(1930年)
ここに示すのは「無線と実験」1931年(昭和6年)6月号に 掲載されたもので,題名は「ラヂオを作る話」となっている。
これは1930年頃のラジオ・アマチュアの姿と東京市内のラジ オ商のようすをみごとに描いてあり,後世に残る記録である と信ずる。筆者は赤木杢平1)氏となっているが,もちろん匿 名で,相当な大家であると思われる。が今となっては調査するすべもない。そう 入の漫画も同氏の作であるが,メーカーおよびラジオ商の広告写真は著者がそう 入したものである。
ラヂオを作る話
(1)
ラヂオを急に
よ そ
他所へ持つて行かれた。昭和5
第123図
年の都市対抗野球戦の初日の
ひる
午頃だ。今迄置い てあつた床の間が急にガランと物寂しくなつた。
楽しみにして居た野球の中継放送だ。何として も聞き
た
度い。学校が夏休みで所在のないター公 は「一つ買つたらどう? あつたものが無くなっ たつて淋しいもんだわ」と言ふ。
急いで買つて後で後悔するのも嫌だし,と言 つて何の予備知識もなくラヂオ屋を探して歩い てる中には野球は済んで
しま
了ふ。仕方がないから
当座の間に合せに街のラヂオ屋さんから野球の間だけ機械を借りた。「この 機械はお貸しするので,まあ修繕の間代りに
さしあげ
差上ると言つた極く粗末なもの ですが,
い か
如何様なものでも組立てますから是非一つ…」ラヂオ屋の主人が鼻 の頭の汗を拭き拭き口上を言ふ。五十そこそこの片眼のすがんだ見るからに
1)〔編者註〕本名は櫛渕真澄。ペンネームは赤木杢平の他に赤木桁平も使った。京都高等蚕業学校本科へ進学、卒業後は助 教授。幼少の頃より絵が好きで、学生の頃より岡本一平氏に師事。「文藝春秋」「毎日新聞」紙上などで活躍。昭和8年享 年35歳で死去。
慾の深さうな親爺だ。「ラヂオ修繕専門」と染抜いた赤い旗を立てた古びた 薄汚いその店が余の頭に浮んだ。どうしてもその店から機械を買ふ気になれ ない。「まあその中古物でもいいから安いのがあつたらね」余の財布は貧し かつた。「と申しますとおいくら位で」親爺は
す
直ぐ付いて来る。「まあ三十円 位迄だらうな」親爺はニヤリと笑った。
翌々日,余は猿又一つで籐椅子に寝ころび
なが
乍ら借物のラヂオで野球放送を 聴いてゐた。突然そこヘラヂオ屋の親爺が得々とラヂオを担いでやつて来た。
ふしょうぶしょう
不性無性余は蓋をあけて見る。
もちろん
勿論内容は判らない。今考へると多分鉱石検 波二〇一の整流球共三球のエリミネーターだったらうと思ふ。小さな子供だ ましの様なスピーカーをつけて二十七円迄にと言ふ。親爺大急ぎで組立てき たらしい。「わたしや雑音が嫌いでして」とか「この頃の受信機はみんな体 裁ばかりで」とか,手前味噌を上げてゐる。
なるほど
成程ハムはなかつた様だ。
しか
然し どうしてもこれを買ふ気になれなかつた。余は再び薄汚いホコリだらけの箱
ばか
許り並んで居る店を頭に描いた。
余は「嫌だ」と言ひ
た
度かつた。ラヂオを借りたのは相当の損料を払つて借 りるのだ。その上無理に機械を買はねばならぬ義務はない。気の弱い余は さう言ふ代りに「まあ考へるから置いて行って呉れ
たま
給へ」と言つてしまつた。
裸の体中から汗が出た気の弱い余は買はなくては悪いだらうと言ふ考へと別 に,これと頼んだのでもなに構うものかと言ふ考へで一日考へ通した。
到頭決心して翌晩余は重いラヂオを持つて親爺の店へ行つた。丸三日間の 借料をと言つたら,片眼をすがめた親爺は「普通だと一日二円宛頂くのです が特別皆で五円程にしときませうか」と言つて,注文品を返された程の不愛 想さに苦い顔をした。五円札を一枚出して余は解放された気持だつた。財布 は完全に
から
空になつた。それから余のラヂオ道楽が始まつて少からぬ財をアチ コチのラヂオ商君に奉納したが,この店からはネジ1本買はない。いつもこ の店の前を通る時唾をしてやつてゐる。
(2)
必要が研究心を生む,
しゃく
癩 にさはるから一つ組立ててやらうかと言ふ考へ が余を本屋へ走らせた。探し出して一冊参考書を買つた。電池式だと電池が うるさい。エリミネーターにしやうと大体の方針が立つ。この参考書にはエ リミネーターの例が三つ出て居る。第一は実用向とかで二二七,二二六の低
周波二段のレフレックスと言ふ奴だが,その後で出て来るのを見た後では何 となく物足りない。ラヂオには全然
しろうと
素人な余も人並にどうせ作るならいいも のが欲しい。第二,第三の物は同じく二二七を使つたものだが,部分品を計 算して見ると六十円程掛る。余は憂うつになつた。六十円の部分品を集めて さて組立てたが聴えないなんと来たら,余に取つて問題が大きすぎる。手当 り次第に買つて来たラヂオの雑誌を読で見ると失敗談が
たくさん
沢山ある。余は小々 組立る事が不安になつた。
「出来てるのを買つたらいいぢやないの」余の
第124図
にはかラヂオ屋を全然信用しないター公は
もっぱ
専 ら 既製品の安全さを説く。余もその気になつて残 暑の残る夕,ター公をお伴にしてラヂオ探しに出 かけた。臨時に入つた
すこしばか
少 許 り
まとま
纏 ったお金を大 切に
ふところ
懐 で握つた。ラヂオ雑誌の広告欄をたど つて
ま
先づ訪れたのが新橋駅から歩いて六畑無線 研究所。(著者注,三田無線研究所を変名にした ようである)買ふ気はない唯見るだけだ。そんな 不心得者と知るや? 店員氏は親切に種々見せて
呉れる。何でも二二七,二二六,二二六でケースは金属,今を流行のワンダ イヤル型で四十五円とかだった。
カタログ
型録だけ忘れずに
もら
貰つて出る。
桜田本郷町(著者注,今の田村町)で飛行会館
第125図
の高い建物を見上げながら電車を待つてゐる鼻 の先へ,円タク1)をヌツと突きつけて
い か が
如何です と言ふ者がある。片手の指を開いてこれで行く かと言つたら行くと言ふ。 (著者注,50銭)行 先は本郷赤門前だ久し振りで来て見ると,こん なだつたかと思はれる程本郷通は野暮臭く街の 灯が暗い。
ようや
漸 く探し当てた黒門ラヂオ商会(著 者注,赤門ラヂオ商会の変名)へ
まか
罷り入る。用向 きを話すと小僧氏がこちらへと言ふ。従つて行 くと店の奥に
つらな
連 る倉だ。コンクリートの階段を
1)〔編者註〕「一円タクシー」の略。料金均一1円で走ったタクシーの事。
上るとゴタゴタした所で二人程受信機の修繕をしてゐる。小僧君早速試聴さ せてくれる。倉の二階だからとても暑い。ター公を見るとオカツパの額に汗 がにぢんでゐる。
外へ出て人波にもまれ
なが
乍ら飲物屋に飛込み冷たいものを飲んで,もう一軒 下谷に
やす
廉い広告の所があつたから行つて呉れるかと,ター公に
うかが
伺 ひを立て ると「ウン行く」と言ふ。電車を広小路で降りてグロテスクな感じのする高 架線の下を抜けて車坂辺で三,四回人に尋ねた揚句
ようや
漸 く判つた。山商会(著 者注,島商店の変名)とか言ふ店だ。ここは部分品が主で組立てた受信器は あまりない様だつた。試に余が計算して六十円位になつたものを
いくばく
幾何位で組 立て呉れるかと訊ねたら,二十五円位でやりませうと言ふ。余り
やす
廉く出られ たのと未だ若い主人の態度が気に入つたので,後から配線図を郵便でお送り するか,自分で持つて来るから頼むと言つた。気の弱い余はこの約束を果さ なかつた事を其後長く苦にした。
帰りの省線電車1)の中でター公
第126図
から「どれにする」と訊かれて返 事に迷つた。
翌晩は神田のコンドル屋(著者 注,田辺商店の変名)を襲つて見 た。決して悪い感じのしない小店 員君が,店頭で大声でがナつてゐ た蓄音機を止めてコンドルの説明 をして呉れる。非常に充分過ぎる 程の音量で,松内〔則三〕君(著者
注,かつての名アナウンサー)の水泳の実況放送だ。ター公は受信器なんぞ に興味がない。
ただ
唯聞けばいいのだ。浮かぬ顔をしてゐる。早く銀座へ行つて,
チョコレートサンデーが喰べたいんだらう。小店員君にはコンドルに充分な 未練気のある様に見せかけ,及び後程買ひに来る様な素振りで店を出る。
銀座だ。都会子のター公にとっては百のラヂオ屋さんより銀座のペーブメ ントがどんなにか嬉しいらしく,赤ん坊の位な大きさの小間しやくれたハイ ヒールの音をコツコツさせながら,不二屋の二階へ駈け上がって行つた。
1)〔編者註〕鉄道省の経営する電車。後の国鉄時代の国電に相当する。