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中国の「国境文化」の人類学的研究

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中国の「国境文化」の人類学的研究

著者 塚田 誠之

発行年 2013‑03‑31

その他のタイトル The Culture of Ethnic Groups in Border Areas of China

URL http://hdl.handle.net/10502/5668

(2)

ミ リベ ル ラ イ チ ャ ウ視 察 報 告 書 」(1908年)

武 内 房 司(学 習院大学)

解 題 】

  以 下 に訳 出 した の は 、 仏 領 期 の   ・i:年 、 白タイ 族 の 根 拠 地 ライ チ ャ ウを 視 察 に訪 れ た視 察 官(lnspecteur  des services cMis)ミ リベ ルMarie  Joseph  Ulderic  de Miribel(..‑

1911)の 報 告 書 で あ る(1)。 ライ チ ャ ウ は、  :・・年 、 白 タ イ 族 の 首 領 デ オ ヴ ァン チ が フ ラ ンス に投 降 して以 降 ク ワン ダ オ と して シプ ソン チ ャ ウタ イ と呼 ば れ る ヴ ェ トナ ム 西 北 地 区 で 強 大 な 権 限 を保 持 して い た 。 ミ リベ ル は 、ランソ ン(諒 山)に お いて 「 賊 」 鎮 圧 に参 加 した 後 、1890年 、 軍 人 か ら行 政 官 に転 じ、 イ ン ドシナ 各 地 の理 事 官 を 歴 任 した(Brebbn,263)。

  ミ リベ ル に 同 行 した の は トン キ ン理 事 長 官 付 補 佐 官 で あ っ たボ ス クJules  BOscで あ った 。 ボ ス ク は植 民 地 学 校 で ヴzト ナム 語 を 学 び 、 トン キ ン刑 事 委 員 会 のメ ンバ ー として 海 外 に 亡 命 中 の 播 伽 珠 や 尊 室 説 ら反 仏 運 動 指 導 者 に 連 な る ヴ ェ トナム 人 を 追 跡 し て いた 経 験 を 持 つ 辣 腕 官 僚 で あ った(Le  Failler,182‑186)。

  ミ リベ ル とボ ス クが ラ イ チ ャウ に 派 遣 さ れ た の は シプ ソ ンチ ャ ウ タイ に お いて ク ワン ダ オ(管 道)と して 広 範 な 権 限 を 与 え ら れ て いた 白タ イ族 首 長 デ オ ヴ ァン チD‑・VδnTri(ヨ 文 持)が

1908年3月 に 死 去 し、 にわ か に ク ワンダ オ 統 治 の 存 続 が 問 題 とな っ た た め で あ った 。 ソ ン ラの 理 事 官 で あ った モ ンペ イ ラ は、

デ オ 氏 の 数 々 の 職 権 濫 用 ・不 正 を 糾 弾 して クワ ンダ オ職 の 廃 絶 を 求 め 、 イン ドシナ 総 督 府 もま たそ うした 意 冤 に傾 い た 。   これ に 対 し、 デ オ 氏 側 で は デ オ ヴ ァン チ が フ ランス に 投 降 す る 際 に仲 介 者 とな った オ ー ギ ュス ト・パ ヴ ィに 支 援 を求 め た。 パ ヴィ は デ オ ヴァン チの 死 の 三 日後 に は 植 民 省 大 臣 の ミ リエ ス ・ラク ロ ワ に書 簡 を出 し、 丁 氏 の 擁 護 に 回 っ た の で あ る。 パ ヴィは2年 間 に わ た って デ オ 氏 宛 の 書 簡 が モ ンペ イラ らによ って 没 収 され て き た ことを 問 題 に し、独 立 した 官 員 による 調 査 を 求 め た のだ った。

植 民 省 の 命 令 を 受 け、 イ ン ドシナ 総 督 は 視 察 官 ミ リベ ル を 派 遣 す る ことを決 定 した 。 しか し、 ミ リベ ル の デ オ 氏 支 配 の 評 価 は基 本 的 に はソ ンラ 駐 在 理 事 官 モ ンペ イ ラとそ れ ほ ど変 わ らず、 報 告 書 の な か で 繰 り返 しクワ ンダ オ の 世 襲 統 治 に代 わ りフ ランス 人 行 政 官 に よる 省 制 へ の 移 行 が 主 張 され て い る 。 デ オ ヴ ァン チ の 葬 儀 に集 ま った 多 くの デ オ 氏 の メンJ¥'一は村 落 首 長 たち か ら聞 き取 りを 行 い 、 ミリベ ル は 省 制 移 行 に必 要 な 財 源 の 可 能 性 、 交 通 路 の 整 備 に よ る ライ チ ャウ 地 域 の 振 興 策 な どを この 報 告 書 の な か で 詳 細 に論 じて お り、20世 紀 初 頭 の ヴェ トナム 西 北 地 区 に お け る デ オ 氏 統 治 を 知 る うえで 貴 重 な 史 料 とい える 。 そ こか らは 、 タ イ 族 の 地 域 権 限 を 剥 奪 して い こうとす る植 民 地 側 の 意 図 とそ れ に 対 抗 しで きる だ け権 限 を 保 持 して い こうとす る 在 地 タイ 族 領 主 層 の 思 惑 を読 み 取 る ことが で きる の で あ る 。 訳 出 に あ た って は 、 フ ラ ン ス 国 立 文 書 館 海 外 館(Archives  Nationales  d'Outre‑

Mer, Aix‑en‑Provence)1こ 収 め られ て い る トン キン理 事 長 官 文 書(RS下AF/56475)所 収 の テ キス トに拠 っ た。

ミ リベ ル 「ラ イ チ ャ ウ 視 察 報 告 書 」(1908年)

  1908年4月1日 付 けの 貴 書 簡14号 及 び4月6日 付 け の 決 定510号 の 指 示 を実 行 す るた め に、 同 日4時 半 、 鉄 道 に乗 り、 私 の補 佐 として第 二 級 行 政 官 ボ スク氏 、 ラオカ イの 知 州 で タイ語 通 訳 を担 当 す るファム ・ラー ・ロン氏 、 首 席 通 訳 秘 書 官 グエ ン ・ヴ ァン ・ファン氏 を ともな い、 ハ ノイ

を出発 した。

  我 々は ヴィエ ッチに宿 泊 した。4月7日 午 前 、視 察 団 はチ ョ ボ に 向 か うボー トに乗 り、 午 後6時 、 同 地 に着 い た。 翌 朝 8時 半 、 カヌー で黒 河 の湖 航 を 開始 した 。

  我 々の旅 行 はすぼ らしい条 件 の もとで実 施 され た。

  昼 、 我 々 はスイユ ットで 小 休 止 をとった 。 そ こで 我 々 は こ の 地 で 商 業 を営 む カッ ト氏 とホア ビン省 枚 州 の知 州 を待 っ た 。 私 は 多 大 の 関 心 を持 ってす で に重 要 か つ 必 要 とな って いる市 場 を訪 れ たが 、 スイユ ットの ル ー トの 建 設 が 完 全 に終 了 し、 ラオ スー トン キン問 の 主 要 な商 業 動 脈 とな る際 に は、

か な り大 規 模 な発 展 が 見 られ るだ ろう。

  4月10日 午 後3時 、 我 々は ヴァンイエ ンに到 着 した。 そ こで 郵 便 ・電 報 受 信 員 の エ メリ氏 の 出 迎 えを受 け た。 エメ リ氏 は 臨 時 にソンラ理 事 官 代 理 の職 を担 って い る。彼 は我 々 を郵 便 電 報 局 と市 場 とに案 内 し、 ヴ ァンイエ ンの 知 州 とこの 地 区 の 主 要 な有 力 者 を紹 介 して くれ た 。 これ らすべ ての現 地 人 当 局 者 に 尋 ね たが 、 この地 区で はデ オ ヴァンチの 影 響 力 はまった くな く、 彼 の 死 は住 民 の 問 になん らの反 響 を呼 び起 こさなか っ た とい う。

  知 州 は ボス クに この 州 に今 世 紀 に入 り設 立 され 、 地 域 の センター となってい る小 学 校 を見 学 して ほ しい 旨を表 明 した。

  エメ リ氏 はきわめて熱 心 で あ り、 我 々 に旅 行 の便 宜 を与 え 我 々の 視 察 を完 遂 させ るため にあらゆる努 力 を払 って くれ た。

  11日5時 早 朝 、 我 々 は再 び旅 の途 につ いた。

  12日 午 前11時 、 ヴァンサイに到 着 した。 そこで は グレヴィ 氏 の指 揮 の もと、 インドシナ冶 金 ・鉱 山会 社 によって銅 山の 開 発 が進 められていた。 時 間 的理 由で 開 発 の様 子 を詳 細 に視 察 することは出来 なかったが 、 幸 いに もその実 際 的な 努力 、 さら にまた所 長 と従 業 員 との 間 にある親 切 さ ・誠 実 さに敬 意 を払 う ことが で きた。 私 は同様 の行 動 方 針 が将 来 、 この事 業 の繁 栄 にとって最 も幸 福 な成 果 をもた らすであろうことを疑 わ ない。

  午 後2時 、 我 々 は旅 を続 け、14日 午 後3時 、 ター シャ

ミ リベ ル 「ラ イ チ ャ ウ視 察 報 告 馨 」(19◎8隼)121

(3)

ンに着 い た。 ソンラの 理 事 官 モ ンペ イラ氏 が 待 って くれて い た。 彼 はマイソンの 知 州 と地 域 の当局 者 を紹 介 して くれ た。

  デ オヴ ァンチ の甥 かつ 通 訳 で 、 デオー 族 よ り派 遣 され たカ ムハ ン氏 が 同様 に我 々を 出迎 えていた 。

  午 後3時 、 我 々は再 び旅 の途 につ き、 翌 日15日 の午 後 4時 、 ター ブ に到 着 した。 そ こは ヴァンブ の理 事 官 府 が ソン ラに移 って 以 来 、 ソンラ ・サム ヌア ・ライチ ャウ等 地 域 向 け に物 品 を発 送 す る倉 庫 が あっ た。 この 倉 庫 を担 当す るタイ 語 の 通 訳 は、同 時 に郵 便 や貨 物 の ための 業 務 も担 ってい る。

  16日 の1時 か ら6時 半 にか けて、 ター ブを 出発 し、 ヴ ァ ンブ の 旧理 事 官 府 の 前 を通 過 したが 、そ こには壁 面 しか 残 っ てお らず 有用 な資 材 はすべ てソンラに移 管 され た。

  18日 の 午 後 、 クウィンニ ャイ(環 崖)に 到 着 した。 同 州 の 知 州 はデ オヴ ァンチ の遠 い親 戚 で あ り、4月16日 に始 まっ た葬 儀 を補 佐 す るため にすで にライチャウに戻 って いた 。   21日 午 前8時 、 ライチ ャウに到 着 した。 我 々 はチ ョボ か

らライチ ャウ まで 、13日 間 カヌー に乗 る旅 を遂 行 した の だ。

これ は通 常 の この 季 節 の 旅 程 よ りも2日 ほど早 い。

  着 岸 す ると、ディエ ンビエ ンフー 理 事 官 府長 官 の ラリエ氏 、 ライチ ャウ郵 便 局 臨 時 支 局 長 の バ ザ ンジ ェット氏 、 物 故 した クア ンダ オの 家 族 の メンバ ー 全 員 の 出迎 えを受 けた。 ソンラ 理 事 官 はこれ らの 人 々を紹 介 してくれ た。

  これ らの当 局 者 にい くつか 感 謝 の言 葉 を伝 えた後 、 た だち にクワンダオ の邸 宅 に向 か い、 デ オヴ ァンチ の亡 骸 に弔 意 を 示 し、その子 息 に総 督 並 びに理 事 長 官 の哀 悼 の意 を伝 えた 。   その 後 、 我 々は ただ ちにわ れ わ れ の 居 所 に投 宿 し、本 視 察 の 目的 で ある諸 問 題 の研 究 を開始 した 。

     ラ イ チ ャ ウ ・ク ワ ン ダオ 地 区 の 政 治 情 況 デオヴ ァンチお よび その一族によ って行使 される影響力 と権威

  ここで、黒 河 流 域 が ペ ヌカン将 軍 によって平 定 され た後 に、

ライチ ャウ支 配 区 が 創 設 され た 経 緯 を歴 史 的 に説 明 す る必 要 はないだ ろう。

  頗 る鷹 揚 な管 理 の もと、 軍 事 当局 は、 ディンビエ ンフー (Bien‑Bien Phu  辺 府 〉か らフォントー(Phang‑tho  牧) にい た る我 々の 領 域 内 にお いてクワンダ オが 自由な行 政 を行 使 す るの を許 して きた。 ヴ ァンブー(Van‑Bu)省 が 行 政 権 力側 に復 帰 した 際 にも、 莱 州 の軍 営 は縮 小 され 、 現 地 人 部 隊 によって置 き換 えられ ることもな く、 フランス当 局 の 代 表 は クワンダオ の承 認 と同時 に姿 を消 した ので あ る。

  その結 果 、 この官 僚(ク ワンダオ)の 個 人 的 な影 響 力 は 弱 まるどころか 強 大 とな った。 その い きす ぎ にブ レー キをか けるような効 率 的 な コン トp  ル に失 敗 し、 その 権 力 は ほ と ん ど無 制 限 なもの とな り、 クワンダオ は地 区 のすべ て の勢 力 をおの れ の 利 益 に集 中させ ることで 、 実 質 的 にライチャウに 封 建 体 制 を敷 くことが で きた。

唯22中 国の 「国境文化Jの 人類学的研 究

  す こぶ る行 動 的 、 エネル ギ ッシュで あ り、 おのれ の 権 威 に 愛 着 を持 っ デ オ ヴ ァンチ は、 強 力 な メンバ ー の権 力 欲 を緩 和 させ 、 た い した抵 抗 もな しにお のれ に従 わ せ ることが で き たの で あ る。 不 幸 にも、 デ オ ヴ ァンチ は数 年 前 か ら心 臓 病 を病 み身 体 が 弱 りだ す と、 彼 の 兄 弟 や 長 男 に よる収 奪 が 強 め られ た。 その 結 果 土 地 の タイ族 に悪 感 情 を抱 か せ 、 クワ ンダオの 個 人 的 な権 威 に重 大 な 損 害 を もた らしたので あ る。

  この ような クワンダオ の権 威 の 衰 えは、 まず 黒 タイ族 の 特 徴 的 な運 動 に よって表 面 化 した。 彼 らはクワンダオの 監 視 か ら免 れ ようとして 自発 的 に我 々に接 近 して きた ので ある。

  デ オヴ ァンチ は 自分 が もはや 黒 タイ族 の 支 持 を取 りつ ける ことはで きな い ことを理 解 してお り、 弟 の カムフイが ディエ ン ビエ ンフー 知 州 の職 か ら解 任 され彼 の もとに送 り返 され た際 に も、 そ して またディエ ンビエ ン フー を中央 行 政 区 に昇 格 さ せ ソン ラに併 合 した ことに対 して も、 いか な る形 によって も反 対 しなか った。 この 時 以 来 、 デオ ヴァンチ は、 白タイ族 が 黒 タイ族 が 始 め た運 動 に続 くので は ないか と恐 れ 、 ます ます疑 いぶ か くな った。 この年 老 い た 首 長 の晩 年 を不 安 が らせ 苦 しめ ることの な いよう、 我 々 も彼 に対 して また ます 多 くの 忍 耐 を示 したので あ った。

  当初 か ら、 こうした情 況 はソンラの理 事 の よく観 察 す るとこ ろで あ り、 彼 はた えず 理 事 長 官 に報 告 して きた。 一 方 、 クワ ンダ オもまた 、実 質 的 な力 を持 つ省 の長 官 が さらに、デ オヴ ァ ンチ の 死 後 は、 デ オヴ ァンチー 族 の ため に存 続 させ て きた 優 待 的 な政 治 体 制 の廃 止 を強 く勧 めていた ことを知 らないわ けで はな か った。 このような見 通 しは、 晩 年 の クワンダ オの 大 きな 関 心 事 で あ った。 それ 以 来 、 ソンラの 理 事 官 が 彼 に 示 した とす る敵 意 に対 し、繰 り返 し不 平 が 述 べ られ た のだ 。

モ ンペイ ラとデオ ヴ ァンチ との間に存在する関係 の特徴

  デオ ヴ ァンチ ー 族 のメンバ ー に対 し、 彼 らな りのモ ンペイ ラ氏 の態 度 に対 して 抱 きうる不 満 を明 か して ほ しい と要 請 し た 時 の ことで ある。 彼 らは私 に こう答 えた。 クワンダオ に対 し とりわ け敵 対 的 な役 人 が 一 人 が ライチ ャウに いたの で すが 、 彼 はモ ンペ イラ氏 の信 任 を得 て いたの です。 この 役 人 はモン

ペイ ラ氏 に対 しデ オ ヴァンチ に対 す るでた らめな報 告 を行 っ たの で す。 より正 確 にい うな らぼ 、 ソンラの理 事 官 はそれ を 確 か め ることな く真 に受 け、 理 事 長 官 に付 託 し、 クワンダオ の忠 誠 ・デ オ氏 一 族 の フランス支 持 に対 す る信 頼 を傷 つ け る結 果 とな ったの で す、 と。 これ が クワンダ オの 親 族 たちが 私 の前 で して くれ た唯 一 の議 論 で ある。 私 は この点 にかん し 真 面 目に話 してくれ るよう強 く申 し入 れていた ので あるが。

デ オ ヴ ァ ン チ ー 族 と の 会 談

莱 州 に到 着 して翌 日、 私 は一 族 の会 議 を呼 び か けた。

(4)

  デオ ヴ ァンカ ン氏(デ オヴ ァンチの長 男)。

  デ オ ヴ ァンタオ氏(通 称 カムラム、 ク ワンダ オ の 兄 弟 で、

もと文 炎 州 知 州 。 トンキ ン政 府 より現 職 時 同様 に 〔給 与 が 〕 支 払 わ れ て い るが 、 彼 の圧 政 を受 けた住 民 に よって 同州 を 追 い 出 され た後 、 現 在 その ポ ス トへ の就 任 は 禁 じられ て い る)。

  デオ ヴ ァンチャン氏(通 称 カムラー 、 クワンダオの 兄 弟 で 、 特 に行 政 職 にはつ いて い ない 。 デ オ 氏 一 族 の 中で は最 も知 的 な 人 物 だ が 、 最 も閉 鎖 的 かつ 危 険 な 人 物 で あ り、 我 々 に 対 して 最 も敵 対 的 で ある。 デ オヴ ァンチ は彼 を助 言 者 ・事 務 官 とした が 、 彼 に はいか なる直 接 的 な権 力 を与 えようとは

しなか った)。

  デ オ ヴ ァンブイ 氏(通 称 カ ムフイ、 クワンダオ の 兄 弟 で、

解 職 され た元 彙 辺 府 知 州 、 アヘ ンの乱 用 で無 気 力 となっ た 二 流 の人 物 。 権 威 も活 動 もな く、 何 ら影 響 力 を持 た ない)。

継承 問題 に対す るデオ ヴ ァンチの最後 の希 望

  最 初 に 彼 らに一 族 の 首 長 を悲 しませ たデ オ ヴ ァンチ の 逝 去 に対 す る総 督 並 び に理 事 長 官 の 弔意 を表 明 した 。 続 いて デ オ ヴ ァンチの 二 通 の 書 簡 、 す なわ ち一 つ はパ ヴィを介 して 送 られ た植 民 省 大 臣 宛 の 書 簡 、 もう一 つ は コー チ シナ長 官 の ボ ヌール 宛 の 書 簡 で あ り、 そ の 中で 明 確 に フランス政 府 に対 して、 ライチ ャウの クアンダ オの継 承 者 として長 男 のデ オ ヴァンカ ンに継 承 させ ることを表 明 した。

  その うえ、 クワンダオ(デ オヴ ァンチ)は 、 死 の直 前 、 継 承 問 題 につ き、 もう一 つ の 希 望 を表 明 してい た。 これ にっ い て は後 に述 べ る。

  個 人 的 に、そして集 団 としての質 問 を受 け、一 族 の メンバ ー はデ オ ヴァンチ が っ ね にか っ 公 的 にデ オ ヴァンカ ンを後 継 者 として 指 名 して いた ことを表 明 した。

  私 は、 デ オヴ ァンチ が 死 去 した際 にライチ ャウを離 れ てい たモ ンペ イラ氏 に宛 てた クウィンニ ャイ州 知 州 の書 簡 をふ ま えて、 この質 問 を した ので あった 。 この タイ族 首 長 が ソンラ の 理 事 官 に語 った ところに よれ ば 、 死 去 の 数 時 間 前 、 通 訳 の カン と長 男 を そぼ に置 いて、 クワンダ オは 知 州 に弟 の カム ラー を クワンダオ に、 そ して長 男 のデ オ ヴ ァンカンを ライチ ャ ウ知 州 に任 命 して もらい た い とい う希 望 を表 明 した とい う。

彼 はさらに、 この 決 意 をソンラの理 事 官 に伝 え、理 事 官 か ら トンキン理 事 長 官 に報 告 して もらうよう依 頼 され てい た。

  これ は地 域 の慣 行 と異 な るもので あ った。 さらにデ オヴ ァ ンチ が 選 択 した方 法 は、 彼 が つ ね に細 心 の 注 意 を払 って 一 族 の 問題 か らいっ さい遠 ざけて きた ソンラの 理 事 官 と連 絡 を とろうとす るもので あ るだ け に、 す ぐさまデ オヴ ァンチ の最 後 の 意 志 とい うよ りも、 カムラー と通 訳 の カン の陰 謀 めい た も の が あ ることに気 づ いた。 彼 らは クワンダオ の長 男 は不 安 定 な健 康 状 態 にあ り、 彼 らの 野 心 的 な陰 謀 に抵 抗 す ることは

で きな いだ ろうと考 えて いたの だ 。

ラ イチ ャウにおける代表 部の創設

  私 は まず 彼 らが 想 像 す るようない か な る権 限 も帯 びて お らず い か な る決 定 も、 い か な る問 題 の解 決 もな しえない こ と、 私 の 任 務 は単 にこの 地 域 の 政 治 ・経 済 状 況 を調 査 し、

統 治 者 や 住 民 の 希 望 を記 録 しそれ を理 事 長 官 に伝 え、 同 長 官 が 有 益 と判 断 す る施 策 を とれ るようにす るだ け で あ る。

したが って、 私 は、 自分 が あな たが た に そうそうす るように、

率 直 にすべ て を語 って ほ しい 、 それ が あなた が た に とって実 際 の利 益 とな るの だか ら、 と告 げ た。

  さ らに もう一 点 、 彼 らにこれ 以 上 以 下 の ことを知 らしめな い ままに して お きた くはなか った 。 ヴ ァン ・ブ を通 過 す る際 、 ライチ ャウ を行 政 上 のセ ンタ ー に昇 格 させ る理 事 長 官 の 政 令 を受 け取 ってお り、 この 決 定 を遂 行 す るにあた り、 フラン ス人 の官 吏 が まもな くや って きて この代 表 部 を管 掌 す ること を付 け加 えた。

  行 政 当局 が このような方 法 をとったの は 、 我 々の側 に対 す るデ オ氏 一 族 の 忠 誠 心 に疑 念 が 生 じたた めで は決 して な く、

その ね らい は以 下 の とお りで あ ると告 げた 。

  デ オヴ ァンチ の 一 族 は中 国 で 起 こって い る革 命 運 動 の 渦 中 にあ り、 武 器 ・弾 薬 を確 保 す るた めに革 命 の主 導 者 となっ てい る者 が い る。何 度 も中国 政 府 は フランス政 府 に対 し、我 々 イン ドシナ の植 民 地 が トンキン 国 境 地 帯 で 武 器 の 密 輸 に便 宜 を与 えてい るようだ と通 告 してきた。 国 境 地 帯 の 中 国 人 官 員 は主 要 な武 器 輸 送 ル ー トとして、 ハ ロン湾 のモ ンカイ、 鉄 道 を利 用 した ラオ カイ、 黒 河 を利 用 した ライチ ャウ を通 告 し て きた 。

  こうした はっき りした 通 告 を受 け、 中 国 と友 好 関 係 を維 持 す る見 地 か ら、 清 朝 政 府 に対 し、 国 境 地 帯 に ヨー ロッパ 人 の官 吏 を配 置 し、 不 断 に現 地 人 首 長 に対 す る監 視 を行 って お り、清 朝 官 員 の 主 張 には根 拠 が ない 旨、返 答 した。 これ が 、 ライチ ャウに行 政 上 のセ ンター を創 設 す る主 要 なね らいで あ る。

  もはや 彼 らに関 税 総 局 が 黒 河 をつ うじて トンキ ンで もア ン ナ ン北 部 で も大 規 模 なアヘ ンの 密 輸 が 行 われ 、 財 政 に大 き な損 害 を もた らして い ることの確 証 を得 て い ることを隠 す 必 要 は ない。 クワンダオが 生 きて い る間 、 我 々 は彼 を動 揺 させ ることな くか つ その 悪 事 を増 長 させ な い よう彼 の 自由 にまか せ て きた。 しか し、 今 や 政 府 は もはや こうした状 況 を維 持 し 財 政 に損 害 を与 えるの を許 す 理 由 は ない 。 か くして この非 合 法 アヘ ンの輸 入 に向 けたあ らゆ る手 段 が 禁 止 され る決 定 が くだ され た。 そもそ も私 は 関 税 総 局 が アヘ ンの 消 費 にか ん し て住 民 を苦 しめ るば か りか 、 大 規 模 な 密 輸 を抑 制 す るため に厳 格 な 手 段 を講 ず るで あ ろうとは 思 ってい なか った 。 これ が 、 ライチ ャウに ヨー ロッパ 人 宮 吏 を置 こうとした 理 由 の一

ミ リベ ル 「ラ イ チ ャ ウ視 察 鞍 皆 書 」(1908年)123

(5)

つ で あった。

  第 三 に、 行 政 当局 はチ ョボ ・スイユ ット ・サムヌアを通 っ て トンキン とル アンパ バ ー ンを結 ぶ 道 路 を建 設 しようとしてい るが 、 高 地 ラオス の 商 業 上 の 通 過 貨 物 の 大 部 分 は この新 たな道 路 によって 黒 河 を施 棄 す ることにな るだ ろう。 しか し、

黒 河 高 地 地 帯 の 人 々の 生 活 を貧 しくさせ た くない の で、 理 事 長 官 はライチャウに代 表 部 を設 け る決 定 を下 したが 、 この 代 表 部 は地 域 の 住 民 と直 接 関 係 を持 ちつ つ 、 商 業 取 引 を増 大 させ る見 地 か ら、 この 地 域 を雲 南 、 ラオス北 部 まで 結 び つ け る商 業 道 路 の 建 設 を検 討 す ることに なろう。 こうして サ ムヌァ を経 由 した トンキ ンか らラオ スに 向 けてのル ー トが もた

らす輸 送 の減 少 も補 われ るだ ろう。

  デ オ ヴァンチ の長 男デ オ ヴ ァンカンは 発 言 の な かで、 父 も 一 族 のメンバ ー も武 器 や アヘ ンの密 輸 に手 を染 め た ことはな く、 それ らの 輸 送 に便 宜 を供 与 した ことも、 それ らの輸 送 団 が ライチ ャウを通 った こともな い、 と強 く主 張 した。 彼 は一 族 と自分 自身 が っ ね に我 々の側 に忠 実 で あ り、 父 が そうして き た ように与 えられ る命 令 や 指 示 を遂 行 す ることを約 束 し、 し た が って ライチ ャウに保 護 領 に大 きな財 政 負 担 を もた らす こ とにな る代 表 部 を設 置 す ることは あ まり役 に立 た ない ように 思 われ ると述 べ た。

  私 は彼 に、 所 見 は根 拠 を欠 いてお り、 当局 の 方 針 は これ まで の 事 実 に基 づ い た もの で あるゆ え、 理 事 長 官 は 決 定 を 覆 す ことはな いだ ろう、 と答 えた 。 ソン ラ理 事 官 に直 属 す る 代 表 部 を創 設 す ることが 彼 らに最 も不 快 な印 象 を与 えた こと は容 易 に見 て取 れ た 。 さらにつ け加 えれ ば、 ライチ ャウに到 着 す るまで の 私 の 観 察 によれ ば 、 ライチ ャウの 問題 を解 決 す るには ほ ど遠 いや り方 で は 、 ソンラ理 事 官 とクワ ンダオ の 一 族 との 緊 張 を増 大 させ ることにな ると確 信 した。

  デオ ヴァンチの 一 族 は自らの くび きを脱 した黒 タイ族 に対 し て 、 表 には 出 さない が 明 確 な反 感 を抱 い てい る。 私 の 前 で 彼 らは 黒 タイ族 が 偽 善 的 な親 切 か つ 従 順 な態 度 によ りソ ン

ラ理 事 官 の 寵 愛 を独 占 してい ると非 難 した。 それ ゆ え、 黒 タ イ族 が 白 タイ族 に対 して 同情 をい だ くことは ほ とん どな く、 っ ね にモ ンペ イラ氏 に彼 らに対 す る誹 諦 中傷 を語 るの で ある。

その結 果 、 この 行 政 官 は黒 タイ族 を優 遇 し、 ライチ ャウの ク ワンダ オを嫌 い、 黒 河 流 域 で行 われ るすべ ての とが め られ る べ き行 為 を非 難 す るので あ る、 と。

  この 主 張 は完 全 に誤 った もので あ り、 その くび きを脱 した 黒 タイ族 に対 す るクワンダオ の一 族 側 の敵 意 を指 摘 しな いわ け にはい か ない。

  私 は こう付 け加 えた。 白タイ族 が 黒 タイに対 し不 信 の 念 を 抱 き、 いわれ るような ソンラ理 事 官 による後 者 へ の優 遇 が あ るとす ると、 理 事 長 官 に対 し、 ライチ ャウに行 政 セ ンター を 創 設 す るだ けで な く、 独 立 した行 政 区 を設 立 す るよう進 言 す ることにな ろう。 そ こで は首 長 が 白タイ族 の住 む地 域 の 行 政 を担 うが 、 高 度 な権 限 は与 えられ な い。 ライチ ャウの クワン

124中 国の 「国境文化」の人類学的砺究

ダ オ 支 配 区 はもはや 行 政 セ ンター で はな く、 理 事 官 の 監 督 の もとで 自民 族 出 身 の 首 長 による行 政 ・裁 判 が 行 わ れ る臼

タイ族 の実 質 的 な省 となるで あろう。

  この 方 法 を提 案 す る前 に、 私 は真 摯 な意 見 を出 して くれ る よう依 頼 した。

  全 員 が 一 致 して、 厚 意 あ る私 の 提 案 に謝 意 を示 した。 彼 らは私 の提 案 の な か に、 政 府 が 彼 ら一 族 及 び 白タイ族 に確 か に大 きな利 益 を もたらす ことを見 て取 るだ ろう。

デオ ヴァンチー族の 実際の状況

  私 は彼 らとともに彼 ら一 族 の 状 況 を検 討 した 。 私 は、 ライ チ ャウ地 域 を領 有 した際 に、 クワンダオ の一 族 は今 日ほど多 くはな か った ことを指 摘 した。 この一 族 が それ ぞれ の 支 派 に お いて た えず 増 大 してお り、 彼 らの 給 与 の 支 払 い が 軽 減 さ れ た としても、 すべての メンバ ー は多 かれ 少 なか れ 地 域 の負 担 とな って い る。 ライチ ャウは資 源 の 限 られ た貧 しい 地 域 で あ り、 その 中心 にグル ー プ として まとまってい ることは彼 ら一 族 に とって も貧 窮 化 をまね く要 因 で あ り、 支 出 を削 減 す るこ とに 同意 しな けれ ば 、 疲 弊 した住 民 はっ い に は反 乱 を起 こ す だ ろう。

  それ ゆ え、 彼 らの 利 益 を考 慮 した うえで、 別 な地 点 に農 地 な い し商 業 地 を分 割 ・創 設 す る必 要 が あ るように思 われ る。 それ によって 彼 らはそれ ぞれ の社 会 階 層 に見 合 った財 産 を保 持 した まま各 家 族 の 生 活 を維 持 す ることが で きるだ ろ う。

バ ヴィ租界 地問題 に関する デオ ヴァンチー 族の意 図

  私 はバ ヴィ租 界 地 の件 につ いて言 及 したが 、 クワンダ オ も 私 が 彼 らに示 した状 況 を気 に し、 保 護 領 政 府 か らこの 租 界 地 を手 に入 れ 、 一 族 の一 部 を そこに入 植 させ、 ライチ ャウ 地 域 の不 十 分 な食 糧 を補 うため の農 業 開 発 を行 お うとした。

私 は彼 らに行 政 当 局 が 好 意 的 に見 てお り、 協 力 を求 め よう としてい るこのプ ロジェクトや 問 題 を実 現 す る意 図が あるか ど うか 、 尋 ね た 。

  彼 らの 答 えは ちん ぷん か んぷ んな ものだ った。

  彼 らが い うには、 一 族 は当局 が 土 地 を寄 贈 してくれ た こと に変 わ らぬ 感 謝 の念 を抱 いてお り、 また、 デオ ヴ ァンチ は フ ランス に二 人 の 息 子 を送 りまだ そこで 学 んで い るが 、 彼 は こ の 土 地 を開 発 しこの 租 借 地 か ら利 益 を得 ようとして いた 、 と い う。

デオ ヴァンチの一族 は現 在の体制 を 維持 して もら うことを望 んでい る

ここで ライチ ャウ に来 てか ら強 く感 じた ことを記 してお かね

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ば な らな い 。 突 然 ライチ ャウの 中 心 部 に現 れ る黒 河 の湾 曲 部 を まわ ると、 最 終 的 な 建 物 の 性 格 を なす 煉 瓦 造 りの クワ

ンダ オの 家 々が 現 れ る。 そこか らはっ きりとクワンダオや その 子 孫 たち に ライチ ャウを搬 棄 す る意 図 が まった くな い と感 じ た。 ヴァクル の報 告 を読 んで 、 確 信 した ことだ が 、 この 官 僚 との 古 い 友 好 関 係 の ため に、 クワンダオ はデル タに下 るとい うプ ロジェクトに賛 同 して い るふ りを見 せ た だ けで あ り、 彼 の 意 図 は彼 の 供 述 とはまった く一 致 してい な い。 お そらく、 彼 の 兄 弟 たち の 陰 謀 に邪 魔 され 、 彼 は今 、 このや り方 を棄 て た のだ 。 彼 は彼 らの抵 抗 を受 けね ばな らず 、 この プロジェク トを実 行 す るだ けの エネル ギ ー も力 も持 た なか った 。   デ オ ヴ ァンチ ー 族 の メンバ ー や それ に付 随 す る地 域 の 当

局 者 との会 話 か ら、 亡 くなった クワンダ オの 息 子 や 兄 弟 の 意 図が 以 下 の ようなもので あることが 明 らか にな った。

  1°いか な る資 格 で あれ 、フランス当局 の代 表 部 が ライチ ャ ウに設 立 され ることは避 け る。

  2° 自らの 利 益 とな るように地 域 を治 め るた め にライチ ャウ に集 団 として とどまる。

  3G継 続 して 旧体 制 を維 持 し、 か っ、 クワンダ オが 肉体 的 道 徳 的 に衰 えのた め に義 務 を果 たせ な くなってい るに もか か わ らず すべ ての補 助 金 を受 領 してい る。

我 々の実際の政 策は ど うあ るべきか?

  これ らの 条 件 の もと、 デ オ ヴァンチは亡 くな ったが 、 今 の 時 点で 、 武 力 を用 い ることな しにこの 一 族 のメンバ ー を一 掃 す るこ とは不 可 能 で あ ろう。 その うえ、 それ は 私 には よ くな い 政 策 と思 える。 現 在 まで 我 々の 恩 知 らず のや か らに対 す る 直 接 的 影 響 力 か ら距 離 を置 こうとしてい る人 々 に目を 向 け る ことにな ろう。 この 恩 知 らず の 主 立 っ た行 動 ときた ら、 我 々 に忠 誠 を誓 った 首 長 の親 族 のた め に働 くことを理 解 しようと せ ず、 か えってだ め にす ることな のだ 。

  我 々 に はた った 一 っ の解 決 策 しか 残 され てい な い。 た だ ち に過 去 を廃 す ることはで きない か らだ 。 すな わ ち、 死 去 し た クワンダオ の 兄 弟 た ちの地 域 にあ る有 害 な政 権 を利 用 しつ っ 、 徐 々 にそれ を我 々の もの に変 えてい くことであ る。

ライ チ ャウ省 の創設 に有利 になる ように      彊界 を確 定す る理 由

  この 目的 を達 成 す るた め に、 今 か ら、 独 立 した 行 政 区 を 創 設 す る必 要 が あ ると考 える。 そ こで は首 長 はた ゆみ な くし か も性 急 にな ることな くこの 一 族 に対 しで1亘常 的 な監 視 が 行 われ る。 首 長 は住 民 をよく知 り、 住 民 の 希 望 に満 足 を与 え、

かつ 我 々の側 に惹 きつ け るため に頻 繁 にその 地 域 の さまざ ま な村 を訪 れ ることが 必 要 であ る。

  黒 タイで成 功 した この政 策 は同 じように 白タイ族 で もうまく い くで あろう。 私 は 白タイ族 とな らば よ り速 や か にその 成 果 が 生 まれ ることを期 待 す る。 性 格 や 気 質 の面 で彼 らは中 国 人 により近 く、黒 河 右 岸 の 同 じ種 族(黒 タイ族 を指 す 〜 訳 者) よりもエネル ギ ッシュか つ 積 極 的で あ るか らで あ る。

  私 が まず 抱 い た こうした 印 象 は、 ボ ス ク氏 に よって も同 じ ように確 認 され てい る。

  こうした理 由か ら、 私 は、 行 政 セ ンター を設 置 す るだ けで は実 際 の 政 治 的 困 難 に対 処 す るには不 十 分 で あ り、 すみ や か に独 立 した省 を創 設 す る必 要 が あると確 信 した。

  純 粋 に行 政 的 観 点 か らみて も、 こうした解 決 をめ ざす 理 由 はや む を得 な いもので あ るとい える。 以 下 にその主 要 な理 由 を掲 げ る。

代 表部設 置の 問題 点

  行 政 セ ンタ ー の長 として 権 限 を行 使 す るには不 十 分 な 官 位 しか もた ない 官 員 を置 くことしかで きない。 古 い 慣 習 に従 え ばデ オヴ ァンチの一 族 は常 に賛 成 す るが 、 そうで ない場 合 はあ らゆる事 案 に 消 極 的 な抵 抗 を試 み るだ ろう。 市 場 が 閉 鎖 されて しまえ ば代 表 は地 域 で食 糧 の 供 給 も受 けることはで きな い し、 遅 か れ はや か れ す っか り意 気 消 沈 す るか 激 昂 せ ざるをえな くな る。 この 目的 が達 成 され ると、 一 族 全 体 で そ の 配 置 転 換 を促 す ため に代 表 を訴 えることもするだろう。

  司法 的 な見 地 か らすれ ば 、 状 況 は さらに よくな い もの とな る。

  もし一 族 な い しその 支 持 者 に権 力 の濫 用 が あ った場 合 、 なん ら個 人 的 な権 限 を持 た ない代 表 は省 長 に事 案 を送 るこ とに な る。 その 時 どうな るだ ろうか?  追 求 す るため に理 事 官 は不 正 を働 いた者 をソンラで裁 きを受 け させ るた め にそこ に送 る必 要 が あ るが 、 現 地 人 行 政 官 が 判 断 を下 す にあたっ て代 表 の送 った 書 類 が あるだ けで ある。 裁 判 官 の 前 で 被 疑 者 は急 いで 起 訴 事 実 の 理 由 を認 め る。 理 事 官 ない し現 地 人 行 政 官 は証 人 を召 喚 す るか その場 で 彼 らを取 り調 べ るか の 二 者 択 一 にな る。 しか も理 事 官 ・現 地 人 行 政 官 ともに、15 日以 内の 配 置 転 換 とな るので あ る。 この ことは実 際 に一 度 起 こった ことが あ るが 、永 続 的 な規 則 とは認 め られて はいな い。

  ソンラで は、裁 判 所 は黒 タイ族 に属 す る官 員か ら構 成 され て い る。 すで に述 べ た ように、 デオ ヴ ァンチの 一 族 全 員 が 白 タイ族 へ の 敵 意 をあらわ に してい る。

  ソンラの官 員 に よる判 決 はライチ ャウの 人 々 にとり不 公 平 で あ ると受 けとめ られ てい る。

  証 人 の召 喚 は村 を出 て か ら裁 判 所 に入 るまで 、す で に述 べ たように極 めて 時 間 も費 用 もか か る。 このような条 件 の も とで、 ソンラへ の旅 行 を避 け るた め に、 証 人 となることを求

ミリベル 「ライチャウ視察報 告馨 」(1908年)125

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め られ た者 は 皆 な ライチ ャウの 代 表 に何 も見 聞 して いな い と 急 いで 述 べ るので あ る。 それ ゆ え告 発 す る側 は告 発 内 容 を 証 言 す る証 人 が いな いの を見 て、 被 疑 者 の側 の報 復 の対 象 とな ることを恐 れ つ い には 自 ら放 棄 して しまう。 その 結 果 証 拠 もな しに被 疑 者 は無 罪 放 免 となる。 この ように、 裁 判 官 は 越 えが た い 困 難 に直 面 し、 む な しさを覚 えるので あ る。 じっ さい ライチ ャウを支 配 す る裁 判 制 度 にお いて は実 際 いか な る 責 任 も課 せ られず、 〔デオ 氏 一 族 に とって は〕 お 望 み の体 制

となってい るので あ る。

  今 、 クワンダオに よって創 設 され た行 政 組 織 を検 討 す るな らば、 情 報 にもとづ き、 以 下 のような状 況 を確 認 す ることが で きるので あ る。

課税

  白タイ族 は一 般 的 に現 金 で 地 代 を支 払 うことはな い。 しか し彼 らは クワンダ オ に対 して 以 下 の 負 担 を負 う。 す な わち米 及 びタバ コ ・棉 花 ・ラミー ・スティックラック等 の 生 産 物 の 三 分 の 一 を納 め 、 月及 び 季 節 毎 に10斤 の アル コー ル を贈 与 す る。

  ライチ ャウを通 過 す る商 晶 に対 して、 クワンダ オ は その 半 額 を徴 収 す る。 さらに ライチ ャウにお いて は、 中 国 か ら輸 入 され るアヘ ンに対 し10%、 水 牛 一 頭 にっ き α7ピ アス トル、

ニ ワ トリー 羽 につ き0.2ピ アス トル 等 々を徴 収 す る税 関 が 存 在 す る。

  クワンダオ は 同 じように管 轄 区 に賭 博 場 を開 設 した。 この 賭 場 は主 として一 族 のメンバ ー に対 して半 年 間 ご とに順 番 に 開催 され る。 賭 博 場 の貸 し手 は1ピ アス トル につ き500サ チ ー ム を手 当 として徴 収 す る。 現 在 、 利 ざや を とって い るの はデ オ ヴ ァンチの 弟 のカ ムラー で あ る。 デ オ ヴ ァンチ の服 喪 中 もライチャウにおいて は特 権 を活 用 す ることが 妨 げ られ るこ とはな か った。

径役

  健 常 な男 子 を抱 える白タイ族 の 家 族 は、 商 業 上 の 目的 で あれ 行 政 上 の移 動 の 目的 で あれ 、 ライチャウか らハ ノイまで、

さらにライチ ャウか らチ ョボ まで、 各3回 分 の カヌーの こぎ手 を提 供 しな けれ ば な らない。

  カ ヌー は船 頭 とともに挑 発 され る。 各 乗 組 員 に は ライチ ャ ウか らチ ョボ まで の 場 合 一 回 の 旅 程 にっ き3ピ ア ス トル 、 ラ イチ ャウか らハ ノイまで の場 合 、7ピ アス トルが 支 払 われ る。

  クワンダオ が 住 民 向 け に購 入 す る商 品 に対 して は、 現 金 で 支 払 わ れず 主 として タバ コや 塩 な どの現 物 に よる。 クワ

ンダオ の厳 格 な専 売 の対 象 となってい るタバ コ ・塩 には、 増 水 時 で最 高1ピ クル62キRに つ き12ピ ァス トル 支 払 わ れ 、

6ピ アス トル 以下 に下 が ることはない 。

壌26申 圏の 「国境文化」の人類学 的砺究

  さ らに、 地 域 で 織 られ る綿 布 ・絹 布 に対 して 課 せ られ る 貢 租 が あ るが 、その負 担 は家 族 の成 員 の必 要 に応 じて 異 なっ て い る。

  メオ 族 は一 家 族 あた り4ピ ァス トル を支 払 う。 さらに クワン ダオ はすべ ての 生 産 物 及 び アヘ ンの 三 分 の 一 を現 物 で 徴 収 す る。

  カー ない しシ ャー 人 は 家 族 ご とに2ピ ァス トル を貢 納 し、

ライチ ャウの クワンダ オの 住 民 ない しその 一 族 、 デ オ ヴ ァン チが 直 接 支 配 して いる村 々の 首 長 で あ るフィアーの 家 屋 の建 設 ・補 修 に必 要 な木 材 ・竹 ・藤 を提 供 す る義務 が あ る。

  もし我 々が あ まりに封 建 的 な この 体 制 を終 焉 に導 こうとす るな らば 、 省 長 の 権 力 のみ が 唯 一 この 目的 を達 成 す ることを 可 能 にす ることは明 らかで ある。

  これ らの負 担 は 明 らか に加 重 で あ り、 住 民 が 今 日まで何 とか 耐 えられ た の は、 クワンダ オが 家 族 の メンバ ー を厳 格 に 統 制 し、 理 由 なしに決 め られ た挑 発 額 を超 過 す ることを防 い で きた か らで ある。

  彼 の体 力 が 衰 えて以 来 、 それ と同時 に権 力 の 濫 用 が 為 さ れ るようにな ったが 、 クワンダオの 死 去 した今 、 彼 の兄 弟 や 親 族 は、 我 々が 干 渉 しな けれ ば 、 か つ て ない ほ どこの地 域 か ら定 期 的 に不 当 な利 益 を しぼ りとろうとし、 一 人 の省 長 の 権 威 で さえ彼 らの 欲 望 の 爆 発 を押 さえるには 不 十 分 で あ ろ

う。

  さ らに もう一 つ 忘 れ て な らな い ファクター が あ る。 それ は ライチ ャウの あま りに厳 しい 風 土 だ。 最 も近 い 市 場 か ら五 日 も離 れ 、 まだ 接 触 した こともな い現 地 人 の なか に身 を置 き、

食 糧 も通 信 も極 めて 困 難 な地 に住 む ことに な る官 員 は、 肉 体 的 にも精 神 的 にも不 健 康 な気 候 の影 響 に抵 抗 で きな いだ

ろう。

  それ ゆ え私 は以 下 の 人 員 を含 む 省 を創 設 すべ きで あ ると の 見 解 持 つ もの であ る。

草 創 期 の 省 組 織:ヨ ー ロ ッパ 人 の 配 置

行 政官一名〜理 事官 副 官としての文官一名 警備 隊長

  す べ ての 軍 事 業 務 が 長 引 くことを タイ族 が 恐 れて い ること か ら見 て、 現 地 人 警 備 隊 を創 設 す ることは よくない ように思 わ れ る。 無 駄 な支 出で あ り、 かつ 評 判 のよくない制 度 なるで あろう。

  現 在 存 在 す る補 助 兵 制 度 を有 効 に活 用 した ほ うが よいで あろ う。 彼 らを グル ー プ に登 録 し、 一 定 期 間 な い しは短 期 の軍 務 に交 替 で就 かせ ることが で きよう。

  警 備 隊 長 は彼 らに射 撃 及 び 武 器 の 操 作 につ いて訓 練 を施 し、 軍 務 及 び各 班 訓 練 を理 解 させ る。 それ で大 部 分 十 分 な

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軍 事 指 導 とな るで あ ろう。 約50名 の 警 備 隊 を、 省 の 首 府 と二 つ の 州 のそれ ぞれ に15箇 所 配 置 す れ ば、 治 安 を確 保 し軍 務 の 必 要 を 満 た す ことが で きる。 兵 舎 として、 しっ か り した 床 ・荒 壁 土 を用 い た壁 ・西 欧 風 家 具 ・莫 藍 の 備 わ っ た ピロティのあ る家 屋 を建 設 すれ ばよい。 この 設 備 は最 初 の み 必 要 で あ る。 理 事 官 は 地 域 の 事 情 を知 り実 際 の 政 治 状 況 にあ わせ 、 あま り両 側 が 迫 って お らず 結 果 として ライチ ャ ウよ りも健 康 に良 い 場 所 を選 び 、 そ こに最 終 的 な省 都 を創 設 す ることが で きるか らで あ る。

  この 省 は当 面 クワンダ オ 支 配 地 区、 す なわ ちライチ ャウ ・ クウィンニ ャイ2州 及 び ル エ ンチ ャウの 郡 区 にだ け設 立 され ることになろう。

  その後 で、 デ ィエ ンビエ ン ・トゥア ンザ オの2州 を編 入 し、

今 日もそ うで あ るように、 代 表 の管 轄 下 におけ ぼ よい。

  なお ライチ ャウか らか な り離 れ 、 か つ ソンラ州 地 区の 北 部 にくい 込 み 、 デ オ ヴァンチ の直 接 支 配 下 に置 か れて きたゴク ティエ ン社 の 問 題 が 未 解 決 で あ るが 、 ソンラ州 に編 入 され る べ きで ある。

現 地人の 問題

  新 た にで きる省 の 現 地 人 行 政 機 構 は 以 下 のように組 織 さ れ るべ きで ある。

  デ オ ヴ ァンチ の長 男 デ オ ヴァンカン は地 域 の 慣 習 に従 い、

父 親 に代 わ って ライチ ャウの クワンダオ としての 地 位 を世 襲 す る。 私 には頗 る健 康 状 態 が よくな さそうに見 え るこの官 員 の 寿 命 は あま り長 くな い ようだ 。 将 来 クワ ンダオ の地 位 を維 持 した くな くなった 時 は彼 の死 を待 って この 役 職 を廃 止 すれ ば よい。 他 方 、 先 に述 べ たカ ムラー と通 訳 の カ ンの企 て た 陰 謀 は、 まだ デ オ ヴ ァンカンに 自分 の 叔 父 た ちに対 して何 らか の 決 断 を下 す に は至 って いな い はず だ 。 それ ゆ え、 新 省 長 に よって 適 切 に処 理 され 、 彼 らを正 しい道 に導 くの を助 けて くれ るもの と期 待 され る。

  クワンダオ 以 外 に 、ライチ ャウ知 州 には五 ヶ月前 に亡 くな っ た 前 知 州 の 息 子 の デ オ ヴァンデー(タ オ デ ー)を 任 命 した 方 が よい。 この 任 命 も現 地 の慣 習 に合 致 し、 同様 に人 々の 歓 迎 を受 け るだ ろう。 また 、 タオデ ー は我 々の側 か ら見 て も 頗 る有 用 で あ る。 ライチ ャウの 現 在 の 里 長 で もあるデ オヴ ァ ンクイ とともに、 省 を設 立 す る際 に、 理 事 官 は最 初 に彼 ら二 人 の 官 員 に頼 ることにな るで あろうか ら。 もとの クワンダオの 一 族 に あま りに近 い とはい え、 タオデ ー とカム クイは、 我 々 か ら見 て も他 のデ オ ヴァンチの 一 族 に比 べ 、 す ぐれ た 知 性 を 持 った 活 発 な人 物 であ り、 臆 す ることな く彼 らの 要 求 を何 度 も退 け民 衆 の利 益 を守 ろうとした。

  現 在 の クウィンニ ャイ州 の 知 州 は、 私 の 印 象 で は、 監 視 を行 う必 要 が ある人 物 で あ る。 彼 はカムラー の党 に服 従 して い るか らで あ る。 しか しなが ら、彼 は しっか りした 人物 であ り、

地 位 を失 うような ことは しな い だ ろう。 旧 体 制 に代 わ る新 た な状 況 を 目にす れ ば 、 我 々の側 にっ くはず だ 。ル アン ・チャ

サ チュオン

ウの 社 長 につ いて いえば 、 何 らか の 武 力 を用 いることで 理 事 官 当局 の 側 につ くだ ろう。 この社 の住 民 や 隣 接 す るディエ ン ビエ ンフー の 黒 タイ族 は 、 自らに重 くの しか か る負 担 に違 い が 生 まれ る ことの 説 明 を 受 けてお り、 また、 彼 らに ライチャ ウの監 督 を受 けることを求 め るにす ぎな いか らで ある。

  まず 新 理 事 官 は注 意 深 く通 訳 の カムカ ンを監 視 す る必 要 が あ る。 彼 はデ オ ヴァンチ 事 件 の 中 心 人 物 で あ り、 現 在 、 カムラー の 党 に属 してい るようで あ る。 一 族 の他 のメ ンバ ー が 彼 と連 絡 をとりあえるような 隔 離 で あることを報 告 され な け れ ば 、 彼 をライチ ャウか ら切 り離 した 方 が よい とい うの が 私 の 意 見 で あ った。 もし理 事 官 が 彼 の行 動 にいか が わ しい点 が あ ることに気 づ い たときは、 彼 を無 理 矢 理 ラオ スの警 備 隊 の ポス トにで もあて ここか ら離 れ させ るしかな い。

  もとの クワンダオが この 問 題 に対 してこれ っ ぽっちも公 に し なか った た め、 課 税 と夫 役 の 観 点 か ら新 た な省 の 収 入 に対 して 何 らか の評 価 を行 うことは資 料 的 に不 可 能 で ある。 ソン ラの 主 計 局 に は606ピ ァス トル しか 支 払 われず しか も実 際 それ は我 々に対 す る服 属 の あか しとしての 貢 納 にすぎ ない 。   ライチ ャウの クワンダオ 支 配 区 に対 して 以 上 に提 案 した組 織 によっての み、 すみ や か に完 全 な成 果 をもた らし、 この地 域 の住 民 に重 くの しか か る不 正 を 消 滅 させ 、 彼 らを我 々の

側 に惹 きつ けることが で きるので あ る。

     デオ ヴァンチの一族 が

ライチ ャウの地域 に有す る諸権 利の性格

  私 はデ オ ヴァンチ の一 族 の すべての メンバ ー に彼 らが 占有 す る土 地 に対 して 持 つ 世 襲 的 な権 利 につ いて尋 ね た。 さら に、 彼 らに水 田 な い しは他 の 作 物 栽 培 地 の所 有 者 で あ るか どうか 質 問 した。 彼 らは きっぱ りとこう述 べ た。 固 有 財 産 と して は、 建 物 の敷 地 と一 族 の 墓 地 とに供 せ られ るライチ ャウ の村 の 土 地 を所 有 す るだ けで あ り、 彼 らは作 物 栽 培 地 も水 田 も持 た な い。 クワンダオ 支 配 区 の土 地 は各 村 々に帰 属 し、

使 用 にあたって それ らはすべ ての タイ族 地 区 にお け る慣 習 法 上 の 規 則 と土 地 の帰 属 す る共 同体 の 形 式 に委 ね られ てい る。

これ らの 土 地 の 一 部 はその用 益 権 が 世 襲 首 長 ない し村 長 に 認 め られ 、 彼 らの た め に住 民 によって耕 作 され て い る。 彼

らは役 職 を失 うと、 これ らの 土 地 は共 同体 に返 還 され るか 、 彼 らの後 継 者 に割 り当 てられ る。 しか し、 官 員は おろか他 の 住 民 たち も土 地 の一 小 片 た りとも売 却 し権 利 を譲 渡 す ること

はで きな いので あ る。

パ ヴィ との通信 に関す るデオ ヴァンチー族の 主張

続 いてデ オ ヴ ァンチ ー 族 の メンバ ー にパ ヴィか らクワンダ

ミ リベ ル 「ラ イチ ャ ウ視 察報A  J(19◎8年   127

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オ宛 に出 され た書 簡 な い しはクワンダオ か らパ ヴィ宛 に 出 さ れ た書 簡 、 さらにソンラや ライチ ャウの 郵 便 局 で 差 し押 さえ られ た書 簡 につ いての情 報 を提 供 して もらえ るか どうか 尋 ね た。

  デオ ヴ ァンカン とクワンダオ の叔 父 た ちは皆 な公 式 に、 パ ヴィな い しクワ ンダ オの 息 子 たちが 彼 らに送 った すべ ての 書 簡 を受 けとってい ると思 うと述 べ た。 私 は何 度 もこの主 張 を 繰 り返 させ たが 、 彼 らはつ ね にそれ を確 認 し、 故 クワンダ オ の 手 紙 が な くな って いることにつ いて は聞 いた ことが ない と付 け加 えた。 私 は この 問 題 につ いて通 訳 の カンを訊 問 して ほ し い とボ ス ク氏 に頼 ん だ 。 カ ンが 答 え るに は、 デ オ ヴ ァンチ は パ ヴィの 手 紙 を受 け 取 っ た ことが あ るとい う。 パ ヴィは それ 以 前 に もライチ ャウ に書 簡 を送 って い た ことを その な かで ほ の め か してい るが 、 クワ ンダオ は返 事 を出 さなか った。 カム カンは彼 の 叔 父 は 手 紙 を受 け取 った ことはな い と明 言 した。

書 留 につ いて は、ハ ノイの 郵 便 ・電 報 局 がパ リか らのデ オヴ ァ ンチ宛 の書 簡 が すべ て送 り手 と受 け手 の側 に送 り返 され た こ とを明 らか に してい る。 しか し、 通 常 の書 簡 につ いて は、 郵 便 局 に 手 紙 の 痕 跡 が 残 され ない ため、 これ 以 上 調 査 す るこ とは不 可 能 で あ る。 さらに、 デオ ヴ ァンチ の秘 書 をつ とめて い た通 訳 の カ ンは、 情 報 提 供 者 として 最 適 の 人 物 で はあ る が 、 よ り深 い調 査 が 可 能 とな るような情 報 をい っさい提 供 し なか った。

  ほか に、 彼 らとの会 話 の な かで 、 問題 の 書 簡 が ソンラ理 事 官 な い しライチ ャウ郵 便 局 長 によって 差 し押 さえられ た こと を、 クワンダ オの兄 弟 ・息 子 たちな い し通 訳 が 、 瞬 時 た りと も気 づ か なか った ように は思 えなか った ことも付 け加 えて お く。

         村 長 との会 見

クワンダオ ・ライチャウ知州の継承に関する彼らの意見

  デ オ ヴ ァンチー 族 に さまざ まな インタビュー を行 った 後 、 私 は クワンダオ の 直 接 の 管 轄 下 にあ るすべ ての村 落 首 長 を 招 集 した。13名 の うち12名 の 首 長 が ライチ ャウにや って き た 。 私 は彼 らに以 下 の 点 につ き、 個 人 的 に質 問 を行 った。

  1Qヨ ー ロ ッパ 人 官 員 をライチ ャウに配 置 す ることにっ いて どう思 うか?

  全 員一 致 して代 表 の来 訪 はフランス式 行 政 規 則 を 知 らな い住 民 を怖 が らせ るだ ろう、 と答 えた。 住 民 は規 則 を知 らず 知 らない うちにそれ に違 反 して しまうの で ないか 、 というの で あ る。 住 民 はまた、 同様 に村 の 男子 を徴 用 して警 備 兵 を編 成 し長 期 にわ た り軍 事 教 練 に従 事 させ るので はな いか と疑 っ

てい る。

  私 は こうした反 応 には 驚 か な か った。 高 地 の住 民 は長 期 間 軍 務 につ くことや 運 搬 業務 に従 事 す ることへ の あ らが いが

128中 国の 「国境文化」の人類学的硬究

たい反 感 を公 に してい る。 さらに、 ライチ ャウに代 表 が 置 か れ ると、 デ オ ヴ ァンチ が 政 治 的 な判 断 か ら彼 らに委 ね た権 益 の 一 部 を失 なわ ざ るをえない と釈 明 した。

  2°この5ヶ 月前 に亡 くなったクワンダオ のデオ ヴァンチ とラ イチ ャウ知 州 の 後 継 者 につ いてどの ような意 見 を持 っ か?

  12名 の フィアーの うち8名 が タイ族 の慣 習 的 な権 利 に した が い、 亡 くな った彼 らの父 親 に代 わ り、 デオ ヴァンカンを ク ワンダ オ に、 デ オ ヴ ァンデ ー(タ オデ ー)を ライチ ャウ州 知 州 に任 命 すべ きだ との意 見 で あった 。

  他 の4名 は、 この 問 題 につ いて意 見 を表 明 しなか った。

彼 らは単 に、 デ オ ヴァンチ の一 族 か らクワンダオ と知 州 を選 出す る労 を フランス当 局 に とって も らい たい と答 えた だ けで あった。 付 け加 えるな らば 、 私 は 、 朝 に6名 の フィア ー に尋 ね ることが で きただ けで あったが 、 午 後 面 会 す る予 定 で あっ た他 の6名 は事 前 に招 集 され 、 まだ 決 めか ねて い た4名 が そうしたように、 カムラー か ら公 式 な回 答 をす るよう命 じられ て い た。2名 はカ ムラー が 彼 の指 示 に従 わ な い者 を声 高 に のの しるとい う威 嚇 を受 けていた にもか か わ らず,あ えて その 指 示 に 背 い たの だ った 。 た ぶ ん12名 の村 落 の 首 長 た ちは その ような ことが な けれ ば 、 クワンダオ と知 州 の 継 承 にか ん して 一 致 した回 答 をした ことで あろ う。

  特 に私 は先 に提 起 した 問 題 にライチ ャウの 里 長 で あるカム クイが 答 えた頗 る率 直 かつ 勇 気 あるや り方 に注 意 を促 したい と思 う。 武 器 とアヘ ン の密 輸 にっ いて、 カ ムクイ によれ ぼ、

中 国 か らや って くる密 輸 業 者 をつ うじて なされて い るとい う。

もしこうした不 正 行 為 を抑 止 す るた め にデ オヴ ァンチの 一 族 が 行 政 当 局 の 命 令 に従 わな い な らば 、 通 常 の犯 罪 者 として 追 究 す る、 と述 べ た ところ、 彼 は、 フランスの 命 令 に違 反 し た親 族 が い るの は残 念 だ が 、自分 は義 務 を果 たす、と語 った。

ライチ ャウに代 表 部 が 設 置 され た 後 、 住 民 は必 ず 保 護 政 府 と親 しくな り、 デ オ ヴァンチが 強 制 した補 助 的 な貢 納 や 夫 役 に従 わ な くて もよい のだ 、 と告 げ た。 カムクイは負 担 が 緩 和 され 住 民 は嬉 しく思 うだ ろう、 と述 べ た。 私 が さ らに、 クワ ンダ オ の一 族 が 現 在 、 大 小 合 わせ て百 名 か らな り、 しか も つね に増 大 しっっ あ る。 そのた め、 ライチャウにグル ープ とし て留 まることはで きず 彼 らに とって も一 部 の者 が ライチ ャウ 以 外 の地 に居 を定 め るの は有 益 な はず だ 、 と述 べ ると、 彼 は行 政 当局 が そうした結 果 を出せ るの で あれ ば、 住 民 に とっ て確 か に有 益 であ ろう、 と応 じた 。

  カム クイとタオデ ー は、 繰 り返 すが 、 クワンダオ 支 配 区 の 現 体 制 を変 革 しようと欲 す る我 々の最 もよき補 助 者 で ある。

ライ チャウ〜 デル タ間の交通手段

  ライチャウ〜 トン キンデル タ間 に存 在 す る交 通 手 段 に関 し て、 以 下 の情 報 を得 た。

参照

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