中国の「国境文化」の人類学的研究
著者 塚田 誠之
発行年 2013‑03‑31
その他のタイトル The Culture of Ethnic Groups in Border Areas of China
URL http://hdl.handle.net/10502/5668
もう 一 つ の 親 族 、"ラ オ ト ン"
チワン(壮)族 とベ トナム民族 とのネットワークの一側 面
塚 田 誠 之(国 ・眠 族学博物館)
1.は じ め に
筆 者 は、 これ まで 中 国 の チ ワン(壮)族 とベ トナムの ヌン族 を取 り上 げ て、 文 化 の 比 較 、 相 互 の 交 流 の 実 態 につ いて 検 討 を行 って きた。 交 流 にっ いて 、国 境 貿 易 、民 間 の文 化 活 動 、親 戚 ・友 人 、通 婚 、
ベ トナム人 の 中 国 へ の 出稼 ぎ、 国 境 の 越 え 方 、 相 互 の イメー ジな どを取 り上 げ た。 その 中で 擬 制 的 親 族 として 、 男 女 ともに ほ ぼ 同 じ年 齢 の 同 性 の 相 手 と 「ラオ トン 」 〈老 同 。 「トンニ エ ン 」(同 年)と も呼 ぶ 。 現 地 語 も同 じ〉 関 係 を結 ぶ ことを指 摘 し、 若 干 の 事 例 を提 示 す るとともに国 境 地 域 の 場 合 、 不 安 定 な立 場 に 置 か れ た 人 々が 安 定 や 精 神 的 な 拠 り所 を求 め て、 こうしたネ ットワー クに よる結 びつ きを よ り必 要 とした ゆ え に とくに濃 密 な 関 係 にな るよう指 摘 した[塚 田2010a]。 た だ しラオ トンにつ い て は 先 行 研 究 が 殆 どな く ω、 立 ち 入 った 検 討 は将 来 の 課 題 とせ ざ るを得 な か った。 その 後 、 実 地 調 査 を通 じて ラオ トン に関 す る新 たな 事 例 を少 な か らず 得 た。 またベ トナム の タイー 族 の ラオ トンの事 例 も得 られ た。 本 稿 で は、 新 たな 事 例 に もとつ いて、 壮 族 とヌ ン族 ・タイー族 の 間 の ラオ トン関 係 の実 態 につ いて 、 その 契 機 、儀 礼 、 結 婚 と葬 式 の 際 の往 来 、 家 の 新 築 祝 い 、 道 士 の 儀 礼 、 相 互 扶 助 、 呼 称 、 重 要 性 、 目的 な どにつ いて 検 討 し、 ラオ トン 関 係 の全 貌 の 解 明 に近 づ きたい(2)。
中r国
ベ トナ仏
広西壮族 自治 区
大新県 ・靖西県付近の中越 国境地域概略図
ベ トナム
も う一 つ の 親 族 、"ラ オ トン"39
2.契 機
本 章 で はラオ トン 関 係 を結 ぶ 契 機 につ いて検 討 す る。 契 機 は二 つ の 類 型 に大 別 す ることが 可 能 で あ る。 す な わち、1.互 い に性 格 が 合 うな ど個 人 的 な関 係 が 良好 な ゆ え 自ら主 体 的 に決 め た 、2.第 三 者 、 す な わ ち他 人 の 紹 介 を経 た り、 親 が 先 方 の 親 と子 供 同 士 をラオ トンと決 めた ことが 挙 げ られ る。1の 場 合 、 さまざ まな状 況 が 見 られ る。 これ につ い て次 の 事 例 が ある。
【事 例1】 大 新 県 碩 龍 鎮5村 方Z氏(68歳 、 男 、2010年 調 査)
氏 に は2人 の ベ トナム人 の ラオ トンが い る。1951年 か ら58年 まで 、碩 龍 中 心 小 学 で 一 緒 に学 ん だ 。 ラオ トン はペ イ ・ウ アン ・N氏 とホ アン ・ヘ ン ・G氏 で 、N氏 は氏 よ り2歳 年 上 、 G氏 は 同 じ年 だ っ た。N氏 は現 ハ ラン県 リー コック社L1村 、 G氏 はLl村 に隣 接 す るL2村 の 出 身 で あ る(と もに タイー 族)。3人 の 住 む 村 は碩 龍 街 の す ぐ近 くで ある。 当 時 、N氏 に よるとL1村 か ら4人 が 、 G氏 に よると L2村 か ら7人 が 碩 龍 中 心 小 学 に通 学 した。 ベ トナム側 に は小 学 校 が まだ なか った 。 当 時 は男 子 の み が 学 校 に通 った。 当 時 の 小 学 校 は8年 制(初 等4年 ・高 等4年)で 、 方Z氏 の 記 憶 で は初 等 クラ ス の1年 か ら3年 までN氏 ・G氏 と同 級 生 だ っ た。1学 年2ク ラスの み で 、1ク ラス に は36名 の 生 徒 が い たが 、 ベ トナム 人 は6人 の み だ った とい う。 学 校 で は ラオ トン と一 緒 に学 び 、 夏 休 み に は一 緒 に 魚 取 り、 釣 りを して 遊 ん だ。 当 時 は中 国 に 人 民 服 が まだ 無 く、 衣 服 は同 じだ っ た。 また土 話(壮 語)、
白話(広 東 語)で 話 を した とい う。
【事 例2】 靖 西 県 龍 邦 鎮 」村 農G氏(40歳 、 男 、2010年 調 査)
氏 はベ トナ ムの チ ャリン県 に ラオ トンが い る。 彼 の 幼 名 は 「以 打 」 とい い 、 氏 より3日 早 く生 まれ た 。 3人 の子 供 が お り、1男2女 と氏 と同 じ家 族 構 成 で あ る。 氏 は 以 打 が7、8年 前 に龍 邦 鎮 ヘ テ レビを 買 い に来 た ときに、 氏 の 母 方 イ トコ とともに、 天 秤 棒 で テ レビ を3人 で 交 替 しなが ら担 いで6、7㎞ 離 れ た 以 打 の 家 まで 運 ん だ。 以 打 の 家 に着 いて か ら、 一 緒 に食 事 を して意 気 投 合 し、 以 打 が 申 し出 て ラ オ トン にな った 。
【事 例3】 大 新 県 碩 龍 鎮A村 梁E氏(50歳 、 男 、2012年 調 査)
氏 に は ラオ トン2、3人 が グイソン(帰 春)河 を はさんで 対 岸 の ハ ラン県 ミンロン社 にい る。 うち 「阿 礼 」 が 最 も親 密 で 、 氏 と同 年 だ 。1986、87年 頃 、 ベ トナムで まな 板 用 木 材 を仕 入 れ る商 売 で 知 り合 っ た。
木 材 は阿 礼 が 山で 伐 採 した もの を、氏 が 仕 入 れ て 竹 筏 でA村 に運 搬 した。氏 は この 商 売 を2、3年 した。
あ るときに は数 十 本 、 ときに は十 数 本 運 び 、 外 地 か ら来 た 商 人 に売 った。
事 例1は 少 年 以 来 の 付 き合 いで 、 同 じ小 学 校 に通 い親 しくな って ラオ トン にな った もの で あ る。 事 例 2は 奮 助 、 事 例3は 商 売 が 契 機 に な って い る。 それ らは 自 らの 意 思 で ラオ トン にな って い るが 、 第 三 者 が 決 め る事 例 も少 な くな い。 これ に つ いて次 の 事 例 が あ る。
【事 例4】 靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 農 ⊂ 氏 〈67歳(2011年)、 男 、2011年 ・2012年 調 査 〉
氏 に は6人 の ラオ トンが い る。 年 齢 は 同 じくらいで 、チ ャリン県 に2人 、ハ ー クワン県 、ジ ョンヘ ン県 、 クワン ホア 県 に それ ぞれ1人 い る。 ラオ トンの 中 で チ ャリン県 の諌L氏(農C氏 よ り2、3歳 上)が 最 も親 しい 。 諏L氏 は兵 隊 にな って戦 って 左 手 を失 った 。 双 方 の 父 が 友 人 で 、 氏 が26歳 の とき、 彼
らの子 同士 をラオ トンに す ることを決 めた 。 した が って 諌L氏 とは1960年 代 に知 り合 った 。 諌L氏 は 農 民 だ が 、 その 姉 の夫 はチ ャリン県 で 政 治 的 要 職 にあ る。 この他 、 クアンホ ア県 の ラオ トンは 、 父 の ラ オ トン の甥 で 、 父 の ラオ トンが 紹 介 した。 ハ ー クワン県 の ラオ トン も父 の ラオ トンが 紹 介 した もので 、 県
の 要 職 に あって、 チ ャ リン県 の ラオ トン ともど も氏 の 商 売 に協 力 した 。 氏 は1960年 代 以 降 、 ベ トナム 特 産 の 「鉄 木 」を仕 入 れ て売 る商 売 を して いた 。 ジ ョンヘ ン 県 の ラオ トンは、父 が 先 方 の 父 親 と友 人 だ っ
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たの で 、 父 の 勧 めで ラオ トン にな った。
氏 はベ トナム との 国 境 貿 易 に 関 わ って きて お り、 商 売 の 仔 細 につ いて は多 くは語 らな い が 、 少 な くと もチ ャリン県 の ラオ トン讃L氏 の 場 合 、 双 方 の 親 が 親 しく、 その 紹 介 で ラオ トンにな って い る。 氏 の 弟 農M氏(59歳 、 男 、2011年 調 査)も 一 時 期 、 マ ンガ ン鉱 石 の 輸 入 の 商 売 を して い た が 、 チ ャ リン 県 で の 鉱 石 集 め に農M氏 自身 の ラオ トン が 協 力 して い る。 農M氏 の ラオ トンも兄 同様 、 父 が 薦 め た もの で あ る。 これ らは、 ラオ トンにな った契 機 は親 の 紹 介 だ が 、 その 後 、 この 関 係 を活 用 して商 売 を し た事 例 で あ る。
この ようにさまざ まな 状 況 が 見 られ るが 、 総 じて 「ベ トナム人 は ラオ トン関 係 を結 ぶ の を好 む」(靖 西 県 龍 邦 鎮 黄X氏 、59歳 、 男 、201.2年 調 査)と 言 われ て お り、 先 の 事 例2で もベ トナム側 が ラオ トン
にな る ことを提 案 して い る。 ラオ トン にな る年 齢 にっ いて は 、 先 の 事 例2は 当 事 者 が30歳 を越 えて子 供 を持 って か らで あるが 、 総 じて 若 い未 婚 の 時 代 に な る場 合 が 多 い ようで ある。 事 例4の 農C氏 の場 合 も6人 の ラオ トンの 多 くは 婚 前 にな った もの で あ る。 双 方 の年 齢 は、 例 外 が あ るもの の 、 上 記 の4 事 例 か らす ると同 じ くらい の 場 合 が 多 い(3)。
3.儀 礼
本 章 で は 、 ラオ トンに な る際 の 儀 礼 につ いて検 討 す る。 中 国側 で の 調 査 で は儀 礼 が 行 われ た とい う 情 報 は 少 な い(4)。先 の 事 例4の 農C氏 は 、中越 戦 争(1979年)前 に、父 の ラオ トンの 紹 介 によって ハ ー
クワン県 にラオ トンを持 って いた が 、 そ の ラオ トンは 県 の政 治 的 有 力 者 で、 氏 の 商 売 の 手 助 け を して い た。 農C氏 は相 手 宅 の 神 棚 の 前 で ニ ワ トリを殺 して祖 先 を拝 み、 後 、 ラオ トン 同士 が 脆 拝 した とい う。
ベ トナム側 で は儀 礼 が 行 わ れ た とい う情 報 が 中 国 側 より多 い 。 次 に挙 げ るの はその 事 例 で あ る。
【事 例5】 ジ ョ ンヘ ン 県 ン ゴ ッ ク ・コ ッ ク 社P村 リン ・ウ ア ン ・C氏(50歳 、 タ イ ー 族 、 男 、2012 年 調 査)
氏 に は10人 の ラオ トンが い るが 、うち中 国 に も3、4人 い る。10〜12歳 頃 、父 親 が 用 意 した モチ2対(4 個 、 豆 ・ブタ肉 館)、 ニ ワ トリ1羽 、 酒1本 を先 方 と贈 答 し合 っ た。 それ らの供 物 を先 方 の 祖 先 祭 祀 棚 に そな えて ラオ トン と一 緒 に 拝 ん だ 。 そ の 際 に先 方 の 家 族 全 員 が 傍 に立 っ た。 中 国 の ラオ トンとは、
1970年 代 に 一 緒 に放 牛 を して仲 良 くな り、 ラオ トン にな った もの で あ る。 な お 、今 は放 牛 を して い ない 。 ベ トナム 国 内 に もラオ トンが い るが 、5、6歳 頃 に親 が 決 め た もの で ある。 ラオ トン にな る時 、 上 記 の 供 物 の 他 に碗 ・箸 を贈 答 し合 った。 碗 ・箸 を交 換 す る行 為 は 、 子 供 た ちが 元 気 に 育 つ ように願 う意 図 が ある とい う。
【事 例6】 ジ ョン ヘ ン 県 ン ゴ ッ ク ・コ ッ ク 社 ホ ワ ン ・ハ イ ・S氏(42歳 、 タ イ ー 族 、 男 、2012年 調 査) ラオ トンにな る際 、道 士 に 日を選 んで もらい 「ニ ン(認)儀 礼 」 を した。 大 きなモ チ(豆 館)10個 、 調 理 した ニ ワ トリ1羽 、 砂 糖1袋 、 酒1本 を神 棚 に備 えて、 線 香 をあ げ た 。 その 後2人 は 手 を合 わ せ て 祖 先 を拝 ん だ 。 道 士 は 来 ず 両 親 の み が 立 ち 会 った 。2人 で 親 を 拝 ん だ 。 儀 礼 が 終 わ った 後 、 一 緒 に供 物 を食 べ た。 双 方 で 期 日をた が えて 同 じ儀 礼 を した 。 ベ トナムの 国 内 の ラオ トン とも同 じことを した 。
事 例5・6と もに儀 礼 の 場 に 道 士 は来 な い(6の 場 合 、 道 士 が 吉 日を選 んで い る)。 立 会 人 として 家 族 全 員(事 例5)、 両 親 の み(事 例6)の 違 いが あ り、 また 事 例6で 明 記 され てい るように 、 双 方 で 期 日をた が えて 同 じ儀 礼 をす る。 儀 礼 の 名 称 は 「ニ ン儀 礼 」 とい う(事 例6)。 さらにベ トナム側 の 国 内 の ラオ トンの 事 例 で は、 モチ を作 って互 い に 持 ち寄 って食 べ るとい う場 合 もあ る くジ ョンヘ ン県 ダム ト
も う一 つ の 親 族 、,7オ トン" 41
イ社B村 ノン ・フック・L氏(76歳 、タイー族 、2012年 調 査)〉。 この 儀 礼 は ヌン族 の もとで も以 前 に あっ た とい う)。 先 の 事 例1で は、 とくに親 の 同意 は得 なか った とい うが 、 事 例5、6の 場 合 、 親 が 儀 礼 に 立 ち会 って お り、 同 意 を与 えて い る。
4.結 婚 式 の 際 の往 来
ラオ トン 自身 お よび その 子 女 の 婚 礼 へ の 出席 は葬 式 と並 んで 重 視 され て い る。 先 の事 例2の 農G氏 の ラオ トンは 「年 中行 事 に は来 な い が 紅 白事(結 婚 式 と葬 式)に は 来 る」 ので 、 農G氏 は事 前 に他 の 人 に頼 んで 先 方 へ 知 らせ るとい う。 婚 礼 の事 例 として次 の ものが 挙 げ られ る。
【事 例7】 靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 農 ⊂氏(2011年 調 査)
1970年 代 に、 ラオ トンで あ る讃L氏 の 妹 が 結 婚 した際 に本 村 の友 人 たち と数 人 で 行 った。 氏 は フト ン2組 を持 参 した(現 在 の 価 値 で2、300元 に相 当)。 他 に祝 儀 は贈 らな か った 。1晩 泊 り、 翌 日昼 飯 を食 べ て 戻 っ た。 戻 る時 、 返 礼 として ブタの 脚(未 調 理)、 オ コワlkgを 贈 られ た。 友 人 たち は何 も贈 られ な か った 。 宴 席 の 際 に は神 棚 の 前 の 主 卓 に坐 り、 先 方 の 家 族 の 女 人 が ひ ざ まつ い て酒 を勧 め た。
1993年 に氏 の 長 男 が 結 婚 した 。 この 際 にラオ トンは100千 ドン(人 民 元50元 に 相 当)を 贈 った。
一 緒 に参 加 した ベ トナムの 友 人(チ ャリン県 の 社 の幹 部)は 何 も贈 らな か った。 氏 は ラオ トン に返 礼 と して ブタの脚 とオ コワ1包 を贈 り、 国 境 まで 送 った。
氏 は3人 の子 女 が い るが 、ラオ トンは次 男 、および 末 子(女 児)の 結 婚 には来 な か った 。 とい うの は 、 次 男 は 現 在 大 学 教 員 を して い るが 、 その 婚 礼 は靖 西 県 城 で 行 った。 県 城 にベ トナム 人 を招 聰 す るの は 手 続 きが 煩 環 な た めで あ る。 末 子 は、 小 さい ときに は氏 が よく連 れて ラオ トンの ところに行 った 。 現 在 、 教 師 を して い るが 、 その婿 は国 家 公 務 員 ゆ え婚 礼 にラオ トンを招 待 しな か っ た。 ラオ トンの調L氏 にも 3人 の子 女(2女1男)が い るが 、 農C氏 は長 く村 の 行 政 職 を して い た の で 会 議 が 多 く、 課L氏 の 子 女 の 結 婚 式 に行 くこ とが で きな か った。
【事 例8】 大 新 県 碩 龍 鎮D村 方Y氏(50歳 、 男 、2011年 調 査)
方Y氏 に はラオ トン として、 ク院 ソン河 の 対 岸 の ハ ラン県 ミンバ ン社B村 にノン ・ウエ ン ・Y(52歳 、 タイー 族)が い る。 先 方 とは1980年 、 中越 間 の 戦 闘 の 終 結 直 後 に 、 国 境 貿 易 で 知 り合 った 。 当 時 、 氏 は中 国 製 の フ トンを売 り、 ベ トナ ムか ら漢 方 薬 や 民 間 の 薬 材 を仕 入 れ て 売 った。 婚 礼 や 葬 式 に は互 い に 呼 び あ った 。 婚 礼 につ いて、 まず ベ トナムの ラオ トンの長 女 が2001年 に結 婚 した ときに 夫 婦 で 筏 で 河 を渡 り参 加 し、 フトン1組(当 時70元)を 贈 った 。 帰 りに未 調 理 の ブタ の脚 を贈 られ た 。 次 いで 、2003年 、 ラオ トンの 長 男 が 結 婚 した とき も夫 婦 で 行 った 。 この 時 は酒(焼 酎)10斤(54。1 斤500g)、 米10斤 、 祝 儀20元 を贈 った。 この 時 、 先 方 か らは何 も返 礼 に贈 られ なか った。 さ らに、
2005年 、 先 方 の 次 女 が 結 婚 した 時 にも行 き、 祝 儀30元 を贈 った 。 先 方 か らは何 も贈 られ な か った。
2009年 、4番 目の子 供(男 児)が 結 婚 した 時 に も夫 婦 で 行 った。 祝 儀100元 を贈 り、 返 礼 に ブタの 脚 を贈 られ た。
ラオ トンの 家 で の 宴 会 に つ いて 、 長 女 の 結 婚 の ときに はニ ワ トリ ・ア ヒル は 出 されず 調 理 したブタ 肉 のみ だ った 。2005年 以 降 、 ニ ワ トリ、 ア ヒル が 出 され るように な り、 さ らに中 国 で の 宴 会 の影 響 か
ら指 肉(ブ タ肉 を碗 に詰 めて 蒸 した もの)な ど中 国 式 の 料 理 を 設 けるように な った とい う。
な お、 氏 に は2人 の子 供 が い るが 、 長 男 は広 東 へ 出 稼 ぎ に行 き、2005年 、 そこで 知 り合 っ た湖 南 省 の 女 性 と結 婚 して お り披 露 宴 を催 して い ない 。 長 女 は2008年 に結 婚 した が 、 当 時 一 家 で 広 東 へ 出 稼 ぎ に行 った 上 、 長 女 は結 婚 に際 して 父 母 の 同 意 を得 なか った ので 披 露 宴 を催 して いな い 。
氏 は ラオ トンの 子 供 の 満 月 の祝 い に も行 った 。 ラオ トンの女 児 は 遠 方 へ 嫁 いだ ので 、 長 男 の 子 供 の
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出 生 祝 いで あ る。 この ような場 合 、 以 前 は米 と祝 儀 を贈 った が 、2005年 以 降 は祝 儀 の み を送 るように な った 。
【事 例9】 大 新 県 碩 龍 鎮5村 方Z氏(2010年 調 査)
ラオ トンとは今 も婚 礼 や 葬 式 に互 い に招 きあ う。1994年 、長 男 が 結 婚 した ときラオ トンの ベ イ・ウアン ・ N氏 とホア ン ・ヘ ン ・G氏 が それ ぞ れ1人 で 来 た。 人 を代 理 で 派 遣 して 「請 帖 」(招 待 状)を 渡 した 。 祝 儀 は それ ぞれ 人 民 元5元 、10元 だ った。2003年 、G氏 の 三 男 が 結 婚 した とき請 帖(ベ トナム語 。 人 に翻 訳 して もらった)を もらった の で 、1人 で 祝 い に行 った 。 日帰 りで 、 祝 儀50元 を贈 っ た。 今 年 3月 にN氏 の 四 男 が 結 婚 した とき も1人 で 行 った 。 や は り日帰 りで 、 祝 儀100元 を贈 った。
氏 自身 は1965年 に結 婚 したが 、N氏 ・G氏 ともベ トナムで 兵 隊 にな った ため 婚 礼 に来 ることが で き な か った。 そ の後 もそれ ぞ れ 兵 士 や 県(当 時 ジ ョンヘ ン県 。1982年 にハ ラン県 が 出 来 た)の 役 入 とな っ て 往 来 す ることが 少 な か った 。 中 越 戦 争 の 際 に は碩 龍 に部 隊 が 駐 留 した た め、 往 来 が な か っ た。 中 越 両 国 の 正 式 な和 平(199◎ 年)以 降 、 とくに1992、93年 以 降 往 来 す るようにな った 。
ち なみ に、1966年 にN氏 自身 の 結 婚 の 際 に方Z氏 は 呼 ばれ て行 き、 他 の2人 の ラオ トン と共 同で 鏡 を贈 った。
事 例9の 場 合 、 事 前 に 招 待 状 を託 して 送 って い るが 、 多 くの場 合 、 なん らか の 方 法 で 事 前 に先 方 に通 知 を して い る(最 近 で は 直 接 、 携 帯 電 話 で連 絡 す る場 合 も少 な くな い)。 事 例7・8の 場 合 、 女 児 の結 婚 に 際 して フトンを贈 って い る。 これ は通 常 相 手 の 家 族 が 用 意 す るもの で、 それ だ けで もラオ ト ンの 重 要 さが 窺 わ れ る。 また贈 答 用 品 として ブタの 脚 が 見 え るが 、 これ は とりわ け重 要 な者 に贈 られ る もの で あ り、 や は りラオ トン の 重 要 さが 垣 間 見 える(5)。 事 例7で は ラオ トン は神 棚 の 前 の 主 卓 に座 っ て い る。 事 例9の 方Z氏 の ラオ トンN氏 の 結 婚 の 際 に、参 加 した ラオ トンた ち は饗 応 に預 か るの みで 、 調 理 や 給 仕 な どの 宴 会 の 手 伝 い は村 人 が した とい う(N氏 によ る)。 事 例8で 方Y氏 は、 先 方 の 長 男 の 結 婚 の 時 に は酒 ・米 な どを贈 って い るが 、4番 目の 子 の 時 に は祝 儀 の み で あ る(金 額 は経 済 状 況 に よる)。 以 前 は伝 統 にそ って酒 ・モ チ 米 を贈 った が 、 現 在 は 現 金 を贈 るとい う時 代 の 変 化 が 見 て 取 れ る(6)。 また 、 夫 婦 で 行 くとい う点 にも、 距 離 の 近 さもあ るが 、 家 族 ぐるみ の 付 き合 い で あ ることが 見 て とれ る。 事 例8に は宴 会 を催 す ベ トナム側 の 経 済 状 況 の 向 上 が 窺 われ る。 この 点 は 中 国 との 経 済 格 差 や ベ トナ ムで も個 人 の 家 庭 の 経 済 状 況 の差 異 が あ るようで 、 事 例9の ベ トナム側 の 祝 儀 は 中 国 や 同 時 代 のベ トナムの別 の事 例(事 例7>に 比 べ て格 段 に少 な い ⑦。 事 例9は 、子 供 の 時 にラオ トンに な っ た(事 例1)も の の 、 小 学 校 を 出 て、 長 じて か らは仕 事 や 戦 争 の た め往 来 が 少 な く、 中 越 戦 争 終 結 後 に 互 い に頻 繁 に往 来 す るようにな っ た もので あ る。 事 例7で は、 自分 や 子 供 あ るい はそ の 配 偶 者 の 職 業 の 都 合 や 宴 会 の地 点 によって は、 ラオ トン とい え ども行 くことが で きな か った。 事 例7に は、 広 西 で1990年 代 中期 以 降 盛 ん にな り現 在 も続 いて い る広 東 へ の 出稼 ぎや 、 親 の 同 意 を得 な い 結 婚 とい う 現 代 的 な側 面 が 見 て取 れ る(8)。 そこに は ラオ トン とい え ども仕 事 な どの個 人 の 事 情 や 外 的 状 況 に左 右 され が ちな 点 が 窺 わ れ る(9>。
な お 、 壮 族 ・タイー 族 ・ヌン族 は 結 婚 し子 が 生 まれ て1カ 月経 った 「満 月 」 の 祝 い を盛 大 にす る。
た とえ ば ジ ョンヘ ン 県 ダ ム トイ社L村(ヌ ン族)で は 、 最 初 の 子 が 生 まれ た ら盛 大 に 祝 う。 ブタ1、2 頭 をさば き、100人 くらい も参 加 す るとい う。 先 の事 例8に も、 ラオ トンが 満 月 に祝 い に来 る習 慣 が 見 られ る。 大 新 県 碩 龍 鎮A村 梁H氏(74歳 、 男 、2012年 調 査)に よると、 祝 儀 の 他 に子 供 の 衣 服 一 式 を祝 い の 品 として贈 る とい う。
5.葬 式 の 際 の 往 来
結 婚 式 と並 ん で 重 要 な の が 葬 式 で あ る。 葬 式 につ い て は次 の事 例 が あ る。
も う一 つ の親 族、"ラ オ トン"43
【事 例101靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 農 ⊂氏(2011年 調 査)
1992年 、 最 も親 しい ラオ トン課L氏 の父 の 死 に際 して村 幹 部2人 を連 れて 行 った 。 氏 は村 の 幹 部 で あっ たが 、ラオ トンの 父 の 葬 式 へ の 出 席 は 氏 に とって不 可 欠 だ った 。香 典100元(別 の2人 は30元)、
米(生 の モ チ米20斤 、 米20斤)、 子 ブター 頭(80斤 、 当 時200元 に 相 当 した)を 殺 した もの を持 参 した 。 葬 式 は3日3晩 続 いた が 、 氏 は2晩 泊 った。 子 ブタは ラオ トンの側 で 半 分 に切 って、 残 り半 分 を返 礼 にもらった(縦 に半 分 に切 る。 頭 部 も半 分 に切 る)。
棺 を担 ぐの は別 の 人 で 、 服 喪 中 の 「帯 孝 人 」 は担 ぐことが で きな い。 出 棺 の 際 、 氏 とラオ トンとが 棺 の前 面 に並 んで 歩 行 した 。 並 び 方 は、男 性(死 者 の 男 児 お よび その ラオ トン)は 第 一 列 、女 性(夫 人) や 子 供 ・孫 は後 方 で あ る。 出棺 前 に少 な くとも3回 棺 に 向 か って脆 拝 した。 ラオ トンは死 者 の 子 供 とし ての 待 遇 を受 け る。 今 もQ村 で は同 様 に行 う。
その2年 後 、 ラオ トンの 母 が 死 ん だ。 その 時 は子 供 を一 人 連 れて 行 った 。 ラオ トンの 父 の 葬 式 の 時 の ように香 典100元 ・米 ・ブタの 頭 を 贈 っ た。 礼 儀 上 、男性 の ほ うが 重 要 ゆ え、 ブタは頭 部 のみ だ った 。 1982、83年 の 頃 に母 が 死 去 した 。 戦 争 後 、 和 平 条 約 が まだ 結 ば れて い な か った ゆ え、 ラオ トンは ひ そか に来 た 。 来 な い と相 手 に 申 し訳 な い(「 不 好 意 思 」)ゆ え来 た とい う。 ラオ トン は当 日に帰 った 。 公 安 が 厳 しか った ので 、 礼 物 を持 参 で きなか っ た。 葬 式 の 間 中 、 ラオ トンは 白 い 「孝 巾」 を被 った 。 先 月、氏 の 父(100歳)が 死 去 した ときは、両 国 の 関 係 が 良 くな か っ たの で、ラオ トンは 呼 ぼ な か った 。 葬 式 終 了後 も命 日に往 来 す る。課L氏 の 父 の命 日には 、ブタ肉5斤 お よび香 典 を持 参 して1人 で 行 っ た 。 氏 の 父 母 の命 日に もラオ トンを呼 ん だ。 その 際 に道 士 が 諦 経 し、オ コワを準 備 した。 命 日に は子 供 ・
夫 人 を連 れて 行 け ない 決 ま りが あ る。 また 、服 喪 期 間 中 はラオ トンを呼 ば な いで 、服 喪 明 け儀 式 に呼 ぶ 。 服 喪 期 間 は、 普 通 、 男性 は3年 と21日 間 、 女 性 は3年 と49Ei間 で あ る。 死 者 が 男 性 な ら21日 間 、 女 性 な ら49日 間 、 白布 をか ぶ る。 この 期 間 を過 ぎ た ら白布 を焼 く。
【事 例11】 靖 西 県 龍 邦 鎮 」村 農G氏(2010年 調 査)
2007年 、 父 が 死 去 した 際 にラオ トンを招 待 した。 ラオ トンは 夫 人 とともに、 ニ ワトリ1羽 ・酒10斤 ・ 米20斤 を持 って きた。 夫 人 は 日帰 りだ った が 、 ラオ トンは 埋 葬 が 終 わ るまで2日 間 過 ご した 。 ラオ ト ン は葬 式 の 手 伝 い をせ ず もっ ぱ ら村 人 が 手 伝 った 。
【事 例12】 靖 西 県 龍 邦 鎮 黄X氏(2012年 調 査)
ラオ トンの父 が1997年 に死 去 した ときに香 典100千 ドンを持 参 して 行 った 。3日 宿 泊 した。 葬 式 の 儀 礼 が3日 間 行 われ 、3日 目の 朝 に埋 葬 した が 、 出棺 の とき死 者 の 子 と一 緒 に前 面 を歩 い た。 道 士 は 現 地 人 で 、 会 話 の ときは土 話 、 諦 経 は普 通 語 を使 用 した。 使 った 白布 はとってお く。
事 例10・lzに よると、 出 棺 の 際 に死 者 の 子 で あるラオ トンとともに 白い 布r孝 巾 」 を頭 か ら被 り棺 の 前 を 歩 行 して 埋 葬 地 へ と向 か って い る(1°)。事 例1◎ に よる と棺 に 向 か って3回 脆 拝 して い る。 服 喪 中 の 者 ゆ え棺 を担 ぐことは で きな い。 事 例11に よる と、 ラオ トン は埋 葬 が 終 わ るまで 帰 らな い。 事 例12 によると道 士 に よる葬 儀 の儀 礼 が3日 間 続 いて い る。 さ らに 事 例10に よると、 香 典 としてモ チ 米 や 米 、 現 金 の ほ か にブタ1頭 を持 参 し、 葬 式 の終 了 後 に 返 礼 として それ を縦 半 分 に切 った もの を受 け取 って い る(ii)。また 出 棺 の 際 に ラオ トン とともに最 前 列 に位 置 し、 夫 人 や 子 供 は後 列 に 位 置 してい る。 死 者 が 女 性 の 場 合 、 ブタ1頭 で は な くブタの 頭 部 で 、 男 女 の 差 異 が み られ る。 事 例Ilで は、 葬 式 の 手 伝 い は しな い。 この ように、 ラオ トンは事 例1Qに 明 記 され て い るように 、 死 者 の子 供 としての 待 遇 を受 け て い る。 な お 、 事 例10で は服 喪 期 間 が 示 されて い る。 また 、 ベ トナム で は 父 母 の 命 日に道 士 を呼 び 諦 経 を して もらう(iz)が 、 その 際 にラオ トンを呼 ぶ ことが 示 されて い る。
な お 、 葬 式 は 婚 礼 よ りも重 要 で 、 通 知 が な くとも行 くとい う言 説(ハ ラン県 リー コ ック社Ll村 ベ イ ・ ウア ン ・N氏)が あるほ どだ。 事 例10で は農C氏 は村 幹 部 の身 分 で あ るに か か わ らず 他 の幹 部 を 引 き連 れて 参 上 して い る。 同 人 は、 ラオ トン の子 女 の 結 婚 に際 して、 村 幹 部 の仕 事 の た め 、 必 ず しも全
44 中国の 魍 境 文化 」の人類学的研究
て に参 加 して い な い(事 例7)が 、 葬 式 だ け は特 別 な の で あ る。 農C氏 の母 の 死 に際 して は両 国 の 交 戦 状 態 が 完 全 に終 わ って い な い に もか か わ らず ラオ トンが 来 て い る。 そうまで して も来 な い とな らな か っ た ので あ る。 地 域 によって は、 葬 式 は親 戚 の み に通 知 しラオ トンに は通 知 しな いが 、 それ で も行 く
とい う場 合 も見 られ る(13)。それ は ラオ トンの 父 母 の 死 が 実 の 父 母 の 死 と同 等 に見 傲 されて い た か らで あ る(14)。
6.家 の新 築 祝 い
祝 い 事 の 一 つ として家 の 新 築 祝 い が 挙 げ られ る。 この 場 合 に もラオ トンは祝 い に行 っ た。 その 事 例 を挙 げよう。
【事 例13】 大 新 県 碩 龍 鎮D村 方Y氏
Sao 1年 に ラオ トンが 家 を新 築 した とき に、80㎡ もの 天 井 部 分 に使 う木 板 を含 めて100〜200枚 の 木 板 を贈 った 。 その 際 に8◎0元 を相 手 に貸 して、 相 手 は それで セ メ ン ト、 鉄 筋 な どの 建 材 を購 入 した。
その 金 は5年 ほ ど後 に 返 却 して もらった 。新 築 祝 い の 宴 会 に は、1人 で 酒10斤 ・米10斤 を持 参 して 行 っ た。1晩 宿 泊 し、 昼 食 、 夕 食 、 翌 日の 昼 食 と3回 食 べ て帰 った 。2006年 以 降 、 近 辺 の地 で の 新 築 祝 い の 宴 会 が 簡 略 化 されて 昼 食 の み にな った 。
方Y氏 の ラオ トンとの 結 婚 式 にお け る往 来 は 事 例8で 紹 介 した 通 りで 、 そこか ら両 者 の 親 密 さが 窺 わ れ る。 上 記 の 事 例 にあ る重 要 な木 を含 む 木 材 の 提 供 は他 に事 例 が な い が 、 それ だ け ラオ トンが 重 視 され て い た ことを物 語 って い る。 この 場 合 、 建 材 を購 入 す る資 金 の 貸 借 を も行 って い る。 家 の 新 築 祝 い へ の 参 加 につ いて 、 靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 の 農C氏 も、2000年 に 自宅 を 新 築 した 際 に、 ラオ トン讃 L氏 は夫 妻 で 、 男 児 を連 れ て、 モチ 米20斤 ・米10斤 ・酒10斤 ・去 勢 した大 きな ニ ワ トリ1対 を持 参 して 来 て い る(!s>。
7.長 寿 祝 い
長 寿 祝 い は、 祝 い事 の 一 つ として、 ベ トナム側 で 「福(49歳)・ 寿(61歳)・ 康(73歳 〉・寧(85 歳)」、 とくに 寿 ・康 ・寧 が 当 事 者 の 誕 生 日に盛 大 に行 わ れ る。 次 はそ の事 例 で あ る。
【事 例14】 靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 農 ⊂氏(2011年 調 査)
氏 は ラオ トン謳L氏 の父 の61歳 の 誕 生 日に行 った。 そ の場 合 、 供 物 を先 に 自宅 の神 棚 に捧 げ てか ら持 って行 った 。 礼 物 は、時 計 が 付 き 「寿 」字 が 形 ど られ た 鏡(そ の 上 に小 さく贈 り主 の氏 の 名 前 、贈 っ た年 月 日を書 い た)、 酒1◎ 斤 、 ブタ肉 少 な くとも2kg、 果 物 、 菓 子 、 祝 儀20元 で あ った。 布 匹 は贈 らな か った。
氏 は調L氏 の 父 の73歳 の 誕 生 日に も行 った 。 弟 と4人 の 友 人(村 幹 部)と で 礼 物 の 焼 きブタ1 頭 な どを担 いで 行 った 。 焼 きブタは73歳 以 上 の 祝 い の 時 の み に贈 る礼 物 で、 通 常 、 当事 者 の子 供 や 娘 婿 とい った ごく近 しい家 族 が 贈 るもので 、 その ことは民 族 の 習 慣で あ る ⑯ 。 贈 るブタには 大 き さの 規 定 が あ る。 その 大 き さはラオ トンの 子 供 が 事 前 に通 知 す る。 仮 に 「自分 が 贈 る焼 きブタ は80斤 」 と通 知 され た ら、 客 人 は この 大 きさを越 え るブタを贈 ることはで きな い 決 ま りが あ る。 ラオ トンの 姉 の 夫 が 県 の 役 人 だ っ た の で、 焼 きブタ はベ トナム の公 安 にオ ー トバ イで 運 んで もらった。 他 に1個 あた り5斤 の モ チ米 を 使 った 大 きな モ チ4個 、 果 物 、 菓 子 、 鏡(上 に 氏 の 名 を書 いた)、 祝 儀 を送 った。73歳 の 誕 生 日には 「寿 」 字 を染 めた 紅 色 の 布 が 贈 られ るが 、 それ はベ トナム側 の 親 戚 が 贈 った。
も う一 つ の 親 族、"ラ オ トン"45
ラオ トンの 家 で は 礼 物 の並 べ 方 に も決 ま りが あった 。 す な わ ち、 神 棚 のす ぐ前 に誕 生 日を迎 える当 事 者 が 座 る。 そ して、そ の後 方 に3列 のテ ー ブル が 置 か れ るが 、第 一 列 に 当事 者 の 男児(讃L氏)の 贈 っ た焼 き ブタを中 心 に、 ラオ トンで あ る氏 の贈 った 供 物 は その 横 に置 か れ た。 第 二 列 には 、 当事 者 の 女 児 や 婿 の贈 った 焼 きブ タ、 供 物 が 置 か れ た 。 第 三 列 に、 普 通 の 親 戚 の 贈 った ブタの 頭 部 、 去 勢 した ニ ワ トリな どが 置 か れ た。
供 物 の す ぐ後 方 に道 士 が 座 り、 さらにその 後 方 に参 加 者 たち が 座 るが 、 その座 り方 も供 物 の置 き方 と同 じで 、 第 一 列 は 当 事 者 の 男 児 で あ る讃L氏 、 諦L氏 の 弟 や 伯 父 、 そ して ラオ トン(氏)、 第 二 列 は当 事 者 の 女 児 、 諌L氏 の 女 婿 、 夫 人 や 伯 父 の夫 人 、 さらに讃L氏 の ラオ トンの 姉 妹 た ち、 第 三 列 に普 通 の 親 戚 、 一 緒 に行 った 氏 の 弟 が 座 った。 他 の 朋 友 た ち はさらに その 後 方 に座 った。 この とき氏 の 子 供 は時 間 が な く行 か な か った 。 氏 の 女 児 が い けば 第 三 列 に座 ることに な って いた 。
か くして讃L氏 の 父 の73歳 の 誕 生 日の ときに は 、 息 子 の謳L氏 、2人 の 女 児 、 そして謳L氏 の ラ オ トンで あ る氏 が それ ぞ れ 用 意 した4つ の 焼 き ブタが 並 ん だ 。5人 の 道 士 を 呼 び 、 太 鼓 ・シ ンバ ル ・
ドラの 演 奏 の下 、 諦 経 が 行 われ 、 儀 礼 は 朝 か ら翌 日昼 まで 続 い た 。 食 事 の 際 に は、 調L氏 と氏 は主 卓 に座 り、 他 の 者 は傍 の 位 置 に座 った。 その 規 模 は61歳 の 時 よ りもはるか に盛 大 だ った とい う。
なお 、49歳 、61歳 の 誕 生 日に も道 士 を 呼 ぶ が 盛 大 で は ない 。85歳 の 誕 生 日は73歳 の ときよ りも さらに盛 大 だ が 、 現 実 には それ まで 生 きる人 は少 な い。
【事 例15】 靖 西 県 龍 邦 ●J村 農G氏(2010年 調 査)
去 年 、 岳 父 の61歳 の 祝 い に行 った 。 妻 はベ トナ ムの チ ャリン県 チ ーフォン社L村 か ら嫁 いで 来 た 。 殺 した ブタ1頭(赤 い紙 を 貼 る。60斤 。 未 調 理)、 モ チ2皿 、 酒20斤 、 米20斤 、 「寿 」 字 を染 め た布 を持 参 して一 家 で 行 った 。2人 が 豚 を担 ぎ1人 は米 ・酒 を持 った 。 祝 儀 は 不 要 で あ る。 チ ャ リン 県 の別 の 村 に い るラオ トンの 父 の 長 寿 祝 い の 際 にも同様 に した。 ラオ トンの 父 が73歳 の 際 に通 知 が あ れ ば 同 じように ブタを持 って 行 く。 「通 知 は もちろん あ る」。
【事 例161ジ ョン ヘ ン県 ン ゴ ッ ク ・コ ッ ク社 ホ ワ ン ・ハ イ ・S氏
父 が85歳 の 祝 い を した 。 その 際 に 、 道 士 、 巫 師 「プット」 を呼 ん だ。 氏 の 中 国 の ラオ トンで 現 在 道 士 を して い るG氏 も来 た が 、 父 の 「子 供 にな っ た」 の で 道 士 役 は務 め られ な か った 。G氏 は 「寿 」 字 を 染 め た 布 、 モ チ5個 、 大 きなニ ワ トリ1羽 、 酒54、 果 物 、 菓 子 を持 参 した。 布 を贈 るの は 自分 の 子 とラオ トンの み で、 他 の者 は別 の モ ノを贈 る。G氏 の 父 の70歳 の 祝 い の ときに 妹 が 同 じもの を持 参 して行 っ た。
事 例14か らは 、 ラオ トンが 当 事 者 の 実 の 息 子 と同 じ待 遇 を受 けて い ることが 明 らかで あ る。 ただ し 長 寿 祝 い の や りか た は地 域 に よって 異 な る。 事 例15の 場 合 は、 礼 物 の ブタは 丸 ご とで あ るが 未 調 理 で あ る。 岳 父 の 誕 生 日な ので 布 を持 参 して い る。 事 例16の 場 合 は布 を贈 るの は 自分 の 子 とラオ トン の みで あるが 、 その 理 由 、 ラオ トンは 長 寿 祝 い を受 け る老 人 の 「子 供 に な った 」 か らで ある。
これ ら3例 の ほ か 、布 や 鏡 を贈 る場 合 、ブタを贈 るの は親 戚 だ けで ラオ トンや 友 人 は祝 儀 を贈 る場 合 (ハ ラン 県'/一 コック社Ll村 〉 が あ る(注16参 照)。 しか し、 長 寿 祝 い は いず れ もベ トナム側 で 行 わ れ てお り、 中 国 側 で は 現 在 の ところ靖 西 県 龍 邦 鎮D村 な ど数 少 な い 地 域 で の 事 例 が あ るのみ(17)で 、 多 くは 事 例16の ように 長 寿 祝 い の 年 齢 が 異 な り(18)、さらにベ トナム側 ほ ど盛 大 で はな い(19)。
8.道 士 に よ る儀 礼
道 士 による儀 礼 は 、 子 供 の平 安 健 康 を願 う 「安 花 」 儀 礼 か ら厄 除 け儀 礼 まで さまざ まで あ る。 その 事 例 を挙 げ よう。
46 申国の 「圏境文化」の 人類 学的研 究
【事 例17】 靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 農 ⊂氏(2012年 調 査)
災 難 に遭 うと道 士 を呼 ぶ 。 その 際 、 ラオ トン夫 妻 を 招 待 す る習 慣 で あ る。 妊 娠7カ 月 に道 士 を呼 ん で 安 花 儀 礼 をす るが 、 この ときに もラオ トン夫 妻 を 招 待 す る。 氏 は これ らの 儀 礼 を した ことが な いが 、 村 で 他 人 が した ことが あ る。 この 際 には ラオ トンは来 るが その 子 は来 な い。 ラオ トンが 来 られ な い場 合 、 その 子 は代 理 で 来 ることが で きない 。 災 難 の ときは ラオ トンが 未 婚 で も来 るこ とが で きる。
【事 例18,靖 西 県 龍 邦 鎮 黄X氏(2012年 調 査)
1992年 頃 、 父 方 叔 母 と一 緒 に商 売 を しようとした が 、 他 人 に10数 万 元 を持 ち逃 げ され 、 叔 母 が 訴 訟 を起 こした。 この とき、 ベ トナムの 道 士2人 を呼 んで 厄 除 け を して もらった 。 道 士 の 念 経 は普 通 語 で、 儀 礼 を した 後 、 一 緒 に食 事 を した 。 ラオ トンを 招 待 した 。 ラオ トンは1人 で 来 た。 龍 邦 の 人 が 法 事 をす る ときは 中国 人 の 道 士 を呼 ぶ ことが 多 い 。
事 例17は 厄 除 け儀 礼 や 、 生 まれ て くる子 供 の 無 事 平 安 を願 う 「安 花 」 儀 礼 に ラオ トン夫 婦 を招 待 す る場 合 、 事 例18は 家 族 に 起 きた 災 難 に対 す る厄 除 け儀 礼 で あ る(20>。儀 礼 の規 模 が 小 さい 場 合 、 ラオ トンを 呼 ば ない こともあ る(21)。
9.年 中 行 事 な どの 往 来
ラオ トン は年 中 行 事 、 定 期 市 の 機 会 に、 さらに 日常 的 に も往 来 した。 年 中行 事 の 際 の 往 来 の 事 例 を挙 げ よう。
【事 例19】 ジ ョンヘ ン県 ン ゴ ッ ク ・コ ッ ク社 ホ ワ ン ・ハ イ ・S氏
氏 の ラオ トンは行 事 の 際 に1人 で 供 物 を持 って 来 て祖 先 を拝 ん だ 。 自分 の 祖 先 にな った た めで ある。
1月1日 〜3日 の 間 に、 ブタの 脚(未 調 理)、 バ イ ンチ ュン(四 方 形 の モ チ)4個 、 落 雁4、5個 を、
7月14日 か15日 に 、 チマ キ5対(10個)、 ア ヒル の ロース ト(拷 鴨)1羽 、 酒1本 を持 参 して来 た 。 ラオ トンが 来 ることが で きな い 場 合 、 その 息 子 が 来 た が 、 同 じもの を持 って 来 た 。
【事 例20】 靖 西 県 龍 邦 鎮Q村 農 ⊂氏(2012年 調 査)
春 節 に は ラオ トン と「拝 年 」(年賀)に 往 来 し合 った。10年 前 に は1月2日 か1月3日 に往 来 した が 、 騰 肉(ブ タ肉 を塩 漬 け に して いぶ した もの)2塊 、 チマ キ4個 、 酒2瓶 を持 参 した 。 ベ トナムか らラオ トンが 来 る とき には 、 これ らの他 に落 雁 を持 って きた 。 氏 は毎 人10元 の祝 儀 袋 を子 供 に与 えた 。 ラオ トンが 孫 を連 れ て来 た ことが あ る。 時 に は1人 で 来 た。 婚 礼 や 葬 式 の 時 と異 な り、 拝 年 に は夫 人 は 同 行 しな い。 農 村 で は 旧暦3月3日 に 墓 参 をす るが 、 ラオ トンは墓 参 に参 加 しない 。 「7月半 」 は、7月 14日 の 前 に ラオ トンの 家 に行 った 。 ア ヒル4羽 を返 礼 に贈 って くれ た。 氏 が 向 こうに行 く時 には 、 ラオ トンが オ ー トバ イで チ ャリン 県 まで 送 って くれ た 。 そ こか ら歩 行 して帰 宅 した 。
【事 例21】 大 新 県 碩 龍 鎮A村 梁Z氏(70歳 、 男 、2012年 調 査)
ラオ トンが 旧暦3月14日 にここに来 て泊 ま り、3月15日 に碩 龍 街 のr歌 嘘 」に山 歌 を歌 うた め 行 った。
付 近 の 村 で 山 歌 を歌 うことが で きる人 々 も大 勢 来 た。 ラオ トンは その後 、 歌 嘘 の つ ど、 毎 年 来 た。3月 14日 の 他 、8月15日(中 秋 節 〉、9月 下 旬 の 「霜 降 節 」 に は、ラオ トンた ち10数 人 が 来 て、ここに泊 まっ て 一 緒 に下 雷 鎮 に行 き歌 嘘 に参 加 した 。
壮 族 や ヌン族 の 場 合 、 旧正 月 と7月14、15日(中 元 節 。r鬼 節 」、 「7月半 」)が 年 中行 事 の な か で も特 に盛 大 で あ る。 した が って 、 国 境 地 域 で は この2っ の 行 事 が 往 来 す る機 会 とな って い る。 正 月
も う 一 つ の 親 族 、"ラ オ トン"47
の チ マ キ、7月 の ア ヒル、 チ マ キ は行 事 食 として 贈 答 に不 可 欠 で あ る。 上 記 事 例19で は ラオ トンは 、 訪 問 した 際 にそれ らの 供 物 を祭 壇 に供 えたが 、 それ は相 手 の 祖 先 が 噛 分 の祖 先 にな ったJた め で あ
る。 旧 暦3月3日 の 墓 参 の 臼には往 来 せ ず 中 越 双 方 で それ ぞ れ 墓 参 を行 う(事 例20)。 事 例19・
20で は ラオ トンが1人 で 、 あ るい は子 供 ・孫 と一 緒 に来 る ときもある(と くに 子 供 が まだ小 さい場 合 。 事 例20で は 正 月 の 年 賀 に は妻 は 同 行 しな い とい う)(22)。 旧正 月 お よび7月15日 は 、 壮 族 の もとで 、 嫁 入 りした女 性 が 帰 省 す る機 会 で もあ るが 、 それ は国 境 地 域 の ヌン族 ・タイー 族 も同 様 で あ る(23)。こ の 他 、正 月 の み の往 来 の場 合(大 新 県 碩 龍 鎮A村 梁E氏)、7月 はベ トナム側 が1日 早 く過 ごす 場 合
(靖 西 県 龍 邦 鎮 黄X氏)が ある(24)。
事 例21は 歌 掛 け祭 りr歌 嘘 」 へ の 参 加 で あ る。 壮 族 は歌 掛 け を好 む 伝 統 が あ り、 歌 祭 りが 各 地 で 開 催 されて きた。 ベ トナムの ヌン族 も歌 を好 み、 しか も壮 族 の それ と歌 詞 ・旋 律 におい て共 通 す る部 分 が 少 な くな い 。 他 方 、 タイー 族 の 場 合 、 歌 詞 ・旋 律 が 異 な り、 壮 族 とは 歌 掛 け をす ることに は な り
に くい。 この ような歌 嘘 で 知 り合 って、ラオ トンに なっ たケ ース も少 な くな い(25)。 旧正 月 に行 われ る 「施 繍 球 」(数mも の 長 い棒 の 先 に小 さな 輪 を付 けた もの を立 て 、 繍 球 を拠 って その 輪 を通 す競 技)も 訪 問 の 機 会 とな る。 靖 西 県 龍 邦 鎮D村 蘇D氏 に よる と、 中 国 側 で は廃 れ て10年 以 上 開 催 して い な い。
そもそ も若 者 が 広 東 へ 出稼 ぎ に行 って しまい 、 この 行 事 を支 え る人 が い な くな って しまった が 、 ベ トナ ム側 で はまだ 多 くの 地 域 で 行 わ れて い る。 それ は 、 か つ て は 中 国 人 が ベ トナムへ 行 き異 性 と歌 を掛 け あ う機 会 とな って い た(26>。 さらに、 か つ て は獅 子 舞 が 国 境 を越 えて行 わ れ 、 ラオ トンが 参 加 す る場 合 が あっ た(27)。
定 期 市 にっ いて、 国 境 地 域 で は 人 々 は 国 境 線 にか か わ らず 近 くの 定 期 市 で 日用 品 を購 入 す る(28)。
とくに大 新 県 の 碩 龍 鎮 、 靖 西 県 の 龍 邦 鎮 、 ベ トナム ・チ ャリン県 街 区 、 ジ ョンヘ ン 県 街 区 な どは人 々 が よく行 くところで あ り、そ こで 知 り合 って ラオ トンにな る場 合 も少 な くな い 。 また 、すで にラオ トンにな っ てい て も、 買 い物 の 帰 りにラオ トン宅 に 立 ち寄 る機 会 が 少 な くな い(29>。
定 期 市 は、商 品 だ けで な く情 報 の 集 積 地 で もあ る。現 在 で は携 帯 電 話 で 連 絡 を とることが 可 能 にな っ たが 、 少 し前 まで は、 人 の 多 く集 ま る定 期 市 で の伝 言 の 方 法 が 用 い られて い た(3°)。
10.相 互 扶 助
ラオ トン 同 士 の 相 互 扶 助 として 、 困 難 に 陥 った 時 の 金 の貸 借 、 食 料 の 提 供 、 病 気 見 舞 い と薬 の 提 供 な どが 挙 げ られ る。 前 掲 の よ うに商 売 の 際 の 支 援 もあ る。 金 銭 の 貸 借 につ いて は前 掲 事 例13で 取 り上 げた が 、 他 に次 の 事 例 が あ る。
【事 例22】 ジ ョン ヘ ン県 ダ ム トイ 社L村 リー ・ウ ェ ン ・B氏(2012年 調 査)
氏 が 喘 息 を患 って 治 療 費 が 足 りなか った とき に、 中 国 の ラオ トンか ら金 銭 を借 りた こ とが あ る。 氏 は 喘 息 の た め 、 ジ ョンヘ ン県 街 区 の 病 院 に2週 間 入 院 した ことが あ るが 、 現 在 も完 治 しな い ままで、 こ の 状 態 が3年 間 も続 いて い る。薬 を注 射 す れ ば効 くの だ が 費 用 が か か る。入 院 の 際 に 費 用 が 足 りず に、
まず 同 族 に、 つ いで 姻 族 に相 談 したが 資 金 が な く、 ラオ トンと他 の友 人 た ち にも頼 ん だ が 結 局 ラオ トン が 千 元 出 した。
【事 例23】 大 新 県 碩 龍 鎮A村 梁H氏(2012年 調 査)
氏 に は8人 の ラオ トンが い る。 うち 「阿 注Jは 最 も親 密 な ラオ トンで ある。1958年 、 中 国 が 生 活 困 難 の とき にベ トナム に行 って 米 ・油 を た だで も らっ た(1回 につ き米100斤 、 ラー ド1、2斤)。1965 年 に生 活 が 改 善 され るまで 食 料 の 援 助 が ず っ と続 い た 。 それ 以 降 、1979年 か らの 中 越 戦 争 時 の2、
3年 間 を除 いて往 来 して い る。 今 で も往 来 が あ る。
48 中国の 「国境 文化」 の人類学的研究
【事 例24】 チ ャ リ ン 県 ホ ン ゴ ク 社N村 ボ ア ン ・ウア ン ・F氏
文 革 中 に、 国 境 を は さん で 隣 接 す る靖 西 県 龍 邦 鎮N村 の 人 が 来 た の で 米 、 ご飯 をあ げ た 。196a 年 代 に米 や モ ノが 不 足 した ときに は逆 に中 国 側 か らもらった。 食 料 の支 援 を頼 む 際 に は ラオ トン また は rポ ン ヨウ」 の 家 に行 く。10年 前 、 農 繁 期 には 龍 邦 鎮N村 の 人 に 手 伝 って もらった 。 当 時 、 向 こう に は若 者 が 多 か った。 この2年 間 は、 龍 邦 鎮N村 は農 繁 期 にな る と、 ハ ー クワン県D村 の ヌン族 に 1日24万 ドン(人 民 元 で約8◎ 元 。 食 費 込)の 賃 金 を払 って 頼 んで い る。
【事 例251靖 西 県 龍 邦 鎮 黄X氏
1990年 にベ トナムの ラオ トンが クズ 鉄 を回 収 して販 売 す る商 売 を姶 めた 。 ラオ トンが 毎 日多 量 の クズ 鉄 を 集 めて 国 境 まで 持 参 し、 氏 が 引 き取 って 売 っ た。 クズ 鉄 は 良 い 値 段 で 売 れ るが 、 ラオ トンに だ け 売 っ た。 後 に2人 で 鉄 木 、 まな板 の 売 買 もした。 鉄 木 は門 戸 の 枠 に使 う硬 い 木 材 だ。1990年 代 か ら 10年 余 続 い た。 ラオ トンは 中 国 か らの 帰 途 、ビー ル10数 箱 を持 って帰 り、チ ャリン県 の 商 人 に売 った。
1993年 頃 か らは氏 はベ トナムで 水 牛 を仕 入 れて 中 国 で 販 売 す る商 売 を始 めた 。国 境 まで ラオ トンに送 っ て もらった 。 後 に広 東 人 商 人 が この 商 売 に乗 り出 して か ら価 格 が 高 騰 した の で 商 売 をや めた 。
事 例22は 病 気 の 入 院 治 療 とい う事 態 に 際 して 、ラオ トンに借 金 を した事 例 で あ る。 注 意 した いの は、
結 局 ラオ トンが カネ を出 して い るが 、 借 金 を頼 む 順 として、 父 方 同 族 、 姻 族 、 ラオ トンの順 に な って い る点 で あ る。 この 他 に、 ラオ トン の 父 が 病 気 にな っ た ことを知 って、 薬 を贈 った 事 例 もある(31)。 また 、 病 気 以 外 の 借 金 の事 例 も少 な くない(32)。 事 例23・24は 食 料 の援 助 の 事 例 で あ る。 事 例23は1958 年 のr大 躍7̀.J政 策 の 失 敗 によ り生 活 困 難 に 陥 っ た 中 国 側 が ベ トナ ムへ 行 って 食 料 の 援 助 を得 た事 例 で あ り、 事 例24は 文 化 大 革 命 の 混 乱 で再 び 生 活 苦 に陥 った 中 国側 が 食 料 を仰 ぎ、 逆 にベ トナム が 食 料 危 機 に 陥 った 際 に 中 国 側 か ら支 援 を 得 た 事 例 で あ る。 これ らの 場 合 、 ラオ トンを頼 りに、 食 料 援 助 を得 て い る(33)。な お 、 事 例24の 後 半 には農 繁 期 の 手 伝 い の 記 事 が 見 える。 田植 え ・収 穫 の 農 繁 期 に、10年 前 まで は 中 国 側 か ら手 伝 い に来 て もらった が 、 ここ2年 間 は 中 国 側 で ベ トナム人 を農 繁 期 に 雇 用 す るように な って い る(34>。な お 、 ラオ トンに農 繁 期 の 手 伝 い に来 て も らう事 例 は 少 な い 。 一 つ には 中 国 側 の経 済 発 展 、 また家 族 の 一 員 として扱 わ れ るような大 事 な ラオ トン に農 作 業 を させ るの を肯 ん じな い とい う心 理 的 な要 因 も考 えられ る(35)。
事 例25は 商 売 の 際 の 援 助 の 事 例 で あ る。 ラオ トンとは信 頼 関 係 で 結 ば れて い るので この ような場 合 は少 な くな い(36)。 前 掲 の 事 例3も その ことを 示 して い る。
11.呼 称
本 章 で は、 ラオ トン とその 家 族 同士 が どの ように呼 び あうの か 検 討 す る。
【事 例26】 大 新 県碩 龍 鎮S村 方Z氏 お よ び そ の ラ オ トン の ハ ラ ン 県 リー コ ック 社L1村 ベ イ ・ウ ァ ン ・ N氏
方Z氏 によると、 相 互 の 呼 び 方 は直 接 名 を呼 ぶ 。 ベ イ ・ウァン ・N氏 に対 して は 中 国 語 名 あ るい は
「阿 某 」 と親 しみ を込 めて 名 前 の 一 部 を呼 ぶ 。 ラオ トンの子 は氏 を 「バ ー トン」(父 で あるラオ トン)と 、 氏 の 妻 をrマ ー トン」(母 で あ るラオ トン)と 呼 ぶ 。
ベ イ ・ウ ァン ・N氏 に よると、 相 互 の 呼 称 は 「ポ ン ヨウ」 あ るい はrウ オー 」(私)・ 「ニ ー 」(あ な た) と呼 ぶ 。 ラオ トンの子 は 氏 を 「バ ー 」(父)と 呼 ぶ 。 バ ー トン と呼 ん で も良 い が バ ー の ほ うが 良 い。 氏 は その 子 を 「ロック」(子)と 呼 ぶ 。 ラオ トン の子 と氏 の子 は 「ビ ・ノンJ(兄 ・弟)と 呼 ぶ 。 ヌン語 の 場 合 、 兄 弟 ・姉 妹 ともにビ ・ノンと呼 ぶ 。 ラオ トンの 唯 一 の 基 準 は 呼 称 で あ る。 それ ゆ え ラオ トンの子 は相 手 を
「父 」 を意 味 す る言 葉 で 呼 ぶ 。 そうでない場 合 はrマ ッ(ジ ュー)」(伯)・ 「ソック」(叔)と 呼ぶ。
も う一 つの 親 族 、"ラ オ トン"49