法
(4)全 日制 班(4年 コー ス)
初 級 班:(女)内 容:イ ス ラー ム 常 識 、 クル アー ン ・ハ ディース 、 信 仰 学 、 イス ラー ム法 、 アラ ビ ア語 文 法 構 造 、 イス ラー ム 史 、 思 想 、 品 格 と徳 性 な ど
基 礎 班: 内 容:イ ス ラー ム常 識 、 クルア ー ン ・ハ ディース、 イスラー ム 法 、 中 国 語 、 イス ラー ム史 、 文 体 論 な ど
中級 班:内 容:イ ス ラー ム 常 識 、 クル アー ン注 釈 、 ハ ディース解 釈 、 アラビ ア語 文 法 基 礎 、 ア ラビ ア語 コース 、 イス ラー ム法 、 解 釈 、 イス ラー ム史 、 法 律 法 規 常 識 、 文 体 論 な ど
高 級 班:内 容:ク ル アー ン学 精 釈 、 認 主 学(タ ウヒー ド論)、 修 辞 学 、 論 理 学 、 「天 方 性 理 」 学 、 イス ラー ム法 分 析 、 ハ ディース学 の エ ッセ ン ス、 中 国 史 ・外 国 史 、 法 律 法 規 常 識 、 品 格 と徳 性 な ど
11名 の 男 女 教 師 が 、 以 上 の ように地 元 ムス リムの ニ ー ズ 、 年 齢 や ジェ ンダ ー 、 レベ ル に合 わせ て ク ラス運 営 を して い る。1)〜3)は 短 時 間 教 え るだ け の 「塾 」 形 式 だ が 、4)は 全 日制 班 で 、 高 級 班 に至 るまで4年 間 の全 日制 宗 教 教 育 が 行 わ れ てい る。 東 蓮 花 村 は小 さな コ ミュニテ ィで、 他 地 方 出身 の全 寮 学 生 は存 在 しな い 。 さらに研 鑛 を積 み た い 学 生 が いれ ぼ 高 次 の 宗 教 教 育 機 関(後 述 の 昭 通 や 沙 旬 の 中 阿 学 校 な ど)に 送 り出 す。 逆 に い えぼ 、 地 域 の ニ ーズ に 密 着 して お り、 この村 の 宗 教 的 結 束 を固 め るた め は不 可 欠 な存 在 とい える。
4)教 師(ウ ス タ ー ズ)ZXyさ ん との イ ン タ ビ ュ ー
以 下 に女 性 教 師ZXyさ ん との インタ ビュー に 基 づ き再 構 成 してみ よう。 彼 女 は当 時(2009年9月 21日 開 斎 節)33歳 、 娘1人12歳(初 中1)の 母 親 で もあ る(以 下 括 弧 内 は筆 者 に よる補 足:21 歳 で 子 ど もを産 ん だ ことに な るの で 、20歳 ごろに結 婚 した とい うことに な る)。
学 歴 に つ い て:彼 女 は地 元 の初 中卒 後 、 雲 南 南 部 の 回 族 集 居 村 、 沙 旬 で 男 性 ・女 性 向 け に開 講
嚢 南におけるイスラーム回帰環 象と中陽学校 63
されて い た ムス リム 教 育 基 金 会 の 初 級 班 で 学 ん だ(6)。 当 時 、 ムス リム教 育 基 金 会 の 初 級 班 の教 師 に はサ ウジ ア ラビア、 シ リア、 パ キス タ ン、 マ レー シ アな ど留 学 経 験 者 が 多 か った。 基 金 会 で 学 ん だ 後 、 この 東 蓮 花 清 真 寺 の 高 級 班(前 出)で 学 び 、 阿 旬 賞 を獲 得 した 。 ちな み に、 初 級 班 と高 級 班 の違 い は 短 大 と大 学 の 違 い の ような もの とい うことで あ った 。
勉 強 の き っか け、 同 級 生 につ いて:初 中 の 時 にZXyさ ん は た また ま沙 旬 に行 く機 会 が あ った 。 回 族 が 多 く敬 度 な 雰 囲 気 で アラビ ア語 学 習 が 盛 ん な 沙 旬 が 気 に入 り、 両 親 の 猛 反 対 を押 し切 って 沙 旬 の 学 校 で 勉 強 を決 め た。 一 方 、 高 中(高 校 〉 の 受 験 に は 失 敗 した。 沙 旬 の 教 育 基 金 会 の 学 校 に は 初 級 班 と高 級 班 が あっ た。 初 中 学 歴 はZXyさ ん だ けだ った(他 の 人 は もっと低 い学 歴 だ った)。 教 育 基 金 会 の 学 校 で も経 済 的 な 理 由で 中 退 す るもの もい た 。 全 部 で3人 の 女 性 卒 業 者 の うち、 一 人 は子 どもの 面 倒 を 見 て くれ る人 が い な い の で 現 在 教 師 を して い な いが 、 もう一 人 は 子 ど もを世 話 して くれ る 入 が い るの で 今 で も教 えて い る。
学 習 班 の 構 成 につ いて:現 在 の 東 蓮 花 清 真 寺 で は 女 学(女 性 の 中 阿 学 校)と して 既 婚 女 性 向 け の 「老 年 ア ラビア語 学 習 班 」 婦 女 学 習 班(前 出)が 開 か れ 、女 性 は早 朝 と昼 間 に1コ マ(1.5時 間) ず つ 計2コ マ 学 ぶ 。 早 朝 に学 習班 に来 て1コ マ 学 ん で、 家 にご飯 を 作 り食 べ に帰 り家 事 をして 、 午 後 に また 学 習 班 に足 を運 んで1コ マ学 ぶ 。 その 後 家 に戻 って 礼 拝 が 既 婚 女 性 の 日常 で あ る。 参 加 者 は 70人 で あ る(既 婚 女 性 た ち は女 学 で イス ラー ム の 真 髄 を学 ぶ とい う 「言 い 訳 」 で 家 人 か ら外 出 許 可 を得 、 束 の 間 で も家 事 、 家 族 関 係 の 煩 わ しさか ら逃 れ 、 同 じような境 遇 にあ る女 性 た ち と連 帯 感 を紡 ぎ、家 庭 で の イス ラー ム 的 道 徳 の 教 育 者 ・伝 達 者 として の女 性 の使 命 感 を共 有 してい ると考 えられ る(松 本201Qb:79))。
ZXyさ ん は13年 間 この 仕 事 をま じめ にや って きた(結 婚 の20歳 か らず っ とこの 仕 事 を子 育 て しな が ら続 けて きた)。 クル アー ン、 ハ ディース 、 イス ラー ム 教 義 を教 えると同 時 に子 どもの アラビア語 学 習 班 も受 け 持 って い る。 幼 稚 園 か ら小 学6年 まで8つ の 班 が あ り、 公 立 小 学 校 の クラス が 下 校 後 その ま ま毎 日の アラ ビア語 学 習 班 とな って い る。 夏 休 み な ど長 期 休 暇 中 は1日 中 アラビ ア語 の 勉 強 を す る。
試 験 が 半 年 に1回 あ る。 子 どもの 学 習 班 で は清 真 寺 の 清 掃 活 動 もす る。ZXyさ ん を含 めて、 この 中 阿 語 学 校 に は3人 の女 性 教 師 が い る。
教 学 の 工 夫 に つ いて:子 どもたち にア ラビア語 、 イス ラー ム学 習 に積 極 的 に 取 り組 ませ るた め にイ ン セ ンティブ を与 えて い る。1週 間 毎 日来 ると1元 、皆 勤 賞 が30元 、罰 金 が2毛 とい う風 にで あ る。 また 、 試 験 の成 績 優 秀 者 に は、1等 が50元 、2等 が30元 、3等 が15元 もらえる、とい うシステム を作 って い る。
給 与:通 常 夜 だ け 教 えて い れ ば 給 与150元 で あ るが 、 それ 以 上 教 え れ ば 給 与 以 外 に奨 励 金 が50‑
100元 出 る。 その 他 、 米 、 大 豆 、 小 麦 な ど穀 類600キRが 現 物 支 給 だ。 小 経(ア ラビア 文 字 で 漢 語 を標 記 す る方 法)を 教 える と200キ ロの 大 豆 が もらえ る。 この 現 物 給 料 の制 度 を 改 め て、 統 一 して 1000元 の 給 与 案 が 出 て い る、 とい うことで あ った 。
夫 との な れ 初 め に つ い て:ZXyさ ん の 実 家 は この 付 近 の農 家 で、父 は小 学 校 卒 、母 は初 中卒 で あ っ た。 夫 は 漢 族 で 実 家 の 搾 油 業 に出 稼 ぎ で 働 きに 来 て い た 。 真 面 目で 敬 震 な 回 族 に惹 か れ イスラー ム に入 信 し、 父 母 が 勧 めて 婿 に貰 うことにな った。13歳 の 時 婚 約 した 。
教 え る ことと子 育 て につ い て:沙 旬 の 学 校 修 了 直 後 に結 婚 し、40日 後 に ここで 教 え は じめ た 。 小 学4年 の 班 、 婦 女 老 年 班 を 教 えることにな った 。 み な 熱 心 に勉 強 を した。 娘 が 生 まれ て も近 くに住 む 親 に面 倒 をみて もらえた。 暇 を見 つ けて 授 乳 に家 に 帰 っ た りして い た。
仕 事 の スケ ジ ュ ー ル つ いて:ZXyさ ん は 東 蓮 花 の 近 くの 回 輝 登 の 中 阿 学 校 で も教 えて い る。 早 朝 婦 女 班 に1コ マ教 え 、8時 半 に礼 拝 、9時 に家 で朝 食 を食 べ て 、10時 半 に 回 輝 登 で 教 え、1時 半 に 戻 り、休 憩 後 この 東 蓮 花 清 真 寺 の 婦 女 班 で 教 え、夕 方 以 降 は小 学 班 で 教 えるとい うめ ま ぐるしさで あ る。
自分 の 子 ど も の 教 育 に つ い て、 イ ス ラ ー ム 化 に つ いて ZXyさ ん は1人 娘 につ いて も将 来 は高 中 卒 業 後 にイス ラー ム教 経 学 院(中 国 政 府 系 宗 教 学 校)や 海 外 留 学 させ イス ラー ムの 勉 強 を させ た い と思 って い る。 以 前 は 中 国 の ム ス リマ は蓋 頭 を被 って い な か っ た が 、 イスラー ム世 界 へ の 留 学 組 が 帰 国 後 み な被 るようにな った(外 国 の 「正 統 」 の イスラー ムの 教 えを改 革 開 放 後 の 留 学 組 が 伝 え た とい
64 中国の 「国境文化」の人類学 的硯究
うこ とで 、 蓋 頭 は 「新 しい伝 統 」 とな った とい うことを意 味 す る。 宗 教 を全 否 定 した 文 革 の 反 動 も大 き か った と思 わ れ る)。 近 年 中 阿 語 学 校 で 学 ぶ 人 が 増 えて い る(い わ ゆ るイス ラー ム回 帰 、 イスラー ム復 興 現 象 。 中 国 で は近 年 意 図 的 に 「文 化 自覚 」 と言 い換 え られて い る)。 魏 山 に は22の 回 族 村 ω が あ
りそ れ ぞ れ 清 真 寺 が あ るが 、 ほ とん どに婦 女 学 習 班(女 学)が あ る。 男 老 年 学 習 班 もあ る。 ウス ター ズ が 礼 拝 の 意 義 と意 味 、 イスラー ム の倫 理 観 を教 えて い る。
女 学 に つ い て:女 学 は回 輝 登 、 小 園 壇 が 有 名 で 、 多 くの初 中 卒 業 生 を全 日制 で 受 け入 れ 、 全 国 か ら学 生 が 来 る。 少 し遠 い が 雲 南 中 部 の 納 家 営(通 海 県 納 古 鎮 〉 の 女 校(女 学)は 条 件 が 良 いの で 評 判 が い い(海 南 省 な ど全 国 か ら学 生 が 来 る。(筆 者 に よ る2006年6月 調 査))。 同 僚 のHYm、
LYは 納 家 営 の 女 学 修 了後 ここで 教 えて い る。 女 学 を出 た 女 性 に は 任 教 の機 会 が あ る(「 公 立 学 校 」 の 学 歴 は足 りな くとも、 必 要 とされ 尊 敬 され る仕 事 を し、 経 済 的 自立 によってエ ンパ ワーで きる(松 本 2010b:95‑99))。ZXyさ ん は この 方 面 で のパ イオ ニアで あ るが 、この仕 事 は大 い に発 展 を遂 げ て い る(実 際 、 回 輝 登 、 小 園 垣 、 納 家 営 、 沙 旬 の 女 学 出 身 者 は海 外 留 学 を した り、 別 の 女 学 の 教 師 にな っ た り
して い る)。
ア ラ ビ ア 語 と ビジ ネ ス の 関 連:ZXyさ ん の 弟 はまず 東 蓮 花 清 真 寺 阿 文 学 校 の 初 級 班 に入 り、 その 後 北 京 第 二 外 国 語 学 院 ア ラビア語 学 科 で 学 んで 後 、 サ ウジ アラビ ア に留 学 した 。 広 州 、 義 烏 、 香 港 で 働 い た経 験 を もっ。 弟 の 同 級 生 には 北 京 で 貿易 会 社 を営 み 、100万 元 の 家 、40万 元 の 車 を所 有 す るもの もい る。 親 戚 の子 も広 州 で ア ラビア語 通 訳 をしてい る。 アラビア語 能 力 をっ けれ ば 努 力 次 第 で 階 層 上 昇 で きる、 とい うことは広 く知 られて い る(松 本2010a)。
子 ど もた ち の 将 来:こ この 回 族 の 子 どもた ちの 将 来 の 夢 は家 庭 教 育 や 家 庭 環 境 に よって 異 な る。 サ ウジ アラビア に留 学 した い とい う子 もいれ ば 、(普 通 の)大 学 に入 って公 務 員 にな りた い とい う子 もい る。
安 定 した給 与 を欲 す る父 母 が い る家 だ。 農 民 に は ここに残 って農 業 を継 い で ほ しい と考 えて い るもの も い る。
地 方 政 府 の 管 理:こ こで は 地 方 政 府 が 宗 教 活 動 を上 手 く管 理 して お り、 政 策 と宗 教 活 動 の 間 の 矛 盾 は今 の 所 な い。 青 海 や 新 彊 の ように教 派 が 多 か った り他 宗 教 との 兼 ね 合 いが 難 しか った りす る場 所 で は問 題 が 起 きが ちで あ るが 、 雲 南 は その よ うな 問 題 が な く丸 く収 まって い る。 ムハ ンマ ドの 誕 生 日を 祝 う聖 紀 節 も22の どの モ ス クで も開 催 され 、 教 民(ム ス リム)が 集 まって 預 言 者 ムハ ンマ ドの 晶徳 の 高 さを学 ぶ 。 宗 教 管 理 政 策 で もこの ような ことも許 可 され て い る(ち な み に開 斎 節(イ ー ド・ル ・フィトル) は、 回 族 集 居 地 域 で は 職 場 も公 立 学 校 も休 日とな る)。
イ ンタ ビュー 後 の 感 想:女 性 の 人 間 形 成 の場 所 、 職 業 訓 練 の 場 所 、 自信 と能 動 性 を高 め る場 所 と して の 女 学 で の 学 び につ い て は 既 に論 じた が(松 本2010b)、 このZXyさ ん にっ いて も同様 の ことが い え る。 地 元 で13年 間 仕 事 を して い る彼 女 は、 コ ミュニ テ ィ(ジ ャマ ー ア 〉 の 中 核 的 存 在 で あ る。 ア ラビア語 学 習 班 に通 う老 女 た ちや 子 どもたち も含 め 、 村 の 誰 もが 彼 女 の教 え子 とい うことに な るか らだ 。 特 に年 長 女 性 か らの 全 幅 の 信 頼 と感 謝 、尊 敬 は、女 性 の 家 庭 内 ・ジ ャマ ーアで の高 い 地 位 の 保 証 や ジ ャ マ ー アの 安 定 化 に役 立 って い るはず で ある。 神 を敬 い 畏 れ るとい う宗 教 知 識 を通 じて、 勤 労 の 大 事 さ、
質 素 さ、 謙 譲 、 謙 虚 、 人 間 の 尊 厳 、 助 け合 い を 教 える彼 女 は、 過 度 の 物 質 至 上 主 義 、 拝 金 主 義 、 精 神 的 堕 落 か らジ ャマ ー ア を守 る一 翼 を担 って い る ともい える。 宗 教 実 践 に裏 打 ちされ 、落 ち着 き払 っ たその 態 度 や 言 動 か ら、 彼 女 もまた 自分 の仕 事 にや りが い と誇 りをもち、 自信 に満 ち溢 れ た 人 生 を送 っ てい ることを窺 うことが で きた。
3.昭 通 市 の 申 阿 学 校(1) 毛貨街中阿学校 外に目を向けている学校
1) 毛貨街 中阿専科 学校の 実際
位 置 と清 真 寺の 歴 史:雲 南省 昭 通 市 は、 省都 昆 明 から北 に500キ ロ、昭 通 一昆 明 間の飛 行機 や 高速 バスが行 き来 に利用 されている。公 式発 表 によれ ば昭通 市 は周辺 も含 めて582万 人の人 口をもっ
璽南におけるイスラーム回帰現象と中懸学校 65
(市 政 府 公 式 ホ ー ムペ ー ジ、2004年 統 計)。 市 部(昭 陽 区)の 人 口77万5千 人 の うち 回 族 人 口 は 2万2千 人 に過 ぎ ない 。
訪 問 した の は、 街 の ほぼ 中 心 部 に ある毛 貨 街 清 真 寺 と付 属 の 中 阿 専 科 学 校 と昭 通 市 東 大 寺 新 光 伊 斯 蘭 学 校(訪 問 時 は、昭 通 市 外 国 語 学 校)で あっ た。 昭 通 は都 市 再 開 発 が 進 み、 「現 代 化 」 が 着 々 と進 む 街 で あ るが 、 毛 貨 街 清 真 寺 は、 区 画 整 理 途 中 の 入 り組 ん だ 小 路 にあ る。 毛 貨 街 とい う名 称 は 清 末 に毛 皮 加 工 業 の 回 民 が7戸 あ った ことか ら名 づ け られ た。 清 代 に あ った 清 真 寺 は 「回 民 起 義 」 制 圧 時 に破 壊 され 、 毛 貨 街 清 真 寺 は光 緒12年(1886年)に 新 た に作 られ た。1947年 には 回 民30 数 戸 、 人 口200人 にまで 増 えて いた(呉 建 偉 編1998:94)。 しか し、1949年 以 降 、 改 革 開 放 期 を 迎 えるまで の 約30年 間 宗 教 活 動 は振 るわ な か っ た。
学 校 の 実 際:こ の 毛 貨 街 中 阿 専 科 学 校 は 初 中 卒 以 上 の 学 生 を受 け 入 れ る4年 制 で 全 日制 の 所 謂 「高 中 型 」 の 学 校 で あ る。CYf先 生 、 MLg先 生 、 DLx弁 護 士(回 族 で 清 真 寺 の 管 理 委 員 会 の董 事 長)に 話 を伺 った 。CYf先 生 は 河 南 省 洛 陽 出 身 で 、 イス ラー ム法 が 専 門 、MLg 先 生 は 昭 通 出 身 で あ るが 、 内 モ ンゴル の 呼 和 浩 特 清 真 小 寺 や 西 安 の 民 族 中 阿 学 校 で も学 ん だ と い う経 験 を もつ 。DLx弁 護 士 は、地 元 昭 通 出 身 、 雲 南 大 学 で 法 律 を学 び、 弁 護 士 経 験 は30年 に な る。
彼 らによれ ば 、 広 域 昭 通 地 区 で は公 式 統 計 で は 回族 人 口 は18万 人 だ が 、 計 画 生 育 政 策 違 反 で 出 生 登 録 を して い な い子 もい るの で、20万 人
写 真4:昭 通 中 阿専 科 学 校 の テ ス ト時 間
は下 らな い とい うこ とで あっ た。 隣 接 す る貴 州 省 の 回 族 集 居 地 区 を入 れ ると約30万 人 の 回 族 人 口規 模 で あ る。 清 真 寺 も政 府 が 登 記 して い るの は180箇 所 で あ るが 、 実 際 は200箇 所 以 上 ある とい うこと で あっ た。
中 阿 専 科 学 校 の 歴 史:こ の 学 校 は 地 元 回 族 を 中 心 に募 金 を集 め、 歎 難 辛 苦 の 末 に1994年 に 姶 め られ た。 当初 学 生 は80人 しか 集 め られ なか っ た が 、1996年 に は300名 の 学 生 を集 め(宇 鵬 2007)、 今 日まで 約15、6年 の 歳 月 を重 ね て きて い る。 時 期 は雲 南 他 地 域 の 納 家 営 、沙 旬 等 より遅 い 。 当 初 は宗 教 知 識 を教 える場 が な く保 護 者 が 競 って子 ど もを入 学 させ たが った。
カ リキ ュラム:カ リキュラム は、1年 目はア ラビア語 基 礎 や 口語 、2年 目は 、 清 代 に出 た漢 語 の 経 書 の 注 解 、 伝 統 、 イス ラー ム史 を付 け加 え、3年 に な るとクル アー ン、 ハ ディース 、 イス ラー ム法 の 内 容 が 多 くな る。4年 は(阿 笥 養 成 の た めの)高 級 班 で あ る。 漢 語 を多 用 して、 概 念 と思 想 を教 える教 授 法 を用 い る。大 半 が3年 で 修 了 す る。国 内 有 名 大 学 の 回 族 学 の専 門 家 を招 聰 しての特 別 講 義 もあ る(ち な み に 、 筆 者 も講 義 を した)。 イス ラー ム の 教 えを理 解 ・実 践 で き るよ うな 人 間 らしい 心 を もった 人 を 育 て ることに心 を注 ぎ、 災 害 ボ ランティア、 扶 貧 ボ ランティアな どに も力 を入 れ てい る(8)。
卒 業 後 の 進 路:課 程 を終 えると中 国 各 地 に赴 任 して イス ラー ムの 伝 教 者(阿 旬 、 教 師:ウ スターズ) にな った り外 国 留 学(バ ング ラデ シュ、 エ ジ プ ト、 パ キス タン、 シ リアな ど)し た りす る。2008年 の約 50名 の 修 了 生 の うち40名 の 男 子 学 生 が 別 の 農 村 の清 真 寺 の 阿 笥 に なっ た。 義 烏 、 広 州 な どで 通 訳 業 務 に就 くもの 、 外 国 の 大 学 に留 学 し博 士 号 を とるもの もい る。 貿 易 業 務 を始 めた 者 の 中 に は数 百 万 元 の 年 収 を得 るまで にな った 者 もい る。 全 国 か ら学 生 が 集 まって い るの で、 ここで 培 った地 域 間 ・ムス リム間 の ネ ットワー クが 商 売 に生 か せ て い る(9)。高 中 に 在 学 しつ つ 中 阿 学 校 で 学 ん だ もの の 数 十 人 が 有 名 大 学 の 学 生 とな って、 在 籍 して い る大 学 の ムス リム 青 年 の 信 仰 の 中 心 的 存 在 とな って い る(昭 通 毛 貨 街 清 真 古 寺 管 理 委 員 会2010)。
マ マ
昭 通 地 区 に は、170の 清 真 寺 が あ り、170人 の 阿 旬 が 必 要 だ が 、 宗 教 界 に は1000人 い る。1人
66 中国の 「国境文化」の人類学的研究
の任 教 期 間 は3年 間 で あ るか ら、 理 論 的 に は20年 間 に1回 しか 任 教 の 機 会 が な い(李 正 清2008:
366)。 勢 い 、 中 阿 学 校 を 出 た もの は 阿 旬 以 外 の 職 業 の 機 会 を求 め る必 要 が 生 ず る、 とい う批 判 的 意 見 もあ る。
学 生 の 出 身 地:学 生 の 出 身 地 は、 昭 通 出 身 地 が 半 分 、 その 他 が 全 国 各 地 か ら集 まる。 山 西 、 内 モ ンゴル 、河 南 、 甘 粛 、 陳 西 、 山東 、 寧 夏 、 中 には 新 彊 各 地 か らの 回 族 生 徒 もい る。 訪 問 調 査 で は、
ウイグル 族 学 生 に は会 わ な か った 。 学 生 の み な らず 教 員 の 出 身 地 は さまざ まで あ る。 この 学 校 の 教 師 は男16、 女3名 計19名 い るが 、 出 身 地 は全 国 に渡 って い る。
学 生 の 学 歴:学 歴 は 中 卒 が60%、 高 中 卒 も一 定 比 率 お り、 大 専(短 大)出 身 者 もい る。 年 齢 は 15歳 か ら20歳 前 後 で あ る。 大 学 受 験 に失 敗 した り大 専 を出 て も仕 事 が な か っ た りした もの もい る(1°)。
しか し逆 に この ような 中 阿 学 校 に入 ることで、 唯 一 の 神 を信 じ、 信 義 、 信 頼 、 謙 譲 、 謙 虚 の 心 を重 ん じる 「真 の ムス リム 」 とな った 彼 ら/彼 女 らが 活 躍 で きる空 間 は広 が る。 無 神 論 者 や 他 宗 教 信 仰 者 が 参 入 で きぬ ム ス リム の み に通 用 す るニ ッチ な社 会 領 域 が あ るか らで あ る。 「信 仰 が あれ ぼ 飯 が 食 え る」
の で あ る。
学 費:学 費 は1年 目が500元 、2年 目か らは 無 料 。 生 活 費(寮 費 ・食 費)は 月100元 で あ る。
昭 通 は 経 済 水 準 が 低 い の で 、 学 生 の 家 庭 環 境 を考 慮 して 低 く抑 えて い る。 この 地 域 は交 通 不 便 で 経 済 的 に も遅 れて い るが 、 宗 教 へ の 情 熱 は高 い 。 学 校 経 費 は毎 年50万 元 以 上 か か るが 、 清 真 寺 の 不 動 産 収 入 は3万 元 に過 ぎ ず 残 りの 学 校 経 費 は全 て 昭 通 の 回 族 か らの 天 課(ザ カー ト、サ ダカ)で 賄 っ て い る。 回 族 は 数 十 戸 に過 ぎず み な一 般 労 働 者 で 家 具 や 家 電 な どもな い家 も多 い。 収 入 の 半 分 以 上 を学 校 に寄 進 す る篤 信 の もの もい る(宇 鵬2007)。 倫 理 的 人 間 を育 て るの が 目的 なの で 、 職 業 学 校 で はない と考 えて い る。
教 員 の 給 与 に つ いて:数 百 元 に過 ぎな い 。 その 能 力 で 広 州 や 義 鳥 に行 けぼ 、 月3500元 以 上 は稼 げ るが 、 教 育 活 動 に使 命 感 を もって い るの で 、 現 状 で 満 足 して い る。
学 生 募 集 につ いて:学 生 募 集 は 宣 伝 を特 に して い な い。 卒 業 生 ・在 校 生 が 新 学 生 を連 れ て くるとい うロ コミ方 式 で あ る。 き ょうだ いで 入 学 す るもの もい る。 現 在270名 の 学 生 が い る。 事 実 上 の無 試 験 で 来 るもの は拒 まず 、 とい うスタ ンスで あ る。 学 力 ・態 度 面 で 劣 ってい る学 生 もいな い で もな いが 、 宗 教 教 育 を実 践 して い くうちに 、 見 違 えるように まじめで 規 律 正 しくな り、 勉 強 好 き にな って い く。 教 学 の レベ ル も大 専(短 大)レ ベ ル に達 してい るとい う(宇 鵬2007)。 女 性 は蓋 頭 、 男 性 は 回 民 帽 とよば れ る帽 子 が 「制 服 」 で あ る。 特 別 な 時 には長 い イス ラー ム服 を着 ることもある。
回 族 が 抱 え る 問 題 につ いて:回 族 の宗 教 に覚 醒 した 人 々は 次 の ような 危 機 感 を持 って い る。 第 一 に 通 婚 問 題 、 第 二 に大 都 市 で 青 年 が 学 ん だ ら出身 地 に帰 らな い 問 題 、 第 三 に家 庭 教 育 の 問 題 、 第 四 に信 仰 の 問 題 で あ る。第 一 の 問 題 と第 二 の 問 題 は 相 関 してい る。す な わ ち、都 市 の大 学 や 職 場 で 出 会 っ た漢 族 と回 族 の 男 女 の 恋 愛 結 婚 が 増 えてい る。 それ によ りイス ラー ム的 人 間 観 が 拝 金 主 義 的 か っ 唯 物 論 的 漢 族 文 化 に併 呑 され 、 回 族 は漢 化 ・世 俗 化 して しまう。 世 俗 化 の 波 は、 第 三 、 第 四 の 問 題 も顕 在 化 させ る。 親 が 信 仰 内 容 を 知 らな け れ ば 、 家 庭 で 子 どもに教 えの 良 さを伝 え る機 会 はな い。 公 立 学 校 で は宗 教 教 育 は一 切 な い ので 、 子 どもは 「回 族 」 民 族 成 分 の 意 味 が 不 明 とな った り、 唯 物 論 の 影 響 か ら信 仰 自体 を拒 否 して しまった りす る。 結 果 的 に宗 教 は周 縁 化 し 「回 族Jは 消 滅 す るか 満 族 や 苗 族 の ような 記 号 的 存 在 とな る運 命 を辿 る。 大 学 進 学 に反 対 で な い が 、 漢 族 と激 烈 な 競 争 に身 を置 き、
マイノリティとして 都 市 に埋 もれ る結 果(神 を畏 れず 奉 仕 の 精 神 に欠 く自己 中 心 的 な)漢 化 を余 儀 な くされ る。 その結 果 、 綿 々 と引 き継 い だ 信 仰 が 理 解 で きな くな る。
a) 毛 貨 街 中 阿 学 校 で の ア ン ケ ー ト
筆 者 は 、 この 学 校 で 学 生 にア ンケー ト調 査 をさせ て もらった。 男 女 、 年 齢 、 出 身 地 、 家 の仕 事 や 学 歴 の ほか に回 族 アイデ ンティティを意 識 しは じめ た きっか け、困 難 な こと、相 談 相 手 、回 族 らしさとは何 か 、 とい った ことを質 問 す るもので あっ た。
ここで 明 らか に な った ことをか い摘 ん で紹 介 す ると、 以 下 の とお りで ある。
曇南におけるイスラーム回帰現象と申阿学校 67
回 答 者 は35名 で 男 性12人(34%〉 、 女 性23人(65%)、10代 が7名 、20代 が26名 、 無 回 答 が2で あった 。 出 身 地 は、雲 南13(37%)、 新 彊9(25.7%)、 山 東4(11.4%)、 河 南2、 寧 夏2、
内 モ ン ゴル1、 陳 西1、 貴 州1、 未 回 答1で あっ た。新 彊 で はイスラー ム宗 教 教 育 は ほ とん ど禁 止 な ので 、 つ て を使 って 昭 通 の 学 校 に来 て い ることが わ か る。
家 庭 の 仕 事 は、 農 民 が24(68%)、 個 体 戸 、 労 働 者 が そ れ ぞれ3(8%ず つ 〉 で あ る。 テ レビ、
携 帯 電 話 な どは ほ ぼ100%所 持 して い るが 、 ガ ス8人(22%)、 上 下 水 道5人(14%)と イ ンフラ整 備 が 比 較 的 遅 れて い る農 村 ・貧 困 地 域 出 身 者 もい ることが わ か る。
また 、自分 が 回 族 と認 識 した の は 父 母 か らと29人(82%)が 答 えた。 イス ラー ム文 化 に誇 りを持 つ 、 と答 えた もの は26人(74%)で あ る。 将 来 子 どもを 持 つ とす れ ば学 歴 は どの くらい まで 、との 問 い には、
大 学 が12人(34%)、 大 学 院(博 士)が11人(31%)、 双 方 合 わ せ て23人(65%)と 、 高 い学 歴 志 向 を示 した 。 これ は、 自分 の 希 望 を反 映 した もので 、 回 答 者 に農 民 出 身 が 多 い ことか らも、 経 済 的 問 題 か ら大 学 進 学 が 叶 わ ぬ 夢 で あっ た 自分 の 姿 を 投 影 して い るもの と思 わ れ る。 それ は次 の 困 難 な ことに関 す る答 えか らもわ か る。
困 難 な こと(複 数 回 答 可)は 、 仕 事 が な い15人(42%)、 収 入 が 少 な い12人(34%)、 将 来 が 見 えな い8人(23%)、 家 族 の 健 康 問 題6人(17%)、 結 婚 問 題7人(20%)な どが 多 く回 答 され た。
経 済 問 題 が 重 くの しか か り、 学 費 の 安 い この学 校 に来 た、 また 回 族 同 士 の 結 婚 相 手 を見 つ け ることの 困 難 さとい う背 景 も透 けてみ え る。
困 った ときの 相 談 相 手 は家 族17人(48%)、 回 族 友 人13人(37%)と 続 き、漢 族 友 人6人(17%) を大 きく引 き離 した 。 家 族 はほ ぼ100%回 族 か 改 宗 ムス リム なの で 、 問 題 解 決 は回 族 の 中 で な され るこ とが 多 い ことが わ か る。
「回 族 らしさ とは何 か 」、 とい う問 い に対 して、20名(57%)が イス ラー ム信 仰 と答 えた 一 方 で、 名 称 だ け と答 えた もの も5名(14%)い た。彼 らは 中 阿 学 校 在 籍 とい う環 境 上 、イス ラー ム習慣 と信 仰 に従 っ た 生 活 をし、 ア ラビア語 をあ る程 度 理 解 で きて い る。
また 、 ε成 功 す るた め に重 要 な ことは何 か 」 との 問 い(複 数 回 答 可)に つ いて は、 個 人 の 才 能18人 (51%)、 努 力24人(68%)、 学 歴3人(8%)に 対 し、 信 仰 が33人(94%)と 格 段 に 高 い 。 行 きた い ところ は国 内 で は義 鳥8(22%)で 上 海 、北 京 、広 州 を押 さえ 、外 国 で はマ レー シ ア21(60%)、
エ ジプ ト17(48%)、 サ ウジ アラビア7(20%)と 続 く。
信 仰 深 さが 成 功 につ な が る、 とい うの は、 中 阿 学 校 生 の 信 念 で あ ろう。 さもな けれ ば 、 高 中 ・大 学 進 学 を諦 めて 遠 路 は るぼ る昭 通 にや って きて、 難 しい ア ラビア語 を学 ぶ べ く規 律 厳 しい 寮 生 活 をす る必 要 はな か ろ う。 また 、 義 鳥 人 気 はここで も高 い一 方 で、 マ レー シア 留 学 の夢 もまた 多 く語 られ る。 治 安 が よ く距 離 的 にも近 いイス ラー ム世 界 で 、 英 語 も学 べ 漢 語 も通 じる、 とい う身 近 さが マ レー シア 人 気 の 秘 密 で あ る。
な お 、 「回 族 らしさとは何 か 」、 とい う質 問 に対 す る代 表 的 な 記 述 は 次 の とお りで ある。
Aさ ん:思 うに、 真 の 回 族 とは 自身 が 特 別 に もって い る文 化 と伝 統 を保 持 し、 自民 族 の 信 仰 をしっか りと守 る大で あ る。 イス ラー ムは 、 物 事 を処 理 し人 と接 す る際 、 回 民 の 生 活 の 指 南 とな るはず 、そ の ようで あ れ ぼ、 他 民 族 は二 度 と回 族 あ るい はイス ラー ムを野 蛮 で 無 知 な どと誤 解 しな い だ ろう。 回 族 の人 々 は 同化 され えな いが 、 しか し同 化 は私 た ちの 目前 に差 し迫 って い る。
Bさ ん:真 の 回 族 とは 自分 の文 化 や 伝 統 、 習 慣 を 守 り通 し、 イスラ ーム の 教 えを 守 り、 それ に従 って 生 活 す る人 の こ とで あ る。
Cさ ん:正 しい信 仰 を有 し、 信 仰 と行 い が 一 致 して いて、 善 美 を尽 くす人 の こ とで あ る。
Dさ ん:品 行 方 正 、 言 葉 使 いが 美 しく、 人 とな りが 善 良 で、 社 会 的 に認 め られ て い る。
批 判 的 な意 見 もあ る。 世 俗 化 や 「回 族 」 の 単 な る記 号 化 へ の 警 戒 で あ る。
Eさ ん:回 族 とはた だ の 一 民 族 の 名 前 に 過 ぎな い 。 真 の 回族 とは特 に 自分 の文 化 や 歴 史 を理 解 し、 ア ラブ 文化 を
68 中国の 「国境文化」の人類学的研二究
継 承 す る人 の こ とで あ るが 、 真 の 回 族 が 必 ず しもムス リム を代 表 す る とは 限 らな い。
Fさ ん:イ ス ラーム を信 仰 す る ことは 回 族 の 責 任 で あ る が 、 回 族 はム ス リム を代 表 しな い し、 ム ス リム も全 て が 回族 で はな い 。回 族 とは一 民 族 の 代 名 詞 で 、イスラー ム を代 表 す る もの で はな い。
Gさ ん:回 族 は 過 去 に イス ラー ム を 信 仰 す る人 の 代 名 詞 で あ った が 、 現 在 は一 民 族 の 名 前 に な って い る。
写真5 回民起義殉難記念碑 「烈士坊」
3)「 宣 伝 欄 」 にみ る 危 機 意 識
毛 貨 街 は 非 常 に狭 い 小 路 で あ るが 道 沿 い の イ ス ラー ム に関 す る宣 伝 欄 に は、 次 の ような ことが 黒 板 に書 か れ てい た 。 現 在 の 回 族 が 置 か れて い る政 治 的 、 宗 教 的 危 機 意 識 が 表 れ て い ると思 わ れ るので 、 簡 単 にその 内容 を紹 介 す る。 それ は、
信 仰 が な い 回 族 も増 えて い る とい う世 俗 化 とい う 危 機 、回 民 帽 や 蓋 頭 を被 って い る と白眼 視 され ることもあ るとい う被 差 別 ・無 知 の 問 題 の 内容 の ほ か に、
娩 曲 な政 治 批 判 もあ る。 例 え ぼ 、 次 の ような もの で あ る。
「政 治 家 は政 治 信 仰(主 義 や 領 袖)を 他 の 信 仰 に取 って 代 わ らせ た い と望 む。 しか し、 主 義 や 領 袖 は 完 全 で も万 能 で もな い 。 主 義 は修 正 され 領 袖 は人 に過 ぎ な い。 … 欠 点 が な い 人 はい な い。
領 袖 が 神 を作 れ るとで もい うの か?… 強 大 な政 党 や 政 府 も社 会 問 題 を解 決 で き/¥社 会 の不 正 を 完 全 に無 くせ な い 。 先 端 科 学 も自然 界 の 謎 を解 き明 かす ことはで きな い 。 賢 明 な 領 袖 にも欠 点 や 誤 りが あ る。 一 方 で 、 神 は全 能 で あ り、 信 仰 者 は物 質 が で きぬ ことで も精 神 上 で はで きる。 今 世 で 出 来 ぬ ことも来 世 で で きる。」(2009年 調 査 資 料)
体 制 批 判 か つ 唯 物 論 批 判 と取 れ る文 章 で あ る。 逆 に い えば 、 印 刷 物 とい う証 拠 が 残 らな い もの で あ れ ぼ 、 この ような 言 論 は人 々の 目に触 れ る所 で 比 較 的 自由 に発 されて い る。 現 実 の 中 国 の 政 治 ・社 会 状 況 と信 教 自由 の 根 本 的 矛 盾 は広 く理 解 され て い る。 だ か ら、 他 エ スニ シ ティに比 べ て 比 較 的 宗 教 管 理 の 緩 い 回 族 が イスラー ム に回 帰 す ることは 、 倫 理 観 が 破 綻 し、 混 迷 を深 め る中 国 社 会 で 生 き抜 き、
現 状 打 破 す るた め に必 要 と理 解 され て い る。
4.昭 通 市 の 中 阿 学校(2):ペ ル シ ャ語 も 教 え るイ ス ラー ム 学校
町 の 中 心 部 に あ る昭 通 清 真 東 大 寺 に 隣 接 す る中 阿 学 校(現 、 昭 通 東 大 寺 新 光 伊 斯 蘭 学 校)も あ るとい うことで 訪 問 した。2◎03年 に再 建 され た 昭 通 清 真 東 大 寺 に付 属 して い る。 ここに はr回 民 起 義 」 時 代 この敷 地 内 に 逃 げ 込 み殺 され た り井 戸 に身 を投 げ た りして犠 牲 とな った 数 千 入 の 回 民 犠 牲 者 を弔 う殉 難 紀 念 碑 が あ る。150年 以 上 も前 の 体 制 の 手 に よる惨 事 を子 々孫 々 に渉 って 記 億 しようとい う意 志 を感 じさせ る大 きな 建 造 物 で あ る。
面 会 したHXm校 長 は青 海 省 西 寧 出身 者 で ある。 学 生 は12◎ 名 、全 寮 制 で 男 性 のみ で あ る。 雲 南 、 青 海 、甘 粛 、 河 南 な どの 学 生 が 来 て お り、 昭 通 の もの は少 な い。2001年 にで きた5年 制 学 校 で ある。
卒 業 生 は阿 笥 、 教 師 、 また は義 鳥 、 広 州 な どで 通 訳 業 につ く。 学 生 の 学 歴 は初 中 、 高 中 、 大 専 卒 な ど一 様 で な い。1学 期 の 学 費 は食 費 ・宿 舎 費 込 みで1000元 。1年 は2学 期 制 な ので 、1年 間2000 元 の 学 費 で あ る。 毛 貨 街 中 阿 学 校 とほ ぼ 同 程 度 とな る。
HXm校 長 は 着 任 して3日 目、 ここに来 るまで は、 甘 粛 省 の 臨 夏 回 族 自治 州 の 学 校 で ア ラビア語 と
璽南におけるイスラー ム回帰現象 と中阿学校 69