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パーリ学仏教文化学 (32) - 005槇殿 伴子「チベット埋蔵経典『マニ・カンブン』における初期仏教についての記述 ──チベットにおける「ヴェッサンタラジャータカ」の伝播と変容──」

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[論文]

チベット埋蔵経典『マニ・カンブン』における

初期仏教についての記述

──チベットにおける「ヴェッサンタラジャータカ」の

伝播と変容

(1)

──

槇 殿 伴 子

Tracing the Early Buddhism in a Tibetan Revealed Scripture:

Vessantara Jātaka in the Maṇi bka’ ‘bum

Makidono, Tomoko

Vessantara Jātaka is a well known Buddhist text which has widely spread to all over Asian countries. The story tells a birth story of the Buddha Śākyamuṇi as being Prince Vessantara, featuring his great generosity to the extent that he has offered his children. This paper looks at a Tibetan text in which narratives similar to Vessantara Jātaka are found. The Tibetan text is called the Maṇi bka’

‘bum, which is a “revealed text” (gter ma), being claimed to be authored by

Srong btsan sgam po (d. 650), an ancient Tibetan king as being a manifestation of the Boddhisttva Avalokiteśvara, a tutelary deity in Tibet. The text narrates successive birth stories of the king, and two stories similar to Vessantara Jātara consists of them.

There are several features in the two stories in Tibetan, which differ to the story commonly known as the Vessantara Jātaka like in the Pāli literature. The names of characters are different from those in the Pāli. For example, the main character of both stories is named ‘Jig rten dbang phyug (Skt. Lokeśvara) who has two queens, instead of one in the Pāli literature. One is identified as Srong bstan sgam po’s Nepali queen, and the other is his Chinese wife. Philosophically, also the stories teach Mahāyāna thoughts such as the

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generation of the mind towards enlightenment (sems bskyed), and a faith in the Bodhisattva Avalokiteśvara and his quintessential mantra oṃ maṇi padme hūṃ.

キーワード: ヴェッサンタラ・ジャータカ,マニ・カンブン,初期仏教,大乗 仏教,観音菩 ,観音信仰,六字真言,チベット仏教,埋蔵経典, 布施波羅蜜,仏教の伝播と変容

1.はじめに

 『マニ・カンブン』(Maṇi bka’‘bum)はチベットの「埋蔵経典」(gter ma, テルマ)である。埋蔵経典は一時期隠されたがその後発見された経典とされ ている。『マニ・カンブン』は観音菩 の化身としての古代チベット王ソン ツェンガンポ(没650 C.E.)を作者とする。彼自身がラサのトウルナン寺の 馬頭観音の足下に隠し,12世紀に発見されたとされている経典である。現 代の研究では実際に作成されたのは12世紀頃からとされ,実際の作者も埋 蔵経発見者たちと見なされている(2)。先行研究によると埋蔵経典はチベット 仏教古派(rNying ma pa, ニンマ派)から作り出されており,思想上の特徴か らも『マニ・カンブン』も古派の経典とされている(3)。埋蔵経典の種類は多 様であり,例えば土中に埋められていたとされるものから,「埋蔵経発見者」 (gter ston, テルトン)の脳裏に隠されているものもある。それゆえ,偽経と みなされるのが通例ではあるが,『マニ・カンブン』は異例である。観音菩 の化身であり,チベットの統治者としてのダライ・ラマ政権によって擁護 されてきたという歴史的背景を持ち(4),今日に至るまで汎チベット的に受容 されてきている。『マニ・カンブン』の先行研究は過去100年ほどに亘って なされている。歴史文献として分類されることもあり(5),政治史的な解釈(6) や女性史的な解釈(7)もされている。現代における研究は,フランツ・カー

ル・エールハルト(Franz-Karl Ehrhard)(8)やマシュー・カプスタイン(Mathew

Kapstein)らによって先導されている。抄訳が段階的になされてきた(9)が,

直近ではツェリン・ティジン・リンポチェ(Tsering Trizin Rinpoche)による

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 『マニ・カンブン』の主要な思想的特徴は観音菩 の六字真言「オーン・ マ・ニ・ペ(パド)・メー・フーン」(oṃ ma ṇi pad me hūṃ)を唱導すること である。題名の「マニ」とは六字真言の「マ・ニ」のことである。経典が隠 されて,後に発見に至る経緯は目次に記されている。それによると,『マニ・ カンブン』の教えは,阿弥陀仏から始まり,観音菩 ,ソンツェンガンポ 王,パドマサンバヴァ(Padmasambhava),ティソンデツェン(742‒797)王 へと順次に伝えられたとされている(11)  『マニ・カンブン』には「ヴェッサンタラジャータカ」(Vessantarajātaka) (以下 Vj)と類似の物語が二編存在する。主人公は世自在(lokeṣvara, ‘jigs

rten dbang phyug)太子であり,ソンツェンガンポ王の前世譚として描かれ

る。類似本は『マニ・カンブン』と通底して観音菩 信仰を背景としてい る。主尊は観音菩 であり,冒頭は観音菩 へ供物を捧げる描写から始ま る。随所に大乗仏教を鼓吹する主張が見られるが,Vj の大乗化はこの例が 初めてではない。Hubert Durt によれば,Vj の布施行は大乗経典『法華経』 にも暗示的に言及されている(Durt 1999: 147/266)。  『マニ・カンブン』は現存する最も大部の版(ジェプン版とデルゲ版)で は三つの巻から構成されている。「経巻」(mdo skor),「成就巻」(grub thabs kyi skor),並びに「訓戒巻」(zhal gdam gyi skor)である。「経巻」はさら に幾つかの小編から構成されている。大部の版では⑴「偉大なる歴史」, ⑵「カーランダヴューハスートラ」(Kāraṇḍavyūhasūtra, 大正1050; P. 784, D. 116),⑶「千手千眼陀羅尼」(大正1064, 1060; P. 368, D. 690),⑷「ソン ツェンガンポ自伝」(chos skyong ba’i rgyal po srong btsan sgam po’i mdzad pa rnam thar gyi skor),⑸「ローケーシュヴァラ王子本生譚」(rgyal bu ‘jig rten dbang phyug gi skyes rabs bzhugs),⑹「ソンツェンガンポ王の21業」の6編 から成っている。さらに,⑷の自伝は全27編から成る。27編はさらに前編 と後編に分かれている。前編は1章から16編までが(4‒1)「シャーキャム ニ仏の時代における[ソンツェンガンポ王の]業」であり,後編17番目か ら27番目までが(4‒2)「[シャーキャムニ仏以外の]他の諸仏の時代におけ

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る(ソンツェンガンポの)業」(sangs rgyas gzhan gyi bstan pa la mdzad pa’i lo rgyus])である。後者(4‒2)はソンツェンガンポの本生譚であり,王の個々 の前世における善業を11の物語の中で讃える形式となっている。この後者 の第1話(すなわち「自伝」の第17話)及び,⑸の「ローケーシュヴァラ 王子本生譚」第1話がパーリ語 Vj の「ヴェッサンタラジャータカ」の類似 本である。本稿では特に「自伝」第17話と「ローケーシュヴァラ王子の本 生譚」第1話を取り上げる。  本稿の目的はパーリ語 Vj における Vj と『マニ・カンブン』における2つ の類似本を比較検討することである。その中で,『マニ・カンブン』に描か れた Vj の特徴を明らかにし,その伝播と変容について考察する。

2.Vj の流布本

 Vj はパーリ語 Vj に遺されている釈尊の本生譚である。布施を実践し,自 分の子供まで布施する王子の物語としてよく知られている。アジアの諸地 域の広範囲にわたって,流布し,その諸言語による流布本も研究されてい る[Ralston 1906; Lamotte 1981: 714, n.1; Panglung 1981(12); Durt 2009; Analayo

2016; Collins 2016](13)

 チベット語による Vj についての先行研究は幾つかある[Ralston 1906: 257‒272; Bacot 1914; Panglung 1981: 109‒110; Collins 2016: 20‒21, nn. 53, 54, 55]。Bacot によって翻訳されたチベット語の流布本では主人公はディメク ンデン(Dri med kun ldan,「一切の無垢を有する者」)という名である。ド ラマの冒頭部で,観音菩 の六字真言が唱えられ,観音菩 へ帰命されてい る[Bacot 1914: 227]。チベット大蔵経カンギュルに所蔵された Vinaya にお ける Vj にはさらに幾つかの先行研究がある。Anton von Schifner の独訳をさ らに W. R. A. Ralston が英訳している[Ralston 1906]。「根本説一切有部琵奈

耶破僧事」(Saṅgabhevavastu, T 1450)における「ヴェッサンタラジャータカ」

に つ い て は Jampa Losang Panglung[1981: 109‒110](14)及 び Bhikku Anālayo

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弟デーヴァダッタ(Devadatta)の前世譚として描かれており,そこでは ヴェッサンタラが子供を布施したバラモンがデーヴァダッタとして同定さ れていると指摘している[Anālayo 2016: 11; Panglung 1981: 110]。クリスト フ・エメリックによると,ネパールにおけるネワール仏教の『ヴェッサンタ ラジャータカ』研究はジークフリト・リーンハルト(Siegfried Lienhard)に よって絵画の点から着手された[Lienhard: 1980; Emmerich 2012: 541; Cf. 佐 久間 2017]。エメリック自身もネワール仏教におけるヴェッサンタラジャー タカとその写本を研究した[Emmerich 2012]。その最古の写本は1749/50年 に遡ると記している[Emmerich 2012: 542]。エメリックはネワール版では その内容が土着化していると次のように指摘する:「アヴァダーナを含む Aṣṭaṃīvratamahātmya と呼ばれるサンスクリットとネワール語の儀軌のテキ ストが用いられ」,「Aṣṭaṃīvrata(八斎戒)(15)の日に,儀礼が行われ」,「その 中に,本生譚が含まれている」[Emmerich 2016: 185]と述べる。また,儀礼 は「Aṣṭamīvratavidhāna という作法本」を用いて行われ,「仏陀,仏法,サン ガ,そして,Amoghapāśa-Lokeśvara(不空羂索観自在)としての観音菩 へ 捧げられる[Emmerich 2012: 543, n.12; Emmerich, 2016: 185]」と述べる。ネ ワール版の結末では,太子の息子が王国の王として立てられると指摘してい る[ibid. p. 540]。後に類似本の梗概の中で触れることになるが,『マニ・カ ンブン』における『ヴェッサンタラジャータカ』の類似本の一つは秋の第8 日に行われる観音菩 への供養から始まり,結末では太子ヴェッサンタラの 息子が国王となり,太子は悟りを得て仏陀となる。

3.「ソンツェンガンポ王自伝」

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(類似本1)梗概

 前説では,ラサのトウルナン(‘phrul snang)寺において,秋の第1月の 満月の日(ston zla ra ba’i nya)にソンツェンガンポ王が観音菩 像に供物を 捧げていたときに微笑んだことについて,その微笑みの理由を家臣で翻訳官 のトンミサンボータ(Thon mi sambhoṭa)が尋ねる。誰に対して微笑んだの かという問いに対しては過去・現在・未来仏に微笑んだのではないと王は回

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答する。次に,トンミサンボータが王の微笑みの理由が王の偉業に関係する のかどうか逐一とり挙げながら質問する。このことを通して,王の功績を讃 え,知らしめる内容となっている。その偉業とは⑴仏教を移入したこと,⑵ インドと中国から二人の妃を迎えたこと(17),⑶神々と魔物を鎮圧し,寺を 建てたこと,⑷辺境の敵を制圧し,チベットに安寧をもたらしたこと,⑸開 拓してチベットを貧苦から解放したことである。ソンツェンガンポはそれら のどれをも微笑みの原因ではないと否定し,微笑んだ理由は仏法の修行のた めに幾刧にも渡って苦行したことを思い出したためと言い,そのエピソード を従臣たちに語り始める。  本説は,91刧前の前世の時のこととして語られる。その時の仏の名前は 「光明を造る叡智の頂」(‘od mdzad ye shes tog)仏である。ソンツェンガン ポ王はその時代に羅䉩羅国(sgra gcan)という場所で父はジャヤンガ(sgra dbyangs rnga),母はその父の500人の妃のうちの最年少のヴィマラ(vimala, dri med)の息子,ローケーシュヴァラ(‘jig rten dbang phyug)として再生す る。16歳のときに仏陀「光明を造る叡智の頂」に会いに行き,後に妃とな る二人の女性に出会う。仏の御前で,無上正等覚へ菩提心を起こすことを 祈願する(bla med byang chub mchog tu sems bskyed smon lam btab bo)。その 後,太子の父が「日月光女」(nyi zla’i sgron ma)と「虚空光女」(nam mkha’ sgron ma)を招いて太子と結婚させる。太子は布施に住し,その布施の名声 は遍くひろまる。そのころ,辺境の「沙木の国」(shing drung gi yul)の「木 座」(shing khri can)王が太子の国の財宝をすべて奪って優位に立とうと計 画する。彼はバラモンを遣わして,太子に財宝を請わせ,請われるままに太 子は布施する。父王は財宝が乏しくなったのを嘆いて,みんなと相談して太 子を魔物の山(bdud ri nag po)に25年間追放することにする。その日,太子 の妃「虚空光」に女の子が生まれたので太子は一週間布施させてほしいと頼 み,許可されて布施する。太子は妃二人に残るよう勧めるが,妃二人は「楽 なら一緒にいて,苦しくなれば離れるというわけではない」と主張して太子 といっしょに魔物の住む暗黒山に向かう。太子は道中で物乞いする人々に出

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会うたびに布施する。魔物の暗黒山につくと,太子の慈愛の力によって獣た ちは怒りの心がなくなり,太子たちを歓迎する。山は果物や薬草があふれ, 湖と池が広がっていく。そこで二人の僧侶に出会う。彼らは太子がまもなく 悟りを得るだろうと予言する。太子たちは快適な住居をこしらえて,楽しく 暮らしはじめる。妻に二人の子供たちをもらってくるように頼まれたバラモ ンが来て,太子に子供たちを請う。太子は布施が未完になるのを恐れて,妃 たちがいない間に子供たちを布施する。妃たちが戻ろうとすると,屍体を 担いだラークシャシー(srin mo)が現れ,道を遮る。妃たちが戻ったとき, 子供たちが布施されたと知り,気絶してしまう。妃たちが目覚めたとき,太 子は太子の布施を妨害しないという誓いを思い出させる。太子も妃たちも泣 く。すべての神々と龍神と十方の仏と菩 も嘆いたので大きな湖ができる。 その湖に蓮の花が咲き,蓮の花から仏陀が生まれる。大地が揺れ,虹と花の 雨が降り注ぐ。インドラとヤクシャが太子を試し,妃二人を請う。太子は布 施するが,7歩歩いて,インドラとヤクシャは太子に妃二人を返す。子供た ちを得たバラモンは太子の国へ子供たちを売りに行く。父王はどこで子供た ちを得たのかと問うと,バラモンは太子にもらったと答える。そのとき,父 王は子供を与えるくらいなら宝石を与えるのは尚更だと思い,太子を追放し たことが間違っていたと気づき,バラモンに欲しいだけの財宝を与えると 申し出る。太子の息子は銅貨1000枚と牛200頭を与えるよう太子の父王に言 う。父王は太子に使節を送って,帰還するよう命じる。太子は応じて,帰還 する。途中で辺境国の王が宝石を太子にお供えして太子に許しを請い,太子 の臣下になる。太子が国へ帰還すると,皆喜ぶ。従臣たちは供物の財宝全て を貧しい人々へ布施する。太子は息子の「光明頂」に王女「曼荼羅」を迎 えて,灌頂する。太子の王女「青蓮華」はバラモン「安楽造」に送る。「光 明を造る叡智の頂」仏が,太子は来世で,「Gar yas」という場所で,Gar gyi dbang phyug の教えの時代に,「知恵の荘厳」という名の天女(nam mkha’i bu mo shes rab brgyan)として生まれると予言する。

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4.「世自在王子本生譚」(類似本2)梗概

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 女・木・兎年の第1月の第8日目(shing mo yos kyi ston zla ra ba’i tshes brgyad)に,ソンツェンガンポ王が微笑む。大臣ガル・トン[ツェン](mGar stong)と翻訳官トンミサンボータが微笑みの理由を王に尋ねる。類似本1 とは異なり,類似本2では王の功績は一切述べられない。王は前世を思い 出しながら,時は,仏陀「光明を造る叡智の頂」(‘Od mdzad ye shes tog)の 時代で,微笑んだ理由は,前世における苦楽の業に喜んだからだと答え, 前世譚を始める。羅䉩羅(Sgra gcan)という国で,「旋律的な太鼓を持つ」 (Sgra dbyangs rnga sgra,ジャヤンガ)という名前の父王には500人の妃がい

たが息子がいなかった。メール山に供物を捧げて祈願した。最年少の妃「無 垢」(Dri ma med pa)が息子を産む。息子の名前は「世自在」(‘Jig rten dbang phyug)とした。4人の保育士がつく。王子の教育過程の描写・音楽・書写・ 弓術などがあり,王子は空の教えを学ぶ。太子は布施が好きで,布施を通し て悟りを開くという覚悟の祈願をする。王子が仏陀のところへ行く。途中で 二人の女性に会う。女性は王子の妃になりたいというが,王子は「なんでも 持っているものはすべて与えるがいいか」と尋ねると,女性達は「命も与え ていい」といい,一緒に行くことになった。太子は仏陀に会って,供物を捧 げて,菩提心を起こした。二人の女性のうち一人は 有名 (Grags pa)国 の王「名声の起源」(Grags pa’i ‘byung gnas)の娘で名前は「日月光女」(Nyi zla sgron ma),他の一人は「蓮華」国(Padmo)の「無垢」(Dri ma med pa) という名前の王の娘で,名前を「虚空光女」(Nam mkha’i sgron ma)という。 太子の父が二人の妃の父親たちに黄金を与えて,妃二人を招聘する。二人の 王女と結婚して王子が王国を継ぐ。王子は泣く。王が理由を尋ねると,王国 に貧しい人々がいるからだという。王子は王国の倉庫がほしいという。父は 与える。すべての衆生への慈悲を持ち,王子は国王として3年間布施した。 「日月光」妃が息子「光線の頂」(Od zer tog)を生む。敵国かつ辺境国「沙

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が如意宝珠を奪う計画をたてる。3人のバラモンがその計画の実行のために 派遣される。三人は聖如意宝珠(‘phags pa yid bzhin gyi nor bu rin po che)を 求める。王子は逡巡するが,あげる。それを知った羅䉩羅の大臣と王は気を 失ってしまった。聖如意宝珠を与えることに関わった者たちに厳しい身体刑 罰が下された。聖如意宝珠のせいで,諸国を上回っていたのに,今では如意 宝珠がないので,諸国より劣勢になってしまったからだ。財宝の倉庫が空に なってしまった。太子の追放が決定され,25年間,太子は追放されること となった。如意宝珠の由来は阿弥陀仏が与えたものとされる。「虚空光」妃 が娘を生む。二人の妃も王子に同伴する。魔物の暗黒山(Bdud ri nag po)の 描写が続く。王子は妃に王国に残るように説くが,妃たちは「楽しい時は一 緒で苦しいときは離れるというのではない」と言い,同伴する。王子は敵に 布施を頼まれても,こばまないと言う。太子は二人の妃と一緒に出立する。 父も王子も妃も母も泣きながら別れる。王子と妃は馬に乗って行く。太子は 色々な災いから仏陀が救助してくれるように祈願する。そのひとつの例とし て,銅島(zangs gling mo)のラークシャシー女についての有名なシンハラ 物語も言及される。道中ではいく先々で乞食の者達が現れ,請われるままに 布施を続ける。最初は馬に乗って旅をし,その馬を布施する。象に乗って旅 をし,象を布施し,徒歩で旅を続ける。衣服を布施し,着るものがなくなっ ても後悔がない。すると,現れた7人の女性によって賞賛される。理由は三 毒がなく,慈悲の心があるからだと言う(19)。暗黒山に入る前に川があった がそれを越えて,魔物の住む山に着く。二人の僧侶に会う。二人が王子に何 がほしいかとたずねると,王子は「大乗仏教の教え」と答える。二人の僧侶 の名前は「慧光」(Shes rab ‘od)と「光」(‘Od)という。魔物の山が徐々に 変わっていく。肉食獣も慈悲を持つようになる。果物がなかった森に果物が 実るようになる。水がなかったが,水が出るようになる。王子とその家族は 幸せに9年間暮らす。ある日,バラモンが来て,王子に言った。15年間結 婚している彼の妻は若くてきれいだが,自分のことが嫌いで,召使を欲し がっている。だから,王子は布施で有名だから,二人の子供を与えてほしい

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という。王子は母親たちがいない間に二人の子供をバラモンに与えてしま う。母親たちは何か異変が起こったのに気づく。「何か,空っぽになった気 がする」という。そこに屍体を担いだラークシャシー女が現れて,魔物の山 がまた元どおりの魔物の山に変わってしまう。妃は子供が布施されたと知っ て気を失う。王子は布施の誓いを妃たちに思い出させる。王子が泣くと,涙 が海をつくる。妃たちは意識を取り戻し,王子の布施を賞賛する。7日後 に,蓮が誕生し,その茎や葉が金銀になる。花から一千の仏陀が生まれる。 王子と二人の妃は拝礼して,千手千眼観音菩 を賞賛する。すると,様々な 奇跡が起こる。大地が揺れ,虹が現れ,蓮の花から音楽が聞こえてきて,阿 弥陀仏の諸々の随伴者から千仏が現れる。六字真言が6つの輪廻を渡る。花 の雨が降る。インドラとヤクシャ「栄光の輝く英知」(Dpal ‘bar blo gros)が 王子が後悔するかどうかを試すために二人のバラモンに化けて王子の前に現 れ,妃二人を布施するように頼む。王子は求めに応じる。バラモン二人は妃 を取って,7歩行ったあと,また戻って,妃を王子に返す。妃たちはインド ラたちに拝礼し,3つの祈願をする。1つ目は子供たちを連れ去ったバラモ ンが王国へ行き,王子の父親に謁見し,子供を取り返すこと。2つ目は子供 たちが苦しんでいないこと。3つ目は子供にすぐに会えること。インドラと ヤクシャは,妃たちに高い地位での再生をさせることはできないが,妃た ちの3つの願いを叶えると約束する。一方で,子供達を連れ去ったバラモ ンの国(Bye ma gser gling)ではバラモンの妻が,バラモンと口論し,子供 を売るようバラモンにいう。バラモンは妻のいう通りにした。インドラは バラモンに王子の国(Sgra gcan)に行くように告げた。バラモンが到着する と,人々は子供達を認識して泣いた。口々に,「こんなことになるならどう して財宝を与えないのか。王子を追放したのは間違いだった」と言った。そ こで,王子を召喚することにした。王子の父は子供をひざに抱こうとした が,不適切なので,バラモンに「いくらほしいか」と聞いた。男子の子供 は,2000銀貨と200頭の牛,妹は200金貨と200の乳牛と言った。男の子供 は自分を過少評価し,妹をもっと上に評価した。祖父は孫が膝に乗ってこな

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いのでどうしてか理由をたずねると,男の子は「ひとの使用人になったの で,王の膝に行くのはふさわしくない」と言った。王はまた泣いて,バラモ ンにお金を与えた。その後で,二人の子供はきれいにされて,王の膝に乗っ た。男の子はバラモンに食事を与えるように祖父にお願いをした。父王はバ ラモンに財宝を与え,バラモンは豊かになった。父王は王子を連れてくるよ うに大臣に言った。王子は,「25年たっていないので帰れない」と言った。 また父王が手紙を送って,王子は承諾して帰ってきた。山の動物達は嘆き悲 しんで,花々は枯れてしまった。帰る途中で辺境国の敵国「沙木」国(Bye ma’i shing drung)の王が出迎えて,金銀財宝を与えようとしたが,王子はも らわなかった。「与えたものを返してもらうことはない」と言った。敵国の 王は感激して,王子の臣下になると誓った。王子と敵国の王は仲睦まじい友 達になった。王子は帰還し,母親に会った。母は喜んだ。太子の息子「光明 頂」に,ガウェトク(dGa’ ba’i tog)王の娘「マンダラワ」を迎え,息子に

王国を与えた(20)。王子は悟りを開き,「栄光が遍く積み上げられた王」(dpal

brtsegs rgyal po)という名前の仏陀になった。彼のサンガには,「預流向」 「一来向」「不還向」「阿羅漢」と縁覚がいた。彼らの幾人かは菩提心を起こ

した。弱い器官を持つ者でさえ,転輪王や神や人間に生まれ,彼らを大乗仏 教に導いた。太子の父王「鼓音王」(Rnga sgra’i rgyal po)はナンリソンツェ ン(Gnam ri srong btsan)[ソンツェンガンポの父]であり,「世自在」太子 は私[ソンツェンガンポ]だとする。太子の母「無垢」(nirmala, dri ma med pa)はパドマ・ツェ・ヨンワ・デイサトウカルマ(Padma tshe yongs ba’ ‘bri za thod dkar ma),「日月光女」の父「名声の起源」(Grags pa’i byung gnas)は ネパール王,その娘「日月光」はソンツェンガンポのネパール人の妃ティ ツン(Khri btsun),太子のもう一人の妃の父「無垢」王は中国の王(rgya rje btsad po)であり,「虚空光女」は唐の公女(Kon jo),僧侶「光」(‘Od)は 翻訳官トンミサンボータ,僧侶「慧光」(Shes rab ‘od)はマンジュシュリー (‘jam dpal),インドラはガル・トンツェン(Ngar stong btsan)であり,国 の守り手である。妃たちの行く手を遮ったラークシャシー女はシュリー・

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ヴァジュラパーニ(Śrī Vajrapāṇi, dpal phyag na rdo rje)である。ソンツェン ガンポ王から5世代後に,パドマサンヴァバ(Padmasambhava, Pamda ‘byung gnas)として誕生すると宣言する。太子の息子の「光線の頂」(‘Od zer tog) は「財宝を持つ者」(nor bu ‘dzin pa),娘の「青蓮華」(Utpala ma)は女神サ ラスヴァテヴィー(Sarasvati, dbyangs can ma)である。バラモンは悪魔「黒

い解脱」(Thar pa nag po)(21)である。彼の妻はヤクシャの女である。イン

ドラと共に太子の布施心を試したヤクシャの「成就の英知」は「ヤラシャ

ンポ」(Yar lha sham po)(22)である。無人地帯の悪魔の棲む国(Bya rog sgra

gcan)は雪の国(gangs can)[チベット]である。王の住居は ヤルルン・ ユル・チャジュク(yar lung g.yu ru khra ‘brug)である。暗黒山に入る前に あった偉大な川はヤルチャプツァンポ(Yar chab gtsang po)である。

5. パーリ語 Vj と『マニ・カンブン』における二つの類似本にお

ける固有名詞の違い

 次に,パーリ語 Vj と二つの類似本の相違点について指摘する。まず,固 有名詞が異なる。太子の国と都市名は,パーリ仏典では「シヴィ国のジェー トウッタラ市」(siviraṭṭha Jetuttaranagara)(23),類似本1・2では太子の国名 は「羅䉩羅」(sgra gcan)である。太子が前世を物語る契機は,パーリ語 Vj では,「大きな雲が」「蓮雨を降らせた」(mahāmegho p-vassaṃ vassi)ことで あるが,類似本1・2では,ソンツェンガンポ王の微笑みの原因を家臣が尋 ねたことによる。パーリ語 Vj では,太子の祖父はシヴィ大王(Sivimahārājā), 太子の父は「サンジャヤ」(Sañjayaṃ),父の妃,つまり太子の母は「マッ ダ王の娘プサティー」(Maddarājadhītaraṃ phusatiṃ),太子は「ヴェッサン タラ」,太子の妻は「マッディー」(Maddi),太子の二人の子供は「ジャー リ王子」(Jālikumāro)と「カンハージナー」(Kañhājina)王女で共に妃マッ ディーから誕生する(24)  『マニ・カンブン』における類似本1・2では太子の父はジャヤンガジャ (Sgra dbyangs rnga sgra,「旋律的な太鼓の音を持つ者」),母は「無垢」(Dri

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表1 固有名詞の違い

パーリ仏典 『マニ・カンブン』 太子の国 siviraṭṭha(シビィ国) sgra gcan(羅䉩) 太子の市 Jetuttaranagara

(ジェートウッタラ市) ―

太子 Vessantara ’jig rten dbang phyug(lokeśvara, 世 自在)

太子の父 Sañjaya(サンジャヤ) Sgra dbyangs rnga sgra(旋律的な 太鼓の音を持つ者)

太子の母 Phusati(プサティ) Dri ma med pa(無垢) 太子の祖父 Sivimahārājā

(シヴィ大王)

太子の息子 Jālikumāro (ジャーリ王子)

‘od zer tog(光明頂)①を母とす る。

太子の娘 Kañhājina

(カンハージナー)

Utpala(青蓮華)②を母とする。

太子の妃 Maddi(マッディ) ① nyi zla’i sgron ma(日月光女) ② nam mkha’i sgron ma(空照) 旱魃の国 Kāliṅgaraṭṭha

(カーリンガ国)

Bye ma shing drung(沙木国)

旱魃の国の王 ― shing khri can(木座) 太子が追放された山 Vaṃkatapabbato ヴァンカタ山 Bdud ri nag po 太子が子供を布施した バラモン Jūjako 醜悪なバラモン 子供を布施したバラモ ンの国

― Bye ma gser gling(沙金島) ma med pa),太子は「世自在」(lokeśvara, ’jig rten dbang phyug)」,太子には 二人の妃がいる。「日月光女」(nyi zla’i sgron ma)と「空照女」(nam mkha’i sgron ma)である。類似本2ではこれらの二人の妻はソンツェンガンポ王の 妃のうち,「日月光」はネパールと中国(唐)から招聘された二人の妃とし

て同定される。それぞれが子供を産み,「日月光女」から息子「光明頂」(‘od

zer tog)が,「空照女」から「青蓮華」(Utpala)という娘が生まれる。旱魃

(14)

1・2では「沙木国」(Bye ma shing drung),その王は「木座」という名前 で悪い王(log pa’i rgyal po shing khri can zhes bya ba)として描かれる。パー

リ語 Vj では太子が追放された山は「ヴァンカタ山」(Vaṃkatapabbato)(26)

類似本では「魔物の暗黒山」(Bdud ri nag po)である。パーリ語 Vj では太子

が子供を布施したバラモンは「ジュージャカ」(Jūjako)(27),類似本1・2で

は子供を施したバラモンの名を記さず,「醜悪なバラモン」とだけあり,バ ラモンの国は「沙金島」(Bye ma gser gling)である。

表2 物語の内容・構成の違い パーリ語仏典 ソンツェンガンポ王 自伝(改作本1) 世自在王子の本生譚 (改作本2) 文体 散文・偈頌 散文 散文・偈頌 長さ Fausboll 1896: 479‒596 5葉 12葉 内容 詳細 簡略・粗筋的 やや詳細 構成 3部構成(前説・本 題・後説) 2部構成(前説・本 題) 3部構成(前説・本 題・後説) 前説の場所 Kapilavatthu/

Nigrodhārāma ‘phrul snang(ラサのトウルナン)寺

‘phrul snang(ラサ のトウルナン)寺 前説の日 Kapilavatthuṃ upanissāya nigrodhārāme(カピ ラヴァストウのニグ ローダ園に滞在中)

ston zla ra ba’i nya (秋の第1月の満月

の日)

s h i n g m o y o s k y i ston zla ra ba’i tshes brgyad(女・木・兎 年の第1月の第8日 目) 物語の契機 mahāmegho p-vassaṃ vassi(大きな雲が蓮 雨を降らせた) 観音菩 への供養中 にソンツェンガンポ 王が微笑んだこと 観音菩 への供養中 にソンツェンガンポ 王が微笑んだこと 本説の時代 91劫前 91劫前 991劫前 本説の時代の 仏陀

Vipassī ‘Od mdzad ye shes tog( 光 明 を 造 る 叡 智の頂き)

‘Od mdzad ye shes tog( 光 明 を 造 る 叡 智の頂き) 太子追放の理由 象 財宝 阿弥陀仏から授けら れた如意宝珠 太子が追放され るまでの期間 1日 7日 7日

(15)

6.パーリ語

Vj と類似本との物語の内容の違い

 物語の内容にも違いがある。まず,文体は,パーリ語 Vj では散文と偈頌 の混交体であるが,類似本1・2とも散文である。パーリ語 Vj では,前説 で雨を契機として本節の導入とする。類似本1・2では,ソンツェンガンポ 王の微笑みが契機となっている。パーリ語 Vj では王子が王国から追放され た原因は,旱魃に見舞われたカリンガ国の王から派遣されたバラモンに,大 切な雨を降らす象を引き渡したことにある(28)。王子は追放されることを厭 わず同意するが,1日だけ待ってくれるように頼み,許される(29)。一方で, 類似本1・2では追放の理由は象ではない。類似本1・2とも辺境の敵国 「沙木国」の悪王に財宝を渡したことである。さらに類似本2ではより具体 的に如意宝珠(nor bu rin po che)を渡したことが理由となっている。王子が 追放されるまでの期間も七日間であり,これは王子の妃が「青蓮華」王女を 生んだので,そのお祝いのためである。

7.パーリ語

Vj と「世自在王子本生譚」における人物との同定

 上述したように,「ソンツェンガンポ王自伝」(類似本1)では物語の登場 人物が前世で誰に相当するかの記述はないが「世自在王子本生譚」(類似本 2)では,明らかにされている。太子の父の名はパーリ語 Vj ではスッドー ダナ,類似本2ではナンリソンツェン(570年生),つまりソンツェンガン ポ王の父である。太子の母は,パーリ語 Vj ではマハーマーヤー,類似本で はパドマ・ツェ・ヨン・バ・ディ・サ・トウ・カルマである。太子はパーリ ではシャーキャムニ,後者ではソンツェンガンポ王,太子の妃は前者ではヤ ソーダラーだが,後者には日月光女(Nyi zla’i sgron ma)と虚空光女(Nam mkha’ sgron ma)の二人がおり,前者はネパール王の娘ティツンであり,後 者は唐の太宗の娘コンジョである。山に住む聖者は,パーリ語 Vj ではサー リプッタに同定されているが,類似本2では,二人登場する。ウ(「光」)は トンミサンボータとして,シェラプウ(「慧光」)はマンジュシュリーとして

(16)

同定されている。インドラ神はパーリ語 Vj ではアヌルッダ,類似本2では ガル・トンツェンに,ラークシャシーは後者ではヴァジュラパーニに,太子 の息子は前者はラーフラ,後者ではノルブジンパに,太子の娘は前者ではウ トパラヴァンナー,後者ではサラスバティーに,太子が子供を伏せしたバラ モンは前者ではデーヴァダッタに,後者ではタルパナクポに,そのバラモ ンの妻は前者ではチンチャマーナヴィカーに,後者ではラークシャシーに, チェータの息子(Chetaputta)は前者ではチャンナに,後者には登場しない。  類似本2では,物語で語られた登場人物がソンツェンガンポ王との親族や チベット仏教において重要な神格やヒンズー教の神々に同定されており,仏 教とヒンズー教の混交が見られる。 表3 前世と現世における人物の同定 パーリ語仏典 「世自在王子本生譚」(改作本2) 太子の父 Suddhodhana Gnam ri srong btsan

太子の母 Mahāmāyā Padma tshe yongs ba’ ‘bri za thod dkar ma

太子 Śākyamuni Buddha Srong btsan sgam po 太子の妃

② Nyi zla’i sgron ma ③ Nam mkha’ sgron ma

① Yaśodhara ②ネパール王の娘 Khri btsun ③唐の太宗の娘 Kon jo 山に住む聖者 ① Pāli: Accutāpasa ②改作本「光」’Od ③ 改作本「慧光」Shes rab ‘od ① Sāriputta ② Thonmi sambhoṭa ③ Mañjuśrī (‘Jam dpal)

インドラ神 Anuruddha Ngar stong btsan ラークシャシー ― Vajrapāṇi 太子の息子 Rāhula Nor bu ‘dzin pa 太子の娘 Utpalavaṇṇā Sarasvatī バラモン Devadatta Thar pa nag po バラモンの妻 Ciñcamānavikā yakṣasī チェータの息子

Chetaputta

(17)

8.2つの類似本の違い

 「ソンツェンガンポ王自伝」中の類似本(類似本1)と「世自在王子の本 生譚」中の類似本(類似本2)にも違いがある。類似本1(5葉)は類似本 2(12葉)に比べて簡略であり,類似本2より,より粗筋的と言える。パー リ語 Vj の本生譚では,前説,本題,後説という構成を取る。前説で,今生 の釈尊がどこにいて,誰に語るかが示される。本題では,前世での行いが語 られ,最後に,本題で語られた前世の人物が今生では誰なのかが明らかにさ れる。類似本1は前説と本題の構成のみで最後の人物同定箇所を欠いてい る。類似本2は3部構成で,類似本1より長く,細部の描写にも富んでい る。パーリ語 Vj により近いのが類似本2である。類似本1・2の両者とも 前説の時代はウ・ゼ・イェシェ・トク(‘Od mdzad ye shes tog,「光明を造る 叡智の頂き」)という仏陀の時代の出来事として設定されている。類似本1 ではソンツェンガンポ王が観音菩 を供養しているときに微笑んだので,そ の理由を臣下トンミサンボータが王の功績を逐一述べたてつつ,尋ねる。王 は前生での苦行を思い出して微笑んだと答え,本題で,その苦行物語が語ら れる。類似本2では,王の功績は述べられず,微笑みの理由だけが二人の大 臣,トンミサンボータとガルトンツェンによって尋ねられる。太子が二人の 妃と出会うのは,太子が仏陀に会いに行く途中である。太子が二人の子供を バラモンに布施したとき,天変地異が起こる。類似本2ではその描写がより 詳細である。涙の海から蓮華が生じ,その蓮華から千仏が生じ,太子と二人 の妃が観音菩 に拝礼する。蓮華から音楽が奏でられ,「空には阿弥陀仏の 随伴者が黄金の蓮華として現れ,仏陀の声が十方に響き渡り,観音菩 の六 字真言が6つの輪廻を渡っていく」と説かれている(30)

9.類似本における思想上の特徴

 思想上の特徴を三つ指摘する。一つは,類似本1・2のどちらも大乗仏教 の思想を伝えていることである。特に,主尊を観音菩 とする大乗への信仰

(18)

を高めようとする意図がみられる。このような教義的変容を起こらしめた要 因は,いくつか考えられる。何よりもまず,『マニ・カンブン』における本 生譚が観音菩 の化身としてのソンツェンガンポ王の偉業を讃えることを目 的としているからである。物語の一々の登場人物もソンツェンガンポ王に寄 与するために作り変えられているのもそのためである。また,そもそもチ ベット仏教がインド仏教後期の密教の伝統を伝える仏教であることがそのよ うな変容をもたらしていることは当然のこととして考えられる。類似本1で は,世自在太子が「魔物の暗黒山」へ追放された後,そこで,「大乗仏教の 意味を念想して瞑想生活を送る」と説かれている(31)。ここで説かれている 大乗仏教とは小乗仏教との対比とともに,『マニ・カンブン』を貫く観音菩 を主尊とする世界観であると考えられる。特に,ここでの布施業は六波 羅蜜のうちの布施業の実践とも取れる。類似本2では,太子は100年間瞑想 修行をしている2人の僧侶に出会い,「何か欲しいものはあるか」と尋ねら れ,「大乗の教え」を請う。僧侶たちは,「太子が長く善業を積めば,きっ と大乗の教えを得,太子が悟りを得たとき,二人は太子の最初の弟子にな るだろう」と誓う。類似本2ではさらに,太子が帰還した後,悟りを開い て,「栄光が遍く積み上げられた者」(kun nas dpal brtsegs rgyal po)という名 前の仏陀に成る。彼のサンガの弟子たちの中には,四向四果の者たち,縁覚 者(pratyekabuddha, rang sangs rgyas)がおり,「そのうちの中には菩提心を 起こした者もいる。たとえ感覚器官が劣小な者でも転輪聖王や神や人間に生 まれて,彼らを大乗仏教に導いた」(32)と説かれている。次に,布施の教えに ついては,その布施が人身を捧げるまでに及ぶ布施業であることはもとよ り,人身と財宝のどちらが大切かということも説かれている。本来ならば, 人身の方が大切なはずなのに,財宝を重んじたために,太子を追放した国王 の愚かさと,その同じ国王が,太子の子供を取り戻すために今度は逆に財宝 を投じたことを描くことによって,財宝と人身のどちらがより大切なのかに ついて大衆的価値観が示されている。3点目は,布施した後に決して後悔し ないことが説かれていることである。このことは,たとえば,『入菩 行論』

(19)

(Bodhicaryāvatāra)3.10が説くように,「惜しむことなく与える」という教え と通じている(33)。類似本2のエピソードでは王子が森へ向かう道中で衣服 など一切の品々を請われるままに与え,何もなくなっても後悔しなかったと 説く(34)。また,森から帰還する途中で「沙木」国王が出迎えて,金銀財宝 を与えようとしたが,王子は「与えたものを返してもらうことはない」と拒 絶する(35)。類似本1でも同様に,森へ行くまでの道中に物品を与えて後悔 しない太子が描かれている(36)。さらに,子供をバラモンに布施した後,イ ンドラとヤクシャがバラモンに化けて太子を訪れ,太子の妻二人を請うと, 太子は逡巡することなく与え,また後悔しなかった。これを見て,インドラ とヤクシャは太子に再び,妃二人を返すことになる(37)  以上のように,類似本の思想上の特徴としては,ここでの布施業が大乗の 六波羅蜜の実践としての布施であると解釈できる点を指摘したい。

10.おわりに

 本稿ではチベットの埋蔵経典『マニ・カンブン』における初期仏教につい ての記述を「ヴェッサンタラ・ジャータカ」に焦点を当て,その特徴につい て考察し,パーリ語原点との比較考察を行った。インドからチベットへ伝播 した仏教の普及の形態を知る上で重要な資料である。文学形式上の模倣はも とより,佛教前伝期の古代チベット王ソンツェンガンポの本生譚の形を取っ て,シャーキャムニ仏の本生譚さながらに描いている。『マニ・カンブン』 中の類似本の1つでは,登場人物の一人一人がソンツェンガンポ王の親近者 に同定されるよう巧妙に作り変えられており,Vj に倣ったパロディとも言 える物語となっている。随所に大乗仏教の教えが盛り込まれ,観音菩 信仰 を背景とした自然世界の描写にも『マニ・カンブン』というチベット土着の 埋蔵経典の特徴がある。「ソンツェンガンポ自伝」と「ローケーシュヴァラ・ ジャータカ」の違いについては今後,これらの成立時期についての研究もさ れなければならないが,本稿では違いを指摘するに止めた。本稿では論及で きなかったが,ネワール版との類似点は他よりも際立っている。どちらも観

(20)

音菩 への供養を背景として物語が導入されることや,結末が太子の息子が 国王となり,太子が仏陀となることである。太子の名は「世自在」であり, それはネワール版の観音菩 (Lokeśvara)と一致している。今後の研究の 方向としては,リーンハルトとエメリックの研究によるネワール版における ヴェッサンタラジャータカと『マニ・カンブン』における類似本との比較研 究を行い,物語の伝播についてさらに考究する必要がある。 註 ⑴ 身延山大学教授望月海慧先生からこの論考への示唆をいただき,ここに謝意を表 します。 ⑵ Kapstein 1992. ⑶ Kapstein 1992: 92. ⑷ Waddell 1894: 61‒62. ⑸ Vostrikov 1994; Martin 1997. ⑹ Waddell, Ibid.; Dreyfus 1994: 209. ⑺ Gyatso 1987.

⑻ Ehrhard 2000; 2013.

⑼ Rockhill 1881: 326‒334, 355‒361; Bacot 1935, White 2010. ⑽ Tserin 2007. ⑾ Ehrhard 2000a: 210;槇殿2018: 67‒69. ⑿ 榎本文雄先生に Panglung (1981) の図書を指摘していただき,ここに謝辞を述べ させていただきます。 ⒀ Cf. 科研費2000年度実績報告書「中央ユーラシア地域に伝播した仏典の研究」(研 究者代表:吉田豊)によると,ソグド語,ウイグル語,モンゴル語によるヴェッサ ンタラジャータカ研究が報告されている。(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-11164262/)アクセス:H30年5月25日。 ⒁ Panglung (1981: 110) にヴェッサンタラジャータカの先行研究が言及されている。 ⒂ Cf. 吉崎 1997: 106.

⒃ MKB, Punakha (pp. 279.4‒289.1, fols. 140a4‒145a2); Trinzin Tsering Rinpoche, 2007: 467‒474.

⒄ ネパールからティツン(Khri btsun)と唐時代の中国からコンジョ(kong jo)を 妃として迎えた。

(21)

2007, Vol. 1, pp. 523‒547.

⒆ MKB, Punakha (p. 349.6, fol. 175a6): ’dod chags zhe sdang gti mug med || sems can rnams la byams sems can.

⒇ MKB, Punakha (p. 365.1, fol. 183a1): rgyal bu ‘od zer tog la | rgyal po dga’ ba’i tog gi bu mo manda ra ba blangs nas rgyal sar bton |.

マシュー・カプスタイン(Matthew Kapstein)によると,「ルドラ(rudra)の過去 生はタルパ・ナクポという僧侶であった」(Kapstein, 1992: 66)。

チベットの最初の王が空からそこに降りてきたとされる山の名前であり,山 の 神 と も さ れ る。(The Treasury of Lives. https://treasuryoflives.org/institution/Yarlha-Shampo. アクセス:5月23日); Sorensen 1994: 139; 今枝 2015: 100, 338 n.164. Vj (Fausboll, 1896: 480.7); 阿部他 1988: 150. Vj (Fausboll, 1896: 480.6‒481); 阿部他 1988: 150. Vj (Fausboll, 1896: 521.8); 阿部他 1988:189‒190. Vj (Fausboll, 1896: 513.14); 阿部他 1988: 182. Vj (Fausboll, 1896: 521.21); 阿部他 1988: 190. 阿部他 1988: 156‒163. 阿部他 1988: 163.

MKB, Punakha (p. 358.2‒3, fol. 180b2‒3): padmo las ‘khrungs sprul pa’i sangs rgyas stong || ‘od dpag med kyi ‘khor tshogs sangs rgyas stong || nam mkha’ la ni gser gyi padmar snang || sangs rgyas gsungs sgra phyogs bcur snyan par grags // ‘bru drug ‘gro ba drug gi lam sna ‘dren ||.

MKB, Punakha (p. 285.5, fol. 143a5): bdag ni theg pa chen po’i don yid la byed cing nang du yang dag ‘jog la gnas par byed |.

MKB, Punakha (p. 365.4‒5, fol. 183a4‒5): la la byang chub tu sems bskyed | dbang po

dang sgo zhan shos rnams kyang ‘khor los sgyur ba’i rgyal po’am | lha dang mir skyes nas thegpa chen po’i chos sgor btsud do ||.

Cf. Bodhicaryāvatāra 3.10 (Vaidya: 39.16‒17): ātmabhāvās tathā bhogān sarvatrādhva-gataṃ śubham | nirapekyśas tyajāmyeṣa sarvasattvārtasiddhaye ||; (Q, p. 247, fol. 7b2‒3; D,

p. 560.2‒3, fol. 11a2‒3): lus dang de bzhin long spyod dang || dus gsum dge ba thams cad kyang || sems can kun gyi don bsgrub phyir || phongs pa med par gtang bar bya ||.「わたし の体も享楽も三時の一切の楽も一切衆生の利益を成就するために惜しみなく捨てま しょう。」

MKB, Punakha (p. 349.3‒4, fol. 175a3‒4): mi lnga byung ste rgyal bu la slong du ‘ongs zer | ci yang med ci slong byas pas | khyed lnga’i gos slong zer | rgyal bus legs so byas te | bza’ mi lnga po’i gos rin po che rnams byin no || de ltar gos tshun chad byin te bre gang

(22)

yang med kyang ‘gyod pa med pa’i steng du dga’ bar gyur to ||.

MKB, Punakha (p. 364.2‒3, fol. 182b2‒3): rgyal bus bka’ stsal pa | mi cig gis zas zhim po byin nas zos pa na | phyis ‘dod byas kyang byin du med pa dang ‘dra | sngar ngas byin nas blang mi btub pas | khyed rang khyer byas pas | rgyal po de yang shin tu dga’ nas rin po che phul | de nas khyed kyi mnga’ ‘og tu mchi’o zer ro ||.「太子は言った。「ひとが美味 な食べ物を与えてくれて,食べたとき,後で「[返して]ほしい」と言っても,[返 して]もらえないのと似ていて,以前にわたしは与えた。その後で取り[戻す]こ とはできないので,あなたが持っていきなさい」と言ったので,[沙木国]王も非 常に喜んで,宝石を差し出し,「あなたの臣下になります」と言った。

MKB, Punakha (fol. 142b2): yang lam du slong mo ba lnga dang phrad pas ||khyed lnga’i gos dang rgyan rnams byin cig zer ba dang byin te ‘gyod pa med do |.「再び,[太子は] 道中,5人の乞食に出会い,服を5枚と装飾品を与えろ」と言われ,与えて,後悔 しなかった」。

MKB, Punakha (p. 287.2‒3, fol. 144a2‒3): bram ze re rer sprul nas btsun mo gnyis po bslangs pas | bdag gis the tshom med par byin te ‘gyod sems med par shes nas | gom pa bdun bdun khrid de slar yang nga nyid la phul lo ||.

略号及びテキスト

Bodhicaryāvatāra. Q, 5272; D 3871.

D=The Nyingma Edition of the sDe-dge bKa’-’gyur and bsTan-’gyur, published by Dharma Mudranālaya under the direction of Tarthang Tulku. N.p.: Dharma Publishing, 1981. MKB=Maṇi bka’ ‘bum. Maṇi bka’ ’bum: A Collection of Rediscovered Teachings Focussing

upon the Tutelary Deity Avalokiteßvara (Mahåkåru˜ika). Reproduced from a print from the

no longer extant spuṅs-thaṅs (Puṇakha) blocks by Trayangs and Jamyang Samten, vols. E & Waṃ, 1975.

Q=The Tibetan Tripitaka, Peking edition. Ed. by Daisetz T. Suzuki. Tokyo-Kyoto: Tibetan Tripitata Research Institute, 1955‒1961.

T= 大正新脩大蔵経

Vj=Vessantara Jātaka. The Jātaka, together with its commentary being tales of the anterior

irths of Gotama Buddha. Ed. by V. Fausböll. London: Kegan Paul Trench Trübner &

(23)

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参照

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