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中国の「国境文化」の人類学的研究

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中国の「国境文化」の人類学的研究

著者 塚田 誠之

発行年 2013‑03‑31

その他のタイトル The Culture of Ethnic Groups in Border Areas of China

URL http://hdl.handle.net/10502/5668

(2)

国境 貿易の発展 と在地性

ベ トナムとラオスの 黒タイの事例

樫 永 真 佐 夫(国 立民族学博物館)

1.は じめ に

  2011年2月 、 ラオ ス 北 部 フアパ ン県 内 の ベ トナム 国 境 地 域 に あ る黒 タイ村 落 の 生 活 文 化 を視 察 し た(1)。 県 庁 所 在 地 サム ヌア か らマ ー 川 河 谷 にお り、 マ ー 川 を遡 上 してムア ンエ ットの 国 境 地 域 を 目指 し た 。 この道 路 は未 舗 装 だ とはい え、 この10年 で か な り改 善 され 、 ベ トナム、 ソン ラー 省 ムオ ン ・クオ

ンとの 国 境 の ゲ ー トまで12時 間 で 到 着 可 能 で あ る。

  国 境 付 近 か ら マ ー 川 上 流 へ と黒 タイの 村 が 続 いて い る。1997年 以 来 調 査 して きたデ ィエ ンビエ ン省 トゥアンザ オ 県 にあ るA村 は その 源 流 部 にあ り、 や は り黒 タイの 村 で ある。

  年 代 記 の 記 述 に基 づ くと、 黒 タイの 始 祖 的 英 雄 ラン ・チ ュオ ンが 先 住 民 首 領 ル オ ン ・クンの 攻 撃 を 受 けて敗 走 し、 ゲ リラ活 動 を展 開 したの はムア ンエ ット付 近 か らディエ ン ビエ ン省 にか けての 、 この マー 川 上 流 部 で あっ た。 年 代 記 の こうした 記 述 は 、 マ ー 川 沿 い の 道 が 主 要 な通 商 路 か らは外 れて い た こと

を示 唆 して い る。 カム ・チ ョン(Cam  Trong)に よると、1950年 代 に民 族 学 的 調 査 を実 施 した ときで さえ、

ときに は衣 服 を とい て頭 上 に荷 をか か げ てマ ー 川 沿 い の な か を歩 か ね ば な らな か った と言 う。ムア ンエ ッ トか らトゥア ンザ オ 方 面 へ は、 マ ー 川 に沿 って ソンラー 省 ソンマ ー か らディエ ン ビエ ン省 都 ディエ ンビエ ンフ ー へ 抜 け る省 道115号 と130号 の 整 備 が 進 んで い るとはい え 、 ふ つ うは ムオ ン ・クオ ンか ら省 道 105号 を ソン ラー まで 北 上 し、 国 道6号 線 を 西 に行 く。 た だ しムア ンエ ットームオ ン ・クオ ンの 国 境 は 外 国 人 に は開 放 されて い な い た め、 ウ ドムサ イか らムアンクアで メ コン支 流 ウー 川 を渡 り、 タイチ ャー ン の 国 境 か らディエ ン ビエ ン省 に入 るな どす るしか な い 。

写真1:敷 き布 団 をつ く るた め にベ トナ ム 人 商 人 か ら買 い 取 った 布切 れ を 道 ば た で干 してい る(2011年2月 、 ム ア ン エ ッ ト)

  ムア ンエ ッ トの 国 境 手 前 にあ る黒 タイの 民 家 の 軒 先 か らな が め て い る と、 布 切 れ や 雑 貨 を積 ん だ バ イクが ときお りベ トナ ム 側 か らや って くる(写 真1)。 地 域 の 両 国 民 に はムア ンエ ットの 国 境 が 開 放 されて い るた めで あ る。 現 在 で はベ トナム の 国 道 の み な らず 省 道 の 拡 張 と舗 装 が 進 み 、 ま た ラオス側 で もサ ム ヌアか らム アンエ ットま で の 道 路 整 備 が 過 去10年 の あい だ に進 んで 、 黒 タイが 広 く分 布 す る西 北 部 とラオ ス 北 部 の 行 き来 が 容 易 に な っ た。 しか も 2005年 頃 か らは、 広 く黒 タイの 村 にバ イ クが 普 及 して い るので あ る。

  遡 ると2000年 代 に入 る まで 、 ベ トナム 西 北 部 で はハ ノイ とライチ ャウを結 ぶ 国 道 6号 線 、 トゥア ンザ オ とディエ ンビエ ンフー を結 ぶ 国 道279号 線 、ディエ ンビエ ンフー

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か らライチ ャウを通 って ラオ カイ省 へ 抜 け る国 道12号 線 以 外 に 、 大 型 車 両 が 迅 速 に通 行 で き る舗 装 道 路 は 少 な か った。 しか もラオ ス との 国 境 も開 放 され てい な か った 。 しか し近 年 で は、 ベ トナム とラオ ス の 道 路 事 情 の 改 善 、 国 境 の 開 放 、 国 境 貿 易 が 急 速 に進 ん だ 。 こうした 交 通 ・運 輸 ・通 信 事 情 の 向 上 は、 両 国 の 国境 をまたが って分 布 す る黒 タイの 村 落 生 活 、 文 化 、 民 族 的 自意pに どの ような影 響 を 与 えて い るの だ ろうか 。 「国 境 文 化 」 と呼 べ るような 新 しい黒 タイ文 化 生 成 の萌 芽 をそ こに見 ることが で きるだ ろうか 。 本 稿 で は、 ベ トナム の トゥア ンザ オ県A村 にお け る調 査 者 の 視 点 か ら論 じる。

  以 下 で は、 まず 黒 タイ とい う民 族 の 文 化 と社 会 の 概 況 を説 明 す る。 次 に ベ トナム 西 北 部 か らラオ ス 北 部 へ の 道 路 整 備 の概 要 と、 両 国 間 の 黒 タイの 文 化 的 交 流 の 現 状 を述 べ る。 その うえで 、 中 国 を も 含 め た流 通 と国 境 貿 易 の 促 進 が 生 活 文 化 に 影 響 を与 えて い る例 として、A村 を は じめ とす る村 落 で の ブタ飼 養 を取 り上 げ る。 これ らの 分 析 か ら、 国 境 の 開 放 が 黒 タイの 民 族 文 化 に どの ような 影 響 を与 え て い るのか を明 らか に し、 また 国 境 文 化 形 成 の条 件 にっ い て考 察 す る。

  な お本 稿 にお け る黒 タイ語 表 記 は、1981年 に ソンラー(Sin  La)省 、 ライチ ャウ(Lai  Chau)省 ホ ア ンリエ ンソ ン(Hoang  Lien Sin)省 の 各 人 民 委 員 会 文 化 局 の 合 意 で 確 立 され た ロ ー マ字 表 記 黒 タ イ語 を用 い る(Hoang  Tran Nghich  va Tong Kim  An[Bien  loan]1990:14)、 その 場 合 、 ベ トナム語 と区 別 す るた め にイタ リック表 記 す る。

2.黒 タ イの 分 布 と文 化 の概 況

  まず 黒 タイとい う民 族 集 団 に 関 して、 ベ トナム側 の 視 点 か ら解 説 したい 。 ベ トナム社 会 主 義 共 和 国 で       ザントック は 、 言 語 的 特 徴 、 生 活 ・文 化 的 特 徴 、 民 族 的 自 意 識 とい う3つ の 指 標 に 基 づ い て 、54の 民 族(dan toc)が 公 定 され て い る(Tap  chi Dan  tqc hoc[bien  soap]1980:79)。 国 民 は 原 則 として い ず れ か の       ザントツク

公 定 民 族 に属 し、IDカ ー ドに も民 族 籍 が 記 され てい る。民 族 ご とに代 表 の 国 会 議 員 を出 す こともで き る。

  2009年 人 口 調 査 に基 づ くと、 総 人 口約8585万 人 中7359万 人(85.7%)を 占め るの が キ ン[京]

族(Kirsh)で あ る。 キ ン族 が ホ ン河 デ ル タ を中 心 に、 千 年 以 上 に わ た って 歴 代 ベ トナム諸 王 朝 を興 亡 させ て きた ベ トナム の 多 数 民 族 で あ る。 残 り53の 少 数 民 族 の な か で もっ とも人 口が 多 いの が タイー (Tay)で あ り人 口163万 人 、2番 目 に多 い の が タ ー イ(Thai)で 人 口155万 人 を数 えて い る(今 村2012:55‑56)。 いず れ もタイ語 系 集 団 で あ り、 タイー は ホン河 以 東 の 東 北 部 、 ター イは ホン河 以 西 の 西 北 部 を中 心 に居 住 して い る。

  ベ トナ ムで 黒 タイ(Tay dam)は 、 白タイ(臓 磐D伽 また はTay Khao)と ともに ター イの 地 方 集 団 とし て 分 類 されて い る。 ともに灌 瀧 水 稲 耕 作 を主 生 業 とす る以 外 に 、 以 下 の 点 で 文 化 的 共 通 性 が 高 い か

らで あ る。 タイ語 系 の近 似 す る言 語 を話 す こと、 上 座 仏 教 を受 容 して い な い に もか か わ らず 上 座 仏 教 とともに 東 南 アジ ア大 陸 部 東 部 に広 ま った古 クメ ール 系 の 固 有 文 字(タ ー イ文 字)を 継 承 して い ること、

姓 、 財 産 が 父 系 的 に継 承 され ること、 フランス植 民 地 化 され た19世 紀 以 前 か らムオ ン(剛 伽g)と よ ば れ る類 似 した盆 地 政 体 と政 治 社 会 組 織 を形 成 して きた ことで あ る。 ムオ ン(ム アンまた はム ン)(2)とは 、 タイ語 系 諸 集 団 が 中 国 雲 南 省 か らイ ン ドシナ 北 部 の 河 谷 平 野 や 盆 地 を中 心 に、13世 紀 くらい か ら形 成 した とされ る自律 的 な政 治 単 位 の ことで あ る。

  黒 タイだ けで ター イの 半 数 を超 えるが 、ベ トナムで は ター イの 各 人 は 自分 が 白タイか 黒 タイか を は っき り意 識 して い る。 まず 両 者 は居 住 地 域 が 、 盆 地 ご とにか な りは っ き り分 か れ て い るか らで あ る。 た とえ ぼ 黒 タイは イエ ンチ ャウ、 マイ ソン、 ソンラー 、 ギ ア ロ、 トゥア ンチ ャ ウ、 トゥアンザ オ、 デ ィエ ン ビエ ン の 各 盆 地 に多 い(地 図1)。 一 方 、 白 タイはライチ ャウ、ム オ ンテ、 フォン トー 、 タンウエ ン、 クインニ ャ イな どの ダー 河 上 流 部 の 北 部 グル ー プ と、フー イエ ン、モ クチ ャウ、マイチ ャウな どダー 河 中 下 流 部 、マ ー 川 中 流 部 の 南 部 グル ー プ に分 か れ て 分 布 して い る(3)。次 に、 彼 らは 既 婚 女 性 の 髪 型 、 女 性 の上 着 の 襟 元 の 形 、 家 屋 内 の 配 置 、 祖 先 を祭 る忌 日、 伝 統 文 字 の 字 体 、 方 言 の 違 い な どを、 集 団 間 の違 い と して 明 確 に 意 識 して い るか らで ある(樫 永   2011:2‑3)。

100中 国の 「国境文化」の人類学的醗究

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地 図1:ベ トナ ム西 北 部 を 中心 とす る 地 図

  い っぽ うラオスで は 、 白タイと黒 タイを別 の 民 族 として分 類 してい る。 ラオ スの 黒 タイは 約5万 人 に上 る(Chazee  l 999:41)(4)Q

  ラオス の 黒 タイに は 大 き く分 けて 、 次 の 二 つ の カテ ゴ リー が あ る。 ま/¥ベ トナム側 か ら移 住 した 集 団 で あ る。 ここで タイ国 に 目を転 じれ ば 、 現 在 タイ 国 中 部 の ペ チ ャブ リにラオ ・ソー ン ・ダム とい う集 団 が 約2万 人 居 住 して い る。 彼 らは18世 紀 末 か ら19世 紀 末 まで の 問 に 、 シ ャム軍 が 現 ベ トナム西 北 部 に遠 征 した 際 の 虜 囚 、 あ るい はル アンパ バ ン王 か らシ ャム王 へ の 貢 納 とい う形 で 移 住 を余 儀 な くされ た 黒 タイ の 末 喬 とされ る(小 野 澤   1997:1‑2)。 同 じ時 期 の 政 治 的 、 軍 事 的 動 乱 を避 け て ラオ ス北 部 各 地 に移 住 した 人 々 、もっ と時 代 を下 って イン ドシナ戦 争 か らベ トナム戦 争 期(1946〜1975年)に 戦 乱 や 政 治 的 対 立 の た め にベ トナム側 か ら移 住 を 余 儀 な くされ た人 々 もこの カテ ゴ リー に含 まれ る。 次

に、19世 紀 後 半 に始 まるフランス、 タイ、 中 国 らが 中 心 とな ったイ ン ドシナ の 国 境 画 定 によって ラオ ス 領 内 の 居 住 者 とな った人 々が い る(樫 永2005:133)。 ベ トナム とラオ スの 国 境 近 くに分 布 し、ムア ンエ ッ

トの 黒 タイ は この カテ ゴ リー に含 まれ る。

3.ベ トナ ム 西 北 部 とラ オ ス 北 部 の 道 路 整 備

  前 近 代 の 東 南 アジ アで は 、 河 川 水 運 が 廉 価 な 交 通 輸 送 手 段 で あった か ら、 船 舶 の 航 行 が 難 しい上 流 部 で 陸 上 輸 送 が 出 現 した(柿 崎   2005:475)。 黒 タイが 多 く居 住 す るダー 河 、 マ ー川 上 流 部 もそ

うで あ り、 隊 商 に よる陸 上 輸 送 は 前 近 代 か ら発 達 して い た。 とは い え、 陸 上 の 通 商 路 が 川 筋 とか な ら ず しも無 関 係 だ った わ け で は な い。 谷 筋 に 沿 って 上 り、 低 い 分 水 嶺 を選 んで 越 え、 反 対 側 の 谷 筋 に出

る通 商 路 が 多 い 。 ム オ ン ・クオ ンか ら国 道6号 線 に至 る道 路 、 タイチ ャ ー ンか らディエ ンビエ ンフー に 至 る道 路 も古 い 通 商 路 に基 づ いて い る と思 わ れ るが 、 それ ぞれ マー 川 支 流 河 谷 、 メコン水 系 ウー 川 の 支 流 河 谷 に か な り沿 って い る。 ムア ンエ ッ トか らデ ィエ ン ビエ ン省 にい た るマ ー 川 沿 い に も、 近 年 に道

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路 整 備 が 進 む 以 前 に、 道 が な か った わ けで は ない の で あ る。

  自動 車 交 通 の た め の 西 北 部 に お け る道 路 整 備 は 、 まず フラン スが 行 っ た。1930年 頃 まで にハ ノイか らディエ ンビエ ンフー 、 ライチ ャ ウへ の 道 路 が 開 通 した(Boudet  1943:iv)。 これ が 西 北 部 の 交 通 ・輸 送 の大 動 脈 ともい える国 道6号 線 と12号 線 の 前 身 で あ る。 現 在 で は網 の 目の ように は りめ ぐらされ た 国 道 、 省 道 、 県 道 が 連 結 しあい 、 それ ぞれ 拡 張 と舗 装 が 進 んで い る。 国 道6号 線 と12号 線 は 、 ラオ ス、 中 国 の 道 路 ともつ なが って 各 国 間 を結 び っ け る重 要 な 陸 上 輸 送 路 として さらな る発 展 を遂 げて い る。

  2000年 以 降 に 西 北 部 で 陸 上 輸 送 路 が 顕 著 な発 展 を見 せ た 背 景 に は 、 拡 大 メ コン 圏(Greater  Mekong  Subregeon:以 「GMS」)構 想 が あ り、 ベ トナム 国 内 で 見 れ ば ソンダー ダム建 設 事 業 も無 視 で き な い 。 西 北 部 の イン フラ整 備 に お いて、この二 つ は明 らか に連 動 して い る。

  先 にGMS構 想 につ いて 述 べ る。 その 起 源 は 、1970年 代 まで 戦 火 の 絶 えな か っ た イン ドシ ナ地 域 の 情 勢 が 沈 静 化 して きた の を受 けて 、 経 済 成 長 が 著 しか っ た タイ が 中 心 とな って タイ、 ミャンマ ー 、 ラオス 、 中 国 雲 南 省 の 国 境 付 近 に構 築 しようとした 「四 角 経 済 圏 」 の 構 想 にあ る。構 想 の 目 的 は 、1988年 の タイの チ ャー チ ャー イ首 相 が 唱 えた スロー

地 図2:GMS回 廊 。ア ジ ア開 発 銀 行(ADB)資 等 よ り 『海外 投 融 資 』(JOI)作 成(『海 外投 融 資(JOI)』

2009‑11:26)

ガ ン 「イ ン ドシナ を戦 場 か ら市 場 へ 」 の とお りで あ る。 その後 、 ア ジア 開 発 銀 行 が イニ シ アチ ブを取 っ て 構 想 を発 展 させ 、 メコ ン河 下 流 域 の カ ンボ ジ ア、 ベ トナム を含 め た6力 国 を包 括 す るGMS計 画 が 出 現 し、1992年 に最 初 の 閣 僚 会 合 が 開 催 され た 。

  GMS計 画 は 、 道 路 整 備 と各 種 国 境 措 置 の 軽 減 、 一 元 化 が もた らす 人 とモ ノの迅 速 、 安 全 、 低 廉 な移 動 が 地 域 開 発 ・貧 困 撲 滅 ・雇 用 増 大 ・産 業 振 興 ・厚 生 向 上 等 に 資 す ることを旨 として い る(名 和   2009:33)。 中身 に は、 交 通 、 通 信 、 エ ネ ル ギ ー 、 環 境 ・天 然 資 源 、 人 的 資 源 、 通 商 、 観 光 の 計7部 門 の 開 発 計 画 が 盛 り込 まれ た。 これ らの うち、 長 期 に わ た る戦 闘 に よって 破 壊 、 寸 断 され た 道 路 イン フラを改 善 す る交 通 部 門 が 、 計 画 成 功 の 基 盤 とな るべ く、 とりわ け優 先 され た。 その た め 2002年 のGMSサ ミットで 、 「南 北 経 済 回廊 」、 「東 西 経 済 回 廊 」、 「南 経 済 回 廊 」 の3つ の 経 済 回 廊 計 画 が 採 択 され た 。 この3つ の 回廊 がGMS内 の 拠 点 間 を 結 ぶ 動 脈 として 機 能 すべ きル ー トで あ った (柿 崎2005:476;石 田   2007:23)。2012年 まで に これ ら3回 廊 の 道 路 イ ン フラの 改 善 と整 備 は か な り進 ん だ(地 図2)。

  ベ トナム 西 北 部 とラオス北 部 を結 ぶ 国 道 は 、 東 西 経 済 回 廊 の一 部 で は ない 。 しか し各 回 廊 に直 結 す る道 路 として整 備 す るため に 、関 係 各 国 は積 極 的 に投 資 と開 発 につ とめて きた。 た とえば ラオス政 府 は 、 1996年 か ら2020年 まで の 交 通 ・通 信 ・運 輸 ・郵 政 の 開 発 計 画 の 中 で 「ラオ スが イン ドシナ に お け るア ジ ア ・太 平 洋 諸 国 の 円 滑 なバ イパ ス とな るた め に 、 アス ファル ト舗 装 道 路 を1995年 の2.5倍 6115キ ロメー トル にす ること、 石 で 舗 装 され た 道 路 は2.2倍 の1万1304キ ロメー トル にす ること、 す べ ての 道 路 で は1.8倍 の3万3560キ ロメー トル にす るこ と」 を明 言 した 。 そ こで はタイ北 部 との 国 境 フ アイサ ー イ〜 ル ア ンナム ター 〜 ウ ドムサ イ〜 ムアンクア 〜 タイチ ャー ン(ベ トナム 国 境)の 道 路 整 備 の 計 画 も具 体 的 に 明 示 され て い る(サ イ  2003:419‑420)。2007年 にタイチ ャー ンーディエ ン ビエ ンの 国 境 が 開 放 され 、 筆 者 は2009年 、 自動 車 で ル ア ンナ ムター か らタイチ ャー ンまで の ル ー トを移 動 し、 ベ トナ ムに 入 国 した 。 ムア ンクアで ウ ー 川 を渡 る橋 梁 はな く、 雨 後 に は浸 水 す る箇 所 が あ る とはい え、 大 型 車 両 が 通 行 可 能 な道 路 として整 備 されて いた 。

  デ ィエ ンビエ ン省 に 入 る と、 ベ トナム 西 北 部 の 陸 上 輸 送 の 動 脈 で あ る国 道6号 線 、279号 線 、12 号 線 は舗 装 され 、 季 節 を問 わず 大 型 車 両 の 通 行 に 支 障 が な い 。 国 道12号 線 は、 昆 明 とハ ノイを結 ぶ 経 済 回 廊 上 の 重 要 な貿 易 物 流 お よび 商 品 の 中 継 集 散 地 として期 待 され て い る河 口(雲 南 省)一 ラオ カ イ(ベ トナ ム)国 境 へ もつ な が って い る(畢   2008:207)。 中 国 雲 南 省 〜 ベ トナム西 北 部 〜 ラオス

102中 国の 「国境文化」の人類学 的研究

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北 部 〜 タイ北 部 を結 ぶ 輸 送 路 はす で にか な り整 備 が 進 んで い ると言 って いい ⑤。

  だが 、 この ように2000年 代 にベ トナム西 北 部 で 急 速 に道 路 整 備 が 進 ん だ 要 因 として は 、 上 記GMS 計 画 が あっ ただ けで はな い。 ソン ラー ダム建 設 もあ った 。

  市 場 経 済 化 政 策 が 軌 道 に乗 り姶 め た1990年 代 以 降 の ペ トナム にお け る経 済 発 展 は めざ ま しか った 。 大 規 模 な 工 業 化 の進 展 とそれ を支 える電 力 生 産 の 大 増 量 を 目指 す ベ トナム政 府 の 決 定 に応 じて、 完 成 す れ ぼ 東 南 アジ ア最 大 とな るソンラー ダム(最 大 出 力2400メ ガ ワット)建 設 が2003年 に着 工 され た 。 2015年 を完 成 目標 として6台 の ダム建 設 が 、 ムオ ン ラー 県 か らライチ ャウに か けての ダ ー 河 中 上 流 部 で 始 まった 。 ソンラ ー は この 大 規 模 建 設 事 業 を推 進 す るた め の 一 大 基 地 とな り、1日 に100台 とい わ れ る大 型 トレー ラー の 通 行 を可 能 に す るた め 国 道6号 線 の 道 幅 が 拡 張 され 、各 省 道 も整 備 され た。 『 ンラー 省110年(1895‑2005)』 とい う省 編 纂 の地 誌 に も、 ダム建 設 が 国 境 地 域 の安 全 保 障 、 経 済 と 文 化 の 発 展 の た め に 重 要 で あ る ことが とりわ け強 調 されて い る(6)("linh uy, Hqi gong nhan  dan, uy ban nhan dan tinh Scan La 2005:298‑304)o

  筆 者 の 経 験 で も、2003年 以 降 、 西 北 部 の 道 路 整 備 が め ざ ましく進 ん だ。 の みな らず 中 国 か らの 安 価 なバ イクを地 域 住 民 が 購 入 す るように な り、 国 道 、 省 道 、 県 道 を行 き来 す る車 両 の 数 が 急 増 した。

トゥア ンザ オ 県 のA村 の 入 も、 それ まで は3キ ロメー トル 離 れ た 市 場 や 街 へ 徒 歩 か 自転 車 で 行 った も の で あ るが 、 現 在 で はバ イクを用 い るの が ふ つ うで ある。

4.広 域 陸上 輸 送 の発 展 と黒 タ イの 文 化

  筆 者 は1997年 か らベ トナム 西 北 部 各 地 の 黒 タイ村 落 で フィー ル ドワー クを 行 って きた。 また2009 年 か らは 短 期 で あ るが 、ラオ ス北 部 、ル アンナム ター 県 、ポ ンサ リー 県 、ウ ドムサ イ県 、ル アンバ バ ン 県 、 シエ ンクワン県 、 フアパ ン県 に点 在 す る黒 タイ村 落 を一 っ ず っ 訪 問 し、 ベ トナム側 との 比 較 を視 野 に入 れ て、 黒 タイ文 化 の 継 承 に関 す る調 査 を 行 って きた 。 ここで は、 国 境 の 開 放 が 双 方 の 黒 タイの 文 化 に 与 えてい る影 響 につ いて 、 筆 者 の経 験 に基 づ いて 記 述 した い 。

4.1ト ゥア ンザ オ 県 に お け る 黒 タ イ の 村 落 生 活

  まず ここで 筆 者 が 調 査 して きた トゥア ンザ オ 県 のA村 の概 況 を述 べ て お きた い。A村 は トゥアンザ オ の 盆 地 の 南 縁 に位 置 し、 約50世 帯 、 人 口iii人 弱 で あ る。 役 人 、 退 役 軍 人 な どで 固 定 した 現 金 収 入 の あ る世 帯 を含 め 、 す べ ての 世 帯 が 水 田、 焼 畑 、 菜 園 と家 畜 飼 養 で 食 料 の 多 くを 自給 して い る。 村

の規 模 と経 済 条 件 の 点 で は、 トゥア ンザ オ 県 にあ る平 均 的 な 黒 タイ村 落 で あ る。

  電 気 が 村 にもた らされ た の は2004年 で あ った。 村 に電 気 が 来 ると、最 初 に買 う家 電 はテ レ ビで あ り、

2軒 に1台 以 上 の 割 合 で 普 及 した。 テ レ ビが 娯 楽 の 王 座 に 君 臨 し、 ふ だ ん黒 タイ語 で 暮 らして い る老 若 男 女 が 、 家 にい な が らに して 何 時 間 も、 ベ トナム語 で 一 方 的 に流 れて くる新 奇 な情 報 に さらされ てい るようにな っ た。

  時 期 をほ ぼ 同 じ くして、 バ イクも生 活 には い りこんで きた。 道 路 と流 通 の 事 情 が よくな り、 貿 易 の 自 由化 も進 み 、 中 国 製 バ イクが500ド ル 以 下 で 売 られ るようにな ったか らで あ る。 バ イクを もつ と薪 、 米 、 野 菜 な どを 売 りに 、1日 何 度 も市 場 との あ いだ を往 復 で き る。 歩 いてだ と片 道1時 間 もか か って い たの に、 市 場 が 格 段 に 近 くな った 。 バ イクも2軒 に1台 以 上 の 割 合 で 普 及 した(樫 永   2012:101)。

4.2国 境 を 行 き来 す る音 楽(D

  タイチ ャー ン とディエ ン ビエ ンの 国 境 が 開 放 され た2007年 に、 筆 者 は トゥア ンザ オで 驚 い た ことが あ る(写 真2)。 国 道 沿 い に住 むA村 出 身 の 家 族 を訪 ね ると、 ラオ スの 歌 謡 シ ョー のVCDを 家 族 で 楽 しんで いた か らで あ る。 歌 詞 はラオス 語 なの だ が 、 言 語 的 に黒 タイ語 に近 似 して い るた め、r歌 詞 の 大 部 分 が 理 解 で きるうえ、 メロディー が 黒 タイの 民 謡 に近 い か ら、 親 しみ や す い 」 と、 彼 らは言 った 。 当

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時 、 トゥア ンザ オ の みな らず 西 北 部 各 省 や 県 の 中 心 部 に住 む 黒 タイ、 白タイ の 各 家 庭 で、 ラオ スの 歌 謡 シ ョー のVCDが 広 く普 及 して い た 。 ラオ ス との 国 境 貿 易 を行 うキ ン族 行 商 人 が 西 北 部 各 地 で 売 った のが は じま りらしい。 しか し、

2010年 に はそ の ブー ム は廃 れ て いた 。2012年 に ソン ラー 市 内 に住 む 黒 タイの 家 族 に、 ブー ム の ことを思 い 出 して 訊 いた ところ、 「や は りラオ ス 語 な の で す べ て わ か るわ けで は な い し、 だ ん だ ん 飽 きて 、 長 い 間 親 しんで きた ベ トナ ムの 歌 謡 シ ョー を見 る方 に回 帰 した」 との ことで あった 。   い っぽ う、2009年 にル アンナム ター 県 にあ る ムア ンシ ンの 黒 タイ村 落 を訪 れ た ときに も驚 い た ことが あ る。10代 の 若 者 が 一 人 、 村 の 中 で 自 転 車 にまた が った まま辻 にた た ず み、 小 さな カ セ ットデ ッキ に 耳 をあて 、 熱 心 に歌 に 耳 を傾 け て い た。 デ ッキか ら流 れて くるの は 、 黒 タイの 民

写真2:タ イ チ ャー ンー デ ィエ ン ビエ ン国 境 の タイ チ ャー ン側 。 左 か ら筆 者 、 赤 タイ のB氏 、 黒 タ イのX氏(2009年2月 、 ベ トナ ム 側 の 国境 係 官撮 影)

謡 だ った の で あ る。A村 で はその 十 年 前 で さえ、 黒 タイの 民 謡 に 聞 き惚 れ る若 者 は もうい な か った か ら で ある。

  ムア ンシ ンの 若 者 は、 若 い人 も含 めてみ ん な 民 謡 が 好 きだ と言 った 。 黒 タイの 民 謡 の カセ ットテー プ は 、 バ イクで ベ トナムか らや って きた キ ン族 行 商 人 か ら買 った そ うで あ る。

  数 日後 、ムア ンシ ンを発 ってムア ンクアか らタイチ ャー ンに 向 か う途 中 、バ イクに 商 品 を山 積 み し、ディ エ ン ビエ ン方 面 か ら単 独 で や って くる男 性 の キ ン族 商 人 と何 度 かす れ ち が った が 、 ベ トナムで 録 音 され た 黒 タイの 民 謡 の カセ ットテ ー プ もそ うや って もち こまれ 流 通 して い たの で あ る。 ベ トナム側 で も2005 年 頃 まで 町 で 行 商 人 が 、 民 間 の 人 が 吹 き込 ん だ 民 謡 の カセ ッ トテー プを売 って いた が 、 現 在 で はほ と ん ど姿 を消 した。 今 で はディエ ンビエ ン省 や ソンラー 省 の 人 民 委 員 会 が 作 成 したVCDやCDが 販 売 されて い る。

4.3固 有 の 文 字 文 化

  ル ア ンナム ター は昆 明 か ら北 タイを経 て バ ン コクを結 ぶ 東 西 経 済 回 廊 の ラオス 北 部 にお け る重 要 な 国 境 貿 易 の 拠 点 で ある。2000年 頃 か ら急 速 に 中 国 か らの 投 資 が 増 え、 中 国 人 の 数 も急 増 して い る。

中 国 との 国 境 貿 易 、 あ るい はベ トナム 国 境 の 開 放 と関 係 が あ るの か どうか は 明 確 で は ない が 、 ルア ンナ ム ター に住 む 黒 タイの あ い だ で ここ数 年 、 自文 化 とアイデ ンティティを保 存 しよ うとい う意 識 が 高 まって きた 。 トンチ ャイタイ村 で は、 黒 タイ文 字 を維 持 しようと、2011年 夏 か ら60歳 代 の 人 が 中 心 とな って 寺 子 屋 式 の 黒 タイ文 字 勉 強 会 を不 定 期 に 開 催 してい る。 十 代 の 若 い 人 も含 む10人 以 上 が 集 ま り、 一 通 り文 字 をみ な が 覚 え た ところで 行 き詰 まった 。 読 む本 が な いの で あ る。 その話 を筆 者 が 伝 え 聞 いて 、 黒 タイ文 字 で 記 され た 歌 謡 や 系 譜 な どの 文 書 を送 った 。

  トンチ ャイタイ村 の 方 に は感 謝 して いた だ い たが 、 一 つ 問 題 が あ った。 ベ トナムの 黒 タイ文 字 とル ア ン ナ ムター の 黒 タイ文 字 で は 字 体 が 異 な って いて、 寺 子 屋 の 指 導 者 に とって 筆 者 が 送 った文 書 の 文 字 は 非 常 に読 み に くか った 。 この 双 方 の字 体 の 違 い は、1950年 代 以 降 の ベ トナム にお け る民 族 政 策 と明 確 に結 びつ いて 実 施 され た 民 族 文 字 の 改 訂 とも関 係 して い る。

  遡 る と、 ディエ ン ビエ ンフー の 戦 い(1954年)が 終 わ って フランス が ベ トナム西 北 部 か ら撤 退 したあ と、 ベ トナ ム民 主 共 和 国 下 で1955年 に西 北 自治 区 が 設 置 され た。 自治 区 で は各 民 族 が 自民 族 の 言 語 と文 字 を使 用 す ることが 公 認 され た。 黒 タイ と白タイ はター イとい う一 民 族 として 括 られ たの で 、「ター イ文 字 」 として の 文 字 改 訂 と書 体 統 一 が 進 ん だ 。 その 際 、 ター イ文 字 は 黒 タイ文 字 を基 礎 に して作 ら

104中 国の 「国境 文化」の人類学的研究

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れ た(樫 永   2009:99‑106)。

  筆 者 が トン チ ャイ タイ 村 に 送 った 文 書 類 は 、 マイ ソ ンや トゥア ンチ ャウの 黒 タイ が1910年 代 か ら 1960年 代 に記 した もの で あ る。 実 はベ トナムに お け る黒 タイ文 字 は、 主 にムオ ン ・ムァ ッ首 領 カ ム ・オ アイが 中 心 にな って1910年 代 に普 及 させ た とされ る字 体 で あ り、1950年 代 に統 一・され た ター イ文 字 もその 字 体 を下 敷 きに してい た 。

  い っぽ うル ア ンナ ムター の 黒 タイの 移 住 時 期 は20世 紀 初 頭 以 前 で ある。 パ リ外 国 宣 教 会(Missions Etrangさres de Paris)の 文 書 館 に ラフォン(Pierre‑Bernard  Lafont)[1926‑2008]の 遺 品 として 寄 贈 され た 、 ル ア ン ナム ター の プ ン村(ban  Poung)で1950年 代 に収 集 され た 黒 タイ文 字 資 料(7)を 2009年 に 筆 者 は閲 覧 した が 、 その 字 体 もい わ ゆ るベ トナムの 黒 タイ文 字 と同 じで は ない 。 トンチ ャイタ イ村 の 人 々 は 、 筆 者 に よる仲 介 を通 して 、 ベ トナム側 の 黒 タイ と文 字 が 異 な って い る ことを 明 確 に認 識 す ることに な った 。 ベ トナム で もラオス で も、 黒 タイに とって 、 民 族 衣 装 と伝 統 固 有 文 字 は代 表 的 な エ スニ ックシ ンボル で あ り、 双 方 の 黒 タイ文 字 が 異 な って い ることは、 一 世 紀 以 上 にわ た る歴 史 的 分 断 と 国 境 の 存 在 をむ しろ再 認 識 させ るに十 分 で あ った 。

4.4差 異 の 再 認 識

  お な じ黒 タイ とはい って も双 方 の 国 で 異 な ってい る と意 識 されて い ることは、2011年 にムア ンエ ットの 黒 タイの 人 々 にイ ンタビュー した 際 に も気 づ か せ られ た 。 ムア ンエ ットの 黒 タイの 人 々 は、 ムオ ン ・クオ ン側 の 黒 タイ と女 性 の 衣 装 は ほ とん どお な じで あ り、 村 に はベ トナ ム側 で2000年 頃 まで 見 られ た 「 の 甲 」 型 の 古 い 家 屋 が 残 って い る(写 真3)。 村 落 の景 観 は、 ル ア ンナム ター や ウ ドムサイ な ど他 県 の 黒 タイ村 落 よりもは るか にベ トナム側 の 黒 タイ村 落 に近 い。 とはい って も、 道 路 沿 い に はベ トナ ム側 で 見

写 真3:「 亀 の 甲」 型 の伝 統 家 屋(2011年2月 、 ム ア ン エ ッ ト)

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られ ない ラオス風 高 床 建 築 が 並 び 、 な によ りも黒 タイ語 にラオス語 の 単 語 が か な り入 り込 んで い る。

  ここで 言 語 の 話 を もう少 しす ると、 ベ トナムの 黒 タイ語 は 抽 象 概 念 や 近 代 的 な 語 彙 につ いて はベ トナ ム語 か らの 借 用 が 多 い が 、 ラオ ス側 の 黒 タイ語 はラオス語 や タイ語 か らの 借 用 が 多 い。 ベ トナム 国 境 が 目 と鼻 の 先 の ところにあ る黒 タイの 村 の 人 々 の 言 葉 もラオ ス語 の影 響 が 強 く、 国 境 を挟 ん だ ムオ ン ・ク オ ンの 黒 タイ語 とは 異 な って い る。 どの 家 庭 で もタイの テ レビ番 組 を 日常 的 に 見 て い るせ い も大 きい だ ろう。 ベ トナム語 を解 す る人 は付 近 に2人 しか い な い。 その2人 はい ず れ も商 店 主 で あ り、 その うちの 一 人 に インタビx  した

。 ときどきバ イクで 国 境 を越 えて ペ トナムの イ ンス タ ン ト食 品 や 雑 貨 を仕 入 れ に 行 くの だ と言 った 。 彼 はベ トナム側 の 黒 タイ はベ トナム化(キ ン化)が 進 ん で いて 言 語 や 文 化 的 な 違 い が 大 きい とも口 に した。 国 境 を越 え た行 き来 が 、 む しろ両 者 の 違 い を認 識 させ た ので あった 。

  以 上 を まとめ る と、 次 の通 りで あ る。2000年 代 の 道 路 イ ンフラの 整 備 と国 境 の 開 放 を 背 景 に 、 ベ ト ナム とラオ スの 国 境 を越 える人 、 モ ノ、 情 報 の往 来 は 飛 躍 的 に増 加 した 。 双 方 の 国 に分 か れて 住 む 黒 タイが 国 境 の 向 こう側 へ 興 味 を示 し、 部 分 的 に は交 流 が 生 じた。 しか しこの ことは、 皮 肉 な ことに、 過 去 半 世 紀 以 上 の 間 に双 方 の 黒 タイが それ ぞ れ の 国 で 国 民 化 して きた こと、 双 方 に文 化 的 な差 異 が あ る ことをい っ そうはっ きり認 識 させ た 。 筆 者 が 知 る限 り、ムア ンエ ットとム オ ン ・クオ ン、 あ るい は タイチ ャー ン国 境 ゲ ー トに近 い ムア ンマイ とディエ ンビエ ンとい う国 境 の 両 側 にお い て、 新 しいネ ットワー クを基 と した地 域 や 民 族 の文 化 の 統 合 を指 向 す る現 象 は あ らわ れて い な い。 そ の意 味 で は 、 黒 タイの あい だで 国 境 文 化 は生 成 されて い ない 。

5.黒 タ イ の ブ タ飼 養 に焦 点 を 当 て た在 地 性

  前 節 で は ベ トナム西 北 部 とラオ ス北 部 の 国 境 を横 断 す る交 通 と運 輸 の発 達 が 、 国 境 をまた が って 居 住 す る黒 タイの 自文 化 認 識 に与 えて い る影 響 を述 べ た 。 もう一 度 、 ベ トナム にお け る黒 タイの 村 落 生 活 に 目を転 じたい 。

5.1人 、 モ ノ 、 情 報 の 流 動 性 と 、 在 地 性

  た とえぼ トゥア ンザ オ 県 のA村 で は、2000年 代 の 電 気 、 交 通 、 運 輸 、 通 信 をめ ぐる環 境 の 変 化 が 明 らか に生 活 をか えた。 ガ ソ リンや 市 場 の 商 品 を購 入 す るの に金 銭 は不 可 欠 で あ るし、 高 校 まで 進 学 す るの が ふつ うに な って 教 育 費 が か さみ 、 少 子 化 も進 み つ つ あ る。1990年 代 の ように薪 や 余 剰 の 農 作 物 を売 るだ けで は 現 在 の平 均 的 な生 活 をす るの も困 難 な ので 、 男性 た ち は農 作 業 な どの 手 が あ くと町 に 出 か けて 臨 時 雇 いの 肉 体 労 働 を探 し小 金 をか せ で い る。 高 校 まで 卒 業 した 若 者 たち は、 村 で 農 業 に 従 事 す るよ りも都 市 で の オ フィス ワー クにあ こが れ て い る。 貨 幣 経 済 の 浸 透 と教 育 の 向 上 は 、 言 語 、 文 化 、 生 活 スタイル の キン化 と近 代 化 を いっ そう促 してい るの で ある。

  この ような 中 国 、 ベ トナム 、 ラオス、 タイの 国 境 を越 えた 広 範 囲 な 人 、 モ ノ、 情 報 の 流 動 性 は 、 黒 タ イ村 落 にお け る生 活 の キン化 と近 代 化 の み な らず た とえば 伝 統 的 な儀 礼 や 文 字 文 化 の保 存 を 目指 す、

民 間 に お け る一 種 の 文 化 運 動 を引 き起 こした。 ルア ンナム ター の トンチ ャイタイ村 にお け る黒 タイ文 字 寺 子 屋 も然 りで あ る。 しか し、 黒 タイの 伝 統 文 化 の保 存 をめ ぐる動 きに関 して はす で に他 の 拙 稿 で 明 ら か に して い るので(c£ 樫 永   2005、2009)、 本 稿 で は 触 れ な い ことにしよう。 か わ りに、 在 地 性 あ る い はロ ー カル 性 が 経 済 価 値 を生 み 、 現 地 の 人 もそれ に重 要 な価 値 を認 め るように な って い る近 年 の 動 向 を、 黒 タイの ブタ飼 養 を例 に述 べ た い(8)。

  食 料 自給 的 なA村 で は、 世 帯 ご とにス イギュウ、 ブタ、 ニ ワトリな どの 家 畜 を飼 養 して きた 。 黒 タイ の 高 床 家 屋 は 、 伝 統 的 には 高 床 上 の2層 が ヒ トの居 住 と祭 祀 空 間 で あ り、 地 上 に 面 した1層 が 畜 舎 や 物 置 として 利 用 され て い る。 ブタは 日中、 放 し飼 い に され 、 家 屋 周 囲 で エ サ を あさ り、 決 まった 時 間 に飼 養 家 族 か ら給 餌 を受 け、夜 間 は1層 内部 が ブタ小 屋 で 睡 眠 す る。 こうした放 し飼 いの 飼 養 形 態 は、

zolo年 頃 までA村 で ふつ うで あ った(9)。しか し、2011年 か らブタの舎 飼 い が徹 底 化 され た。この ことが 、

燈6中 国のr境 文化」の人類学的研究

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道 路 イ ンフラの 整 備 や 国 境 貿 易 の発 展 と因 果 関 係 で 結 びつ いて い る。 それ は次 の ような 理 由 で あ る。

5.2食 肉需 要 の 増 加

  少 し時 代 を遡 り、 ベ トナ ム農 業 の 話 か らは じめた い 。1980年 代 に は食 糧 不 足 に 苦 しんで い たベ トナ ム は、 農 業 生 産 ・流 通 の 市 場 経 済 化 に乗 りだ し、 そ れ まで 合 作 社 が 管 理 して きた 農 地 を各 農 家 に分 配 した 。 労 働 力 と肥 料 が 積 極 的 に投 入 され 、 政 府 の 土 地 開 拓 や 灌 概 プ ロジ ェク トも成 功 して 、1990 年 代 に は 米 、 コー ヒー を は じめ とす る農 業 生 産 は急 速 に拡 大 した 。 こうして2000年 まで にベ トナム は 自給 農 業 国 か ら農 産 品 輸 出 国 へ と転 じた。 工 業 化 進 展 の な か で、GDPに 占め る農 業 の 比 重 は1990 年 の39%か ら2010年 の49%へ と減 少 した とは い え、 ベ トナム農 業 は 生 産 構 成 を変 えっ っ 生 産 額 を伸 ば してい る。 耕 種 に比 して水 産 養 殖 と畜 産 が 顕 著 に成 長 して い るの で ある。 畜 産 の 生 産 拡 大 の主 要 因 は 、 国 内 消 費 者 の 所 得 向 上 に よ る肉 需 要 の 増 加 で あ ろ う(荒 神2012:338‑

339)o

  A村 で も1990年 代 は 、 生 活 水 準 が

写 真4:市 場 の 食 肉売 り場(2011年12月 、 トゥア ン ザ オ市 場)

向 上 して食 肉 需 要 が 増 加 した 時 期 で あ っ た。 乱 獲 と汚 染 に よって川 で の 漁 獲 量 が 減 り、 さ らに人 口増 加 が 加 わ っ た。 村 人 も余 剰 米 な どを売 っ た現 金 で 、 町 の 市 場 に お もむ いて キ ン族 商 人 か らブタ肉 を購 入 して、 家 庭 で の 食 卓 で 食 べ て い た。 市 場 の 精 肉 店 を 営 む 商 人 は ほ とん ど キ ン族 で あ り、 彼 らは キ ン族 の 養 豚 業 者 か ら仕 入 れ た ヨー クシ ャー 種 や ラ ン ドレー ス種 と思 わ れ る白い ブタを仕 入 れ るか 、 少 数 民 族 の 村 で 広 く飼 養 され て い る在 地 の 黒 い ブ タを仕 入 れ 、 食 肉 として処 理 して いた(写 真4)。A村 の 黒 タイ の み な らず トゥア ン ザ オ 県 に住 む キ ン族 も、前 者 の 白い ブタを

キ ン族 の ブタ(mu  keo, lain Kinh)」 、 後 者 の 黒 い ブタを、飼 養 者 の民 族 に応 じて 「ター イの ブタ(mu tay, lorn Thai)」 や 「モ ンの ブタ(mu  meo lain Hmong)」 な どと呼 び な らわ してい る。

  肉 の部 位 に よる値 段 の違 い はあ って も、 当 時 はブタの 種 類 によって か な らず しも市 場 価 格 が 異 な るわ けで はな か った 。 しか し、当 時 か らA村 の 村 人 は 、キ ン族 が 売 るブタは化 学 飼 料 で 育 った 舎 飼 い の 「 業 ブタ」 で あ り、 放 し飼 い の 「自然 ブタ」 で あ る 「ター イの ブタ」 に は 味 が 劣 ると言 って い た 。 こうし た 意 識 は 、 か な らず しもベ トナム ー 般 で はな い が 、 近 辺 に住 む キン族 の あい だ で は 共 有 され てお り、 ま た 農 薬 、 化 学 肥 料 、 化 学 飼 料 に 対 す る警 戒 感 と不 信 感 もす で に強 か った の で 、 「タ ー イの ブタ」 は 重 宝 され た。 しか し 「ター イの ブタ」 は 出荷 され る数 が 少 な い うえ、飼 養 者 自らが 解 体 して、親 族 、村 人 、

知 己 の 問 で 分 配 す ることが 多 い た め市 場 か ら減 っ た。

  ラオ ス 北 部 の 町 の 食 肉 売 り場 で も、 近 年 、 ブタ 肉 の 棚 が 拡 大 した のみ な らず 黒 い 在 地 の ブタ と白 い 改 良 品 種 の 割 合 は 逆 転 し、 後 者 の 割 合 が 高 くな って い る。 また、 郊 外 に養 豚 場 と養 魚 池 の 複 合 経 営 施 設 が い くつ もで き、 大 食 漢 で 広 い 放 牧 地 を必 要 とす るスイギュウ飼 養 が 減 っ た。 か わ って、 コンパ ク トな施 設 内 で 飼 うことが で き出 荷 まで も日数 が 短 くてす む ブタ飼 養 は増 えて い る(高 井   2011:44)。

食 肉 供 給 を め ぐるラオス 北 部 の 状 況 は、 ベ トナム西 北 部 の 状 況 と似 て い る。

5.3食 の 安 全 意 識 と 、 在 地 の ブ タ 飼 養

  ソ ン ラー ダ ムな ど西 北 部 の 開 発 との 関 連 か ら2003年 頃 か ら道 路 事 情 が 急 速 に改 善 され た ことは

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す で に 述 べ た が 、 各 種 プ ロ ジ ェク ト関 係 者 や 工 員 が 頻 繁 に往 来 す るように な った 国 道6号 線 上 で は 2005年 頃 か らあ る状 況 が 生 まれ た 。 ソン ラー 省 とホ ア ビン省 の 省 境 付 近 の 国 道6号 線 沿 いで 、 キ ン 族 の 商 人 が 付 近 の モ ンの 村 か ら仕 入 れ た 「モ ンの ブタ」 を販 売 し始 め たの で あ る(写 真5)。

  国 道 沿 い な どで 少 数 民 族 の 人 た ちが 、 山菜 、 野 菜 、 果 実 を は じめ とす る現 地 産 品 を陳 列 して 販 売 す ることは もちろん 以 前 か らめず らしくな か っ た。

現 地 少 数 民 族 が 、 主 に近 隣 の消 費 者 向 け に供 給 して い た の で あ る。 これ に 対 して、 「モ ンの ブタ 」 の 販 売 者 は 、 紅 河 デ ル タ か ら1990年 代 以 降 に や って きた キ ン族 の商 人 で あ り、 ハ ノイを は じめ と す る長 距 離 移 動 者 を顧 客 対 象 として い る。

  約20キ ロ の 「モ ン の ブ タ」1頭 が1キ ロあ た り12万 ドン(約500円)で 販 売 され て い る。 付 近 の 市 場 に お け る 「キ ン の ブ タ」 の 食 肉 販 売 価 格 が1キ ロあ た り10万 ドン前 後 で あ ることを考 え る と、 高 額 な 取 引 で あ る。 体 重20キ ロとまだ 小 さい の で 、 もっ と大 き く育 て て か ら食 肉 加 工 す る の か もしれ な い が 、 ハ ノイ に持 って 行 って 売 れ ば 体 重1キ ロ あた り20万 ドンで も容 易 に買 い 手 が つ くそ うで あ る。 さ らに 、 現 在 で はハ ノイ の レス ト

ラン とも契 約 して 、 「モ ンの ブタ」 を定 期 的 に供 給 してい ると商 人 は言 った 。

  この よ うに 養 豚 業 が 発 展 し、 そ れ に 伴 って 在 地 の ブタの価 値 も上 昇 して きた。 町 の 近 郊 には キ ン族 が 経 営 す る養 豚 場 が 増 え、 ヨー クシャ ー 種 、 ラン ドレース種 を はじめ とす る外 来 の ブタの み な ら ず、 在 地 の 黒 い ブタも飼 育 され るように な って い る (写 真6)。 養 豚 場 で は 中 国 か らの 輸 入 製 飼 料 も 多 く使 わ れて い る。 中 国 で 食 の 安 全 の 観 点 か ら中 国 製 の 食 品 へ の 信 用 が 落 ちて い ることもあ り、 中 国 か らの輸 入 飼 料 を使 って ブタや ニ ワトリをベ トナ ムで 飼 養 し、 中 国 に 出 荷 す るとい う国 際 的 な形 態 の 畜 産 業 も展 開 して い る。

  食 の 安 全 の 意 識 に 関 して は 、 ベ トナムで もます ます 高 くな って い る。2012年 にA村 で も、 だ ん だ ん 市 場 で 村 の 人 た ち は ブタを 買 わ な くな って い ると聞 いた 。 そこで 売 られて い る 「工 業 ブタ」は 「自 然 」 な 「ター イの ブタ」 とちが って 、 食 べ ること

写 真5:「 モ ンの ブ タ 、売 り ます 」 の看 板 を 出 して 、 キ ン族 が 国道 で ブ タ販 売 (2012年11月 、ホ ア ビン省 マ イ チ ャ ウ県)

写 真6:国 道6号 線沿 いで キ ン族 が経 営 してい る 養豚 場(2011年12月 ソ ン ラ ー省 マ イ ソ ン 県)

で 体 に どん な影 響 を お よぼ す か が 恐 ろ しい か らと言 う。A村 で は 食 の安 全 の 意 識 か ら、 い つ 誰 の家 の どの ブタを殺 す とい う情 報 を村 内 で 回 覧 し、 各 戸 が 何 キ ロ買 うか を 申 告 して、 解 体 した とき に分 け あう ように な って い るそうで あ る。 これ を 「市 場 経 済 化 前 の ようだ 」 と表 現 した。

  とはい え村 の 人 口 は1990年 代 以 降 増 えて い る し、 肉 需 要 も増 して い る。 した が って 飼 養 頭 数 を増 や さな くて は な らな い。 こうなる と、 今 度 は 伝 統 的 な ブタの放 し飼 いが 村 落 生 活 に与 える影 響 が 問 題 に な って きた。 ブタが 菜 園 や 畑 の 作 物 を荒 らし、 それ が 原 因 の 隣 近 所 同士 の もめ事 が 増 えて きた の で あ る。 つ い に2011年 、 「5kg以 上 の ブタ の放 し飼 い は 禁 止 。5kg以 上 の ブタが うろっ いて い てた た き殺 され て も、 飼 い主 はその ことに文 句 を 言 え ない 」 とい う、 す で に取 り決 め られ てい たA村 で の 規 則 が 、

108中 国の 「国境文化」の人類学的研究

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写 真7:種 ブ タ をバ イ クで 運 ぶ業 者(2010年4月 、ホ ア ビン 省 タ ン ラ ッ ク県)

周 知 徹 底 され ることにな った 。

  こうして2011年 か らA村 で もブタ飼 養 は 舎 飼 い にな った。そのか わ り飼 養 者 側 に とっ て は、 給 餌 の 手 間 が 増 えた 。 そ れ 以 前 は 日中 、 勝 手 に村 の 中 や 周 囲 で ブタに エサ を あさ らせ て お け ば よか っ た。 しか し今 で は1 日3回 、 きっち りと給 餌 しな くて はな らな い。

A村 で は どの 家 庭 も化 学 飼 料 を使 わず ナナ の茎 や 葉 を刻 み 、 水 草(フ ァック ・ソム [phac xom]と 現 地 で 呼 ば れ る)、 糠 、 残 飯 な どを混 ぜ て 大 鍋 で 煮 詰 めて 飼 料 として い るが 、 大 きい ブタ にな ると10kg、 小 さい の で も3kgく らい 食 べ る。 村 の 人 は 「た い した 仕 事 で は な い 」 と言 って い るが 、 毎 日 の ことで あ るし、1日 あた り3時 間 は餌 の 材 料 集 め か ら給 餌 に 費 や して い る。 また 種 付 け も自然 交 配 で は な く、 種 ブタ をや りとりし て 人 為 交 配 して い る。 ホア ビン省 マ イチ ャウで 種 ブタの 所 有 者 か ら聞 いた ところ、 依 頼 者 の 遠 近 に応 じ て種 つ け 費 用 は10万 ドンか ら20万 ドン くらいだ そ うで あ る(写 真7)。 マ イチ ャウ とトゥア ンザ オ の 物 価 水 準 は 大 きく変 わ らな い の で、 お そ らくA村 付 近 で もほぼ 同 じで あろう。

  現 在 、A村 で も少 子 化 が 進 行 しつ つ あ る。 十 代 まで の 少 年 少 女 は就 学 に忙 しく、 男 た ちは 日雇 い労 働 にで るた め に村 で は男 手 が 不 足 しが ちで あ る。 こうした村 落 生 活 の現 状 を考 える と、 近 い 将 来 、 ブタ の 給 餌 をめ ぐる手 間 や 人 手 が 、家 族 の 問 題 として 大 き くな って きそ うで ある。す ると村 に も養 豚 場 をっ くっ て 専 業 的 に養 豚 す る家 族 が あ らわれ 、 村 落 内 で機 能 分 化 が 進 む の か もしれ な い 。

6.お わ り に

  ベ トナ ム西 北 部 とラオ ス北 部 で2000年 代 以 降 急 速 に進 ん だ 陸 上 輸 送 路 の 整 備 と国 境 の 開 放 が 、 国 境 を また が って 居 住 す る黒 タイの 生 活 と文 化 に どの ような影 響 を与 えた か を、 本 稿 で は考 察 した。 ま ず 両 国 に お け る黒 タイの 分 布 と、 その 文 化 的 特 徴 につ いて 示 した 。 次 に、GMS構 想 とソンラー ダム 建 設 とい った大 規 模 な開 発 事 業 との 関 連 か ら、 現 地 にお け る交 通 ・運 輸 環 境 の 変 化 を整 理 した 。 その う

えで 長 距 離 の 交 通 網 の 整 備 と、 それ に伴 う人 、 モ ノ、 情 報 の 移 動 の 増 大 が 、 双 方 の 黒 タイの 文 化 や 自意 識 に どの ように影 響 したか を経 験 的 に述 べ た。 そ の 中 で 指 摘 したの は、 部 分 的 に は文 化 へ の 影 響 が あ った もの の 、 む しろ双 方 の 黒 タイの 文 化 的 差 異 を は っ き り認 識 す る方 に傾 き、 黒 タイの 国 境 文 化 の 生 成 には 至 らな か った ことで ある。 とはい え 、 急 速 な 近 代 化 に よる生 活 環 境 の 変 化 は、 双 方 の 黒 タ イの あい だ で 伝 統 文 化 の 保 存 を指 向 す る文 化 運 動 を刺 激 して い た。 の み な らず 在 地 性 の価 値 の 上 昇 と い う価 値 観 の 変 化 をもた しか に促 して い た。 本 稿 の最 後 の 節 で は、 在 地 製 の価 値 をめ ぐる現 在 の 状 況 につ いて、A村 にお け るブタ飼 養 を例 に紹 介 した 。

  思 い お こせ ば1990年 代 、 マス メデ ィア な どで 少 数 民 族 が 取 り上 げ られ る際 、 その イメー ジ は 、 自給 自足 的 で 大 家 族 ゆ え に 貧 困 、 教 育 の レベ ル は 低 く非 科 学 的 か つ 迷 信 的 、 仕 事 は 手 作 業 で 工 業 が 未 発 達 、 奔 放 で 自由 な 性 格 ゆ えに性 道 徳 規 範 が ゆ る く怠 惰 、 自然 な 生 活 ゆえ に焼 き畑 な ど 自然 破 壊 の 元 凶 な ど、マ イナス の 方 が 強 か っ た。 「伝 統 」 より 「近 代 」(ま た は 「進 歩 」)が 、「自然 」 より 「工 業 」(ま た は 「科 学 」)に 価 値 が あ ると、1980年 代 まで の ベ トナムで は 明確 に位 置 づ け られて い た が 、 一・般 的 に は その価 値 観 を1990年 代 は まだ 引 きず って い た ので あ る。

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  これ に対 して、 「自然 ブタ」 と 「工 業 ブタ」 とい う二 項 対 立 には 異 な る価 値 感 が こめ られ て い る。 黒 タイな ど少 数 民 族 の 人 々 が1990年 代 に しぼ しぼ この 言 葉 にこめて いた の は 、 キ ン族 に対 す る対 抗 意 識 もあ って か 、 「自然 」 は 「工 業(科 学)」 よ りも人 閲 に とって 安 全 とい う価 値 観 で あ った 。 「自分 た ち在 地 少 数 民 族 の 『自然 』」対 「彼 らよそ者 キ ン族 の 『工 業 』」とい う対 立 図 式 が 暗 に こめ られて もいた 。 い っ

ぽ うで 近 年 、 在 地 ブタの 経 済 価 値 が 上 昇 して い る現 象 は、 少 数 民 族 側 の価 値 観 に、 ベ トナム全 体 の 価 値 観 が 一 面 で は 近 づ いて い ることを示 して い る。 少 な くともブタをめ ぐる 「自然 」 とr工 業 」 とい う概 念 の 二 項 対 立 にお いて は 、r伝 統 ・在 地 ・安 全 」 対 「近 代 ・外 来 ・危 険 」 とい う対 立 す る価 値 観 が は っ

き り結 びつ け られ てい る。 在 地 性 自体 が ブラン ド的 な価 値 を持 ち うる状 況 が 生 じて い るので ある。

  こうした 点 か ら、 最 後 に 国 境 文 化 に 関 して 附 言 す れ ば、 中 心 か らもっ とも遠 い とい う国 境 の 観 念 的 な辺 境 性 が 在 地 性 とい う価 値 と結 び っ い た とき、 本 稿 で 扱 っ たよ うな地 域 で も、 新 しい 国 境 文 化 が 生 成 され る可 能 性 が まだ あ るの で は な いだ ろ うか 。

(1)  ルア ンナムター に住 む黒 タイのX氏 をガイ ド、 赤 タイのB氏 を運 転 手として 自動 車 で訪 ね た。 ラオスの黒 タイ語 はラオス     語 の影 響 が強 く、筆 者 が理 解 しにくい箇所 はX氏 が 黒 タイ語 に通訳 してくれ た。

(2)  タイ国を中 心 とするタイ語 系 民 族 の研 究 者 は 「ムアンJと 仮 名表 記 し、 また東 南アジアの前 近 代 約 政 治体 系 の 一類 系     を示 す術 語 として も 「ムアン」が 一 般 約で ある。 本書 で はベ トナム語 、 黒 タイ語 か ら日本 語 へ の翻 字 規則 に則 り、 「ムオ     ン」 と表記 す る。 蛇足 だが 、雲 南 省 シップソンパ ンナーや シャン州(ミ ャンマー)の タイ系 民 族 、ライチャウ省(ベ トナム)     の 臼タイや ルー の発 音体 系 で は 笠重 塚 音 が短 母 音 化 するため 、 「ムン」 として仮名 表 記 され る。

(3)  この 南 部 グルー プをB近 で は 「赤 タイ」 とよぶ傾 向が 強 い。 ラオス側 にもその分 布が ひろが っていて、 ラオスで は20世     紀 以 前 か ら赤 タイとして 自他 称 されて きた。 調 査 に同行 した運 転 手B氏 も赤タイを自称 している。

(4)  なお中 国 にも約1万 人 居 住 し、 僚 族 として分 類 されてい る。

(5)  19世 紀 にはラオカイは、 紅 河 を通 じた河 川 交通 の 要 衝で あるとともに、 現 ベ トナム西北 部 を経 てラオスに通 じる山の道     の拠 点 であ り、18世 紀 後 半か ら19f. 1:紀前 半にか けての鉱 山 開発 ブーム と、 それ にともな う商業 交易 の活 性 化 の影 響     により商 業鎮 が 成 立していた(武 内  2010:181)。

(6)  な お 、 地 域 住 民 の 生 活 へ の 影 響 と広 範 な 自然 環 境 へ の 影 響 が 懸 念 され るた め 、 ダム 建 設 は 海 外 か らの 援 助 資 金 を 受     け る ことが で きず ベ トナ ム政 府 は 自前 の 資 金 に よって 着 工 した(樫 永   印 刷 中)。

      また 、 ワ コン ・ウ ォッチ 」(2005年6月26口)も 参 照         http://mekongwatch.org/resource/news/20050626̲O  l.html       な お 、 ダ ム に関 す る基 本 情 報 は 以 下 の 通 りで あ る。

        貯 水 池:総 貯 水 量93億 ㎡ 、 有 効 貯 水 量65億

        ダム:コ ン クリー ト重 力 式 お よび 部 ロック フィル 式 、 最 大 高 さ138m、 堤 頂 長962m         設 備 容 量:2,400MW(400Mw×6台)年 闘 電 力 量:102億kWh

      6台 の ダ ム の うち 、2010年12月 、2011年4月 、8月 に 第1、2、3号 機 の 商 業 運 転 を す で に そ れ ぞ れ 開 始 して い る(迫     }欝イ也  2012:40‑41)。

(7)  その 影 印 は 、(飯 農 編   2012)の 資 料m」 中 の 「樫 永14」 に収 録 。 ただ し禁 転 載 。

(8)  この調 査 は野 林 厚 志 氏 と2011年12月 に行 った。

(9)  こう した ブタ の 飼 い 方 は 、1・i・1国の 少,<  族 居 住 地 域 の 農 村 で も珍 し くな い(野 林   2009:295)。

引 用 文 献 荒神 衣美

 2012    「農 業     国際化 、 工業化 の なか を生 きる農 民たち」今 井 昭夫 、 岩井 美佐 紀編 『現 代 ベ トナムを知        るための60章(第2版)』 明石 書店 、338‑342頁 。

飯 島明子 編

 2◎12   『メコン川流域 地域 在 地文 書 の新開 拓 と地 域誌 像の再 検討    パ ヴィ調査 団 文書 を中心 に』 科学研        究費 補 助 金(基 盤 研 究B)「 メコン川流 域地 域 在地 文書 の新 開 拓 と地域 誌 像 の再 検 討    パヴィ調        査 団文書 を中心 に」報 告書 。

110中 国のr境 文化」の人類学的研究

参照

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