アマチュアのラジオ技術史
はしがき
わたくしは,かつてある雑誌から,“私の履歴書” という一文を求められたとき、 つぎのように書いた。 “大正 12 年のことだったと思う。わたくしは,始めて高周波インダクタンス・ コイルなるものを見せてもらった。まだ,小学校の 2 年生だったわたくしにとっ て,なんとそれが奇妙に見えたろう。下谷に住んでいたその先輩なかりせば,わ たくしの半生は今と全く違った道を歩んでいたであろう。……” 春風秋雨,いまは五十路に近くなったとはいえ,このような書を著すに適した 先輩の数は決して少なくない。わたくしの如き若輩が,技術史など称するのは, 僣越至極のことである。 むしろ,本書は重要資料を後世に QSP(中継)せんとする文献抜萃の書という のが適当であろう。わたくしは,ここでは単なるナレーターにすぎないのである。 いずれ何人かがしなければならない作業を,行なったまでである。しかも,こ の作業たるや,一日遅れればそれだけ困難が増加する性質のものである。実は, 取りかかってみて,もっと早く手をつけるべきであったことを痛感したのである。 東京地方についてみても, 1923 年の大震災と今次の大戦による資料の消滅は想 像以上に甚だしいものがあり,心おぼえがありながらみすみす発見できなかった 資料は枚挙にいとまがないほどである。 わたくしは,幸にもわが国の大部分を旅行する機会があったので,戦災を受け ない地方都市で,しばしば重要な資料を発見することができた。加えるに戦後鎌 倉に転任しており,同市在住の有坂磐雄(元 J1CV,J2KR),中川国之助(元 J1EE, J2HI)両長老の知遇を受け,莫大な資料の貸与を受けた。両長老のご好意なかり せば,本書の出版は不可能であったといって差支えない。 本書の記述に当っては,年代の古いほど詳細に,近代になるにしたがって簡略 化した。また第2次大戦以後は,概略のみに止めた。なお,引用文献はできる限 り原文に忠実にするよう心がけたが,旧漢字は現在の印刷事情では如何ともなし がたきものがあり,一部当用漢字に改めたところがある。仮名使いは原文どおり としたが,明らかなミスプリントは訂正を行なった。図版はすべて原典より複写 をしたものである。引用文献の筆者各位には,できる限りご承だくを求めたが,なに分にも古いこ とであり,また匿名の方もあるので,いかんとも連絡のつきかねる方もあった。 何分のご認容をお願いする次第である。
なお,本書の出版に際し,次の諸氏に資料その他でお世話になった。厚くお礼 を申しあげる次第である。
白井 剛 (JA1AJH),福士 実 (JA1KM),原 昌三 (JA1AN),大塚政量 (JA5AF), 上野富男 (JA4IF),竹井 良 (JA4RT),相沢治郎 (JA1BNK),CQ 出版株式会社,
JARL事務局,NHK 放送博物館 本書は 1961 年 12 月に脱稿したのであるが,今回誠文堂新光社創立 50 周年,ま た「無線と実験」創刊 40 周年を記念して出版されるとのことで,同誌創刊号か らの読者として誠に光栄である。 1963年 10 月 鎌倉にて 著 者 し る す
目 次
はしがき i 第 1 章 ラジオ放送開始まで(1923∼1925 年) 1 第 2 章 型式証明問題(1924∼1925 年) 20 第 3 章 ラジオ・アマチュアの層拡がる(1925 年) 42 第 4 章 短波の れいめい 黎明(1925∼1927 年) 62 第 5 章 音質に関心深まり,抵抗拡大器使用さる(1926∼1927 年) 80 第 6 章 ニュートロダインとスーパーヘテロダイン(1925 年頃) 89 第 7 章 エリミネーター(交流化)時代来る(1929 年頃) 102 第 8 章 テスターと音響機器(1930 年頃) 121 第 9 章 あるラジオ・アマチュアの記録(1930 年) 128 第 10 章 新型真空管ぞくぞく現わる(1930 年頃) 141 第 11 章 近代型真空管の誕生とラジオセットの進歩(1932∼1935 年) 152 第 12 章 太平洋戦争敗戦まで(1935∼1945 年) 167 第 13 章 戦後のあゆみ(1945∼1961 年) 182 iii第
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章 ラジオ放送開始まで
(1923∼1925 年) わが国で最初にラジオ放送が行なわれたのは 1921 年(大正 10年)9 月 1 日,本堂平四郎氏によって東京麹町の白粋堂か らであった1),その後 1925 年(大正 14 年)3 月,正式にラ ジオ放送が開始されるまでに有力新聞社で放送の実験を行な うものが続出したが,個人の研究家も多数あった。 一例として『無線と実験』1955 年(昭和 30 年)5 月号に掲載されている “30 年 前のラジオを語る” という座談会記事によれば, 日本で最初の民間ラジオ放送 原田三夫氏……震災後,日本橋の伴伝(フトン商)の二階から『科学画 報』の主催で送信し,両国と日比谷公園にスピーカーをつけて聞かせました が,これはわが国の放送の最初でしょう。たしか大正 13 年 4 月でした。… (中略)… 矢崎氏 いや,それなら私の方が先です。大正 11 年でしたね。名古屋と 京都,京都では高工の校内で理科実験室と講堂との間で送受実験をしまし た。…(後略)… この他にも東京市内でしばしば個人の研究と思われる電話の電波を聞くことが あったし,送信とまではいかなくとも銚子や船橋の電信を聞いているアマチュア は相当数あった。 1922∼3 年(大正 11∼12 年)頃は大衆科学雑誌も少なく,もちろんラジオ専門 誌などは発刊されていなかった。1923 年(大正 12 年)4 月に創刊された『科学画 報』は当時としては珍しい雑誌であった。 まだいつ放送がはじまるか見当も付かない時代であったが, 1923 年(大正 12 年) 7月号にはつぎのような記事が掲載されている。筆者は柴田守周氏である。以下 引用文献はすべて原文のままであるが,原書はもちろん縦書のルビ付きである。 1)『日本無線史』による。無線電信電話の真空球受信装置の造り方 製作法(図面と照り合せて下さい) インダクタンス・コイル(受信 第 1 図 用捲線1))は種々な方式があつて, 従つて其の型及び使用法も種々と 異なつているが,最も簡明に誰に でも造れるのは,テスラ型の円筒 捲線である。この捲線にも又種々 あつて,二個の捲線を内外に重ね て調度を採る方法もあるが,それ 等は製作が少しく複雑になるから この次に述べることにして, ここ 茲で は一個のものを用ひることにする。 先づ図に示してある通り直径三 寸長サ五寸の円筒を作るのである。 材料はエボナイト,ファイバー等 を用ひるのであるが,厚紙(ボー ル紙)を二,三枚重ねて造つたも のでも充分使用される。円筒が出 来たならば,これに BS 三〇番(線 の太サ)被覆絹捲線を二百十回捲き, 十五回目毎に線を ね 捻じて,五寸程の長 さにターン(導線)を出して図の如くターンの先端は切り換えることが出来 る為に,スヰッチを設けるのである。線は重ならぬよう一重に線と線を密着 させて捲かねばならぬ。捲き終つたならば絶縁と線がはづれぬ為に,ニス又 はラックを塗るのである。 2.バリヤブル・コンデンサー(変化蓄電器)にも様々な種類があるが現 在最も多く使用されてゐるのは,空気式の変化蓄電器である。このコンデン サーの電極は真鍮板又はアルミニウム板等を用ひ,僅少の空間に両極板を相 互に重ね一極を回転せしめて其の電気容量を変化せしむるのである。このコ ンデンサ一は素人が造ることは甚だ困難なことと思ふから製作法は略するこ 1)著者注 原文には(かいせん)とルビがふってある
とにするが,コンデンサーの蓄電容量は〇・〇〇〇五マイクロファラードの ものを使用する。 3.オージョン・バルブ(三極真空球) 第 2 図 にも又種類があるが要は高度真空のも の程成績が良いのである。真空球は其 の名の如く三極の電極があつて,一極 をプレート(陽極)と云ひ,他の一極を グリッド(中極)と云ひ,他の一極をフ ヰラメント(白熱線条負極)と云ふ。こ の真空球は素人が製作することは難か しいから,製作法は略する。購入の際 は受信用六ボルト三極真空球と指定す るがよい。 4.グリッド・コンデンサー(中極用 蓄電器)は,質の良い,マイカ(雲母板) を横七分,長さ二寸に切り,其の裏表に 横五分,長さ一寸五分の錫箔を,ニス又 はゴムノリで張り付け,図の如く表裏の錫箔の上に導線を輪にして付け,其 の上を厚紙で挟んで両極の導線が抜け出さぬ様に造るのである。錫箔は一貫 目と称するものを用ひれば申分ないが煙草等に付いてゐる錫箔でも利用され る。マイカの厚さは は が き 端書位の厚みのものを用ゐれば適当である。このコンデ ンサーの電気容量は〇・〇〇〇一マイクロファラード以下のものでなければ ならぬ。 5.レオスタット(抵抗器)は三極真空球の,フヰラメント点火に用ひる抵 抗器であつて,其の電気抵抗は約一〇オームのものでなければならぬ。これ を造るには,プラチノイドと称する抵抗の多い線を用ひるが,この線の三〇 番線(線の太サ)を,約六尺位ひ用ひれば,丁度一〇オーム位の抵抗器が造 れる。先づプラチノド線を筆か鉛筆の軸に捲いて捲線のものとする。 しこう 而 し て線を図の如く半円形に曲げて,木又はセト〔瀬戸物〕の上に取り付け,其 の半円の中心に切接のスヰッチを設けて,加減せしめるのである。 6.プレート・バッテリー(真空球陽極電池)は三極真空球のプレート(陽
極)に用ひる電源で,電圧は四十五ボルトから九十ボルト位のものを使用す る。乾電池と蓄電池との二種あるが,いづれも素人が作ることは出来難い。 7.フヰラメント・バッテリー(真空球点火電池)は三極真空球のフヰラメ ント点火電源で,電圧は六ボルトのものを使用する。其の使用電流は一アン ペア以内であるが,必要に応じて,前に述べたレオスタットで加減するので ある。これは懐中電燈用の三ボルト電池を二個直結して用ゆることが出来る。 8.レシイバー(受話器)は,受話装置の生命ともなる部分で,全部装置 が出来たにしろ,このレシイバーがなければ聞くことが出来ぬ。このレシイ バーにも種類が多々あるが無線電信電話用のレシイバーで,電気抵抗二〇〇 〇オーム位のものが良い。 しか 然し普通の有線電話の受話器でも用ひられますが, 受聴音はずっと小さくなる。レシイバーは,全然素人に造れぬから製作法は 略することにする。購入の際は無線用受話器二〇〇〇オームのものと指定を 要す。 アンテナ(空中線)とアース(地中線) アンテナ(空中線)は人の手の様 第 3 図 な働きをするもので,大空に大手を 拡げて飛走する電波を,第一に受取 る役目をする。海軍省や逓信省に立 ててある高い柱が そ 夫れである。之に も様々の方式があるが,要は高い程 成績がよいのである。先づ簡単に造 るには図〔第 3 図〕の如き長サ三十 五尺位のサヲ〔竿〕竹を二本用い,三 十尺位の間をとつて両方に立て,長 さ二尺位の棒に絶縁物(セト〔瀬戸物〕,又はエボナイト)を六寸位の間に 三個づつ付け,これに十八番線(線の太サ)の長サ三十尺の銅線を おのおの 己々結び 付け,他の一端は必ず三本を一とまとめにして受信回路に接続するのである。 其の他アンテナは天井裏に張つても有効である。 アース(地中線)は一尺四方位の銅板又はブリキ板に導線を付け井戸の中 に入れるか,又は水分の多い土地を選んで地中二,三尺の深さに埋ずめるの であるが,其外水道口か ガ ス 瓦斯口に導線を捲き付けて用ひても良い結果が得ら
れる。 配 線 法 配線法にも種々な方式があるが簡単 第 4 図 にして使用の容易な方法を用ひること にする。図〔第 4 図〕に示せる如く,先 づアンテナをインダクタンス・コイルの 一端に接続し,コイルのスヰッチの中心 からはアースに接続する。アンテナとコ イルの接続部から一方はグリッド・コン デンサーを通じて,三極真空球のグリッ ド G に接続し,一方はバリヤブル・コ ンデンサーを通じてスヰッチとアースの接続点につなぐ,この接続点からレ シーバーを通じてプレート・バッテリーの (−) 負極へ接続し,バッテリーの (+)陽極は真空球のプレート P(陽極)へ接続する。フヰラメント・バッテ リーの (+) 陽極はレオスタットを通り真空球のフヰラメントを通してバッテ リーの (−) 負極に接続する。 しこう 而 してバッテリー (+) 陽極からはアース,レ シーバー回路に接続するのである。 使用法 先づレシーバーを耳に当て,三極真空球に点火する。 しこう 而 して点火の調度 を探るのであるが,フヰラメントは余り強く輝やかさぬ為レオスタットで加 減する。調度が探れたならばインダクタンス・コイルのスヰッチを静かに回 転して見る。 しこう 而 してバリヤブル・コンデンサーも静かに回転してコイルと 相互に調度を探つてジット受話器に起る音響に注意する。電信なり電話なり の音が聞えたならば,其の音をはつきりさせる為に受信波長の同調点をコイ ルとコンデンサーを回転しながら探るのである。同調すると音が明瞭に聞え る。其の時が即ち LC 法則に依つて,インダクタンス・コイルとコンデンサ とが揃つて受信波長に同調した時である。 実 用 この受信装置の有効 マイル 哩 数は約五百 マイル 哩 位であるが,小汽船及天文台等で使 用するに適当であり,娯楽としては無線講演或は無線音楽等を受聴するに最 も適合してゐる。現に欧米諸国で使用してゐる受信装置は か よ う 斯様な方式が主に
使用されてゐるのである。 配線図に記号を用いず実体図であるのはおもしろい。当時の三極管で非再生式 では 500 マイルの受信は無理であったと思われる。グリッドコンデンサにリーク がないのは,ソフトバルブ1) を使用し電離による作用を利用したのであろうか。 電信は相手がスパーク式が多かったからヘテロダインを必要としなかったのであ ろう。 昭和初期の記事がほとんど翻訳で,図面,写真などは丸写しのものが多かった のにくらべて,種本のありなしは別としてとに角よく書かれている。 この記事にあるように当時はすべて部分品は自作するのが当り前であり,製作 困難なものだけを買うという意気があった。 同誌8月号には送信機の製作記事が掲載された。筆者はやはり柴田守周氏で ある。 簡易送話装置の造りかた 製作法 先づ今度の送話装置に必要な材料と器具とを左に数へて見よう。 1. インダクタンス・コイル(自己誘導捲線) 2. バリヤブル・コンデンサー(加減蓄電器) 3. 五ワット三極真空球 4. プレート用電池(二二五ボルト) 1)著者注。真空度の比較的低い真空管,たとえば 200 型または 200A 型で, 200A 型はアルカリ蒸気を少量封入してあった。 µは 20 程度で(当時としては大きな値)であり,グリッドの励振によってプレート電流が変化すれば,ガス分子の電離 の量も変化しプレート電流の変化を一層大きくする。昔は検波管としてよく用いられたが,動作はきわめて不安定であっ た。もちろん現在ではぜんぜん作られていない。後日のため当時の国産ソフトバルブの表をつぎに示す メ ー カ ー 名 称 フィラメント 電 圧 フィラメント 電 流 プレート電圧 東 京 電 気 サイモトロン 200 5V 1.0A 20∼30V 日 本 無 線 C2 C7 4∼6V 4∼6V 0.8A 0.8A 40∼80V 40∼80V 東 京 無 線 TV–1 TV–4 TV–6 6V 6V 6V 1.0A 1.0A 1.0A 40V 40V 40V 日本真空管 NVV–1 NVV–4 NVV–5 6V 6V 6V 0.9A 0.9A 1.0A 45∼100V 30∼70V 30∼70V
5. フヰラメント用電池(六ボルト) 6. ソリードバック式送話器 7. 振動電流計1) 右の材料を使用するのであるが,前に ちょっと 一寸注意して置くことは,プレート 用電池の電圧は二二五ボルトを使用するから,実験の時は接続を間違へぬよ うに,充分注意してかからぬと,うつかり間違へて接続すると,パチパチッ と青い火花を放つて真空球を破損したり,配線の導線を切断して しま 了ふことが あるから,この点を特に御注意して置く。しかし普通諸工場で使用してゐる 動力用の電気等とはその性質(電流及び容量)が違ふから,人体に及ぼす危 険は無いが, そ 夫れでも電路に直接手を触れるとピリピリッと強く感じるから 注意せねばならぬ。 それから,配線に用ゆる電線 第 5 図 は全部ゴム捲被覆線を用ひる事 と,空中線から垂れた引込線は, 木の枝や,窓や,戸に触れると送 話の成績が悪くなるからこの点 も注意を要する。もし引込線が 窓等に触れる場合は絶縁の が い し 碍子 を必ず使用することにする。 インダクタンス・コイル(自己 誘導捲線) インダクタンス・コ イルは,前号の受話装置で再々 造つたから大分諸君は造り馴れ たことと思ふ。先づ第一は直径 三寸長さ二寸五分の円筒を造る のである。この円筒は木筒かエ ボナイト筒か,ファイバー筒を 使用すれば申分はないが,例の 通りボール紙を三,四枚重ねて 造つても充分使用される。ボール紙で造つた円筒はどうしても弱くて,円 1)著者注 熱線型高周波電流計のことである。
がゆがむ気味があるから,少し位押してもゆがまぬ様 じょうぶ 丈夫に造つて戴きたい。 円筒が出来上つたならば薬屋さんへ行ってラックかニスを十銭位買つて来て 円筒の外側や内側へ何度も塗つて,よく吸ひ込ませると,絶縁もよくなると 同時に じょうぶ 丈夫になるから一挙両得になる。円筒が乾いたならば,図〔第 5 図〕 の如く円筒の一端から線を捲くのであるが,今度のインダクタンス・コイル には二十一番被覆線を用ひる。捲線は線と線を密着させて互に線が重なり合 はぬ様注意して捲く。 しこう 而 して四十五回捲いたならば図〔第 5 図〕の如く線 を捻じて,1 本のターン(導線)を出して置く。其の後は五回目に一本づつ ターンを出して捲き止める。捲き上つたならば,もう一度線の上ヘラックか ニスを塗つて置く。そして乾いたならば,図〔第 5 図〕の様に五本のターン の先に切換の出来得る様,スヰッチを設けるのである。 バリヤブル・コンデンサー(加減蓄電器) 次はバリヤブル・コンデンサー であるが,これは素人が造ることは至難のことであるから,其の構造だけ述 べて置く。 ここ 茲で使用するコンデンサーは空気式の加減蓄電器で,其の電極は 半円形の真鍮板か,アルミニューム板等を用い,僅少の空間に両極板を相互 に重ねて,一極を回転せしめて其の蓄電容量を加減せしむるのである。使用 するコンデンサーの蓄電容量は〇・〇〇〇五マイクロファラード位のものを 用ひる。 五ワット三極真空球 三極真空球は,其の名の如く三極の電極があつて外 側の極を (P) プレート(陽極)と云ひ,中程にある極を(G)グリッド(中 極)と云ひ,中心の点火線を(F)フヰラメント(白熱線負極)と云ふ。こ の真空球は,高度真空のもの程成績がよいのである。これは素人が造る訳に 行かぬから製作法は略するが購入の際は,送話用五ワット真空球と指定する のがよい。 プレート用電池(陽極用電源) プレート用電池は三極真空球の (P) プレー ト(陽極)に用ひる電源であつて,其の電圧は二二五ボルトを使用する。こ れには乾電池と蓄電池との二種あるが,いづれも同様に使用される。 フヰラメント用電池(真空球点火電源) この電池は三極真空球の点火に 用ゆる電源で其の電圧は六ボルトの電池を使用する。之にも乾電池と蓄電池 との二種があるが,いづれも同様に使用される。これは懐中電燈用の三ボル
ト電池を二個連結して用ひることが出来る。 ソリードバック式送話器 この送話器は普通の有線電話用の送話器と同様 のものであるが,デルビル式の送話器よりもソリードバック式の送話器が無 線用としては成績が良い。これは素人につくれないから製作法は述べぬが, 送話器にはよく不良品が多いから注意を要する。 振動電流計 この振動電流計も素人 第 6 図 には造れぬから製作法は略して其の構 造と作用とを簡単に説明して置く。振 動電流計は主に熱線式のものが用ひら れる。 ここ 茲でも や は 矢張り熱線式の振動電流 計を使用するから,ハートマン・エン ド・ブラウンの標準電流計を話題にし て説明しやう。図〔第 6 図〕に於て AB 間に毛の様に細いプラチナム・シルバー 線を張る。そうして AB 中間の C 点か ら D に燐銅線を張る。 この燐銅線の CD 間の中点から F へ 糸を結付けて,この糸の G 点には滑車 を設けてこれに指針を付ける。それか ら糸の F 点に近い処には バ ネ 弾条をつけて 置く。今 AE 線に電流を通ずると AB 線は伸長して C 点が弛むから,従って CD間にも弛みが出来る。そうなると EF 間の H バ ネ 弾条が縮んで糸を引くから, G滑車が回転して指針が動くことになる。今度の送話装置には電流計は三〇 〇ミリアンペアのを使用するのである。 アンテナ(空中線)とアース(地中線) アンテナとアースとは今度新し く申述べる迄もないが,アースはさておきアンテナは五ワット送話の実験上, その長さを固定する必要があるから ちょっと 一寸説明して置く。先づ長さ三十尺位の 竹竿か木柱の先端に長さ二尺の棒を取付け,この棒に六寸づつの間隔をとつ て三個の絶縁 が い し 碍子を付け,これに長さ三十七尺の銅線(十八番線)を各々結 付けて両方に立てるのである。そうしてこの三本の銅線からは各々一本の線 を垂れて,これを一本にまとめて送話回路に引込むのである。空中線は高い
程通達距離が増すから,出来るだけ高くするがよい。アースは例の通り,一 尺四方 な い し 乃至二尺四方位の鋼板か,ブリキ板に導線を結付けて,これを井戸の 中に入れるか,水分の多い土地を選んで埋めるかする。亦 ガ ス 瓦斯口か水道口ヘ 接続して用ひると良い成績が得られる。 配線法(線の接続) 全部出来上つたならば,今度は いよいよ 愈々配線即ち線の張 りまはしである。先づ第一に空中線を振動電流計の一端につなぎ,電流計の 他端はインダクタンス・コイルの一端につなぐ。そして,インダクタンス・ コイルの他端は送話器の一端につなぎ,送話器の他端は地中線へ接続する。 それからインダクタンス・コイルの五本のターンを切換へるスヰッチからは, 三極真空球の中極即ち (G) グリッドにつなぎ,このグリッド回路からは線を 出してコンデンサーの一端につなぐ。コンデンサーの他端は,インダクタン ス・コイルと送話器のつなぎ目に接続する。その次は三極真空球の (F) フヰ ラメントから導線を出してフヰラメント用六ボルト電池の (+) 陽極へつなぎ, 電池の (−) 負極を (F) の一方へつないで,其のつなぎ箇所から導線をインダ クタンス・コイルの四十五回捲目のターンに接続するのである。次は三極真 空球の (P) プレート(陽極)から導線を出して,プレート用電池の (+) 陽極 につなぎ,電池の負極からの導線はインダクタンス・コイルと送話器のつな ぎ目へ接続するのである。これで配線も出来た。 使用法 さて配線が出来たな 第 7 図 らば今度は実験をして見やう。先 づ真空球に点火して,インダク タンス・コイルのスヰッチとコ ンデンサーとを逐次に回転して 見ると,振動電流計の針が零か ら上つて或る点を指示するから, そうしたならば,送話器に向つ てアーモシモシ本日は晴天なり (これは専門家が使ふ一種の熟 語)をやるなり歌を唄ふなりすると,振動電流計の針が音につれて盛んに微 動する。 こ 斯うなれば,立派に空中線から空中に向つて電波,即ち話の波が放 送されるのである。この場合振動電流計の指針が高い点を指す程成積が良い
のである。此の送話装置は,本式の空中線と地中線を用ひて送話すると,約 一 マイル 哩 の距離まで通達させることが出来るが,素人実験では,十町内外〔約 1km〕であらう(諸君の実験した成績は御手数でも本社内柴田宛に御通知な すつて下さい。 前記の受信機の記事でも感じるのであるが, 第 8 図 これほど部分品の自作をすすめた筆者がソ ケットに言及しないのはどうしたわけであ ろうか。バルブ〔真空管〕の足に直接ハンダ 付けをしたのであろうか。電源スイッチのな いのはまとまったセットとしてではなく,物 理の実験のように随時組み立てたものらしい。 送受信波長を示していないのもおもしろい。 さらに同誌の 1923 年(大正 12 年)9 月号 には,同じ筆者の「わずか 5 円でできる無線 の発信装置,ブザー送信器の造り方」が掲載 されている。以下はその一部分である。 材料 先づ今度のブザー送信器に必要な材料の価格を積つて見ませう。 一,ブザー(発振器) 約三円 二,電 池 約一円 三,被覆線 約三十銭 四,電 鍵 約三十銭 五,マイカ(雲母) 約三十銭 六,錫 箔 約五銭 七,ボール紙 約五銭 全部でザット五円位で出来ます。 このあと,コイル・コンデンサ,電鍵などの製作法を述べたあと, 使用法 配線が出来ましたならば,今度は実験をして見ませう。電鍵のブ リキ板を押して釘に板をつけますと,電池から電流はブザーに振動を起して, ピーピーと鳴ります。こうして電鍵を押したり放したりして思ひ通りの符号 を送るのであります。普通電信の通信符号は長点を――,句点を・で,これ
を綴り合して文字にするモールス式符号です。 しか 併し皆さんは自己流の符号を 作つて実験なさい。 このモールス式符号はなかなか覚えにくいもので自己流の符号を作って云々は, 誠におもしろい。 それにしてもボール紙のボビンはなかなかうまくできなくて,製作は大いに苦 心したものである。前掲 30 年前のラジオを語る座談会に 矢崎氏…放送のはじまる前のころはコイルも売ってはいましたが,とても高 いので,当時のアマチュアはボール紙を巻いて筒を作り,これにニスを塗っ てボビンを作りコイルを巻いていました。それでボール紙を持って歩いてい る人を見ると,ラヂオのアマチュアだなと思ったこともありましたね。そう やって苦心して作ってもまだ放送がないので,銚子の 600m でやっている気 象報通と時報を受信するか,トンツーを受けるくらいでしたが,とても楽し みでした。検波器はもちろんさぐり式の鉱石でした。そうこうするうちに官 練1)の放送がはじまったのでそれを聞きましたが,何しろそういうものを聞 く,つまり受信施設があることすら違法でしたから…… と語っている。さて,このようにしだいに上がりかけてきたラジオ熱を一挙にさ ましたのは, 1923 年(大正 12 年)9 月 1 日 11 時 58 分突如として関東地方を襲っ た大地震であった。写真研究家として著名な故・吉川達男氏は写真書『アルバム の纏め方』(1938 年 11 月,玄光社版)において,当時の状況をつぎのようにのべ ている。 ……壁は脱落し,大型の壁鏡は板の間に墜落して倒れ微塵に砕け,障子, ふすま 襖 は其の上に横たはり,本箱も倒れて書物の一切は足を踏込む隙さへない。数 年前から自作研究中であつたラヂオ(此の時分放送局など未だなかつた)は 机上に壁土を被って破壊して居る…… このような状況で,関東地方に住んでいたアマチュアの大部分は当分ラジオど ころではなくなったのである。しかし,当時の国力では災害の回復も思ったより 早く進んだのである。『科学画報』代理部はつぎのようなあいさつ文を大震災号 (10 月か?)に掲載した。 1)著者注。逓信官吏練習所。東京・芝にあった。
無線研究者諸氏に謹告 研究者諸氏より御親切なる御見舞を たま 給はり ありがた 有難く厚く御礼申上ます。当代 理部も震災の厄にあひ焼失致しましたが,部員一同無事で居りますから以前 より以上の努力を以つて器機器具の製作に着手致して居ります。……(後略) この代理部について小川菊松氏は,『無線と実験』1934 年(昭和 9 年)5 月号に掲 載された「無線と実験創刊満十周年を迎えて」においてつぎのようにのべている。 …(前略)…自分が始めて経営する第一回の代理部は,其の名も「科学画報 代理部」として,一時神田駅前京浜ビルの三階全室を賃借して華々しく開業 し,力強く野望の過程第一歩を踏出すに至つたが,これぞ実にわが国に於け るラヂオ材料専門店の こ う し 嚆矢であつて,当時の最尖端を走つた存在であつた。 果たせるかな材料入手難を告ぐるラヂオ黎明の時代,即ちこれに当る絶 好の機会であつたに因して,この代理部は売れる! 売れる! 比較的現在よ り高価であつた各種のものが,真に一瞬の間に余さず売り盡されてしまふ のではないかと疑ぐる程,日夜註文殺到して大成功を納めたのであつた。… (後略)… 第 9 図は『科学画報』1923 年(大正 12 年)9 月号に掲載された広告である。 一方,逓信省は同年 12 月 19 日放送無線電話に関する規則を公布した。『科学画 第 9 図
報』1924 年(大正 13 年)2 月号にはこれに関する記事が掲載された。 いよいよラディオ時代が来ました しばしば『科学画報』が欧米における進歩状態について報告して来た無線 放送(ブロードキャスティング)が,わが国においても許可されることにな り,去年の十二月十九日を以てこれに関する規則が発布され,直に実施され ることになりました。その大要を左に掲げます。この規則の内容は放送用と 聴取用の両施設に分かれ,先づ放送施設においては, 一、放送地域は長距離用のものは約百 マイル 哩 を最高限とし,短距離用のものは 約二十 マイル 哩 以下で,その電力は前者は一キロ半以内,後者は二百五十ワッ ト以下。 一、放送事項は時事,相場,気象,時刻,講演,音楽等にして公秩良俗に反 しないものはこれを認むるものであるが,営業広告は絶対に許されぬ方 針である。 一、放送時間は音楽等娯楽事項は夜間を原則とし,其他は昼夜共に放送し得 るのであるが,軍用其他公用通信に支障を及ぼす おそれ 虞 ある場合は制限又 は停止せらるゝこと もちろん 勿論である。 一、放送事業の経営者は認可を受け聴取料金を徴し得るのであるが,元来公 共的性質の事業であるから,営利を本位とせず, かつ 且永続して経営し得る ことを必要とする。又無線通信の性質上放送局数は おのずか 自 ら制限される。 次に聴取装置に就ては 一、施設者は必ず所轄逓信局長の認可を受けねばならぬ。無許可の施設に対 しては無線電信法に厳重なる制裁を定めてあるので,無線装置の性質上 厳格なる取締を必要とするものである。 一、聴収用機器は電気試験所の型式証明を受けたものを使用するを原則とす る。之は監督上の必要にも依るが,一面甚だしき粗製濫造的な機器に依 て購買者の蒙るべき不利益を防止し,かつ許可の手続を簡略ならしめ得 るわけだ。 一、聴取装置を施設せむとする者は先づその地点を放送区域とする放送施設 者と連絡を採りて出願することが必要である。しかしてその装置は相手 放送局の電波長に対応調整して固定せねばならぬ。
といふので, なお 尚,無線放送局は東京において二十ケ所,大阪において十ケ所 許可されることになりました。これらは, いず 何れも新聞,雑誌社,取引所等公 共事業を行つてゐるものに限られ,営利事業には一切利用させない方針であ ります。 丁度本稿〆切前後は放送局認可の審議中で,まだ決定するに至りませんで した。『科学画報』は去年創刊号において,来るべきラヂオ時代について逓信 省横山技師の懇切なる説明と意見をかゝげたるを始めとして,殆ど毎号,無 線電話に関する有益なる記事を掲げ…(中略)… 今度の規則を見ますと受信機は一々届けた上に,波長は一定のに合せたま ま,固定しなくてはならず,話し相手もちやんときめる必要がある様ですが, 今まで通に実験としてやるのなら,なにも一々この規則どほりにしなくても 差しつかへないのです。 逓信省もおどろくべき実行不可能な規則をこしらえたものであるが,「実験と してやるのなら,なにもいちいちこの規則どおりにしなくても‥…」は『科学画 報』もずいぶん強引なはなしであった。 この「放送」という言葉について奥中垣一氏は著書『無線電話受信機の製作及 製置』(1925 年 6 月,弘文社刊)においてつぎのようにのべている。 放送に就て 放送の言葉は英語の (Broad-Cast) から来たもので,英語そのまゝの意味で は広い範囲に綱を打つと云ふ意味である。或る一ケ所で電波を発射すれば四 方八方に拡がつて, ど 何んな所でも受信が出来, かつ 且相手に反信を要せず,送り 放しにするのである。従つて一ケ所よりの発振は受信機さへ備へ付けてある 者には,誰にでも聞えられるのである。現在では毎日,新聞の記事の重要な 記事を無線電信局から航海中の船舶に向つて通信せられて居る。航海者も陸 地の出来事を聞知ることが出来るのである。これ等は政府が行つて居るので あるが,民間私設の無電放送が許可されたから,無電を利用し時々刻々に起 る重なる社会上の出来事を通知したり,或は名士の演説,さては音楽と云つ た様に無電放送をなす放送局が出来る。従つて受信機さへ装置してあればど んな田舎や山間僻地でも居ながら聞くことが出来, ちょうほう 重 宝 この上もない。 米国ではこんな放送局を無制限に許可したので, 今では其の数は数百とな
つて居る。従つてこれ等無数の放送局から発する電波のため空中が かくらん 撹乱され, 公衆通信を妨害することが少くない。一方受信者側にあつても遠距離からの 電波を受話したいので,誰でも受信装置を再生式のものを用ひる。これがた めに自分の空中線にも振動を発生して付近の放送無線電話を楽しむ人々を 妨害すること甚だしくなる。我国ではこんな自己空中線に振動を発するやう な受信装置で受話することは禁じられてゐる。放送局の設備も制限し, かつ 且つ 放送電力も比較的小容量のものとされて居る。受信者側にあつても受信機を 素人が勝手に造つても許可を得なければ使用出来ず,又無電受信機製造販売 にも許可証明せられた機械及び,其の付属品でないと不可ないことになつて 居る。 次に放送順序の慣例となつて居るやうなものを述べる。放送時間は もちろん 勿論正 確にしないと受信者に不安を与へるから,定められた時間は厳守するのであ る。先づ音楽なりを放送する前に放送局の局名符号を数分間発信する。この 符号発信は減幅振動受信機にも聴へ得るやうな電波で発信する。それで聴取 者の注意を喚起すると共に受信機の調整をする時間を与へるのである。この 符号を受くる電波に自己受信機を調整して置けば良いのである。次は符号で なく音声で放送局名とプログラムを繰返した後で音楽なれば曲名と演奏者の 名を告げる。 しこう 而 して後に音楽なり演説なりの放送を始める。終了すれば最 後に自局の符号を送るのが規定となつて居る。音声で局名やプログラムを発 する役目をする者をアナウンサーと云ふ。要するに説明者である。此の人達 の音声はその放送局の評判を左右するのであるから,米国などでは最も声の 良い人を雇つて,其の局の名声を博することに務めて居る。 この記事はアメリカの文献を参考にしてのべたものと思われるが,アメリカで は放送の初期には A2 の電信でコールサインを出したのであろうか,文中の意味 はそのように取れるのであるが……。 『科学画報』1924 年(大正 13 年)3 月号には、バリオメーターを使用した受信 機の製作記事が掲載された。筆者は柴田守周氏であるが表題もラジオ放送開始を うたっている。 ラヂオ黎明期 無線網は遂に全国を覆ふ1) 1)著者注 実際に JOAK が放送を開始したのは一年後であった
放送無線電話を聴取するに適当した簡単な受話装置 延び延びになつていた無線放送局の私設も いよいよ 愈々具体化されて,今春の四五 月頃からは,定めて,諸君の受話装置を賑はすことでありませう。今月号に は誰にでも造れる至極簡単なヴァリオメーターを用ひて,放送局で送る短 波長1)の電話を聴取するに適当した受話装置の造り方を御紹介します。… (中略)… ヴァリオメーターの造り方 ヴァリオメーター 第 10 図 には種々形体が異なつたものがありまして,その 作用及び使用の方法も幾分違つた点がありますが, ここ 茲に御紹介するヴァリオメーターはその内最も簡 単に造れるものを用ひませう。 先づ ど こ 何処の家庭にもある蓄音機の古レコードを 応用して,第 10 図に示してある様な,一見丸扇 に似ているヴァリオメーターを造ります。レコー ドにも大小がありますが,普通のレコード板を図 の様に切り抜き,その内外の板に二十一箇所切り 込んで,これに二十番の二重絹巻線を互い違いに捲いて行きます。 捲き方は外部も内部も同方向に捲て下 第 11 図 さい。捲き終つたならば,適当な心棒を 付けて内部の捲線が回転する様に装置し ます。外部のコイルは,これにあてはま る枠を作つて固定して下さい。枠の上部 には心棒の上部へ矢を付けて,その下へ〇 度から百八〇度の角度を目盛つたスケー ル板をつけて置けば,内部のコイルをど の位の角度に回転したかゞ分ります。心 棒は絶縁してあれば金属でもかまいませ んが,なるたけ金属でない方がよろしい。 外部と内部の線の接続は,外部のコイル の捲き しま 了ひを内部のコイルの捲き始めに 1)著者注 現在の放送波長のこと, 600m(500kc)以上の電信波に対して短波長といっているのである。
つなぎます。そうして内部のコイルが回転しても差支へのない程度に線をの ばして置くことは最も必要のことであります。それから内部のコイルの捲き しま 了ひは,外部のコイルの捲き始めと同じ様に,線を少し長めに出して置きま す。…(中略)… 取扱ひ方 毎度前号でのべた受話装置にはインダクタンス・コイルを用ひ ました。そうしてこのインダクタンスからは若干のタップを出して調節する 様にしましたが,今度のヴァリオメーターは内部のコイルを回転して調節す るのであります。…(中略)… 先づ取扱ひ方は,受話器を耳にしてフヰラメントの輝きをレオスタットで 加減しつゝ受話器に起る音響に注意します。この時フヰラメントの輝きを強 くするとキューと云ふ様な雑音を起します。亦余り暗くすると せっかく 折角電話が到 来しても無駄になります。この点は よ ろ し 宜敷くレオスタットで加減を要します 次はヴァリオメーターを回転しつゝ外来電話波長に同調する様に調度をとり ますと,電波が到来していれば必ず気持ち良く聞えます。 こ 斯うした調度のと り方は よ ろ し 宜敷く念入りに御研究下さい。或る人は造るのよりも,オペレート取 扱ひ方がむづかしいと云ひますが,実際或る点に於てそう思ひます。 こと 殊に自 分で造つた装置には時々不備な点があるものです。しかし こ 斯うした苦心があ ればこそ,その次に嬉びが待つてゐるのでありませう。鉱石検波の場合は鉱 石の感度を探ることが一番困難であり,亦一番痛快のことであります。ヴァ リオメーターで調度を採ることは前の場合と同様であります。 第 12 図 鉱石の感度を探ることはいちばん 痛快とはいみじくも喝破したもので ある。第 11 図のようなスプリング の先を鉱石(方鉛鉱が多かった。あ ちこち当てて,感度のよいところを 見付けると,お金でも拾ったような 感じがしたものである。今の若い人 には想像もできないことであろう。 ゲルマニューム・ダイオードなど,は るか水平線のそのまた彼方の時代の
第 13 図 第 14 図 はなしである。 なお後日のため 1925 年頃のサグリ式鉱石の商品名を記せば ニウトロン ニュー A1 アイテイアトム オリジン(松下,現在のナショナル) ドォフォレーガレナ 日本無線 他があった。 著者は主としてニウトロンを使用したが,薬のような黄色いカン入の包装で あった。
第
2
章 型式証明問題
(1924∼1925 年) さて, 1924 年(大正 13 年)2 月 26 日,前より一層具体的 な放送用私設無線電信電話監督事務細則が制定された。そ れは 1. 型式証明を受けた受信機を使用するときは,特に必要ある場合のほか書類 により許否を決定し差支えなきこと。 2. 型式証明を受けざる受信機の使用を許可するは,だいたい (イ) 施設者自己の考案にかかる特殊の方式で,学術上有効と認められる もの。 (ロ) 商品として輸入したものでなく機能優秀な外国製機器をたまたま入手 したときに限ること。 というものであった。なお受信波長は 200∼250m,350∼400m の 2 バンド切換え が条件となっていた。実に 2 バンド受信機はこの時にはじまっているのである。 また振動電流を発生しないこと(非再生式であること)も条件となっていた。一 方,アマチュアには学術上有効なものなどはできるわけがないから,実際にはこ の規則(細則)はアマチュアのラジオを禁止するに等しかったのであった。それ にしてもたまたま入手した機能優秀なる外国製品のいかに氾濫したことよ。もち ろん,われわれはこのような不合理な規則は頭から問題にせずアンカバーの受信 をつづけたのであった。 当時の事情を国米藤吉氏(当時,東京逓信局監督課無線係長)は『無線と実験』 1934年(昭和 9 年)5 月号に掲載された「ラヂオの昔を語る」で,つぎのように 述べている。 …(前略)…其の頃無線電信の器機製作会社ではラヂオの器機も作り始め出 したが,何分売つても放送が始まつていないので,聴えるものは無線電信の 通信だけだし,殆んど許可を得ないものばかり故,売つても尻が来ては大変 であるから, しろうと 素人には売付ける訳に行かず傍観の態度であつた。 しか 然し熱心な 者は外国雑誌を読んでは自ら作つて見て,船橋無線局の通信が聞えて来るのを楽しんで居た。物珍らしいものであるから人に話をする。又自慢でもある ので新聞記者に発表する,新聞記者はトク種の積りで書きたてる。逓信局で はそれ来たと取締に出掛ると い 謂ふ具合であつた。…(後略)… また『無線と実験』1937 年(昭和 12 年)7 月号の「全波受信機の解放を叫ぶ」 という巻頭言はつぎのように述べている。署名はないが古沢氏であろう。 往年,関東大震災の直後,記者は当時赤門前のラヂオ電気商会に在りて,本 誌の創刊の事務に関係し, かたわ 傍 ら,今から顧みると玩具同やうなるクリスタ ル・セットなどを販売していた。そのクリスタル・セットは,インダクタン スもいい加減なもので, かろう 辛 じて銚子無線局の夜の時報などが聞える程度で あつた。其の後,芝の官吏練習所で無線電話の試験放送を開始するや,この 玩具に等しいクリスタル・セットも飛ぶが ごと 如く売れたのである。この試験放 送に前後して “無線電信法に関し,出頭ありたし” といふ呼出状を,逓信省 から戴いたのである。出頭すると “横山さんは今お忙がしいから私から申し ます” といつて調べて下さつたのが,今の日本放送協会の設計課長土岐重助 氏であつた。 今から 10 数年昔のことで,対話の細々したことは忘れてしまつたが,要 するに無線電信法を知つてゐて もら 貰はぬと困る。売ることを禁止する法律は無 いが,売つてもそれを買つたものが使へば無線電信法に抵触するから,まア 売らぬ方が良いと思ふ――といふやうな注意を聞いて帰つたのであった。… (後略)… 一方,この規則に挑戦するかのように『科学画報』同年 5 月号は再生式受信機 の製作記事を発表した。この頃になってもまだ配線記号が用いられず実体配線図 である。筆者はやはり柴田守周氏であった。 極く簡単に仕組んだヘテロダイン受話装置の造り方 素晴しいその偉力 今 ここ 茲に述べようとするヘテロダイン受話装置は,千葉 県に在る船橋無線局の発する通信を,遠く南支那沿岸にあつて受信すること が可能であると云はれてゐる程, すこぶ 頗 る優秀な装置であります。此の装置を本 式に造ることは,到底 しろうと 素人諸君には至難なことでありませうから, ここ 茲では最 も造り やす 易いやうに,出来るだけ砕いた方法を以て仕組むことにします。 もちろん 勿論,
間単に仕組めば多少成績が落ちることはまぬがれませんが,それでも他の受 話装置に比較して見ますと,たつた一個の真空球を用ひるのみであるにも係 らず,はるかに勝れて居ります。 従つて,この装置はこれまでに述べた受諸装置とは少しく毛色が違つて居 りまして,三つのコイルを使う様になつてゐます。三つのコイルを用ひる理 由は,普通の受信機のやうに,先方から送つて来た振動電流を受け入れるの みで無く,三つのコイルの働きを借りて,こちらでも振動電流を発生せしめ, これをウマク先方から来た振動電流に交ぜ込んで,一種の拡大作用を起さし めるのであります。これに つい 就てはナカナカ面白い原理を含んで居りますが, それは,少しく混み入つて来ますから,後日稿を改めて述べることに致しま せう。ドウモこの無線なるものは,百聞一見に し 如かずで,下手な理窟をコネ 廻すよりか, ま 先づ実際に当つて実験研究をして見, そ 夫れから原理を噛み分け る方が,ハハア成る程と合点がゆくのであります。 一個の真空球を使用する受話装置は,これまでに何度か述べましたから, 今度はこのヘテロダイン受話装置を述べて,一とまず切り上げませう。これ からの号には,拡大「アムプリファイヤー」装置を しばら 暫 く述べることにしま すから, よ ろ し 宜敷く な ご り 名残の成績を挙げて戴きたい。 三段コイルの製法 今度のコ 第 15 図 イルは本式に造るとなると,三 つのコイルを三段に重ね,互に 引出しあつて調整を計るよう, か 且 つ亦個個のコイルにタップ(端 線)を設けて切換の出来るやう に造るのでありますから, ちょっと 一寸 しろうと 素人には造りにくい。そこで筆 者は,読者の肩が張らぬやうに, 至極簡単な方法で,しかも立派 に作用する三段コイルの造り方を,御教へ致します。…(中略)… 注意したい配線法 今度の装置は,これまでと違つて少しばかり混み入つ てゐますから,配線を間違はぬよう念入りに接続して下さい。 ま 先づ空中線を, 中段のコイルに設けてある切換用のタップの一番外れの一つにつなぎまして,
次には,そのタップを切換へる役目をする金具(スヰッチレバー)に線をつ けて,地中線に接続します。其の次は,下段コイルに設けてあるタップの一 番外れに二本の線をつけて,一本はバリヤブル・コンデンサーの一端に,一 本はグリッド・コンデンサーの一端につなぎ,グリッド・コンデンサーの他 端は真空球の G グリッドに接続します。そうして切換へのスヰッチレバー にも二本の線をつないで,一本は真空球の F フヰラメントを点火する電池の 一方につなぎ,一本はバリヤブル・コンデンサの他端につなぎます。またこ の線を通り越す線を設けて,受話機の一端に接続するやうにします。それか ら上段コイルの外れのタップから,線を出して真空球の P プレートにつなぎ, そのスヰッチレバーからの線はプレート電池の陽極 + につなぎ,電池の陰 極− は,受話機の一方に接続するのであります。真空球を点火するフヰラメ ント電池のつなぎ方は,今までの号で再々述べて来た通り,レオスタットを 挾むやうな具合にして線をつなぐのです。取扱ひ方はこれまで毎度説明して ありますから,今はもう,諸君の御熟練を待つ ばか 許りでありますが,唯だ三つ のコイルの使ひ分けは,中段コイルを切換へることを主にして,次は下段上 段と互ひ違ひに変化をさせるやうにします。それからバリヤブル・コンデン サーの容量を変化させる事やレオスタットで真空球の点火の工合を計ること は, よ ろ し 宜敷く手加減を要します。 この記事が出た月,すなわち 1924 年(大正 13 年)5 月「無線と実験」が創刊さ れた。第 16 図は同年 6 月号の「科学画報」に掲載された広告である。この創刊 号の第 2 頁にはつぎのような “発刊の辞” が掲載されている。 発刊の辞 主幹 苫米地 貢 社会人類の文明尺度は,電気応用の状況に依りて,測定せられ,また電気 精髄は ラ ジ オ 雷智雄によりて,代表せらるるとは,近時に於ける,学界の標語なる にあらずや。 しか 然るに,我国,斯界の現況は い か ん 如何。無線放送の法令発布せられてより,既 に半歳,今に至るも,一の放送局,設置あるを聞かず 実に目醒めざるも甚 だしからずや。 見よ,大震直後,機浜港内にありし,コレア丸より,発せる,電波は,更に, 原ノ町無線局を経て,惨絶の状況を全世界に報じ帝都の救援と復興の,第一
第 16 図 第 17 図 線舞台に活動せるに あら 非ずや。 此活用機を,今にして, かえりみ 顧 るなくば, むし 寧ろ士人として, よわい 齢 すべからず, と云ふも あえ 敢て過言にあらず。 されど人,各々職あり,故に必ずしも,直接に しぎょう 斯業に盡せと強要する あら 非ず, ただ, すくな 尠 くとも理解と同情を以て接せられん事を望む。 今般,余輩等同人,相議し,無線科学普及の目的を以て本誌を創刊せり。 愛国の至誠,憂国の熱血, こ 凝つて,以て本誌或る。乞ふ,一片の赤心ある を諒とせよ。 また,古沢匡市郎氏は,「無線と実験」1949 年(昭和 24 年)3 月号に掲載され た “25 年前の「無線と実験」を回顧して” において,つぎのようにのべている。 …(前略)…創刊当時の無線と実験社は,伊藤賢治氏の住居でもあつた赤門 前の四階建の赤門ビルディング内にあり,四階の広い室で無線講習会を開い たり,またラジオの部品も販売していた。ラジオ狂(ラジオ時報狂)の俳優 坂東彦三郎丈が,お伴に大きい時計を持たせて訪問して来たり,またラジオ アマチェアは自慢のハモニカなどをマイクの前で吹奏して,自分の声が電波 に乗つて空をかけ廻るのを楽しみにやつて来た。 当時ビルディングの屋上に大アンテナを張つて,小放送機で送信していた ものだ。その送信機の設計製作は今日の三田無線電話研究所長の茨木悟氏で
第 18 図 第 19 図 あり,茨木氏は当時伊藤氏の最もよき助手であり,大正 10 年アメリカでラ ジオ技術を修得して来た新進の青年技術家であった。WD–11(ダブルエミッ ター管)とか,それを使用したラジオラ・セニヤ(単球再生式,電池式セッ ト),その他沢山の真空管や部品を持ち帰り,次々とそれの国産化を計画し 実現した。その頃よく売れた部品は,送信機に関するものが多かつた。とい うのは,その頃は受信機を作つても夜の 9 時の時報がツー,ツーと規則的に レシーバーに入るだけで,電話としては官練(官吏練習所,芝の大門にあつ た)の大アンテナから時々漏れる本日は晴天なり,本日は晴天なり… の試験 放送が運よく聞かれれば,ファン同志は鬼の首でも取つたように近所へふれ 廻るという物珍しさ,従つてアマチェア同志が相呼応して盛んに送受信を交 し,アンテナが見つかるのを防ぐため,屋根うらに線を張り廻したり,或は 風呂屋の煙突の中ヘアンテナを張つたなどいう珍話もあった。…(後略)… 「無線と実験」の創刊に前後して「ラジオ」「無線電話」「ラジオファン」「無線 之研究」が発刊された。さて前述のように放送用私設無線電話の規則ができても,
いっこうに放送がはじまりそうもないので,われわれは官練そのほかの実験を聞 くばかりであった。第 19 図は当時の官練の送信機で「科学画報」1924 年(大正 13年)10 月号に掲載されたものである。また同号につぎのような記事がある。 日本現在 無線電話放送所一覧 逓信省官吏練習所 放送時間 夏は午前十一時半から零時まで,但九月中旬からはこの外に午 後三時から四時まで, 波長 目下の所三百七十メートル。 電力 一キロワット弱,定格は一キロワットだが目下二百ヴォルトの発電 機を無理をして二百八十ヴォルト1)位まで出して,発振球と変調球とのプ レート電流の和三〇〇ミリアンペア位を使用。 機械製造所 ジェネラル・エレクトリック会社製,放送機,使用真空球,元 来ジェネラル・エレクトリック会社製を使ふべきたが,目下マルコニー会社 製を使用してゐる。 通達距離 鉱石検波器で二〇 マイル 哩 (以下これを A とする),真空球一箇を単 純な検波器として使用した場合(以下これを B とする),真空球一箇を検波 器としレゼネレーション〔再生〕を利用した場合…100 マイル 哩 (以下これを C と する),高周波拡大附受信機を以てする場合には…二〇〇 マイル 哩 (この場合を D とする。) 注意 通達距離は色々の外界の事情で一定しないけれど,上記の距離は最 も確実な所である。 備考 将来は官設放送局となつて官報的なことを放送するほか,無線電話 監督局となる筈である。 二,電気試験所 放送時間 不定 波長 250∼350 メートル 機械製造所 電気試験所で部分品を組み立て作つたものである。 使用真空球 電気試験所製 通達距離 (A) 10 マイル,(B) 25 マイル 1)著者注 2800V
第 20 図 第 21 図 第 22 図 第 23 図 (C) 50 マイル,(D) 100 マイル 備考 放送用受信機及び部分品の検定は将来こゝでやる筈,検定料は一つ 五十円位らしい。 三,安藤研究所 放送時間 不定,放送開始には普通の言葉で名乗る以外に,鉄琴でホーム スヰ−トホームを送つて局名を示す。
第 24 図 第 25 図 機械製造所 安藤研究所製 使用真空球 特許安藤式真空球 通達距離 (A) 20 マイル,(B) 50 マイル (C) 100 マイル,(D) 200 マイル 備考 安藤式は世界的発明の一つで,電波の形が普通のと違ひ,他に混信 しないと同時に,他の混信を受けることも殆んどない。しかし普通の受信機 でも前記の距離位はハッキリ聞える。特殊の受信機を使用すると非常な遠距 離に達するらしい。同氏は四千マイル達したレコードを持つてゐると声明し てゐるが,よくは知らない。 放送開始近しと見るや,メーカ,販売店も一斉に宣伝を開始した。第 20 図∼ 第 23 図は当時の広告である。 また型式証明の問題は別として,アマチュア側がセツトを規則に合わせようと する動きもあった。一例として第 24 図,第 25 図1)に示すのは,浜地常康氏著 「無線電話の製作と其実験」(1924 年 7 月 14 日発行,ウシク書店刊)に掲載され たものである。現在の 2 バンド受信機のように 250∼300 メートル 350∼400 メートル の各バンドを切換えて受信するようになっている。 このような放送開始近しの情勢に,ラジオアマチュアの種類も一部特定の人達 から広い層にうつって来た。したがってラジオセットもいろいろコストダウンの 方法が考えられるようになった。第 26 図に示す(「科学画報」1924 年8月号掲載) 1)図は誤りで実際は受信波長範囲として 200∼250m,および 350∼400m が許可されることになっていた。なお 送信波 長は近距離用として 215∼235m,遠距離用として 360∼385m が許可される予定であった。
ような試験管のバリコンなど,当時のアマチュアは大いに愛用したものであった。 第 26 図 この機を逸せず無線実験社では 1924 年(大正 13 年)7 月 25 日,本郷,赤門 ビルにおいて “無線電話組立技術伝習 会” を開催した。 また「科学画報」は同年 10 月 15,16 両日午后 6 時より 9 時まで “無線放送 大会” を開催した。送信所は日本橋の 西川商店におき,受信所を日比谷公園 音楽堂,番町小学校,両国国技館(今 の日大講堂)において一般に公開した。日比谷会場においては 15 日に 8 千人,16 日には実に 1 万 1 千人の聴衆があったと記録されている。 第 27 図の右上は 15 日「航空文明の話」を放送中の坂谷男爵,右下は「無線と鶏 鳴」を放送中の堀内中将,左上は 15, 16 両日「地震学講話」を放送中の今村〔明 恒〕博士,左下は日比谷会場における受信装置である。 また第 28 図の上は番町会場における受信装置,下は西川ビルにおける送信装 第 27 図 第 28 図
置で波長 470m(640kc), 1kw でモニタしているのは牛込技師である。この写真は 「科学画報」1924 年(大正 13 年)12 月号に掲載されたものである。なお,前出座 談会の記事で原田氏の発言にある “伴伝” というのは西川商店のまちがいと思わ れる。 この他 1924 年には,1 月 25,26 両日大阪朝日,4 月 13 日安藤無線研究所と東京 朝日,5 月 3∼15 日大阪毎日,5 月 17 日東京朝日の各社によって放送実験が行な われた。 さらに同年 10 月 25 日より 16 日間,東京不忍池畔で開催された “無線電話普及 展覧会” においても会場の一隅にスタジオを設け,ウエスタン社の送信装置を使 用して実験が行なわれた。 この展覧会の出品件数は約 2 千点に及ぶ今日考えても堂々たるスケールのもの であって,会場を一巡すると持ちきれない程カタログが貰えたのを記憶している。 一方,前掲の国米氏の話しにもあるように,逓信当局とアマチュア間のトラブ ルも頻発する有様であった。「科学画報」もついに 1924 年(大正 13 年)12 月号 の編集後記において,つぎのような声明をするに至った。 創刊号以来,本誌が卒先提唱し 第 29 図 た しろうと 素人無線熱は,いよいよ一般的 時代の風潮となつて全国にみなぎ り溢れました。同時に当局の施設 や規則も確定に近づいて,現在で は,折角製作法を読んで こしら 拵 へて 見ても,これを実験しようとすれ ば,取締り規則に違反することに なりました。当局が検定したもの を使はなくてはならず,しかも現 在では一つも検定を受けた機械は ないのです。製作法を御教へすることは規則違反をおすゝめするやうな嫌ひ が生じました。日本無線界のためにかくの如き情勢は,果して喜ぶべきか悲 しむべきか。私には分りません。とまれ事実は事実で,何と動かすべきやう もありません。
従つて本誌は,今後,当局の方針が決定し,検定事務が しんちょく 進 捗 するまで当 分の間,重要な呼びものの一つだつた無線製作記事を休載します。営業政策 から言へば実に乱暴至極な態度ですが,営利を目的としない本誌は,断然読 者諸君のために,諸君をして罰金の刑に あ 遇はせないやうに, な い し 乃至は苦心して 作り得た愛機を没収されるやうなことのないやうに,不利益を覚悟の上で製 作記事をやめます。…(後略)… 1925年(大正 14 年)春におけるこれら不法受信施設の数は東京市内において 3 万余と推定され,その大部分は学生であったといわれている。追掛けて同誌 1925 年(大正 14 年)1 月号は,つぎのように報じている。筆者は宮里良保氏である。 いよいよ 愈々確定した公衆無線電話 逓信省が,放送用私設無線電話規則といふものを出してから丸一年目の 新春 へきとう 劈頭, いよいよ 愈々待ちあぐんだ公衆無電放送の紀元ともいふべき受話機の検定, 放送局の設置が実現された。やがて家庭にも学校にも,朗らかなラディオ・ コンサートが毎日催されるのも遠くはあるまい。 それで開始されたとはいへ,受話機の型式試験といふのはどんなものか, 又どんな受話機が検定に合格するかといふ事は,規則が発布されて以来等し く興味をもつて注視されて居た問題である。それは規則中の第十四条,すな はち (一)空中線の固有電波長は百五十メートル以内。 (二)二百 な い し 乃至二百五十メートル,又は三百五十 な い し 乃至四百メートル, もし 若くは上 記二種の電波長に限り受信し得る装置なること。 (三)空中線に振動を生ぜざる接続を有すこと。 といふ。受信電波長を や た ら 矢鱈に変更出来ない事と空中線電流の再生を防ぐ,こ の二つを主として居る。これに合致したものは もちろん 勿論必ず合格するに決つて居 て,何にも珍らしくはないように思はれるが,実際問題になると仲々これは 種々の支障もあり,又不便も生じて来る。 第一にこの規則の適用によつて一番始めに困るのは,この規則が出来ない 前から研究に従事して居た全国一万余のアマチュアである。 我が国のラディオ界が主として米国の影響を受け,今日に到つた関係上, それ等の人々の有する受話機の大多数はほとんどこの規則に適合しないも
のが多いに違いない。既製品を買つたものでも自分で組立たものでも,その 基本とする所は,米国の無制限の電波長に一致するやう,設計されたものが 多い。例へば用ひられたインダクタンス・コイルの如きもその捲数が細く分 けられ,又或る式に於ては受話をより有効にせんが為め,レ・ゼネレテーヴ 〔再生〕のものが すくな 尠 くない。この二つの点が すで 己に,我が国の規則と相反する。 多くの製作者達は,どういふ風にしてこの規則に一致した受話機を作り出さ うかと,大分苦しめられて居るらしい。 こと 殊に無線電話商の中には,流 第 30 図 行の目先を見て,電気の何物 かも知らない しろうと 素人が,開業し たものも可成り居るので,波 長の測定等といふ む つ か し 六ケ敷い問 題にぶつかり,今更ら う ろ た 狼狽へ たものもあり,或る の ん き 呑気者は, 何に認可になつた機械を見て 作れますよ,といふて居るも のもあるが,この型式の認定 といふものは,一種の専売特許の効力を発生するさうで,うつかり類似品も 作れないさうである。それであるから, いわゆる 所謂雨後の たけのこ 筍 の ごと 如く,一時群生し たラディオ商の中でも困る人が多いだろうと観測されて居る。そしてこれ等 の小さいラディオ商達は,結局信用ある製作者の製品を小売する事になるだ らう。それと共に,輸入された莫大な外国品の中でも使用出来なくなるもの が多数を占めるであらう。斯くの ごと 如くして,結局優秀なる日本特有の受話機 により全国が統一され, ここ 茲に初めて,逓信当局の永年の理想と努力が報ひら れる事に違ひない。 しか 然らば全国一万余のアマチェアの持つて居る区々別々の 型式の受話機はどうなるか,一々電気試験所の検定を受けなければならない かどうか。或る当局者の確かな話によると,理論上は許されるかも知れない が,あの検定規則の主意は,製造販売者を主眼としたものであるから,個人 個人のものが出願しても恐らく受付けないであらうと,けれ共特に研究上有 益な設計のものは,例外として検査をするかも知れないとの事である。 とに角この事に就いては,後日重大な問題となつて現れる事と思はれる。