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〈委ねる〉という構えの文化人類学的研究

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Academic year: 2021

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〈委ねる〉という構えの文化人類学的研究

――現代沖縄社会のアクチュアリティの世界から――

村松 彰子

Ⅰ.本論文の目的

本博士論文は、現代沖縄社会において、「ユタ」と呼ばれる宗教的職能者のもとに悩み や苦しみ等の問題を持ちこんで相談する人びと(以下、クライアント)の「災因論」的実 践を主な事例として、そこに見られる関係性のありようを、精神科医の木村敏のいうリア リティとアクチュアリティの区別――すなわち、科学が扱ってきた万人に共有可能な非文 脈依存的・非人称的な現実としてのリアリティと、万人には共有不可能な文脈依存的・人 称的な現実としてのアクチュアリティの区別――を援用しながら、代替可能な属性による 親族関係や社会関係からみたリアリティとしての関係性ではなく、哲学者のネグリとハー トのいう「単独性どうしのコモン=〈共〉」としての関係性(本論文ではこれを〈つなが り〉と呼んでいる)という視点から捉えることを目的としている。

そのような本論文の全体の課題を果たすために、沖縄社会の民間信仰や災因論(特定 の個人に降りかかる災いに対処するための文化的装置)にみられる死者を含めた人びとの

〈つながり〉のなかの宗教的実践を、単独性同士のあいだにつくり出される〈コモン=

共〉の場における、コントロール不可能なものを不可能なまま受容する実践として捉え る。すなわち、宗教的職能者のもとでの祈願という治療過程において見られるのは、死者 を含めた周囲の存在との「単独性どうしの〈つながり〉」のなかで問題を解消しようとす る実践である。そこには、災因にまつわる問題をさまざまな人たちとの〈つながり〉に委 ね、〈巻き込まれる〉かたちを含めて、共有しえない問題に対して協同で対処しようとす る〈コモン〉への志向がみられる。

本論文の独自の貢献は、このようなネグリとハートによる単独性どうしの〈つなが り〉としての〈コモン〉という議論に付け加える新たな視点として、単独性どうしの〈コ モン〉をつくり出すためには〈つながり〉に身を〈委ねる〉とも言いうるような「根源的 受動性」が重要な契機となっていることを、災因論的な治癒の場における具体的な単独的 経験としてのアクチュアリティという視点から明らかにしている点にある。

Ⅱ.本論文の構成

本論文の構成は次の通りである。

序論 〈つながり〉・単独性・〈コモン〉:アクチュアリティへの途 第一節 単独性を保持した〈つながり〉

第二節 専門家支配・〈コモン〉・自己決定:〈委ねる〉ということ

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2 第三節 本論文の各章の内容

第一章 アクチュアリティの世界を生きる:当人不在の治癒 第一節 宗教的職能者へのアクセス方法

(1)宗教的職能者のクライアントとはだれか (2)クライアントから宗教的職能者へのアクセス (3)宗教的職能者のクライアント選択

第二節 当人不在の治癒の場:当事者性再考 第三節 〈委ねる〉/〈巻き込まれる〉ということ

第二章 沖縄社会における〈つながり〉とアクチュアリティ

第一節 沖縄のアイデンティティと「沖縄の色」:戦後の紅型から (1)近代以降の紅型

(2)沖縄らしさの象徴へ:1970年代の紅型業界 (3)土産物としての紅型

(4)「沖縄の色」を染めるには (5)沖縄の色合いという語り

第二節 伝承のアクチュアリティと〈つながり〉

第三節 〈マニカタ〉と根源的受動性 (1)「~させられる」という語り (2)〈委ねる〉という根源的受動性

第三章 物語化された死者儀礼:ユタクライアントの「物語り」から 第一節 科学的に説明できない経験の物語り

第二節 死者儀礼「ミーサァ」と「マブイワカシ」の概要と変遷 第三節 口寄せについての物語り

第四節 呪術をめぐる受容と再生産の技法

(1)宗教的職能者のもとへ

(2)物語化されるミーサァと宗教的職能者の評判

(3)「ミーサァ/ミーグソー」の物語りの意味

第四章 苦悩が共振するとき:〈カントリ〉ということ 第一節 共振ということについて

第二節 宗教的職能者としての苦悩:〈感じ取り〉を経験する (1)「チムワサワサ」という共振

(2)「娘の苦しみ」と共振

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第三節 クライアントの苦悩:「当たる」ということ (1)宗教的職能者とクライアントのあいだの共振 (2)宗教的職能者の託宣がなぜ「当たる」と思えるのか 第四節 受苦からひらかれる関係性

(1)〈委ねる〉ことがうまくいかないということ (2)受苦から根源的受動性へ

結論 〈委ねる〉という構えと〈コモン〉

第一節 アクチュアリティの世界:〈委ねる/巻き込まれる〉

第二節 〈コモン〉をつくる「根源的受動性」

Ⅲ.本論文の概要

以下に本論文の内容を要約する。

序論の第一節では、本論文のキーワードのひとつである〈つながり〉について、筆者 が沖縄で調査をはじめたばかりのときに知り合った家で「うちの姉のところのお嫁さんと おなじで静岡の子なんだねえ」と言われたエピソードから、新たな知り合いを静岡県民と いうカテゴリーにではなく、特定の人との単独性を保持した〈つながり〉に位置づけるや り方に注目し、そのような〈つながり〉を、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートによ る、単独性どうしの関係としての〈コモン=共〉として捉えるという視点を導入してい る。第二節では、本論文で扱う災因論的な治癒の実践において、前述の〈コモン〉が、専 門家支配のシステムに対抗する意味があることを述べた後、同じく専門家支配に抗するた めの「自己決定・当事者論」との違いの考察から、この災因論的な治癒の実践は、木村敏 の論じているリアリティとアクチュアリティの区別における「アクチュアリティ」を扱う ものとしている。そのうえで、他者との〈つながり〉に〈委ねる〉という構え(本論文で はこれを「根源的受動性」と呼んでいる)が、単独性を保持した関係性としての〈コモン

=共〉をつくるために重要であるという、本論文全体の視座を導入している。

第一章では、〈委ねる〉という根源的受動性のもつ意味について、宗教的職能者の災因 論的実践に見られる、当事者主義にまったく反するような「当人不在の治癒」の意味の考 察を通して明らかにする。第一節で、宗教的職能者の実践を紹介しながら、主にシャーマ ニズムという視点からなされてきた先行研究であまり取り上げられてこなかった、仲介者 とクライアントの持続的な〈つながり〉が重要な機能を果たしていることを指摘してい る。第二節では、渡辺公三らの災因論的研究を取り上げて、災因論とは、代替不可能で単 独的な出来事を単独性のまま表現する体系と捉えられること、そして、それは木村敏によ るリアリティ/アクチュアリティの区別における「アクチュアリティの世界」を扱うもの であることを述べる。そのうえで、関根康正の〈二者関係〉/〈三者関係〉の区別を援用 して、アクチュアリティが〈二者関係〉の連鎖のなかで現れ、把握されること、自己決定

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論の自己が、〈三者関係〉におけるオリエンタリズム的主体を意味するのに対して、〈委ね る〉という根源的受動性が、〈二者関係〉におけるアクチュアルな実感となっていること を指摘する。そして、当人=当事者不在の治癒は、〈三者関係〉においては弱い立場の当 事者の排除になるが、〈二者関係〉では、治癒の場に当人が不在でも、その連鎖の中に当 人が単独的な存在として存在していることを示唆し、そのことを第三節の事例において具 体的に示している。

第二章では、第一節・第二節で、災因論を離れた場面でも「根源的受動性」が重要と なるということを、沖縄の伝統工芸・紅型(びんがた)を製作する職人たちの語りを取り 上げて示している。職人たちの語りのなかに現われる「沖縄の色合いは沖縄の地でしか出 せない」という、一見すると本質主義的な言説が、ある種の受動的な姿勢によっているこ とを明らかにしている。第三節では、ふたたび災因論の場にみられる根源的受動性の考察 につないでいる。その第三節では、災因論の場である「ハンダン」において現われる「マ ニカタ」と呼ばれる概念について考察している。「マニカタ」とは、先祖が供養されるこ とを望んで生きている父系子孫に自分と同じ悪行を「真似させる」ことであるが、そのよ うな「ハンダン」を、家族が、「良くないことをするのには腹が立つけど、自分のところ にそれが来たかもしれないわけだから。(子孫みんなの)代わりに引き受けてくれたよう なものだから」として受容していく。この「身代わり」という言葉は、先祖が父系子孫に 災厄をもたらして祖先祭祀を促しているという一般化された知によって説明がつくかもし れない。その場合、父系子孫という属性による代替可能な存在になる。けれども、ここで 言われていることは、そのような一般化された「リアリティ」とはまったく異なる。誰に でもありえたという「身代わり」は、一見すると「代替可能性」のことを言っているよう に聞こえるかもしれないが、それとは正反対のことがらである。この「身代わり」は自分 で選んだり、誰かに代わってもらったりすることはできないからである。そこには、根源 的受動性が見られ、それによって身代わりという関係は代替不可能なものとなるのであ り、そこにアクチュアリティが現れている。

第三章では、宗教的職能者による死者の「口寄せ」について扱っている。その目的は 二つあり、一つは「口寄せ」に関する先行研究を検討しながら、その歴史的変遷を再構成 することであり、もう一つは、クライアントとなった人びとが「死者の口寄せ」という、

科学的には説明のつかない経験をどのように物語っているのかについて考察しながら、口 寄せについての物語りの流通と定式化の意味を探ることである。沖縄で暮らす人びとにも 宗教的職能者にたいして無関心であったり、悪しき因習として遠ざけたりしている人々も 多いが、彼らも身内に死者が出た時に思い残したことがないかを口寄せしてもらう死者儀 礼だけは慣習として同席することが多い。そこで経験する不思議な経験が物語化されてい き、その物語りによって宗教的職能者の評判も広まるのだが、そのような物語りの流通 が、一般化された知識とは異なる、単独的な関係としての〈コモン〉を生みだしているこ とを論じる。

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第四章では、宗教的職能者と超自然的存在とのあいだ、宗教的職能者とクライアント とのあいだ、クライアントと先祖のあいだなどに起こる心身の「共振」という現象に注目 する。災因論的な場では、そのような「共振」現象をうみだすのは〈感じ取り〉の力であ るとされる。第二節では、この〈感じ取り〉による「共振」を、5つの具体的な事例によ って提示し、〈感じ取り〉が共振にともなうもので職能者にとってはとくに重要な能力と されているが、クライアントにとってもまた、災因論的な行為においてこの能力が重要な ものとなっていることを明らかにする。第三節では、〈感じ取り〉が宗教的職能者の託宣 が当たるとクライアントが感じるときの根拠となっていることを、前節の5事例を用いて 述べる。そして、第四節では、そのような〈感じ取り〉が、〈委ねる〉という根源的受動 性の構えによって、単独的な〈つながり〉=〈コモン〉をつくり出すことを、〈委ねる〉

という構えがうまくなされていない事例を分析することを通して示している。

結論では、〈委ねる〉という構え(「根源的受動性)が単独性どうしの〈コモン=共〉

をつくり維持するために不可欠なものであるという、本論文の独自な貢献について、これ までの議論をもとに再検討する。第一節では、災因論が扱う単独的な受苦の経験が、〈つ ながり〉のなかで周囲の人びとを〈巻き込んで〉いくように、コントロール不可能なもの を含んでいること、それを認めて受け入れることが〈委ねる〉という構えにつながってい くことを、本論文で取り上げてきた事例に触れながら指摘する。そして、第二節では、そ のようなコントロール不可能性を認めることによって成り立つ〈委ねる〉という構えが、

単独性どうしの〈つながり〉としての〈コモン〉をつくっていくことを指摘する。そのこ とは、コントロール不可能なものを消去することで災いを解消しようという主体的な実践 は、むしろ専門家支配のシステムなどに抗するための〈コモン〉の生成を壊してしまうと いうことを意味する。そして、そのことこそが、〈委ねる〉という根源的受動性の構えが

〈コモン〉をつくり維持することに不可欠となる理由であると結論づけている。

参照

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