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「蔵開」の意味 : 象徴としての唐物

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

「蔵開」の意味 : 象徴としての唐物

余, 鴻燕

九州大学 : 専門研究員

https://doi.org/10.15017/4769773

出版情報:文獻探究. 59, pp.35-42, 2021-03-31. 文献探究の会 バージョン:

権利関係:

(2)

「「 蔵蔵 開開 」」 のの 意意 味味

− −

− 象象

徴徴 とと しし てて のの 唐唐 物物

− −

余 鴻 燕

『うつほ物語』は「モノ」にこだわる物語である。祝祭の描写が多

いこの物語において、祝祭が終わる際にモノを贈与する場面が煩を厭

わずに詳細に描かれている。そのなかで贈答品として頻繁に出される

のは舶来品である。これらの舶来品は皇室が保管する超貴重品から次

第に平安貴族たちの日常生活に浸透し、王朝貴族文化を装飾するもの

となる。物語中では、天皇の落胤である源涼の祖父神南備種松は舶来

品をもって吹上の浜に巨大な屋敷を構えて、財の王として贅を尽す描

写も印象的である。そのほか、あて宮求婚譚において「三奇人」の中

の三春高基と滋野真菅もまた財力家として描かれ、日常の用度も贅沢

である。『うつほ物語』は虚構でありながら、平安貴族たちの日常生

活をある程度反映する風物詩ともなりえていよう。

物語後半に位置する「蔵開」三巻は、仲忠が旧京極邸の敷地を巡回

する際に偶然清原家代々の蔵を発見し、蔵のなかに保管されている詩

文や家集を帝や春宮の御前で進講することを中心内容とする。これら

の書物の発見により、清原家が本来学問の家である記憶が再び喚起さ

れ、仲忠が一族の学問を継承することにより、琴の名手から学問家・

政治家への変身に成功することから、蔵を開いたことが仲忠にとって

多大な意味を持っていることは言うまでもない。一方、蔵の中から発

見されたのは書物だけではなく、そこには大量な唐物が保管されてい た。これらの唐物が折りあるごとに人々の前に持ち出され、由緒ある

一門の往昔の栄光を顕示する器物となる。

この物語において、大量の唐物の存在が羅列されている。俊蔭一族

の物だけでなく、吹上の浜で「財富の王国」を築きあげる長者神南備

種松や、あて宮求婚譚に登場する滋野真菅なども、いずれも唐物を手

に持っている。本論では、これらの唐物が物語中の登場人物にとって

どのような意味合いを持つのか、また物語全体から見て、唐物がどの

ような役割を果たすのかを検討してみたい。

唐物」という言葉の史料上の初見は、『日本後紀』大同三(八〇

八)年十一月十一日条に、

勅。如聞、大嘗会之雑楽伎人等、専乖朝憲、以唐物飾。 令之不行、往古所譏。宜重加禁断、不許容

とあり、大嘗会の「雑楽伎人等」が国法に背き、「唐物」を飾りとし、

法令が守られていない状況が昔から批判されているため、再度禁止命

令が出されているのである。当該期の状況から、延暦の遣唐使の帰国

に伴う「唐物」の流入と見られるが詳細は不明である。同様の例とし

(3)

海上交通の要衝に身を置きながら、種松が、外国貿易を通じて世界中

の「財」を集めていたことを示すのである。このように地理的な便を

利用して財を集めるということは、あて宮求婚譚の中で財力にものを

言わせる三春高基も滋野真菅も同じなのであろう。宰相である滋野真

菅は大宰大弐として務める際には「秘色の杯」まで入手したのである。

「秘色」は非常に貴重な青磁の一種であり、一般的には皇室が使うも

のである。滋野真菅がそれを手に入れたのは「筑紫船の仕へ人」(藤

原の君九七頁)も出入りして、役職の関係で舶来品の交易ルートを

確保していた人物だからである。

「財の王」たる種松の財力は驚異的なものだが、しかし物語の中で

は人々が羨むような大富豪を描くことが目的ではなく、その主眼は種

松の孫源涼にあろう。天皇の落胤として高貴な出自を持つ涼は「財の

王」の孫として生まれ、種松の財物はいずれ涼に継承されることを思

わせる。仲忠と涼は才能も容貌も対等であるだけに、物語の第一、第

二主人公として見られ、意識的に対照されている。二人の大きな相違

点はその出身と言えよう。財の王の孫として生まれた涼と、零落した

京極邸に生まれ、北山のうつほで幼少時代を過ごした仲忠との間には、

雲泥の差がある。その後二人の間の差を縮めさせる出来事があり、そ

れは清原家代々の蔵を仲忠が発見し、継承することである。蔵のなか

から大量の書物のほかに、唐物も多く見出されている。こうして、物

語は仲忠と涼との間に「ライバル」関係を作り上げるだけでなく、そ

の対照関係はそれぞれの祖父種松と俊蔭との間にすでに構築されてい

る。

仲忠が北山のうつほから都に連れ戻された際、父の兼雅は当時右大

将であり、仲忠はその息子として貴族社会の一員に数えられる。その 後仲忠自身も出仕し、官位も次第に昇進していく。あて宮が入内する

際に、かつての求婚者の一人として、仲忠は豪華な品々を贈る。

仲忠の中将の御もとより、蒔絵の置口の箱四つに、沈の挿櫛より

始めて、ありがたくて、よろづに、梳髪の具、御髪上げの御調度、

よき御仮髻・蔽髪・さいし・元結・えり櫛より始めて、ありがた

くて、御鏡・畳紙・歯黒めより始めて一具、薫物の箱、白銀の御

箱に、唐の合わせ薫物入れて、沈の御膳に、白銀の箸・薫炉・匙、

沈の灰入れて、黒方を、薫物の炭のやうにして、白銀の炭取りの

小さきに入れなどして、細やかにうつしげに入れて奉るとて、(後

略)(あて宮三五四頁)

これらの品々は無論、心を入れての高価なものばかりだが、涼や実

忠たちもそれぞれ立派なものを贈っている。この段階で仲忠は右大将

藤原兼雅の息子として、貴公子の振舞いをするものの、財の王種松の

財産を一身に継承する涼とは、まだ比べものにならない。そしてその

ような事態を打開したのは、俊蔭の遺品である。蔵の中から発見した

ものは、仲忠の日常生活のなかでも活用され、その場その身分に相応

な役割を果たしている。その一例として、家集進講の最中、帝の意に

よって仲忠は宮中に泊まることになった場面に注目してみよう。仲忠

は、妻女一の宮に宿直に必要なものを送ってもらう。

「まかで侍りなむとすれど、御書聞こし召しさして、『夜、仕う

まつれ』と仰せらるればなむ。『夜寒を、いかに』となむ。南の

御方おはしまさせ給ひて、もろともにを。いぬ、召して御前に候 ては、『日本紀略』大同二(八〇七)年正月十七日条に、「献唐国信

物於諸山陵」とあり、諸山陵に「唐国信物」を献じているという記録

である。また、以降の『続日本後紀』などにも似たような記述があり、

同じく「信物」との言葉を用いる。この時期において、「唐物」と「(国)

信物」ははっきりと分けられていることがわかる。この区別からも、

唐物は当時国家レベル(信物)で使用されるのみであり、民間での使

用は禁じられていたことが窺える。九世紀後半になると、日本の対外

貿易の拡大により、皇室だけでなく、貴族たちにも舶来品を嗜好する

傾向がいっそう強まり、唐物もある種の「ブランド性」を帯びて、平

安貴族たちの日常生活に浸透していく。

唐物の定義について諸説がある。その相違は「唐物」を中国や高麗、

新羅など外部から将来された文物一般を指すか、もしくは文字通りの

中国から輸入された物に限るかという点に絞られている。『日本国語

大辞典』第二版「唐物」の項にはこう記してある。

平安時代では、舶来品について「貨物」「雑物」「方物」「土物」

「遠物」などの色々な表現がなされるが、「唐物」は中国製品、

あるいは中国経由の輸入品に使用され、渤海や新羅からの輸入品

には使用されない。また、史書・記録以外の資料でも、「唐物」

を中国と無関係な舶来品に使用した例を見ないので、平安時代で

は、舶来品一般をさす言葉としてではなく、文字通りの意味とし

て使用されていたと考えられる。

この指摘は従来の、舶来品一般を統括して唐物という概念を明確に区

別し、当時の唐物の使用状況をより詳細に考える必要性を示唆するも のである。この区別は、『うつほ物語』の唐物を考察する際に特に必

要であるように思われる。

『うつほ物語』における舶来品の描写は主に神南備種松と「蔵開」

巻以降の仲忠に集中している。吹上の浜の大富豪である種松の財産が

初めて紹介されるのは仲忠一行が吹上の浜を訪問する際である。

吹上の浜のわたりに、広く面白き所を選び求めて、金銀・瑠璃の

大殿を造り磨き、四面八町の内に、三重の垣をし、三つの陣を据

ゑたり。宮の内、瑠璃の敷き、おとど十、廊・楼なんどして、紫

檀・蘇芳・黒柿・唐桃などといふ木どもを材木として、金銀・瑠

璃・車渠・瑪瑙の大殿を造り重ねて、四面巡りて、東の陣の外に

は春の山、南の外の陣には夏の陰、西の陣の外には秋の林、北に

は松の林、面を巡りて植ゑたる草・木、ただの姿せず、咲き出づ

る花の色・木の葉、この世の香に似ず。栴檀・優曇、交じらぬば

かりなり。孔雀、鸚鵡の鳥、遊ばぬばかりなり。

松、財は、天の下の国になき所なし。新羅・高麗・常世の国ま

で積み納なむ財の王なり。(吹上・上二四三頁)

神南備邸の主要な建物は、四宝・七宝や高価な木材を大量に使用して

磨き上げられ、「楼」のような高い建物や、四方四季の庭まで配置さ

れている。そこには、栴檀や優曇華の間を孔雀や鸚鵡が遊んでいても

不思議ではないほどの異国情緒に満ち溢れた神仙世界が作り出されて

いる。そして種松の財力の由来も明確に紹介されている。「新羅・高

麗・常世の国まで積み納なむ」とは、すなわち、紀伊半島西岸という

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海上交通の要衝に身を置きながら、種松が、外国貿易を通じて世界中

の「財」を集めていたことを示すのである。このように地理的な便を

利用して財を集めるということは、あて宮求婚譚の中で財力にものを

言わせる三春高基も滋野真菅も同じなのであろう。宰相である滋野真

菅は大宰大弐として務める際には「秘色の杯」まで入手したのである。

「秘色」は非常に貴重な青磁の一種であり、一般的には皇室が使うも

のである。滋野真菅がそれを手に入れたのは「筑紫船の仕へ人」(藤

原の君九七頁)も出入りして、役職の関係で舶来品の交易ルートを

確保していた人物だからである。

「財の王」たる種松の財力は驚異的なものだが、しかし物語の中で

は人々が羨むような大富豪を描くことが目的ではなく、その主眼は種

松の孫源涼にあろう。天皇の落胤として高貴な出自を持つ涼は「財の

王」の孫として生まれ、種松の財物はいずれ涼に継承されることを思

わせる。仲忠と涼は才能も容貌も対等であるだけに、物語の第一、第

二主人公として見られ、意識的に対照されている。二人の大きな相違

点はその出身と言えよう。財の王の孫として生まれた涼と、零落した

京極邸に生まれ、北山のうつほで幼少時代を過ごした仲忠との間には、

雲泥の差がある。その後二人の間の差を縮めさせる出来事があり、そ

れは清原家代々の蔵を仲忠が発見し、継承することである。蔵のなか

から大量の書物のほかに、唐物も多く見出されている。こうして、物

語は仲忠と涼との間に「ライバル」関係を作り上げるだけでなく、そ

の対照関係はそれぞれの祖父種松と俊蔭との間にすでに構築されてい

る。

仲忠が北山のうつほから都に連れ戻された際、父の兼雅は当時右大

将であり、仲忠はその息子として貴族社会の一員に数えられる。その 後仲忠自身も出仕し、官位も次第に昇進していく。あて宮が入内する

際に、かつての求婚者の一人として、仲忠は豪華な品々を贈る。

仲忠の中将の御もとより、蒔絵の置口の箱四つに、沈の挿櫛より

始めて、ありがたくて、よろづに、梳髪の具、御髪上げの御調度、

よき御仮髻・蔽髪・さいし・元結・えり櫛より始めて、ありがた

くて、御鏡・畳紙・歯黒めより始めて一具、薫物の箱、白銀の御

箱に、唐の合わせ薫物入れて、沈の御膳に、白銀の箸・薫炉・匙、

沈の灰入れて、黒方を、薫物の炭のやうにして、白銀の炭取りの

小さきに入れなどして、細やかにうつしげに入れて奉るとて、(後

略)(あて宮三五四頁)

これらの品々は無論、心を入れての高価なものばかりだが、涼や実

忠たちもそれぞれ立派なものを贈っている。この段階で仲忠は右大将

藤原兼雅の息子として、貴公子の振舞いをするものの、財の王種松の

財産を一身に継承する涼とは、まだ比べものにならない。そしてその

ような事態を打開したのは、俊蔭の遺品である。蔵の中から発見した

ものは、仲忠の日常生活のなかでも活用され、その場その身分に相応

な役割を果たしている。その一例として、家集進講の最中、帝の意に

よって仲忠は宮中に泊まることになった場面に注目してみよう。仲忠

は、妻女一の宮に宿直に必要なものを送ってもらう。

「まかで侍りなむとすれど、御書聞こし召しさして、『夜、仕う

まつれ』と仰せらるればなむ。『夜寒を、いかに』となむ。南の

御方おはしまさせ給ひて、もろともにを。いぬ、召して御前に候

(5)

源氏が蛍宮を判定者にさせて、紫の上や明石の姫君たちの作った薫物

と合わせて判定させる場面が「梅枝」巻に描かれている。一方、招来

物を人々に分配して人間関係を構築する行為は『源氏物語』特有なも

のではなく、『うつほ物語』においてすでになされている。俊蔭が異

郷から帰国する際に、天人から授かった三十の霊琴を将来する。この

三十の琴を俊蔭は自分のために必要なものを残して、ほかのものは天

皇家や大臣たちに贈っている。

かの波斯国より持て渡りし琴どもを取り出でて、二つの琴をば人

にも知らせで、今十を、龍角風をば娘のにす、細緒風はわがにて、

宿守風といひしを残して、今七つを持たせて、内裏へ参る。せた

風をば、帝に奉る。山守風をば、后の宮に奉る。花園風をば、春

宮に奉る。かたち風をば、左大臣忠経に奉る。織女をば、右大臣

千蔭に奉る。(俊蔭二〇頁)

俊蔭が琴を人々に分配するのは無論人間関係を構築する上で必要な行

為であるが、より重要なのはこれから娘への秘琴伝授のために「琴」

という話題を持ち出すことである。俊蔭が琴を分けること以外に、こ

の「ものを分ける」行為は吹上訪問の時にも描かれている。

かくて、この人々、紀伊国より持ていましたる物、興あるは、人々

に奉り給ふ。少将は内裏に、白銀の旅籠馬は右大将殿に、破子は

宮内卿に、北の方には透箱より始め、そこばくの細けの物、皆取

らせ給ふ。侍従、白銀の馬は父おとどに、破子は嵯峨の院に、透

箱より始めて、そこばくの細けの物は北の方に、(黄金の)船と 被け物の中に清らなる物は、思ふ心ありて、まだ持たり。良佐は、

妻も子も親もなければ、船は春宮に、旅籠馬は嵯峨の院に、破子

は后の宮に、透箱より始め、細けの物、まだ持たり。

(吹上・上二七三頁)

吹上への訪問が終わり、種松は人々に土産を贈る。訪問中の財を頼ん

だもてなしに劣ることなく、吹上の宮の土産もまた高価なものばかり

である。そして、いうまでもなく、これら土産の分配とともに、源涼

のことも当然都で取り沙汰されることになる。財物の富裕は源涼の人

物造型の特徴をなす重要な要素であり、豪華な土産を分けることは「財

の王」である種松の、貴族世界と結び付ける手段でもあろう。

また、俊蔭一族の継承者としてそのアイデンティティを再確認した

仲忠も、蔵のものを利用し、より広い人間関係を作り上げていくので

ある。折りあるごとに出される俊蔭の遺品はその場の華やかさを演出

している。

宮の御前(=女一宮)には、白瑠璃の衝重六つ、下には金の杯、

上には瑠璃の杯など据ゑて参りたり。内の物ども、透きて見ゆめ

り。女御の君・尚侍のおとどには、沈の折敷六つづつ、男宮たち

には、浅香の折敷四つづつ参れり。

蔵開・上四九六頁)

簡素に行われたいぬ宮の九日の産養の際に、仲忠の用意した産養の

品々は質素に見える一方、俊蔭の遺品と思われる「白瑠璃の杯」はそ

の品格を落さずに存在感を出している。 はせ給へ。まかで侍るまでは、御張の内出ださせ給ふな。『おい

かに』といふこと侍るなり。まことや、宿直物賜はせよ。わいて

も、『衣だに』と語らひにて。なめし。中務の君、読み聞こえ給

へ」とて奉り給へば、赤色の織物直垂、綾のにも綿入れて、白き

綾の袿重ねて、六尺ばかりの黒貂の裘、綾の裏つけて、綿入れた

る、御包みに包ませ給ふ。(蔵開・中五三六頁)

豪華な「六尺ばかりの黒貂の裘」は年末の寒さを凌ぐためには最適だ

と言えるようなものであると同時に、天皇・春宮など皇室の人々に絡

んで一族の書物を講書するという場においても、一族の継承者として

の仲忠の身分を引き立てるものでもある。

また、『源氏物語』にも唐物の描写があり、それは「梅枝」巻に集

中している。「梅枝」巻において、光源氏が明石姫君の裳着の準備の

ために、大宰府の大弐から献上されたものを検分する場面がある。

正月のつごもりなれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合わ

せたまふ。大弐の奉れる香ども御覧ずるに、なほいにしへのには

劣りてやあらむと思して、二条院の御倉開けさせたまひて、唐の

物ども取り渡せたまひて、御覧じくらぶるに、「錦、綾なども、

なほ古き物こそなつかしうこまやかにはありけれ」とて、近き御

しつらひのものの覆、敷物、褥などの端どもに、故院の御世のは

じめつ方、高麗人の奉れりける綾、緋金錦どもなど、今の世の物

に似ず、なほさまざま御覧じ当てつつせさせたまひて、このたび

の綾、羅などは人々に賜はす。香どもは、昔今の取り並べさせた

まひて、御方々に配りたてまつらせたまふ。「二種づつ合わせさ せたまへ」と聞こえさせたまへり。

(③梅枝四〇三頁)

源氏は献上された唐物を全て占有するのではなく、人々に贈り、必

要なものを選別したり、必要に応じては再加工をさせたりする。この

贈与と再加工させたものを回収する行為に対し、河添房江氏は「人と

人を繋ぐ贈与財としての唐物の効果を最大限にいかし、人的なネット

ワークの再構築を図っているともいえよう」と指摘する。また、唐

物の検分、贈与という行為は天皇の「唐物御覧」になぞらえられると

する皆川雅樹氏の指摘がある。この場面は『源氏物語』の唐物描写

の一場面に過ぎないが、『源氏物語』における唐物の表象性をよく映

しているように思われる。この場面において、唐物であればどれでも

重宝されるというのではなく、必要に応じてより良いものが選別され、

特に注意されるのが「再加工」という行為である。舶来品としての唐

物をこのまま賞玩、利用するのではなく、個人的な趣味やセンスによ

って再加工することは、唐物を「消費」することになる。このような

唐物の取り扱い方は『うつほ物語』など以前の物語とは大いに相違す

るところである。

右のように、『うつほ物語』から『源氏物語』まで、唐物の価値は

単なる所有から次第に消費へと変わっていく。その原因として考えら

れるのは、もちろん対外貿易の拡大に伴い、舶来品の入手がより容易

になってくるという現実条件が備わっていたからであるが、その一方、

唐物の所有が天皇と摂関家に二分化された時代を反映しているのであ

る。光源氏は唐物の香料を分配した女房たちから薫物を回収し、それ

ぞれの評価を得ている。朝顔の姫君もまた自分から薫物を調合し、光

(6)

源氏が蛍宮を判定者にさせて、紫の上や明石の姫君たちの作った薫物

と合わせて判定させる場面が「梅枝」巻に描かれている。一方、招来

物を人々に分配して人間関係を構築する行為は『源氏物語』特有なも

のではなく、『うつほ物語』においてすでになされている。俊蔭が異

郷から帰国する際に、天人から授かった三十の霊琴を将来する。この

三十の琴を俊蔭は自分のために必要なものを残して、ほかのものは天

皇家や大臣たちに贈っている。

かの波斯国より持て渡りし琴どもを取り出でて、二つの琴をば人

にも知らせで、今十を、龍角風をば娘のにす、細緒風はわがにて、

宿守風といひしを残して、今七つを持たせて、内裏へ参る。せた

風をば、帝に奉る。山守風をば、后の宮に奉る。花園風をば、春

宮に奉る。かたち風をば、左大臣忠経に奉る。織女をば、右大臣

千蔭に奉る。(俊蔭二〇頁)

俊蔭が琴を人々に分配するのは無論人間関係を構築する上で必要な行

為であるが、より重要なのはこれから娘への秘琴伝授のために「琴」

という話題を持ち出すことである。俊蔭が琴を分けること以外に、こ

の「ものを分ける」行為は吹上訪問の時にも描かれている。

かくて、この人々、紀伊国より持ていましたる物、興あるは、人々

に奉り給ふ。少将は内裏に、白銀の旅籠馬は右大将殿に、破子は

宮内卿に、北の方には透箱より始め、そこばくの細けの物、皆取

らせ給ふ。侍従、白銀の馬は父おとどに、破子は嵯峨の院に、透

箱より始めて、そこばくの細けの物は北の方に、(黄金の)船と 被け物の中に清らなる物は、思ふ心ありて、まだ持たり。良佐は、

妻も子も親もなければ、船は春宮に、旅籠馬は嵯峨の院に、破子

は后の宮に、透箱より始め、細けの物、まだ持たり。

(吹上・上二七三頁)

吹上への訪問が終わり、種松は人々に土産を贈る。訪問中の財を頼ん

だもてなしに劣ることなく、吹上の宮の土産もまた高価なものばかり

である。そして、いうまでもなく、これら土産の分配とともに、源涼

のことも当然都で取り沙汰されることになる。財物の富裕は源涼の人

物造型の特徴をなす重要な要素であり、豪華な土産を分けることは「財

の王」である種松の、貴族世界と結び付ける手段でもあろう。

また、俊蔭一族の継承者としてそのアイデンティティを再確認した

仲忠も、蔵のものを利用し、より広い人間関係を作り上げていくので

ある。折りあるごとに出される俊蔭の遺品はその場の華やかさを演出

している。

宮の御前(=女一宮)には、白瑠璃の衝重六つ、下には金の杯、

上には瑠璃の杯など据ゑて参りたり。内の物ども、透きて見ゆめ

り。女御の君・尚侍のおとどには、沈の折敷六つづつ、男宮たち

には、浅香の折敷四つづつ参れり。

蔵開・上四九六頁)

簡素に行われたいぬ宮の九日の産養の際に、仲忠の用意した産養の

品々は質素に見える一方、俊蔭の遺品と思われる「白瑠璃の杯」はそ

の品格を落さずに存在感を出している。

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ことにより、聴衆をかかる一点に集中させる機能を持つ。〈広がり〉

が領土といった俗世の権力意識を表すとするならば、〈高さ〉は孤高

な精神を象徴する」と指摘したように、一族の精神性を象徴するも

のである。俊蔭の遺品を手に持っているからこそ、これほど立派な楼

を造ることができたのである。仲忠が祖父の遺品を利用して高楼を造

ったのは、同時に祖父の遺志を受け継ぎ、それを世間に顕彰させるこ

とを志す姿勢を表明しているのだろう。

以上の用例からも分かるように、俊蔭の遺品のなかには「唐〜」と

表示される唐土から将来されたものが多くある。そしてこれらのもの

も一族の品格をよく表している。河添氏は「楼の上下巻では、もはや

「唐土」ならぬ「波斯国」「高麗」を強調する必要もないのである。

むしろ、すべてを「唐土」の権威に統一し、俊蔭一族を荘厳するとい

う比重が大きいのである。」と『うつほ物語』において、威信財とし

ての唐物の価値を強調し、「特に晴れの場で過剰なほど強調する世界

から、やがて異国を流離った俊蔭だけが特権的な唐物を獲得している

ことが明らかになり、その一族が天皇家や他家を圧倒する物語に転じ

ていく」と唐物の持つ意義を強調した。「天皇家を圧倒する物語」

という点に議論の余地があるものの、蔵のなかから発見した唐物がこ

の一族にもたらす意味が多大であることは指摘された通りである。

無数の財宝を蓄積して吹上の浜に「財の王国」を作り上げた種松に

比べて、俊蔭の遺品はそれほど多くはない。しかし、これらの文字通

りの「唐物」は、ほかの知らぬ国から舶来した品々とは違い、文字通

りの「唐」から将来された物であることが強調され、その動かぬ権威

性と価値は皇室でさえも認めるほかなく、種松や正頼など他の貴族た

ちよりも一段と上回っていることを浮き彫りにする。こうした唐土と 関連を結びつけることによって権威づけを目指す手法は、首巻におい

て描かれる俊蔭漂流譚のなかでも利用されている。俊蔭が実際に漂着

したのは波斯国であったが、物語の展開につれて人々はあたかも俊蔭

が唐土に漂着したかのように思ってきて、ここでも唐土は一種の権威

づけの装置として利用されているのである。

物語内部からいえば、従来仲忠と涼の「優劣論争」の際に特に注目

されるのは、涼の世に無双の財力と木のうつほで幼少時代を過ごした

仲忠の生い立ちの卑しさであるが、一族の遺品を継承することによっ

てこの劣勢は逆転され、世間稀有の宝物を持つことで仲忠の人物造型

はより完全形に近づいていくのである。いわば、これらの唐物が物語

における最大の価値は、涼を「財の王」という王座から失墜させ、仲

忠に再びその「主人公格」を奪還させるところにあると言えよう。

注注

皆川雅樹著日本古代王権と物交易』川弘文館、〇一四年

義」

用は全』(おうふう、河添安物語唐物をめぐる文化

− 『

書。

− 種

− 」

の風 また、藤壺腹の第三皇子の産養の際にも、

右大将殿、大いなる海形をして、蓬莱の山の下の亀の腹には、香

ぐはしきえひを入れたり。山には、黒方・侍従・香衣香・合わせ

薫物どもを土にて、小鳥・玉の枝並み立ちたり。海の面に、色黒

き鶴四つ、皆、しとどに濡れて連なり、色は、いと黒し。白きも

六つ、大きさ、例の鶴のほどにて、白銀を腹ふくらに鋳させたり。

それには、麝香・よろづのありがたき薬、一腹づつ入れたり。

(国譲・中六九四頁)

仲忠の送った産養の品は「唐土趣旨」溢れるものである。そしてこれ

らのものの由来は「ある人の忍びて申ししは、『いとありがたき所よ

り、治部卿の御唐物得られたり』とこそ申ししか」(国譲・中六九

七頁)と、俊蔭の遺品であることが明確に記され、仲忠の持っている

唐物はほかのよりも由緒正しいものであることを暗にほのめかしてい

る。

さらに、物語の終焉に、嵯峨院と朱雀院両院の還御に際し、仲忠は

俊蔭の様々な遺品を贈る。「唐土の集の中に、小冊子に、所々、絵描

き給ひて、歌詠みて、三巻ありしを、一巻を朱雀院に奉らむ」と、嵯

峨の院には「唐土の帝の御返り賜ひけるに賜はせたる高麗笛を奉らむ」

(楼の上・下九四一頁)と唐土から将来され、院の身分に相応のも

のを献上する。「唐色紙の絵は、一巻と言えども、四十枚ばかりなり。

紫檀の箱の黄金の口置きたるに入れたり」(九四二頁)と丁寧に収め

られていることが分かる。これらのものは唐土から得たものだからこ

そ、その場の権威づけのものとなる。唐土で産したものではない高麗 笛も、唐土の皇帝の賜ったものであるゆえに、天皇に贈っても品格を

落とさない。

そして、俊蔭の遺品の用途として特筆すべきは、いぬ宮への秘琴伝

授のために新たに造られた楼である。

楼の高欄など、あらはなる内造りなどには、かの開け給ひし御蔵

に置かれたりける蘇芳・紫檀をもちて造らせ給ふ。黒鉄には、白

銀・黄金に塗り返しをす。連子すべきところには、白く、青く、

黄なる木の沈をもちて、色々に造らせ給ふを、さるべき所々には、

白銀・黄金、筋遣りたり。(楼の上・上八五四頁)

楼の天井には、鏡型・雲の形を織りたる高麗錦を張りたり。板敷

にも、錦を配せさせ給ふ。わが御座所には、ただ、唐綾の薄香な

るを、天井にも張りたる板にも敷かせ給ふ。西の楼には、尚侍の

おとどのおはし所、東の楼には、いぬ宮のおはしところなり。浜

床ををのみぞ、いぬ宮の御料は、細やかにせさせ給へる。その浜

床には、紫檀・浅香・白檀・蘇芳をさして、螺鈿磨り、玉入れた

り。三尺の屏風四帖、唐綾に唐土の人の絵描きたりけるを、ここ

にて、大将の張らせ給ひて、一具づつ、二つの楼の浜床の後ろに

立てたり。楼の天井に、三尺の唐紙を、尚侍のおとどの御にもこ

れにも懸け給へり。(同八五六頁)

の楼は高価な木材を使って建てられたものであり、そこにはいつも

香ばしい匂いがする。この唐物に装飾された楼は、伊藤禎子氏が、「俊

蔭一族の世界は、水平に膨らんでいくのでなく、〈高さ〉を志向する

(8)

ことにより、聴衆をかかる一点に集中させる機能を持つ。〈広がり〉

が領土といった俗世の権力意識を表すとするならば、〈高さ〉は孤高

な精神を象徴する」と指摘したように、一族の精神性を象徴するも

のである。俊蔭の遺品を手に持っているからこそ、これほど立派な楼

を造ることができたのである。仲忠が祖父の遺品を利用して高楼を造

ったのは、同時に祖父の遺志を受け継ぎ、それを世間に顕彰させるこ

とを志す姿勢を表明しているのだろう。

以上の用例からも分かるように、俊蔭の遺品のなかには「唐〜」と

表示される唐土から将来されたものが多くある。そしてこれらのもの

も一族の品格をよく表している。河添氏は「楼の上下巻では、もはや

「唐土」ならぬ「波斯国」「高麗」を強調する必要もないのである。

むしろ、すべてを「唐土」の権威に統一し、俊蔭一族を荘厳するとい

う比重が大きいのである。」と『うつほ物語』において、威信財とし

ての唐物の価値を強調し、「特に晴れの場で過剰なほど強調する世界

から、やがて異国を流離った俊蔭だけが特権的な唐物を獲得している

ことが明らかになり、その一族が天皇家や他家を圧倒する物語に転じ

ていく」と唐物の持つ意義を強調した。「天皇家を圧倒する物語」

という点に議論の余地があるものの、蔵のなかから発見した唐物がこ

の一族にもたらす意味が多大であることは指摘された通りである。

無数の財宝を蓄積して吹上の浜に「財の王国」を作り上げた種松に

比べて、俊蔭の遺品はそれほど多くはない。しかし、これらの文字通

りの「唐物」は、ほかの知らぬ国から舶来した品々とは違い、文字通

りの「唐」から将来された物であることが強調され、その動かぬ権威

性と価値は皇室でさえも認めるほかなく、種松や正頼など他の貴族た

ちよりも一段と上回っていることを浮き彫りにする。こうした唐土と 関連を結びつけることによって権威づけを目指す手法は、首巻におい

て描かれる俊蔭漂流譚のなかでも利用されている。俊蔭が実際に漂着

したのは波斯国であったが、物語の展開につれて人々はあたかも俊蔭

が唐土に漂着したかのように思ってきて、ここでも唐土は一種の権威

づけの装置として利用されているのである。

物語内部からいえば、従来仲忠と涼の「優劣論争」の際に特に注目

されるのは、涼の世に無双の財力と木のうつほで幼少時代を過ごした

仲忠の生い立ちの卑しさであるが、一族の遺品を継承することによっ

てこの劣勢は逆転され、世間稀有の宝物を持つことで仲忠の人物造型

はより完全形に近づいていくのである。いわば、これらの唐物が物語

における最大の価値は、涼を「財の王」という王座から失墜させ、仲

忠に再びその「主人公格」を奪還させるところにあると言えよう。

注注

皆川雅樹著日本古代王権と物交易』川弘文館、〇一四年

義」

用は全』(おうふう、河添安物語唐物をめぐる文化

− 『

書。

− 種

− 」

の風

(9)

馬馬 琴琴 とと 小小 枝枝 繁繁 のの 善善 悪悪 観観 ―― 人人 物物 造造 型型 をを 中中 心心 にに ――

施 超 智

一一ははじじめめにに

近世後期に入ると京伝、馬琴のような戯作者に先導されて読本の著

作が盛んに行われていた。主に文化初期頃から読本は多く刊行される

ようになった。その中には京伝、馬琴の作風に追随した亜流の読本作

者も少なくない。文化前期における読本の著作点数からみれば、小枝

繁も多くの作品を残していた。これまで亜流の読本作者として位置

付けられてきた小枝繁に関して、横山邦治『読本の研究:江戸と上方

と』では「京伝・馬琴の競合で創り出された稗史もの創りの軌道を

忠実に進んで、時流に乗って京伝から馬琴に乗り換えた軌跡を描いて

いる」と論じている。

そして、横山は馬琴を範とした小枝繁の在り方は「江戸における二

流読本作者の在り方を典型的に示している」と論述している。さらに、

小枝繁の作風は「一層忠実な馬琴路線の実践者」の姿勢を有している

と指摘している。また、鈴木敏也による「作家としては京伝から馬

琴へその目標を転換」したという主張からも、小枝繁の著作姿勢は京

伝から馬琴へと移り変わったことが窺える。

さらに、田中則雄は小枝繁の作品について「〈善悪対立の構図〉 を明示」しているが、悪人の扱い方に「悪念に陥り、やがて己の非を

知り慚愧する」という特徴があると論じている。そして、横山は文

化九年(一八一二)刊『松王物語』について「因果応報・勧善懲悪の

考えが構想にも徹底していた(中略)この主意を徹底させる近道は、

登場人物の善悪を明確にしてその末路を明示する」と述べている。

しかし、田中と横山は繁の文化後期の作品を中心に論じているが、

前期の作品と馬琴の関連性については多く考察しなかった。それに対

して、鈴木は繁の処女作『絵本東嫩錦』(文化二年刊)は当時の評

判作である京伝の『安積沼』を模範としていたと述べている。

そして、その後の繁作品において『絵本璧落穂』(前編文化三年、

後編文化五年刊)、『高野薙髪刀』(文化五年刊)では馬琴の著作手

法に従っている点が多く見られる。特に『高野薙髪刀』は馬琴の名で

改題出版されていることから、繁は馬琴の作品形式を模倣したといえ

よう。このことから、馬琴の初期読本における善悪観を考察する際に、

小枝繁の作品を考慮することが有用であると考えられる。

以上の先行研究から、小枝繁は京伝と馬琴に影響されていることは

明白である。そして、馬琴の善悪観を究明する際に京伝のみ取り上げ

て比較するのは不十分である。横軸にいる人物の作品との比較も行う 伊藤十六〇〇

房江

号、二〇〇九年月)

(よこうえん・本学専門研究員)

参照

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