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(四) 人権としての性的自由をめぐる諸問題

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(1)

七 六 五 四=一—

私通・同棲 はじめに

姦通︵以じ九巻四号︶

同性変

UJ

( I   西

︐ ' ︑

フランス

9

t

り同性曖繁止規定の合憲性︵以

t

H l

市民的権利の制限︵以

t

性的いやがらせ

おわりに

人 権 と し て の 性 的 自 由 を め ぐ る 諸 問 題

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9  

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9   9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,  

一 論

1 9 9 9 9 9 9 9 ,

 

9 9 9 9 9 9 9 ,

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9

上 ︵ 四 ︶

13―‑1 ‑‑‑1 (香法'93)

(2)

教授の るとしたらそれらはどのような性質なのか︑ 制限が加えられている︒以ドにおいて特に重要な間題に絞って順次検討する︒

ここでは叙 場合とがある︒ 犯罪とされている︒

アメリカ合衆国の約半数の州においては︑同意にもとづく成人間の同性愛行為がいまだに それに加えて同性愛者が通常の市民生活を営んでいく上で必要な市民的権利に対して実に多様な

男と男の結婚︑女と女の結婚︑

いわゆる同性結婚が認められるべきか否かを検討する前提として︑結婚する権利な いし自由について考察しておく必要がある︒結婚ないし家族に関しては︑憲法上規定している場合と規定していない

ワイマール憲法︑第二次大戦後のイタリア憲法︑

ボン基本法は前者の場合で︑結婚ないし家族に対し て国家が特別の保護をするという規定を設けている︒言い換えれば︑国家からの自由を要求するという側面からでは なく︑国家から特別の保護を受けるという側面から規定されている︒それに対してアメリカ合衆国憲法の場合には︑

結婚ないし家族については規定していない︒

したがって︑結婚する権利ないし自由が認められるのか否か︑認められ さらには憲法上どのように位置づけされるのか等々の点については︑連 邦最高裁判所等の判例の展開に依らざるをえない︒それらの判例の分析や検討については︑最近出版された米沢広一

﹃子ども・家族・憲法﹄の中で詳細になされているので︑

述に必要な範囲において言及することにする︒ それに付け加えるようなものはないが︑

田 同 性 結 婚

前号で詳述したように︑

13  1 

④ 市 民 的 権 利 の 制 限

⑤ ア メ リ カ

9 ]   (香法'93)

(3)

人権としての性的自由をめぐる諸問題(四)(上村)

州法を合憲と判断し︑有罪を宣告した︒ アメリカ合衆国においては︑植民地時代から白人と他人種との結婚を禁止し︑違反者に対しては刑罰を科す州法が

存在していた︒この州法の合憲性が争われた一九四八年の

P e r e s v .   S

ha rp 事件において︑

正十四条の平等保護条項とデュー・プロセスに違反するとして初めて違憲だと判示した︒

Tr ay ne

r 裁判官は︑多数意

見の中で︑結婚は自由人の基本的な権利であり︑結婚する権利の本質は各人の選択する人との結婚をする自由である

から︑異人種間結婚禁止法は必然的に結婚する権利を侵害すると述べた︒ カリフォルニア最高裁は修

一九六七年の

L o v i n g . V

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(3 88

U  

.S .  I )

に連邦最高裁が結婚の自由の問題を初めて憲法論として論じたのは︑

おいてである︒ヴァージニアにおいても︑他の十五州と同じく異人種間の結婚を刑罰をもって禁止している州法があ

った︒この事件では︑白人の男が黒人女性と結婚したために右の州法違反で起訴され︑ヴァージニア最高裁は間題の

b a

s i

c   c i v i l   r i g

h t )

連邦最高裁は当該州法を次の二つを根拠にして違憲無効と判断した︒第一に問題の州法は白人の仮定された優越性 なるものを保護することを目的とするから平等保護条項に違反する︒第二に結婚は人間の基本的な市民的権利(a

であり︑﹁結婚の自由は︑自由な人間が幸福を秩序だって追求するのに不可欠で重要な個人の権利

の一 っ﹂

であるから︑結婚の相手を選択する自由を否定することはデュー・プロセス条項に違反する︒

この判決の意義は︑歴史上初めて連邦最高裁が結婚する自由と結婚の相手を選択する自由の問題に注意を向け︑

れらの自由を基本的であると宣言したところにあるとされている︒

次にN

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i   v R .  

e d h a i l   ( 43 4 

U. S.

  3

7

 4

)においては︑結婚許可状の交付に一定の条件をつけているウィスコンシン

州法の合憲性が争われた︒本件の原告は非嫡出子の父として月一〇九ドルの養育料を十八歳になるまで支払うように

命じられたが︑支払い能力がなかったためその義務を怠っていた︒その後︑別の女性と結婚するために結婚許可の申

13  1 ‑

(香法'93)

(4)

とはいうまでもない︒ 請をしたところ︑養育料の支払いを結婚許可状の発給の条件としているウィスコンシン州法に抵触するとして発給を拒否された︒

連邦最高裁は右の州法を次のような理由で平等保護条項に違反するとした︒すなわち︑結婚の権利は基本的重要性

を有するが︑規制を受けないわけではない︒﹁結婚関係に入るという決定を実質的に妨害しないような合理的規制は︑

許容される︒⁝⁝本件での規制は明らかに︑結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げるものである︒⁝⁝当該規制

f

段は結婚への権利を不必要に侵害するものである﹂と︒

右の二つの判決によって︑連邦最高裁は結婚の自由ないし結婚の相手方選択の自由を憲法上保筒されていると解釈 したが︑このことはそれが表現の自由や宋教の自由と同じような憲法じ保障された権利であるということを意味し ない︒家族や子どもの保渡︑ひいては社会の健全な発展という重要な社会的目標を実現するために︑合理的な手段に

よって規制することが認められる︒例えば︑近親婚の禁止︑年齢制限︑健康上の理由にもとづく然止等がそれである︒

この点が他の憲法上保障された自由と異なるところである︒しかしながら︑

それらの規制も憲法上の制限に服するこ 右のように結婚の相手方選択の自由が憲法上認められるのならば︑同性の相手を選択する自由もまた憲法上認めら

れるのであろうか︒それともそれを認めないとする規制は憲法上許容されるであろうか︒それを検討する前に︑そも そも同性の者同士が結婚を希望する理由について若干言及しておく必要がある︒同性結婚が認められるようになった 場合には︑精神的な満足や情緒的な安定︑社会的地位の強化などに加えて︑様々な法律的︑経済的利益を当事者は享 受することができるのである︒それらの利益の具体的な中味としては次の三つを指摘することができる︒

第一は住宅に関する法律の分野における利益である︒いわゆるシングルの家族に対する住宅の販売と賃貸を特定の

13  ‑1 

(香法'93)

(5)

人権としての性的自由をめぐる諸間題(四) (I

れるわけではない︑

とさ れた

五 いくつかの裁判例において︑被

地区において制限する条例が制定されているが︑結婚していない異性のカップルや同性のカップルは︑

区においては住宅を確保することができない︒また家賃統制及び安定化法は︑結婚していないカップルに対して借家 を継承する権利を制限している︒さらに布のような法令による制限に加えて︑同性愛のカップルは同性愛者を嫌悪す

る賃貸人からも差別され︑住居を人手することに困難を強いられている︒市民的権利に関する法律

( C i v i l R i g h t s   A c t s )  

の一っである一九六八年の

Th e F a i r   Ho

us in g  A ct は︑顧客の人種︑体色︑性︑出身国にもとづいて住宅の販売ある

いは賃貸を拒否することを禁止しているが︑性的好みにもとづいて差別することを禁止していない︒

の中には︑性的好みにもとづいて雇用や融資とならんで住宅について差別することを禁止する条例を制定していると

ころもある︒また裁判所も賃貸人の性的好みによる差別を容認する傾向がある︒

第二は労働者の補償に関する分野における利益である︒労働者が労働災害にあった場合に︑補償の受給資格者が問

題になる︒労働者の補償に関する法律はその受給賓格者を列挙し︑

給資格をめぐって争われたケースにおいて︑裁判所は一般的に給付金を受け取る同居者の権利を被用者の法律上の配 偶者に限定してきた︒したがって︑事実上の夫婦や同性愛のカップルにはその権利は認められてこなかった︒ただ裁 判所の判決ではなく︑行政委員会である労働者補償委員会の決定ではあるが︑被保険者である詞性愛者のパートナー

益に劣るものでないこと︑ の請求が認められたことがある︒その決定においては︑同性愛のカップルの利益は伝統的な結婚を推進する社会の利

したがって結婚許

状の交付を受けていなくとも︑補償を受け取ることが自動的に排除さ

n I

を請求できるが︑その範岡をどこまで拡大するかが︑ そのような地ただ地方自治体

かつ被扶養者を定義しているのが通例である︒受 第三は不法行為にもとづく損害賠償の請求権の分野における利益である︒不法行為の被害者の家族は勿論損害賠償

これまで裁判で争われてきた︒

13‑1  (香法'93)

(6)

わち

一体結婚とは何なのか︑家族とは何なのか︑

して いる が︑ このことが結婚は男女の法的結合であるという伝統的な結婚観に強力なインパクトを加えている︒すな

という鋭い間題を同性結婚は我々に提起しているといえよう︒

右のように法的には同性結妍は認められていないにもかかわらず︑

事実上は同性愛者が結婚するという実態が先行

てい

ない

みで

ある

てい

る︒

したがって︑

その他の州において︑同性の人に対して結婚許可状が発給されるか否かは︑解釈に委ねられ しかし︑現実間題として州当屈は︑詞性愛者の申請に対して結婚許

状を発給しなかったため︑一九七n J

0

年 代に入ると︑右に述べた様々な利益を享受するためにその発給を求める訴訟が提起されはじめた︒現在までのところ

数件報告されているが︑同性結婚を認めた判決は存在しない︒また連邦最古詞裁もこの間題については未だ判決を出し る︒州法の中で︑この結婚許

r I J 状が同性の人に発給されてはならないと明ぷ的に規定しているのは︑

テキサス州法の

アメリカ合衆国においては︑州法によって結婚許可状

( l i c

e n s e

) がないと結婚の成立が認められないことになってい

次に本題に戻っていわゆる詞性結婚が認められるべきか否かの検討に移る︒

ビスの喪失に結びつけるべきでないと︒ 害者と﹁十分に密接な関係﹂を有する第三者も精神的損害に対する賠償請求ないし配偶者権

( c o n

s o r t

i u m )

の喪失の

I n l

復を認められたことがある︒

また未婚の異性愛者のパートナーの請求も裁判所によって時折認められてきたが︑

に反して同性愛者のパートナーの請求については︑裁判所は現在までのところ認めていない︒

右のような裁判所の態度については次のような批判が加えられている︒第一に︑

そオ

パートナーを失った結婚していな い人が蒙った担失は︑法律卜の配偶者が蒙った川失より現実的でも直接的でもないという前提を採川すべきでない︒

第一一に︑情緒的な担苫もそれ自身において正山;な補償を要求できるものとして認めるべきであり︑

それを夫婦のサー

I. 

(香法'9])

(7)

人権としての性的自由をめぐる諸間題(四) (I: 

どんなに強調してもしすぎることはない︒

ところで判例とは異なり︑学説においては同性結婚を認めないことは違憲であるとする見解が強い︒そこで同性結 婚は認められないとして州当局や判例によって主張されてきたその理由と︑

にす

る︒

第一に︑同性愛は異常であるないしは病気であるので︑治療すべきであるという理由が指摘されている︒たしかに 同性愛は異常性愛であるとする見方が西欧社会に設透していたが︑

それに反対する学説を順次検討すること

しかし歴史を遡れば︑

てきたというわけではない︒ジョン・ボズウェルの大杵:キリスト教と同性党

l ‑

\一四世紀西欧のゲイ・ピープ ル﹂によれば︑異性愛と同性愛というカテゴリーは︑大半のギリシャ人やローマ人に意識されることがそもそもなか ったのである︒またこの著内によれば︑西欧但界において同性愛が敵視されたのは︑多くの人が信じて疑わないよう キリスト教が普及しはじめた時代からではなく︑ずっと後の一三\一四世紀になってからのことである︒

現在では心理学や精神分析学の発達によってその原因等の解明が徐々になされてきているが︑

や両性愛は性愛の︱つの類型であって異常であるわけではない︒

︑ し

ましてや病気ではないのであるから治療の必要はな そもそも治療することが

能か否かは大いに疑間とされている︒n J

第二に︑同性愛者の結婚を公認すると同性愛者が増加するから︑

それを防止するために結婚は認められないとする 理由が指摘されている︒同性愛者が自らの息息によって巽性愛ではなく同性愛を選択しているのであれば︑

そのよう

な理由も根拠がないわけではない︒しかし︑同性愛に限らずいわゆる性的逸脱は︑個人の意思による選択の結果では ないのである︒著名なイギリスの精神分析学者

A

・ストーは︑その莉内冨口の逸脱﹂の中で次のように述べている︒

﹁性的に逸脱した人たちといっても︑この人たちがそういう状態を好き好んで選んでいるわけではない︒このことは︑

この人たちを責め立てている衝動や空想は︑考えぬいたすえに手に人れた

いずれにせよ同性愛

いつの時代でも異常視され

13‑ l ‑‑‑‑‑7 (香法'93)

(8)

ものでもないし︑意志的な選択によって得たものではない︒じているのである﹂るべき偏見である︒

と︒同性愛を趣味でやっているとの見方は︑同性愛が異常であるとか病気である等々と同じく恐 第三に︑同性菱者の結婚を認めないことが︑同性愛行為を犯罪とするソドミー法の精神に合致するという理由が学

げられている︒本論文の前号と前々局で明らかにしたように︑同意にもとづく成人間の同性党行為を非犯罪化するの

が現在の但界的潮流であり︑

アメリカの約半数の州のソドミー法はまさにそれに逆行するものである︒また右に述べ たように︑同性愛者は同性愛を自らの意思で選択したわけではないから︑

第四の理由として家族を安定させること︑

ならびに生殖を確保する必要性が指摘されている︒家族が果たしてきた 伝統的な役割のなかで︑同性結婚の家朕にできないものは︑異性間の性交と生殖である︒同性結婚を認めると

f

ども の数が減り︑人口の再生産が脅かされるとする考え方は︑俗耳には入りやすいが根拠があるわけではない︒

これまでに行われた調脊と経験によれば︑同性愛者は比較的少数であることが明らかになっているし︑

述べたように︑同性結婚を公認すれば同性結婚の数が増えるという性質のものではないから︑

が減少するわけではない︒古代ギリシャのように同性愛が公然と行われていた社会が︑

実は ない

)

0

また右に

それに反比例して人

r l そのために消滅したという市 さらに異性結婚の場合でも結果的に子どもができないこともあるし︑意図的に子どもをつくらないケース もある︒このように生殖がもはや異性結婚の必須条件でないならば︑それを理由にして同性結婚を否認しなければな らないということにはならない︒﹁結婚は︑主として︑人類の繁殖と結合した社会的価値のために保護された法制度と

して存在するという見解は︑我々の社会において︑徐々に足場を失いつつある﹂ きるわけではない︒

のである︒今日では生殖技術の進歩

それを犯罪として処罰したところで矯正で

それらは夢と同じで︑

意識的統制のきかないところで生

)¥ 

13  1  8 (香法'93)

(9)

人権として0)'性的自由をめぐる諸問題(四) (I: 

十分に説得力があるとはいえない︒ 同性愛者に育てる危険があると︒しかしながら︑経験的データによれば︑同性愛の親の方が異性党の親よりも子ども

また同性愛者は親が同性党者であった場合の方が多いということもないから︑

ら結婚は男と女によって行われてきたのであり︑

第六に︑同性結婚は歴史と伝統に衝撃を加えるものであるから︑容認できないとされる︒すなわち︑創世紀の昔か

それと矛旧する詞性結婚は認められるべきでないと︒結婚許可状の

発給を求めて同性愛者によって提起された訴訟において︑

七三年の

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のケンタッキー控訴審︑了几七四年の

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.   のワシントン控訴審判決は︑

れも結婚は男女の法的結合であるという伝統的結婚観に依拠して請求を棄却した︒

よって︑憲法じの結婚する権利を奪うことには間題がある︒

右のように同性結婚を認めるべきでないとする理由と︑

いずれの理由も

学界の中には同性結婚を認めないことは違憲とはいえないとする見解もあるが︑ このように多数派の道徳的信念に 一九七一年の

B a

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N e

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のミネソタ州最高裁︑

それに対する批判を順次検討してきたが︑

いず

プライバシー権の侵苫︑平等保設条項とデュー・プロセス条項に反して違憲だとする見解も相刈強い︒すなわち︑結 婚や家族生活に関する事項についての個人的な選択の自由は︑修正卜四条によって保障された自由の一っであり︑

を虎待することが少ないし︑

3)  

根拠がない︒

いずれも

同性曖者は︑

男であれ女であれ︑

f

どもを性的に虐待する傾向があり︑

また同性党者の親は自分の

r

どもを教化して によって代理母とか人

e

受精といった方法を用いることによって︑同性愛者も子どもを持つことができるようになっ ている︒したがって︑子どものない同性結婚は︑生殖に関しては

f

どものない異性結婚と同じ状況にあるから︑同性 結婚に対してのみ結婚から生じる様々な利益を認めないとするのは合理的ではない︒

第五に︑同性結婚を認めないことが︑子どもを保護するために必要であるとする論拠が指摘されている︒すなわち︑

13 

︐ 

(香法'9:1)

(10)

州裁判所はそれを条件付きの自由にしてしまった︒結

この登録制によって︑詞性愛のカップルも一定の範間において婚姻と同様の法的保護を受けること アメリカ合衆川ではなくデンマークの話ではあるが︑

一九八八年六月一日から机界で初めて同性結婚が認められる このように法的承認を受けるにいたった背景には︑事実と

結婚が︑現代においては大きく変容してきているのである︒ して同性結婚が広く行われてきたということがあるのは容易に推測されうることである︒要するに︑伝統的な家族や

そのことをある著者は次のように要約している︒

﹁結妍する権利が︑個人に内在する躾本的権利であるということは明白である︒それは個人的な選択に強く依存する

権利である︒結婚する自由は個人にとって本質的であるのに︑ ようになった︒

まさに驚瞳に値する出来事かもしれない︒

制度を実施した︒

99 

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が可能となった︒ いるカップルは︑

異性

iJトをり)~ヽi

IL

三五ドルの登録料を支払えば︑婚姻閃係と同様のカップルとして登録できる

またれのような事態を反映して︑サンフランシスコ巾は︑

一九八九年七月五日の条例によって︑生活をともにして 教会やその他の家教的な場面で常々と行われており︑

それは 裁判所や州刈屈によって︑

l

性結妍が法的に承認されなくとも︑

同性のカップルの結婚式が

﹁神 叩な 結合

﹂ ( H o l y U n i o n

) と呼ばれているという︒ 実態は先行している︒

ジア州のソドミー法の合必付が→われた一九八六年の

Bo we rs

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Ha rd wi ck

において︑連邦最高裁が︑

イバシーによって保悴されているとするじ張を︑ー笑止

T J j

笑い

ザロ

f L ( a b e t s t .   f a c e t i o u

s ) として斥けたことから判断

して︑同性結婚はーしょせん︑ばかばかしいこと﹂︵

b e a t s t .   a b s u r d

) として直ちに棄却されると推測されるからである︒

同性愛がプラ

学説の動向とは逆に︑

連邦最闘裁が詞性結婚を近い将来において容認するとは想像しがたい︒

れは異性愛者にも同性愛者にも同じように保仰されなければならない︒

︑ ) よ

0 (

また結婚する権利はプライバシー権から引き 出されるのであるから︑結婚する権利は同性愛者にも広げられなければならないと︒

1 0  

ジョー

1:3  10 (香法'93)

(11)

人権として(})'性的日由をめぐる,渚問題(四) Cl・. 

は︑同性結婚を包含するほど卜分に輻の広いものである︒﹂ その関係は

1

性曖のパートナーを含むほど柔軟である︒

した がっ て︑ 結婚関係に人る個人の基本的な権利

えて いる

子どもを含むものであれなかれ︑

これらの裁判所によって︑単に異性愛の結合に人る自由でしかないと解釈されてしまった︒権利のこ

の解釈は︑婚姻関係それ自体の伝統的な認識に依拠している︒

伝統は権利のこの解釈を支持するが︑伝統それ自身の多くの上台は変化しつつある︒結婚はもはや子どもの出産と 養育のための独占的な領域ではない︒その上︑多くの人々は結婚の日的を

f

どもの出産であると見なしていない︒ペJ

らに多くの国家において︑結妍はもはや成人間の詞棲と性的親密さへの唯.の法的な方途ではない︒最後に︑配偶者 の一方である夫だけが扶養義務を負いかつ家*を支配する関係に代わって︑結婚は二人の成人間の平等なパートナー

シップとみなされている︒婚姻関係の観念とその目的におけるこれらの変化は︑

現代の条件ドにおいて︑結婚は︑相互に課せられた法的義務のドで︑

約束である︒

察す ると

婚する権利は︑

その制度の伝統的な見方に影郭を与 共同生活をする二人の人の任意のかつ公的な

それは︑愛︑信頼および交わりの上に築かれた関係である︒それは︑

特定の家族関係である︒それは︑先人︑下と偏見を越える二人の人の高度に個人的な結合である︒そのような方法で考

( 1 )

米沢仏

^[

F とも・家放・屯仏f

/几じー.七四貞゜

(2)久保川きぬ,ー 1中叩品帷ー|—白人と黒人の糾妍の日IllL別冊ジJリストぶ央米判例百選I公法ー所収.二四ー・^:fi頁。

( 3 )  

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(12)

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Foster. Marriage: A Basic Civil Right of !¥Ian, FORDHAlVI LA¥¥'REVIEW. 1968, p. 52. 

~ 三幻「姦・淡至乏~JiE8二=翠立ミ涵忘玉ミ'.:'J;」乏茫~n/~-:

~::::'.

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ごごゞ~:::::,

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(C';)  玄←旦ミニ¥vJミ武竺応丘ご;

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(三)

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(~) く・ゞ,..L"― ~:tiミ翌淫二 .'' : 

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そョ;:,<2:・:12~ 芝ミここ娑旦\~い竺'こ三迄「~-淡誕さ子:S'ヱ亡翠立3妄姦〔ゃミー:~さ茫~111+一,ミ<s~..µ:::::こ~..,ミ:

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Sullivan, ibid .. p. 293. 

Sexual Orientation and the Law. pp. 98‑100. Friedman. ibid., p. 169. 

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(13)

人権としての性的自由をめぐる諸問題(四) U: 

れる

︒以 下︑

護権と訪間権の問題である︒しかし︑

( 2 1 )   L e w i s ,   Fr om   Th i s   Da

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19 88 , 

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17 83 . 

( 2 2 )   B r e s l e r , S   ex   an d   t h e   L a w ,  

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1 1 5 .

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A  LAW 

JO UR NA L,  1 97 9,  p p.

1 

62

1 63 . 

(b) 

子どもの監護

とを差し控えてきたこと︑

とこ

ろで

それに対して父に訪問権が付与され とくに同性愛の母と父方の祖父母の間で争われ

同性愛者に対して加えられている様々な市民的権利の制限の中で︑最も数多く裁判で争われてきたのは子どもの監

この問題も一九七

0

年以前は訴訟に持ち込まれることは非常に少なかった︒

いうのは︑当事者が自らないしは配偶者が同性愛であることを周囲の人々に知られるのをおそれて︑監護権を争うこ

また実際に監護の訴訟を提起しても敗訴することが明らかだったからである︒

ら︑同性愛者としてのプライドの高まりや同性愛者を支援する組織が整いはじめる等の状況の変化があり︑彼らも公

然と裁判において子どもの監護を争うようになっていったのである︒

子どもの監護が訴訟で争われる当事者のパターンは三つある︒

と母の間で争われる︒第二の山丑弔者のパターンは︑親と親でない人︑ ︱つは︑主として離婚訴訟において︑父 と

しかしなが

る︒第三の山﹈事者のパターンは︑州と親との間の遺棄訴訟

( n e g l e c t p r o c e e d i n g

のような親権喪失の訴訟において争わ)

この当事者のパターンに添って順次検討することにする︒

アメリカでは︑﹁母親優位の法理﹂または﹁母親優先の原則﹂が支配的であったため︑離婚の際の幼い子の監護者の

決定については︑母に不適格事由がない限り原則として母に監護権が付与され︑

13‑1 13 (香法'93)

(14)

対比 させ

この問題に関する判例の変遷を明らかにする︒

者となるが︑

この法理は平等の要請にそむくものとして制定法上あるいは判例法上否定されてきており︑下級審 判例の中には︑﹁母の監護権を推定するという伝統的な方法は少なくとも幼い子にとっては憲法違反である﹂と明言す るのがある︒その結果︑父に監護権が付りされるケースが増加してきており︑以前は争われたケースの五パーセント

1 0

パーセントから一五パーセントに上昇してきている︒また離婚の際にはいったん母が監詭権 その後︑母がレスビアンであるために監護者として不適格であるとして︑父が監護権を取り戻すために

訴訟を提起するケースが増えてきている︒アメリカでは人口の一

0

パーセントにあたる一︑

で︑ その うち

‑ 0

パーセントから三七パーセントが子どもを持ち︑

一 五

0

万人もの同性愛の母︑いわゆるレスビアン・

マザーがおり︑平均して二人の子どもを持っていると推定されている︒

ところで子どもの監護者を決定する訴訟において︑当事者の人権が侵害されるという間題が生じている︒後述する

ように裁判所は監調者を決定する基準として︑﹁親としての適格性﹂

( p

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t a

f i l

t n e s

s ) あるいは﹁どもの最良の利益﹂

f

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  c h i l d )

m m ーしているが︑それを具体的に適用する際に当事者の生活のあらゆる側面に

わたって調在する︒とりわけ母がレスビアンであるために不適格であると申し立てられた場合には︑適格性を判定す

とりわけ性生活まで調脊することになる︒

結合の権利等を侵害するものであり︑

また結果として発覚した同性愛を理由にしてその親に監護権を付与しないこと は︑さらにプライバシー権を侵害することになると指摘されている︒

右のような人権問題があることを念頭においた上で︑子どもの監護に関する判例を︑

心にして︑他の一っは地域に焦点を当てて検討を加えることにする︒

そして最近の判例の傾向を以前の判例の傾向と

︱つは監護訴訟の当事者を中 るために母の私生活の細部︑

このような裁判所の調査はプライバシー権や

1 0

0

万人がレスビアン 程度だったものが︑ て

きた

しか

し︑

一 四

14  (香法'93)

(15)

人権としての性的自由をめぐる諸問題(四)(じ村)

アメリカのほとんどの州は︑

一 五

子どもの監護者を決定する際に適用される法的基準を制定法によって規定している︒

夫婦の社会的な地位

( s t a t u s )

もしくはライフ・スタイルを考慮することが許されない︑

一九

0

年のミシガン州の監護法は︑裁判官が監護者を決定する際に考慮すべき要素を八項目にわたって

規定している︒その中でとりわけ同性愛に関係すると思われるのは︑﹁︵訴訟当事者の道徳的適性﹂という項目である︒

一九八一年のオレゴン州法は︑子どもに対して︑情緒的もしくは肉体的担古を仔えない限り︑裁判所は叫事者の行為︑

と規定している︒したがって︑

親が同性愛であるか否かを考慮してはならないことになっている︒また︑

の利益とは何かを定義する州法を制定した︒その中に︑﹁自分と子どもとの関係に影臀を与えないと申し出た監護者の

行為を裁判所は考慮してはならない﹂という規定がある︒この規定は同性愛行為に特別に言及しているわけではない が︑親の同性愛行為が親子関係に影響を与えないならば︑裁判所はそれを理由にして同性愛の親に監護を拒否しては 右のように制定法が定めている監護者の決定の法的基準は大なり小なり漠然としているので︑事実審の裁判官に大

きな裁量権が与えられることになる︒裁判官が父母間の訴訟において監護者を決定する基準として採用してきたのが

﹁子どもの最良の利益﹂であるが︑﹁裁判官は︑何が子どもの最良の家庭環境を構成するのかを決定する際に︑事実じ

無制限の裁雇を有している﹂とまで評されている︒

判例の傾向は州によって異なるが︑基本的なスタンスを大きく次の三つに分けることができる︒第一はいくつかの 州にみられる判例の傾向で︑同性愛の親に監護を付仔することに反駁できない推定︑いいかえれば︑同性愛の親は本

質的に不適格であるという推定を与えている︒第二に他の多くの州では︑この不適格であるという推定は︑同性愛は ならないことになる︒ た

とえ

ば︑

監護訴訟の当事者の第一のパターンは母対父である︒

一九八四年にミネソタ州は︑子どもの最良

l:1i  15  (香法'9:1)

(16)

ラス

カ︑

コロ

ラド

︑ ところで裁判所は︑どのような理由によって同性党の親に監護を付りすることを拒否してきたのであろうか︒

S i

理由を順次批判的に検討する︒

第一に子どもが嫌がらせをされる︑あるいは汚名を着せられるかもしれないということが指摘されている︒

対し ては

︑ そのようなことは確実な証拠によって裏付けられていない︒また同性愛が地域社会から認知されていない ことが︑必ずしも子どもに悪い影響を及ぼすとは限らないと反論されている︒第二に同性愛の親に育てられた

f

ども は︑成人してから同性愛者になるかもしれないということが指摘されている︒しかしそのようなことは事実によって 証明されていない︒第三に子どもの道徳的な成長が害されるかもしれないという理由があげられている︒それに対し

ては裁判官は自己の道徳性に関する考え方を押しつけるべきではない︒道徳性というのは流動的な観念であるし︑ いると評されている︒ カリフォルニア︑ されており保守的である︒メーン等の北東部は進歩的である︒またアそれに反してバーモント︑マサチューセッツ︑

ミシ

ガン

オハイオ

インディアナ等の中央部の一九八

0

年代の判決は︑

子どもに有害であるという推定に取って代えられている︒すなわち︑親の同性愛が子どもに有害でないということの 立証責任を同性愛の親に課すという推定をおいている︒第三にすくなくとも一

0

州においては︑

みが子どもに有害な影評を与えるという証明がなされない限り︑

それを理由にして子どもの監護を否認してはならな いとしている︒もっとも裁判所は子どもに対する現実的な宵が証明されなくとも︑将来の潜在的

能性がn J

f

見される ときに︑同性愛の親に監護を拒否していると批判されている︒

判決の内容にも地域性がみられるのがこの訴訟の特色でもある︒ヴァージニア︑テキサス︑

ホモホビア

オレゴン等の西海岸と東海岸の判決はこの間題について進歩的な態度をとって

その

それに

︵同

性愛

嫌悪

症︶

の立場から出

ルイジアナ等の南方部︑

裁判所は親の性の好

一 六

13  16 (香法'93)

(17)

人権としての性的自由をめぐる諸問題(四) (1. 

f

どもの監護をめぐる争いの結果︑ ーク控訴裁判所も︑ て

きた

が︑

レスビアンの母に子どもの監護を付与することは

f

どもの最良の利益に合致しないと判断し それに合理的な根拠がないということが明らかにされてきたので︑最近は母が同性愛であるという要素を

以前ほど屯視しない傾向にある︒﹁今︑裁判所はレスビアンの母よりも︑むしろ親としてのレスビアンという観点から

レスビアン問題にアプローチしている︒﹂といわれる所以である︒

るべきでなく︑母の性的好みは考慮されなければならない多くの要素の一

ニュージャージー最高裁は︑一九八

0

年の

B e l m o n t

v .  

B e l m o n t

において︑親の性的好みにもとづいて監護者を決め

( 2 0 )  

と判示した︒またニューヨ

一九八四年の

G u i n a n

v•

G u i n a n

において︑親が同性愛であるという事実は︑それだけで親として

不適格になるわけではないとして︑同性愛の母に

f

どもの監護を付仔した︒

い︒そのことが結履父親と母親の対立や緊張を増幅させ︑

f

どもに悪影響を与えることになってしまう︒

と母との子どもの奪い合いが絶えないという事情が加わって︑新しく共同監護

U o i n t c u s t o d

という制度が発案されy )

する偏見にもとづいて︑ 裁判で争われるケースの中では︑ れ

てい る︒

一 七

りわけ同性愛の道徳性については︑根本的に異なる観念が対立しているからである︒第四に子どもが同性愛の親に性

的に苦しめられるおそれがあると指摘されている︒しかし︑子どもを性的に虎待しているのは異性愛の父親であって︑

同性愛の親︑

とりわけ母親でないことは現在のアメリカで生起している事実が証明している︒第五に同性愛を禁止し ているソドミー法が︑同性愛の親に

f

どもの監護を付りすることを拒否するという理由が指摘されている︒しかし︑

それはすでに述べた四つの罪由と同じように︑

f

どもの最良の利益にとって密接な関係があるとはいえないと反論さ

つで しか ない

︑ 一方の親に監護権が付与されると︑他方の親に訪間権が与えられるケースが多

母が同性愛の場合が圧倒的に多い︒

さらに父

裁判官は社会に広く没透している同性愛に関

13  1~17 (香法'93)

(18)

した

︒ それに対して︑

ノース・カロライナ最高裁は︑仕事︑趣味︑他人

この基準がもともとレスビアン 片方の親が詞性愛の場合にも間題は異なるところはない︒一九八一年の

Ro

e v .  

Ro

e において︑ヴァージニア最高裁は︑

同性愛の父親から条件に違反したとして共同監設権を剃印した︒

判所

が︑

f

どもの監護者の決定について︑

冨枷としての適格性﹂

( p a r

e n t a

f i l

t n e s

s ) の基準を採用してきた︒

不適格であることが証明された時にのみ︑親でない第三者に監誕権が付与されてきた︒﹁親としての適格性﹂を判定す

るために︑年齢︑健康︑肉体的︑精神的︑道徳的能力や性的行為等が考慮されるが︑

の母に対して監護権を拒否するために川いられてきたことから︑母が同性愛であるか否かが大きな比屯を占める︒そ

して同性愛である場合には︑

f

どもの監調権を剥奪することによって同性愛者を制裁するわけである︒

いくつかの裁判所は︑親に監設権を付りすることが子どもの最良の利益にならないということを︑第三者が証明し

なければならないとした︒

ただ実際間題としては︑親と

f

の絆を維持することが重要であるとして︑裁判所が親以外

の第三者に監護権を付けしたケースはごくわずかしかない︒

たと

えば

一九七六年の

To

we

nd

v .  

To

we

nd

にお

いて

オハイオ控訴裁判所は︑極瑞な同性愛嫌悪症の立場に立って︑同性愛の母から監調権を奪い︑

了几じ三年の

S p

e n

c e

v•

Du

rh

am

にお

いて

それを父の祖父に付り との関係において正常な女付であり︑性的逸脱︑特巽な行動等はないとして︑同性愛的傾向を有する母に幼い

f

の監

詭を付与し︑祖父母の︑じ張を認めなかった︒ つまり親が

第一

一の

中且

旧者

のパ

ター

ンは

母対

第一

こ者

とりわけ父方の祖父母である︒このパターンの場合には︑ほとんどの裁

の親

は︑

この共同監設の下で︑ 親に監護を付りするのと捏なり︑﹁共同監設は各々の親の権利が平等であることの承認である︒共同監護において双方

f

どもを投行するあらゆる側而のための平等の権威と責任を有している﹂制度である︒

こ ︒

こ の 制 度 は 九

0

年にカリフォルニア州で初めて立法化され︑

J )

1 9

f l

今日では半数以上の州が導人している︒

J¥ 

片方の

13  18 (香法'9:))

(19)

人権としての1牛的自由をめぐる諸問題(四) (J. 

の際に同性党が親としての適格性を判定する要因のつとして考慮されるが︑

一 九

それだけで親権を喪失させるのに十分

要件は州法で規定されているが︑その文日が﹁逍艇

L (

a b

a n

d o

n m

e n

t )

︑ぶ

尼待

( a b u

s e )

︑﹁親の義務の屯大な怠慢﹂

( s e r

i o u s

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t   o

f   p

a r

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t a

l   o

b l i g

a t i o

n )  

t ' .

この場合にも事実審の裁判官の裁惜が大きく作用する︒そと渡然としているため︑7

第三の出ー巾者のパターンは︑

f

どもの遺棄訴訟における親︑ 権利と

f

の糾祉との良好なバランスを維持するためには︑

とくに母対州である︒親から親権を喪失させるための

るの に対 し︑

f

の最良の利益の韮準の下においては︑

れのような母と祖父母の間ではなく︑母と後見人として子どもを監護している第三者との間で争われた事件として

比較的有名なのが一九八

0

年の

B e

z i

o

v .  

P a

t e

n a

u d

どもの監詭を阿復したいという同性党の母の請求を認めなかった︒それに対して︑

f

e である︒事実審の裁判官は︑子の最良の利益の基準を採用して︑

連性の基準﹂

( n

e x

u s

t e s t

) を採用した︒これは母の性的好みと

f

どもに対する現実的な専との間の関連性を要求するも

この

B e

z i

0判決はェ圃期的なケース﹂として裔く評価されている︒その後︑

二のパターンのみならず︑第一と第三のパターンにも拡大適用されるようになってきており︑この

B e

z i

0判決は文字

通りリーディング・ケースであったわけである︒もっとも﹁関連性の基準﹂を初めて採川したのはこの判決ではない︒

一九

五一

1年のペンシルバニアの

Co

mm

on

we

al

th

v .  

B r

a d

l e

y ︑

﹁関連性の韮準﹂を採用したことがあった︒

この関連性の址準は︑親としての適格性と

f

どもの最良の利益の二つの部分から形成される

d u

a l

s t

a n

d a

r d

であ

る︒

この二つの部分のどちらにウェイトを憤いて解釈するかによって︑関連性の基準の適用の結果が異なってくる︒親と

しての不適格性の韮準においては︑母がレスビアンであることは︑

それだけで監護権を付与されない唯一の要囚であ

レスビアンであることは︑多くの要因の一つでしかない︒親の

これら二つの基準を同時に適用すべきであろう︒

ーの

I n r e  

J . ,  

S.  a

n d

  C  ••

が表面

L

この

訪間権の間題に関連して︑一九七七年のニュージャージ

0) 

この 1関連付の且消」は中~巾者の第 マサチューセッツ最高裁は︑﹁関

1  1: l !(香法'93)

(20)

110 

(苔)~~ 心叫

心写尽芸迄こ゜

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ぎ謬ミ竺翌‑ざ'.'...)t‑0 ,..IJ二卜合囲翌如に長心叫~J1'('旦合心ふニ

(一)Rivera, Our Straight‑Laced Judges: The Legal Position of Homosexual Persons in the United States. THE HASTI~GS

LAW JOURNAL, 1979. p.886. :1‑‑‑Our Straight‑Laced Judges心溢デ

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~ ニ,

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Notes, In the "Best Interests of the Child" and the Lesbian Mother.: A Proposal for Legislative Change in New York,  ・与翠竺:

+i.;:::::: 

こ'.c

Albany Law Review, 1984, p. 1022. 

CO~I:\1ENTS, Child Custody : Best Interests of Children ¥"S. Constitutional Rights of Parents. Dickinson Law Review, (t:‑‑) (cr,) 

1976‑77p.733. 

('X,) Law Note. The Avowed Lesbian Mother. and Her Right to Child Custody: A Constitutional Challenge That Can No 

Longer Be Denied. SAN DIEGO LAW RE¥'IEW, 1975, p. 838. 

参照

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