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伊 藤 裕 康

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(1)

関する力量形成の研究

ー岡崎市立矢作東小学校• 岡崎市立六ッ美中学校時代の杉浦健支の場合一

伊 藤 裕 康

I .  

はじめに

現在の学校教育に携わる「教師は真の意味でのカリキュラムの開発者、デイベロッパーとしての 専門的な力量をもち、その役割を果たさなければならない」 (山口、

2 0 0 1

5

頁)!)と言われる。

しかし、 「カリキュラム開発の方法論の研究が立ち遅れ」、 「教育内容に関する国家的な規制が強 く、学校における教育研究が何を、なぜ教えるかということよりも、決められた教育内容をいかに 効率よく教えるかという問題を中心にしていたという事情」 (山口、

2 0 0 1

1 2

頁)があった。 「国 定教科書以来の近代学校教育政策により、教師の教材開発・カリキュラム組織の力量を、自由に発 揮する場が奪われてきた」 (澤本、

1 9 9 8

2 9

頁)とも言われている2)

確かに、多くの教師が何を教えるより決められた教育内容を効率よく教えること、教科書に載っ ていることを効率よく教えることに腐心しがちだったことは否めないだろう。しかし、三重県伊勢 市立東大淀小学校の独自のカリキュラムでの「総合学習「いのちを守る土や水」」は、よく知られ ているところである3)。このような全国的な事例を出さずとも、筆者の周囲も独自の教材開発をす る、特に社会科教師が多かった4)。それら社会科教師には、社会科の学習対象は本来現実の社会や 地域なので、教科書を活用した授業より地域教材を開発した授業の方がより社会科らしいとの思い があった。

愛知教育大学付属岡崎小学校教諭時の

3 9

歳で亡くなった杉浦健支は、独自の教材開発をした社会 科教師である(図

1)

。寺崎

( 1 9 8 8

2‑3

頁)は、杉浦

( 1 9 8 8

13‑14

頁)の文章「単元を構想 するということは、子どもたちの姿を鋭くとらえることによって願いを持ち、教材を通して、その 願いを具体的に実現していく過程を見通すことである。それは、固定的なものでなく、子どもの動 きに即して柔軟な、しかも限りのない教師の営みである」を、 「「子どもを見る目」と「教材を読 み解く力」をあわせ育ててきた教師だけが記すことができる、教授的英知を感じさせる文章」と評 している。寺崎は「三九歳で逝った著者は、この力量をいったいどのようにして養ったのだろう か」

( 1 9 8 8

2‑3

頁)と疑問を呈している。社会科教師の力量研究は全国的に名高い名人と言わ れる実践者を研究してきた5)。だが、 「いかにしてカリキュラム開発の主体として教師を立ち上げ ていくか」、つまり一般の教師をいかにカリキュラム開発の主体者にするかが「焦眉の研究課題」

(山崎、

2 0 0 0

2 0

頁)である。名人と言われる実践者の力量形成に関わる研究だけでは課題解決に ならない。杉浦の実践者としての力量形成の道筋を解き明かし寺崎の疑問を解明することは、一般 の教師をカリキュラム開発の主体者にするといった「焦眉の研究課題」の解決と共に、 「学校にお ける教育実践、実際の教室における授業を基盤にしたカリキュラム開発の在り方が探究され、実現 されなければならない」 (山口、

2 0 0 1

、p.

5)

という今後の課題の解決に関わることでもある。今

(2)

年次・時期 憎齢 社会・教育の動き 1946(昭和21)

1959(昭和34) 1962(昭和37) 1965(昭和40)

1967(昭和42 1968(昭和43)

1969(昭和44) 1970(昭和45) 1971(昭和46) 1972(昭和47) 1973(昭和48) 1974(昭和49)主

体 的 1975(昭和50)な 1976(昭和51)学 習 1977(昭和52)の

実 1978(昭和53)践

10.  1愛知県安城市和泉町に杉浦家長男として誕生 1955.12文部省小学校学習指導要領社会 13安城市立泉小学校卒業 科編発行(第2

16安城市立明祥中学校卒業 1957.10ソ連人工衛星スプートニック打 19愛知県立安城高等学校普通科卒業,愛知教育大学教ち上げ成功。

育学部哲学科入学。 1958.10小学校・中学校学習指導要領告 示(第 3次)村上芳夫「主体的学習j 治図書

1979(昭和54) 1980(昭和55) 1981(昭和56) 1982(8廿57)生↑ 

活 1983(昭和58)

地 域 教 材 開 発

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村上芳夫「主体的学習入門」明治図書。 6東大安田講堂学生占拠。 7小学校学習指導要 領告示(第4次)。この頃から全国的に教育の現代化盛んとなる

23 I 3. 20愛知教育大学教育学部哲学科卒業。 4.1岡崎市立矢作東小14中学校学習指導要領告

学校31組担任。

24 I 3. 26水谷家2女光子と結婚。岡崎市立矢作東小学校52紐担 任。学級文集「若竹」

2s 

I

岡崎市立矢作東小学校62組担任。実践論文「社会科における構造的定着をめざして」

26  2岡崎社会科サークル発足。岡崎市立矢作束小学校54組担任。実践論文「社会 科における思考力の育成を構造化学習に求めて」

2 7 1

岡崎市立矢作東小学校64組担任。実践論文「主体的な社会科学習を求めて」

28岡崎市立矢作東小学校54組担任。実践論文「主体的に追求する社会科学習の実

29 I岡崎市立六ッ美中学校13組担任。実践論文「ノート指 導による主体的な社会科学習」

30 I岡崎市立六ッ美中学校24組担任。 9.21文部省指定道 12教育課程審議会答申「小・中・

徳教育研究発表。実践論文「作業化による主体的な社会科高等学校の基準の改善につい 学習の達成」。郷土読本岡崎編集委員(?) て」、ゆとりある教育、低学年の合 科指導、中学校の地歴並行履修。

31 I岡崎市立六ッ美中学校32組担任。岡崎市史編集委員小・中学校学習指導要領告示(第 3副読本「岡崎」改訂7版出版。実践論文「自己評価によ 5

る主体的な社会科学習」。

32 

I

岡崎市立六ッ美中学校24組担任。実践論文「反省を

6

高等学校学習指導要領告示、

生かした「主体的な社会科学習」の実践」。学級文集「歩「現代社会」新設 み確かに」。

33 I岡崎市立六ッ美中学校35組担任。実践論文「地域を教 8歴教協「地域に根ざす歴史学習 材にした主体的な社会科学習の実践」 の創造」

34 13副読本「岡崎j改訂8版出版。岡崎市立六ッ美中学校 19組担任。岡崎市小中学校教職員組合会計

35 I岡崎市立六ッ美中学校19組担任。岡崎市小中学校教 職員組合教文部長。形成的評価を取り入れた授業研究 36 I 4. 1愛知教育大学付属岡崎小学校32組担任。

4. 1愛知県公立小中学校教員研修の指導を委嘱される。

9. 1愛知教育大学講師を併任される。実践記録「国一問題」、

実践記録「康生の商店街」

37 I愛知教育大学付属岡崎小学校42組担任。実践記録「伊賀川」、

実践記録「石垣島のくらし」

38 I愛知教育大学付属岡崎小学校41組担任。 91日愛知教育大 8「教育技術法則化運動」

学付属岡崎小学校研究発表。実践記録「与論島のくらし」。愛知教始まる。

育大学付属岡崎小学校著「子どもとともに創る授業j明 治 図 書 を ピ 門 竺 竺 ス タ ー ト 。 分担執筆

39 I愛知教育大学付属岡崎小学校11組担任。生徒指導主事。三河教育研究会社会科 部会事務局長。実践記録「カレーライスのひみつ」

39 1314日永眠。享年39

岡崎社会科サークル編「あゆみ確かに一敬慕杉浦健支先生ー」刊行。

岡崎市立六ッ美中学校での実践「地域を教材にした主体的な社会科学習の実践」と愛 知教育大学付属岡崎小学校での実践「康生の商店街」・「伊賀川」・「石垣島のくらし」

・「カレーライスのひみつ」を収録した「生活教材を生かす社会科授業」黎明書房刊

(岡崎社会科サークル編「あゆみ確かに一敬慕杉浦健支先生ー」 1987246‑248頁の「杉浦健支先生年譜」をもとに作成)

1 杉浦健支の略歴

(3)

後は、名人と言われる実践者の力量形成に関わる研究にあわせ、地方レベルの優れた社会科教師の 力量形成に関わる研究を進めていくことが求められよう。幸い杉浦は教職生活各時期の資料があり、

氏の単元構成力の形成過程をかなり辿ることができる。

氏の教職生活は、岡崎市立矢作東小学校・岡崎市立六ッ美中学校に勤務していた時の主体的な学 習の実践を進めた時期と、愛知教育大学付属岡崎小学校に勤務していた時の生活教材・地域教材の 開発を進めた時期に二分することができる(図1)。本稿は、主体的な学習の実践を進めた時期の 杉浦の力量形成過程を、氏の実践論文6)から考察していく。

I I .  

主体的な学習の実践に打ち込んだ杉浦健支

1 岡崎市立矢作東小学校時代の杉浦の主体的な学習の実践

(1)実践論文「社会科における思考力の育成を構造化学習に求めて」の概要

1 9 7 2  

(昭和

4 7 )

年、岡崎市立矢作東小学校時代の教職

4

年目、氏は社会科実践論文「社会科にお ける思考力の育成を構造化学習に求めて」をまとめた 。

2

は氏が考えた学習指導過程である。 「学習内容の重点を発見する段階」は、 「新しい単元に 入る前に、子どもに教科書を一読させた上で、教師が単元指導目標を子ども達に示す」。次に、

「単元指導目標を、子どもと教師のオリエンテーションでいくつかの文節に分ける」。一文節が

1

時間ごとの学習課題である。学習課題に取り組ませる前に、まずなにをどのように追求するのか、

その手だてを考えさせる。その後、学習課題(この場合、兼業農家の数はどんな変わり方をしてい るのか。また、その原因について考えよう。)に対して、家庭で図3のように予想構造図を作成さ

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図2 「社会科における思考力の育成を構造化に求めて」での学習指導過程

(4)

せてきて授業に臨ませる。 「思考の方法を知る段階」は、まず全員で学習課題を確認した後、子ど もの予想構造図を発表させる。子どもの予想構造図を中心に質疑応答など子ども相互の意見交換を 図りながら、仮説を整理・検証していく。 「自主的にとりくむ段階」では、それぞれの予想構造図 を修正し、 「本時の構造図」を作成していく(図 3) 。

本論文には参考文献として明記されてはないが、この学習指導過程は村上芳夫の主体的学習の四 段階八分節8)の影響が強いことが推察される。例えば、 「学習内容の重点を発見する段階」では、

教室学習で学習課題を決定させ、どう学習課題を解決していったらよいかの「考え方の計画」を立 てさせている。この段階は、主体的学習の四段階の「課題把握学習」における八分節目の「予習的 課題把握」に当たる。次の家庭での個人学習の「「予想構造図」づくりは、一段階の個人学習にお ける一文節学習計画訓練と二文節個人計画訓練に当たる。次の「思考の方法を知る段階」は、二段 階の「計画学習」の三から五の発表学習・診断学習・計画学習と三段階「協力解決学習」の六から 七文節の相互学習・教師指導に相当する。ただ、各文節は渾然一体となっていて判別はしにくいも のになっている。

この学習の一番の特徴は、 「予想構造図」と「本時の構造図」を作成させ(図 3) 、その比較か らどんな学びをしたかを子ども自身に分からせようとする点である。

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3

子どもの作成した「予想構造図」と「本時の構造図」

(2) 実践論文「主体的な社会科学習を求めて」の概要

1973 (昭和48)年の教職5年目、 「主体的な社会科学習を求めて」で、氏の主体的な学習のスタ イルが定まった。以後の論文では、作業場面や自己評価場面を学習指導過程に位置づける等、時々 の実践課題に対応して修正はしているが、この論文の学習指導過程が基本的に踏襲されている(図4)。

(5)

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4

以後の実践で段階の部分が踏襲されている学習指導過程

〈「地域を教材にした主体的な社会科学習の実践」

( 1 9 7 9 )

の場合〉

「社会科における思考力の育成を構造化学習に求めて」に比べると、次の

4

つの修正点がみられ る。

①  学習指導過程がよりこなれ、杉浦なりのものになっている。この論文には参考文献として村 上芳夫の「主体的学習」が挙げられている。むしろ明記のない「社会科における思考力の育成 を構造化学習に求めて」より主体的学習の四段階八分節の影響は少なく、杉浦なりの学習指導 過程になっている。先に述べたように、以後この学習指導過程が踏襲されている。

②  従来の「課題決定の仕方が子どもにとって具体的でなく、驚きや矛盾を感じさせるものでは なかった。そのため、子どもの追求が形式的で深まりが無く、学習意欲を持続させるには困難 であった。」ので、 「事実提示を教科書の記述だけでなく、必ず、その時代の特色を代表し、

しかも子どもの既有概念から考えて、驚きや問題意識をわかすものを事実提示とし、そこから 学習課題(問題)を決定させる」ように修正している。

③  「予想構造図」に「今日の学習課題」 ・「調べたこと」 ・「疑問点」を付加し、 「本時の構 造図」に「もっと調べてみたいこと」と「他人の考え」を付加し、改良を加えている(図5) 。

④  「予想構造図」そのものを発表させての話し合いではなく、 「予想構造図」をもとにして話 し合っている。

(6)

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5

改良された予想構造図と本時の構造図

岡崎市立六ッ美中学校時代の杉浦の主体的な学習の実践

杉浦は、岡崎市立六ッ美中学校に転勤後も主体的な学習の実践に取り組んでいる。

(1)  「ノート指導による主体的な社会科学習」の概要

教職

7

年目の

1 9 7 5

(昭和

5 0 )

年の論文である。教職

5

年目の「主体的な社会科学習を求めて」で 試みた「予想構造図」と「本時の構造図」を、 「予想学習ノート」と「本時の学習ノート」という

ように、構造図をノート形式に変えただけのものとなっている。一言で言えば、 「主体的な社会科 学習を求めて」と同エ異曲のものである。

( 2 )  

「作業化による主体的な社会科学習の達成」の概要

教職

8

年目の

1 9 7 6

(昭和

5 1 )

年の論文である。従来の杉浦の主体的な学習を作業化の視点から洗 い直したものである。つまり、次の

4

点をねらって学習過程の各段階に作業化を位置づけている

(図6)。①積極的に・意欲的に学習にとりくみ、社会科についてのものの見方・考え方が深まる。

②身体を通した学習により、理解は一段と身に付いたものとなる。③個別作業や小集団作業により、

それぞれ能力の違う生徒を生かし、生きた学習を展開できる。④遅れた子を学習に参加させ、診断 や指導がしやすくなる。

(7)

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6

作業化を位置づけた学習指導過程

(3)  「自己評価による主体的な社会科学習」の概要

教職

1 0

年目の

1 9 7 7

(昭和

5 2 )

年の論文である9)。 「今までの実践が余りにも生徒の意欲化ばかり にとらわれ、社会科本来のものの見方や考え方についての力が育成されていなかったとも言える。

換言すれば、ただ漠然と同じような学習のくりかえしに終始していたため、生徒の学習のふりかえ り」 (同論文

2‑3

頁)がなかったことを反省し、図

7

のように自己評価場面を学習過程の各段階 に位置づけている。特に、自己評価だけでなく、 「各自学習手順に従って作成したノートを、グ ループ内で提示• 発表しあって話し合いの中で相互評価」 (同論文

12‑13

頁)させており注目され る。

以上、岡崎市立六ッ美中学校時代の杉浦は、 「主体的な社会科学習を求めて」をいかに深化• 発 展させるかに苦心していることが分かる。なお、杉浦は

1 9 7 8

(昭和

5 3 )

年「反省を生かした「主体 的な社会科学習」の実践」をまとめている。同論文は原本がなく、要旨が岡崎市教育委員会編「昭 和

5 3

年度 研究紀要」

1 9 7 8

71‑74

頁に載っているのみである。従って、検討対象からははずした。

また岡崎市立六ッ美中学校時代、教職

1 1

年目の

1 9 7 9

(昭和

5 4 )

年に「地域を教材にした主体的な社 会科学習の実践」をまとめ、新たな境地を開きつつあるが、このことについては3で述べることと する。

(8)

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7

自己評価場面を位置づけた学習指導過程

杉浦の主体的な学習の深化と課題

(1)課題設定方法から見た杉浦の主体的な学習の深化の様子

「作業化による主体的な社会科学習の達成」で、杉浦は「学習を主体化する上で、最も重要なも のは学習課題決定の仕方にあるといわれている」と述べている。主体的な学習を実践し続けてきた 氏にとり、学習課題の設定は重要なテーマであり、長らく実践上の課題であった。氏の教育実践論 文では、学習課題の設定方法が「地域を教材にした主体的な社会科学習の実践」に至るまで必ず取 り上げられている。そこで、杉浦が試行錯誤した課題設定方法から、杉浦の主体的な学習の深化を 探っていく。

課題設定の仕方は、次のように変遷している。

①.教職4年目の「社会科における思考力の育成を構造化に求めて」では、 「新しい単元に入る 前に、子どもに教科書を一読させた上で、教師が単元指導目標を子どもたちに示」し、 「単元指導

目標を、子どもと教師のオリエンテーションでいくつかの文節に分け」、学習課題としている。例 えば、 「「産業と交通』の学習に入る前に、ここでは、 「日本各地でいろいろな産業が営まれてい るが、鉄道・船・トラックなどの交通機関がどのような役割を果たしているか」つかんでほしいと いって単元指導目標を示す。これを子どもと共に、 " 

4

年生の時、高原やさい作りが道路建設に

よって大きく変わったことを学んだから、この地域を例にとって、嬬恋村の道路が、どのように産 業に影響したか調べよう。 といった節に分ける。」 (同論文

5‑6

頁)のである。

②.教職5年目の「主体的な社会科学習を求めて」では、 「事実提示を教科書の記述だけでなく、

(9)

必ず、その時代の特質を代表し、しかも子どもの既有概念から考えて、驚きや問題意識をわかすも のを事実提示とし、そこから学習課題(問題)を決定させ」 (同論文7頁)ている。これは、①に 比べ、より子どもの立場に立った問題設定の仕方になってきたと言えよう。

③.教職8年目の「作業化による主体的な社会科の達成」では、従来の方法は「生徒が一つの決 まった方法を熟知し、すでに形式化している」と反省し、 「身近な歴史遺物や遺跡を調査すること を軸にして、学習課題を決定する」ことを一小単元だけ試みる(同論文

9

頁)。その結果「日常活 躍しない生徒が生き生きと活動していた」が、 「近くにその時代を代表する遺物や遺跡がほとんど ない」、 「

1

時間の授業時間では調査に行け」ない、 「調査の手びき作成に非常に時間がかかる。

また、教師の力量不足で、的を得た(ママ)手びきが作成できない。」、 「調査の整理に時間がか かり、学習進度上に問題がでる」といった障壁につきあたり、やむなくこの方法を断念することと なる(同論文10頁)。

④.そこで、②と③の折衷案として、 「いろいろな歴史事実を数多く与え調べていく中で、ある

1

つの方向性(学習課題)をもたせていく方法」をとることとなる(同論文

10‑11

頁 ) 。 こ の 方 法は教職10年目の「自己評価による主体的な社会科学習」でも踏襲される。

①に比べ②はより子どもの立場での課題設定である。さらに、②に比べ③はより子どもの身近な 生活と結びつきやすい課題設定である。④は③ほどではないが、子ども達の課題設定の土俵が②よ り広くなっている。杉浦の課題設定方法が、教師の立場に立った設定から子どもの立場も尊重して 設定する方向へと変わってきていることが分かる。教材選択の幅も、①では教科書教材のみだった が、②では教科書以外からも、③では地域教材までと広がっている。

(2)杉浦の主体的な学習の課題

「作業化による主体的な社会科の達成」では、

1

小単元を地域教材で授業展開したことが述べら れている。しかし、その詳細な授業記録はない。また、教職10年目の「自己評価による主体的な社 会科学習」まで、いずれも

1

時間単位の授業記述である。杉浦には授業を単元で考える意識(単元 意識と命名)が弱かったことが伺われる。また、地域教材活用の意味も、 「日常活躍しない生徒が 生き生きと活動していた」とだけ記し、未だ地域教材活用に関する考え(地域教材観)ができてい ない。杉浦の主体的な学習の実践課題として、①単元レベルで授業を構想する意識(単元意識)の 希薄さと、②地域教材観を確立する必要性を挙げておきたい。地域教材の活用では単元レベルでの 実践が求められる。従って単元意識が希薄では、地域教材には目が向かない。逆に、地域教材の意 味を自覚し地域教材活用の授業実践を指向したなら、自ずと単元レベルの授業に目が向くはずであ

る。

皿杉浦実践の画期となった国道一号線問題の教材化 (1)副読本執筆経験の「意味」

杉浦は、副読本「岡崎 中学校編」改訂

7・8

版作成に郷土読本岡崎編集委員として関わってい る10)。松井貞雄指導、岡崎市現職教育委員会編

( 1 9 8 0 )

「岡崎 中学校編』改訂

8

版の杉浦分担執 筆「

m

国道

1

号線問題と岡崎市民」

( 1 6 8 ‑ 1 8 2

頁)の項目は次のようである。

(10)

国道

1

号線問題と岡崎市民(とびら、写真

1

点、

p.) 

国道

1

号線問題(図表

3

点、

2

p.) 

国道

1

号線問題の実態(図表

3

点、囲み記事

2

点、

2p . )   3 

住民の対応(写真

1

点、図表

2

点、

1

p.) 

4 住民運動の高まり(図表3点、囲み記事2点、 4p.) 

行政の対応(図表

3

点、囲み記事

1

点、

3

p.) 

国道

1

号線と私たち(図表

2

点、囲み記事

l

点、

2

p.) 

とびらでは、二分の一頁分の「岡崎の市街地を通過する大型トラック群」の写真から、国道

1

号 線問題の重大さを視覚的にうったえている。キャプションには、視覚的にうったえるだけでなく、

1

日の交通量や騒音の度数、日本で

3

大交通騒音激じん地であること等を紹介し、問題の重大性を 理解させるよう工夫している。キャプションの最後では、 「私たちは国道

1

号線問題を調べること によって、政治を見る目を養い、将来、どのように政治に参加していったらよいか」と、本単元の 課題を提示している。

1

国道

1

号線問題」では、 「国道

1

号線問題の歩みを調べ、その原因を考えてみよう」と課 題提示し、具体的な数値や事例により、国道

1

号線問題の歩みとその原因を述べている。 「

2

国 道

1

号線問題の実態」では、岡崎市の公害実態調査や住民への聞き取り調査等から被害の実体を捉 えさせる構成になっている。 「

3

住民の対応」では、住民の国道

1

号線問題の対処の工夫が述べ られる。 「窓を、いつも、しつかり閉めるようにしている」といった聞き取り調査の結果や移転・

転廃業の状況を示す市の公害実態調査が示される。特に注目すべきは、 「設置された連転者自粛用 の字幕」というタイトルでの写真である。キャプションには、 「

1 9 7 2

2

月に、住民の要求に対し て、市とトラック業界が設けた、 「静かに走行』の字幕。住宅や商店は騒音を防ぐため、戸や窓を かた<閉じている。」とある。

1

枚の写真で、騒音を起こし被害を与える側からの対応と、被害を 受ける側からの対応の両面から視覚的に捉えさせる構成となっている。 「

4

住民運動の高まり」で は、 3を受け、 「問題の解決には、個々の住民の要望や願いを一つにまとめ、大きな力として関係 行政機関に訴えていくことが必要である」

( 1 7 4

頁)と、住民運動の展開の様子(歴史と問題点)

が述べられる。この項の最後は、住民運動の声を紹介し、住民運動の難しさと問題点を探らせてい る。 「5 行政の対応」では、 4の住民の要望を受けた行政の対応を図表や囲み記事を活用しつつ 述べている。 「

6

国道

1

号線と私たち」では、市の対策「緩衝緑地帯計画」に対する立場の違い による合意形成の難しさを述べる。最後に、国道

1

号線問題を「地域住民の利害問題としてとらえ れる(ママ)のでなく、岡崎市の町づくりを未来に向けてどのように進めていくかといった広い視 点」や「関係市町村は連携を密にして、問題に対処していくことが重要である」と広域行政問題の 視点の必要性を述べている。杉浦の執筆部分は、生徒の意識の流れにそった無理のないポイントを 押さえた記述であることが分かる。

杉浦は教職

1 1

年目の

1 9 7 9

(昭和

5 4 )

年に国道

1

号線問題を教材化した(「地域を教材にした主体 的な社会科学習の実践」)。氏は実践直前に副読本の成稿をあげた。実践は未刊行であった副読本 の掲載予定資料を駆使しており、副読本執筆経験をフル活用したことが分かる。例えば、図8はY 男の「独自学習」のノートであり、 Y男が利用した資料は副読本掲載のものである。さらに、本実 践の発表学習では「自分ならどうするか、また、どうすべきかなど、自分の生き方を考えていく場 面を構成していきたいと考え」、 「 国

1

問題を解決するには という作文を書かせてから、緩衝 緑地帯計画案についてどう思うか、話し合いをさせて」 (杉浦、

1 9 8 8

2 2 7

頁)いる。杉浦が「緩

(11)

工 図 剛 え 皐 交

・事書崎本'‑ iii 

事;Ii'

~ -

9 9  

. ..  

...•.

. .  

2 5

年々.交通量かふえており.45

車が多いかどうかわからないので残 念 .

ぃ︳こともわかった.これは.湮菓とも関係あると思・1でも.大気汚染の

単位がまるでわからないので綱ぺてみたいと思

9︒それから.住民が本当 に困っているのは大型皐にから︑大型車をどのようにしたらよいか.考え

.:oo::,JO しoo~,:oo l  19:w:J!oo-~!

65•••••••••·••l••·•••·•••t••••·•·•••••••••••••·•

ホーン

~:::];:: ニ I   : :

(r公書"'属i!!.,SJ年調ぺ)

6 0‑ t i s 

65 

国遥一号様問題の起こる原因は何か

仮説の

I t ずりおとし

.蔽吝はほ動.樽気ガスの三つで

ある.この原因となるのは車で

9,

中でも大型車が一魯の原因だと思・1

.それは`綱 査・観察の時.大型車がスピー ドをあげると︑ほとんど話がき こえなかったし.遁がeれてい た.もちろん揖気ガスは愚く見 えた.住民の人

br:

bえー﹂といってみえたし.

‑ I げ ?

" 且

` 

r国道

l号埠

2 4 峙間交通星と大竺車の割合﹂

この資料は︑先生にr資料 収巖畏﹂にのっているか らと.教えていただいた

資料.環墳基準とか要絹基

準というのは国が騒音を それ以下にするように定

のにしので.絹.昼などは

騒音が高いけど基準を下 回っているが夜は夜は

基準以上でh

夜は祖当うるさくてね

uれないのではないかな.この原因は.やっぱり`大型軍にらると思.9憑ホーンというのは関音の単位で l l O

ホーンというのは︑地下鉄の鳩内ぐら

1 0 ホーンが電 話のペルぐらいの音.だ

から相当うるさい.

17 .8  19.5  26.7  23.6  20.2  19.7  35.2  56.4  80. l  70.0  68.2  Z3.7 

‑8のうらでは昼閏が

交通量が多いが.夜間

になると磁っている.

でも.夜間になると辺 に大竺皐がふ.L.全交通量の

むれないといていたr とがある.だから.夜h 8 0 人が多かったのにと思

. 

.1  

b

.どうして.夜*

竺軍が多くなるのにら

. .  

•9h

#苅芋澪菩S

7

ト心︿ミ︵涯

T

D

鱒渋活S幸冷

図8 Y男の「独自学習」のノート

参照

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