九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
近世から現代へのフランス医学の流れ
小林, 晶
フランス整形災害外科学会 : 名誉会員
http://hdl.handle.net/2324/1854782
出版情報:『医学のうねり』セミナー : 西欧医学での医学教育・医療. 第5回, pp.1-, 2017-10-14. 九 州大学医学歴史館
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権利関係:
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近世から現代へのフランス医学の流れ フ ラ ン ス整 形 災害 外 科 学会 名 誉 会員 小 林 晶
近 世 の フ ラン ス 医 学の 淵 源 は 16世 紀の ア ンブ ロ ワ ーズ・パ レ に 求 め る こ と が 出 来 る 。 当 時 は 外 科 医 が 内 科 医 よ り 下 の 階 層 と 見 做 さ れ て 蔑 視 さ れ、理 髪 外科 医 が 活躍 し て いた 。パレ 自 身 も理 髪 外 科医 で あ っ た が 、臨 床 的 考察 、技 術 の 発想 、実 践 は 当時 と し ては 抜 群 のも の が あ り 、今 日 でも 有 用 な事 項 が 多々 見 ら れま す 。「 臨床 外 科 の父 」と 言 え る 先 達 であ る 。
1 8 ~ 1 9 世 紀 の パ リ で の 医 学 は き わ め て 発 展 し 、 全 欧 州 の 医 学 徒 の 憧 れ の的 で あ った 。演 者が 専 攻 する 整 形外 科 学 でも「 オ ルト ペ デ ィ 」と し て 1741 年 ニ コ ラ・ア ンド リ が 世界 に 先 駆け て 造語 、提 唱 し た も の で 、現 在 で も使 用 さ れて い る 伝統 的 な 名称 で ある 。
世 界 を 揺 るが し た 1789 年 の フ ラ ンス 革 命 は医 学 界 をも 巻 き込 み 、 医 学 教 育・医 療 を 一新 し て、漸 く 内科 医 の 外科 医 へ の認 識 を 改め さ せ る 契 機 に なっ た 。新し い 外 科ア カ デ ミー が 新設 さ れ 、新 医 学 部も 発 足 し こ の 制 度の 一 部 は、 な お この 伝 統 は今 日 も 残存 し てい る 。
医 師 養 成 の根 本 は 病院 中 心 の医 学 と して 発 足、発 展 した 。入 学早 々 か ら 臨 床 教育 即 ち 患者 を 診 る、触れ る と いう 実 践、観 察、体 験を 行 わ せ 、 基 本 を診 察 、 病理 解 剖 、統 計 に おい た 。
当 時 の 医 学部 長 フ ルク ロ ワ は「 あ ま り読 む な。見 る こと 為 す こと を 多 く 」する こ と を勧 め、有 名 な精 神 科 医ピ ネ ル は「 病気 を 見 ずし て 、 病 人 を 診 よ」と 戒め た。こ れ を後 年、医 史 学者 ア ッ カー ク ネ ヒト は 、 い み じ く も「 病 院医 学」と 名 付け た。あ ま り図 書 館 医学 や 実 験医 学 に 偏 寄 ら ず 、専 ら 患 者と 相 対 する 実 践 を重 ん じた 。こ の実 践 的 臨床 医 学 の 魅 力 が 多く の ヨ ーロ ッ パ から の 留 学生 を 引 き付 け た。
こ の 時 代 の中 心 に なっ た の は、内 科 では ビ シ ャ、ピ ネル 、コ ルヴ ィ ザ ー ル 、ルイ ら で あり 、外 科医 は ド ソー 、ギヨ ー ム・デ ュ ピ ュイ ト ラ ン で あ っ た。パ リ 、オ テ ル・デ ィ ウは 外 科 系の メ ッ カと な り 、例 え ば 技 術 的 に 困 難 な 直 腸 癌 へ の 外 科 的 ア プ ロ ー チ を す で に 行 っ て 、 評 判 は 欧 州 全 体か ら 患 者が 集 ま る一 大 セ ンタ ー と なっ た 。「 門 戸 は能 力 あ る 者 に 開 かれ て い る」 が 彼 のモ ッ ト ーで あ っ た。
一 方 、ビ シャ は 人 体組 織 に 着目 し 、顕 微 鏡 の無 い 時 代に 疾 病 の原 因
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を 組 織 に 求 め 、 病 院 医 学 は 理 学 的 検 査 と 肉 眼 的 病 理 解 剖 学 で 多 く 実 績 を 挙 げ 、 後 の ド イ ツ 医 学 に も ― 例 え ば ウ イ ル ヒ ョ ウ ― 影 響 を 与 え た 。また 、ピ ネル が 精神 病 患 者を 閉 鎖 病棟 よ り 解放 し た こと は 、 近 代 精 神 医学 の 曙 とな っ た 。
し か し 、「 病 院医 学 」は 臨床 面 で は多 く の 実績 を 挙 げた が 、50 年 を 経 過 し て 袋小 路 に はい っ た 。即 ち 、確 か に 外科 系 の 勃興 は み られ た が 、 基 礎 医 学 、内 科 系 は袋 小 路 に入 り 、深 い 病 因論 の 展 開は 不 十 分で あ っ た 。こ の ため 1850 年 代 の ア ン グ ロサ ク ソ ンの 人 た ちは 寧 ろ ドイ ツ に 向 か い 始 めた 。
1870 年 以 後 、ル イ・ パ スツ ー ル やク ロ ー ド・ベ ル ナー ル な どの 努 力 で 、隣国 の ド イツ の 興 隆に 危 機感 を 持 って 、科学 系 の学 部・研 究 所 の 増 設 、医学 生 の 基礎 教 育 に力 を 入 れ始 め た。こ の 事実 は 臨 床偏 在 が 招 く 弊 害 の現 れ で もあ っ た 。細 菌 学 界に お ける カ ル メッ ト 、エル サ ン ほ か の 業 績は ド イ ツ学 派 に 比肩 し え るも の で あっ た 。
こ の 時 代 で の 臨 床 面 の 特 徴 の 一 つ は 、 サ ル ペ ト リ エ ー ル 病 院 学 派 の 神 経 病 学 に お け る 貢 献 で あ る 。 シ ャ ル コ ― 一 派 の 業 績 は 今 日 に 至 る ま で 世 界 に 誇 る べ き も の と な っ て い る 。 ブ ロ ー カ や マ ジ ャ ン デ ィ の よ う な 脳生 理 ・ 病理 の 研 究も 異 彩 を放 っ て いる 。
第 二 次 大 戦後 は 先 ずジ ュ デ 兄弟 の 革 新的 発 想 を挙 げ なけ れ ば なら な い 。 特 に 弟の ロ ベ ール の 活 躍は 瞠 目 に値 す る もの で あっ た 。 彼の 示 唆 に 富 む 感 慨の 言 葉 を紹 介 し てお き た い。「 何 事も 実 行 する 前 に は、 不 安 と し か 言い よ う がな い 感 情が よ ぎ る。 こ の 感情 は 時に 抑 制 でき な い も の で 、 これ は 事 実を 昔 か らの 陳 腐 な説 明 で 、無 知 を隠 蔽 す る繰 り 言 に 過 ぎ な いこ と が 多い 。 こ の不 安 感 は全 て の 研究 の 初期 の 動 機と も な り 得 る 。 先輩 の 歴 史を 顧 み てこ そ 、 この 感 情 を拭 い 去る こ と が可 能 な の で あ る 」と 述 懐 して い る 。こ の 言 葉は 、 革 新と は 不安 を 感 じて も 、 冷 静 な 裏 付け で ブ レー ク ・ スル ー が 達成 で き るこ と を示 し て いる 。
最 後 に フ ラ ン ス 人 の 教 育 に お け る 哲 学 の 重 要 性 に つ い て 言 及 し た い 。 中 等 教 育 か ら 高 等 教 育 に 入 る に は 、バ ッ カ ロ レ ア 試 験 を 経由 し な け れ ば な ら な い 。こ れ に は文 理 系 を問 わ ず哲 学 の 受験 が 必 須と な っ てい る 。 こ の こ と は我 が 国 の医 師 の 養成 に 参 考に な る と考 え るの で 紹 介す る 。